小説21 「地下壕」
『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』
武道館前の北の丸公園で、山吹色の着物のヒロヒトが、左手だけで薙刀の練習をする。東條英機が正座して見守る。首相の任を解かれたあと、また彼女の後見人になると申し出た。
きょうは四月二十九日。ヒロヒトの十五歳の誕生日だ。リニアに乗り長野へ向かった日から、ちょうど五年経つ。小柄な印象の彼女も、身長は百五十センチに近づいた。
エイダ・ヒトラーから着信があり、【シュトック】を通信モードにして受ける。
「もしもし」
「ヒロ、ひさしぶり。元気か?」
数分の会話を終え、ヒロヒトは襷を外して帰り支度をする。東條が渡したタオルで汗を拭う。
東條が尋ねる。「いまからアイゼンを訪問されると聞こえましたが?」
「ええ、総統官邸へお誘いがあったので」
「旧交を温めるのもよいですが、両国とも存亡の危機にある現在……」
小言は耳に届かない。ヒロヒトは何を着ていくかで頭を悩ます。ふと体をまさぐる。下着だ。下着を買わないと。
「銀座へ買い物に行きます。車を用意して」
「それは無理です。長野まで日帰りなら、このまま直行しませんと」
「乙女には、天下国家より大切なものがあるのです!」
長野市松代にある官邸で、エイダは旧友を出迎える。直接会うのは三年ぶり。地上の建造物は空爆で破壊された。
シェパード犬のブロンディがヒロヒトに飛びつき、唾液まみれにする。
和装の天子が笑う。「やだ、くすぐったい!」
「ヒロは妙に動物に懐かれるな」
「そうなの。なぜなんでしょう?」
「性格かなあ。あと髪をバッサリ切ったんだな。最初ビックリしたけど、似合ってるぞ」
「ありがとう」
「その右腕は……」
エイダは空になった袖を指差す。
「たはは……」ヒロヒトは苦笑い。「嫁入り前なのにキズモノになっちゃいました。治る見込みはあったんですが、【マリーネ】の治療を優先したかったので」
エイダはきつく親友を抱きしめる。
「ヒロがどれだけ頑張ったか、あたいが一番わかってる。今日だけでもゆっくり羽根を伸ばしてくれよな」
出会った頃と変わらない優しさに包まれ、感極まったヒロヒトは夢中でしがみつき、エイダの背中に爪を立てた。
地下壕でふたりは晩餐をともにする。質素な豆のスープを啜る。占領中のファリーヌから奪ったワインだけ上等だった。
十九歳になりたてのエイダが聞く。「ヒロはいくつになったんだっけ?」
「十五歳です。人生最高のお誕生日会になりました」
「あっと言う間の五年間だったな」
「ほんとに。ところでマンシュタインさんはいらっしゃらないんですか?」
「兄者とは別れた」
スプーンを持つ手を止めたヒロヒトの表情が輝く。笑みが満面に広がる。
「わかりやすっ」エイダが吹き出す。「犬みたいなやつだなあ。告白してくれた時から、気持ちは変わってないか? いや、こんなこと聞くのは虫が良すぎるか……」
「もう一度言います。わたしの身も心もあなたのものです」
給仕が、ヒロヒトのナデシコ土産である緑茶を淹れる。エイダが気に入ったのを覚えていたので持参した。
「おいしい」エイダが言う。「またナデシコにいきたいなあ」
「いつでも大歓迎です」
「お礼をしないとな。なにがいい?」
「なんでもいいですか?」
「ああ」
「キ、キスしてください……」
エイダはお茶を吹きかける。
「この甘えん坊め。夜はまだ長いんだよ。きょうは泊まれるんだろ?」
「は、はい……ふ、ふつつか者ですが、どうかよろしくお願いします!」
「あはは、なんだそれ。ナデシコの風習?」
ひとしきり笑ったあと、我慢の限界に達したふたりは口づけを交わす。
先にシャワーを浴びたヒロヒトは、バスローブ一枚でエイダの寝室のベッドに座る。彼女の匂いが狭い部屋に漂う。心臓は破裂寸前。
不意にムダ毛を処理すべきだったと気づく。腋は大丈夫だが、下の方はまったく何もしてない。部屋を見回し、ハサミかなにかを探す。
落ち着け、わたし。取り乱すな。きっとエイダちゃんが優しく導いてくれる。任せればどうにかなる。
ステレオから『トリスタンとイゾルデ』第一幕への前奏曲が流れる。官能的な響きで精神を蕩けさせる、聴覚の媚薬だ。
ワーグナー、カフカ、ハイデガー、アインシュタイン、ハイゼンベルク、ゲーデル……みなこの時代のアイゼンが産んだ天才だ。ヒトラー、マンシュタイン、グデーリアンらを加えてもよいだろう。常軌を逸した多産性。たしかにアイゼンの文化は偉大だ。だがそこには異常さがある。
呑みこまれちゃいけない。
ヒロヒトは音楽を消し、ハンドバッグに忍ばせた愛用の短刀へ左手をのばす。深呼吸で動悸をおさめる。
ベッドサイドテーブルにカプセルの入った薬瓶がある。ヒロヒトはその中身が何か悟った。
エイダちゃんは今夜死ぬつもりだ。わたしと一緒に。
「でさ、あのときのミノタウロスがさ……」
風呂上がりのエイダがドアを開け、話の続きを言いかけると、寝室はもぬけの殻だった。
地上の砲撃だけ微かに聞こえる。
翌三十日。エイダは昼過ぎまでずっと、部下に掘らせた穴を呆然と眺めていた。底にガソリンを張ってある。
ブロンディの首輪から綱を外す。
「いままでありがとな。これからは自由に生きてくれ」
避難生活に飽きたシェパードが喜び勇んで駆け出すのを、エイダは微笑しながら目で追う。
ガソリンに火をつける。彼女の細面の上で影絵が演じられる。
炎の向こうに、死者たちの顔が浮かぶ。蹴り倒して戦車の下敷きにしたパルチザンもいる。
崩壊する世界は、人の手に負えない。それでもなお、ヒロは生き抜こうとするんだ。すごいな。
あたいはもう、傷つくのに耐えられない。
エイダは穴に一歩踏み出し、HK45の銃口をこめかみにつける。
銃声のあと、彼女の痩身は灰となるべく転げ落ちた。
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鍵空とみやき『ハッピーシュガーライフ』
ハッピーシュガーライフ
作者:鍵空とみやき
掲載誌:『月刊ガンガンJOKER』(スクウェア・エニックス)2015年-
単行本:ガンガンコミックスJOKER
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ロリータ風味の百合サスペンスだ。
マンションのドアを開けると、可憐な幼女が出迎えてくれる。
やけに親密だが、姉妹ではない。
ある理由で、ふたり暮らしをしている。
人探しのビラに写真が載っていた。
女子高生の「さとう」が、幼い「しお」を拉致監禁している様だ。
犯罪の動機はさまざま。
大抵は金銭であり、憎悪など負の感情が原因ともなりうる。
でもそれが百合だったら、社会は否定できるのか。
美貌ゆえ、さとうはつねにトラブルに巻きこまれる。
その都度、抜け目なく撃退。
嫉妬に狂ったバイト先の店長の乱行を、股ぐらから撮影したり。
変態教師にストーキングされたら、自宅へ突撃、家族のまえで服を脱ぐ。
汚れきって、病んでいるこの世界を、笑顔で切り抜ける。
しおちゃんは、ひたすら愛くるしい。
留守中に掃除をがんばる姿とかいじらしくて。
ただ厳重に鍵をかけた一室に秘密が。
さとうは家主だったおばのバラバラ死体を隠していた。
甘い生活のためなら、多少の犠牲はやむをえない。
愛が、必然的に独占慾をともなうなら、第三者との軋轢は避けられない。
わたしたちは愛のため生きるのだから。
ゆえに少女は、全世界を敵にまわして戦う。
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2015: The Year Democracy Arose
音楽だったらフルトヴェングラー、美術だったら藤田嗣治などが、
悪しき体制に加担したと戦後槍玉に上げられたのは気の毒だけど、
「黙認」が罪とみなされるリスクを考慮すべきだったろう。
一方2015年の日本で、体制に対し自己主張する書物があられている。
まづは山崎雅弘『戦前回帰 「大日本病」の再発』(学研マーケティング)。
著者はミリタリー業界の人で、政治的な著作は皆無だが、
もはや戦車のことばかり考えてられない時代だ。
日本の戦争遂行システムの異常さが本書のテーマ。
戦争目的である「国体護持」が、国民の生命より優先されたのを批判する。
文部省による合理主義・実證主義・個人主義の否定などを指摘。
国民を個人として認めず、国全体をひとつの有機体とみなし、
天皇がその核心部分を占めるシステムを確立した。
エヴァンゲリオンの「人類補完計画」に似ている。
国家神道/人類補完計画は、戦後もずっと進展しつづける。
1969年に自民党が「靖国神社法案」を国会へ提出したり。
安倍晋三は、この線路上で踊る傀儡にすぎない。
つぎは原武史『「昭和天皇実録」を読む』(岩波新書)。
日本とゆう有機体の核心についての本。
2013年に、山本太郎による今上天皇への直訴が話題となったが、
昔は日常茶飯事で、1928年ごろは毎月の様に起きた。
戦後、昭和天皇はしょっちゅう襲撃されている。
パチンコ玉を撃った奥崎謙三が有名だが、ほかにもいろいろ。
息子は恵まれてる。
手紙でもなんでも、ぶつけたいものはドシドシぶつけよう。
『ハワイ・マレー沖海戦』(日本映画/1942年)
ミッドウェーでの敗北以降の戦局悪化のなか、
『ハワイ・マレー沖海戦』みたいな戦意高揚映画で自分を慰めたり、
比較すると特攻作戦がマトモに見える沖縄への逆上陸作戦を提案したり、
負け戦の司令官の哀愁が漂っていて興味ぶかい。
戦後は憲法改正について意見を述べる。
朕の統治権が奪われるのはよろしくないと。
懲りてないってことは、自分なりに満足できる戦争指導だったらしい。
最後に、高橋源一郎×SEALDs『民主主義ってなんだ?』(河出書房新社)。
SEALDs創設メンバーである奥田愛基の印象が強烈。
デモを撮影するのでも、アディダスの店の前を通るときはヒップホップとか、
あとで編集してYouTubeへアップロードする作業を想定して計画。
なお、大学生はBPM90くらいのヒップホップでアジるが、
高校生が好むのは150くらいのEDMで、ついてくのが大変とか。
転機は5月14日の閣議決定。
むかっ腹を立てた奥田は「自分ひとりでも官邸前で抗議する」とツイート。
SEALDsは本来2016年の参院選に向け発足した組織だが、
感情が飛び火してワサワサと1500人あつまった。
「本当に止める。」のキャッチコピーは、あえて変な文法をもちいた。
たとえば「絶対に止める」にしたら日本代表みたいでダサいし、嘘っぽい。
スピーチでも「我々は平和を愛し」なんて言わない。
主語は単数形にして、日常会話へちかづける。
民主主義や平和みたいなレアトラックをサンプリングし、
現代のBPMにあわせループさせる。
怒りと希望のビートがズンズン腹に響く。
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テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済
仲谷鳰『やがて君になる』
やがて君になる
作者:仲谷鳰
掲載誌:『月刊コミック電撃大王』(KADOKAWA)2015年-
単行本:電撃コミックスNEXT
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本作のジャンルは生徒会百合。
新会長の「七海燈子」は美人でなんでもできて、
性格もやさしくて、人を惹きつけてやまない。
たとえ相手が女子でも。
ジャンパースカートの上に、セーラータイプのボレロを羽織る。
ブラウスは立ち襟、リボンタイは学年ごとの色違い。
気品に富む制服だ。
主人公は新入生の「小糸侑(ゆう)」。
昼休み中の同級生の恋バナに距離を感じる。
机をくっつけてるのに、声が届かないくらい。
少女の心象風景はいつだってマジックリアリズム。
同中の「菜月」と久しぶりに遊ぶ。
私服もカワイイが、友達同士なのもあってか、フリフリしたのは着ない。
『やが君』は、制服の魔法を駆使する物語だ。
ちなみに、この場面の恋バナも読ませる。
誘われるまま生徒会を手伝いはじめた侑に、下校中いきなりキスする燈子。
通過する電車を遮蔽物にして。
目を円くする侑。
なびく髪、頬をつたう汗。
踏切を渡った生徒がふりかえれば身の破滅。
キスシーンは百合漫画の神聖なる儀式であり、
この聖体拝領は史上最高のひとつ。
前が大きく開くボレロは、横から見たシルエットがうつくしい。
キスにより、本作のテーマが浮上する。
「恋愛に意味はあるのか」。
意識していた人物からの求愛に、侑の心はまるで無反応。
あざやかな攻守逆転。
集合写真でこっそり手をつないだり、公の場でイタズラをしかける。
赤く染まる耳を冷然と観察。
恋ってなんなの。
だれより尊敬する先輩を、わたしなんかの奴隷にしてしまう、恋ってなんなの。
二駅向こうから自宅へ押しかけた先輩に、軽蔑にみちた眼差しを投げる。
このひと、どんだけわたしを好きなんだろ。
きっと24時間わたしのこと考えてるんだろうな。
バカみたい。
恋なんてしなければステキなひとなのに。
乙女が「恋に恋する生き物」としたら、その関心が物理学者みたく抽象的で、
外科医みたく鋭すぎる侑は、いわば百合のテロリスト。
恋愛の非合理性に、それが非合理的であるがゆえ、のめりこむ。
それで大切なものや、自分自身が破壊されるとしても。
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小説20 「神風特別攻撃隊」
『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』
小雨がヒロヒトの萩色の着物を濡らす。千鳥ヶ淵マリーネ墓苑に参拝に来た。エイダに告白した思い出の場所であり、彼女の冷たい肌に優しく抱かれる様な気分に。
羽ばたく音とともにハーピーの瑞鶴が現れる。
「ヒロヒト、毎日来てるな」
「これくらいのことしかできません」
「赤城たちの声が聞こえるか?」
「心のなかで会話はしてますが、本物かどうか」
「人間は鈍いな。みんなそこにいるよ。ヒロヒトに会えて喜んでる」
瑞鶴は六角堂の外で身を振るい、水を切る。
「捷一号作戦ってのを読んだ。なんであちきを使わない?」
ヒロヒトは答えた。「制空権を完全に奪われた状況で、飛行ユニットを出しても意味がないので」
瑞鶴は傷だらけの竪琴を持ち上げる。雨音に楽音を交える。
「姉ちゃんほどじゃないけど、あちきも歌えるんだぜ。絶対ついてくぞ」
雨脚が強まり豪雨となった。ヒロヒトは折り畳み傘を差し、数分歩いて靖国研究所へ立ち寄る。
彼女を呼び出した東條英機首相が、二十代の海軍軍人を連れて石畳に姿を見せる。
「こちらは関行男大尉です。今回の作戦に志願してくれました」
関大尉は今上天皇を直視して言う。「国体護持のため、喜んで我が身を捧げます!」
ヒロヒトは答える。「どうもありがとう。どの様な任務ですか?」
東條が彼女に【シュトック】を渡す。
「陛下には、この場で大尉を斬っていただきます。その魂をぶつけ、驕れるリバティアを撃滅します」
「なんですって!?」
それを聞いても、関大尉の瞳は燃えたまま。
「心中お察しします」東條は続ける。「ですが、駿河を取られたらナデシコは干上がります。ほかに手段はないのです」
「そこまでしなければいけないの……」
落雷が、東條の禿頭で反射する。逡巡するヒロヒトに囁く。
「大尉に恥をかかせませぬよう。御覚悟を」
和装の天子は俯いて【シュトック】を起動。ようやく実戦投入された薙刀状の「三式」だ。心を鬼にして振り上げる。
「関大尉。あなたの尊い志、無にはしません」
「天皇陛下万歳!」
斬撃が、関大尉の肉体と霊魂を切り離す。
ヒロヒトは歯を食い縛り、嗚咽をこらえる。英霊たちが私を見ている。外見だけでも毅然としなくては。
兵士二名が、次なる志願者を連行する。「嫌だ、離せ」と叫び、両腕を振り解こうと暴れる。異臭を感じたヒロヒトが彼の股間を見ると、恐怖のあまり脱糞していた。
「東條、彼らは志願したはずでは!?」
東條は、泣き叫ぶ男を殴りつけ怒鳴る。「貴様、見苦しいぞ! それでもナデシコ男子か!」
「こんなの……むごすぎる……」
ヒロヒトは三式を落とす。光の蛇が石畳でのたうつ。
劣勢を挽回するのに新戦術が必要なのは、自分が一番分かっている。だがこれでは本末転倒だ。国民を守るための戦争ではないのか。
「陛下、三式を取りなされ! 遣い手本人が斬らねば効果半減と、実験結果が出ているのです」
「できない……ごめんなさい……」
下駄で水飛沫をあげつつ、ヒロヒトは走り去る。雨はさらに激しさを増す。
二〇四四年十月二十五日未明、富士山麓。
ヒロヒトは一角獣の榛名を駆り、樹海に覆われた青木ヶ原の溶岩棚を行く。時計回りに富士山を迂回。二十日からドロシー・マッカーサーの上陸作戦が始まっている。ガイスト鉱を産出する霊峰を占領されれば、ナデシコは文明国家として破綻する。
彼女が率いるのは、サイクロプスの大和など地上ユニット五体。
「ようやっと」単眼の大和が言う。「オラたちの出番だべ。羽根の生えたチビどもに頼るから苦戦するんだべ」
ヒロヒトは答える。「あなた方を動かすには大量の資源を消費します。ただの大飯食らいではないと證明してね」
「誰に言ってるんだべ。オラと武蔵は、史上最大最強の大和型巨人だべ。リバ公なんぞ、捻り潰してやるべ」
武蔵は大和の弟で、五十の頭と百の腕をもつヘカトンケイル。天を突くほど巨大な兄弟が哄笑する。馬上のヒロヒトは耳を塞いだ。
瑞鶴は本作戦でも機動部隊を指揮。瑞鳳・千歳・千代田・日向・伊勢を従えるが、みなすでに空戦能力を失っている。もはや撃ち落とされるのを待つだけの、単なる鳥にすぎない。
微笑を湛えてハーピーが竪琴を鳴らす。姉の翔鶴に教わった歌をうたう。
マジメな姉ちゃんは毎日歌の練習をしてた。あちきもちゃんと習っておけばな。いつもイタズラしては怒られてたっけ。
姉ちゃんがいて、赤城がいて、ヒロヒトがいて……横須賀にいた頃は楽しかった。またみんなで遊べるといいな。
南の空にリバティアの大編隊が見える。飛行ユニット十五体、地上ユニット六体。勝ち目はまったくない。一分一秒でも北に引きつけるのが目的だから仕方ない。ヒロヒト、がんばれよ。
姉ちゃん……もうすぐ会えるな。
ヒロヒトのもとに、富士山を反時計回りに突撃をかけた、山城らを擁する第三部隊が全滅したとの報が入る。死に急ぐ様な玉砕だった。
嘆き悲しむ暇はない。山中湖から御殿場へ南下する主力部隊は、敵飛行ユニット六体との交戦に巻きこまれていた。大和は単眼からビーム光線を発射。百発撃っても、かすりもしない。
馬上のヒロヒトが叫ぶ。「大和、もっと前線へ出なさい!」
「近づいたら四十六センチ砲の意味ないべ」
弟の武蔵は、百本の腕で盲滅法に岩を投げるが、怪鳥たちに翻弄され満身創痍となり斃れた。
一方の大和は狼の群れに足の指へ食いつかれ、地響きを立て逃げ惑う。
「なんて無様な戦いなの」ヒロヒトは呻く。「もういい、全軍ここへ集結しなさい!」
錯乱したサイクロプスが北へ向かう。ヒロヒトは一角獣に鞭打って後を追う。
「止まれ! 命令違反するものは斬る!」
「敵機動部隊を発見したべ。オラは索敵能力も最高だべ」
「何を言ってるの……。マッカーサーの上陸を阻止しないと、瑞鶴たちの苦労が水の泡になる」
「沿岸部は偵察が足りないべ。危険すぎるべ」
「あなた臆したのね。ナデシコ軍の風上にも置けないやつ。そこへ直れ!」
薙刀を振り回し猛追する司令官を見て震え上がり、大和は泣き喚きながら戦線離脱。ほかの巨人たちも逃散。ヒロヒトと榛名だけ残った。
「誰も責められない」ヒロヒトは独白。「これが負け戦とゆうもの。すべてわたし自身が撒いた種」
一角獣がいななき、白い体を起こす。
「榛名、どうどう。あなたの忠誠は分かってるわ。いまから単騎、敵上陸部隊へ突入します。生きては還れないけど、いいわね?」
榛名の鼻息は荒い。
「ありがとう。その代わり、今度こそマッカーサーの首を取ります。神に誓って」
岩肌をカーテンの様に水流が覆う。間断なく飛沫の音が響く。白糸の滝で、萩色の着物のヒロヒトと、ヘソ出し黒ゴスロリ服のドロシーが相対する。滝の周りは涼しく、ドロシーはくしゃみした。
「陛下は愚かだ」ドロシーは言う。「敗北は明らかなのに、むなしく血を流している」
「こっちの台詞です。死ぬより辛い痛みを二度味わっておいて、また立ち向かうなんて」
「完璧美少女は、勝利するまであきらめない」
ヒロヒトは薙刀を八相に構える。刃が禍々しく放電する。
「天照皇大神よ、しかと御照覧あれ。一撃必殺の剣、神風」
「ジンプウ?」
「あなたの茶番もこれで終わりです」
空から届いた啼声が滝壺でこだまする。先ほど追い払った怪鳥のうち五体が殺到、炎の雨を降らす。ヒロヒトは火達磨となりながら応戦。
「マッカーサー、立ち会え!」
黒い翼を持つ夢魔であるインキュバス「セント・ロー」を一刀両断。驚異的な斬れ味に、ほかの【マリーネ】は泡を食って逃げ散った。
ヒロヒトは薙刀の柄を杖代わりに、かろうじて立つ。焼け爛れた着物がくすぶる。自慢の黒髪も無慚に焦げている。
ドロシーが和装の天子を羽交い締めに。
「降伏してください。これ以上の抵抗は無益です」
「誰があなたに膝を屈するものですか!」
「お願いです、陛下はボクの妻になるべき人だ」
「はぁ!?」
喉仏、低い声、細身だが骨っぽい体格。ヒロヒトは薄々感づいていた。ドロシー・マッカーサーが二十歳の男だと。
「金輪際」ドロシーは叫んだ。「女装はやめます。窮極美少女のボクがここまで下手に出てるんだ、少しは言うこと聞いてよ!」
「変態自己中コスプレ野郎! わたしに触るな!」
喧騒の中、天井が下から上へ流れてゆく。ガイスト技師や東條英機がこちらを覗きこむ。ヒロヒトは、自分がストレッチャーで運搬されてると気づいた。
「【マリーネ】は……瑞鶴はどうなったの!?」
東條は答えた。「奮戦ののち、名誉の死を遂げました」
「ああっ……」
ヒロヒトは目を瞑る。
治療室に到着して止まったストレッチャーで、ヒロヒトは激痛を堪え寝返りを打つ。左手で技師の腕をつかんだ。
「治療は【マリーネ】を先に……」
「陛下」技師は答える。「熱傷は広範囲に渡っており、お命が危ぶまれる状況です。特に右腕は自然治癒の見込みがありません」
「天皇の命令が聞けないのですか」
それだけ言い残し、ヒロヒトは仰臥した。
東條英機は鞘ごと軍刀を外して前に置き、平伏する。不満なら自分を斬れとの意思表示だ。
「恐れながら申し上げます。臣民のため投降の御決断を。罪はこの爺めがかぶります」
「すべてはわたしの罪です」
「姫様は意地になっておられる!」
ヒロヒトはふたたび天井を見つめる。
「あなたの首相の任を解きます。爺、これまでよく尽くしてくれました。幸福な余生を送ってください」
「姫様!」
徐々に小さくなる東條の抗議を聞きながら、ヒロヒトは眠りに落ちた。
これでいい。傷つくのはわたしだけでいい。
塵ひとつないが、殺風景な部屋。机の上にノートPCが一台。濃い色のスーツとネクタイの男が向かいに二人。
アリース・アインシュタイン博士は、いつも以上に乱れた頭を掻く。リバティア軍の秘密兵器である「隕石魔法」を盗んだ容疑で、FBI本部で尋問を受けている。窃盗と言っても、彼女が開発したものだが。
捜査官が言う。「博士は戦争を泥沼にしたいんですか? 国家に奉仕してこその科学でしょう」
「一科学者の自由を奪う国家なんていらねッス」
黒縁眼鏡をかけたアリースの紅い瞳は力強い。捜査官はこの世界最高の頭脳を持て余す。
取調室に車椅子の青年が入る。フランクリン・ルーズベルト大統領だ。D・DAY以来、四か月ぶりの再会。
「天才は気まぐれなものだが、君に人命を軽視する傾向があるとは失望したよ」
「あんたらの論理は分かってるッス。口の達者さじゃあ敵わない。でも科学者は、科学者なりのケジメをつけるッス」
ルーズベルトはPCで動画を見せた。ヒロヒトがセント・ローを斃す場面が映る。
「これがカミカゼ攻撃だ」
「姫さん……こんなボロボロになって……」
「戦術的にさしたる影響はない。ただ、将兵の動揺が激しい。ナデシコは本土決戦でも徹底抗戦するだろうとね」
「逃げ道を塞いで追い詰めるからッス」
「退路はいくらでもある。ナデシコはこれまで一切和平交渉しようとしない。彼らの責任だ」
「その上から目線がダメなんスよ」
ルーズベルトはノートPCを閉じる。
「敵が我が軍に恐怖を与えるなら、こちらはより大きな恐怖を与える。少なくとも向こう百年、リバティアに怯え続けるほどの」
「隕石魔法は……桁が違いすぎるッス」
「だからこそリバティアが管理すべきだ。協力しないなら、君をアイゼンへ強制送還する選択肢を、政府は視野に入れるだろう」
あの狂気と暴力の坩堝へ戻ると考えただけで、アリースの心臓は縮み上がる。止めどなく涙がこぼれる。
ウチは弱い人間で、命懸けで戦うなんてとても無理ッス。姫さん、申し訳ないッス。
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梅木泰祐『あせびと空世界の冒険者』4巻 バグフィックス
あせびと空世界の冒険者
作者:梅木泰祐
掲載誌:『COMICリュウ』(徳間書店)2014年-
単行本:RYU COMICS
あせび、ダリア、グラム。
三つ巴の飛空船上の戦いに決着がつく。
船壁を突き破り、ダリアが乱入。
自分を痛めつけたグラムを守るあせび。
たとえそれが敵でも、無抵抗の人間への暴力は許さない。
ユウとアイコンタクトする表情の切なさ。
視線だけで通じ合う、相思相愛ぶりが妬ましい。
「倫理観」発言で、あせびは10年代を代表するヒロインのひとりとなったが、
どうやら作者はふてぶてしいダリアに情が移ったらしい。
ふたりはアンドロイド。
あせびは義理がたく、闘うときは専守防衛。
ダリアは自由奔放で、攻撃的。
彼女らの性分はプログラムされたもので、衝突するのは宿命。
そしてダリアの内面に、「嫉妬」とゆう一番厄介なバグが発生する。
最後まで勝手気儘に、他者を翻弄しつづけるダリア。
涙を風に散らしながら雲のなかへ消える。
連載開始前の読み切りと4巻の絵柄はほとんどおなじ。
もともと完成していたのかもしれないが、ちょっと物足りない。
舞台も、戦闘スタイルも、あせびの服装も変化にとぼしい。
どうも梅木泰祐は、ストーリーに集中するタイプの作家らしい。
魅力的な描き手なのに勿体ない。
アンドロイドの内面を描き切った次は、「お色直し」に健筆を振るってはいかが?
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明『リヒト 光の癒術師』
リヒト 光の癒術師(ハイレン)
作者:明
掲載サイト:『GANMA!』(コミックスマート)2013年-
単行本:エッジスタコミックス(小学館クリエイティブ)
[特設サイトはこちら]
物語はヨーロッパ風のちいさな村から始まる。
やさしい笑顔の少女「ティナ」が治癒魔法をつかう。
現実世界の看護師にあたる「癒者(いじゃ)」をめざし修行中。
本作はファンタジー設定にもとづく医療漫画。
作者は現役看護師だそうで、現場の緊迫感がよく描けている。
甘っちょろい理想ばかり語る一方で、
命を預かる責任をわかってないティナに、先輩の「ルグ」が激怒する。
青褪める顔つきなど誇張ぎみの感情表現と、生易しくない人間関係。
熱い漫画だ。
両親の死や、癒者になるのに反対する姉との葛藤なども描かれる。
墓参りのシーンの大胆な黒の構図は、作者の力量をしめす。
『リヒト』は、単なる少女の成長物語にとどまらない。
火災発生の急報をうけ、幻獣にのり救出へむかう癒者たち。
癒者の最高位は「最高癒術師(ナイチンゲール)」と呼ばれる。
中二病ファンタジーとしての仕掛けが壮大。
限界までひろげた風呂敷と、80年代風の絵柄と、ピュアで高潔なヒロイン。
ほかに比較対象が思い浮かばない作品だ。
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目黒三吉『おにぎりちさ』
おにぎりちさ
作者:目黒三吉
掲載サイト:『コミック アース・スター』(アース・スター エンターテイメント)2015年-
単行本:アース・スターコミックス
夜の西武池袋線。
車内は空いてるのに、女子高生が痴漢被害にあう。
物語の冒頭としては、使い古された手法。
この事件に対し誰がどう反応するかがカンジン。
ヒロイン「ちさ」はまったく動じず、男のポケットからナニやら取り出す。
TENGAのおしゃれなバイブレータだ。
痴漢も進化している。
先っぽが濡れてる理由については単行本で御確認を。
一応「吹奏楽部所属」となっている、ちさのケースから金棒が出た。
モダンなデザインの。
「変異体」と呼ばれるオニを退治するのが彼女の仕事。
彼女自身オニでもある。
アクロバティックな立ち回りが見もの。
ちさはオナニーがだいすき。
同族に接すると火がついてしまう。
エロスとバイオレンスとミステリーで読者をつかむ、
かつて長くコンビを組んだ奥瀬サキ直伝の(?)伝奇アクションだ。
敵味方の見境なく鎌をふるう、狂気のツインテ少女「麻夷理」もステキ。
作画のクオリティは文句なし。
ストーリー面は、読者に第2巻も買わせるつもりならサービス不十分かな。
ちさが警察に協力する理由とか、意外な黒幕の影とか、もっと匂わせていい。
まあ、意図してのハードボイルド様式だろう。
ヒロインのたたずまい、かもしだす気配は稀なるもの。
本作は既視感あるけど、尖ってもいる。
23区のわりに鄙びてるが、池袋へのアクセスがいい西武線沿線っぽい空気。
イタズラしたら噛みついてきそうなちさに、僕なら痴漢行為は我慢する。
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『世界観のつくり方 イラストレーション作家の創造力』
世界観のつくり方 イラストレーション作家の創造力
編著:株式会社Playce
発行:エムディエヌコーポレーション 2014年
[公式サイトはこちら]
ファンタジー・ミリタリー・アイドル・大正レトロ・学園生活・オカルト・日常生活。
6人のイラストレーターに6種のジャンルを描かせ、
その世界観がどう構築されているか解説する技法書。
しばふ氏の「ミリタリー」が圧巻。
アフガニスタンで治安維持活動をおこなうイギリス軍兵士ふたり。
左の武器はなんて言うんだろう、かっこいい。
マイナー兵器でミリオタをよろこばす。
モノだけでは「イラスト」として完成しない。
塗りの段階で右の少女を、笑顔から緊張した表情へかえた。
「憧れ」とゆう関係性がうまれる。
女の子の肌は白やピンクに近づけたくなる。
ここは誘惑に抗い、明度を落とす。
天幕の下だから影がかからないとおかしい。
かわいさより、リアリティ。
光は、光るべき物にあたえよ。
ペットボトルのラベルは彩度の高い青と赤で、殺伐とした職場の癒やしに。
この水はナルゲンボトルへ補給。
黒光りするL85A2。
入念に整備をおこなう、持ち主の几帳面さがあらわれる。
絵師もパーツごとの塗り分けの労を惜しまない。
この引用画像では伝わらないが、仕上げ時に空の色を調整、
逆光による「白飛び」にして報道写真っぽく演出する。
肉眼から離れた誇張表現が、見る者を戦場へいざなう。
ぶーた氏による「学園生活」。
放課後の一瞬を切り取る。
カーテンのシワや陰は、描線でなく色でつけ、窓枠が透けて見える様に塗る。
空気の揺れがあざやかに浮かぶ。
物理が、少女の心理とシンクロナイズ。
艶っぽい場面だが、差し色の数をしぼり、中央にあつめ上品な印象に。
赤と緑の補色を交互に配置、ミニマムな表現で最大限のひろがりを獲得する。
新井陽次郎の「日常生活」。
下校途中に小学生男子がみた、ハッとする光景。
金網の向こうの少女の髪とスカートが、風になびく。
ジブリ出身のアニメーターであるせいか、いまにも空を飛びそう。
緑色のおおい構図だが、少女のランドセル・カラーコーン・少年のズボンが赤。
補色を点在させ、「緑っぽい絵」と思われるのを回避しつつ、
四隅に画鋲を刺す様に、幻想を現実世界へつなぎとめる。
『ラスマス・フェイバー・プレゼンツ・プラチナ・ジャズ~アニメ・スタンダード・ライヴ・アット・ビルボードライブ東京~』ジャケット
僕は、人間が生きている世界には必ず争いが存在すると考えているんです。
悲しいいさかいやぐれつな殺し合いは、決してなくなることはない。
描いた世界の向こう側に、そういうものもあるのだろうと
感じさせる絵が描けたら良いなと思うんですよね。
アニメーター・吉田健一へのインタビュー
女の子の笑顔や服装以外にも、世界の構成要素は存在する。
光と闇、補色と同系色、心理と物理、希望と絶望……。
セリフより雄辯に、アニメーションよりダイナミックに、タブレットから音楽を奏でる。
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いづみみなみ『恋ヶ窪プリンセスハニー』
恋ヶ窪プリンセスハニー
作者:いづみみなみ
掲載サイト:『まんがライフWIN』(竹書房)2014年-
単行本:バンブーコミックス WINセレクション
左の金髪娘はシャルロッテ・フォン・リントヴルム、通称ロッテ。
リントヴルム公国の第一王女だ。
母国での窮屈な暮らしに疲れ、留学を名目に来日。
「少女漫画みたいな恋愛(笑)」に憧れる、ロッテ姫の脳内はピンク色。
しかも『少コミ』がバイブルなのでエロスに関心ありまくり。
国分寺市恋ヶ窪に騒動を巻きおこす。
「エリザ」は姫の護衛をつとめる軍人。
異国の文化をさぐろうとマクドナルドへ潜入、女子高生の会話に聞き耳たてる。
ギャルの発言は理解不能。
部活系女子は上下関係が軍隊よりきびしくて震える。
すこしはオシャレするよう姫に言われて買い物にゆくが、
気配を消して背後をとるアパレル店員に仰天する。
おなじく『まんがライフWIN』連載の『姫のためなら死ねる』と共通する、
「姫と従者の百合」ものだが、豊富なあるあるネタで攻めるのが本作の特色。
グラサン黒スーツの男たちも、姫の護衛。
モブキャラだが、こっそり姫様のツイッターアカウントを確定しておもしろがったり。
絵柄の可憐さとギャグの辛辣さの相乗効果が突き抜けている。
数年前の回想シーン。
権力争いに巻きこまれるなど、宮廷での生活は不幸だったと明らかに。
モテ系女子「綾香」との入浴シーン。
たがいの秘密を共有しあい、心の距離がちかづく。
土台はシュールなドタバタギャグ4コマだけど、
少女たちの内面も丁寧に描く、うつくしい百合作品だ。
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小説19 「7月20日事件」
『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』
軍服に身を包むエーリッヒ・フォン・マンシュタイン元帥が、高台から阿賀野川にかかる橋を一望する。前夜のサスーリカ軍の空挺作戦は撃退した。次はどこから渡河するつもりか。それとも、こちらから仕掛けるべきか。
彼は疲弊した三十二個師団で、七百キロに及ぶ戦線を維持している。時間を稼ぎ、敵に出血を強い、講話の糸口を探る。総統エイダ・ヒトラーにその気があればの話だが。
艶やかな黒髪をアップにした、十六歳のクララ・フォン・シュタウフェンベルク大佐が足早に歩み寄る。予備軍参謀長を務めており、新編成について打ち合わせに来た。参謀タイプだが勇敢な指揮官でもあり、アイゼン軍の次世代のエースと目される。
「元帥閣下、敬礼を省略することをお許しください」
「かまわん。遠路はるばる御苦労」
シュタウフェンベルク大佐は、戦傷を負い右手・左の二本の指・左目を失った。だが黒い眼帯を着ける姿は凛々しく、美貌はいささかも損なわれてない。
クララが言う。「昨晩は渡河作戦を見事に阻止されたそうで」
「陽動だろう。いや、兵力に優る敵軍は、結果的に失敗を陽動作戦に変えてしまう」
「元帥の将才をもってしても厳しいですか」
「いや、別に」
銀髪の狼はきょとんとする。自分が戦略面で誰かに遅れを取るとゆう発想がない。どんな戦局でも挽回可能と信じている。
エーリッヒの副官であるシュタールベルク中尉が来たのを見計らい、クララが切り出す。
「マンシュタイン元帥に、折り入って御相談があります」
「聞こう」
「エイダ・ヒトラーへの措置についてです」
「……なんだと?」
エーリッヒは虚を突かれる。副官が横目で顔色を伺う。国防軍がエイダの介入を嫌っているのは確かだが、大胆で不遜な発言だった。
クララは畳み掛ける。「国家と民族の危機において、一政治家ごときを恐れる必要がありましょうか」
エーリッヒは、黒髪の大佐が脇に抱えるアルミのアタッシュケースが気に掛かる。ひょっとして中身は不穏なものではないか。
「君ほどの軍人が、忠誠心を軽んじるとは驚きだ」
「傲慢に聞こえたら謝りますが、国家に対する忠誠は元帥に劣らないと自負しております。私の同志たちも同じく」
「叛乱に加担しろと言うのか」
「拙劣な作戦指導と、【ヴァンピーア】に対する非人道的行為の全責任は、ヒトラーにあります。本人がそれを認めないなら、強制的に退場させるしかない。元帥には再建後の軍をお任せしたい」
クララの右目の光が、エーリッヒの乱れる心を貫く。全軍の指揮権は、彼が切望するものだ。
「し、しかし、ヒムラーやゲーリングがどう出るか。権力の空白はアイゼンを弱体化させる」
「取るに足らぬ連中です。国防軍が一致団結してさえいれば」
エーリッヒの理性はとっくに黒髪の大佐に説得されていた。だが、決心できない。恋人を、いや恋人だった女を、暗殺してよいものか?
「ダメだ……大佐、それはダメだ。アイゼン軍人は謀叛など起こさぬ」
「軍人だからこそ、国家のため御決断を!」
「僭越であろう! 君に軍人の何たるかを説教される謂われはない。シュタールベルク、他方面はどうなった。報告しろ」
「元帥!」黒髪の少女は怒気を発する。
「シュタウフェンベルク大佐、君は優秀な将校だ。その才能は前線で、敵軍に対し発揮するといい」
信州北部にあるヴォルフスシャンツェは、「狼の砦」を意味する指揮所で、エーリッヒに恋い焦がれていた頃のエイダが命名した。説得が不首尾に終わったクララが、会議に出席するため到着。
真の目的は、エイダの暗殺だが。
厳重なボディチェックを受け、アタッシュケースを取り上げられる。想定の範囲内。
会議室には二十数名の高官が詰める。屈強な護衛がエイダの両脇を固める。素手での攻撃は無益だ。入室したクララに、エイダがウィンクする。負傷して以来、気遣いを見せていた。
「……そうだ、ヴェンクがいる! 第十二軍を向かわせろ!」
エイダは拳を振り上げ絶叫するが、将帥たちは冷や汗をかきつつ互いに目配せする。そんな部隊は実質的に消滅していたから。
クララは内心で嘲笑する。やれ元帥だ上級大将だと肩書だけ立派だが、得意なのはお追従だけで、事実を司令官に伝えることすら出来ない。
憤慨するエイダはテーブルを蹴飛ばし、護衛を連れて控室に入った。ソファに身を投げ出し悪態をつく。
「覇気のない老人ども! 全員クビだ!」
クララも続いて入室。「同感です。タバコ臭いのも嫌だなあ」
「そうなんだよ! クララは吸わないのか?」
エイダの嫌煙家ぶりは有名で、面前で吸う者はいないが、微かな臭いだけでも不快がる。
「全然吸いません。あとあの部屋、汗臭いですね。我々女子が男所帯で働くのって大変」
「わかるわかる」エイダは自分の腋を嗅ぐ。「なあ、あたいも臭ってないか?」
「大丈夫です。でも今日は暑いですからね」
「うーん、一風呂浴びるか」
ナデシコ滞在時にお風呂文化に感銘を受け、エイダは各地に大浴場を作らせた。クララの後ろに座り、両手の不自由な彼女のため背中を流す。
エイダはクララの三本指を握る。「……苦労をかけたな」
「国家のためなら惜しくありません。むしろ名誉です」
「まあクララなら、指なんかなくてもモテるだろ。おっぱいも大きいし」
スポンジが正面へ回り、クララは身悶えする。
「それは……わかりかねますが」
「髪もキレイだ。あたいの親友に負けてない。洗ってやるから、髪留めを外すぞ?」
クララは動揺する。「えっ、結構です! 今朝洗髪したばかりなので」
「遠慮すんなって。それとも、こんなオモチャであたいを殺せるとでも?」
金色の髪留めは、裏側が鋭利な刃物だった。エイダは湯船へ投げ捨てる。
万事休す。クララは観念した。
「情報漏れか? いや、そんなはずない……」
「全世界を敵に回した人間は、独特の嗅覚が働くのさ」
クララが振り向き、ふたりの少女が素っ裸で対峙する。
「見上げた根性ではある」エイダは嘆息。「叛逆の罪は許そう。またあたいに仕えてくれないか?」
「……同志は裏切れない」
予備軍を動員する「ワルキューレ作戦」がすでに発動。ベック退役上級大将を首謀者とするクーデターは、未遂に終わると運命づけられていた。
「共謀者は裁判にかけて銃殺刑だ。一族郎党皆殺しにする。でもクララ、お前は事件に無関係な事故死扱いにしてやってもいい」
「私はあなたの暗殺を図った叛逆者だ。そう歴史に名を残すのを望む」
「そうか」
金髪の少女は、獰猛な本能を剥き出しにして襲いかかる。
丸眼鏡をかけ、中学教師風の冴えない容姿のハインリッヒ・ヒムラー親衛隊全国指導者が、長野の総統官邸で吠える。前線から呼びつけたエーリッヒを糾弾。名声において自分を凌ぐ智将の失脚に昂奮していた。
エイダは苦虫を噛み潰している。
「ヒムラー、もういい。ちょっと外してくれ」
叛乱罪を問われるエーリッヒは沈黙。ヒムラーのごとき雑魚と対等に議論するなど、彼のプライドが許さない。ようやくエイダに向かい口を開く。
「アディ、私を犯罪者の様に扱うのはやめろ」
「うるさい」
「まさかお前まで疑うのか? 副官を呼んでくれ。彼が潔白を證明してくれる」
「黙れ! これ以上あたいをミジメにするな!」
大量の涙がマホガニーの机に水溜りを作る。辯解の余地なしと、鈍感なエーリッヒも悟った。
「この先だれが戦略を立てるんだ。お前には私が必要だ」
「アイゼンに裏切り者の居場所はない! 兄者、【シュトック】を出せ」
銀髪の青年は、妹分に命じられるまま端末を机に置く。軍人の家に生まれ、可能な限り政治から身を遠ざけてきた男が、政治的に失墜した。
「エーリッヒ・フォン・マンシュタイン。汝は本日をもって、アイゼンの全官職から無期限で追放される。以上だ」
エーリッヒは無言で退室。エイダはカーキ色のジャケットの袖で涙を拭う。
クララは最期まで真っ直ぐだった。それに比べてなんだよ、兄者のやつ。カッコ悪すぎるじゃんよ。あたいに男を見る目がなかったんだな。
世界を手に入れかけたはずなのに、すべて失った。でもあたいは絶望しない。
あたいの物語はこれから始まる。
のちにエーリッヒ・フォン・マンシュタインは、予備役として終戦を迎える。戦争犯罪に関して軍事法廷で有罪判決を下されるが、連合国は彼に好意的であり、刑期途中で釈放される。回顧録『失われた勝利』を出版するなど、その後半生は暗いものではない。
しかし歴史家は、彼の自己辯護を批判的に検證し、アイゼンの戦争犯罪に少なからず関与していたと暴くのだった。
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長月みそか『そこテストにでます!』
そこテストにでます!
作者:長月みそか
掲載誌:『まんがタイムきららフォワード』(芳文社)2015年-
単行本:まんがタイムKRコミックス
高校1年の「もみじ」は、絵に描いた様なツンデレキャラ。
絵それ自体が異彩を放つ。
クリップ状の髪留めに、凛とかがやくオデコ。
仁王立ちしても内股ぎみで品がある。
人差し指の半端な力み具合に、デレ要素がこもってる。
主人公「柊(しゅう)」は男子校にかよう高校1年生。
はからずもバイトをはじめた学習塾は、講師も生徒も女子ばかり。
本作はいわゆる「ハーレムラブコメ」だが、学園ものと違い風通しが良好。
『のぞむのぞみ』で思春期の性愛をとことん極めた、
長月みそかのラブコメなんて、おもしろいに決まってる。
本稿のテーマはヴィジュアル面に特化したい。
たとえば「人を駄目にするクッション」的な、「くるみ先生」の男子のあやしかた。
みそか先生の描く女子は、フィジカルに読者へうったえる。
小学6年の「いろは」。
幼女と合法的に仲良くなれるのは、塾ラブコメならでは。
キッズファッションの可憐さはいつものみそかクオリティだが、
リュックを後ろ手にもつバランスが、JSならではの軽量感をかもしだす。
みんなで動物園へ。
生物のお勉強?
やたら描き込まれた動物と女子が並列される。
動物園としてのハーレム。
もみじの長めの袖と迷彩柄のスカートは、生態学的にどんな意味があるのだろう。
もみじが中学時代よりツンツンしてるのは理由がある。
成績次第では、両親と一緒に外国へゆく約束をしたから。
仰向けの額のうつくしさ。
別れの予感に心細くなり、寝返りうつときの華奢な体つき。
シーツをつかむ左手もいじらしい。
小5以来の片思いの相手である「かえで」。
いろはの姉なので傘を届けにきた。
自分の傘と妹の傘の持ち方のちがいで、姉らしさを表現。
レースをあしらった気品のあるカットソー。
雨の匂いが、再会をしっとりと彩る。
「参考書選びを手伝って」とゆう名目で、かえでの方からデートらしきものに誘う。
紅茶のカップにそえる左手のエンジェリックな感触。
重力にエレガントに抗いながら、天界のメッセージをつたえる。
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大河原邦男『メカニックデザイナーの仕事論』
メカニックデザイナーの仕事論 ヤッターマン、ガンダムを描いた職人
著者:大河原邦男
発行:光文社 2015年
レーベル:光文社新書
アニメのメカデザインで知られる著者による回顧録。
竜の子プロダクション(現タツノコプロ)の就職面接を受けるとき、
大河原は東京造形大テキスタイル科在学時につくった反物をひろげた。
見せられる作品が他になかったからだが、
それがどう採用につながったのかは謎だ。
洋の東西を問わず、戦でもちいる甲冑は、機能より「こけおどし」が求められる。
科学および軍事的合理性一辺倒では、ロボットアニメとして物足りない。
たとえばガンダムは頭部にちょんまげがあり、ボディは裃の様で、
刀まで携えたサムライ風のスタイルをしている。
未来を創造するため、武士の時代を参照した。
従来の円柱と角柱をくみあわせたロボットデザインに対抗し、
大河原はガンダムの脚部に「ふくらはぎ」を連想させるシルエットをとりいれる。
オンワード樫山で背広をデザインしいてたので、
直線と曲線を有機的にまとめるのはお手のもの。
硬さと柔らかさ、直線と曲線の融合が、大河原デザインの特色。
入社時のタツノコプロ美術課は、武蔵美出身者が大半を占め、
純粋藝術を志向するアーティスト崩れのあつまりだった。
彼らは風景など描かせるとうまいが、メカの様な「硬いもの」に興味が薄い。
どちらもいける大河原が重宝された所以。
従来のロボットアニメのメカは、正しい意味で「メカ」でなく、
やられたらそれっきりの一種の「人格」として扱われた。
一方、兵器であり工業製品であるザクは、何度破壊されても再登場。
富野由悠季や高橋良輔らにより、メカを中心とした世界観が形成されてゆく。
熱い時代だ。
絵の天才がゴロゴロいるのがアニメ業界とゆう場所だが、
いくら二次元の絵をスラスラ描けても、メカニックデザイナーになれない。
頭のなかでメカの形を構築するのが仕事だから。
子供みたいな好奇心が肝要。
変形するメカを渡すと、子供は説明書なしで夢中になって遊ぶ。
すみずみまで商品を遊び尽くす、容赦ない顧客を相手とするので、
玩具メーカーやメカニックデザイナーは鍛えられる。
大河原はCADソフトを使えるが、基本的に手描き。
メカを頭のなかで動かしてるから、立体にしても不具合は起きない自信がある。
鉛筆一本で未来をデザインする、すごい仕事だ。
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テーマ : 機動戦士 ガンダムシリーズ
ジャンル : アニメ・コミック
中条亮『ドージン活動、はじめました!?』
ドージン活動、はじめました!?
作者:中条亮
掲載誌:『COMIC it』(KADOKAWA)2015年-
単行本:it COMICS
[ためし読みはこちら]
最近はやりの、漫画家の漫画。
専門学校を卒業した20歳の「ハルト」が、デビューできない状況に業を煮やし、
まったく関心なかった同人誌の世界へとびこむ。
双子の妹「ミハル」が指南役をつとめる。
絵は描けないが、いわゆる腐女子で、二次創作の小説まで発行している猛者だ。
ドージンについて、「プロになれない人のお遊び」程度の認識しかない兄に対し、
そこがいかに熱い真剣勝負の舞台なのか力説。
作者はサークル名「エデンの林檎」として同人活動しているひと。
僕みたいに「コミケとか腐女子とかなんか怖い」と思っている、
古いタイプのオタクにとり勉強になる作品だ。
ハルトは、イベントの申し込みや印刷所の手配をしてもらうかわり、
妹が書いたプロットにもとづき二次創作の作画を担当することに。
異様にくわしいホモ行為の描写に恐れをなすが。
慾望に忠実な妹がウザかわいい、新感覚の兄妹ものだ。
漫画製作自体は絵として地味だが、ゴスロリの「紅椿さん」が手伝ってくれたり、
作者ならではの華麗な画風もたのしめる。
BL系作家が描く女の子って、独特の距離感があっていい。
ツイッターでの新刊の告知を、大手サークルにRTしてもらい大泣きするミハル。
相手もアマチュアなのに、そこまで感動するのかと兄は理解に苦しむ。
同人のコミュニティは、鬼の様な妹さえ虜にするらしい。
どうにか原稿は間に合い、オンリーイベント開始。
ホモを愛する女たちが、獰猛な本能に突き動かされジャングルを駆ける。
ミハルは自分の「買い物」もあるので、兄とその友人に売り子を任す。
あの二人はどっちが「受け」かと、さっそく腐女子たちの話題に。
策士ミハルの天才的マーケティングがみどころ。
強引な妹に振り回される、押しの弱い主人公が笑えるコメディだが、
なんだかんだで、プロデビューを目指す兄を応援しているミハルにキュンとくる。
でも彼女が口にすると、「脱稿」が「脱肛」に聞こえるけど。
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江島絵理『少女決戦オルギア』2巻
少女決戦オルギア
作者:江島絵理
掲載誌:『ヤングマガジン サード』(講談社)2014年-
魔法をつかうJK同士が、夜な夜なガチで殺しあう。
『少女決戦オルギア』は、血の匂いのする百合漫画だ。
なんといっても「日常パート」がたのしい。
「雪の女王」の異名をもつ西見堂さんが、
クレープ屋さんでコミュ障っぷりを発揮する場面とか。
カラオケ店では、とあるバンドの中二病曲を熱唱。
女の子が女の子らしく、イキイキしてる。
2巻は新キャラ「瑠璃ノ森もえ」が、おいしいところを掻っ攫う。
腕の腱を切り、反撃の手段を奪ってから、じっくりねっとり拷問。
ぢゅぽぢゅぽと、ナイフを体内に出し入れする感触をあじわいながら犯す。
八十八良『不死の猟犬』の「白雪姫」を髣髴させるが、
見開きで狂気の百合を見せつける豪胆さは、中山敦支的でもある。
細密なナイフの描写が怖さを増幅。
外見は女子力高そうなもえが、暴力衝動に目覚めたきっかけも描く。
内面をさぐる鍵となるエピソードだ。
バトルは魔法のエフェクトが迸り、格闘ではスカートがヒラヒラと舞う。
「舞子vsもえ戦」は、「パラメータ」をめぐる駆け引きが熱い、論理的な構成。
たあいない日常、ギャグ、葛藤、狂気、戦略、バイオレンス……。
男子以外に『オルギア』にないものはない。
これ死闘の翌日です
かわいい女の子とゆうクレープ生地にのせた、ありったけのトッピング。
病みつきになるので食べすぎ注意!
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小説18 「オーバーロード作戦」
『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』
四国は「チャルカ」と呼ばれる国だが、ビッグベンの植民地だった。少なくともこの二百年は。
伊予の松山にあるチャルカ総督府は、ムガール建築の様式を採りいれた「西洋と東洋の融合」とみなせる傑作。だが民衆は、それは融合でなく支配だと声高に主張しはじめた。装飾のない白い布を纏う男女が、無言で総督府を取り囲む。
ウィンストン・チャーチルが肥満体を揺らせ、入口の階段の上に立つ。鉤爪のついた槍「クロムウェル」を携えて。
「失せろ、乞食ども!」
輝くハルベルトを一閃すると、数十人の頭部が花瓣の様にちぎれ飛ぶ。真紅の滝が階段を洗う。それでも群衆の輪は途切れない。官憲が襲い掛かり一斉に逮捕する。きょうこの場で首脳会談が開かれる。チャーチルは連合国の指導者の前で面目を保ちたい。
騒動が鎮まったころ、車内で難を逃れていたユリア・スターリンが姿を見せる。着ているのは透ける素材の赤いドレス。汚物を避けながら階段でヒールを鳴らす。殴られ、引き摺られる禿頭の男に見覚えがある。たしか、マハトマ・ガンジー。「非暴力主義による抵抗」を唱え、実践していた。
「革命もいろいろね……」
かつて手段を選ばないテロリストとして悪名を馳せた、二十六歳の女がつぶやく。
世界はいま、ガラガラと音を立て崩壊する。瞬きしたら、すっかり別物に変わってるのに気づくだろう。
ユリアが食堂に通されると、フランクリン・ルーズベルトが着席していた。車椅子に乗るところを見られたくないらしい。下半身不随である事実は、スパイに暴かれてるのに。
ホスト役のチャーチルが、給仕とともに入室。引き攣った笑顔が分厚い頬に浮かぶ。
「先程は思わぬ醜態を晒し、恐縮の至り」
ユリアはナイフとフォークを取る。「ガンジー氏に手を焼いてるそうじゃない。チャルカは独立しちゃうかな?」
「奴は乞食みたいなナリだが、実際はビッグベンで学んで辯護士になったインテリだ。化けの皮を剥がしてやる」
「自分がそうならないよう気をつけることね」
ルーズベルトがクックッとくぐもった笑いを漏らす。
贅を凝らした晩餐が一通り済んだが、大食漢のチャーチルは飽き足らず、手を叩いて追加を注文する。
「デザートにピザって……」
甘いものに目がないユリアはアイスクリームを頼もうとするが、香ばしいチーズの匂いを嗅ぐと迷いが生じる。
チャーチルがテーブルに大きな世界地図を広げた。鮮やかに色分けされている。
「戦後の勢力図を描いてみた。御意見を伺いたい」
ユリアの声はアイスより冷たい。「なにこれ。赤がサスーリカの領土ってこと?」
東北地方だけ赤く塗られている。旧領回復しか認めないとゆう意志の表れか。
「もともと広いから十分だろう」
「冗談よして」
赤いドレスの女は、ワインの残りを中部地方一帯へぶち撒ける。チャーチルを睨みつけて言う。
「血を多く流した者が報いられるべきよ」
「それではヒトラーの帝国と変わらない!」
「へぇ、ならビッグベンは植民地を捨てるのね?」
「詭弁だ!」
両者は立ち上がり角突き合わせる。植民地獲得レースに距離を置くルーズベルトは、薄笑いしてシェリーのグラスを傾ける。
チャーチルが重い腰を下ろす。「……まぁ貴国の主張も分からんでもない。それなら我が国は琉球の支配を認めていただきたい」
「知らないわよ。取りたきゃ自力で取れば」
バトル・オブ・ビッグベンで疲弊しており、西部戦線以外に割ける兵力はない。チャーチルは憤然として退席する。
「無礼な牝狐だワン!」
この世界戦争はウィンストン・チャーチルが始め、優れた戦略眼により勝利を確実なものとした。そして、政治的に敗北した。もはやビッグベン帝国の維持は不可能だった。
几帳面なルーズベルトが、ピザカッターで正確に八等分する。
「哀れなチャーチル……時代錯誤の帝国主義者だ」
ユリアが尋ねる。「あなたは違うの?」
「私なら、もっとスマートにやる」
ピザの一切れをユリアが取ろうとすると、ルーズベルトと手が触れる。好色な二十四歳の青年は刺激され、女の豊満な胸元を凝視。弟との旅行で着るため買ったドレスだ。
ユリアが男と寝る動機は、打算か知的好奇心。いまは後者が勝る。下半身不随者はどんなセックスをするのだろう。
「ねぇ、あたしの部屋の場所知ってる?」
二〇四四年六月六日午前一時。琵琶湖上空。
暗闇を飛ぶリバティアの輸送機を、アイゼンは対空砲火で歓迎。機上では第一〇一空挺師団がパラシュート降下に備える。
緑のランプが点灯した。
「カラヒー!」
恐れ知らずのジャンパーが次々と重力に身を委ねる。機内の方が危険だからでもあるが。
夜の農場へ無事に着地する者、足を骨折する者、、沼に落ち溺死する者、木に引っかかり敵に射殺される者、パラシュートが教会の尖塔に絡まり宙吊りのままの者……。
リチャード・ウィンターズ中尉は混乱のなかで装備一式を紛失したが、命があるだけ幸運と思っていた。とにかくE中隊の部下と合流したい。
農村をしばらくさまよい、三名見つけた。
「おい、地図とGPSはあるか?」
「ウィンターズ中尉、御無事でしたか! あ、ライフルを失くされたので?」
軍曹は地図だけ貸した。ライフルは歩兵の命、相手が誰だろうと渡さない。
ウィンターズは月明かりに浮かぶ風景と、地図を照らし合わせる。クソ、いったいここはどこだ。有能な士官である彼も途方に暮れていた。アイゼン軍に包囲される予感に戦慄するが、部下の手前表情に出さない。
軍曹が不安げに聞く。「次の目的地は?」
ノコギリを引く様なアイゼンの機関銃の射撃音が響く。ウィンターズは音が聞こえる方向を指差す。
「あっちだ」
十九歳の物理学者アリース・アインシュタインは、いつも以上に顔色を悪くしてトイレを出た。船酔いする体質で、しかも嵐に巻きこまれたのが辛い。アイゼンからの亡命を余儀なくされ、いまはリバティア軍に協力している。
ドワイト・アイゼンハワー大将による「オーバーロード作戦」は、湖岸を五つの管区に分けて上陸を試みるもの。「オマハ・ビーチ」が一番の激戦区で、すでにエイブラムス戦車二十七両が沈没。
白衣のアリースはよろけつつ、フォード級空母の戦闘艦橋へ戻った。
「ここは人使いの荒い軍隊ッスね……学者は陸に置いといて欲しいッス……」
ルーズベルト大統領が車椅子で指揮を取っている。ユリアにもらったサスーリカの七宝焼のペンダントが首に掛かる。
「アリース、君は今日ここにいたことを、いつか孫に自慢するだろう」
「そんなもんッスかね……」
「ところで、これはもう使えるのか?」
ルーズベルトは車椅子の肘掛けを叩く。アリースは口をへの字に結んだ。
「やめといた方がいいッス。威力が強すぎて味方が巻き添えになるんで」
「私が聞いてるのは、使えるのか否かだ」
「……使えるッス」
飛行甲板に出たルーズベルトは、肘掛けのボタンを押す。車椅子が変形しだす。バラバラに分解された部品が勢いよく組み立てられ、全身を覆うパワードスーツとなる。そのまま滑走して離陸。
「あっはっは、飛んでるぞ! 足の萎えた私が空を飛んでいる!」
血潮で赤く染まった波打ち際を越える。機銃掃射を装甲で跳ね返す。崖の上を旋回しつつ、レーザー光線を放ち砲台を破壊した。
地上へ降り立ち、海岸線に釘付けされた上陸部隊と合流。
「指揮官は誰だ!?」
第五レンジャー大隊長マックス・シュナイダー中佐が、水中障害物の陰から答える。
「サー・アイ・アム・サー!」
「君と君の部下には、死ぬ覚悟はあるか?」
「……アブソルートリー・サー!」
シュナイダー中佐は目を吊り上げて絶叫。もし自分の部下が臆病だと言うなら、たとえ大統領だろうとぶん殴ってやる。
「よし」ルーズベルトは頬笑む。「いい顔だ。人の死には二種類ある。有意義な死と、無意味な死だ。わかるか?」
「イエス・サー!」
「リバティアの軍人なら前者を選べ。レンジャーが道を拓くんだ!」
奮い立った大隊長に率いられ、死兵と化したレンジャー部隊が銃砲弾の雨のなかを突進する。
「これが戦争ッスか……」
艦橋でモニターを眺めるアリース・アインシュタインの紅い瞳が潤む。【ヴァンピーア】である彼女は勿論、民族を迫害したアイゼンを憎む。だからこそリバティア軍に手を貸すのだ。
でもそれは正しかったのか。自分の発明を軍事利用させるのは、悪魔の所業ではなかったか。
「いま開発中の、あの兵器だけは使わせちゃいけないッス……誰であろうと……」
天才科学者のつぶやきに反応し、後ろに立つ背広の男が咳払いする。機密流出を恐れ、FBI職員が二十四時間監視を行っている。
アリースはボサボサの髪を掻いた。
これが自由の国の正体ッスか。なにが正義なのか、ウチにはもう分かんねえッス。
ナデシコの姫さん。いまは敵同士だけど、あんたには忠告したいことが山程あるッスよ!
防衛戦を託されたアイゼンのB軍集団司令官エルヴィン・ロンメル元帥は、妻ルーツィエの誕生日を祝うため信州南部にいる。
朝食を支度するルーツィエが夫の服装に気づく。
「あら、きょうは朝から軍服なのね」
「まあな」
夫婦の静かな時間を、一本の電話が妨げた。参謀長シュパイデル中将からの報告に、受話器をもつルーツィエは蒼白となる。
「あ、あなた……敵が……」
「わかった。ありがとう」
ロンメルは話を聞く前に立ち上がり、ナプキンで口元を拭いていた。まるで予期した様に。電話を代わり、簡潔に指示を下して切る。
「ルーツィエ、私はいまから前線へ行く。これが……」
「これが?」
「……これが、永遠の別れになるかもしれない」
「御武運を信じて待ちます」
「そうではない。もはやこの戦争は継続する意味を失った。よい負け方をするのも、将帥の重要な役目だ」
まだ少女の面影を残すルーツィエが首を傾げる。
いかなる軍隊もケダモノに違いないが、ものには程度がある。サスーリカより、リバティアに敗れた方がマシなのは自明。
累が及ぶ恐れがあるため、サボタージュについて妻には話してないが、目を見れば大体通じる。女なら、敗北のあとに何が待ち受けるか本能的にわかるだろう。
ロンメルは、妻が用意した革のコートに黙って袖を通す。
ルーツィエは気丈に振る舞う。「お仕事のことは私には分からないけど、あなたが総統から寵愛されてるのは周知の事実。最後まで信頼は変わらないでしょう」
「いや、総統は厳しいお方だ。叛乱の罪でも着せられるのではないかな」
「そんな!」
「むしろ、その方が幸せかもしれん」
誇り高いロンメルにとり、戦争犯罪人として裁かれる未来に希望は持てない。
ロンメルは夢想する。もしアイゼン軍が、マンシュタイン元帥が全軍を総攬し、自分やルントシュテットが彼の下知に従い世界を駆け巡る組織だったら。思い描くだけで胸が躍るではないか?
泣き出しそうなルーツィエの頬に口づけする。
「私は私なりに最善を尽くす。君も前向きに生きてくれ。特にマンフレートはよろしく頼む」
「はい……どうか無理をなさらないで……」
略式元帥杖を手に取り、「砂漠の狐」は絶望的な戦場へむかった。
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西尾雄太『アフターアワーズ』
アフターアワーズ
作者:西尾雄太
掲載誌:週刊ビッグコミックスピリッツ増刊『ヒバナ』(小学館)2015年-
単行本:ビッグコミックススペシャル ヒバナ
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内臓を揺すぶるビートが響くクラブで、ふたりは出会った。
ショートカットで小顔の、お姉さん風な「ケイ」は、
あまり遊び慣れてない「エミ」に、クラブの楽しみ方をおしえる。
やりたいことを、なんでもすればいいの。
ケイはDJとして活躍。
流されやすいタイプのエミも、請われるままステージにたつ。
曲にあわせ映像を編集するVJだ。
コンピュータ関係の仕事をしてたとかで、案外サマになる。
ケイの住まいは、ビルの隙間にあるボロアパート。
酒と音楽でハイになった勢いで、その日はじめて知り合ったのにお泊り。
そっちの気があるらしいケイがグイグイせまる。
クラブ文化と同性愛文化は密接な関係がある。
僕はどちらも知らないが、こうゆうコトはあるんだろうと思えるリアルさ。
本作の題材は、オタク男子の空虚な妄想である「百合」より、
LGBT共同体を背景にした「レズビアニズム」にちかい。
「心がぴょんぴょんするんじゃ^~」的な悪ふざけに匕首をつきつける、
カッティングエッジな漫画だ。
長髪だったころのケイ
少年ぽい風貌のケイは若々しいが、実は30歳。
クラブシーンの良い面も悪い面も見てきた。
イベントが不入りだったら、参加したDJが持ち出しで損失補填するとか、
華やかなだけじゃない夜の街の事情が興味ぶかい。
作者・西尾雄太は、STAG名義でイラストレーターの仕事をしてきた人だが、
サブカルの殿堂と言われるヴィレッジヴァンガードの店長だったりと、
なるほど僕が不案内な界隈にくわしいから描ける作品とわかる。
夜明けの渋谷駅前を仲間とあるく。
この気持ちよさを味わったら、刺激のない生活にもどれない。
タクシーのなかでホッとしてまどろむふたり。
たとえワンメーター分でも世界から切り離され、
互いが互いにとって大切だとゆう事実をたしかめあう。
この夢見心地のやさしさ。
なんだかんだで本作は「百合」だ。
きっとそこにある何かをもとめ、道玄坂を行ったり来たり。
2015年の「シーン」はまだまだおもしろいよと、キックをいれる作品。
もしあなたが日常を退屈だと感じてるなら、
心のターンテーブルに『アフターアワーズ』をのせてみては?
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漫画における日本の神
売れない声優が評判のアニメを羨む様に、古事記を語る少女。
マイナーな神なので。
ほかに八百万もいるため競争がきびしい。
PAPA『ミソニノミコト』(まんがタイムKRコミックス)1巻から。
稲荷神社に祀られる「宇迦之御魂(ウカノミタマ)」。
いわゆる「お稲荷さん」。
本当はキツネの神様じゃないが、混同されがちな風潮にあわせケモミミ着用。
トップの地位に居続けるには苦労がおおい。
神道の本質は、清潔さ。
塵ひとつない民家の玄関に立つJKと神様のたたずまいに、日本らしさがある。
未影『神様生徒会部!』(まんがタイムKRコミックス)も、同じくきらら系の神道もの。
「天津テラス」をなのる天照大御神が生徒会長に立候補、高校を仕切ろうとする。
太陽の神だから、ぱあっと明るい性格。
こちらは妹の「月読(ツクヨミ)」。
夜を象徴する神でネクラだが、お姉ちゃん大好きなシスコン少女でもある。
僕も小説に書くためすこし調べたが、ツクヨミはよくわからない存在。
アマテラスと対をなすキーパーソンになれるのに、記述がとぼしい。
神道の体系性のなさが如実に表れており残念だけれども、
その分想像の余地があり、実際本作ではツクヨミが一番のお気にいり。
神道がユルいのは、21世紀の日本人に萌えを提供するためだったのか?
さかもと麻乃『私も世界を終わらせたい』(KC×(ITAN))、完結の第2巻。
6話は、野球少年に恋したヘビ神のエピソード。
この緊張感みなぎる構図!
鬱蒼たる木々の描写は、中山敦支と東西の横綱が張れる。
運命を司る天照大神が、ラスボスとして立ち塞がる。
さかもと麻乃はアマテラスを「暗黒の空間」として描写。
あざやかに宙返りをきめるイマジネーション、まさしく天才の霊感だ。
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雨と棘『少女熱』
『授業参観』
少女熱
作者:雨と棘
発行:茜新社 2015年
レーベル:TENMA COMICS LO
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ロリ漫画界に一時代を築いた作者の、7年ぶりの単行本。
長いスランプに陥ったあげく、原作者を募集してコンビ結成、
ペンネームは「雨がっぱ少女群」から「雨と棘」へかわった。
授業参観で父娘は、ほかの生徒・父兄・教師を縛り上げ、
自分たちの「愛の形」を実演してみせる。
ママ連中は拘束するまえに一応、嫌かどうか聞いてるし、
娘も合意のうえだから、これは「強制」じゃないとゆうリクツ。
校内放送で家族愛を謳いあげる。
ことほど左様に、ロリ漫画はリクツっぽい。
いかなジャンルでも、物語で人物は葛藤し、自発的に行動する。
少女らは決して「ちいさなダッチワイフ」ではない。
登場人物が、何か特定の事件に反応するその様子によって、
その人物を劇的に表現することができるのである。
ドラマの本質は、つまることろ、人種や、肌の色、文化的素養の違いを超えて、
人間同士のかかわり合いを表現することである。
シド・フィールド『映画を書くためにあなたがしなくてはならないこと』(フィルムアート社)
ドラマがドラマである以上、人権思想と折り合いをつける必要がある。
ロリ漫画家が多辯なのは当然。
僕のお気にいりの一篇、『放課後少女』。
事後に13歳の「君嶋」が口にした爆弾発言による、逆転現象が痛快。
18世紀の偉大なドイツ人哲学者ヘーゲルは、
悲劇の根本は片方が正しくて、もう片方が正しくないということや、
善悪の対立から生まれるのではなく、
どちらも正しいということから生まれるのだということを述べている。
つまり、弁証法的に言えば、「正しいもの」同士の対立が悲劇なのである。
前掲書
『夢を廻る円環』は、「雨がっぱ少女群」名義のSF作品。
廃墟と化した東京で、失業したての青年が山手線に乗る。
一時間に一本だけ運行している。
作者の心象風景だろう。
まるでメリーゴーラウンドや観覧車みたいでたのしくて、
少女は一日中山手線に乗り続ける。
ときに客を取り、食い扶持を稼ぐ。
倒産した会社で手掛けていた遊園地の計画図を青年が見せると、
少女はまぶしい笑顔でよろこぶ。
「絵は私を裏切らない」と言って。
精神の廃墟で、自滅へむかうスパイラルを下降する僕らの慾望と正義を、
少女は反定立の形でうけとめ、矛盾の力学として展開。
澄まし顔で肯定し、笑顔で否定する、永久的な革命運動。
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小説17 「スターリングラード」
『わーるど・うぉー!! かれらの最高のとき』
かつて仙台と呼ばれたその都市は、革命家の偉業を讃え「スターリングラード」に改称された。だが、うつくしい「杜の都」の面影は跡形もなく、痛ましい廃墟と化している。
砲撃で半分倒壊した団地を、ネズミの群れが走り回る。最近は人間の屍体にありつけるので、ますます活発だった。男たちが無言で鍋を囲んでいる。煮ているのは革のベルト。溶かせばゼラチンとなり食べられる。ズボンを穿くとき困るが、彼らは餓死を先延ばしするのを選んだ。
団地から、不自然な勢いで子供の数が減っている。住人は噂する。女ピアニストの部屋に、小さな人骨が積まれるのを見たとか。だが敢えて確かめるものはいない。生きるため何でもするのはお互い様だから。
最上階にふたりの軍人がいた。紅茶を飲むのがユリア・スターリン。カーテンの隙間から、狙撃銃型のモシン・ナガンのスコープを覗くのが、ヴァレーリヤ・ザイツェフ。色素をほとんど持たない十六歳の少女で、つややかな金髪はプラチナ色に輝く。ライフルはガイスト強化されている。
噴水のある広場にアイゼン国防軍の歩兵中隊が集合していたが、指揮官による通達を終え解散する。
ユリアが沈黙を破る。「撃たないのね」
「あれは下っ端……弾が勿体ない……」
ヴァレーリヤの声は、ほとんど聞き取れないほどか細い。
太った国防軍少将が、酒でも入ってるのか陽気に叫びながらベンチに座る。サスーリカ人らしい連れの女の肩に手を回す。愛人だろうか。
買ったばかりの美女の顔を見ようとした刹那、少将の右目は七・六二ミリ弾で撃ち抜かれた。
「ハラショー」ユリアが口笛を吹く。「これで二二四人め」
血塗られたベンチに残された女のパニック状態は、装填に要する二秒間だけ続いた。
苦笑するユリア。「ありゃりゃ、同胞まで殺すの」
「売女は……死ぬべき……」
狙撃手は小声でつぶやき、無表情のまま手早く備品を回収。
撃たれた女の、食うため体を売るしかない窮境を理解できるが、ユリアは射手を批判しない。ヴァレーリヤは、敵味方問わず畏怖される英雄だった。
党書記長と伝説の狙撃兵は、アイゼン軍に居場所を察知されずに脱出した。
ヴァレーリヤが慣れた手つきでマンホールの蓋を外し、下水道へ降りてゆく。
ユリアは珍しく狼狽。
「ちょっと、あたしは置き去り!?」
狙撃兵は顔だけ出す。「ついて来るなら……守る……」
「嫌よ、こんな不潔なところ! それに昨日、火炎放射器で焼かれたそうじゃない」
「だから行く……敵は二日連続でやらない……」
ヴァレーリヤの頭は消え、穴から軽快な梯子の音が響く。ユリアは悪態をついて追従、ネズミを踏みつけながら真っ暗な下水道を抜ける。一時間ほどして外へ出ると、そこは郊外の化学工場だった。
ヴァレーリヤは身を屈め、暗い森へ踏み入る。そこは敵の支配地域だった。雪をつかんで口に含む。同伴者にも勧める。
ユリアは眉を顰める。「汚いわね。お腹こわすわよ」
「息が……白くならない……」
ヴァレーリヤ率いる狙撃チームは、六人掛かりで監視を続け、ついにアイゼン軍の高級幹部が隠れ家にする森の開豁部を発見した。
双眼鏡を覗くユリアは息を呑む。エイダ・ヒトラーとエーリッヒ・フォン・マンシュタインが、ふたりきりで逢引きしている。
「でかしたわ! 将軍にしてあげる!」
「うるさい……邪魔……」
「なによ、褒美が欲しくないの?」
「故郷の山に、家を買ってくれたらそれでいい……家族と一緒に住む……」
「無慾なのね」
狙われてるとも知らず、八重歯を見せて無邪気に冗談を飛ばすエイダを抱きしめ、エーリッヒが激しく口づけする。ユリアは舌打ちするが、ヴァレーリヤは無反応。
「いまなら百パーセント殺せる……両方ともやる……?」
「マンシュタイン君は生かして。いや、子猫ちゃんが嘆き悲しむ姿も見たいかな。好きにしていいわ。最終的に子猫ちゃんが死ぬなら何でも」
「わかった……」
ヴァレーリヤは引き金にかけた指に力をこめる。
エーリッヒが耳元で囁く。「愛してる」
「あたいこそ」エイダは夢中で唇を求める。
「アディ、私を信頼してるか?」
「うん」
「なら私に全予備兵力をよこせ」
十七歳の少女は恋人を突き放す。
「卑怯だぞ、こんなときに!」
「お前を思ってのことだ」
「『雷鳴作戦』は読んだ。スターリングラードを放棄する気らしいな」
「一時的に撤退し、時間を稼ぐだけだ」
「ダメだ、この都市は譲れない!」
空爆と砲撃が大地を揺らす。サスーリカお得意の縦深攻撃だ。戦力を小出しにする波状攻撃が延々と押し寄せる。破っても破っても、新たな敵が現れる。まるでマトリョーシカ人形みたいに。
市街戦を続けるパウルス上級大将の第六軍は、完全に包囲され孤立。エーリッヒの立てた作戦は、スターリングラードを脱出したパウルスと合流するものだが、補給不足の第六軍にその余力があるかどうか怪しい。
エイダの直感とエーリッヒの理論、どちらが正しいのか。
険悪な表情で恋人を睨むエイダは、エーリッヒの顔がいつになくスッキリしてるのに気づく。
「兄者、今日はキレイに髯を剃ってるな」
「ん? よくわからんが」
「こう見ると、やっぱ男前だな。ほかに女でもできたか?」
「何を言ってるんだお前は……うわっ」
殺気を感じた少女がいきなり飛びつき、銀髪の青年を押し倒す。銃弾は積雪に吸いこまれ、銃声が森に広がる。
「狙撃だ!」
エイダは横転しながら、光の戦鎚「ティーガー」を起動。この新兵器の威力を恐れるがゆえ、スターリンは狙撃兵に頼った。エーリッヒは膝をつき「パンター」を操作するが、星球を振り回すフレイルの形にならない。
銃撃を三度防ぎつつエイダが叫ぶ。「兄者、何してる!?」
「故障だ。どうやらネズミに齧られた」
「だからあれほど毎日起動しろと……ガイスト鉱をケチりすぎなんだ」
狙いすました五発めの銃弾は、不可視の防壁を突き破り、銀髪の青年を襲う。苦しげな呻き声を漏らしエーリッヒは倒れた。
エイダは恋人を木立の中へ引き摺る。フィールドグレーのズボンが赤く染まっていた。青年はじっと自分の股間を見つめる。
「兄者!」エイダが叫ぶ。「そんな重傷じゃない。はやく立て!」
「やられたかどうか見てくれ……」
「出血も大したことない。歩けるだろ!」
「たのむ」
言わんとすることをエイダは悟る。男性機能を失ったかどうかが心配なのだ。逃げるより。
「……い、いやだよ。自分で確かめろ」
「アディ」
「馬鹿ッ! そ、そんなモノなくたって一生愛してやるにゃあ!」
二〇四三年一月三一日、フリードリヒ・パウルス元帥(前日に昇進)がサスーリカ軍に降伏。九万六千人の将兵がそれに続いた。
民間人の死者は四万に及んだと言われる。
越後の総統大本営にある指揮所で、エーリッヒは地図上の兵棋を動かす。上機嫌に見えるのは、男性自身が無傷と判明したからでもあり、東部戦線が敗色濃厚になったからでもある。
彼の様な戦略家は、不利な局面の方がやりがいを感じる。あちこちの戦線から兵力を掻き集め、再編成し、作戦の重心を移動させることで主導権を奪い返す。
これほどの知的昂奮、モーツァルトでさえ感じていたかどうか。
「楽しそうだな」エイダが入室。「兄者にとって戦争はスポーツと同じなんだ。ゲームなんだ」
「高度な専門家であるとゆう意味で、私とプロスポーツ選手に共通点はある」
「どうしてそう可愛気がないんだろ。あたいがいなけりゃ、兄者に恋人は絶対できないよ」
「そうだな」
ふたりは唇を重ねる。そのキスは、徐々に苦味が混じる様になった。
「あたいが死んだら、兄者はどうする?」
「……考えない訳ではない」
「で?」
「わからない。そうしないために私がいるんだ。逆に聞くが、お前はどうして欲しい?」
「後を追ってほしい。あたいだったらそうする。国家に誓って」
「…………」
「でも兄者は自殺しないだろう。この戦争には自分の才能が必要とか理由をつけて」
「ひどい言い草だ」
「そのくせ勝つ気がない。引き分けに持ち込もうとしてる。あたいの理想なんて屁とも思ってない。最初から分かってたけど」
「……私は鈍感だから、知らずにお前を傷つけてたかもしれない」
「いいんだ。責めてる訳じゃない。それでも大好きだもん。だけどもう、兄者の前で笑顔じゃいられない。ごめんな」
七か月ぶりに解放されたスターリングラードに続々と物資が運びこまれる。殺到する市民を落ち着かせるため、軍は発砲せざるを得なかった。捕虜に対する陰惨な暴行もおこなわれる。
通常の水準の医療も待ち望まれていた。看護婦がある若者の手から包帯を取ると、すべての指がもげて落ちた。凍傷で壊死していた。
ユリアは天幕の下で、アップルジュースで割ったズブロッカを飲んでいる。テーブルの向かいにもグラスが置かれる。
相談に来たジューコフ上級大将が、グラスに目をつけた。
「同志、御相伴に与ってもよろしいですかな?」
「触らないで。それは弟のなの」
「こ、これは失礼!」
最高司令官代理が慌てて敬礼するのを見てユリアは頬笑み、別のグラスにストレートで注ぐ。
「どうぞ、戦勝祝いよ。ジューコフ元帥」
「元帥?」
「昇進は確実でしょ。我が軍も質量ともに充実してきたわね」
「はっ、身に余る光栄です! すべて最高司令官の御指導の賜物かと」
「あたしは見ため以外のお世辞が嫌いなの。覚えておいて。ところで何か用? あなたが持ってくるのは大抵厄介事だけど」
今回も例に漏れない。反攻に転じたサスーリカ軍のふるまいが、アイゼン領で評判が芳しくない。
ユリアは空のグラスを置く。「具体的にどんな問題が?」
「抑制を失った一部の兵による犯罪行為が頻発してます」
「要するにレイプでしょ」司令官は鼻で笑う。「子供から老婆まで、片っ端から犯してると聞くわ」
「監督不行届の責任を痛感しております。よってここは、同志の御威光をお借りしまして……」
「嫌われ役を押しつけようって腹ね。お断りよ。あたしに怒りの矛先が向かうに決まってる」
「しかし、戦後の占領政策も考えますと……」
「同情はする。逮捕された革命家が、どんな扱いを受けたか知ってる? 汚い独房で、警察の豚どもに何週間も輪姦されたわ」
沈黙しか返ってこない。
「でもあの屈辱なんて、ヤーコフを亡くした痛みと比べたら、ネズミに齧られた程度よ。正直、どうでもいい」
「同志……」
「あなたは長野に一番乗りする戦略だけ考えて。急がないと西からアイツがやってくる」
「アイツとは? ビッグベンもリバティアも、まだ大攻勢に出る気配はありませんが」
「……ふぅ。もういい。下がりなさい」
ユリアは司令官代理を追い払う。ジューコフは優秀な軍人だが、政治はわからない。
リバティア大統領フランクリン・ルーズベルトは、自分と同種の人間と思っていた。目標達成のため、表も裏もあらゆる策を講ずる男だ。漁夫の利を狙い、必ず果実をもぎ取りに来る。
でも、そうはさせない。世界はあたしのものにする。それがヤーシャとの約束だから。
モシン・ナガンを背負う、プラチナ色の髪のヴァレーリヤ・ザイツェフが、天幕の外をとぼとぼ歩くのを見つけた。目が合うと、ニコリともせず会釈。ユリアはグラスを上げて応えた。伝説の狙撃兵は、そのまま人混みの中へ消える。
ああ、あのコ家が欲しいんだっけ。秘書に言っとかなきゃ。ヤーシャ、あなたがいれば、あれもこれも勝手にやってくれたろうに。
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七六『魔法少女ここねはかく語りき』2巻 個性
魔法少女ここねはかく語りき
作者:七六
掲載誌:『月刊ドラゴンエイジ』(KADOKAWA)2014年-
単行本:ドラゴンコミックスエイジ
「魔法少女×ミリタリー」が特色の本作2巻は、新キャラが活躍してにぎやか。
「あき」も「える」も小学生で、より趣味性が増した。
おもに百合方面で。
作者・七六のコロコロした絵柄はこの上なく可愛らしいが、
やや個体差にとぼしいので、おっぱい格差でキャラを立てる。
主人公「ここね」のハイスペックが明らかに。
先輩キャラ「智恵」の魔法は、物質の硬度をあやつれる。
ゴムの様な弾力で飛び、やわらかくした壁に貼りつき、
スパイダーマンもかくやの3次元的な立ち回り。
重厚なメカ同士が激突する1巻と趣向をかえた。
ライバル魔法少女や、自衛隊の近代兵器に包囲された窮地でも、
女子と仲良くなるチャンスを逃さない、ここねの大物ぶりが見どころ。
本巻で見せる立体的なアクションや、図太い外交力のお手本は、
『魔法少女リリカルなのは』だと作者は正直に明かす。
自信のあらわれか。
鬱展開が印象的な1巻からの、「まどマギ→なのは」とゆう推移がおもしろい。
僕が1巻刊行時に指摘したのは、やわらかい女の子のカラダと、
硬い人工物が密着するときのマジカルなエロス。
2巻では壁抜けするときの穴が、女性器をかたどる。
クリシェを恐れない勇気。
ベタな要素の配合によるリリシズム。
『魔法少女ここね』は、脇目もふらず我が道を爆進する。
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青井秋『いとめぐりの素描』
いとめぐりの素描
作者:青井秋
発行:幻冬舎 2015年
レーベル:バーズコミックス スピカコレクション
左から、「縫子」「明」「友枝」。
女子高生のありふれた昼休みの風景。
縫子が真剣な面持ちで刺繍枠に向かうのが、普通じゃないかも。
彼女の家は日本刺繍の工房。
自分もいづれ後を継ぐため修行している。
ある日、祖母が集めていた教習布をみつけた。
調べれば調べるほど、各国の手藝文化の奥ふかさに惹かれる。
中国・イギリス・フランス・グルジア・ロシア・ハンガリー……。
くる日もくる日も針を刺しつづけた、女たちの人生に思いを馳せる。
そんなちいさな物語を、現代日本の女子高生と重ね織りにする趣向。
明はプロをめざしバレエにうちこむが、将来を不安視して引退を決意。
最後のステージ衣装は、ロシアのトルジョーク刺繍がほどこされた優美なもの。
よるべない、浮草みたいな女の人生を、刺繍は華麗に飾り立てる。
衣装に背を押される様に、明はまた茨の道をえらぶ。
友枝は親友ふたりとちがい、夢中になるものがない。
ただ一途に思いをかける人がいるだけ。
女としては、こちらが本道かもしれないけれど。
最終話。
長いときを経て、ひさびさに三人が一堂に会する。
友枝は結婚と出産を経験した。
縫子はブランドを立ち上げ、独自の刺繍の表現を切り拓いている。
自分がデザインしたベビーシューズを贈るとよろこばれた。
青井秋はBL系の作家で、僕が普段よむ漫画とくらべると、
キャラクターの描き分けや表情や動きがとぼしく、地味に感じられる。
しかし『いとめぐりの素描』は、ひと針ひと針、心をこめて縫いこまれる物語が、
淡々とした作風と幸福な親和性をしめしており、アンティークの様な風格がある。
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