『殲滅のシンデレラ』 幕間「競馬場のアリス」


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 アリスはお尻の痛みを我慢しつつ、鞍に横座りしています。つまり、馬に乗っていました。

 モチノキの大木のまわりを、十頭以上のサラブレッドがゆっくり歩いていました。そのなかにアリスが乗る「エンチャンテッド」がいます。新聞を手にした観客が、熱心に馬の状態を観察しています。ここは京都競馬場のパドックとよばれる場所です。

 観客がアリスに声をかけ、カメラをむけています。アリスは手をふってこたえます。ドジスン先生が書いた小説の人気は絶大です。ただ日本の人々は、アリスを見るたび「アリスのコスプレだ」と口にするのが不思議でした。

 笑顔でいるアリスですが、心は沈んでいました。みじかい時間ですが京都を散策するうち、とても気にいったからです。このうつくしい街が破壊されるなんて悲しいことです。故郷のオックスフォードに雰囲気が似てるとおもいました。聞くところによると、京都にも有名な大学があるそうです。

 アリスは戦争をやめてもらおうと、ワイズ大統領に直談判しに来ました。ところが大統領は会ってくれません。しかたないのでアリスは、大統領の所有馬であるエンチャンテッドを借り、乗馬に初挑戦してみました。でも馬の背の上は高くて怖いし、お尻は痛いしで、泣きっ面に蜂です。

 ため息をつき、アリスがつぶやきました。

「乗馬ってちっとも楽しくないわ。私には馬車がむいてるみたい」

 長い首をひねり、エンチャンテッドが答えました。

「嫌なら降りるといい。乗ってくれとこっちが頼んだわけじゃない」

 アリスは仰天しました。馬が会話できると思わなかったからです。さっきから歌をうたい、ひとりごとを言うのを全部聞かれてたなんて、恥づかしくてたまりません。

「失礼だわ。会話ができるなら、先に言ってくれないと」

「おたがいさまだ。きみは俺に乗るとき、許可をもとめなかったろう」

「それもそうね。ごめんなさい」

 かるく頭をさげ、アリスが続けます。

「あなたに乗ってもよかったかしら?」

「好きにしろ。俺は走りたいとき走り、食べたいとき食べ、寝たいとき寝る。背中にだれがいようが関係ない」

「走るのが好きなのね。あんなに速いのだから」

「いや、まったく」

「そんなことないでしょう。私の友達に、とってもお歌が上手な子がいるの。歌が好きだから上手になれたんだわ」

「文化の違いだな。俺たちは好き嫌いでものごとを判断しない」

「よくわからないわ」

 アリスはふわふわの金髪をいじりました。馬や犬が全力で走るとき、彼らはとても楽しそうに見えます。エンチャンテッドの意見は納得できません。

「逆に聞こう」エンチャンテッドが言いました。「人間は好きだから勉強するのか?」

「いえ、まったく。あらやだ。私、あなたと同じことを言ってるわ」

「人間は好きだから働くのか? 好きだから戦争するのか?」

「たぶん嫌いなんじゃないかしら」

「君らこそおかしな生き物だ」

 最後の一周を終え、エンチャンテッドは本馬場につながる通路へむかいました。いよいよレースがはじまります。アリスはあわてました。並足でも危ないのに、本番なら確実に振り落とされます。

「降りる前にひとつ質問させて。あなたのオーナーであるワイズさんって、どんな人?」

「興味ないね」

 ぶっきらぼうにエンチャンテッドは答えました。アリスには他人行儀におもえます。オーナーと馬の関係は、親と子や、飼い主とペットみたいなものだからです。でもよくかんがえると、アリスが飼っている猫のダイナはいつも無愛想なので、これが普通かもしれません。

「ワイズさんはとても馬が好きらしいわ。小さいころから馬を飼っていたんですって」

「ああ。でもその馬は予後不良で殺された」

「どういう意味?」

「脚を骨折したら俺たちは殺される。生きている意味がないから」

「ええっ。かわいそう」

「そういうものなのさ」

 エンチャンテッドは平然と言い放ち、歩きつづけました。その背で揺られながら、アリスはこうしてサラブレッドに乗っていることが、ひとつの奇跡なのかもしれないと思いました。

 アリスはつぶやきました。

「『その場にとどまるには、全力で走りつづけないといけない』。赤の女王が言ってたわ」

「そいつは人間か?」

 アリスは悩みました。赤の女王は、アリスが鏡の国で出会ったチェスの駒です。

「どうかしらね」

「人間が言ったにしては、共感できる言葉だ」

 アリスはエンチャンテッドの鞍から飛び降りました。降りる前に首筋を撫でてあげました。エンチャンテッドはうれしそうに首を振りました。

 アリスはパドックをかこむ傾斜へ歩きました。大勢の観客のなかに、黒縁の眼鏡をかけたセーラー服の女の子がいました。名前をトワと言います。昨晩、高速道路で見かけました。

 トワはしきりにアリスを手招きしました。早くこちらへ来いとうながしています。随分と焦っている様です。




 アリスはエレベーターでスタンドの五階へのぼり、VIPルームに入りました。壁一面のガラス窓から、本馬場を見渡せます。モニターが嵌めこまれたテーブルの前に、ピンクのTシャツを着た金髪の男性が座っていました。アメリカ大統領のウォーレン・ワイズさんです。白塗りの化粧をほどこした舞妓さんがとなりで、グラスに飲み物をそそぎます。

 ワイズさんはカゴメの「野菜生活」という野菜ジュースを愛飲しており、わざわざワシントンまで取り寄せ、毎日朝昼晩と飲んでいるそうです。いまはウォッカで割り、ブラッディマリーというカクテルにしています。七歳のアリスにお酒は早すぎますが、どんな味なのか気になります。

 おもむろにワイズさんが振り向きました。目が据わり、充血しています。まだお昼なのに飲み過ぎかもしれません。

 甲高い声でワイズさんが叫びました。

「だれがこのガキを部屋にいれた!?」

 左目に眼帯をつけた黒人男性が答えました。

「私です、サー」

 この男性はハワード・フックさんです。「コーポレーション」という部隊を率いる軍人さんですが、昨晩の戦闘で部隊は全滅しました。左目はそのとき抉り取られました。脳にもひどい損傷を負ったそうですが、なぜか元気にみえます。フックさんは不死身なのだと陰で囁かれ、恐れられています。

「さっさと追い出せ」

「部下を失った私は、いま軍事アドバイザーとしてお仕えしています。ある程度の自由裁量はみとめられてるはずですが」

「9・11以降、最大のテロがおきたんだぞ! いや、状況はもっと深刻だ。敵の目的は俺の暗殺なのだから」

「状況は完全にコントロールできてます」

「ファック!」

 ワイズさんは立ち上がり、髪の毛のないフックさんの頭頂にブラッディマリーを浴びせかけました。赤い液体が、眼帯のない右目に入りますが、フックさんはまばたきひとつしません。痛みを感じないのでしょうか。

「すでにお前は」ワイズさんが言いました。「東京と京都で二度失敗した。救いがたい無能だ。無能であることは国家への叛逆だ」

「お言葉ですが、今回の化学兵器攻撃は、敵にとって成功と言えません」

「貴様、正気か?」

「やつらは成功しすぎました。所詮は烏合の衆であり、規律がない。すぐに崩壊します」

「プランを言え」

「大統領、あなたは軍事を御存じない。まあ安心して競馬でも見ててください」

 ワイズさんは空のグラスをフックさんの足許へ投げつけ、粉々に割りました。席にもどり、舞妓さんがあたらしくつくったブラッディマリーのグラスを受け取りました。

 ひとくち飲んで、ワイズさんが言いました。

「もう失敗はゆるさない」

「わかっております、サー」

「無能な人間には、ふさわしい末路が待っている。シリア政府あたりにお前の身柄をわたす。さぞかし歓迎されるだろうよ」

「あまり感心しません。私がもつ情報までシリア政府にわたる恐れがあります」

「つまらない野郎だ。お前の顔をみると酒がまづく……うぐっ」

 ワイズさんが胸をおさえました。グラスが倒れ、ブラッディマリーが木目のテーブルにこぼれました。顔面蒼白のワイズさんは息切れしています。

 アリスは首にかけている金緑石のペンダントを、指でなぞりました。パドックのそばでトワにもらったものです。VIPルームの窓は数日前、シークレットサービスがマジックミラーのフィルムを貼りました。外から中をみれません。しかし、アリスがかけている「アナスタシアの涙」の霊力により、トワは内部を確認して攻撃を仕掛けられます。

 感応術【ネバーランド】。

 ワイズさんが苦しみだしたのは、心臓が停止したからです。十分も経てば死んでしまうでしょう。

 アリスは動揺していました。なにを企んでいるのか、くわしくトワから教わりませんでした。たしかにアリスは、戦争をやめてほしいとワイズさんにお願いするつもりでした。でも、こんな悲惨な光景はみたくありませんでした。

 ゆったりした動作で、フックさんが窓にちかづきました。先の方が太い筒になっているライフルをもっています。もがいているワイズさんには目もくれません。銃口をガラスごしに観客席へむけました。右目でスコープをのぞいています。

 カチッ。

 おもちゃの銃みたいな音がしました。

 数秒後、床に横たわるワイズさんが、はげしく咳きこみました。心肺機能が恢復した様です。

 シークレットサービスの人たちが、ワイズさんをつれて外へでました。部屋にいるのはアリスとフックさんだけです。窓に小さな穴があいています。

 アリスが尋ねました。

「大統領を囮にしたのね」

「チェスの戦術でいうサクリファイスだ。これで敵戦力は半減した」

「半減?」

「あの眼鏡の少女は、ブラッディネイルと同等か、それ以上のアタッカーだったろう」

「なぜわかるの」

「トップだからこそ、ライバルが手柄をたて、自分の地位が脅かされて焦るのさ。それで独走した」

「すべてあなたの読みどおりなわけ」

「敵のミスに助けられた。もし同時にブラッディネイルがここへ突入したら、俺たちは全員死んだ」

 フックさんは他人事の様につぶやきました。まるでチェスの対局を振り返るみたいに。

 アリスはドジスン先生のことを思い出しました。数学者でもあるドジスン先生は、よくチェスの比喩をつかうからです。

 でもドジスン先生とフックさんは、全然ちがう性格だとも思いました。繊細なドジスン先生は、どちらかと言うと変わり者ですが、アリスにはいつも優しく接してくれます。ボートで遊んでいるとき、オールを漕ぎながら即興で話してくれる物語のおかしいことと言ったら! アリスは笑いすぎて、湖に落ちそうになります。

 アリスが言いました。

「人間はチェスの駒ではないと、私はおもうの」

「そうか? 俺には違いがわからんが」

 ライフルをもったフックさんは、VIPルームから出てゆきました。

 アリスは窓から観客席を見下ろしました。スタンドは上を下への大騒ぎになっていました。ただ遠すぎて、トワの姿は見えませんでした。




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