文尾文『私は君を泣かせたい』2巻
私は君を泣かせたい
作者:文尾文
掲載誌:『ヤングアニマル』(白泉社)2016年-
単行本:ヤングアニマルコミックス
映画鑑賞を媒介にした百合漫画の、続刊である。
「羊」と「ハナ」はあいかわらずスクリーンに没入。
関係は進展しない。
部室でセクシャルな映画を見ていたら、通りかかった同級生が喘ぎ声を耳にし、
羊とハナが交渉をもってると勘違いするエピソードなども、あるにはあるが。
こうした婉曲語法が、百合漫画の醍醐味。
体育の授業で着替えをする。
龍をあしらったスカジャンがトレードマークである、ハナの下着はヘビ柄だった。
ドン引きする羊。
一緒にお出かけする服をえらぶためのファッションショー。
百合漫画のお約束である。
ただ文尾文の表現は、どことなく定型を外れている。
文尾のいまの絵柄は、髪の描写に特徴がある。
アクセントになるかならないか程度に、ほそい線を何本か描きくわえる。
いわゆるアホ毛の様でもあり、独自の描き癖の様でもある。
少女たちと現実世界のあいだの薄い皮膜として、
命を吹きこまれた髪が、まわりくどいけれど断固たる意思表示をしている。
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坂野杏梨『さよならピーターパン』
さよならピーターパン
作者:坂野杏梨
原案:サンライズ
掲載誌:『ヤングマガジンサード』(講談社)2017年-
単行本:ヤンマガKC
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アニメ制作会社サンライズとのコラボによる、ロボットSF漫画だ。
ウェブ小説として『矢立文庫』で同名の作品が配信されている。
ジャンルはジュブナイルでディストピア系。
本作の世界観をわかりやすく解説するのは、ちょっと大変かも。
いろいろ端折って言うと、すべての子供はネズミくらいの大きさに縮められている。
現実世界と見分けがつかない「檻」のなかで集中的に管理し、
そのなかの優秀なものだけ、18歳になったら大人とおなじサイズへもどす。
不要な連中は廃棄処分する。
動物実験のマウスみたいな存在にすぎないから。
狂ったシステムに反旗を翻すものもいる。
そのための武器が「ピーターパン」。
少年少女にとっては巨大ロボット、大人にとっては等身大のロボットだ。
親友を殺された「シズ」は、ピーターパンのパイロットとして戦う。
真実を知った以上、もう良い子ではいられない。
巨大ロボット文化についての、興味ぶかい解釈とおもった。
なぜガンダムやエヴァンゲリオンが少年や元少年に愛されるのか?
……それに乗れば、彼らは大人と肩を並べられるから。
シズは幼なじみの「マチ」とともに、あまりに巨大な現実世界で逃げ惑う。
定規の橋や、スケッチブックの梯子。
ピーター・パンとゆうより、ガリバー旅行記的なたのしさ。
すべての大人が敵とゆうわけではない。
シズは、盲目の画家との出会いに心をうごかされる。
ハードな設定をふわっとした絵柄でえがく本作は、独自の魅力がある。
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各務浩章『くにはちぶ』
くにはちぶ
作者:各務浩章
掲載誌:『少年マガジンエッジ』(講談社)2017年-
単行本:マガジンエッジコミックス
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タイトルの「くにはちぶ」とは、いわゆる「村八分」の拡大版。
全国民が総掛かりで、法にもとづき、ひとりの中学生を無視する。
イジメの根絶を目的として。
無作為にターゲットにえらばれたのは、中学2年の「道端たんぽぽ」。
なにも知らない今は、めぐまれた家庭でしあわせに暮らす。
ある日、中学校に国の役人がやってきた。
たんぽぽが無視の対象にきまったと、冷酷に告げる。
したがわない者は現行犯逮捕するとも。
いきなり親友を無視するなんて、不自然なまねはできない。
やさしい「しろつめ」は、人生を棒にふる覚悟でたんぽぽに接触する。
そして、その場で逮捕される。
家では、料理上手のママが約束どおりカルボナーラをつくっていた。
ただし、たんぽぽの分はない。
監視カメラがしかけられており、家族でさえ法の適用外ではない。
食べるものがないのでコンビニへゆく。
レジで店員が相手をしない。
よくみると壁に自分のポスターが貼ってあった。
コントラストを強くきかせた表現が、苛酷なストーリーをきわだたす。
おもったのは、たんぽぽの立場って、本人が考えるほど悲惨なのかなってこと。
なにしても無視されるなら、やりたい放題できそうだが。
変装するとかインターネットをつかうとか、抜け道もいろいろあるはず。
とは言え、したり顔で語るテレビのコメンテーターなど、
本作の世界観は、われわれの日常の延長線上にあるのが怖い。
日本人がいちばん苦手な、ジョージ・オーウェル的社会風刺に、ある程度成功している。
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大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた』
たくま朋正/水野良『ロードス島戦記 灰色の魔女』(角川コミックス・エース)
日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命
著者:大塚英志
発行:星海社 2017年
レーベル:星海社新書
『「おたく」の精神史』『二階の住人とその時代』につづく、
日本のサブカルチャーの歴史をたどる三部作の完結巻。
タイトルが軍事ものみたいでミスリーディングだし、
僕はあまり評論系の本を読まないクチだが、本書は力作とおもった。
リアルタイムで知ってる出来事に、納得できる解釈がなされている。
80年代後半、新聞社がおこなう高校生対象の読書調査で、
水野良の小説『ロードス島戦記』が、夏目漱石と一位二位をわけあった。
衝撃的な事件だった。
日本人の教養が、古典からラノベに交代した。
ロードスは小説だが、もとは1986年から『コンプティーク』誌掲載の、
テーブルトークRPG『ダンジョンズ&ドラゴンズ』のリプレイから派生した。
このあたり補足説明が必要かもしれないが、
正直めんどくさいし、言ってもその「新しさ」はつたわらないだろう。
とにかく当時、角川歴彦はTRPGにいれこんでいた。
D&Dの発売元であるTSR社をたづねるためアメリカへ飛んだり、
『ドラゴンランス戦記』翻訳のため、グループSNEの安田均と接触したりした。
将棋の奨励会初等科に属していた歴彦は、ゲームへの親和性があったらしい。
そして経営者としては、TRPGの「システム」に刮目した。
プレイヤーがテーブルをかこんで会話し、ダイスをころがすなかで、
物語が勝手に生成されてゆくメカニズムに。
歴彦が後継者に、ドワンゴの川上量生を抜擢したのも、
ニコニコ動画のシステムがTRPGに似ているから。
ひとりの天才が、斬新なキャラクターや世界観をフルスクラッチで創造し、
受け手はそのメッセージをありがたく学び取る……。
そんな風習はスマートじゃない。
ワイワイガヤガヤ、アットランダムに、いまこの瞬間をたのしめ。
1992年に歴彦は兄・春樹と対立し、角川書店から追放される。
歴彦にちかい立場にいた著者は、彼が副社長室から、
ドラゴンのフィギュアをいくつか大切そうに持ち出すのを目撃した。
TRPG文化への歴彦の思い入れがつたわるエピソードだ。
ドラゴンはあの時の歴彦にとって、
TRPG的ファンタジーの象徴のようなものでした。
角川のロゴは鳳凰ですが、あの時の歴彦にとっては
ドラゴンがその位置に心情的にはあったとさえ言えます。
p183
その後ドラゴンは猛威をふるい、ラノベやボーカロイドなどの亜種をうみだし、
古典的な物語のコミュニティを焼け野原にした。
悪龍を退治するヒーローの誕生がまちのぞまれる。
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篠原ウミハル『鬼踊れ!!』
鬼踊れ!!
作者:篠原ウミハル
掲載誌:『週刊漫画TIMES』(芳文社)
単行本:芳文社コミックス
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新任教師の「県(あがた)」はある朝、校庭に鬼がいるのを見つける。
ただし下半身は制服なので、中身は人間かもしれない。
中の人は、高校1年の「小田島紬」。
小柄な体で、岩手の郷土藝能である「鬼剣舞」の練習にはげんでいる。
北上市あたりでは必修らしいが、東京の女の子が習うのはめづらしい。
県は「民俗藝能部」の顧問になることに。
現在、部員はひとりだけ。
紬は岩手出身で、伝統文化を継承するのに執念を燃やすが、
その情熱は内側へむかい、他者に心をひらかない。
紬の幼なじみで、クラスメイトでもある「未桜」。
見た目が派手で大人っぽく、たまに県をドギマギさせる。
座敷童子みたいな紬と好対照。
未桜も岩手にルーツがあり、部へ参加する。
歴史教師である県は、鬼剣舞に興味をもち、理解をふかめてゆく。
少年剣士のごとく頑なだった紬も、やさしい笑顔をみせはじめる。
東京で暮らす女子高生が、郷土藝能に熱中するにいたった動機は、
1巻時点で説明がやや不十分に感じた。
よくわからないけど変わったコだな、と読者はおもうだろう。
それでも、セーラー服ショートカットのヒロインの凛としたたたずまいは、
背景にひろがるヒストリーへの関心をかきたてる。
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江島絵理『柚子森さん』4巻
柚子森さん
作者:江島絵理
掲載サイト:『やわらかスピリッツ』(小学館)2016年-
単行本:ビッグスピリッツコミックス
マクドナルドかどこかでの他愛ないガールズトーク、
はてしないダベリを描かせたら、江島絵理が最高の作家のひとりだ。
本巻冒頭では、小学生4年生がファッションや恋愛をかたる。
柚子森がおとなしい性格で同年代の友達がいないため、
この新境地によって世界観が拡張し深化した。
モデルの仕事をしている「りりは」が、敵役として動きだす。
柚子森とちがい社交的だが、性格が悪く、言動に裏表がある。
すでに美少女だらけの漫画に、さらにランクが上の美少女を登場させても、
説得力をうしなわないキャラクター造形力はさすがだ。
りりはの目的は「離間工作」。
柚子森が年上の女とよろしくやってるのが気に入らないので、仲を裂こうとする。
得意の作り笑顔で、ロリコンのみみかに取り入る。
りりはは友人をつれて、みみかの自宅を訪問。
いつも入り浸ってる柚子森をまじえ、JS3人でゲームしてあそぶ。
みみかは痛感する。
JSにはJSの世界があり、JKが踏むこむのは不自然だと。
みみかは本人のためをおもい、柚子森と距離をおく。
まだセミの鳴き声がきこえる2学期はじめの放課後、
喪失感におそわれながら、制服を脱ぎかけのまままどろむ。
1対1の差し合い、絵になる世界観、KOシーンのはかなさ。
本作は『少女決戦オルギア』以上にドラマチックになってきた。
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板倉梓『間くんは選べない』完結
間くんは選べない
作者:板倉梓
掲載誌:『月刊アクション』(双葉社)2016年-
単行本:アクションコミックス
サイテーの二股愛をえがくラブコメが完結。
最終巻では友人の広田が、間を脅迫する。
恋人ふたりにバラされたくなければ3000万円よこせと。
銀行預金は270万円しかなく、要求額にまるで足りない。
間はナイフを購入し、受け渡し場所に指定された屋上へもってゆく。
これを見せつけて威嚇し、改心させるつもりで。
仲のよかった友人同士が、死ぬか生きるかの瀬戸際まで追い詰められる。
オチもふくめて非凡なエピソードだった。
間の行動がおかしいのは、恋人たちも認識する様に。
面とむかって、浮気してないかとあんりに問いただされるが、
間もある意味覚悟を決めており、舌先三寸でごまかしてしまう。
作者はおそらく鏡香に肩入れしている。
吊り目でショートカットでクールな物腰、板倉梓のオルターエゴだろう。
最後のラブシーンも熱がこもる。
結末に関して言うと、大きなどんでん返しはない。
二股を肯定したまま、丸く収められたらすごいと期待して読んだが、
もともと女子にやさしい作風だし、社会通念から逸脱する内容ではなかった。
それならなぜ、こんな題材をえらんだのだろう?
性や暴力を大胆にえがきつつも、可憐でシンプルで洗練された表現。
個々のエピソードの魅力。
目を見張るほどの技量であり、僕は大好きなのだが、でもあいかわらず、
作品ならではのテーマ、言いたいことが稀薄なきらいがある。
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『オリエント急行殺人事件』
オリエント急行殺人事件
出演:ケネス・ブラナー ジョニー・デップ ミシェル・ファイファー ジュディ・デンチ
監督:ケネス・ブラナー
脚本:マイケル・グリーン
撮影:ハリス・ザンバーラウコス
製作国:アメリカ
公開:2017年
[予告篇はこちら]
名高い推理小説の映画化だ。
長距離夜行列車が雪崩のせいで立ち往生したその夜、殺人事件がおこる。
犯人は、乗員乗客のうちにしかありえない。
監督のケネス・ブラナーが、探偵エルキュール・ポワロに扮する。
ベルギー訛りの特訓をうけたとかで、堂々たる芝居だ。
撮影はハリス・ザンバーラウコス。
『スルース』以降のブラナー監督作4つに参加している。
65mmフィルムで撮った映像は艶があり、「密室劇」を盛り上げる。
僕は1974年の映画の方は未見だ。
予告篇を見るかぎり、似通った印象をうける。
舞台が限定的なので、大きくいじり様がないのでは。
ブラナー監督作は『マイティ・ソー』と『エージェント:ライアン』を見ている。
正直、よくわからない人物だ。
シェイクスピア俳優としての輝かしいキャリアがある一方で、
最近では映画監督としてハリウッドで商業的成功をおさめている。
この記事を書く前に、若書きの自伝『私のはじまり』(白水社)を読んでみたが、
イギリス劇壇に無知すぎて理解がおよばなかった。
たぶん27歳で劇団をたちあげて苦労したので、監督業に適応できるのだろう。
ジュディ・デンチは、劇団の旗揚げ時に演出家として関わった戦友だ。
(ブラナーは『マイティ・ソー』でもアンソニー・ホプキンスを引っぱりこんでいる)
本作の大テーマとして、「人間の本性は善か悪か」とゆうものがある。
尻の青い若者ではなかなか表現しきれない領域であり、
ブラナー監督はアンサンブルを指揮して、その高みへ到達している。
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ひみつ『たば子ちゃん』・『ぺたがーる』3巻
可憐な絵柄と、ひねりのきいたユーモアが特徴の、
ひみつ作品が同時期に2冊出たので、まとめて紹介。
まづはタバコ擬人化コメディの『たば子ちゃん』。
タバコに火をつけてフーッと煙を吐くと、妖精みたいな幼女があらわれる。
仕事の合間に喫煙所で、ああだこうだと自問自答。
そんなストレス解消の時間を、美少女との会話としてアレゴリカルに表現する。
僕はタバコが嫌いだが、そう悪くないかもと思わせる。
ひみつ作品には、ふんわりとした不思議な包容力がある。
巨乳にあこがれる貧乳女子「ひいちゃん」がいじらしい、
おっぱい系4コマの『ぺたがーる』は3巻が刊行。
ひいちゃんは相変わらず、涙ぐましい努力をしている。
銭湯回の32話では、お約束の背中の洗いっこ。
ひいちゃんのママが娘の背中をゴシゴシするが、そこは胸だった。
おっぱいをネタにからかうことはあるけれど、みんな仲良し。
僕は貧乳派なので公平に評価できないが、
巨乳派が本作を読んでも、ひいちゃんを可愛いとおもうだろう。
奇抜なアイデアで対立を調停する、やさしい世界観が心地よい。
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鈴木マナツ『朝比奈くんのひみつ』
朝比奈くんのひみつ
作者:鈴木マナツ
掲載誌:『月刊コミックガーデン』2018年1月号(マッグガーデン)
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主人公は「如月美織」、女子高生である。
自宅が下着屋さんなので、よく店の手伝いをする。
商品知識が豊富で、接客も上手だ。
むしろ熱心すぎるくらい。
本作は『コミックガーデン』に掲載された、読み切り作品。
『ウルトラジャンプ』に連載中の『コネクト』では、作者最大の武器である、
繊細で艶のある女体の表現が不足ぎみなので、期待せずにいられない。
店にパーカーを着た男子がひとりでやってくる。
鈴木マナツ作品はやたらパーカーの出番が多いので、ファンはニヤリ。
フードをおろしたら、同級生の「朝比奈くん」だとわかった。
彼女へのプレゼントだろうか。
ところが朝比奈くんは、自分の下着を購入するため来店した。
いわゆるブラ男子である。
美織の家が下着屋さんなのを秘密にするかわりに、
自分にぴったりのブラをえらぶよう要求する。
朝比奈くんがブラ男子になるにいたった事情もあかされる。
ちょっと切ない、しっとりした読後感はさすがだ。
女の子のカラダを見たいとゆう、こちらの当初の目的が達成されなかったのは残念。
それはともかく、鈴木マナツのキャリアは現在「日常」寄りの時期にあるらしいが、
『阿部くん』や『WIXOSS』みたいな全開の中二病趣味も読みたいところ。
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マシュー・ガスタイガー『NAS イルマティック』
(画像は映画『Nas/タイム・イズ・イルマティック』から)
NAS イルマティック
著者:マシュー・ガスタイガー
訳者:押野素子
監修者:高橋芳朗
発行:スモール出版 2017年
1994年にリリースされたNasのアルバム『Illmatic』を、仔細に解説する本だ。
結論から言うと、さほどおもしろくない。
論じる対象があまりに傑作すぎ、麓から高峰を見上げて終わった様な読後感。
ドキュメンタリー映画『Nas/タイム・イズ・イルマティック』の方が、
映像の力がある分だけ胸に迫るものがある。
でもそれは逆に言うと、23年が経過しても語り尽くせないアルバムってこと。
ドクター・ドレーの『クロニック』が1992年。
ヒップホップ史的には、西に押されっぱなしの東海岸勢が結集し、
弱冠20歳のNasを刺客として送りこんだ……と言われる。
しかし実際はNasが、アルバム制作を完全にコントロールしていたらしい。
すでに大御所だったピート・ロック以外全員のプロデューサーを、
クイーンズブリッジへ呼びつけて綿密に打ち合わせをした。
また、ヒップホップアルバムは曲数を水増ししたがるのに、「10曲」にこだわった。
1曲めが短かくてイントロ風なので、「9曲入りのEP」扱いされすらした。
まだ自作を発表してない20歳の男が、大物プロデューサーたちを仕切れたのは、
ジャズミュージシャンである父のオル・ダラの影響が大きい様だ。
Nasは幼いころトランペットを吹いていたが、父によるとその腕前は「神童」だった。
音楽に関する審美眼に自信があったはず。
全部で3曲に参加したDJプレミアは、頑固なNasに手こずったが、
9曲めの「Represent」だけは反対をおしきり、自分好みのビートをいれた。
1924年の映画のテーマソングをサンプリングした、無機質で硬質なビートが、
ジャズ的な哀愁やふくよかさに親近感をもつNasに敬遠されたのだろう。
結果として「Represent」は、プレミアのキャリアでも秀逸なトラックとなった。
プレミアは、ほかのプロデューサーによるアルバム収録曲を聞き、
その出来栄えにおどろき、自身も一切妥協しないと決意した。
ネイティヴタン風のいかにも東海岸らしいサウンドを乗り越え、
『Illmatic』を普遍的で不朽の藝術作品の域へ到達させるのに貢献した。
2001年にジェイ・Zが、Nasを罵倒する曲「The Takeover」を発表する。
それ自体はヒップホップ業界では日常茶飯事であり、どうでもいいが、
問題はディスソングのなかですら、『Illmatic』を10年にひとつの傑作と認めてること。
あまりに高みへ登りすぎ、タブーのないMC同士でもアンタッチャブルな聖典となった。
2ndアルバム以降、Nasは「セルアウトした」と批判された。
『Illmatic』が大して売れなかったので、同情すべき面がある。
それより重要なのは、90年代に社会の荒廃が劇的に改善したこと。
ヒップホップの躍進期に、賢いMCは黒人男性に対するステレオタイプを利用し、
暴力的なイメージをふりまいて音楽市場を制覇した。
しかし一夜にして、窮極のリアリティは、時代錯誤のファンタジーとなった。
事情は複雑にいりくんでいる。
まるでNasの多音節語のライミングみたいに。
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テーマ : HIPHOP,R&B,REGGAE
ジャンル : 音楽
佐々木ミノル『中卒労働者から始める高校生活』9巻
中卒労働者から始める高校生活
作者:佐々木ミノル
掲載誌:『コミックヘヴン』(日本文芸社)2012年-
単行本:ニチブンコミックス
9巻はまるごと、莉央の初アルバイトの話。
小遣いに不自由してないが、人生経験をつみたくてファミレスで働きだす。
要領悪いタイプなので、読者の予想どおり失敗ばかり。
それはそれとして、メイド風の制服が可愛い。
リアルな青春群像を指向している本作だが、
一方で萌え的なサムシングを忘れないのが美点だ。
職場には、かつての恋敵である、あかりがいた。
性格も正反対なふたりは、当然衝突する。
ただあかりは単純な憎まれ役でなく、発言は意外と深い。
仕事に慣れたころ、通信制高校の仲間が店をおとづれる。
真っ赤になって恥づかしがる莉央。
お約束の展開だ。
職場では、大学生の「岬」が莉央にちょっかいを出していた。
やさしくサポートしてもらい、内気な莉央も心をひらく。
しかし、彼氏であるまことの目からは、不必要に馴れ馴れしく見えるし、
こちらは客なのに挑発的な態度をとるので、ついにキレてしまう。
9巻は途中まで、ベタなエピソードで引き延ばしをはかるのかと作者を疑ったが、
最後にどんでん返しが決まり、自分の雑な読みを反省させられた。
ネタバレになるので、くわしく書かないけれども。
甘く苦い、青春のトワイライトを丁寧に塗り重ねる、本作の魅力はかわらない。
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