『殲滅のシンデレラ』 幕間「競馬場のアリス」


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 アリスはお尻の痛みを我慢しつつ、鞍に横座りしています。つまり、馬に乗っていました。

 モチノキの大木のまわりを、十頭以上のサラブレッドがゆっくり歩いていました。そのなかにアリスが乗る「エンチャンテッド」がいます。新聞を手にした観客が、熱心に馬の状態を観察しています。ここは京都競馬場のパドックとよばれる場所です。

 観客がアリスに声をかけ、カメラをむけています。アリスは手をふってこたえます。ドジスン先生が書いた小説の人気は絶大です。ただ日本の人々は、アリスを見るたび「アリスのコスプレだ」と口にするのが不思議でした。

 笑顔でいるアリスですが、心は沈んでいました。みじかい時間ですが京都を散策するうち、とても気にいったからです。このうつくしい街が破壊されるなんて悲しいことです。故郷のオックスフォードに雰囲気が似てるとおもいました。聞くところによると、京都にも有名な大学があるそうです。

 アリスは戦争をやめてもらおうと、ワイズ大統領に直談判しに来ました。ところが大統領は会ってくれません。しかたないのでアリスは、大統領の所有馬であるエンチャンテッドを借り、乗馬に初挑戦してみました。でも馬の背の上は高くて怖いし、お尻は痛いしで、泣きっ面に蜂です。

 ため息をつき、アリスがつぶやきました。

「乗馬ってちっとも楽しくないわ。私には馬車がむいてるみたい」

 長い首をひねり、エンチャンテッドが答えました。

「嫌なら降りるといい。乗ってくれとこっちが頼んだわけじゃない」

 アリスは仰天しました。馬が会話できると思わなかったからです。さっきから歌をうたい、ひとりごとを言うのを全部聞かれてたなんて、恥づかしくてたまりません。

「失礼だわ。会話ができるなら、先に言ってくれないと」

「おたがいさまだ。きみは俺に乗るとき、許可をもとめなかったろう」

「それもそうね。ごめんなさい」

 かるく頭をさげ、アリスが続けます。

「あなたに乗ってもよかったかしら?」

「好きにしろ。俺は走りたいとき走り、食べたいとき食べ、寝たいとき寝る。背中にだれがいようが関係ない」

「走るのが好きなのね。あんなに速いのだから」

「いや、まったく」

「そんなことないでしょう。私の友達に、とってもお歌が上手な子がいるの。歌が好きだから上手になれたんだわ」

「文化の違いだな。俺たちは好き嫌いでものごとを判断しない」

「よくわからないわ」

 アリスはふわふわの金髪をいじりました。馬や犬が全力で走るとき、彼らはとても楽しそうに見えます。エンチャンテッドの意見は納得できません。

「逆に聞こう」エンチャンテッドが言いました。「人間は好きだから勉強するのか?」

「いえ、まったく。あらやだ。私、あなたと同じことを言ってるわ」

「人間は好きだから働くのか? 好きだから戦争するのか?」

「たぶん嫌いなんじゃないかしら」

「君らこそおかしな生き物だ」

 最後の一周を終え、エンチャンテッドは本馬場につながる通路へむかいました。いよいよレースがはじまります。アリスはあわてました。並足でも危ないのに、本番なら確実に振り落とされます。

「降りる前にひとつ質問させて。あなたのオーナーであるワイズさんって、どんな人?」

「興味ないね」

 ぶっきらぼうにエンチャンテッドは答えました。アリスには他人行儀におもえます。オーナーと馬の関係は、親と子や、飼い主とペットみたいなものだからです。でもよくかんがえると、アリスが飼っている猫のダイナはいつも無愛想なので、これが普通かもしれません。

「ワイズさんはとても馬が好きらしいわ。小さいころから馬を飼っていたんですって」

「ああ。でもその馬は予後不良で殺された」

「どういう意味?」

「脚を骨折したら俺たちは殺される。生きている意味がないから」

「ええっ。かわいそう」

「そういうものなのさ」

 エンチャンテッドは平然と言い放ち、歩きつづけました。その背で揺られながら、アリスはこうしてサラブレッドに乗っていることが、ひとつの奇跡なのかもしれないと思いました。

 アリスはつぶやきました。

「『その場にとどまるには、全力で走りつづけないといけない』。赤の女王が言ってたわ」

「そいつは人間か?」

 アリスは悩みました。赤の女王は、アリスが鏡の国で出会ったチェスの駒です。

「どうかしらね」

「人間が言ったにしては、共感できる言葉だ」

 アリスはエンチャンテッドの鞍から飛び降りました。降りる前に首筋を撫でてあげました。エンチャンテッドはうれしそうに首を振りました。

 アリスはパドックをかこむ傾斜へ歩きました。大勢の観客のなかに、黒縁の眼鏡をかけたセーラー服の女の子がいました。名前をトワと言います。昨晩、高速道路で見かけました。

 トワはしきりにアリスを手招きしました。早くこちらへ来いとうながしています。随分と焦っている様です。




 アリスはエレベーターでスタンドの五階へのぼり、VIPルームに入りました。壁一面のガラス窓から、本馬場を見渡せます。モニターが嵌めこまれたテーブルの前に、ピンクのTシャツを着た金髪の男性が座っていました。アメリカ大統領のウォーレン・ワイズさんです。白塗りの化粧をほどこした舞妓さんがとなりで、グラスに飲み物をそそぎます。

 ワイズさんはカゴメの「野菜生活」という野菜ジュースを愛飲しており、わざわざワシントンまで取り寄せ、毎日朝昼晩と飲んでいるそうです。いまはウォッカで割り、ブラッディマリーというカクテルにしています。七歳のアリスにお酒は早すぎますが、どんな味なのか気になります。

 おもむろにワイズさんが振り向きました。目が据わり、充血しています。まだお昼なのに飲み過ぎかもしれません。

 甲高い声でワイズさんが叫びました。

「だれがこのガキを部屋にいれた!?」

 左目に眼帯をつけた黒人男性が答えました。

「私です、サー」

 この男性はハワード・フックさんです。「コーポレーション」という部隊を率いる軍人さんですが、昨晩の戦闘で部隊は全滅しました。左目はそのとき抉り取られました。脳にもひどい損傷を負ったそうですが、なぜか元気にみえます。フックさんは不死身なのだと陰で囁かれ、恐れられています。

「さっさと追い出せ」

「部下を失った私は、いま軍事アドバイザーとしてお仕えしています。ある程度の自由裁量はみとめられてるはずですが」

「9・11以降、最大のテロがおきたんだぞ! いや、状況はもっと深刻だ。敵の目的は俺の暗殺なのだから」

「状況は完全にコントロールできてます」

「ファック!」

 ワイズさんは立ち上がり、髪の毛のないフックさんの頭頂にブラッディマリーを浴びせかけました。赤い液体が、眼帯のない右目に入りますが、フックさんはまばたきひとつしません。痛みを感じないのでしょうか。

「すでにお前は」ワイズさんが言いました。「東京と京都で二度失敗した。救いがたい無能だ。無能であることは国家への叛逆だ」

「お言葉ですが、今回の化学兵器攻撃は、敵にとって成功と言えません」

「貴様、正気か?」

「やつらは成功しすぎました。所詮は烏合の衆であり、規律がない。すぐに崩壊します」

「プランを言え」

「大統領、あなたは軍事を御存じない。まあ安心して競馬でも見ててください」

 ワイズさんは空のグラスをフックさんの足許へ投げつけ、粉々に割りました。席にもどり、舞妓さんがあたらしくつくったブラッディマリーのグラスを受け取りました。

 ひとくち飲んで、ワイズさんが言いました。

「もう失敗はゆるさない」

「わかっております、サー」

「無能な人間には、ふさわしい末路が待っている。シリア政府あたりにお前の身柄をわたす。さぞかし歓迎されるだろうよ」

「あまり感心しません。私がもつ情報までシリア政府にわたる恐れがあります」

「つまらない野郎だ。お前の顔をみると酒がまづく……うぐっ」

 ワイズさんが胸をおさえました。グラスが倒れ、ブラッディマリーが木目のテーブルにこぼれました。顔面蒼白のワイズさんは息切れしています。

 アリスは首にかけている金緑石のペンダントを、指でなぞりました。パドックのそばでトワにもらったものです。VIPルームの窓は数日前、シークレットサービスがマジックミラーのフィルムを貼りました。外から中をみれません。しかし、アリスがかけている「アナスタシアの涙」の霊力により、トワは内部を確認して攻撃を仕掛けられます。

 感応術【ネバーランド】。

 ワイズさんが苦しみだしたのは、心臓が停止したからです。十分も経てば死んでしまうでしょう。

 アリスは動揺していました。なにを企んでいるのか、くわしくトワから教わりませんでした。たしかにアリスは、戦争をやめてほしいとワイズさんにお願いするつもりでした。でも、こんな悲惨な光景はみたくありませんでした。

 ゆったりした動作で、フックさんが窓にちかづきました。先の方が太い筒になっているライフルをもっています。もがいているワイズさんには目もくれません。銃口をガラスごしに観客席へむけました。右目でスコープをのぞいています。

 カチッ。

 おもちゃの銃みたいな音がしました。

 数秒後、床に横たわるワイズさんが、はげしく咳きこみました。心肺機能が恢復した様です。

 シークレットサービスの人たちが、ワイズさんをつれて外へでました。部屋にいるのはアリスとフックさんだけです。窓に小さな穴があいています。

 アリスが尋ねました。

「大統領を囮にしたのね」

「チェスの戦術でいうサクリファイスだ。これで敵戦力は半減した」

「半減?」

「あの眼鏡の少女は、ブラッディネイルと同等か、それ以上のアタッカーだったろう」

「なぜわかるの」

「トップだからこそ、ライバルが手柄をたて、自分の地位が脅かされて焦るのさ。それで独走した」

「すべてあなたの読みどおりなわけ」

「敵のミスに助けられた。もし同時にブラッディネイルがここへ突入したら、俺たちは全員死んだ」

 フックさんは他人事の様につぶやきました。まるでチェスの対局を振り返るみたいに。

 アリスはドジスン先生のことを思い出しました。数学者でもあるドジスン先生は、よくチェスの比喩をつかうからです。

 でもドジスン先生とフックさんは、全然ちがう性格だとも思いました。繊細なドジスン先生は、どちらかと言うと変わり者ですが、アリスにはいつも優しく接してくれます。ボートで遊んでいるとき、オールを漕ぎながら即興で話してくれる物語のおかしいことと言ったら! アリスは笑いすぎて、湖に落ちそうになります。

 アリスが言いました。

「人間はチェスの駒ではないと、私はおもうの」

「そうか? 俺には違いがわからんが」

 ライフルをもったフックさんは、VIPルームから出てゆきました。

 アリスは窓から観客席を見下ろしました。スタンドは上を下への大騒ぎになっていました。ただ遠すぎて、トワの姿は見えませんでした。




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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

大見武士『かみくじむら』

 

 

かみくじむら

 

作者:大見武士

掲載誌:『アワーズGH』(少年画報社)2018年-

単行本:YKコミックス

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失業中の青年「永瀬」が、旅先で倒れる。

ふと目覚めたら見知らぬ場所で、着物の少女「ミナ」に介抱されていた。

 

大見武士は、たくさんの単行本がある中堅作家だが、

本作では、「和」をモチーフにした表現を工夫している。

 

 

 

 

こちらはミナの姉である「エリ」。

村のリーダー的存在で、楚々としてうつくしい。

 

電力すら通らない孤立したこの村は、村長をのぞくと女しか住んでない。

つまりハーレムである。

 

 

 

 

村長は、カルト宗教の教祖みたく崇拝されている。

エリをふくむすべての女は、老いた村長によろこんで身をゆだねる。

 

西洋的で近代的な一夫一婦制の道徳に、

いかがわしい風習を対置する、和風エロティックサスペンスだ。

たとえば最近でも、原つもい『この島には淫らで邪悪なモノが棲む』が、

単行本9巻をかさねるヒットとなるくらいの人気ジャンルだが、

本作はあちらでは寸止めだったエロ描写が全開で、読者の期待にこたえる。

 

 

 

 

永瀬は、村長から後継者になるよう要請される。

しかし表情からわかるとおり、村長は悪巧みに引っかけようとしている。

ハーレムをタダで受け継げるなんて、そんなうまい話はころがってない。

 

 

 

 

永瀬とエリが愛し合うシーンは、作者お得意の甘い雰囲気がたっぷり。

ただ背景事情に問題があるので、ほろ苦いあじわいがある。

アルファベット3文字で言うとNTRだ。

 

 

 

 

こちらのショートボブの女は「フタバ」。

エリをライバル視しており、永瀬にもキツくあたる。

 

永瀬は村の掟を笠にきて、フタバを力任せに支配する。

くわしくは単行本をみてもらうとして、対比のきいた煽情的なシーンとなっている。

とにかくエロスの描写に気合いがはいっており、読みごたえは抜群だ。





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テーマ : 漫画
ジャンル : アニメ・コミック

白鳥うしお『怪しことがたり』

 

 

怪しことがたり

 

作者:白鳥うしお

掲載誌:『月刊コミックガーデン』(マッグガーデン)2018年-

単行本:マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ

[ためし読みはこちら

 

 

 

マイルドなホラー趣味のある、和風ファンタジーだ。

高校生の「高原やちほ」が、出るという噂の古い屋敷にひとりで引っ越し、

そこでさまざまな怪奇現象に巻きこまれる。

 

 

 

 

目的は、失踪した母の手がかりを得ること。

この世とあの世のつながりについて記した本、

『黄泉の書』が屋敷のどこかにあるらしい。

 

 

 

 

本作は「扉絵の次のページ」に惹きつけられる。

やちほの日常の一コマを切り取るのだが、それが実にイキイキしている。

 

 

 

 

これも扉絵の次。

すっきりキレイな描線でありつつ、骨格や服のシワなどを丁寧にえがき、

ヒロインの表情もゆたかで、非凡な画力をものがたっている。

 

 

 

 

日常パートがもうすこし長いとうれしいと、僕はおもった。

1ページだけでは物足りない。

学校や交友関係や趣味などとの対比がはっきりすると、

怪異の怪異らしさがより際立つのではないか。





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テーマ : 漫画
ジャンル : アニメ・コミック

『殲滅のシンデレラ』 第9章「オーディション」


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 アヤとイオリはタクシーをひろい、南へ二十分ほど走る。伏見区にあるコンベンション施設の「京都パルスプラザ」にきた。入場無料のイベントが催されており、建物の外まで音楽が響いている。

 ソリストによる三か所同時の攻撃から、三十分以上経過した。ツイッターなどのSNSで、異常事態の発生はすぐさま拡散され、テレビ局などもそれに追随する。しかし、報道の内容はあやふやで混乱している。すでに開始したイベントを、あわてて中止するほどの騒ぎでは、まだない。

 開催されてるのは、ハリウッド映画の公開オーディションだ。川端康成の小説『古都』の映画化が予定されており、その主演女優がえらばれる。相手役を演じる人気俳優クリス・クロフォードも、審査員として参加している。

 大展示場の中へはいる。ステージで色とりどりの衣装を着た六人の少女が、アップテンポの音楽にあわせて踊っている。腰のあたりで断ち切ってミニスカートにした、和服風の衣装だ。

 飛び上がってイオリが叫ぶ。

「わあ! 京娘セブンだよ!」

「有名なの?」

「ご当地アイドルとはいえ、人気は全国区だね。東京に来てくれないから、ボクも生でみるのは初めて」

「セブンなのに六人だけど」

「ほんとだ。リーダーの花澤カオリちゃんがいない。体調悪いのかな」

「水瀬くんってアイドルオタクなんだ」

「そうだよ」

 イオリはあっけらかんと肯定し、続ける。

「ボクは、かわいい女の子をみると幸せな気分になるんだ。この気持ち、女の子でもわかるよね?」

「全然」

「冷めてるなあ。まあ佐倉さん自身が、とびきりかわいいもんね」

 アヤは足をはやめる。紅潮した顔をみられたくない。深呼吸してから言う。

「アイドルもいいけど、任務を忘れないで」

「大丈夫。いまから控室へ潜入し、クリス・クロフォードさんの携帯電話を盗む」

「そう。ワイズ大統領の親友だから」

「それで電話をかけ、ボクが念動術をつかってワイズさんの居場所をつきとめる。楽勝だね」

「気を引きしめて。相手はセレブリティよ。武装したプロフェッショナルが護衛してるかも」

 イオリは唾をのみこむ。

 ワイズ大統領をのせたアメリカ空軍機、通称「エアフォース・ワン」は、けさ関西国際空港に到着した。その後、大統領は行方をくらます。羽多野は警察内部に情報源をもつが、手がかりはない。

 アメリカ政府は当然、大統領が外国を訪問するとき、現地政府に日程を通達する。ただ、わざと不正確な情報をつたえる。自前のアセットで警護するのが、彼らの方針だ。訪問の十日前にシークレットサービス捜査官を派遣し、徹底的に調査する。いまは京都市の各所に、制服を着た狙撃チームと反撃チームが展開する。敵がやってくるのを待つのでなく、積極的に敵性勢力をみつけて排除する。

 もう牧歌的だったケネディの時代ではない。シークレットサービスは、特別捜査官だけで三千四百名をかぞえる。十倍以上に増強された。大統領の暗殺は、より困難で危険な仕事となった。

 アヤとイオリはイベント会場の脇の廊下にでて、奥の扉へむかう。張り紙に「関係者受付」とある。

 首から名札をさげた、職員の男が呼びかける。

「どうかしましたか」

 アヤは歩く途中にみつけた、京都の観光案内のパンフレットを手にしている。

「すみません」アヤが言う。「私はオーディションに出場してる、沢城ユウキの妹です。姉が書類を忘れたので、すぐ届けないといけないんです」

 イオリが隣で目を丸くする。なんてデタラメな自己紹介なのだろう。

 職員が答える。「お姉さんの名前をもう一度教えてもらえるかな。渡してくるから」

「直接渡さないと姉に怒られます。さっきも電話ですごい剣幕で」

「関係者以外立入禁止なんだ」

「なら姉に聞いてみますね」

 アヤはアイフォンで通話するふりをする。

「あ、お姉ちゃん? アヤだけど。パルスプラザ来たよ。いま関係者受付。え? わかってるよ。でも男の人に止められて。あのさ、そんなに怒鳴らないでくれる。こっちだって、わざわざ学校抜け出して来たんだから。うるさいなあ。私もう帰るよ!?」

 職員はしかめ面をして、前後に手をふる。迷惑だから、さっさと通れという意味だ。

 アヤは会釈し、関門を突破する。




 立入禁止エリアを、アヤは早足で突っ切る。観光案内のパンフレットはゴミ箱へ投げ捨てる。

 職員がパンフレットを一瞥するだけで、アヤの嘘は判明した。だが堂々とした態度でいれば、そう疑われない。特に身だしなみのよい女子高生は。

 有力な政治家の家系に生まれた子女は、自然に嘘のつき方をまなぶ。もしスキャンダルがおきたら、玄関の外に取材陣が待ちかまえ、子供にさえカメラやマイクをむける。咄嗟にその場をしのぐには、事前に作り話を用意しておかねばならない。鎧みたいに、内面を虚構で守らないといけない。

 そうやってアヤは十六歳になった。望んで得た技能ではないが、しばしば役に立つ。

 あたふたと後につづくイオリの方をむき、アヤが尋ねる。

「そういえば、水瀬くんのシャドウはなんなの」

「ピノキオ」

「へえ。憑依した理由は?」

「うーん」

 形のよい眉を寄せ、イオリが続ける。

「佐倉さんは、おなじ質問をされて平気?」

「ごめんなさい。不躾だった」

「謝らなくていいよ。気にしてないから」

 イオリは、立ち止まったアヤを追い抜く。横顔は涼しげで、普段とかわらない。とらえどころのない少年だ。

 廊下の先にあるドアから、ヒョウ柄のワンピースを着た金髪の女があらわれる。テレビに興味のないアヤでも見覚えがある。お笑いコンビ「アラジン」の片割れである、小倉由貴だ。イベントの司会をつとめるのは公表されてるので、驚きはない。

 小倉がこちらに近寄ってくる。

 アヤの動悸が速まる。

 関西弁のアクセントで小倉が尋ねる。

「あんたらオーディションの出場者か?」

 アヤが答える。「はい」

「もうリハーサルはじまってんで。さっさと着替えて準備しいや」

 小倉は有無を言わさず、ふたりを控室へ押しこむ。扉を閉め、あわただしく去ってゆく。

 内部は十畳ほどの広さで、鏡や化粧道具などがおかれた楽屋だ。鞄やペットボトルなどの私物も放置されている。ハンガーラックに派手な女物の衣装がかかる。

 アヤは人差指で頬を掻く。

 付近にクロフォードの部屋はありそうにない。ハリウッドスターにしてはセキュリティが甘い。おそらくVIP待遇で別のエリアにいる。

 切れ長の目を輝かせ、イオリが叫ぶ。

「佐倉さん、やったね!」

「いきなりなに」

「映画のオーディションだよ。すごいよ!」

「そんなのに出るわけないでしょ」

「えー、もったいない」

「あのねえ」

 ふとアヤは考えなおす。

 悪くないアイデアかもしれない。オーディションに出場すれば、審査員であるクロフォードに確実に接触できる。ジムの下野会長が言ったとおり、戦いでは即興性が重要なのだ。

 実はアヤは、自他ともに認めるマジメ人間である一方で、芸能界に憧れていた。特に歌が好きで、月に一度はひとりでカラオケにゆき、声がかれるまで歌う。ルックスも多少自信がある。口に出したことはないが、歌手になりたいという少女らしい願望があった。

 なにせシンデレラに憑依されてるのだ。根はミーハーだった。

 無表情を装い、アヤが言う。

「やっぱり、出てもいいかもね」

 イオリが大はしゃぎでハンガーラックへ駆け寄る。フリルたっぷりの、白いオフショルダーのドレスをえらぶ。

「これとか佐倉さんに似合いそう。清楚な感じで。いや、あえてセクシーなのもいいかな……あっ!」

「なに」

「カオリちゃんの衣装だ!」

 和服風の赤い衣装を手にとり、イオリは何度も飛び跳ねる。アイドルグループ「京娘セブン」のライブに、リーダーの花澤カオリが出なかったので、服がひとり分余っていた。

 イオリは白いドレスをアヤに手渡す。さらにアヤに密着し、猫なで声で言う。

「ボク、これ着てもいいかなあ」

「はぁ?」

「こういう可愛い服、一度着てみたかったんだ」

「アイドルのステージ衣装でしょ。怒られるよ」

「佐倉さんだけズルい」

 イオリの鼻息が荒い。表情がこわばっている。

 彼もまたソリストなのだ。内面にシャドウが棲みついている。外見は眉目秀麗でも、いやだからこそ、心は病んでいる。

 アヤが言う。「勝手にすれば」

「やったあ!」

 イオリはそそくさとワイシャツのボタンを外しはじめる。アヤは咳払いするが、イオリは同室の人間に気をつかう素振りはない。

「水瀬くん。私も着替えたいんだけど」

「どうぞ」

「あのね、一応こっちは女なの」

「知ってるよ」

「せめて後ろ向くとかしてくれる?」

「あ、ああ。ごめん。ウチは三人きょうだいで、姉と妹がいるから、つい」

 アヤは首を横にふる。こんな朴念仁を相手に、恋の芽生えをちょっとでも期待したのがバカらしい。

 ガチャッ。

 ノックなしにドアが開いた。

 司会の小倉が控室のなかを覗く。廊下では、完璧に化粧をほどこした女が十人くらい並んでいる。みなオーディション出場者だ。ほとんどが、すでにデビューしている女優やモデルなどだ。

 アヤは、ハンマーで殴られた様な衝撃をうける。

 モノがちがう。

 なんなんだ、あいつらの細さは。顔の小ささは。脚の長さは。おなじ人間とおもえない。

 あれと一緒にステージに立つなんて、絶対無理。

 出場者たちはアヤに見向きもしない。競争相手とみなしてない。全員の視線は奥に集中する。

 敵愾心をあらわにし、イオリを睨みつけている。

 小倉がイオリに言う。

「あんた、着替え終わったか。はよいくで」

 イオリが答える。「え?」

「本番まであと五分やねん。もう待たれへん」

「あの、ボクは、その……」

 出場者たちは失笑をもらす。男みたいなイオリの言葉遣いをあざけっている。実際に男なのだが。

 小倉がイオリの肩を叩き、尋ねる。

「なんや、あんた。ボクっ娘か」

「いえ、別に」

「うちはそういうの好きやで。キャラが立ってへんかったら、芸能界なんて夢のまた夢やわ」

「はあ」

「司会者やから公平じゃないとあかんけど、最初にあんた見たとき、めっちゃ可愛いとおもったなあ」

「あ、ありがとうございます」

「応援しとるで」

 戸惑うイオリの手を引き、小倉は控室から出る。すれちがいざまに、アヤに紙を渡す。

 小倉が尋ねる。「あんたマネージャーさん?」

「……ええ、まあ」

「書類にあれこれ記入しといてな。よろしく」




 なりゆきでオーディションに参加したイオリだが、その最中に、四階にあるクリス・クロフォードの楽屋へ呼び出された。ドアの前で、ふたりのボディーガードが監視の目を光らせていた。

 クロフォードの楽屋は、一階よりずっと上等だ。三人掛けのソファが向かい合わせでならび、テーブルにフルーツの盛り合わせが置かれる。大きなモニターに、オーディションの模様が映っている。

 ソファでクロフォードが長い脚を組み、メロンにかぶりついている。髪の色はブラウンで、緑がかった瞳が印象的だ。高校時代は有望なバスケットボール選手であり、身長は百九十センチ以上ある。

 クロフォードが身振りで着席をうながす。和服風の赤い衣装を着たイオリは、きょろきょろしつつ腰を下ろす。

「あの」イオリが尋ねる。「ボクはオーディションに出なくていいんでしょうか」

 モニターにむかい顎をしゃくり、クロフォードが低く渋い声で答える。

「あんなものは茶番だ。結果はすでに決まった。ヒロインを演じるのは君だ」

「うそ」

「最終的な決定権は、エグゼクティブ・プロデューサーの俺にある。だれも文句は言わせない」

「ボクは演技経験ないのに」

「俺は君とおなじ年齢で映画界にはいった。三十年のキャリアで、さまざまな役者と組んできた。才能は一目で見抜ける」

「こんなの信じられない」

「ようこそ、ハリウッドへ」

 クロフォードは、トレードマークである甘い笑顔を満面にうかべる。

 イオリは恍惚としている。全身が熱い。

 ボクがヒロイン? このボクが?

 イオリは性同一性障碍だった。

 ふたりの女きょうだいに挟まれて育ち、十六歳になった今も、幼い少女の様に華奢で可憐。周囲の人間も、自分自身も、イオリの性別が男であることに、微妙な違和感をいだいていた。

 家にひとりでいるとき、イオリはこっそり姉や妹の服を拝借した。異常なほどの幸福感にみたされた。それがバレて家族会議がひらかれたこともある。それでも女装癖はやまなかった。

 ピノキオが憑依したのも、これが理由だ。偽りの体をもって生まれた少年の、切実な変身願望。

 イオリは同性愛者ではない。

 昨年に放課後の教室で、友人だとおもっていた同級生の男子から、強引にキスされたことがある。

 ただただ驚いた。かなり不快だった。男を性愛の対象とかんがえるのは無理だった。

 ちょうど今みたいに。

 クロフォードがいつの間に、イオリの隣に座っている。イオリの細い脚を撫でる。

 イオリは大声を出すべきだった。しかし喉に異物が詰まったかの様で、口をきけない。

 長身のアクションスターの鍛えた肉体が、気弱なイオリを威圧する。クロフォードの表情に、性的昂奮はあらわれてない。常習犯なのだろう。

 クロフォードがイオリの唇を奪う。舌を挿しこむ。イオリの舌とからめる。唾液がまざりあう。

 薄れる意識のなかで、イオリはつぶやく。

 いったいボクはなにをしてるんだ。作戦行動中なのに。この人の携帯電話を盗んで工作するのが目的なのに。

 クロフォードは朦朧状態のイオリをひっくり返し、ソファに両手をつかせる。ミニスカートの下のショートパンツをおろす。未熟な果実みたいな尻があらわになる。

「なんてこった!」クロフォードが叫ぶ。「君は男だったのか!」

 イオリは突っ伏したまま赤面する。恥づかしさのあまり死にたい気分だ。それでも勇気をふりしぼり、振り返って捕食者を見上げる。

 クロフォードの緑がかった瞳は、まだギラギラ燃えている。昂奮は冷めてない。むしろ珍味を前にし、ますます食指をうごかしている。




 ドガーン!

 はげしい音をたて、楽屋のドアが吹き飛んだ。

 右足を突き出したアヤが、片足立ちしている。ガラスの靴を履いている。廊下でボディーガードが倒れてるのが見える。

 歯を剥き出しにした、鬼の形相だ。レイプなどという犯罪を、アヤは心底から憎悪している。

 クロフォードは何事もなかったかの様に、もとのソファに戻っている。いかにもアメリカ人らしいジェスチャーで、両手を広げてとぼける。

 どうした? なにか問題でも?

 洋画の一シーンさながらで、現実味がない。

 クロフォードがウィンクする。アヤの手許を指さして言う。

「君が噂の『ブラッディネイル』か」

 アヤが答える。「なに」

「ウォーレンがエアフォース・ワンで話していた。最強の特殊部隊を、たったひとりで壊滅させた少女がいると。血塗られた爪をもった」

 ウォーレンとは、ワイズ大統領のファーストネームだ。大統領専用機で一緒に来日したのだろう。

 アヤは、クロフォードの超然たる態度に舌を巻く。強姦の真っ最中に襲撃されても、取り乱さない。良くも悪くも、並大抵の人物ではない。ハリウッドの過当競争で、三十年勝ち続けただけのことはある。

 世界中の女を虜にするさわやかな笑顔で、クロフォードが続ける。

「ウォーレンがなにか悪巧みをしてるのは知ってる。でも俺は関係ない。ただの映画人だからね。ほしい情報があれば、いくらでも提供しよう」

「あなたの携帯電話を貸して」

「おやすい御用さ」

 アヤはアイフォンをうけとる。ワイズ大統領の番号を確認する。力なくソファにもたれるイオリに、アイフォンを放り投げる。念動術をつかうと居場所を特定できるらしい。

 アヤは思い惑う。

 問題は、このレイプ犯をどうすべきかだ。いまここで裁かねば、この先きっと罪を問われない男を。

 迷いながら一歩踏みだす。後ろからイオリに右手をつかまれる。

 首をふり、イオリが言う。

「だめだよ」

「こいつが憎くないの?」

「ボクのために復讐なんてしないで。こんな有名人を殺したら、ただじゃすまない。ファンの人たちも悲しむ」

「…………」

 逡巡するアヤは苦しげにうつむく。

 敢然とクロフォードが立ち上がる。フルーツが盛られたガラスのボウルをとり、アヤの側頭部へ打ちつける。

 寸前でアヤはボウルを受けとめる。右手に奪い、相手の顔面へ叩きこむ。ボウルが砕け散る。クロフォードは鼻と口から出血し、ソファで気絶する。

 バサバサバサッ!

 かつてドアが存在した空間に、グレーのスーツを着た黒人の女が立っていた。サイン色紙が足元に散らばっている。

 かすれ声で黒人の女がつぶやく。

「殺して。その悪魔を」

 アヤが尋ねる。「だれ?」

「私はクロフォードの秘書よ」

「秘書なのに味方しないわけ」

「数えきれないほどの女性が泣くのをみてきた。こいつが映画界でもつ権力に翻弄されて」

「そんな悪魔になぜ仕えてたの」

「言いたいことはわかるわ。たしかに私は卑怯者よ。でも……でも……」

 女は大粒の涙をながす。彼女も被害者なのかもしれない。まっすぐアヤを見つめて訴える。

 アヤは踵を返す。右手にのこったボウルの破片を握りしめる。

 だらしなく大の字になった男の首に、果実の香りただよう透明なナイフを突き立てる。

 頸動脈から鮮血がほとばしる。すぐにクロフォードは事切れた。

 アヤは両手を腰に添え、ふかく息を吐く。

 言いたいことがあるのを忘れていた。

 そもそも『古都』の映画化で、なぜあんたが出演するのか。原作小説に外国人なんていないのに。脚色しすぎだろう。

 日本文学なめんな。

 アヤの背中にしがみつき、イオリがつぶやく。

「佐倉さん、ありがとう」

「さっきは殺すのに反対してたのに」

「気持ちがうれしいんだ」

 アヤはやさしい微笑をうかべ、イオリのつややかな髪を撫でる。

「私のことはアヤでいいわ」

「ほんとに? じゃあボクはイオリで。できればイオリちゃんって呼んでほしいな」

「念のため聞くけど、それって冗談よね」

「本気だよ。この作戦中はずっと、女の子の服を着るって決めた」

「そんなだから狙われるんじゃない」

「また襲われても、守ってくれるでしょ。だってアヤちゃんはボクのナイトだから」

 イオリはますます狂おしげにすがりつく。

 アヤは苦笑いし、天井を見上げる。パンツがクロフォードに下ろされたままなのを、はやくイオリに気づいてほしいと願っていた。




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『殲滅のシンデレラ』 第8章「四条烏丸」


全篇を読む(準備中)






 カフェのチェーン店であるプロントに、アヤとイオリがいる。アヤは窓ぎわのカウンターに座り、宇治抹茶ラテをストローでかき混ぜる。足はガラスの靴に履き替えてある。

 四条通と烏丸通の交差点界隈をさす「四条烏丸」は、都市銀行の支店があつまる金融街だ。高層ビルや派手な看板がなく、町並みは落ち着いている。景観の規制のせいだろう。渋谷の途轍もないカオスのそばで生まれ育ったアヤには、まるで異国にみえる。ディズニーランドより、京都の方がすきだ。

 ふたりはノビチョク剤を噴霧するブリーフケースを、四条駅のホームに設置した。自動販売機とゴミ箱の隙間だ。イオリが作業するあいだ、アヤは周囲を見張った。それから五分や十分で、だれかに偶然発見されはしない。

 アヤは腕時計をみる。

 あと四分。

 イオリは左隣で、アイスココアを飲みながらゼンフォンをいじる。すでに時限装置は始動しているが、噴霧器に接続された携帯電話に通信すれば停止できる。ふたりは反応をみてから離脱するつもりだ。つまり神経ガスに苦しみ、おびえて地下から逃げる人々を確認してから。

 鼻歌まじりでイオリはゲームをしている。良心の呵責を感じてる様にみえない。噴霧器の設置も手慣れていた。機械いじりが純粋に好きで、この状況をたのしんでるらしい。

 どちらかと言えばアヤも図太い性格だが、ここまで楽観的になれない。昨晩にガラスの靴を履いてからずっと、胃がむかつき、喉の渇きをおぼえる。

 ゲームの手をとめ、イオリが窓の外を指さす。

「あ、東山先生だ。ガラケーだったんだね」

 四条通の人混みにまぎれ、黒いスーツの東山が携帯電話で話している。用心ぶかい眼差しでこちらを観察する。

 アヤはふだん東山が、手帳型ケースにいれたスマートフォンをつかうのを知っていた。あれは特殊な回線を利用する、警察専用の端末だ。

 アヤは戦慄する。

 京都駅から東山に尾行された。警戒していたが気づかなかった。アヤの対監視技術などたかが知れている。おそらく東山は、公安の潜入捜査官かなにかだ。噴霧器を設置するのもみられたはず。

 アヤのアイフォンが震える。ユウキからの着信だ。悪い予感がするので電話にでる。

「もしもし」

「あ、ユウキだけど」

「ごめん。いま忙しくて。かけ直して」

「ふたりきりのところ邪魔してごめんな」

「冗談言ってる場合じゃないの」

「そっちに東山先生いるんだろ? せっかくなら合流したらって、さっき電話があってさ」

 電話から、ガタゴトと電車の走る音が聞こえる。

「ひょっとして、いま地下鉄に乗ってるの」

「うん。いま京都駅を出たとこ」

 アヤはめまいに襲われる。東山の企みが読めた。

「つぎの五条で降りて」

「なんで」

「理由は言えない。とにかく危険なの」

「お前にしてはヘタクソな言い訳だな。わかってるって。水瀬とうまくいくよう、はからうから」

「ユウキ。私を信じて」

「麻倉と夏川がさっきからずーっと、お前の悪口言ってんだわ。抜け駆けしたって。正直、あたしの手に負えない」

「お願いだから五条で降りて」

「大丈夫。旅行中にくっつけてやるよ。恋愛と格闘技に関しちゃ、あたしの方が上なんだ」

 通話が切れる。

 アヤは茫然自失する。

 カウンターのグラスが倒れ、抹茶ラテが床にこぼれている。イオリが紙ナプキンでせっせと拭く。

 四条通では、東山が姿を消した。

 東山がユウキたちをおびき寄せた目的は、間接的にノビチョクの散布を止めさせるためだ。ソリストであるアヤと交戦しても、東山に勝ち目はない。専門技術がないと噴霧器を無効化できない。的確な戦術だ。

 教育者の行為としては最悪だが。

 アヤは電話をかけ直す。応答がない。アイフォンをカウンターへ叩きつける。

 イオリは濡れたナプキンをゴミ箱に捨てたあと、席へもどる。

「ねえ」イオリが尋ねる。「電話なんだったの。あわててたけど」

「ユウキたちが烏丸線に乗ってる。もうすぐ四条駅で降りるらしい」

「うそでしょ」

「…………」

「散布を中止しなきゃ。中止でいいよね?」

 イオリはゼンフォンに、噴霧器に接続した携帯の番号を表示させる。

 散布開始まであと一分。

 イオリは遠慮がちに、アヤの表情をうかがう。ソリストのあいだで指揮系統は確立してない。アヤはカウンターに両肘をつき、じっとうつむく。肩にかかる長さの黒髪が、横顔を隠している。

 発信のボタンに触れる準備をし、イオリが尋ねる。

「いい? 中止するよ」

「やめて。作戦は続行する」

「なに言ってるの。同級生が巻きこまれるかもしれないんだよ」

「友達が被害にあうからって、やめるわけにいかない。命の重さにかわりはない」

「そんなの知らない。僕は……」

 イオリは口籠る。首筋に、氷の刃が当てられていた。血がほそい筋となって浮かぶ。

 舞踏術【ブリゼ】。

 アヤは左手を結晶化して鋭利な剣とし、イオリに突きつけて脅す。カフェのほかの客は、女子高生の腕が透明になったのを知らない。

「佐倉さん」イオリが言う。「気でも狂ったの」

「責任は私がとる。なにもしないで」

「沢城さんと仲いいのに。いつも一緒に」

 イオリは言葉をのむ。

 アヤのなめらかな頬が、漆黒の涙で汚れている。落涙とイクリプスのせいで、目がラテアートみたいな斑模様に変色している。唇からは血をながす。

 こんな凄絶な顔はみたことがない。

 イオリは内心でつぶやく。

 沢城さんが佐倉さんのことを、頑固で融通がきかないと言ってたけど、本当だ。

 とことん自分を追い詰めてしまうんだ。

 心が病んでしまうまで。

 イオリはゼンフォンで時刻をたしかめる。

 十二時三分すぎ。

 おそかった。いまごろ四条駅は阿鼻叫喚の巷と化しているはず。

 ボクはまちがっていたのか?

 ソリストになって念動術を習得し、思う存分機械いじりできるのが楽しかった。でも夢中になりすぎ、人として正しい道を踏み外したのではないか?

 サイレンを鳴らし救急車が到着する。

 二十三年前のサリン事件を教訓とし、鉄道事業者と消防は、特殊災害への高度な対応力を身につけた。まづ関係機関と連携し、情報収集をおこなう。現場ではゾーニングによって二次的被害をふせぎつつ、防護服を装備した活動隊を投入し、救助や危険排除や除染などをすすめてゆく。

 だがこれは無差別攻撃だ。膨大な通報が殺到する。そして情報のほとんどは不正確だ。適切な初動を実行するのはむつかしい。さっき階段を駆け下りていった救急隊員は、通常の服装だった。

 ガガガッ!

 カウンターに置いてあるアイフォンが、音を立てて震動した。

 間髪いれずアイフォンをつかみ、アヤが言う。

「ユウキ。ユウキなの」

「そうだけど」

「いまどこ!?」

「なんだよ。怒ってんのかよ。お前は時間にきびしすぎるんだよ」

「いまどこにいるか聞いてるの!」

 ユウキは長いため息をつく。

「はあ。かならず三十分前に待ち合わせ場所にいる、お前が異常なんだって」

「ユウキ!」

「いま五条。なんか地下鉄止まっちゃって」

「五条なのね。まだ四条には着いてないのね」

「だからそうだって」

「よかった……」

「なんなんだ、さっきから。いつ運行再開するかわかんないけど、待っててくれるか?」

「本当によかった……」

「わけわかんねえ。とにかく待ってろよ」

 アヤはカウンターに、生身にもどった左手をつく。カウンターが、シーソーみたく右へ傾く。アヤが無意識に、中央をガラスの刃で切断していた。

 カウンターごと、アヤは床に転がる。抹茶ラテのせいで湿っている。そのまま意識をうしなう。




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テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

ぷよ『漆葉さららは恋などしないっ』

 

 

漆葉さららは恋などしないっ

 

作者:ぷよ

掲載誌:『ヤングエース』(KADOKAWA)2018年-

単行本:角川コミックス・エース

[ためし読みはこちら

 

 

 

長くサラサラの黒髪。

高踏的なまなざし。

ヒロインらしいヒロインを存分に鑑賞できるラブコメだ。

 

 

 

 

高校1年生の「漆葉さらら」は、異常なまでのモテ体質。

毎日の様に、校内の男子から告白される。

しかしガードは固く、相手がどんなイケメンでも即座に拒否する。

 

 

 

 

いくら美人だからって、あまりに告白される頻度がたかすぎる。

さららのモテ体質には、オカルト的な理由があった。

それは土地神である妖狐による呪い。

 

『アイドル天使ようこそようこ』みたいな名乗りがおかしい。

 

 

 

 

作者もあとがきで認める様に、ストーリーに緻密さはない。

かなりいいかげんだ。

 

とはいえラブコメ好きなら、ヒロインの魅力は単行本を手にとる動機になる。

ぷよは『涼宮ハルヒ』関連の作品でしられる作家だが、

本作ではオリジナルキャラを丹精こらして描写している。

骨っぽさをのこしつつ、女らしさのあるシルエット。

たいしたデッサン力だ。

 

 

 

 

さららは実は養子で、幼少期に特殊な経験をしているらしい。

ハルヒ関連作さながらの「仕掛け」もたのしめそうだ。





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テーマ : 漫画
ジャンル : アニメ・コミック

湖西晶『三時限目は魔女の家庭科』

 

 

三時限目は魔女の家庭科

 

作者:湖西晶

発行:芳文社 2018年

レーベル:まんがタイムKRコミックス

[ためし読みはこちら

 

 

 

魔界からきた、2000歳の家庭科教師「マジョリカ」が、

婚活を目的としてなぜか女子校へ赴任、そこで騒ぎをひきおこすお話。

ジャンル分けするなら、ドラクエインスパイア系萌え4コマかな。

 

 

 

 

フルパワーのボケとツッコミがとびかう、ギャグよりの作風。

ゆっくりお茶をたのしむ暇もない。

 

 

 

 

ツッコミ役は1年生の「悠木紗菜(ゆうき しゃな)」、あだ名は「ユーシャ」。

いうまでもなく魔女の天敵である。

普通にしてれば可愛いのに、死んだ魚の様な目で毒舌をふるう。

そこがおもしろい。

 

 

 

 

ファンタジー設定も、ところどころで利いている。

液体状のネコスライムとか。

 

 

 

 

マジョリカの母親の幼女っぷりも見どころ。

ロリお母さんは、そう突飛なキャラづけではないが、こちらは関西弁でかわいい。

 

 

 

 

デリヘルがどうのこうのと、きらら的にギリギリの下ネタも。

絵もネタも情報量がおおく、1巻完結だが読みごたえのある作品だ。





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テーマ : 4コマ漫画
ジャンル : アニメ・コミック

タグ: きらら系コミック  萌え4コマ  ロリ 

『殲滅のシンデレラ』 第7章「おとうふカフェ」


全篇を読む(準備中)






 アヤはおなじ班の三人を先導し、下りのエスカレーターに乗っている。三階の新幹線のりばから、地下鉄の改札口へむかう。

 班のメンバーはみな女子で、アヤとユウキと麻倉と夏川の四人からなる。クラスでよくおしゃべりするグループだ。アヤ以外の三人は大はしゃぎし、おたがいや自分をスマホで撮影する。インスタグラムに投稿でもするのだろう。

 普段からアヤは、アイフォンのカメラをほとんどつかわない。父によってLINE以外のSNSを禁止されているし、LINEのやりとりも毎週、秘書が点検する。ハメを外す気にならない。

 アヤは、グーグルカレンダーに入力しておいた旅程を確認する。内容はほかのメンバーと共有しているが、だれも見ようとしない。スケジュール管理を任せっぱなしだ。

 一階で、アヤは地下へつづく階段を下りようとするが、手前で立ち止まる。ほかの三人がついてこない。麻倉と夏川がもじもじと体をうごかす。男子のグループへ何度も視線をおくる。

 アヤが言う。「ほら、いくよ。予約の時間におくれちゃう」

「あー」ユウキが答える。「あたしら男子と一緒に行動することにしたんだ。ゆずラーメンってのを食べにいくんだって」

「え。なにそれ」

「悪いね。豆腐屋はキャンセルした」

「ちょっと。それはないでしょ。せっかく人気のお店を予約したのに」

「だから謝ってるだろ。そもそもアヤが遅刻したのがいけないんじゃないか」

 両手を腰にあて、アヤは麻倉と夏川をにらむ。ふたりは目をそらす。

 ドッグフードでもうまいうまいと言って食べそうなユウキはともかく、あのふたりなら、予約したおとうふカフェを喜んでもらえるはずだった。

 でもふたりは男を優先した。意中の相手と思い出をつくりたいのだろう。

 ユウキが賛同したのは、大人数の方が楽しいとか、そんなくだらない理由だ。サバサバした性格のユウキは男友達が多く、何人かと恋愛経験がある。いつも長続きしないが。

 アヤはこめかみを押さえる。昨晩のはげしい頭痛がぶり返す。金髪の少女はこの症状をイクリプスと呼んでいた。

「もういい」アヤがつぶやく。「私ひとりでいく」

 大袈裟にユウキが天を仰ぐ。アヤとはしょっちゅうケンカするが、さっそく初日に勃発するとは。

 ユウキが言う。「あのさ、すこしは空気読めよ」

「読んでるわよ。だからひとりでいくの」

「追い出したみたいで後味悪いじゃないか。だいたい、なんでわざわざ京都まで来て、豆腐なんて食べなきゃいけないんだ」

「はぁ?」

「スーパーにいけば売ってるだろ」

「ユウキと味覚を語る気はないわ」

「その言い方むかつくな。まあいいや。とにかくゆずラーメン食べにいこうぜ」

「いやだ。私はおとうふが好きなの!」

 ユウキの頬が引き攣る。必殺の右ストレートをくりだすのをこらえている。

「お前のそういうとこ嫌いだわ。頑固で融通がきかないところ」

 アヤの全身がわななく。シャドウが暴走しそうだ。

 私が頑固で融通がきかない?

 言われないでもわかってる。

 ユウキみたいにちゃらんぽらんに生きられたら、どんなにいいか。まわりに自然と人があつまって、いつもたのしげで、恋愛も謳歌して。

 だれが好きこのんで、優等生として生きたがるものか。

 でも、これだけは言いたい。

 頑固で融通がきかず、空気を読めないこの私が、昨晩あなたを助けたの。殺し屋と戦って。

 そうしないと、あなたは多分死んでいた。すくなくとも拷問されていた。

 記憶がないとは言え、その傲慢な態度はゆるせないんだけど。

 男子のグループから、ひとりがスタスタとちかづく。抜ける様に肌が白い。アヤも色白だが、この少年は健康状態が不安になるほど青白い。ながい睫毛が、雨戸みたいに視界をさまたげる。端正な細面は、女の子が隣に立つのを敬遠するほど整っている。

 水瀬イオリという名の少年が言う。

「ボクが佐倉さんと一緒にいくよ」

 アヤが言う。「えっ」

「あ、ボクとふたりだと気まづいかもね。佐倉さんが嫌だったら遠慮するけど」

「ええと、その」

「おとうふの専門店って興味あるなあ。ボクでよければ、ぜひ」

 麻倉と夏川が顔を見合わせる。ふたりの標的はイオリだった。それどころか、二年生の女子の大半がイオリに傾倒していた。みなを出し抜くチャンスが雲散霧消しかけている。だからって、いまさら手のひら返してプラン変更はできない。

 アヤは、おとなしいイオリとほとんど話したことがない。キレイな男の子だなとはおもっていたが、自分のことで精一杯の日常をおくっており、これまで異性として意識しなかった。

 正直、アヤは困惑している。でもイオリの申し出が紳士的なので、拒否しようがない。

 ケンカ寸前だったユウキは、耳まで真っ赤になったアヤをみてニヤニヤと笑う。

 おいおい、あのアヤが照れてるぞ。色恋沙汰に縁のない、難攻不落のお嬢さまが。

 こいつはおもしろくなってきた。




 イオリと同行することになったアヤは、メイクの状態が気になって女子トイレへむかう。だが旅先で舞い上がった女子高生の群れに、洗面台は占領されていた。

 トイレから出たアヤは、ちかくにある証明写真機にはいる。ディスプレイが鏡の代わりになる。褒められたことではないが。椅子に腰をおろすと、消灯した画面にシンデレラが映っている。

 シンデレラはディスプレイから身をのりだし、アヤの両肩をつかんでゆすぶる。

「もんでゅー! 立った! フラグが立った!」

「なに言ってるの」

「恋愛イベントのフラグだヨ!」

「そんなんじゃないから」

「契約期間中にカップル成立させる! チューまでいく! 全身全霊でサポートするネ!」

「鏡使いたいから、どいてくれる」

 シンデレラはウィンクし、優雅にスピンする。画面が暗転する。アヤは自分とにらめっこする。暗くてはっきりわからないが、髪もメイクもいつもどおりの様だ。こんな風に、手を煩わぜずに身だしなみを整えられる魔法があるなら、ぜひ習得したい。

 カーテンをあけ、白のセーラー服を着た女が闖入した。アヤを押しやり、せまい椅子に強引に座る。

 詰問口調でトワが言う。

「説明してもらおうじゃないの」

「なにを」

「あの男子に決まってるでしょ。美少年といい仲だなんて聞いてないわ。ソリストの私生活はみんな不幸なはずなのに」

「ただの同級生だけど」

「ああ、もう! これだから共学は!」

 トワは狂った様に頭をふる。

 アヤは苦笑する。なぜ女は、こうまで人の色恋沙汰に首をつっこみたがるのかと、不思議におもう。自分が母親の話に興味津々だったのは棚に上げて。

 カーテンの下の隙間に、紫のズボンの裾と、先の尖った革靴がみえる。こんな派手な服装は羽多野しかいない。腕だけ差し入れ、十インチのタブレットをアヤにわたす。

 羽多野がカーテンごしに言う。

「いまからブリーフィングをおこなう。時刻や場所をしっかり暗記してくれ。まあ、ふたりともお勉強は得意だろうが」

 アヤとトワはにこりともしない。ふたりは日本のトップ校の、トップの成績優秀者だった。この国の高校生年代の最高の頭脳だ。勉強ができるのは、あたりまえの事実でしかない。

 タブレットにグーグルマップが表示されている。京都市とその周辺の地図に、星のマークがばらばらに三つ記されている。

 羽多野が続ける。「これは陽動作戦だ。治安当局を一撃で麻痺させ、ターゲットを孤立させる。同時に三か所を攻撃する。新幹線の東山トンネル、地下鉄烏丸線、国道一七一号線がとおる久世橋が目標だ。時刻は一二〇〇時」

 トワが尋ねる。「私たちの受け持ちは?」

「アヤが新幹線。トワが地下鉄だ。久世橋は別働隊が落とす」

「わかりました」

「爆破などの作業は、先遣隊のソリストがおこなう。お前たちはそれを掩護する。なにか質問は」

 アヤが言う。「具体的な攻撃手段をおしえて」

 かすかに口籠りつつ、羽多野が言う。

「新幹線は線路を爆破する。地下鉄は車輌内部にノビチョク剤を散布する」

 トワが言う。「それって」

「ロシアで開発された、高性能の神経ガスだ」

「ええっ」

「時限装置がある。お前らに直接被害はおよばない」

「そんなものばら撒いたら、何百人って人が……」

「ああ。多数の民間人が死ぬ。だがお前は未来予知をした。十二時間後の京都を見たはずだ」

「わかってます。核爆弾が落ちれば、百五十万人の市民が犠牲になる」

「日本の警察と、アメリカのシークレットサービスの、両方とは戦えない。昨晩みたく特殊部隊もウロチョロしている。これは絶対必要な戦術だ」

「でも、だからって」

「命令は命令だ。議論はしない。配置換えをおこなう。トワの目標は久世橋に変更だ」

「…………」

「残念だ。お前とは信頼関係があると思ってたが」

 アヤはじっとタブレットの画面をみつめる。右手がそろばんの動きをしている。緻密と言いがたい作戦に不満がある。

 無表情でアヤが尋ねる。

「なんで駅構内でなく、車内でガスを散布するの」

 羽多野が答える。「というと?」

「一九九五年の地下鉄サリン事件で一番被害が大きかったのは、サリンのパックが蹴り出された小伝馬町駅なの。パックが車内にとどまった他のケースとは、桁がちがう」

「随分くわしいな」

「祖父がよく話してくれるから」

「そうか。当時の首相か」

 アヤはタッチパネルをピンチアウトし、京都市の中心部を拡大する。烏丸線の四条駅に目がとまる。阪急京都線の烏丸駅に隣接している。ふたつの路線が十字に交叉する、交通の要衝だ。

 アヤがつぶやく。

「四条駅のホームで散布するのが効果的かな。ほかの攻撃目標と三角形をつくってバランスもいい。警察と消防はそれこそ麻痺するでしょうね」

「アヤ、やれるか」

「やれと言うなら」

 トワは、黒縁メガネからはみ出そうなくらい目を見開く。狭い椅子の上で、アヤににじり寄る。

 アヤの手をつかみ、トワが言う。

「あなた本気で言ってるの」

「単純な計算でしょ。百万人を救うためなら、千人程度の犠牲は耐えるべき」

「これは無差別テロよ。女性や子供も巻きこまれる」

「核ミサイルもおなじ」

「なんなの。あなたいったい何者なの」

「痛いんだけど。離して」

 アヤは自分の右手首を見下ろす。トワに握られている部分が黒く変色している。

 イクリプスだ。

 トワのシャドウがティンカーベルだったのを、アヤはおもいだす。ピーター・パンを盗られそうになり、ウェンディに嫉妬している。

 羽多野がカーテンをあけ、力づくでトワを引き剥がす。錯乱したトワは大声で喚き散らす。機密保持もなにもあったものじゃない。

 アヤは立ち上がり、証明写真機の外へでる。紺のスカートをさすり、皺をのばす。

 そして、数分間待たせっぱなしのイオリのところへ戻る。




 アヤとイオリは、四条烏丸にある「おとうふカフェ」にいる。ふたり用のテーブルに向かい合って座り、食事している。若い女性むきの店だが、ミシュランで三つ星を獲得した料亭の系列店でもあり、窓ごしに日本庭園の風景をたのしめる。

 ふたりで湯豆腐の鍋をシェアしたあと、イオリは豆乳プリンを夢中になって頬張る。アヤのデザートはシナモン豆腐。シナモンやミントの香りと、黒蜜の甘さがからみあって絶品……と言いたいが、デザートを玩味する余裕はアヤにない。

 ブリーフィングではあくまで強がったが、化学兵器を三十分後に使用すると考えると、どうしても食欲は減退する。実行役のソリストとは、この店で合流する予定なので、それも気がかりだ。

 そしてなにより、男の子とふたりで食事するのは、アヤにとってはじめての経験だった。ある意味、これが初デートなのだ。

 スプーンをおき、アヤが尋ねる。

「どう、水瀬くん。おいしい?」

「うん! お店もおしゃれだし、来てよかった」

「喜んでもらえてなにより」

 美形だが、やや幼い印象をあたえるイオリは、無邪気に食事を堪能している。アヤに同行するとイオリが京都駅で言ったとき、この男子は自分に気があるのかとアヤは半分警戒し、半分期待した。でも余計な心配だったらしい。

 コーヒーカップを指先でつつき、アヤが尋ねる。

「なんであのとき、水瀬くんは私につきあうと言ってくれたの」

「これが一番丸くおさまると思ったから」

「私がかわいそうだった?」

「まあ、そうだね」

「遅刻した私が悪いのに」

 アヤの黒いネイルをちらりと見て、イオリはほくそ笑む。

「いろいろあったんでしょ?」

 アヤは反射的に両手を握る。また耳まで赤くなる。

 どうも勝手がちがう。

 イオリを恋愛対象として見れないかと言うと、そうではない。奇麗な顔立ちで、態度もやさしい。決して嫌いじゃない。こういう男の子と付き合ったら、きっとたのしいだろう。

 でもアヤは、生活が落ち着くまで恋人がほしいとおもわない。仮にいま白馬の王子にプロポーズされても、即座に断るはず。ただイオリに対しては、なぜかはにかんで恐縮してしまう。

 不思議な男の子だ。

 わざとらしくアニエスベーの腕時計をみて、アヤが言う。

「実は私、ここで人と待ち合わせしてて」

「偶然だね。ボクもなんだ」

「えっ」

 口をぽかんと開けて、アヤはイオリと顔を見合わせる。

 アヤが続ける。「まさか水瀬くんもソリストなの」

「てことは佐倉さんが護衛役?」

「聞いてない。ソリストは女の子だけのはずじゃ」

「ひどいなあ。それは差別だよ」

 イオリは、床に置いてあったブリーフケースをテーブルにのせる。透明な液体の詰まった容器を、上機嫌で中からとりだす。

「ちょっと!」アヤが叫ぶ。「なに出してるの!」

「ノビチョクの前駆物質」

「バカ! しまいなさい!」

「これはバイナリー兵器だから、単体ではまったく毒性がないんだ」

「はやく!」

「そんなに怖がらなくても」

 秘密兵器について解説できないのを残念がりつつ、イオリは容器をしまう。ブリーフケースをもって立ち上がる。

「じゃあ行こうか」イオリが言う。「悪い人たちが襲ってきたら、佐倉さんが撃退してね」

「え、ええ」

「凄腕だって聞いてるよ」

「私はまだ新米だから」

「ボクがプリンセスで、佐倉さんがナイトの役だなんて、なんだかおかしいね」

 切れ長の目を細め、イオリはあっけらかんと笑う。




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苑田 謙

苑田 謙
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