『ダンジョンシスター』 第3章「猿神」


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 弁天池のほとりで、ヒロは自分が仰向けに寝そべってるのに気づく。ストライカー装甲車から投げ出されたときより、不吉に雲が垂れこめている。

 顔がむず痒いので掻こうとするが、右手がうごかない。顎を引いて手許をみると、高熱のブレスが直撃したせいで、どす黒く炭化している。

 ひどく息苦しい。呼吸がままならない。肺や気道も損傷した様だ。

 ヒロはとっくに死を覚悟していた。まだ生命を維持している肉体にむしろ感心する。

 ナノの命を救えたなら、自分が死んだとしてもコストパフォーマンスは悪くない。いつかはゲームは終わる。肝心なのは終了時のスコアだ。

 紅花で染めた袴が目にうつる。巫女のカイリが地面に膝をついている。目を細めるが、口は真一文字にむすばれる。重傷を負ったヒロをみて哀れんでるのだろう。

 さほど目立つ容姿ではないが、カイリには落ち着いた色気がある。ジャバウォックの毒牙にかからなかったのは、非処女だからか。

「妹は?」

 ヒロはそう尋ねようとしたが、口がぱくぱく動くだけで声にならない。

 咳払いをし、カイリが言う。

「しゃべってはいけません。目撃情報によると、妹さまはジャバウォックに攫われた様です。聖遺物と一緒に。それより御自身の心配をしてください」

 焼け爛れたヒロの喉が、へたな口笛みたいに耳障りな音をたてる。

 まだ俺は死ねない。

「率直に申し上げます」カイリが続ける。「探索者資格をもつ巫女としての所見です。高深度の熱傷が広範囲にわたっています。通常医療では救命の可能性は低いとおもわれます」

 カイリはかがんで顔を寄せる。

「ただいまから治術をほどこします。まづヒロさんの体内へナノロボットを注入します。ただ、ちょっとした問題がありまして、その……」

 カイリが顔を赤らめる。

「実はナノロボットは、わたくしの体液に存在するのです。それを他人に移すには、あの、その、男性に試すのは初めてでして、なんと言えばよいか」

「…………」

「ええ、それどころではないですね。恥づかしながら申し上げますと、キスをしないといけないのです。言い換えますと口づけ、接吻です。それも結構ディープなものでして。正直気が引けると言うか」

「…………」

「殿方は気にならさないかもしれませんが、人によるでしょうし。ですから施術の前に御意志を確認したいと存じます。『はい』はまばたきを一回、『いいえ』は二回。確認の合図をお願いします」

 ぱちり。

 ヒロは目をつぶった。

「では質問いたします。いまから治術をほどこしても構わないでしょうか」

 ぱちぱちぱちぱちぱち。

 カイリが勿体ぶるせいでヒロは取り乱し、せわしくまばたきする。人工呼吸のたぐいの処置なのだろうが、ディープキスなどと言われたら昂奮するではないか。こっちも初体験だし。

「ヒロさん」カイリが言う。「ふざけられては困ります」

 ぱち、ぱち。

「巫女はだれにでも治術をほどこすのではありません。危険を顧みず妹さまを助けようとしたヒロさんの、尊きお心を信じてのことなのです」

 ぱちり。

「わかりました。それでは失礼いたします」

 カイリは白い小袖で口許をぬぐう。切れ長の目が爛々とかがやく。水ぶくれのできたヒロの唇に、濃厚なキスを浴びせる。見ためは貞操堅固な大和撫子なのに、情熱的にむしゃぶりつく。




 三十分後。

 ヒロはカイリをつれ、三鷹市の西部にある国立天文台の敷地を歩いている。焼け焦げた服は捨て、コンビニで買った長袖のTシャツに着替えた。燃えた頭髪はカイリに切ってもらった。

 鉛みたく体が重い。とは言え、炭化した腕まで恢復してくれた医療用ナノロボットに、感謝しなければバチがあたるだろう。

 国立天文台は緑ゆたかだが、資料館の周囲はひらけた空間となっている。芝生の上に築かれた祭壇の前に、束帯をきた十頭の大猿が、横一列にならんで座る。角材をくんだ火櫓がごうごうと燃え盛る。

 ひとりだけ黒い装束のサトリが、立って祝詞を奏する。口が縫われてるので、思念のみ伝わる。華やかな冠をかぶった巫女たちが、炎のまわりで踊る。

 カイリが小声で言う。

「あれは御内儀と呼ばれる巫女たちです。交代しながらですが、儀式のあいだずっと踊りつづけます」

 ヒロが答える。「内儀? 妻ってことですか」

「そうですね。私的な面もふくめ、サトリさまのお世話をするのが務めです。かくゆう私も、御内儀に選ばれることが内定しております」

 ヒロはカイリの顔色をうかがう。祝福すべきことなのかどうか、よくわからない。ヒロとしては気の毒におもう。

 ひとりが舞の輪から離れ、別の巫女と交代する。カイリをみつけて手を振る。ヒロは仰天する。朝の連続テレビ小説の主演をつとめ人気者となった、モデル兼女優の出雲邦子だ。しばらくテレビで目にしなかったが、サトリの妻になっていたとは。

 うやうやしく頭をさげ、カイリが言う。

「御苦労さまです」

「御苦労さまです」邦子が答える。「聖遺物の件は残念でしたね」

「面目次第もございません」

「あなたにできないなら、ほかのどの巫女も無理だったでしょう。斎宮さまをのぞけば」

「不徳の至すところです」

 邦子はヒロに目をむける。片眉を上げ、怪訝そうな顔つきだ。カーゴパンツは焼け焦げ、頭髪は不揃い。不審者とおもわれてもしかたない。

 邦子がカイリに尋ねる。

「こちらの方は、例の?」

「湯川尋です」ヒロが答える。「ジャバウォックに妹とアインシュタインの脳を奪われました。一刻も早く救いたいんです」

「すでに探索者のパーティが複数、ジャバウォックの巣を攻略中です」

「どこにあるんですか」

「吹上のサナトリウムに棲みついてる様です」

「僕も行きます」

「お気持ちはわかりますが、探索者ライセンスがなければ不可能です」

「それをサトリさまにお願いしに来ました」

 ヒロはあえて猿のバケモノに敬称をつかう。邦子にむかい深く頭を下げる。

 さぐる様な目つきで、邦子が冷淡に言う。

「陳情の方が百人ちかく来られてますから。サトリさまもお疲れですし」

 カイリがヒロとならんで頓首する。

「わたくしからもお願いいたします。攫われた妹さんは紅梅生なんです」

 名門である紅梅学院は、巫女を多数輩出している。面識はなかったらしいが、高校三年のカイリはナノの四年先輩にあたる。現役女子高生にしては、カイリはやや大人びて見えるが。

「なるほど」邦子が言う。「紅梅生の絆は強いですからね。私もできるだけのことはしましょう」




 ヒロはカイリと一緒に、陳情の列の先頭にならぶ。強引に割りこんだのを、うしろの和装の老女に咎められるが、カイリがやさしくなだめた。

 空から白っぽい粉末が降っている。雪ではない。火山灰だ。ダークゾーンが東京に出現した九年前から、富士山・浅間山・三宅島などの火山活動が激しくなった。目や喉など、粘膜のある部分が刺激され、ちくちく痛む。

 炎がほとばしる火櫓のはるか上空に、重苦しい雲が湧きいでる。雨が降りはじめる。豪雨だ。風が猛々しく吹き荒れる。陳情の列にならぶ人々が、サトリの名をよんで歓喜する。火山灰を吹き飛ばす、恵みの雨とゆうわけだ。

 儀式を終えたサトリが、天幕の下にはいる。三方を屏風にかこまれた畳に腰をおろす。巫女たちがサトリの濡れた装束を脱がせ、長い毛に覆われた巨体をタオルで拭く。

 サトリの隣にかしづく邦子が、ヒロとカイリを手招きする。

 あぐらをかくサトリと向き合い、ヒロが言う。

「お話する機会をあたえてくださり、感謝いたします」

「礼ニハオヨバヌ」サトリが答える。「探索者ノらいせんすガホシイソウダナ」

「はい」

「探索者ハ全世界デ六十人シカイナイ。ソノ価値ヲ知ッタ上デノ要望ダロウナ」

「妹を取り戻したら返上します」

「反物質剣ヲツカエルノカ」

「えっと」

 サトリは目と口と耳が縫われた顔を、カイリへむける。カイリは恐縮し、もぞもぞ身をよじる。

 サトリがカイリに尋ねる。

「オ前ハナゼコノ少年ニ肩入レスル。ムザムザ死ナセルコトモアルマイ」

「妹さんをおもう心に共感いたしました」

 サトリが沈黙する。心を読んでいる。

「ホウ。コノ少年ニ治術ヲホドコシタカ」

 カイリは赤面し、平伏する。

 サトリの念話がつづく。

「モット固イ女トオモッテイタガ。唇ヲユルシテ情ニホダサレタカ」

「と、とんでもございません」

「マアヨイ。コノ話ハ保留ダ。ホカノ陳情ヲ聞イテカラ沙汰ヲクダス。下ガッテオレ」

 ヒロとカイリはうつむいて天幕を離れる。つぎの陳情者である老女とすれちがう。老女は手紙を包んでいた和紙をひろげる。中に金属の筒がはいっていた。口紅ほどの大きさだ。

 それを見たカイリが目を丸くする。天幕にむかって叫ぶ。

「反物質爆弾ですッ」

 ズドンッ!

 天幕で爆発がおきた。核融合の数千倍の威力をもつ対消滅を、ライデンフロスト効果によって範囲を半径数メートルに限定した攻撃だ。

 品のよい和装の老女は、暗殺者だった。

 広場にクレーターができる。サトリも老女も巫女たちも全員消滅した。

 カイリがへたりこむ。見ひらいた目は虚ろで、まばたきしていない。

 骸骨将軍に率いられた骸骨兵が、剣を抜いて陳情者の行列に斬りかかる。老若男女百名が虐殺される。ヒロはそれを為す術なく見つめる。

 逃げるべきか。しかし、探索者ライセンスを取得するチャンスは今しかない。

 クレーターのそばの空間に、モザイク状の靄が浮かびあがる。映像は次第に解像度が上がってゆき、ついに二足歩行の生物の姿をなす。黒い縫腋袍をきた巨猿がそこにいる。目と口と耳が縫われている。

 猿神の長、サトリだ。

 サトリは、時間を巻き戻す能力の持ち主だった。物理的身体が消失しても復活する。だれも彼を殺めることはできない。

 骸骨兵による殺戮には目もくれず、サトリは大股でストライカー装甲車へむかって歩く。

 ヒロは走って先回りし、土下座して叫ぶ。

「どうかライセンスを!」

「ワカルダロウ。イマ私ハ機嫌ガワルイ」

「妹を救いたいのです。なにとぞお願いします!」

「ソンナニ死ニタイノカ」

「攫われた妹を思うと、居ても立ってもいられないんです」

「ナラバ寝テオレ」

 サトリはひらいた右手を突き出す。ヒロは金縛り状態におちいり、崩れ落ちる。呼吸がとまる。

 まるで『スターウォーズ』のダースベイダーがあやつるフォースさながら。

 ヒロは力をふりしぼり、自分の頭を幾度も殴る。サトリが金縛りをつかうのは予測していた。ボス戦の前に万全の準備をととのえるのは、ゲーマーなら当然。ヒロは自己暗示をかけ、マインドコントロールから逃れる手立てを講じておいた。

 よろよろ立ち上がり、ヒロが叫ぶ。

「ライセンスを!」

 サトリはさらに左手も突き出す。

 息苦しさが増す。これは精神攻撃ではない。もっとフィジカルなものだ。喉に大きな物体が詰まり、気道を塞いでいる。それは段々迫り上がってくる。

 物体は口腔まで飛び出し、その一部がヒロの視野にはいる。

 ぬめぬめと赤く光る、肉の塊。

 規則ただしく脈打っている。

 自分の心臓だ。

 意識を失ったヒロが倒れる。

 サトリはストライカーへ乗りこみ、国立天文台から去る。

 骸骨兵に刎ねられた百人の生首が、広場に散らばっている。深緋色の装束を着た猿神たちが、その首にかぶりつく。頭蓋骨を齧り、脳漿を啜る。

 猿神にとってもっとも価値ある栄養は、ヒトの脳なのだった。




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