さくらさくら

 

東京都知事をなのる老人、中村とうよう風にいえばイシ腹死ンダローが、

花見の自粛を記者会見でもとめた。

愚者が愚考するのは当然の理で、特筆すべきことはない。

むしろこれに対する意見が、腹に据えかねる。

「こんな時期だからこそ、日本経済のために消費しよう!」

……ケーザイなめてんのか。

一経済主体が国民経済のため行動できるなら、端から不況などおこらない。

スミスとマルクスとケインズが、あの世で泣いている。

ボクもアナタも、一匹のケダモノにすぎないのだから、

食欲でも性欲でも、好きなだけ満足させればよい。

とりつくろう必要はない。

唐突な三万の死のあと、消費がどうのと賢しらに辯ずる不敵さは、

ボクの神経回路では再現不能で、うらやましい。

 

 

 

 

 

ごく近くにある、神田川ぞいの桜を御覧にいれるのは初めて。

風流を解さない人間でも、せせらぎを聞きながら歩くと、

天国とはこんなところかも、なんて埒もなくかんがえる。

 

仁和寺の山門をはいった、左手の桜の林、

(あるいはさくら畑)は、たわわに咲きあふれいている。

 

しかし、太吉郎は、「わあ、こらかなわん」と言った。

 

桜林の路に、大きい床几をならべて、飲めや歌えの騒ぎである。狼藉である。

田舎のばあさんたちが、陽気に踊っているのもあるが、

男が酔って大いびきをかき、床几からころげ落ちるのもある。

 

「えらいことになってしもてるのやなあ。」と、太吉郎はなさけなそうに立った。

三人とも、花のなかへははいっていかなかった。

もっとも、御室の桜は、むかしからなじみである。

 

川端康成『古都』(新潮文庫)

 

京の呉服問屋の娘が、養父母と御室の桜をみにゆく場面で、

花見客の狼藉ぶりが父・太吉郎を愕然とさせる。

『朝日新聞』で連載がはじまつたのが1961年。

裏づける資料はないが、「花見」の風習が大衆にひろまつたのは、

戦後のことらしいと推測できる。

ここで、すこし大胆な假説をたてたい。

日本国民が桜の下で酔態を演じだしたのは、戦没者を弔うためだつた。

無意識のうち、神の見えざる手に導かれて。

 

 

 

 

 

だからいまこそ、花吹雪にまかれて酩酊したい。

天界をさわがす音声でうたい、神々を怒らせよ。

地をゆるがすほど踊り、死者を目覚めさせよ。

くだをまき、反吐をはき、街をうちこわし、チック症のヘボ小説家を呪い殺せ。

だれのためでもなく、欲望のままに。

 

色見えで移ろふものは世の中の人の心の花にぞありける

 

(訳:あの花とちがい、人の心は、目に見えぬまま色褪せるのね)

小野小町

古今和歌集・恋歌五・七九七

 

風よふけ。

すべて散し、塵にかえ、水平線のかなたに飛ばしてくれ。

あの花よりさきに、心が朽ちてほしくないから。


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苑田 謙

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