『群狼のプリンセス』 最終章「屋上」


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 ピッキングツールで錠前を破り、ジュンは科学技術館の屋上へでる。高層ビルが皇居をかこむ、浮世離れした風景がみえる。まるでコンクリートの海にうかぶ緑の島だ。

 機械的な暴風が屋上で荒れ狂う。ジュンは右手をかざして目を保護する。航空自衛隊のUH-60J、通称ブラックホークがホバリングする。ダークブルーの塗装がほどこされた救難ヘリコプターだ。

 側面のドアは開いており、銃架に備えつけられたミニミ軽機関銃を乗員が構える。父・大五郎の姿は見えない。

 数発、銃手が警告射撃をおこなう。

 ジュンはオープンフィンガーグローブをはめる。さらに特殊警棒を抜く。

 銃手は沈黙する。おそらく指示を待っている。ブレードの風切音が鼓膜を痛めつける。黒のスカートがめくれるのを、ジュンは左手でおさえる。

 情け容赦ない連射がはじまる。五・五六ミリ弾のスコールがふりそそぐ。

 ジュンは銃手をまっすぐ、ヘルメットのバイザー越しに睨む。胃がキリキリする。相手の方に当てる意図がなくても、流れ弾が飛んでくるかもしれない。確率にすれば十パーセントくらいか。

 だったらここは勝負どころだ。

 ミニミの連射が止む。ゆっくりブラックホークが着地する。グレーのスーツを着た男が降りる。父・大五郎だ。ネクタイはしていない。会うのは二日ぶりだ。舞い上がったブラックホークが、武道館のある北西方向へ飛び去る。

 自衛隊はこう言っている。

 親子ゲンカの始末は、自分たちでつけろ。

 大五郎はふたつ大きな荷物を携えている。ひとつは日本刀の鬼切。マンションから持ち出すのを手伝ったと管理人が言っていた。もうひとつは新車の黒いBMX。フルクロモリフレームのドイツ製で、十六万円するモデルだ。

 いたづらっぽい笑みをうかべ、大五郎が言う。

「一日遅れで申し訳ない。誕生日プレゼントだ」

 ふたりの距離は十メートル。スタンドがないので、大五郎はBMXを寝かせる。朱塗りに拵えた鬼切を右手にもつ。

 さすがはパパ。あいかわらずの地獄耳だ。

 ジュンは笑顔でこたえる。

 前のが池袋で被弾して廃車になったのはともかく、なぜジュンが一番ほしいモデルを把握してるのか。アイフォンの通信記録を分析したとしても、具体的な機種名まで特定できない。日常会話でのなにげない発言を記憶し、総合的に判断したのだろう。

 ジュンの最大の理解者は大五郎だ。これだけは否定できない。飛びついて感謝を捧げたい衝動を、ジュンはこらえる。

 ジュンが尋ねる。「なぜあたしをだましたの」

「作戦上の理由だ。機密保持のため、部下には必知事項しか教えない」

「あたしは家族だ。ただひとりの。パパのためなら、どんな汚い仕事だってやれた」

「お前はまだ子供だよ」

「バカでしょ。ハラキリして、腸をさらけ出して死にかけて。あたしを操縦するためだけに」

「そうだな。でも効果抜群だったろう」

「あたしの気持ちは?」

 大五郎は目を細める。しらじらしい顔つきだ。

 散々利用されたジュンだが、ようやく一連の騒動の全体図がみえてきた。

 警察は、対テロ作戦で驚異的な成果をあげるアカツキを恐れた。はじめは使い捨てするつもりが、次第にアカツキの協力なくして捜査が成立しなくなる。八百長で得点を稼いだのだから当然だが。警察がアカツキの下部機関である様な体裁をなした。

 無論、警察は反発する。

 目をつけたのは副社長である教授だ。筋書きは、公安の潜入捜査官の殺害とゆう罪をでっち上げ、一番隊になすりつけ、大五郎に責任を取らせるとゆうもの。教授と山咲の暗躍により、まんまと一番隊を罠にはめた。

 しかし大五郎は前近代的なマナー、切腹によって問題に対処した。本部に外科治療の設備があることも、娘に発見されることも計算した上で。教授はアカツキの乗っ取りに失敗した。新会社を急遽立ち上げ、四番隊と五番隊を動かして暁父子を亡き者にしようとしたが、返り討ちにあう。

 さらに大五郎は孤立無援のジュンを、泳がせたままにしておく。娘の才能を信じた。いづれ独力で黒幕を発見し、みづからの手で屠るだろうと。

 そしてジュンは、神殺しとなった。

 大五郎は、無制限の権力を手にいれた。

 神さえ翻弄する、悪魔の智謀だ。




 おちつけ。

 ジュンは乱れた呼吸をととのえる。

 嘆いてもしかたない。醜悪でない権力争いなど存在しない。たまたまそこに父親が参加しただけ。あたしの知ったことか。

 言うべきことは、ほかにある。

「パパ」ジュンが言う。「ママを殺した罪を認めて、自首して」

「だれに言われた。圭子さんか」

「あたしの考え。パパがママにしたことは許せないけど、償えるとおもう。ママはちょっと人間的に問題があった。パパがずっと我慢してたのをあたしは知ってる。勿論、暴力はダメだけど」

「お前が口を出すべき事柄ではない」

「なにがあろうと、あたしはパパを支える。絶対見捨てない。いろんなことがあったし、これからもあるだろうけど、一緒に乗り越えよう」

「俺と対等に議論できるほど偉くなったのか」

「ねえ、ひとり娘を信じられないの」

 大五郎は朱塗りの鞘を捨てる。抜身の刀を構える。首を回し、ボキボキ鳴らす。ジュンとおなじ癖だ。

 ジュンは、こわばった大五郎の顔から目を逸らす。なにかに取り憑かれている。神は死んでも、その呪いは消えないのか。

 激突は不可避だ。

 ひらいた左手をジュンは突き出す。右肘を後ろにむけ、特殊警棒を肩に乗せる様に構える。師匠の合気と、ミカのエスクリマをミックスした。

 大五郎はオーソドックスな中段。剣道の有段者と聞いている。

 革靴でコンクリートを蹴り、大五郎が直進する。猿の様な叫びを発する。気迫に飲まれつつも、ジュンは突きを躱す。

 左手の甲で頬をぬぐう。出血していた。

 ジュンはぷっと吹き出す。

 ありえねえ。

 初手から面突きって。こちとら実の娘なんだが。すこしは肉親の情ってもんがあるだろうに。よくもまあ、ここまで非情になりきれるよ。

 大五郎はジュンの足許を一瞥する。ピンクのニューバランスの踵が接地している。怖じ気づく証拠だ。

 腰を押し出し、大五郎が勢いよく踏みこむ。距離を詰める。

 ジュンは身構える。また突きがくる。

 しかし大五郎は、大胆に鬼切を天にかざし、渾身の力をこめて振り下ろす。斬撃をうけた特殊警棒がたわむ。カーボンスチールが切ない悲鳴をあげる。大五郎は執拗に打ちつづける。

 ジュンの自慢のフットワークは封じられた。心が澱み、体が重い。両足は釘で打ちつけられた。

 師匠は言った。闘いは技術だと。

 嘘っぱちじゃねえか。

 苛酷な実戦をくぐりぬけたジュンは、おのれの格闘技術への信頼を深めていた。一対一なら無敵ではないかとさえ思っていた。

 うぬぼれだった。

 技術など無力だ。冷徹な狂気の前では。

 防禦一辺倒のジュンはタイミングをうかがう。土下座して謝るタイミングを。泣いて詫びれば、さすがに我が子の命までは奪わないだろう。

 大五郎は暇をあたえない。鍔迫り合いとなり、たがいの息がかかるほど顔を寄せる。

 大五郎の目が爛々と光る。心情は理解しがたい。ロバート・デ・ニーロが『ケープ・フィアー』で演じたサイコパスを、ふとジュンは連想する。

 夕食後にリビングでハリウッド映画を鑑賞するのが、暁家の週末の楽しみだった。大五郎のお気にいりの役者がデ・ニーロだった。作品によって善人にも悪人にも狂人にもなりきれるのがすごいと、いつも絶讃していた。

 ひょっとしてパパは、サイコパスを演じてるんじゃないか?

 二十五キロの体重差で圧迫されながら、ジュンは思案をめぐらす。大五郎は、おのれの演技に陶酔してる様に感じられる。切り傷をあちこちにつくりつつ、ジュンは映画評論家みたく観察する。

 ジュンと大五郎は息を潜める。鍔迫り合いでは、たがいの呼吸が手に取る様にわかる。相手が息を吸った瞬間が、決定的な打撃をくりだすチャンスだ。悟られたくないから呼吸をとめる。ジュンはあえて先手を取り、半歩引いて胴を打ちにゆく。

 相手の引き技を待っていた大五郎が、鬼切を押し下げる。特殊警棒がコンクリートで跳ねる。ジュンは丸腰になった。

 ジュンは時計回りにスピンする。右腕をのばす。手の甲が大五郎の顎に命中する。遠心力がくわわった衝撃は、ハイキックのそれに劣らない。脳震盪をおこした大五郎が崩れ、猫みたいに床で丸まる。

 あっけない幕切れだ。

 無意識の一撃だった。バックブローは隙が大きすぎるため、練習ですら試したことはない。

 日野が開発し、大五郎が育てたアームズとゆう格闘技を、ジュンが完成させた瞬間だった。




 ジュンは鬼切を拾う。国宝級の名刀が無慙に刃こぼれしている。いよいよ凄艶にうつくしい。

 警察車輌のサイレンが地上から聞こえる。

 例によって見計らった様に、ことが済んだころにあらわれた。

 ジュンはアイフォンでヲタに発信する。

 横たわる大五郎を視野におさめる。でも武装解除しなかったのは、娘としての甘えだったろう。

 ベルトに装着してある小型ナイフを、大五郎は握る。ダイビング用のナイフだ。刃物が好きな父娘なのだ。中腰の姿勢で、ジュンの肋骨の下を狙う。

 ジュンは狼狽し、左手のアイフォンを取り落とす。それと同時に、右手にもつ鬼切を振り上げる。居合の修業の成果だった。そもそもジュンに居合の稽古をつけたのは大五郎だ。実質的には自殺だったのかもしれない。

 大五郎は直立している。左手で首をおさえる。大量出血なんて無様な姿を、娘に見せたくない。右手はダイビングナイフを握ったままだ。

 刃は肉を裂き、骨を噛み、神経叢を断った。ジュンは手ごたえでそれを知っている。

 大五郎が斃れない理由はわからない。生理学的に説明できる現象ではなさそうだ。結局、人間を人間たらしめるのは、魂の様なものではないか。

 大五郎がほほ笑む。やさしい面持ちだ。たとえるならジョージ・クルーニーみたいな。これも大五郎の好きな俳優だった。

 ジュンは目をつむる。

 パパ。

 もう楽になって。

 どさりと音がした。




 ジュンは科学技術館の外へでる。新品のBMXを押している。鬼切と特殊警棒は屋上に放置した。二度ともつことはないだろう。

 クラウンパトカーの群れのなかに、めづらしい車輌をみつける。総理大臣専用車として知られる、黒塗りのトヨタ・センチュリーだ。痩せぎすで顔色の悪い松平賢保首相が脇に立っている。

 両腕をひろげ、松平が言う。

「現場に出るなと君に言われたが、やってきたよ。居ても立ってもいられなくてね」

 ジュンは松平に一瞥をくれるが、黙殺する。そのまま通りすぎる。政治家などとゆう賤業と接触したい気分ではない。

 背後から松平が叫ぶ。

「暁さん!」

 ジュンは振り向く。

 目の下に隈をつくった松平が続ける。

「行き違いがあって、警察が迷惑をかけた。すべて私の責任だ。謝ろう。でも大事な話があるんだ」

「こっちにはありません」

「勿論、日を改めてでも構わない。ただ君はどこか遠くへ行ってしまいそうで……」

「アカツキのことでしょう。パパがいなくなったから、会社がほしいんでしょう」

 ジュンはセンチュリーの後部座席をみる。教授が座っている。午前中に失禁したので着替えてある。なにかと変わり身のはやい男だ。

「ちがう」松平が言う。「私がほしいのは君だ」

「どうでもいい」

「今回の騒動で、何千もの人命が失われた。私は犠牲者が増えてゆくのを、手をこまねいて眺めるしかなかった。狂気と戦うための武器がなかった」

「あたしは首謀者の娘ですよ」

「対テロ作戦のタスクフォースをつくる計画がある。私は君にリーダーになってもらいたい。君以上の適任者はかんがえられない」

「くだらない。ほっといてください」

 ジュンはBMXを杖代わりにし、松平から遠ざかる。ふたたび声はかからない。

 松平の提案は悪い話ではない。父の夢の完璧な実現であるのを抜きにしても、『攻殻機動隊』の公安9課みたいで魅力的だ。実はジュンは草薙素子のファンだった。ヒミコのトリックを見抜けたのは、ヲタから借りた『イノセンス』のブルーレイをみたのがヒントになった。

 けれどもジュンは、とっくに引退を決意していた。

 一番隊の八名が目に映る。みな遠慮がちな上目遣いだ。最愛の父を手にかけたジュンを心配している。

 実際ジュンは、それほど悲しんでいない。五反田で伯母の圭子から話を聞いたとき、父と自分のどちらかが死ぬ運命と悟っていた。すでに涙は流せるだけ流した。

 これは、ありきたりのエンディングなのだ。

 ジュンがヲタに尋ねる。

「チャンコは?」

 ヲタが答える。「救急車で病院にはこばれた」

「そっか」

「なにか俺にできることは?」

「いろいろめんどくさいことがあると思うけど、一番隊をまかせる。あたしはしばらく休む」

「どれくらい」

「多分ずっと」

「わかった。いままでお疲れさん」

「おたがいにね」

「まあな」

 ジュンとヲタは拳をぶつけ合う。指揮官と参謀、ふたりだけが共有する感情があった。

 ヲタの反対側から、泣き腫らしたミカがジュンの袖をつかむ。兄のダンと腕を組んでいる。

 一番めんどくさいやつが、ここにいた。

 かすれ声でミカが叫ぶ。

「逃げるのか、暁ジュン! まだミカとの決着がついてないのに」

 ジュンが答える。「なんだよ決着って。別に競ってないだろ」

「引退するなら、ミカがシャチョーになる。お前なんかよりずっとシャチョーにふさわしい。アカツキは世界的企業になる」

「ありがとな。短い間だったけど、ミカのこと好きだったよ。可愛くて、おもしろくて。妹みたいに思ってた」

「うるさい! お前なんか、お前なんか……」

 ミカはジュンにしがみつく。鼻水まみれの顔を擦りつけて号泣する。赤ん坊みたいに感情を露わにする。ジュンはミカの明るい色の髪を撫でる。こんなに純粋で傷つきやすいのでは、将来が案じられる。

 幹部がごっそり抜けたアカツキセキュリティは、存続できそうにない。ダンとミカのトーレス兄妹は、フィリピンへ帰国するだろう。ミカとヲタは別れることになる。

 五月晴れの澄みきった空を見上げる。もう無邪気だったころにはもどれない。

 でも、人生はつづく。

 エンジンのかかったセンチュリーにむかい、ジュンが叫ぶ。

「教授!」

 あわてて車を降りた教授が駆け寄る。よほど電気ショックが気にいったのか、妙に従順になった。

 教授が尋ねる。「なにか用か」

「アカツキに復帰して社長になってほしい」

 一番隊の八名が色めき立つ。不快におもっている。教授は憎むべき裏切り者だ。

 ジュンは過去を水に流すつもりだった。金融工学をまなんだ教授の力を借りねば、会社の再建はむづかしい。約八十名の従業員に毎月給料を払うのは大変なことだ。社長の娘だからよく知っている。

「お嬢はどうする」

「あたしはどうしても看護の勉強をしたい。三年か四年、大学に通う。国家試験に合格したら、また会社にもどるつもり」

「それから?」

「わかんない。経営に参加するってのもアリかもね。いろいろ教えてくれたら嬉しいな」

「俺でよければ手伝おう」

 ジュンは、父からの誕生日プレゼントであるBMXにまたがる。世田谷の自宅までひとっ走りしたい気分だった。

 あしたから受験勉強だ。

 イケメンの家庭教師を雇おうかな。




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苑田 謙

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