仲谷鳰『やがて君になる』4巻
やがて君になる
作者:仲谷鳰
掲載誌:『月刊コミック電撃大王』(KADOKAWA)2015年-
単行本:電撃コミックスNEXT
20-22話は、生徒会劇のための合宿がえがかれる。
さっそく20話から入浴シーンで、読者の期待にこたえる。
侑・燈子・沙弥香が、三角関係を大浴場へもちこむ。
先輩ふたりは、たがいの視線を意識してもたつくが、
サバサバした性格の侑はすぱっと服をぬぐ。
中学時代ソフトボールにうちこんだ侑は、「合宿とか慣れてるから平気」と言うが、
内心では裸や下着姿をみられるのも、みるのも、恥づかしくてしかたない。
だからこそ、ためらいを表にださず先手をうった。
策士なのだ。
下着はあんがい地味。
どうも仲谷鳰はファッションに関心うすいらしい。
スカートの襞や髪のみだれに、命をかけるタイプじゃない。
侑の小ぶりな胸をみて、「思ったよりある」と妙な感動にひたる燈子。
たわいないけれどたのしい、青春の1コマだ。
ストーリーは梅雨前線みたく停滞している。
本作にドラマチックな進展を期待しても、無益かもしれない。
季節のうつろいにともない、すこしづつ変容してゆく、
雑誌の表紙の様にうつくしい肖像の数々を、僕たちは鑑賞する。
22話はひさしぶりのイチャイチャ。
燈子は侑の唇をもとめつつ、自分のことを好きになるなと言う。
わたしの好きなひとが、もしわたしの嫌いなもの、
つまりわたし自身を好きだったら、好きでいられなくなるから。
聡い侑は、こんがらがった心理をつかみ、うけいれる。
だが不毛な関係に、そろそろけりをつけるべきとおもい、眉をかすかにひそめる。
167ページ。
本作において決定的に重要なモノローグが、子供じみたセリフで掻き消される。
たえがたいほどの空虚感が読者をおそう。
そしてこの面持ち。
僕は、類語辞典などをもちいて文章を書いているが、
ここの感情表現をどう言語化すればよいのか途方にくれる。
仲谷は表情をえがく天才だと、みとめざるをえない。
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『ナデシコ女学院諜報部!』 第6章「氷雨」
日曜の午前十一時。
ミキはLINEで呼び出され、千駄ヶ谷にある氷雨の自宅へやってきた。住居は剣道場の「千仞館」とつながっている。ちょうど稽古の最中で、するどい打突音と掛け声が住宅街にひろがる。
インターフォンを押そうと住居へちかづいたとき、道場の稽古が終わる。ゴスロリ服のミキは、竹刀袋を背負った子供の群れに飲みこまれる。
手拭いをかぶる氷雨が、道場生の見送りに出てきた。ミキがいるのに気づき、手をふる。
「いらっしゃい」氷雨が言う。「道場の後片づけするから、先に私の部屋行ってて」
二階にある氷雨の自室は整頓され、ムダなものがない。本棚にコンピュータ関連の洋書がならぶ。ミキと氷雨はテーブルにむかいあって座り、数学の問題にとりくむ。スパイゲームの決勝戦に出場するには、ミキは中間テストで最低でも三十点以上とらないといけない。
だがそれは、至難の業だった。
薄い冊子に印刷された複素数の式をみるだけで胃がキリキリ痛み、シャープペンシルを取り落とす。テーブルに突っ伏す。だれにも理解されないが、数式をうけつけない体質なのだ。
「ごめん」ミキがつぶやく。「もう限界」
氷雨が答える。「もうちょいがんばろ。このページ終わったら休憩にするから。おやつ持ってきてあげる」
「なんなの虚数って。数のくせに虚構とか、シュールすぎでしょ。これ考えたやつキチガイだね」
「一般にひろめたのはフリードリヒ・ガウスって人」
「そいつ街で見かけたら撃ち殺す」
「とっくに亡くなってるよ。あらゆる数をガウス平面上であらわすのを可能にした、偉大な業績なんだ」
「ガウスは氷雨ちゃんみたいな天才?」
「比べものにならないよ! ガウスは十歳で難問を解いて先生をやりこめたエピソードがあるくらい」
「でも数学オリンピック出場とか、ボクから見れば氷雨ちゃんも超天才だけどね」
「ありがと。ほら、あと二問がんばって」
ミキが上体をおこすと、窓のそばにある勉強机の上に、生理用品が置いてあるのが目に入る。試験管の様なものがパッケージに描かれている。
「へえ、氷雨ちゃんてタンポン派なんだね」
「えっ」
氷雨の小さな顔が真っ赤になる。不躾な発言だったかもしれない。
「ごめんごめん。ちょっと意外だったから。なんか怖くてボクは使ったことないな」
「あれ実はスパイ装備。ちいさな道具を中に入れて隠し持つための」
きょうはじめてミキの右目が輝く。
「スパイ装備、ほかにもある?」
「いまあるのは光学迷彩のコートくらいかな」
ミキは飛び上がって叫ぶ。
「嘘でしょ! 姿が消える、あの光学迷彩!?」
「まだ研究段階だから、そんなすごい技術じゃないよ。防衛省から借りてるんだ」
「おねがい、さわらせて」
「あと二問ね」
「やる。すぐやる」
ミキは気力をふりしぼり連立方程式を解く。氷雨が赤のボールペンで丸をつける。どうにか試験範囲の基本的内容をカバーできた。
薄い冊子をもってミキが言う。
「この問題集やりやすい。ボクでも解ける」
「よかった」
「どこで売ってるの」
「きのう私がつくったんだ」
「え、わざわざボクのために?」
「お節介かもしれないけど、私は数学好きだから役に立てるかなって」
ミキはくしゃみを催したふりをして、右目からこぼれた一筋の涙を人差指でぬぐう。
問題集を自作するのに、一時間や二時間では足りないだろう。ここまで優しくしてくれる氷雨に、いつか恩返ししたい。そしてだれかにそんな気持ちを抱くのは、生まれてはじめてと気づいた。
テスト勉強を終え、おやつも食べたミキと氷雨は、総武線に乗って千駄ヶ谷から新宿まで来た。シネマコンプレックスのバルト9で、スパイ映画『ジョニー・ブリティッシュ』のシリーズ最新作を見るのが目的。ガラス張りのエスカレーターで、チケットを買った九階から十三階へ上る。屋上にプールがある都立新宿高校の敷地が目に入る。
「ミキちゃんは」氷雨が尋ねる。「新宿が地元だよね。バルト9にもよく来る?」
「アニメは好きだけど、ドラマや映画はあんまし。劇場アニメも家で見る方が多いかな」
「私はアニメも実写も大好き。特にアクション系」
「恋愛系とかより?」
「うん。ヒーローが世界を救うストーリーって燃えるよね」
約四百席あるシアター9の真ん中あたりに、ふたりは並んで腰を下ろす。氷雨は小柄な体をシートに沈め、顔をほころばせる。
「えへへ」氷雨が笑う。「憧れのミキちゃんとふたりで映画館にいるなんて信じられない」
「憧れ? 劣等生のボクが?」
「だってミキちゃんって、アニメから飛び出してきたみたいなんだもん」
「外見だけでしょ」
「それもあるけど、自分の世界を持ってるとゆうか。ほかのコと全然ちがう」
「褒めすぎ。ただのコミュ障だよ」
「入学式で見たときから、仲良くなりたいってずっと思ってたの」
予告篇がはじまり、場内が薄暗くなる。ミキは感謝した。雪の様に肌が白いので、耳まで紅潮してるとバレバレだから。
「ボ、ボクの方こそ、氷雨ちゃん尊敬してる。めちゃくちゃ頭いいのに優しいし、友達多いし、道場の子供にも慕われてるし……」
「無理しなくていいよ。言わされてる感ある」
「す……すきなの!」
照明が落ちる。本篇がはじまった。
クスクス笑いながら氷雨が言う。
「なんか照れるね。映画終わったら、いっぱい話そ」
「そうだね」
ミキは華奢な右手で、氷雨の左手を握る。力強く握り返される。
スクリーンに冒頭のシーンが映っている。テロリストらしき武装集団が統制のとれた動きで、深夜のダムの通路をすすむ。つぎつぎと警備員を射殺し、爆薬をしかける。撤収してピックアップの荷台に乗ったテロリストが、起爆装置のスイッチをいれる。
ダムの壁が崩壊し、湖を満たす水がほとばしる。曲がりくねる谷川を削り、洪水が氾濫する。
ミキは六年前、似た光景をみた。
九歳だったミキは、岩手県大船渡市に住んでいた。マグニチュード九・〇の地震がおこした津波は、市街中心部を破壊した。そしてやさしい父と、頼りがいのある兄の命をうばった。亡骸さえも。
ミキは自分の喉に手を当てる。体に異変が生じている。
さっきから呼吸をしてない。
海底をもがく様にふらつきながら、ミキはシアターの外へ出る。ガラス壁から甲州街道を見下ろすエスカレーターにちかづく。手すりにつかまってへたりこむ。廊下にほとんど人はいない。だれもミキを気にしてない。
油断していた。
トラウマは克服したつもりだった。たしかに震災から一年くらいは悪夢に脅かされていたが、東京に移り住み、中学へ進んだころからは、あの記憶を乗り越えたはずだった。
忘れるのは絶対不可能としても。
氷雨が右隣にひざまづき、泣いている。ごめんなさい、ごめんなさいと連呼している。
さすがは学年首席、察しがいい。洪水のシーンでミキがフラッシュバックをおこしたと理解したらしい。映画に誘った自分の責任とおもっている。
そんな気遣いは無用だ。
いまボクに必要なのは友達じゃなく、酸素だ。
放っておいてくれ。そしてちょっとだけ呼吸をさせてくれ。
靴の木底を高らかに鳴らし、ミキは自宅のある富久町へむかい、新宿三丁目の要通りをすすむ。ニット帽をかぶる氷雨が数歩後にしたがう。
ミキが振り返って言う。
「氷雨ちゃんは帰る方向ちがうでしょ。ボクんちはすぐそこだから大丈夫」
「ひとりになりたい気分なのはわかるよ。でも今日はお家までちゃんと送る」
「本当に大丈夫だって。発作が出たのは油断しただけだし。最近ストレスたまってたみたい」
「たとえ嫌われても送るから」
「頑固だね」
ミキはまた歩きだす。
通りの先に伊勢丹の立体駐車場が見える。人出のすくない道を、若い男三人がこちらへ向かってくる。みなスーツでノーネクタイだ。
男たちはイチゴ柄の黒いミニスカートから伸びるミキの脚をみて、下品な言葉でからかう。ミキは無反応ですれちがう。この街でチンピラの相手をしてたら、時間がいくらあっても足りない。
ナンパの標的が氷雨に変わる。グレーのスーツの男が、氷雨のデニムジャケットの左の袖をつかむ。氷雨は下から男をにらむ。いつもは温厚な人柄だが、あいにく今は気が立っていた。
氷雨は骨を折る勢いで、グレースーツの手首を極める。グレースーツは悲鳴をあげ、両膝をつく。中国風の訛りがある様に聞こえる。
ストライプスーツが氷雨を羽交い締めする。氷雨はするどく手を振り、裏拳を顔に叩きこむ。だがストライプスーツはひるまない。
くっだらない、とミキはつぶやく。ゴミ拾いはゴミ収集業者に任せりゃいいのに。
ミキは歩みを止めない。焦って反撃するより、確実に主導権を奪いたい。路上駐車してあるトラックの陰にまわり、周囲を観察する。
けさ家を出たときから、公安警察官が二人交代で自分を尾行してるのに、ミキは気づいていた。その片割れである小太りの中年男は、アクシデントに動揺しながらも、氷雨とチンピラ三人をデジカメで撮影している。公安の主目的は情報収集であり、警護ではない。
ミキはツインテールを左右に振りつつ、リュックサックをひらく。
世話の焼ける剣道少女だ。道場とストリートはちがう。格闘技は単なる道具にすぎない。氷雨の体格では、たとえばナイフを携えていたとしても、ケンカ慣れした男三名に正攻法で挑めば負ける。バカとハサミは使い様だ。
ミキはリュックから、銀色のレインコートみたいな形状の服をとりだす。氷雨の部屋から無断で拝借した、光学迷彩を使用する戦闘服だ。我ながら手癖が悪いとおもうが、虫の知らせがあったと解釈できなくもない。
フードをかぶると自動的に電源がはいる。織りこまれた光ファイバーが、コートの表面に路上の風景をぼんやりと映す。画像は不鮮明だが、自分のシルエットを消せるなら奇襲効果は十分だ。
ミキは二時間前まで勉強につかったステンレス製のボールペンを、ペン先を下にして握る。ストライプスーツの背後に忍び寄り、後頭部に突き刺す。
ストライプスーツは、羽交い締めしていた氷雨を離し、七転八倒する。
ミキはペン先を上に持ち替える。ナイフの様に、のこり二人の目や喉を突く。
ぼやけた視界のなかから幾度も痛撃を浴び、チンピラ三人は遁走した。
ミキはフードを下ろして顔をみせる。尻餅をついた氷雨の手を引いて立たせる。
「ごめん」ミキが言う。「これ勝手に借りてた」
「ミ、ミキちゃん!」
「特にケガはなさそうだね」
「なんで光学迷彩を使ってるの。軍事機密だよ!」
「防衛省に怒られる?」
「大騒ぎになるよ」
「でもさ、乙女の純潔を守るのに使えないなら、軍事技術の存在意義なくない?」
ミキはふたたびフードをかぶる。
逃げる前にチンピラのうち二人が、グレースーツの顔色をうかがっていた。そいつがボスらしい。つまりチンピラなりに、命令系統に沿って動いている。欲望づくのナンパじゃなく、目的をもった作戦行動の一環である證拠だ。
ジェーンのやつ、ついに実力行使に出やがった。
ミキは縦に細長い八台の駐車場へ踏みこみ、黒のシビックの助手席側に立つ。H&K社の拳銃であるHK45を、光学迷彩コートの下から抜く。ボールペンをにぎる左手で、スモークフィルムの貼られた窓を一撃で割った。
セーラー服姿のジェーンが助手席で硬直し、光学迷彩が見せる幻影を呆然とみつめる。あとから駆けつけた氷雨が、サブマシンガンのMP7のストックで反対側のガラスを割る。運転席にはアルテミシアがいた。
フードを下ろしたミキの頭部だけが、解像度の低い空間に浮かぶ。
ひきつった冷笑をうかべ、ジェーンが言う。
「いまさらパッシブ型の光学迷彩? 日本の技術は十年遅れてるわね」
「口が減らないな」ミキが答える。「ちなみに日本には『盗人猛々しい』ってことわざがある」
「へえ、どうゆう意味?」
「泥棒のくせに開き直ること。お前にぴったりだ」
ジェーンは反論しない。
事実だから。
銃口をむけるミキを、大きな目を見開いてただ睨めつける。怒りに震えている。
「七星剣を返すと約束しろ」ミキが続ける。「さもなくば撃つ」
「好きにすれば」
「脅しじゃないぞ。公安が遠巻きにボクを監視してる。つまりボクの行動は日本政府公認だ」
「撃ちなさいよ! この腰抜け!」
ミキはそっと撃鉄をおこす。
グローブボックスにしまった銃を、被弾覚悟で取ろうとするジェーンをおさえ、アルテミシアが叫ぶ。
「返すわ! あなたたちの勝ちよ!」
「何を言うの」ジェーンが言う。「私がこんな猿に負けるわけない」
「あなたは傲慢すぎる」
「傲慢だからアメリカは覇者になれた。たとえ千発の銃弾をうけても、私はこいつを殺す。祖国のため死ぬなら本望よ」
ミキはシビックの天井ごしに、氷雨の表情をうかがう。氷雨は視線を逸らす。それでもまだ眼球が揺れている。
くそ、なにがなんなんだ。
事情を知らないまま、ボクは人殺しになりたくない。賭け金は途轍もなく高いらしいが、なにがどこに賭けられてるのか、ボクはさっぱりわからない。
どうやら諜報部のなかで、アクセス可能な情報のレベルに大きな隔たりがある。新入部員のミキはともかく、二年生で副部長の千鳥よりも、一年生の氷雨の方が秘密にふかく関与してるのは明らか。
ミキは銃の照準を下げる。これ以上自分が独走したら、どんな結果になるか予測できない。
体勢を立て直すべきだ。
ミキが言う。「勝負は月末に持ち越しだ」
「ふふっ」ジェーンが笑う。「いいわね。スパイゲーム決勝戦で白黒つけようってわけ」
「ボクらが勝てば七星剣を返してもらう。そっちの勝ちなら要求を飲む。これでどうだ」
「のぞむところよ」
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得能正太郎『NEW GAME!』6巻
NEW GAME!
作者:得能正太郎
掲載誌:『まんがタイムきららキャラット』(芳文社)2013年-
単行本:まんがタイムKRコミックス
かつて全篇カラーの漫画を描いてたくらいで、得能正太郎は色彩表現が得意。
本巻冒頭の、きらら単行本のお楽しみであるカラーページで、
新キャラの「紅葉」がゆたかな肢体を披露する。
紅葉はインターンとして、イーグルジャンプのキャラ班に入る。
評価を上げて採用されたくて、青葉をはげしくライバル視する。
画力はともかく、さほどストーリーテリングは評価されない得能だが、
内容が薄まるリスクをおかして登場させたキャラクターが、緊張を高めている。
しかしそんなことより、黒のタートルネックで強調されたボディラインが艶っぽく、
モノクロームでの表現力においても作者の成長が感じられる。
ねねっちはデバッグ業務をひとまず卒業し、
おぼえたてのプログラミングでミニゲームづくりに挑戦。
懸命に製作する姿は、夏休みの自由工作みたいでおかしくて、
ちょっとしたバグが発生しただけで4コマにオチがつく。
たぐいまれな個性だ。
プログラム班にもギスギスした関係が生じる。
能天気なねねっちでさえ、ネガティブな感情にとらわれるが、
つぶらな瞳で人付き合いにおけるバグを発見し、笑顔で修正する。
アニメ1期が放映された昨年、ねねっちはその天真爛漫な言動が、
まるで精神障碍者の様だと、下卑た視聴者たちにからかわれていた。
なにもわかってないやつらだ。
多分かわいすぎるから、誤解されるんだろう。
そんな空騒ぎは歯牙にもかけず、ねねっちはあらたな季節へ疾走する。
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文尾文『私は君を泣かせたい』
私は君を泣かせたい
作者:文尾文
掲載誌:『ヤングアニマル』(白泉社)2016年-
単行本:ヤングアニマルコミックス
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主人公の「相沢羊(よう)」は高校2年生。
学業や人間関係において優等生とみなされてるが、
実は猫をかぶっていて、たとえば放課後に遊びに誘われても、
家の用事があると嘘をつき、ひとりで映画館へ行ったりする。
ただし、断るのは2回まで。
疑われない様に3回めは誘いにのる。
観客は自分だけで貸し切りだとよろこんでたら、
おなじクラスの「虎島ハナ」が入ってきて動揺する。
セーラー服にスカジャンを羽織り、ロングスカートのヤンキーで、
映画なんてまるで興味なさそうに見えるのに。
羊はハナと会話したことがない。
そもそもハナはほとんど学校に来ない。
なので気づかなかったフリをして映画を鑑賞する。
駄作だったが、ハナはなぜか号泣。
そしてハナは、羊が部長をつとめる映画研究部に入る。
本作は、正反対なふたりの不器用な関係をえがく百合漫画だ。
ヤンキー系の女子が出てくる百合漫画としては、
サブロウタ『citrus』やくみちょう『愛羅武勇より愛してる』などがある。
それらとくらべても、龍のあしらわれたスカジャンなど、
本作のキャラ造形は秀逸。
人当たりのよい美少女だが、内面に壁をつくってる主人公とゆう点では、
仲谷鳰『やがて君になる』を髣髴させる。
タイトルも似てるし、影響をうけてないとおもえない。
本作ならではのギミックは「映画」だが、
具体的な作品名などは言及されず、最大限に活かされてはいない。
それでも、ふたりがケンカする12・13話のオチなど気が利いてるし、
全体的にセーラー服がキレイにえがかれ、充実した百合漫画だ。
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中山敦支『うらたろう』4巻
うらたろう
作者:中山敦支
掲載誌:『週刊ヤングジャンプ』(集英社)2016年-
単行本:ヤングジャンプコミックス
フィンセント・ファン・ゴッホ『星月夜』へのオマージュである。
『ねじまきカギュー』第16巻でパブロ・ピカソのキュビズム手法を借りるなど、
もともと中山敦支はモダニズム絵画への執着を隠してない。
石にまじって人骨がころがってたり、ちよの側に立つ樹木が枯れてたり、
古典への言及をストーリーや世界観と融合させたのは、作家としての成長だ。
僕の知るかぎり、中山がはじめて描いた男女のキスシーン。
カギュー16巻のそれは、施療の意図があったのでノーカウントとする。
その後の急転直下は、またしても『トラウマイスタ』4巻的。
「人間はどこまで非情になりうるか」とゆうテーマは、
『カギュー』の理事長父娘の関係性をなぞっている。
ただ前作とくらべると、主人公側の動機がやや弱いので、
「熱情vs.非情」の構図が不鮮明に感じられる。
黄泉比良坂の霊力の影響で、主人公は不死の能力をうしなう。
そしてヒロインを復活させることを誓い、第1幕がおわる。
『うらたろう』は作者のファンでさえ、よくわからない漫画だ。
「生死の不可逆性」とゆう、デビュー以来のテーマを捨てたと解釈できる。
おいおい、ナカヤマ先生どうしちゃったのって感じ。
スジャータは決してもどらないから、衿沙の心の傷は決して癒えないから、
主人公たちは重苦しい現実と格闘せざるをえなかったのでは。
そこをあっさり否定しちゃうわけ?
とはいえ、メビウスの輪みたいな死生観をあらわすイメージは、
カギューの「ねじまき」との共通因数を確認できるし、
とりあえず第2幕の進行を見守るしかないだろう。
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井上智徳『CANDY & CIGARETTES』
CANDY & CIGARETTES
作者:井上智徳
掲載誌:『ヤングマガジンサード』(講談社)2017年-
単行本:ヤンマガKC
[ためし読みはこちら]
ヒロインは11歳の「涼風美晴」。
職業は小学生、そしてデトニクスをあやつる殺し屋。
65歳の「平賀雷蔵」は、月給100万円の怪しい職に就いた初日、
「掃除」をしにむかったホテルの部屋で、幼女が相棒だと知る。
言うなれば本作は和製『レオン』。
ただしヒロインの方が、殺しの経験が豊富。
雷蔵は元警官で、かつて要人警護任務に従事していた。
孫が難病を患っているため、どうしても大金が必要。
3年前に両親が殺害され、美晴は精神を病む。
組織は彼女の復讐心を利用し、殺人機械に仕立てあげた。
本作は、アニメ化もされたディストピアSF『COPPELION』につづく作品。
僕はコッペリオンをちゃんと読んでないが、
デビュー作が26巻も長続きするくらいだから、才能ゆたかな作家なのだろう。
本作もグッとくるセリフやカットがいくつもある。
ものすごく斬新な漫画でないとしても、たとえばキューブリック版『ロリータ』から、
ハート型サングラスなどの服装を引用したり、安っぽく見えない工夫をしている。
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山内溥の娘、荒川陽子
任天堂の創業一族である山内家の男にとって、女遊びは当然の趣味だった。
婿養子だった山内溥の父など、女と駆け落ちして消えたくらいだ。
1970年に山内は、長女である陽子の二十歳の誕生日を祝うため、
ドレスアップした彼女を祇園へつれてゆく。
父の馴染みらしい白塗りの芸者が座敷に五人もあらわれ、陽子は仰天する。
夜が更け、陽子だけタクシーで家まで送られる。
父はその日帰宅しなかった。
めづらしく親らしいことをしたつもりかもしれないが、
結果として山内は、若い娘に一生忘れられない屈辱をあたえた。
陽子は、丸紅の社員だった荒川實と結婚する。
MIT卒で洗練され、ユーモアの感覚もあり、父と正反対なところが気に入った。
ふたりはカナダのバンクーバーで充実した生活をおくる。
問題が発生した。
人材好きの山内が、實をスカウトしたのだ。
任天堂のアメリカ法人をつくるから、その社長にならへんかと。
ビジネスパーソンにとって拒否できないオファーだ。
陽子は恐怖する。
彼女がこの世でもっとも距離をおきたいもの、それが任天堂だった。
経営のストレスで父の精神を痛めつけ、家族を不幸にした元兇とおもっていた。
しかし山内は、實をあっさり口説き落とす。
陽子の不安は的中する。
1980年にニューヨークに設立したNintendo of Americaは、いきなり倒産しかける。
「お前の亭主は無能や」と山内が電話でわめく。
實は義父の理不尽さや傲慢さを、妻にむかいなじる。
だから言わんこっちゃないとゆう話だが、陽子はひたすら耐える。
板挟みの状況で、ほかになにができよう。
京都にいる母に相談するが、「辛抱しなさい」としか言われない。
高額な通話料をムダにした。
1981年、まったく無名の開発者・宮本茂による『ドンキーコング』が大ヒット。
その後の任天堂のグローバルな成功において、
荒川陽子の「内助の功」は無視できないだろう。
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鳴海アミヤ『ムスコンっ!』
ムスコンっ!
作者:鳴海アミヤ
掲載誌:『月刊コミックガーデン』(マッグガーデン)2016年-
単行本:マッグガーデンコミックス Beat'sシリーズ
[ためし読みはこちら]
幼女にしか見えない主婦「桃井サクラ」と、16歳の息子「タカシ」の、
必要以上に密着した日常生活をえがくコメディである。
タカシは長身のイケメンで、街を歩けば女子の注目の的に。
しかし本人は3次元の女に無関心で、ラノベに没頭している。
恋バナが大好きな母は心配する。
息子にもいい人ができて、恋愛の相談に乗ったりしたい。
むかしの制服をひっぱり出し、JKに扮してロールプレイをおこなう。
母の愛情は、過保護をとおりこして盲目的となっており、
スーパーで息子とはぐれたら、大泣きして店員にすがる。
どちらが迷子かわからない。
スーパーでタカシと一緒にいたのは「鬼束雅」。
タカシに片想いしているヤンキー娘だ。
自宅に招かれたときのやりとりがほほえましい。
アニオタのタカシは、PCの前でしょっちゅう寝落ちする。
体が大きくなったとは言え、寝顔はあどけない。
それを見た母は、読み聞かせして寝かしつけていたころをおもいだす。
僕は、主人公の母親が魅力的にえがかれている作品が好きだが、
その意味で本作も佳作に数えられるだろう。
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マウンテンプクイチ『球詠』2巻
球詠
作者:マウンテンプクイチ
掲載誌:『まんがタイムきららフォワード』(芳文社)2016年-
単行本:まんがタイムKRコミックス
女子が本格的な(つまり男子の)高校野球をしている以外、
あらゆる面でリアリズムを追究する野球漫画の新刊である。
とにかく『球詠』は情報量がおおい。
マネージャーで野球オタクの芳乃は、アプリで成績を管理しつつ、
圧倒的な知識量でチームを訓練し、編成し、指揮する。
百合的にも野球的にも「女房役」である珠姫は、
緻密かつ大胆なリードや守備でチームをひっぱる。
第1巻からつづく、練習試合の柳大戦も終盤へ突入。
打席に立つのは交代が確定したピッチャーで、打つ気がまるで感じられない。
つねに合理的に配球を組み立てる珠姫は、
バッターの内面の虚脱感まで見抜けず、困惑する。
相手は打つ気がないのでなく、ただ単にボーッとしていた。
ふと我にかえりバットを振ったら、出会い頭でホームラン。
これが決勝点となる。
高度な戦術と、あっさりそれをくつがえす偶然性。
球技の醍醐味がつまっている。
第10話は、上級生コンビの怜と理沙にスポットライトをあてる。
学校制服姿も絵になる。
中学時代からはぐくんできた、ふたりの絆。
合宿の夜に語らいながら、過去と現在と未来を共有する。
髪型や顔つきで、年格好のちがいを表現。
第2巻は、主人公がストーリーを牽引しておらず(なんか幸せそう)、
スポーツ漫画にありがちな群像劇の散漫さに陥っているが、
それでも描き分けの巧みさで、本作を傑出した水準にたもっている。
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tMnR『たとえとどかぬ糸だとしても』
たとえとどかぬ糸だとしても
作者:tMnR
掲載誌:『コミック百合姫』(一迅社)2017年-
単行本:百合姫コミックス
[ためし読みはこちら]
女子高生「鳴瀬ウタ」を主人公とするストーリーは、兄の結婚式からはじまる。
新婦の「薫瑠(かおる)」は、ウタの幼なじみでもある近所のお姉さん。
その幸せそうな表情を最前列で見て、ウタはあることに気づいた。
自分が彼女に恋していて、はげしく嫉妬していると。
ウタはマンションで、新婚夫婦と三人暮らしをする。
日に日にふくらむ恋心を、義姉に悟られない様にしながら。
薫瑠は、家族関係に問題をかかえるウタのため、
母親代わりになろうと、かいがいしく世話を焼く。
ウタは葛藤する。
もとめているのは、そうゆう愛情じゃない。
けれども本当の気持ちを口にすれば、自分の世界は一瞬で崩壊する。
ツインテールの「クロちゃん」はウタの友人。
恋の迷宮をさまよう親友の愚痴を聞くのが日課となっており、
「感情サンドバッグ屋」を自称する。
ある日ウタは、友人を自宅に呼んだ薫瑠の会話を耳にする。
「いずれ自分の子供はほしい」と。
悪意のまったくない、死刑宣告。
ウタの胸のなかの時限爆弾がカウントダウンをはじめる。
もし出産が現実となれば、すべて手遅れだ。
自分の初恋が、だれより不幸せな終わりをむかえるのは仕方ない。
最初から覚悟している。
でもこんなに近くにいるのに、なにごともなく恋が消滅するなんて、かなしすぎる。
本作はtMnRの商業デビューであり、初単行本。
絵になる構図と、複雑かつ細やかな心理描写で、
百合の宇宙の深淵にせまっている。
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藤田かくじ『放課後少女バウト』
放課後少女バウト
作者:藤田かくじ
掲載誌:『月刊キスカ』(竹書房)2016年-
単行本:バンブーコミックス
[ためし読みはこちら]
最強の10代女子を決める大会「アルテミス」をえがく格闘漫画。
華やかなコスチュームが観客の期待を煽る。
ヒロインは「死神」の異名をとる「箕輪辰乃」。
つねに冷静沈着で、対戦相手の挑発にも眉ひとつ動かさない。
本作の特色はダメージ描写。
可憐な美少女が無慙に破壊されるさまに、昂奮する読者も多かろう。
看護師の卵なのに壊し屋でもある、「日野原瑞穂」の暴れっぷりがみどころ。
第5話で辰乃と瑞穂が激突。
絞め技だけで勝利をかさねてきた辰乃が、打撃の封印を解く。
マットに鼻血をまきちらしながら、不敵に笑う瑞穂。
この異常なまでの闘争心には、かくされた理由があるらしい。
将棋みたく数手先を読み合う固め技や寝技は、
総合格闘技の売りだが、いかんせん絵にすると地味になりがち。
しかし本作は、スカートをつかったギロチンチョークなど工夫している。
主人公は辰乃の同級生である「小仏孝雄」。
秘伝の整体術で、爆弾をかかえた辰乃をサポートする。
この設定が、打撃の制限やサービスシーンにかかわっており、
ストーリーが展開するなかで秘密もいろいろ明かされそうだが、
序盤のフックとしてはやや弱いかもしれない。
一心不乱に強さをもとめる少女たち。
ケレン味たっぷりのデザインや格闘描写は勢いが感じられ、
松井勝法『ハナカク』に匹敵する要注目作として推薦できる。
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『ナデシコ女学院諜報部!』 第5章「陰謀」
セレブリテ学園の壮大な校舎の前を、ミキと千鳥が走って横切る。外壁の階段が最上層の祠へまっすぐつながる、ウルのジッグラトに似せた悪趣味な設計だ。ドローンがふたりを追尾しているのが、上空に見える。サッカー部と諜報部を掛け持ちする千鳥は、息も絶え絶えのミキを振り返りつつ、涼しい顔で疾駆する。
来たときと反対側の壁に通用門を見つけたミキは、爆薬を蝶番のまわりに接着させ、起爆する。
ふたりが敷地の外へ出ると、八人乗りの黒いヴォクシーが車道に急停止した。ドアがひらく。二列めにきららと氷雨が座り、ミキの担任である並木が運転席でハンドルをにぎる。
「はやく乗って!」きららが叫ぶ。「離脱するわよ」
氷雨がマックブックを操作するのが、ミキの目に入る。
渡りに船ではあるが、タイミングよすぎる。
おそらくミキのアイフォンにアクセスし、位置情報などを傍受していたのだろう。
気にいらない。
ミキは呼びかけを無視し、早足で新浦安駅へむかう。さしものジェーンも、天下の往来で実力行使に出るとは思えない。
背後から氷雨の低めの声がとどく。
「怪我してるよ。手当てしてあげる」
ミキは左手を見る。手のひらに深い傷を負っており、指先まで血で濡れている。柱の破片かなにかで切ったのかもしれない。
氷雨はヴォクシーの中で、ミキと向かい合わせに座っている。傷口を洗浄し、包帯を巻く。
「ありがとう」ミキが言う。「手際がいいね」
「道場のちびっ子がしょっちゅう怪我するから」
「自宅が剣道場なんだっけ」
「うん。入門希望なら大歓迎だよ」
「ボクの専門は剣じゃなくてこっち」
セフティをかけて膝の上においたMP7を、ミキはこんこんと叩く。
ミキの隣に座る千鳥が、向かいのきららに体を寄せて言う。
「七星剣がセレブリテにあった。やっぱりジェーンが黒幕だ」
きららが答える。「現物を見たの?」
千鳥はうーんと唸り、首をまわす。髑髏のタトゥーをいれた男、日本刀のキャリングバッグ、壊れたレンジローバー……。状況証拠はそろっているが、決定的ではない。
「警察に事情を話せば、強制捜査すると思う」
「すでに情報は提供したわ。氷雨ちゃん、例の動画を見せてあげて」
氷雨はマックブックを反転させ、セレブリテ学園での銃撃戦を写した動画を見せる。警備用のドローンをハッキングしたらしい。
「ちぇっ」千鳥が言う。「あたしらは命懸けで戦ってたのに、高みの見物かよ」
「止めたはずよ。何度も」
「とにかく警察と話したい。犯人は相当やばい連中だ」
「その必要はないと彼らは言ってる。ちなみに今日から公安警察官が、私たち諜報部の四人を二十四時間体制で警護してくれるそうよ」
「はぁ!? それって監視じゃんか。まさかあたしらを疑ってんのか。きららは納得してんのかよ。国宝が盗まれたんだぞ。外国人に」
きららはスマートグラスを外し、眼鏡拭きでレンズを拭く。ふたたび掛けなおし、落ち着いた声で言う。
「この際はっきり言うけど、あなたたちがよその学校で実弾射撃したのを不問にするのは、簡単な交渉じゃなかった」
「はいはい、悪うございましたね!」
ふてくされた千鳥は座席に身をあづけ、窓の外に目をやる。首都高速湾岸線を走るヴォクシーの車内を、沈黙が支配する。
ミキが遠慮がちに尋ねる。
「あのう、きらら先輩」
「なに」
「さっき『私たち諜報部の四人』と言いましたよね。てことはつまり……」
「これだけ深く関わってるあなたが、仮入部のままじゃおかしいわよね」
「ありがとうございます!」
氷雨は微笑し、包帯を巻いたミキの左手をやさしく撫でた。
おかっぱ頭のアルテミシアが、地下室でノートPCを操作している。コンクリートに囲まれた広間だ。
スピーカーから水飛沫の音が響く。ジェーンがシャワーを浴びる様子が画面に映る。
長いため息のあと、アルテミシアがつぶやく。
「うつくしい……まさに動くギリシア彫刻」
ジェーンが浴室を出たので、アルテミシアは脱衣所が映るウィンドウを開く。それを画面半分に広げてちらちら窺いつつ、録画した映像を編集する。ジェーンの手足は解剖学的にありえない長さで、乳房は逆説的にゆたかだ。濡れた金髪が小さな頭にまとわりつき、濃厚な色気がただよう。
アルテミシアが続ける。「目が眩みそうなほどまばゆいブロンド……」
ぶあつい鉄製の自動ドアがひらき、Tシャツとショートパンツを着たジェーンが入ってきた。バスタオルで髪を拭いている。
ESCキーに設定した機能で、アルテミシアは画面をエクセルのワークシートに切り替える。
ジェーンが尋ねる。「ブロンドがどうかした?」
何食わぬ顔でアルテミシアが答える。
「金色の髪に憧れるの」
「ブロンドでいいことなんて何もない。まして女の場合は。外見だけでバカだと思われるんだから」
「そんな」
「本当よ。私は黒髪の方が好き」
ジェーンは、アルテミシアのボブヘアを撫でる。
呼吸の乱れを隠し、アルテミシアが言う。
「でもアジア系の女性は、髪の色を明るくしたがる」
「理解できない。民族的アイデンティティを捨て、白人のふりをするなんて」
「特に日本では多いわね」
「猿と娼婦しかいない。この国は」
せせら笑うジェーンが、セレブリテ学園の黒いセーラー服に着替える。服を着たあと、刀掛台にある唐風の拵の七星剣をつかむ。
「あなたは」アルテミシアが言う。「この任務に志願したと聞くわ。でも日本とゆう国が嫌いみたい」
「そうね、反吐が出る」
「なぜ志願したの」
「決まってるじゃない、これよ」
ジェーンは左手で短いスカートの裾をもちあげる。
「え、なに」
「セーラー服よ! アメリカじゃ着れない」
「まさかそれが理由なの」
「おかしい? 数年前に『エンジェルウォーズ』って映画を見たとき、いつか絶対着ると決意した」
「あなた本当は日本が好きなんじゃ……」
ジェーンはその言葉を聞き流し、地下室の奥にそびえるタワー型の装置へ近寄る。タッチスクリーンをそなえた平らな制御卓の上に、鞘から抜いた七星剣を横たえる。
ブザーが鳴り響き、警告文が画面に流れる。首都圏の地図が表示され、浦安市を中心とする半径約五十キロメートルの範囲が赤く点滅する。
ジェーンが振り返り、アルテミシアに言う。
「テスラシステムを起動するわ」
「冗談はよして」
「アメリカ政府職員が多数死傷するなどの非常時にかぎり、システムの使用が認められる。CIAが採用した作戦の一環よ」
「私にはできない。どれほどの被害が出るか」
「あら、いい子ぶるわね」
長身のジェーンは尖った顎を突き上げ、アルテミシアを見下ろす。青い瞳に冷たい光がやどる。
アルテミシアの背筋が凍りつく。
ひょっとしてジェーンは知ってるのか。自分が彼女を盗撮していることを。
ハリウッド仕込みの笑顔でジェーンが言う。
「なにも今すぐ大量虐殺をおこなうわけじゃない。システムを使えるか確かめるだけ」
「上層部の直接の命令がないと……」
壁一面を覆う星条旗を右の人差指でしめし、ジェーンが尋ねる。
「あなたはアメリカを愛してる? 神に誓える?」
「もちろん」
「私がアメリカを愛するよりも?」
「それは……わからない」
「私は神に誓える。地上の誰よりアメリカを愛していると。だから私の意志は、アメリカの意志」
「危険な思想だわ」
「仮に危険だとしても、それが真実なの。アル、あなたは私のことが好き?
「変なこと聞かないで」
「私を愛してる? 忠誠を誓える?」
「突然どうしたの」
「答えなさい」
「あ、愛してるわ!」
アルテミシアは席を立ち、糸で操られた人形の様にふらふらと操作卓へ近づく。スクリーンキーボードでコードを入力すると、卓上にある七星剣のスキャンがはじまる。
しかし、センサーの光の動きが途中で止まった。
ドナルドダックが画面に大写しとなり、こちらを指差してしゃがれ声で笑う。
ジェーンが尋ねる。「異常の原因は?」
「コンピュータを強制終了させるコマンドが、七星剣の表面に仕込まれてたのかも……」
「ガッデメッ!」
ジェーンは拳銃のファイブセブンをヒップホルスターから抜き、全弾二十発を操作卓へ撃ちこむ。ガラスや液晶が砕け散る。国宝の七星剣が大きなダメージをうけなかったのは、僥倖でしかない。
そばかすが残る頬を紅潮させ、ジェーンが叫ぶ。
「あの眼帯女! あと一歩のところで!」
「落ち着いて。これが平手ミキの仕業かわからない」
ジェーンはアルテミシアの喉元をつかみ、椅子の背もたれに押しつけて言う。
「どこまで無能なの? 『わからない』と『できない』しか言えないの? ノロノロしてたら、NSAのコンピュータオタクに手柄を奪われるのに」
「ごめんなさい……私が甘かったわ」
ジェーンは首から手を離す。アルテミシアは赤く腫れた喉をさすり、呼吸を快復する。
「ふふっ」ジェーンが笑う。「あいつらいい度胸だわ。それだけは認めましょ。こうなったらもう、手段を選んでられない」
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外本健生/昌子春『ピッチディーラー -蹴球賭場師-』
ピッチディーラー -蹴球賭場師-
作画:外本健生
原作:昌子春
掲載誌:『ヤングマガジン』(講談社)2017年-
単行本:ヤンマガKC
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異色のサッカー漫画である。
主人公は、東京VERSUSに所属するゴールキーパーの「新堂龍司」。
ルーキーながら開幕戦のスタメンに抜擢された。
新堂は好セーブを見せるが、0-2で試合終了。
中心選手の滝・ハルク・佐々木とともに、暗い表情でロッカールームにのこる。
ホペイロ(用具係)が手入れしたスパイクを運んできた。
ところがシューズケースをあけると、中に数千万円分の札束が。
本作は、サッカー賭博にかかわる八百長をテーマとする。
漫画としては前代未聞のストーリーだが、海外ではよくニュースになる話だ。
作者は、八百長に手を染める4人を「プロフェッショナル」としてえがく。
彼らは世界各地の情報を掻き集め、完璧なシナリオを練る。
ボールを蹴るだけがサッカーじゃない。
女を取り合う選手同士の競争心を煽るなどして、試合をコントロールする。
荒唐無稽な設定だが、ドロドロした世界観のリアリティは、いかにもヤンマガ的。
シュートを防いだと見せかけてポストに当て、
ゴール前に走り込んできた相手選手の足許へころがす。
わざと引き分けたと観客に悟られない様にする「スーパープレー」。
いまだかつてないスリルを味わえるサッカー漫画だ。
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七都サマコ『そのアイドル吸血鬼につき』
そのアイドル吸血鬼につき
作者:七都サマコ
掲載誌:『月刊Gファンタジー』(スクウェア・エニックス)2017年-
単行本:Gファンタジーコミックス
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主人公は高校生の「朝陽湊(あさひ みなと)」。
交通誘導のアルバイトで稼いた金はすべて、アイドルの追っかけにつかっている。
推しはソロアイドルの「白日目(しらうめ)ココ」。
お砂糖みたく甘く可憐なパフォーマンスで、ブレイク確実と言われている。
ところがツアー最終日、ココは突然引退を発表する。
意気消沈した湊が夜の公園をさまよっていると、
ひとり池の前で涙をこぼすココがいた。
未練を断ち切れない湊は、引退を撤回するようココにせまる。
言い争ってるうちココの様子が急変し、湊にしがみついて首筋に歯をたてる。
実は吸血鬼であるココは、人間を襲う習性をもっており、
もうこれ以上人間と関われないと考えて引退をきめた。
その後いろいろあって、湊はココにかわって夢をかなえようと、
男性4人組のアイドルグループの一員として活動をはじめる。
掲載誌が『黒執事』などのGファンタジーなので、ストーリーは女性向け。
たとえば男が男の血を吸うシーンなどは、僕には合わなかった。
とはいえ、「生き血を吸う」と言う表現は大袈裟としても、
人を魅了するのが仕事のアイドルは、吸血鬼にたとえられてもおかしくない。
題材が興味ぶかいし、特にヒロインのうつくしさは一見の価値あり。
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佐々木ミノル『中卒労働者から始める高校生活』8巻
中卒労働者から始める高校生活
作者:佐々木ミノル
掲載誌:『コミックヘヴン』(日本文芸社)2012年-
単行本:ニチブンコミックス
若気の至りで若葉がシングルマザーとなった経緯が前巻で語られたが、
第8巻は元恋人であり、娘・ひなぎくの父であるトミーと再会したあとのエピソード。
家具売場でトミーが上司に、食器棚に社員割引が適用されるのかたずねる。
彼が職場でどんな様子か、若葉とヨリを戻すための覚悟がどの程度か、
さりげなく読者につたえるいいシーンだ。
そのころ若葉は38.6度の熱でダウンしていた。
休みをもらうべきか迷うが、クビになるかもしれないと思い直し青褪める。
シングルマザーらしい反応だ。
まことが買い物を届けにやってきた。
洗い物がたまった流し台を好きな男にみられ、
立ってるのも辛いはずの若葉は大騒ぎ。
無口で不器用なまことが帰り際に、若葉の葛藤を理解し肯定する様なことを言う。
主人公の成長が感じられるだけでなく、女性作家ならではの観察眼にくわえ、
「男の男らしさ」までテーマとして表現されてるのに脱帽する。
若葉があっぷあっぷになりながら人生のあたらしい扉をひらく、
26・27話の心理描写はとにかく圧倒的。
勿論ヒロインである莉央も、キャラクターの個性がさらに強調される。
なぜこの作品だけがこんなにもすばらしいのかと、不思議なくらいだ。
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