『アインシュタイン その生涯と宇宙』

妹マヤと(1884年)

 

アインシュタイン その生涯と宇宙

Einstein: His Life and Universe

 

著者:ウォルター・アイザックソン(Walter Isaacson)

訳者:関宗蔵 松田卓也 松浦俊輔

監訳者:二間瀬敏史

発行:武田ランダムハウスジャパン 2011年

原書発行:2008年

 

 

 

「アインシュタインは落第生だつた」という迷信は、

いまだ世界各地ではびこつているらしい。

たしかに、子どもへの説教のネタにつかえるし、

「ウチの子もアインシュタインになれるわ」と、親の夢もふくらむ。

しかし事実ではない。

アルベルト少年の苦手科目はギリシア語とラテン語だが、

それでも一貫して最優等の成績をとつていた。

数学にいたつては、学校の規定要件をはるかに越えていた。

悪魔じみた天才の、せめてその少年時代を貶めて、

凡人たちはすこしだけ安心しようとする。

 

 

 

 

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最初の妻ミレーヴァ・マリッチと長男ハンス・アルバートとともに(1904年)

 

アインシュタインと妻だつたマリッチの第一子は、

1902年にうまれたリーゼルという娘。

赤ん坊は歴史から消された。

養子に出したともいわれる。

なんと1986年に発見された手紙ではじめて、

リーゼルの存在が浮びあがり、研究者は仰天した。

文書をもとめ、教会、登録所、ユダヤ教礼拝堂、共同墓地、

あらゆる場所を調査するも無駄足におわる。

夫婦は入念に證拠を隠滅、離婚後も娘について沈黙した。

 

アインシュタインは人生を通じて、ふたりの息子につめたかつた。

特に精神疾患をもつ、次男のエドゥアルトにそうだつた。

この偉大な思索家は、決して気を散らさない。

 

赤ん坊が大声で泣いても父は気にしなかった。

雑音を気にせずに仕事を続けることができた。

 

長男ハンス・アルバートの発言

 

子どもの存在自体をノイズとみなした気配がある。

 

一夫一婦制はくだらないと公言する、

アインシュタインの最初の結婚は破綻した。

離婚を拒むマリッチにのませた契約がすごい。

条件は四つあるが、Cだけ引用しよう。

 

C あなたは私との関係で次の条件に従うこと

 

1 あなたは私の親愛の情を期待してはならないし、

いかなる事情があっても私を非難してはならない

2 私が要求したときは、話を中止すること

3 私が要求した場合は、抗議をしないで、

私の寝室なり書斎なりから即座に退去すること

 

 

 

 

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プラハで(1912年)

 

1905年から1915年。

特殊相対性理論から一般相対性理論。

十年にわたり、孤独な戦争をつづける。

宇宙を相手に。

 

アインシュタインの武器は直感だつた。

抽象的で複雑な方程式の、背後にある物理的実在がみえる。

数式から、すべての運動の相対性、光の速さの一定性、

重力質量と慣性質量の等価性という含みを感得できた。

プランクの量子の概念や、ローレンツの運動する物体を記述する変換式は、

アインシュタインによつて、単なる数学的技巧から、物理的理論になつた。

 

しかし真の天才は、おのれの天才性を捨てる。

英雄として崇める哲学者エルンスト・マッハの、

「絶対空間はまちがいだ」という懐疑主義を、初期は理論に応用した。

でも「マッハ原理」では、一般共変性をみちびけない。

オレは物理学の基本原理を意識しすぎたか?

ならば、もつともつと数学にたよれ。

数学に、記号として自然を表現させるのでなく、道具として法則を掘りださせろ。

数学者ダフィット・ヒルベルトが好んでいつた嫌味は、

「物理学は物理学者には難しすぎる」というもの。

だが、アインシュタインはおそれない。

それが1915年10月。

 

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翌月にみつけた共変方程式の、ひとつの形。

両辺の相互作用は、物体が時空をまげ、そのお返しに、

曲率が物体の運動に影響を及ぼすことをしめす。

物体と空間がおどる、華麗なるタンゴ。

1919年、天文学者アーサー・エディントンが方程式の検證に成功。

ちなみにエディントンは、データ処理でズルをしている。

理論の数学的優美さに魅了されたらしい。

 

 

 

 

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プリンストンで、イスラエル首相ダヴィド・ベン=グリオンと(1951年)

 

1917年はじめ、胃の痛みをうつたえる。

癌かもしれない。

すでに使命を果したから、死は怖くないとかたつた。

医者の見立ては、慢性胃病。

彼は三十八歳にして、ながすぎる余生をむかえた。

 

こよなく平和を愛し、チェスすら嫌つたアインシュタインだが、

第二次世界大戦を「アメリカ人」として手伝うはめに。

一日二十五ドルもらい、日本の港に機雷を敷設する方法をかんがえた。

1945年、広島と長崎に原爆がおとされる。

おしやべり好きの科学者も、何週間か無口になつた。

のちにこんな冗談をいう。

「アインシュタイン先生、つぎの戦争はどんなものになりますか?」

「第三次世界大戦はともかく、第四次ならわかります。石合戦でせう」

 

1952年、ベン=グリオン首相がアインシュタインに、イスラエル大統領就任をもとめる。

「悲しくもあり恥しくもあります」と意を酌みつつ、結局辞退した。

ひそかに胸をなでおろすベン=グリオン。

アインシュタインが経営の才能を発揮したことは、生涯で一度もない。

引きうけたことのある管理職の仕事は、

ベルリン大学物理学研究所所長だけで、そこで彼はなにもしなかつた。

 

1955年。

自宅にあつまつた医師団に、腹部大動脈の治療をすすめられる。

ことわつたあと、秘書にこう洩らした。

 

人為的に命を長引かせるのは無粋なことだ。

私に与えられた分は生きた。

そろそろ行く頃だ。

エレガントに行くよ。

 

四月十八日。

大きな水ぶくれの様な動脈瘤が破裂。

七十六歳でアインシュタインはこの世を去つた。





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(2011/06/23)
ウォルター アイザックソン

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