金田一蓮十郎『ゆうべはお楽しみでしたね』5巻
ゆうべはお楽しみでしたね
作者:金田一蓮十郎
掲載誌:『ヤングガンガン』(スクウェア・エニックス)2014年-
単行本:ヤングガンガンコミックス
女子であるゴローさんからプロポーズってのが、本作らしい。
しかも出掛けのなにげない一言で。
ゲーム仲間同士のルームシェアではじまったラブコメは、
前巻でなんとなく恋仲になったとおもったら、パウが大阪へ転勤となり、
バタバタした日常のなかで、ふたりは結婚を意識しはじめていた。
結婚イベントといえばドラクエV。
しかし恋愛に消極的なパウに、天秤にかける別の女がいるはずもなく、
これといった波風が立つこともなく関係は進展してゆく。
本作の魅力は、時空をねじまげるパルプンテ感覚。
「出会い→恋愛→結婚」というレールに沿ってる様で沿ってないし、
距離が離れてても、ドラクエXで毎日たのしくすごしてたりする。
「お楽しみ」の部分は、婉曲語法で匂わす程度にしか描写しない。
大事なのはふたりのあり方で、行為そのものではない。
ゴローさんがスイッチを購入したのも、ビッグイベントかな。
表紙でも持ってるけど、赤青の本体が似合うんだよね。
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烏丸渡『魔法使いと竜の屋根裏』
魔法使いと竜の屋根裏
著者:烏丸渡
掲載誌:『月刊コミック電撃大王』(KADOKAWA)2018年-
単行本:電撃コミックスNEXT
コマ割りなどの漫画上の演出もうまいし、カラーの一枚絵もうまい。
ヴィジュアルの完成度において、烏丸渡は現代最高の作家のひとりだ。
新連載である本作は、僕はためし読みをみて物足りなさを感じていたが、
『NOT LIVES』に入れ込んでたくせに冷淡だと思い直し、一か月遅れで購入した。
本作を乱暴にジャンル分けするなら、『魔女宅』の親戚にあたるだろうか。
主人公はプロペラをそなえた杖にのり、宅配業務などをおこなう。
ただし本作で描かれる世界は、より陰鬱。
百年前に巨大な物体があらわれ、そこから飛んでくる竜が空を支配している。
主人公も当然おそわれる。
背景にモザイクみたいな処理がほどこされており、僕はうならされた。
ためし読みでも感じたが、やはりプロットは物足りない。
だれが、なんのため、どんなコストをかけ、だれと戦うのか不明瞭だ。
随分のんびりした話だなとおもえる。
愛する弟のため、つねに命懸けだった天宮鏡花とくらべると特に。
メシマズネタにも既視感をおぼえた。
なんとなく難解なSFっぽいのが、作者の描きたいものなのかもしれない。
前作の、可憐な少女たちの苛酷なバトルは、需要に応じただけかもしれない。
それでも、ちょっとした脇役の、とんでもない可愛さを見るにつけ、
やはりこっちが作者の本質とおもわざるをえない。
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『殲滅のシンデレラ』 第6章「検問」
赤いGLSが、首都高3号線の上り方面を駆け抜ける。反対車線で渋滞が生じている。ハンドルをにぎる羽多野は、左手で自分の頬をたたく。疲労で集中力がよわまっている。
ウウー!
猛追してきたパトカーが、背後からサイレンを鳴らした。停止するよう要求する。
羽多野は舌打ちする。
アヤに追随したのは判断ミスだった。高架道路は出入口がすくない。車も目立ちすぎる。捕まえてくださいと言う様なものだ。アヤの勢いに引きずられ、こちらも功名心にはやってしまった。
スカイラインのパトカーが、徐々に減速するGLSを追い抜く。両方とも路側帯にとまる。パトカーからひとり、スカイブルーの制服を着た警官が降り立つ。白いヘルメットをかぶっている。懐中電灯でGLSを照らし、ナンバープレートを確認する。
羽多野は後部座席をみる。制服を着た三人の女子高生が座っている。左からアヤ、トワ、ユウキの順だ。両端のアヤとユウキはまどろんでいる。ユウキは額から出血している。
アヤがうわ言をつぶやき、トワに倚りかかる。肩に頭をのせる。知り合ったばかりの他人に甘えるタイプではない。相当具合がわるい。
トワがアヤの額をさわる。おもわず叫ぶ。
「あつッ!」
羽多野が尋ねる。「どうした」
「ものすごく発熱してます。触ってられない」
「そうか」
「はやくヒーラーにみせないと」
「手持ちの駒はすべて京都へ派遣した。まだ東京にいるソリストはお前らだけだ」
「たぶん五十度以上あります。こんな高熱に人体は耐えられません」
「スマホで重いアプリを動かすと熱くなるだろう。あれと同じ仕組みだ」
「私たちは機械じゃない」
「勿論だ。でも俺はなにもしてやれない。耐えてもらうしかない」
ゴンゴン!
GLSのサイドウィンドウが叩かれた。
羽多野は窓をあけ、何食わぬ顔で青服に尋ねる。
「どうかしましたか」
「車内をみせてもらうぞ」
青服は高圧的に言い放つ。懐中電灯をくまなく車内に照射する。
紅梅学院の制服。グレーのベスト。黒髪。身長約百六十センチ。華奢で色白の女。
道玄坂での目撃情報とぴったり一致する。
青服は電灯をアヤの顔へむける。千二百ルーメンの光束をあび、アヤは薄目をひらく。両手で口許をおさえる。吐き気をもよおした。
あわててアヤはドアをあけ、道路に嘔吐する。撒き散らしたのは血だった。
青服が無線で応援をよぶ。あらたなパトカーが三十秒で到着する。警官二名が降車する。行動が迅速だ。アメリカ大統領来日にあわせ、都内でも警戒を強めてるのだろう。
青服に聞こえない小声で、羽多野がささやく。
「トワ、やれるか」
「…………」
返事がないので振り向くと、トワは眠っていた。アヤに感応術をすでに三回つかった。車内でもユウキに記憶消去の術をほどこした。トワはソリストになって五か月経つが、これほどの濫用は未経験だ。
羽多野は、座席とドアの隙間に隠しておいた拳銃をつかむ。五・七ミリ弾を使用するFNファイブセブンだ。たいていの防弾ベストを貫通できる。
心神耗弱した少女を三人つれて、警察や特殊部隊と鬼ごっこはできない。あしたは京都で暗殺作戦を指揮しないといけない。羽多野は、うしろの三人を置き去りにする覚悟をきめる。
コーポレーションを殲滅したのは、満足できる戦果だ。あっさり返り討ちにあう恐れも十分あった。アヤはよくやった。しかし高熱を発し、青息吐息である彼女が、今後も役にたつ保証はない。
羽多野は唾をごくりと飲みこむ。
警官殺しもやむをえない。応援の二名がちかづく前に、直近の青服を撃ち、すぐさま逃げようと決心する。高速から下り、GLSを乗り捨てる。眠れる乙女らは放置する。警察が尋問しても、たいした情報を引き出せないだろう。
ソリストはおそるべき戦士だが、つまりはトラウマを負った、ただの女学生でしかない。
キキーッ!
黒塗りのセダンが路側帯に急停車した。昭和の高級車風で、警察車輌にみえない。パトカー三台の警光灯に赤く照らされる。
ドアが観音開きにあき、金髪の少女がおりる。サックスブルーのエプロンドレスに、ボーダー柄のストッキング。猫のぬいぐるみを抱えている。深夜まで起きているせいで、少女はあくびをする。
ワイズ大統領のメッセンジャーとして日本をおとづれた、アリスだ。八十歳代とおもわれる和服の女に手を引かれている。
青服はぶしつけに、白髪の老女へ懐中電灯をむける。その顔を認識し、青服の全身が硬直する。
口籠って青服が言う。
「こ、こ、こうご……」
老女が答える。「遅い時間まで、おつとめ御苦労さまです」
「とんでもございません、皇后陛下!」
「ワイズ大統領が来日されるので、警察のみなさんもお取り込みなのでしょうね」
「市民の保護は、われわれの崇高な使命であります」
「御立派な心がけです。そこをみこんで、ひとつお願いがあるのですが」
「はっ、なんなりと」
皇后式子は、アリスの金髪を撫でながら言う。
「こちらのアリスさんはわたくしの友人なのですが、なにぶんまだお若いので、帰り道が心配で」
「なるほど。本官が護衛すればよろしいのですね」
「お仕事に差し支えない範囲でかまいません」
「本官が責任もって、最優先で送り届けます。まことに光栄であります、陛下!」
「ありがとうございます。頼もしくおもいます」
アリスと式子が別れの挨拶をかわす。式子は振り返って手をふりつつ、黒塗りのセダンへもどる。青服は、直立不動の姿勢で敬礼して見送る。
姿はみえないが、セダンの車内に運転手以外の気配がある。式子の夫、つまり天皇慈仁だろう。
首を横にふり、羽多野がつぶやく。
食えないやつらだ。
あの夫婦が、こちらのワイズ暗殺作戦を把握してるかどうかはわからない。おそらく知っている。表立って関与しないが、自分たちにできるかぎりの支援はするというわけだ。
アリスがGLSの助手席にすわり、シートベルトを自分で着用する。
羽多野はサイドウィンドウを閉じる。ギアをいれ、パーキングブレーキを解除する。
青服があわてて、閉じかかった窓に両手をさしこむ。ガラスごしに叫ぶ。
「おい、勝手に発進するな!」
羽多野は中指をつきたてる。思い切りアクセルを踏みこむ。
GLSは首都高から下り、六本木通りを疾走する。ライトアップされた東京タワーが右前方にみえる。偽名で予約した八重洲口のホテルへむかう。
アリスが大口をあけてあくびする。あとから恥づかしそうに口許を覆う。
「ごめんなさい」アリスが言う。「あんまり眠くて。いま午前一時くらいかしら」
羽多野が答える。「一時半だ」
「シキコとのお話がたのしくて、つい夜更かししちゃった」
「皇后を呼び捨てか」
「彼女がエンプリスなのは知ってるわ。でも昔からそう呼べと言うんだもの」
「ながい付き合いみたいだな」
「会うのは三回めね。日本で会うのは初めて。ドジスン先生のことをとても熱心に聞いてくれるの」
「ああ、そういうつながりか」
ドジスンとは、アリスを主人公とする二篇の小説をかいた、ルイス・キャロルの本名だ。オックスフォードで数学講師をつとめていた。皇后式子は聖心女子大学英文学科を出ており、卒論テーマは「ルイス・キャロルにおけるチェスのモチーフについて」だった。アリスに興味をもつのは当然だ。
それにしても、日本の皇后まで【おかしなお茶会】のメンバーだとは。アリスの人脈の幅広さにはおどろかされる。その気になれば、世界を牛耳れるのではないか。
後部座席でアヤが身をよじる。呼吸がみだれている。かぼそい声で尋ねる。
「だれ? 助手席にだれかいるの?」
羽多野が答える。「お前が会いたがってたメッセンジャーだ。あすの朝にでも話すといい」
「おうちに帰るのね」
「うち?」
「お父さん、私を迎えにきてくれたんでしょ」
羽多野はハンドルを握ったまま振り向く。アヤは苦しげにドアにもたれている。どうみても冗談を言う余裕はない。
譫妄状態だ。ときおり痙攣している。
もう長くはもたない。
「ありがとう」アヤが続ける。「夕食のとき私、お父さんにひどいこと言ったのに」
「…………」
「怒ってる? あたりまえだよね。娘に裏切られたんだもん。本当にごめんなさい」
「怒ってないさ」
「二度と家出なんて考えません。私、もっといい子になります。だから……」
チェスの駒のごとく少女らを使役し、非情な作戦を遂行する羽多野でも、胸が疼くのを感じる。
アヤが言うとおり、羽多野はチンピラだった。無学であり、なんの後ろ盾もない。そんな男が、二十四歳という若さで多少のカネをうごかせるのは、狡猾に悪事をかさねたからだ。墓場にはいるまで口外できないことをしてきた。
そんな羽多野は、人間のクズをたくさん見てきた。なかでもアヤの父は、十指にはいる人でなしだった。息をする様に上に媚びへつらい、公私にわたって下を食い物にする。羽多野は殺害の計画を思いめぐらせたことすらある。
アヤだって知らないはずがない。だが、このペルシャ猫みたく優美で誇り高い少女は、父の愛を一心にもとめている。かつ罪悪感に苛まれている。
人の親である資格などない相手なのに。
厄介なものだ。家族ってのは。
アリスが眠い目をこすり、羽多野に尋ねる。
「あのコがアヤね」
「そうだ」
「イクリプスになってる。かわいそうに」
「どうすればいい。いま東京にヒーラーはいない」
「鏡のなかに入るといいわ。右は左に、東は西に、病気は健康に逆転する」
「どうやって」
「二十一世紀にも鏡はあるでしょう。みんなで一緒に入りましょう」
「あんたの理屈だと、健康な人間が病気になりはしないか」
アリスはため息をつく。
「鏡の国は、すべてが逆転するわけじゃないの。右は左になるけど、上は下にならない。わかる?」
羽多野は頭を掻きむしる。
わかるわけがない。
チェシャ猫と会話するみたいだ。話せば話すほど、こっちまでおかしくなる。
羽多野は唖然とする。フロントウィンドウごしの風景が変だ。六本木のビル街が消滅している。
かわりに道の両脇に、トランプのカードがずらりとならぶ。絵柄はすべてハート。兜をかぶり、槍をもったトランプ兵だ。GLSは赤いカーペットの上を走行する。奥には証言台がある。ハートの女王と国王、さらに陪審員までいる。
車内をふりかえる。人の姿はなく、巨大なウミガメが居座る。海から上がったばかりらしく、びしょぬれだ。座席の上につぎつぎと産卵する。
羽多野はハンドルを叩く。
ついに俺まで発狂したか。不幸な家庭にそだち、精神を病んだ乙女たちみたいに。
赤いカーペットが途切れる。GLSは断崖から真っ逆さまに落ちてゆく。
その下は、怒涛逆巻く海だった。
新大阪行きの「のぞみ」の到着を告げるアナウンスで、アヤは目を覚ます。
駅のホームのベンチに座っている。時刻は午前十時すぎ。キャリーケースを引くひとびとが、あわただしく行き交う。駅名板は「京都」と記される。
アヤは深呼吸する。
昨晩の出来事を、頭のなかで再構成する。自宅を出て、東急本店に立ち寄り、ジムの前と首都高で戦闘をくりひろげた。鮮明におぼえている。車の助手席に、見知らぬ金髪の少女がいたことも。
だったらなぜ、私はいま京都にいるのだろう。
身だしなみにうるさいアヤは、あることに気づいて狼狽する。昨晩は入浴しておらず、着替えてもない。外を出歩ける状態じゃない。全身をまさぐる。特に不快感はない。ブラウスの胸元をのぞくと、きのうと違う薄紫のキャミソールを着ている。
どうなってるんだ。何時間かの記憶が飛んだのか。
それともあの死闘は夢だったのか。
胸ポケットのアイフォンをスリープ解除する。数えきれないほど通知がたまっていた。バッテリーの残量が三十パーセントを切っている。
おかしい。
私が充電を忘れるなんてありえない。
あれは夢じゃない。何者かによって私はここへ強制的に転送されたんだ。
十六両編成の「のぞみ」が、十三番ホームに勢いよく入ってくる。大荷物をたづさえた修学旅行の団体がおりる。女生徒はアヤとおなじ制服を着ている。すなわち、紅梅学院の同級生と鉢合わせした。
短髪で背のたかい少女が、荷物を置いてこちらへ駆け寄る。ユウキだ。昨晩は額にひどい裂傷を負っていたが、痕跡がない。
「アヤ!」ユウキが叫ぶ。「なんで一人でこんなとこにいるんだ」
「あの……ちょっと遅刻しちゃって」
「らしくねーな。荷物はどうした。手ぶらかよ」
「ホテルへ送ってもらったの」
「まじか。さすがお嬢さまは旅慣れてるな」
「それよりユウキは大丈夫? 体とかいろいろ」
「元気だけど。新幹線でぐっすり寝たし」
ユウキはきょとんとする。準軍事要員に暴行され、ジムの仲間を虐殺されたばかりの表情ではない。トワの記憶消去が効いてるらしい。
アヤの記憶が正しいと仮定してだが。
おかっぱ頭で、黒のスーツを着た女が、大股でちかづく。担任の東山奈美だ。年は二十七歳で、担当科目は英語。
「佐倉さん」東山が尋ねる。「いったいなにがあったの」
「すみません。遅刻しました」
「学級委員のあなたが行方不明で、みんな大騒ぎよ。旅行も中止になりかけたくらい」
「反省してます」
「まあ無事でよかったけどね。お母さんには電話した? とても心配してらしたわよ」
東山は女教師らしい鋭さで、アヤの爪に目をやる。アヤは両手を握って隠す。まだゴシック風ネイルをオフしてなかった。
片眉をあげ、東山はアヤの表情を観察する。言動を疑っている。
もともとアヤと東山は、馬が合わなかった。アヤにとって極めて珍しいケースだ。アヤは教師という生き物から、例外なく寵愛されるタチだった。老若男女、ありとあらゆる教師が、熱烈にアヤに惚れこんだ。賢く礼儀正しい、理想の生徒だから。
アヤも、教師という存在そのものが好きだった。蛇口をひねれば水がでる様に、気前よく知識をあたえてくれる人たち。感謝しないとバチがあたる。相思相愛の関係だった。
東山は、ほかの教師とちがう。能天気なユウキみたいに騙せない。説明における事実の含有量をふやして対応すべきだ。
アヤが言う。「ちょっと話しづらいんですが」
「話せる範囲でいいわ」
「きのうの夜ジムにいったら、そこでトラブルに巻きこまれたんです」
「トラブル?」
「ケンカです。警察が呼ばれる騒ぎになって」
「あなたがケンカしたの?」
「勿論私じゃありません。あの、男性が私をめぐって、その……」
「ふふ。なんだか複雑そうね。あなたが格闘技を習ってるなんて意外だわ。よかったら旅行中、プライベートの話も聞かせてちょうだい」
「はい! こちらこそ」
東山はアヤに背をむける。二年C組が全員そろっているかの点呼をとりにゆく。
アヤは髪の毛先をいじる。
かんがえている。
なぜ東山先生は、私が格闘技を習ってると知ってるんだ? お母さんにさえ秘密なのに。おなじジムへかようユウキは、昨晩の記憶がない。
ふつう「ジム」と聞いて思い浮かぶのは、フィットネスの方だ。まして私は、格闘技をするのが意外に思えるらしいから。
確実に言えることがある。
東山は、暗殺作戦に一枚噛んでいる。
敵か味方かはともかく。
私は、羽多野やトワと合流しないといけない。でも、いましばらくは二年C組と行動をともにする。
東山は、私を泳がせて監視してるつもりらしい。だが不用意にも先に尻尾を出した。逆にこっちが決定的な情報をつかんで巻き返したい。
それに、ここは私の大好きな京都だ。どれほどこの修学旅行を楽しみにしていたか。ほんの数分でも満喫してやるんだ。
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新挑限『幼なじみになじみたい』
幼なじみになじみたい
作者:新挑限
掲載誌:『月刊コミックフラッパー』(KADOKAWA)2018年-
単行本:MFコミックス フラッパーシリーズ
[ためし読みはこちら]
舞台は青森県にある国立大学の、弘前大学。
1年生の「大助」は、見ず知らずの女生徒から話しかけられる。
キャンパスを案内してくれと。
かわいいし、おしゃれだし、スタイルもいい。
唐突に頼まれたとはいえ、ことわる理由がない。
おしゃべりしながら構内を歩くうち、ふたりはいい雰囲気に。
大助は名前をたづねるが、はぐらかされる。
どうも様子がおかしい。
女生徒の名は「日野まつり」。
8年ぶりの再会となる、大助の幼なじみだった。
うつくしく成長したまつりは、男勝りだった小学校時代とくらべて、
いまの自分の変わりように驚いてほしくて、イタズラをしかけた。
友達以上、恋人未満。
なおかつ、それらを超越するのが、幼なじみという関係。
ホラー映画をみにゆく初デート(?)とか、
微妙なふたりのイチャイチャを全篇にわたってえがく。
巻末のあとがきから引用する。
元々アクション系の荒い画風なんです。
ラブコメ? コメ? 米の一種?ってくらいラブコメパワー低いです。
許して……。
わかる気がする。
たとえばまつりが毎話おなじ服装で、デートですら着っぱなしなのは、
ラブコメファンの端くれとして残念におもう。
デート服は、ラブコメのハイライトだから。
もちろん服自体は、トレンドをとりいれててかわいいし、
本作がイラストシリーズから派生したという、特殊な事情はある。
8話。
まつりはコンビニからの帰り道、ガラの悪い連中にからまれる。
ぬるいラブコメと一線を画す、緊迫感のあるエピソードだ。
それはともかく、まつりのクソダサジャージ。
逆に新鮮で、かわいくみえる。
いかに服装が大事かという證拠だ。
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白石純『魍魎少女』
魍魎少女
作者:白石純
掲載誌:『月刊コミックゼノン』(徳間書店)2018年-
単行本:ゼノンコミックス
[ためし読みはこちら]
金髪のポニーテール。
碧眼。
派手な柄の着物。
和洋折衷な雰囲気をかもしだす主人公の名は「林檎丸」。
いったいどんな物語なのか。
林檎丸は不死身の化物、つまり「魍魎」でもある。
巨大なノコギリを武器にしてたたかう。
目的は、バラバラになった師匠の体をとりもどすこと。
南総里見八犬伝や真田十勇士やゾンビものや大正ロマンなど、
えがかれるモチーフはさまざまで、悪くいえばごった煮の作品。
しかしコントラストのきいた構図と、流麗な描線が、個性と統一感を主張する。
デパアトのエスカレエタアでのバトル。
見開きページでの気合いのほとばしりは相当のもの。
見開きを縦にみせる、大胆な構図。
本作のヴィジュアルが一流なのはまちがいない。
おそらく当ブログの読者は、本作の世界観が気になるだろう。
時代劇か、大正ロマンか、現代ものか、これらの折衷か。
ただ、ラリー・ブルックス『工学的ストーリー創作入門』という本に、
世界観とはすなわち主人公の行動だと書いてある。
なにが見えるかではなく、なにをするかだ。
つまりわれわれはエンディングまで、世界観を知ることができない。
それまではゆたかなフレーバーを、存分にあじわいたい。
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『殲滅のシンデレラ』 第5章「舞踏術」
沈黙が、道玄坂に君臨している。
ライフル数挺の乱射があった路地に、好きこのんで踏みこむバカはいない。
ビル一階のラーメン屋の客は、武装した外国人の集団が横切るのを、割り箸をもったままガラス越しにながめる。
ジムの男たち七名を殺し、女一名を拉致したコーポレーションは、整然と行動する。五人づつ二台のハンヴィーに分乗し、離脱するつもりだ。見ず知らずの他人の様にさりげなく、なおかつ慎重に連携して周囲を警戒する。野良猫など、ちょっとした異変を感知しては銃口をむける。
だからそれは当然だった。ゆらゆらとちかづく女学生を、隊員たちが発見したのは。
グレーのベストを着た少女、すなわち佐倉アヤが、ガラスの靴を履いてるのを彼らは知らない。女学生のファッションに興味がない。すくなくともいまは。知りたいのは武装と、攻撃の意図の有無だけ。
華奢な女だからと言って、コーポレーションは気をゆるめない。つい先週彼らは、イエメンの首都サナアのマーケットで、五歳の少女を射殺した。薄焼きパンを渡すふりをして、自爆攻撃を仕掛けてきたからだ。
彼らの世界では、コンマ一秒の油断が死を意味する。決して油断しないから、精鋭のなかの精鋭でありつづけられる。
ぴちゃぴちゃと不吉な音が響く。ビルの外階段で七人分の血が、滝みたく流れ落ちている。眉間を撃ち抜かれたジム会長の下野が、引き攣った表情のまま路面に横たわる。
その脇を通りすぎたアヤは目をつむる。
総合格闘技界にとって大きな損失だ。プロ格闘家として人気があり、指導者としても優秀だった。
そして、親身になって私を鍛えてくれた。
ゆるさない。
泣いて命乞いしようが、絶対ゆるさない。
お前らが支払うべき負債は死、ただそれだけ。
この私が、きっちり回収してやる。
いま路上にいる隊員八名は、全員がアヤの敵意を察した。だれもが野生の虎よりするどい直感をもつ。天性の才能であり、訓練と実戦でやしなった技倆でもある。
隊員たちはアサルトライフルを構える。アヤに「止まれ」と叫ぶ。
いや、叫ぶはずだった。
一九五〇年のアニメでシンデレラは、王子さまからダンスに誘われるのを待っていた。だが二十一世紀の少女は、時代錯誤のしきたりを拒絶する。「天国への鍵」は、自力でこじ開ける。
舞踏術【ピケ・トゥール】。
時空をねじまげるステップで、アヤは隊列の中心へ飛びこむ。左脚を軸にスピンする。両手と右足で四人を打つ。頭蓋骨を、頚椎を、大腿骨を、腓骨を、一撃で粉砕する。
足りない。まだまだ足りない。
悶絶して倒れたコーポレーション隊員に、アヤは襲いかかる。
そのときアヤは気づく。ラーメン屋の窓ガラスにシンデレラが映っていた。動顛している。両手でジェスチャーする。なにかを押さえつける様な。
アヤは身をかがめる。
ガラスが破砕される。黒人の指揮官が消音アサルトライフルを連射した。店内は酸鼻な地獄絵と化す。ブタの骨でダシをとったスープに、ヒトの骨と血と肉がまじる。きっと美味だろう。
アヤは両手をアスファルトにつく。脚をまっすぐのばして側転をきめる。小学生のころ体操教室でならった技を体がおぼえていた。
毎日習い事があって大変だねと、当時は友達によく言われた。同情される理由がわからなかった。その道の達人が、わざわざ知識や技術をシェアしてくれるのだ。習い事ほどありがたいものはない。
アヤは指揮官のもとへ殺到する。遠心力をいかし、V字にひらいた指で両目を突く。中指が左目に食いこむ。十字架をあしらった黒い爪が、ぷちっと角膜をやぶる。指がゼリー状の硝子体にまみれる。
まだだ。まだ足りない。
叫び悶える指揮官を、ハンヴィーのドアへ打ちつける。さらに指を押しこむ。前頭骨の薄い部分が、指先で割れる。破片ごと前頭葉をえぐる。
絶叫と抵抗が止む。
アヤは眼窩から指を引き抜く。指揮官が崩れる。アヤは血まみれの手をふるう。
ハンヴィーの窓ガラスに映るシンデレラと目があう。いつも陽気なシンデレラの表情がこわばる。アヤとの契約を後悔するかの様に。
アヤが言う。「さっきはありがとう」
「え」シンデレラが答える。「なんのコト」
「警告してくれたでしょ。デレちゃんも意外と役に立つね」
「『意外と』は余計だヨ。伝説の戦士プリキュアみたいなコンビになろうネ」
「聞いたことない」
「もんでゅー! プリキュアを知らない日本人がいるなんて!」
「ひょっとしてデレちゃんってフランス人?」
「うぃ、びあんしゅーる」
「よかったらフランス語おしえて」
「いいけど、ホラ。アヤの友達がさらわれてくヨ」
アヤは、シンデレラが指差す方をみる。ユウキをのせた、もう一台のハンヴィーが急発進する。
「はやく言ってよ、バカ!」
コーポレーション隊員五名がのるハンヴィーが、首都高速を駆け抜ける。時速百三十キロで飛ばす。CIAのフロント企業である玩具量販店の、川崎市にある店舗が彼らの拠点だ。
彼らは指揮官をふくむ仲間の五名を、道玄坂に置き去りにした。ユウキの身柄の確保を優先したわけだが、怖気づいて逃げたのが本音だった。
鮮血で手を染めた制服の少女の、あの沈鬱な表情。幼いころ絵本でみた邪悪な魔女そのものだった。
時刻は十二時をまわる。通行量はすくない。先行するドライバーがレーンをゆづる。バックミラーに映る、猛然と突き進む装甲車を恐れた。川崎まで彼らを妨げるものはない。
しかしハンヴィーのルーフには、バーにつかまるアヤがいた。風圧をふせぐため、右手で顔を覆う。はげしく髪とスカートがたなびく。
虚空にむかいアヤが叫ぶ。
「デレちゃん!」
パキパキと音をたて、アヤの右の握りこぶしが透明になってゆく。結晶化して固まる。
舞踏術【ブリゼ】。
ガラスの鎚を、円形のハッチへ振り下ろす。執拗な打撃に装甲が歪む。
結晶の硬度は、トワからおそわらなかった。砕け散るかもしれない。
知ったことか。
腕の一本や二本、くれてやる。
留め金のはづれたハッチを開ける。後部座席にいた、そばかす顔の白人男と視線がぶつかる。呆然としている。そばかす顔は「ファック!」と叫び、拳銃のグロック19を連射する。
アヤはハッチを閉じる。直後にハンヴィーが軌道から逸れる。跳弾が運転手に当たったのだろう。ユウキに被害がないのを願うばかりだ。
ハンヴィーから飛び降りたアヤは、前転して衝撃を緩和する。路側帯へ退避する。ハンヴィーが横転する。三回転した。ぼんやりと電灯に照らされる防音壁に激突して止まる。
アヤは、上下逆さまとなったハンヴィーへちかづく。ガソリンの臭いが漂う。爆発の恐れがある。はやく救出しないといけない。バックドアをあけ、気を失ったユウキを引きずり出す。
ふりむくと、赤いメルセデスベンツGLSが十メートル後ろに停車している。セーラー服のトワが降車し、こちらへ駆け寄る。アヤは、両手を拘束されたユウキをあづける。
私はまだ、やるべきことがある。
横転事故は、乗員へのダメージが大きい。百戦錬磨のコーポレーション隊員でも、三半規管までは鍛えられない。しばらく目眩がつづき、立つこともままならないはず。
それでも隊員たちは、天井が床になったハンヴィーから、アサルトライフルをかかえて這いずり出る。骨折などの重症を負ったにもかかわらず、死力をふりしぼる。兵士の鑑だ。
アヤはガラスの靴で、それぞれの頭部を踏み砕く。四人殺す。すでに運転手は絶命していた。シートベルトを外して引っぱり出す。そして破壊する。原形をとどめないほどに。
羽多野が、背後からアヤの肩をつかむ。
「無益な殺生はよせ」羽多野が言う。「こいつらも命令でやっただけだ。警察がくる前に離脱するぞ」
死体損壊がとまる。アヤは手の甲で、小柄な羽多野の顔面を打つ。羽多野は仰向けに倒れる。
アヤは振り返り、羽多野を見下ろす。瞳が黒く変色している。瞳孔がひらいたという次元ではない。白目がなく、眼球全体がどす黒い。
イクリプス。
心の平衡を失い、シャドウに自己を侵蝕された状態を意味する。
まさに月蝕の様に。
トワが、アヤと羽多野のあいだに立つ。右の人差指を突き立て、メトロノームの要領で規則的にうごかす。「チクタクチクタク」とささやく。
感応術【チクタク・クロコダイル】。
アヤの膝が曲がる。路側帯に横たわる。つめたいアスファルトを枕にして眠る。
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大宮宮美『リリィマリアと和解せよ』
リリィマリアと和解せよ
作者:大宮宮美
発行:一迅社 2018年
レーベル:百合姫コミックス
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漫画家をめざす女子大生「ゆり」の家に、かわいいロリ女神がやってきた。
ただ女神さまは、おのれの趣味をおしつけ、ゆりに百合漫画を描かせようとする。
かなり振り切った、女神「リリィ」の百合豚っぷりがみどころ。
街をあるくJKを見てよだれを垂らし、百合ップルだと妄想する。
そこに男が絡んできたら、さあ大変。
リリィは怒りにまかせ、神隠しで男を消滅させる。
画面に男が映っただけで発狂する、いわゆる百合豚の生態を、
幼女の姿を借りてマイルドに表現したコメディである。
ゆりの担当編集は女性で、なぜかヤンキーっぽい。
オタクの天敵といえば、ギャルとヤンキー。
それでもリリィは数々の百合作品をおもいだし、たとえば『citrus』みたいに、
外見はガサツだけど中身は繊細……みたいな展開を期待する。
コロコロした絵柄によるメタ視点のギャグは、独特の味わい。
神さまであるリリィは、プレイヤーでなく、あくまで観客として百合に参加する。
でもここは百合姫というフィールド。
美少女に観客席は、似合わない。
このカルト宗教は、ますます猛威をふるいそうだ。
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『殲滅のシンデレラ』 第4章「地下駐車場」
アヤは羽多野とトワに連れられ、薄暗い地下駐車場をあるく。ことなる制服の少女二名と、派手なスーツの男一名。見慣れない組み合わせだ。
コンクリートで囲まれた空間は、無機質で陰鬱。別のレーンから、タイヤの摩擦音がひびく。食事を終えたどこかのだれかが、帰路についた。
新幹線も飛行機も、すでに京都行きの最終便が出た。アヤたちは都内のホテルで一泊したあと、早朝の新幹線に乗る予定だ。そして明日の夜十二時までにテロリストを斃す。タイトな日程になる。
羽多野の車は、赤いメルセデス・ベンツGLS。七名が乗車可能なSUVだ。自慢の愛車の前に、中年の男女が立っている。ひとりはアヤの母。となりのピンストライプのスーツの男も見覚えがある。一度か二度、夫人同伴でアヤの家に来ていた。たしか東急本店の店長だったはず。
濃紺のワンピースを着た母に、アヤが言う。
「よくここがわかったね」
「一応母親ですから。あと無理を言って、こちらの関さんに御協力いただいたの」
母は関に頭をさげる。丁重に礼をのべる。関は満足げに、エレベーターの方へ去ってゆく。
このデパートにとって、アヤの母は最大のお得意さまのひとり。大口顧客をつなぎとめるのは、店長の重要な職務だ。よその親子ゲンカに介入するくらいの骨折りは、苦にしない。
アヤと母のふたりがGLSに乗る。体を包みこむ革張りのシートに座る。地下駐車場も静かだが、車内はまったくの無音だ。
息苦しい。
窓にシンデレラが映っている。アヤにウィンクし、サムズアップする。母との対決を応援してくれるのはうれしいが、正直言って気が散ってしまう。
シンデレラは、スカートをひるがえしスピンする。電飾をほどこされた馬車などの乗り物が、GLSの両脇を行進する。お姫さまや妖精がその上で踊る。おなじみの賑やかな曲がながれる。
エレクトリカルパレードだ。
眉をひそめて母が尋ねる。
「アヤちゃん、疲れてるみたい」
目をこすってアヤは集中をとりもどす。
「べつに」
「お父さんと話したの。これを見せたわ」
イタリア製の革のトートバッグから、母は一枚の書類をとりだす。あちこち記入されている。
「離婚届?」
「これが私の切り札。お父さんのうろたえぶりったらなかったわ。アヤちゃんにも見せたかった!」
「そうなんだ」
「仕事の大変さは理解してるし、大抵のことは我慢するけど、子供たちを傷つけるのだけは許さないって言ってやった」
「へえ」
「ネイルをしてもいいと認めさせたわ」
「そうなんだ。ありがとう」
アヤの態度は冷淡だった。いまさら遅いと言わんばかりだ。
母は察知する。娘はなんらかの覚悟を決めたのだと。離婚届より強力な、とっておきのカードを切る必要がある。
さりげない口調で母が言う。
「そういえば私、例の話をアヤちゃんにしたかしら。私が高校時代にお付き合いしてた人の話」
明敏なアヤは、母の戦略を看破している。だがそこは、思春期の女の悲しさ。おもわず餌に食いつく。
「なにそれ、知らない」
「家庭教師だったの。当時は大学院生」
「ありがちだね。友達にもいるよ。カテキョとつきあってるコ」
「アヤちゃんも経験あるでしょう。先生を好きになったことが」
「さあ。どうかな」
アヤは無表情をよそおう。
図星なのはミエミエだった。どれだけ大人ぶっても、母には見透かされる。手にとる様に。
母はほくそ笑む。
娘がいじらしくてしかたない。母親業ほどたのしい仕事はない。あるわけがない。
「私たちは将来を誓い合ってた。あの人と結婚すると信じこんでた。でもダメだったわ。おじいちゃんに反対されて」
「へえ」
「あの頃のおじいちゃんは、それはそれは怖かったの。お父さんなんて比べものにならない」
「想像できないね」
「ちょっとでも口答えしたらぶたれるの。私も気が強かったから、しょっちゅう鼻血を出してたわ」
「それはひどいなあ」
「いまじゃアヤちゃんにベタ甘なんだから、なんだか不公平よね」
「私が可愛いからじゃない?」
「なによ。私だって昔は可愛かったのよ」
ほがらかに母娘ふたりは笑う。
アヤの読書好きは、上智大学仏文科卒の母の影響だった。月に一度は、ふたりで映画や演劇を見に出かける。基本的に仲のよい親子だった。
「結局」アヤが尋ねる。「その人とはどうなったの」
「駆け落ちするつもりだった」
「ぷっ」
「アヤちゃんは笑うけど、すくなくとも私は本気だった。逃げられちゃったけどね。おじいちゃんからお金をもらって身を引いたみたい」
「本人がそう言ったの」
「そんなこと聞くわけない。もし事実だったら、私が惨めすぎるでしょう」
「いまでもその人を思い出す?」
「それがね……」
母は脇腹をかかえ、笑うのをこらえる。鉄板のエピソードがあるらしい。
アヤは、自分が母のペースに乗せられてるのを自覚している。でも話の続きがどうにも気になる。
「こないだ」母が続ける。「新聞でひさしぶりに彼の名前をみたの。いまは大学教授なんだって」
「へえ」
「でも、そこでセクハラ事件を起こしたって言うから、びっくりするじゃない。教え子にちょっかい出して。大学はクビになったそうよ」
「うわあ」
「男の人の性癖って、死ぬまで変わらないのかって思ったわ」
なるほど、そういうオチか。
アヤは内心で批評した。
若い娘が激情に駆られ、後先かんがえない行動に出るのはしかたない。若い娘なのだから。
でも、落ち着きを取り戻したその先に、人生において本当に大切なものがある。
就職、社交、子育て、選挙運動、地域振興、慈善事業、趣味の集まり、なんだっていい。やりがいのある仕事が山ほどある。寝るのも惜しいくらい充実した人生、だれもが羨む人生が待っている。
佐倉家の跡取り娘でいれば。
その生きた見本が、目の前にいる。
アヤはGLSのシートに背中を預ける。首を回す。ボキボキと音が鳴る。
家出の決心が揺らぐ。
誘惑が大きい。
母の様な人生は、どうかんがえても三十億円より価値があるのでは?
捨てたら、一生後悔するのでは?
アヤは、母娘だけがシェアできるテレパシー的な感情の虜だった。まるでロールケーキみたいな、やわらかくて甘いなにかに丸めこまれた。
とどめを刺すべく、母は白い紙袋をトートバッグからとりだす。Diorと印字されている。
「ささやかだけど」母が言う。「これは私からのプレゼント」
「なに? 開けていい?」
「どうぞ。ディオールのネイルよ」
アヤは昂奮して箱を開ける。三千円するピンクのエナメルだ。自分ではとても買えない。こんなにうれしいプレゼントはない。
アヤの目が潤む。
母の愛は疑いようがない。ちょっとあざといけれど。この人を裏切るなんて、決して許されない。自分もやさしい母のことが好きだ。心から感謝している。そして、だれよりも愛している。
一方で、アヤはおのれの観察力を呪う。
母のトートバッグに、もうひとつディオールの箱があるのに気づいた。たしか八千円くらいのアイシャドウだ。
アヤは窓の外を見やる。殺風景な駐車場で待ちぼうけを食らう羽多野が、煙草を吸っている。トワはアイフォンをいじる。
アヤは内心でつぶやく。
衝動的に家を飛び出した私を慰めるため、お母さんはディオールのお店に立ち寄った。私の好みを知り尽くしてるから。
でもお母さんは、そこでつい自分用のアイシャドウを買ってしまった。我慢できなかった。
買い物中毒だから。
この家にいたら、だれもが病んでしまうから。
お母さんには恩がある。ありえないけど、もし老後に困窮することがあれば、絶対助ける。
ただ、ひとつ言えることがある。
あなたは私のロールモデルじゃない。
私は私の道をゆく。
アヤは、胸ポケットで震えるアイフォンを手にとる。カラオケにいったユウキからの、LINEの通知があった。
羽多野はGLSを運転し、松濤の自宅前でアヤの母を降ろす。アヤはユウキに呼ばれたと言い、車内にのこる。用事がすんだら娘をすぐに帰すと母に約束して、羽多野は車を発進させる。
ユウキからのLINEは「なんかデュナミスがやばいらしい。見てくる」というもの。109の裏の、道玄坂の入り組んだ細い路地に、GLSがとまる。ビルの一階はラーメン屋で、地下がライブハウス。格闘技ジムのデュナミスがある二階へは、建物左の外階段からあがれる。
三十メートルむこうに、砂色に塗装された大きな車が二台駐まっている。どちらもナンバープレートはない。アメリカ軍などで使用される兵員輸送車のハンヴィーだ。
もともと治安のよい区域ではないが、装甲をほどこされた軍用車輌は、いかにも物騒に目に映る。
助手席のトワが、こわばった表情で羽多野に言う。
「羽多野さん、あれって」
「ああ。おそらくコーポレーションだ。先手を打ってくるとはたまげた。たいした情報収集力だ」
「はやく逃げないと」
「そうだな」
アヤは胃が痙攣するのを感じる。後部座席から羽多野に話しかける。
「『コーポレーション』ってなに」
「CIAが保有する準軍事組織だ。SADとか、さまざまな名称があるが、いまはコーポレーションが通りがいい」
「え……敵はCIAなの」
「敵の一部だ」
「話ではテロリストを斃すって」
「嘘はついてない。もし日本の警察が準軍事要員を逮捕しても、アメリカ政府はかならず関与を否定する。そういう汚い作戦だ」
二〇〇一年にはじまるアフガニスタン紛争で、現地に一番乗りしたのはCIAの準軍事組織だった。二〇一一年にパキスタンでビン・ラーディンを暗殺した作戦は、実行したのは海軍の特殊部隊だが、指揮したのはCIA長官だ。もし失敗しても、あとで頬かむりできる様にするため。アメリカは積極的に、軍事作戦の定義を更新しつづけている。
善し悪しはともかく。
アヤの脳裏で警報が鳴り響く。頭蓋骨が砕け散りそうだ。
テロリストと聞いて思い浮かぶのは、浅黒い肌のアラブ人だ。アッラーフ・アクバルなどと叫んで犬死にする狂信者たち。あとはせいぜい、日本の年老いた左翼の過激派とか。
たしかに私は迂闊だったかもしれない。
でも私みたいな普通の女子高生が、アメリカ政府と殺し合いをさせられるなんて、いったいだれが想像するだろう。
おだやかな口調で、羽多野が言う。
「まだアヤは契約してない。降りたければ降りろ」
「降りるとは言ってない」アヤが答える。「暗殺のターゲットはだれなの」
「ウォーレン・ワイズ。アメリカ合衆国大統領。京都中心部への核ミサイル攻撃を計画している」
「そんな!」
「京都での首脳会談のため、あす来日する」
「なんなの。自分がミサイルを落とす都市にノコノコやってくるとか。そもそもなぜ攻撃を」
「敵の計画のすべては把握してない。ただ会談のなかで、一種の宣戦布告をおこなうらしい」
「信じられない」
「情報そのものは確実だ。あるメッセンジャーから直接聞いた。世界的な有名人だ」
誇らしげにトワが口を挟む。
「ちなみに、私の未来予知でも裏付けされてる」
アヤはそれを無視し、羽多野に言う。
「だまされてないという保証がほしい」
「頭金の十五億では不足か」
「あなたは核兵器が怖くないの」
「怖い。だが対抗手段がある」
「なに」
「あとで教える」
「さっき言ってたメッセンジャーに会わせて」
「無理だ。連絡先を知らない。多分どこかでひょっこり現れるさ」
羽多野は左腕のスピードマスターをみる。しかめ面をして続ける。
「アヤ。議論してる暇はない。嫌なら、ガラスの靴を置いて車から降りろ。俺は手持ちの駒で戦う」
助手席のトワが、隣の羽多野の腿に手をおく。上目遣いで熱っぽい視線をおくる。そして見下す様に、後ろのアヤを横目でみる。
ビルの外階段で騒ぎがおこる。
ぞろぞろと約十人の集団がジムから出る。ほとんどが白人で、屈強な体格をしている。服装は統一されておらず、カジュアルなシャツの上にプレートキャリアを重ねる。全員アサルトライフルを手にするが、こちらもHK416やFN・SCARなど、まちまちの武装だ。
コーポレーション。
CIAに飼われた、血に飢えた猟犬ども。
列の中ほどで、学院の制服を着たユウキが暴れている。コーポレーション隊員が、HKのストックで殴る。頭から出血したユウキがうなだれる。
車内から見守るアヤの手のひらに、黒く塗られた爪が食いこむ。
助けないと。
あいつらが探してるのは私だ。ユウキは人違いで拉致されようとしている。もしくは、尋問して私の居場所をしらべる気か。
つまり拷問。
会長の下野寛を先頭に、ジムからインストラクターと練習生があらわれる。総勢七名。みな激昂し、口々になにごとか叫ぶ。招かれざる客が、彼らが可愛がっている少女を攫ったのだから当然だ。
アヤは両手で窓ガラスを叩く。このあとに起こる惨事を想像できた。
下野が右ストレートの一撃で、コーポレーション隊員を倒す。ほかの六人も下野につづく。狭い階段で、格闘家と準軍事要員の乱闘がはじまる。
四十代なかばの黒人が、あわてず銃を構える。年恰好と雰囲気からいって指揮官らしい。装備は、銃身全体がサプレッサーで覆われたASヴァル。ロシアの消音アサルトライフルだ。
黒人の指揮官が、路上から発砲する。
無音だ。
下野が階段を転落する。
堰を切った様に、コーポレーションの八名が連射した。
今度は耳をつんざく銃声が、道玄坂の路地裏で反響する。
格闘家たちはみな即死か、致命傷を負う。コーポレーション隊員が弾倉を交換する。
発砲しなかった二名は、ユウキをハンヴィーのそばに引きずってゆく。プラスチックの結束バンドで両手首を縛り、荷台へ放りこむ。
アヤはドアハンドルに手をかける。
トワが助手席から身を乗り出し、アヤの手をつかむ。目を丸くして尋ねる。
「助けに行く気じゃないでしょうね」
「あのコは私の友達だ」
「いまのを見たでしょう。連中は、世界でもっとも経験豊富な殺し屋なの」
「巻きこまれたのは私のせい。だから助ける」
「まだ舞踏術を口頭でレクチャーしただけよ。一度も練習してない。危険すぎる」
顎に手を添えた羽多野が、険しい顔で隣のトワに尋ねる。
「舞踏術はなにを教えた」
「【ピケ・トゥール】と【ブリゼ】です」
「いいチョイスだ。いけるな」
「羽多野さん!」
「敵はこちらの奇襲を予期してない。いま攻撃すれば戦力をかなり削げる。尋問も避けたい」
斜め後ろを向き、羽多野が続ける。
「アヤ。交戦を許可する」
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佐藤ショウジ/サイトウケンジ『神装魔法少女ハウリングムーン』
神装魔法少女ハウリングムーン
作画:佐藤ショウジ
原作:サイトウケンジ
掲載誌:『別冊ドラゴンエイジ』(KADOKAWA)2017年-
単行本:ドラゴンコミックスエイジ
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なまめかしい肢体、セクシーなコスチューム。
視覚的にサービス満点な、魔法少女ものの誕生だ。
魔法少女として活躍するのは、中学生の「カグヤ」と「ヒマワリ」。
主人公である黒髪ロングのカグヤは、ヒマワリと一緒に修学旅行中だったが、
バスが戦闘に巻きこまれたのをきっかけに、組織からスカウトされる。
別々の組織に参加したカグヤとヒマワリは、親友同士で戦うはめに。
感情むきだしの美少女たちが激突する、熱い展開は『なのは』的だが、
そこに艶っぽさをくわえ、伝統ある魔法少女カルチャーにおいて新味をだす。
ストーリーは駆け足ぎみ。
主人公の心の襞を感じつつ、じっくり味わうタイプの作品ではない。
学校や家庭での人間関係などはすっ飛ばされている。
カグヤのオカルト趣味などは言及されるが、あまりプロットで活きてない。
佐藤ショウジは『トリアージX』の連載をかかえる作家だ。
季刊誌『別冊ドラゴンエイジ』創刊にあわせ、
原作者の力を借り、作画に専念できる環境をもとめたのだろう。
なので作画が圧倒的。
絵全体の情報量、構図の大胆さ、描線の躍動感。
これぞマンガって感じで、読みごたえたっぷり。
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まつだひかり『まことディストーション』完結
まことディストーション
作者:まつだひかり
掲載誌:『月刊コミックフラッパー』(KADOKAWA)2017年-
単行本:MFコミックス フラッパーシリーズ
女子高生のバンド活動をえがく傑作が、2巻で完結。
キュートでラウドでパンキッシュな軌跡を、最後まで追いかけよう。
まことがエフェクターをえらぶ第13話。
ベースの音だって、もっともっと目立っていい。
むしろJKは自由奔放であるべき。
スタジオで深夜練習する18話。
なにを勘違いしたか、まことはパジャマで参戦。
音楽に関するマニアックな描写と、女子のかわいさを完璧に両立させる。
クライマックスはライブ……ではなく、YouTubeへの動画投稿。
レイナの自己中すぎる編集が笑える。
『けいおん!』連載開始から11年。
JKバンドあるあるネタもアップデートされてゆく。
本作の美点はなんと言っても、主人公のかわいさ。
凡庸な結論で恐縮だが、ガチでかわいいのだから仕方ない。
天王寺まこと、高校1年生。
唯とあずにゃんのいいとこ取りをした様な最強ヒロインを、
僕たちは、コメ欄炎上させてでも語り継がねばならない。
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『殲滅のシンデレラ』 第3章「シンデレラ」
東急百貨店本店は、道玄坂をのぼりきった三叉路に面する。夜八時すぎだと、界隈の人通りは減る。黙りこくった男女が、円山町のラブホテル街につづく路地へ、闇に吸いこまれる様に消えてゆく。
グレーのベストなどを着替えてないアヤが、アイフォンで通話している。
「そんなに心配しないで。お父さんは大袈裟に言ってるだけだから。ありがとう。おじいちゃんは私の一番の味方だとおもってるよ。そうだね。また会える日を楽しみにしてる。それじゃ」
アヤは、山梨県の松本市にすむ祖父からの電話を切った。
家出には軍資金が必要だ。
水商売などでなく、まっとうな職に就くには、あたらしい住所を確保しないといけない。百万円くらいあれば安心だ。そして大金をポンと貸してくれる知人は、アヤを溺愛する祖父しか思いつかない。
父は先回りし、もともと折り合いの悪い義父に対し、アヤの家出を手助けしないよう釘を刺した。訴訟をちらつかされては、祖父も勝手はできない。
アヤは、ビルの隙間の夜空を見上げる。
みとめるしかない。
父の方が一枚上手だと。
歪んだ支配欲に衝き動かされてるくせに、打つ手のひとつひとつが的確で速い。
もはや逃げ道はどこにもない。
絶望に胸を苛まれるアヤは、無意識にもとづく習慣的行動で、東急本店七階の書店に来た。木張りの床面のフロアは、閉店時間が近いこともあって客はまばらだ。
海外ミステリや美術書などがアヤの好みだが、いまは小難しい本を読む気になれず、児童書コーナーへ立ち寄る。サラ・ギブの絵本『シンデレラ』を手にとる。
一九五〇年のアニメはすばらしい。でも、継母やふたりの姉が戯画的に誇張され、ちょっとギャグっぽく感じられる。王子さまもなんかダサい。その点サラ・ギブの絵は、ひたすら繊細で華麗。シンデレラのか細い肢体はスーパーモデルさながら。現代の少女のお眼鏡にかなう作品に仕上がっている。
五歳くらいの女の子が、書棚の端の方からアヤを指差す。母親に耳打ちする。高校生が絵本を読むのがおかしいと言ってるのかもしれない。
お嬢さん、わかってないね。
アヤはつぶやいた。
おとぎ話を必要とするのは、むしろ大人なの。
だって私たちの世界は、あなたの世界とちがって、魔法使いも白馬の王子さまも存在しないから。
アヤはふたたび絵本に目を落とす。
水色のドレスを着たシンデレラが、お城の階段を駆け下りる。ガラスの靴が脱げて転がる。シンデレラは長いスカートの裾を踏み、よろける。
おかしい。
アヤは目をしばたく。
絵がアニメーションみたく動いている。
階段を転げ落ちたシンデレラは、頭を打って気絶する。御者が馬車へ引きずり込む。城の衛兵たちが馬車に発砲する。
シンデレラに、こんな場面はない。
どうなってるんだ。
私が年を食ってるあいだに、絵本のテクノロジーが飛躍的に進化したのか。
アヤは頭を掻きむしりながら、トイレへ逃げこむ。個室はどれも使われてない。洗面台に半袖のセーラー服を着た女がいる。髪はあかるい色のボブで、フレームの太い眼鏡をかけている。
茶髪ボブは、アイフォンを二台もつ。左で通話し、右でLINEをする。頭のよさをひけらかしてる感じで、ちょっと嫌味だ。
アヤは洗面台に手をつき、鏡をみる。
水色のドレスを着た、見覚えのある金髪の女が、こちらを見返している。
鏡のなかの女は、右目のそばで横ピースする。アヤにむかい叫ぶ。
「じゃじゃーん! ワタシは全世界の悩める乙女のアイドル、シンデレラちゃんダ! デレちゃんって呼んでネ!」
アヤは顔をしかめる。左に立つ茶髪ボブをみる。通話はやめ、いまはLINEだけしている。
「ノンノンノン」シンデレラが続ける。「デレちゃんの声は、キミにしか聞こえないヨ。安心してネ」
アヤは咳払いし、小声で言う。
「あのさ」
「ナニ?」
「このクソみたいな状況を終わらせたい。悪夢だかなんだか知らないけど」
「わかる、わかるヨ! 窮屈な籠から逃げて、舞踏会に出たいよネ! 乙女の共通の夢!」
「そういうこと言ってんじゃなくて」
「そういうことだヨ。キミは突然あらわれたデレちゃんに困惑してるネ。でも、心のなかでデレちゃんを育てたのはキミなんダ」
「お願いだから、さっさと消えてくれる」
「ひとつだけ方法があるヨ」
シンデレラは、鏡の外へ手をのばす。ヒールの高い一足の靴を洗面台におく。
ガラスの靴だ。
おもわずアヤは靴をつかむ。青みがかった素材は、軽くて柔らかい。履くことはできそう。
「その靴は」シンデレラが続ける。「契約書がわりだヨ。キミはそれを履いて『舞踏会』に出る。そこで夢をかなえるんダ」
「条件は?」
出入口に、紫のスーツを着た男があらわれる。
羽多野昇一だ。自分を窮地へ追いこんだ、殺しても飽き足らないほど憎い敵だ。しかし不意を打たれてアヤは硬直する。
ここは女子トイレなのだ。
アヤは奥を振り返る。茶髪ボブがにやりと笑う。こいつはグルだ。偵察していた。
アヤの脳内で、きょう起きた出来事が線でつながる。因果関係が完成する。
密告。
夕食の林檎。
幻覚。
アヤがつぶやく。「盛ったな」
「おそるべき洞察力」羽多野が答える。「この混乱のなかで見抜いたか」
「なにを林檎に注入した」
「説明しよう」
羽多野は掃除中の看板を出入口におく。口笛を吹いている。
「結論から言う」羽多野が続ける。「仕込んだ薬は、常習しないかぎり無害だ。市場に出回ってないが、豊富な実験データがある」
「なにを注入したのか聞いている」
「『オグンの霊薬』だ。たしかナイジェリアの神話から取った名前だとか」
「答えになってない」
「具体的な成分は俺も知らない。アヤはボコ・ハラムについて聞いたことがあるか」
「馴れ馴れしく呼び捨てするな」
「好きに呼ばせてもらおう。で、ボコ・ハラムについてだが」
「アフリカのテロ組織。イスラム原理主義の」
「さすがだ。何百人もの女子学生を拉致し、自爆テロを実行させたことで悪名高い」
「まさか」
「そのまさかさ。女子学生を洗脳するのにボコ・ハラムがつかったのが、オグンの霊薬だ」
アヤの怒りは限度を超える。視界がぼやける。
あきらかな傷害罪だ。いくら羽多野が民自党関係者でも、揉み消せないだろう。通報すべきだ。
いや、司直の手は借りない。
アヤは、こういうときのため格闘技を習っていた。パーマのかかった羽多野の髪をつかみ、洗面台に打ちつけてやろうと、一歩踏み出す。
機先を制する様に、羽多野が言う。
「三十億円」
「あぁ?」
「これから言う任務に成功したら、それだけ払う。頭金として半額、今日付けでアヤの口座に入金する」
「…………」
「一生遊んで暮らせる額ではないが、十六歳の女にとっては十分だろう」
「意味がわからない。なにもかも」
「納得ゆくまで説明する」
「任務とやらを言え」
「暗殺だ」
アヤは顔色を変えない。
「だれを。どうやって」
「テロリストが日本に潜伏している。約二十四時間後に京都が攻撃される。たしかな情報だ。俺たちはそれを阻止する」
「バカらしい。警察か自衛隊の仕事だ」
「日本でこの情報を得たのは、いまのところ約十名。俺以外の全員が頬かむりしている。君の父親はおそらく知らない。自衛隊のボスなのだがね」
たしかに、自宅でだらしなく酔っていた父が、テロリストによる攻撃を把握してたはずない。まあ、元から計画など存在しないなら問題ないが。
「あんたの目的は」
「俺は愛国者だ。永田町や霞が関の魑魅魍魎とはちがう。この国を守るため体を張る。勿論、あとで報酬を請求するつもりだが」
アヤの右手の親指と人差指がうごく。
不確かな情報の洪水のなかで、有用なものと無用なものと判断保留すべきものを選別する。そして、知るべき情報を限定する。
「暗殺の手段について、まだ聞いてない」
背後から、茶髪ボブが声をかける。
「ようやく私の出番ね」
胸を反らせ、茶髪ボブが言う。
「遅ればせながら自己紹介するわ。私は雨宮トワコ。高校三年生。トワと呼ばれてる。よろしく」
握手のため差し出した手を無視し、アヤが答える。
「その制服は姫百合学園。女子の御三家筆頭」
「おたがいにね。そっちは共学だけど。ところであなたはなにが見えたのかしら」
「見えたって?」
「鏡のなかに見たでしょう」
「……シンデレラ」
「あはははっ。やっぱり。抑圧的な家族からの逃避願望」
「笑われるのはすごく不愉快」
「あら失礼。あなたが見たのは『シャドウ』よ。悩める少女の心に巣食う悪魔。そして解放の天使」
「文学的修辞じゃなく、客観的事実を知りたい」
はじめて見たときから、この女と反りが合わないのは承知していた。賢明さを鼻にかける人間は嫌いだ。自分もそうだから。
「じゃあ」トワが言う。「客観的な事実を言うわね。私たちはこれから、シャドウの力を借りてテロリストを殲滅する。戦い方は私がレクチャーする」
「どんな力があるわけ」
「私はテレパスなの」
「テレパス?」
「精神感応よ。まあ実演するのが一番ね。四桁の数字を思い浮かべて。あ、できるだけ複雑なのがいいわ。1234とかじゃなく」
アヤはぼんやりかんがえる。
9870。
即座にトワがつぶやく。
「9870」
アヤはまじまじとトワの顔をみる。得意げに鼻をふくらませている。
答えがよくなかった。誘導された気配がある。直前に言われた1234に影響され、逆に降順にならぶ数字を思い浮かべてしまった。
羽多野がため息をつき、トワに言う。
「あれをやれ」
「はあ」
「あれが手っ取り早い」
「しょうがないなあ。気がすすまないけど」
トワはアヤと目を合わせる。薄笑いを浮かべている。人差指をくるりと回す。
アヤは右手で自分の喉をつかむ。全力で絞める。気道と頸動脈を圧迫する。
無論、意図せざる行動だ。
窒息が二十秒つづく。
アヤは喘いでいる。よろけて洗面台に左手をつく。
「もう……やめて……わかったから……」
トワは精神操作を解く。咳きこむアヤの背中をさすりながら言う。
「疑問の余地はなくなったかしら」
「は……はい」
トワは、置きっぱなしだったガラスの靴をとり、アヤに手渡す。さっき握手を拒否したアヤだが、今度は受けいれる。
トワがほほ笑んで言う。
「ようこそ。私たちソリストの世界へ」
「まだ契約するとは決めてません」
「あなたは契約する。私にはわかる」
「トワさん」
「トワでいいわ」
「トワさんのシャドウをおしえてください」
「ティンカーベルよ」
「え。『ピーター・パン』のあの妖精?」
「そうよ。なんで笑ってるの」
高慢ちきで嫉妬ぶかく、ウェンディに意地悪をする、うつくしい妖精。
ぴったりすぎて笑える。
羽多野を先頭に、三人は女子トイレを出る。
アヤは鏡を一瞥する。
はちきれんばかりの笑顔で、シンデレラが両手を振っている。アヤを励ますつもりらしい。
でもその碧眼は、悲しげだった。
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澄ノイ『地味姉とジェンダーレス』
地味姉とジェンダーレス
作者:澄ノイ
発行:KADOKAWA 2018年
レーベル:ビーズログコミックス
[ためし読みはこちら]
普通の女子中学生が、女装癖のある双子の弟にふりまわされる物語。
この明るい髪色の「少年」が、当該のトラブルメーカーだ。
黒髪の主人公「シオ」は、弟の「リオ」が目立ちすぎるせいで、
自分まで変な目でみられるのに悩んでいる。
予備の制服をパクり、学校でも女装をはじめるに至り、ついにキレる。
リオの飄々とした人柄が、本作の魅力。
クラスではいつも女子に囲まれている。
インスタグラムを介したコミュニケーションなど、よく描けている。
さらにリオは、読者モデルとして人気者になってゆく。
体育祭では応援団として活躍。
チアガール姿もみたかったが、これはこれでいいものだ。
本作は題名に、すこし固い「ジェンダーレス」という単語を採用。
作者はLGBTムーブメントへの共感を隠そうとしない。
ちょっと前に流行った「男の娘」カルチャーの、
露骨に煽情的な作風と一線を画している。
かわいいけれど、それだけじゃなく、けっこうまじめ。
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