忌しきもの ―― 小谷野敦『名前とは何か』

『DEATH NOTE』(大場つぐみ・小畑健/集英社・VAP・マッドハウス・NTV・D.N.ドリームパートナーズ)

 

名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか

 

著者:小谷野敦

発行:青土社 2011年

 

 

 

未読だが、『デスノート』という漫画はイイ線いつてたらしい。

死神がもつてきたノートに、死んでほしい人間の名をかくと、

その相手は心臓麻痺などをおこし急死する。

日本や支那の、名を忌む文化にのつとつている。

大つぴらに人名を口にしたり、書き散らすのは歓迎されない。

今上を「アキヒト」などと呼べば、爪はじきにされる。

しかし所詮は少年漫画、土台は荒唐無稽。

 

しかし、同姓同名の人もあるので、

その人物の顔を思い浮かべて書かないといけない。

かつ、それは本名でなければいけない。

この「本名」というのは戸籍名のことでしかあるまい。

仮に作家の村上龍を殺したいと思い、

顔を思い浮かべて「村上龍」と書いても、ダメなのである。

「村上龍之介」と本名を書かなければいけないわけだ。

 

当節の日本人は、だれもが「本名」をもつと信じているが、

戸籍制度のない国ばかりの世界で、はたしてデスノートは有効か?

たとえばビン=ラーディンの暗殺をこころみるとして、

アラビア語で「ウサーマ・ビン=ムハンマド・ビン=アワド・ビン=ラーディン」、

つまり「أسامة بن محمد بن عوض بن لادن」と書けば成功するのか、心もとない。

だから「本名」など存在しない、とかんがえる方が実情に即す。

 

 

 

 

 

日本の武士には、幼名・通称・諱・官位名・号など、いくつもの名があつた。

姓ですらコロコロかわる。

板垣退助のもとの姓は乾だ(軍事的意図により改名)。

姓一つ、名一つという思想はまるでない。

とりあえず「諱(いみな)」が正式名称だが、存命中はつかわれない。

「諱」は、「忌み名」だから。

徳川家康を「イエヤス」とよべば、首が飛んだろう。

身分の上下に関係なく、それは人格の否定にひとしい。

ところで武家の名門である清和源氏は、頼義・義家親子以降、

足利将軍家にいたるまで、「義」の字を多用した。

肝心の頼朝にないのは、兄の悪源太義平がうけたから。

だが弟の義経は、鞍馬山をぬけだし落ちのびる途次、

尾張国で元服し、父と六孫王経基の偏諱をとり名乗つた。

この浅慮ぶりを、小谷野敦は指摘している。

兄の挙兵に加わつたときすでに、義経という軍事的天才は、

のちに反逆をうたがわれる政治的な隙をみせていた。

たしかに武士の名前はおもしろい。

江戸時代のヒーローといえば、大石内蔵助と真田幸村だが、

特に幸村は、大坂夏の陣で家康をくるしめたわけで、

幕府としても、民衆のあいだの人気にイラついたはず。

幸村の兄「信幸」は徳川方につき、家名をまもつたが、

父・昌幸の偏諱をはばかり「信之」と改名した。

この真田家、十八世紀中頃に「幸」の字をちやつかり復活させる。

幕府も幸村フィーヴァーのせいで、つよく出られなかつたらしい。

たかが一文字の駆け引き。

 

 

 

 

 

西洋にも「本名」の概念はなさそう。

ロシヤ文学に挑戦すると、「ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ」とか、

父称や愛称が入り乱れるケッタイな人名になやまされる。

一体だれがだれなのやら。

「ビル・クリントン」や「ジミー・カーター」など、アメリカ大統領ですら本名ではない。

ビルはウィリアム、ジミーはジェイムズの愛称だ。

あとニュースで興味ぶかいのは、存命中の元大統領の名をつけた軍艦。

空母「ロナルド・レーガン」とか。

パリの通りの名前については、前回の絵の話で書いた。

もし空母「中曽根康弘」なんてのが就役したら、爆笑されてしまう。

日本ではありえないこの人名利用は、

ヴェトナムの「ホーチミン」など世界的にみられる現象だが、

革命やナショナリズムの高揚を記念してなされる傾向がある。

アメリカもフランスも、革命の国だから。

世界が近代に足をふみいれたとき、名前のもつ意味が変りだした。

 

 

 

 

 

歴史エッセイ風のかるい本だが、そこは喧嘩師・小谷野敦、

後半は身も蓋もない議論に首を突つこむ。

自民党の野田聖子は、強硬な「夫婦別姓論」の主張者だが、

その意図は「野田家」の名を残すことにあると喝破する。

事実婚の恋人の精子と、他人の卵子による人工授精で、

野田はことし二月、五十歳にして男児をうんだ。

そして結局、相手の男が「野田姓」になる形で婚姻届を提出。

家名存続にかける執念は、戦国武将顔負けだ!

「本名」という忌み名を背負つて生きる現代の日本人は、

ウェブの発達により、「匿名」という便利な表札を手にいれた。

大正時代から盛んになつた、匿名時評の倫理はくづれ、

群集は「匿名ならなにを書いてもOK」と開きなおる。

悪霊のごとく電話線を徘徊する、名無しさんの誹謗中傷。

おのれの身分がバレないか、内心でおびえながら。





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(2011/03/25)
小谷野 敦

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