慈善試合 Jリーグ選抜戦
慈善試合 日本代表-Jリーグ選抜
結果:2-1 (2-0)
得点者
【日本代表】15分 遠藤保仁 19分 岡崎慎司
【Jリーグ選抜】82分 三浦知良
会場:長居スタジアム
この競技は、暴力的で汚いものと確信しているので、
「慈善試合」と聞いて、宇宙人がきて球を蹴るのかと首をかしげた。
サッカーの世界に、慈愛なぞあつてたまるか。
そんな拗けた根性のボクがテレビをつけたのは、日本代表監督のザッケローニが、
自身が理想とする「3-4-3」の布陣をためすという記事を目にしたから。
ウディネーゼをひきいる1998年にでた著書を引用しよう。
練習や親善試合の中で、選手たちはこの新しいゲームシステムを習得したが、
明らかにそのシステムについてすべて納得していたわけではなかった。
不安と疑念を乗り越えるために役立つのは大きな忍耐力であり、
トラウマを作り出すことなく選手たちの意欲を高めてくれるような
適切なチャンスが訪れるのをじっと待たねばならない。
アルベルト・ザッケローニ『ザッケローニの哲学』(PHP研究所)
訳:久保耕司
小規模の地方クラブでも、3-4-3を導入するのは至難だつた。
ユヴェントス戦の開始2分で退場者がでた際、ドサクサまぎれに敢行。
今回の「適切なチャンス」は、地震と津波だつたわけ。
セルジオ・タッコーネ『ザッケローニ 新たなる挑戦』(宝島社)
ザックが私淑するのは、アリゴ・サッキとズデネク・ゼーマン。
前者の守備と、後者の攻撃を折衷した戦術が、3-4-3だ。
いわばイイトコ取りで、机上の空論めいたイカガワシサもある。
そこに宇宙人がいた。
15分に遠藤保仁が、フリーキックでやさしく網をゆすり、勝敗を決する。
あいかわらず空気を読まない。
万が一、日本人選手の残りカスに負ければ、代表チームの存在意義がなくなるが、
ヤットのおかげで、心置きなく前衛的布陣の実験にとりくめた。
喪章を夜空につきあげる意味不明の小芝居のあと、ちよつと渋い表情。
ハシャギすぎを反省するのではなく、もとがこういう顔です。
ただ娘さんは時々、「お父さんカッコイイ」と言つてくれるらしい。
空気を読みすぎる男が、実験室を劇場にかえた。
科学的にありえない事象だ。
急ごしらえのチーム、ロクに練習もできない連中の寄せ集めに、
知名度だけを目当てによばれた、二部リーグの補欠の四十四歳が。
ただの偶然で点がとれるほど、日本代表は甘くない。
いや、でも、これは。
ときどき僕は思う。
本当に身体がボロボロになるということは、どういうことなのだろう、と。
身体がボロボロになったら、サッカーをやめるどころか、
人生をやめなきゃならなくなるんじゃないか、と思って怖くなるときもある。
苛酷なことをやってきたツケとして、
普通の生活になった途端にある種のリバウンドが起きて
歩くことさえできなくなるんじゃないか、という恐怖。
筋肉に覆われていた関節が、筋肉が落ちて、
もたなくなるんじゃないか、という恐怖ーー。
三浦知良『やめないよ』(新潮新書)
サッカーはキレイゴトぢやない。
それでも本能が命じるまま、かれらは走りつづける。
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『攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D』
攻殻機動隊 S.A.C. SOLID STATE SOCIETY 3D
出演:田中敦子 大塚明夫 山寺宏一 阪脩
監督:神山健治
制作:日本 2011年
震災の影響で人生がうとましい当今だが、長生きもそう悪くない。
公安9課・通称「攻殻機動隊」のバトーの視野に、ネットを通じ荒巻課長があらわれる。
ウワッ、出た出た!
2006年のアニメが3D化され、9課隊員の電脳に潜るという夢がかなつた。
狙撃時のインターフェイスも、立体表示で見やすくなる。
サイトーは、こんな具合に照準をあわせてたのか。
「少佐」こと草薙素子は、あいかわらず凛々しい。
次元を超えたうつくしさ。
隊長に就任したトグサが、「マテバは使わないのか」と冒頭で問われる。
元刑事で慎重な彼は、給弾が安定するリヴォルヴァーを好むが、
兵士として成長し、制圧力を重視してオートマチックにかえたらしい。
なんにせよこの会話、一見さんにはチンプンカンプンだ。
バトーと素子の、微塵もロマンチックでないイチャイチャぶり。
素子の哲学的な口跡。
なにもかもが、いまでは恥しい。
原作が世にでたのは二十年前、まさに時代に先駆ける傑作だつた。
2001年に二巻『MANMACHINE INTERFACE』が刊行されるが、
素子同士がたたかう筋書きはサイバーパンクというよりオカルトで、
体力の切れかけた逃げ馬の困難を感じさせた。
そして2011年。
時流は『攻殻機動隊』を追いこみ、逆転に成功する。
疲れ知らずの顕彰馬、その名は「時間」。
電脳にかかわる事件の裏に、国家規模の陰謀があり、
「少子高齢化」など時事ネタを織りこみつつ、徐々に真相が曝かれ、
最後はスタイル抜群の美人婦警が、黒幕にトドメをさす。
だが、さらにその陰には、ネットでうごめく謎の生命体が……。
『攻殻機動隊』はいつでも『攻殻機動隊』で、おもしろい。
愛くるしいタチコマたちもコキつかわれる。
ボクがすきな場面は、車を壊された素子がバトーの愛車を借りるところ。
緊急時だもの、貸してくれるわね?
アナタの車が一番信頼できるし。
足がつくのが嫌だから、返す手段はここでは教えないわ。
ワタシたちの間なら、言うまでもないしね。
……草薙素子は、そんなおためごかしを絶対口にしない。
断りなくドアをあけ、エンジンをかける。
ただひとこと、「捨てておくから、自分でみつけなさい」とつぶやいて。
田中敦子の絶対零度の声に痺れた。
ベッドシーンではない。
テロリストの脳に潜入中。
死の天使は、罪人の魂まで拘束し、抹殺する。
セックスよりエロチックに。
少佐、愛してます。
いつかアナタに撃たれたい。
忘却されるには、魅惑的すぎる。
草薙素子の神話に黄昏がおとづれるまで、まだ時間はある。
そう囁くのよ、わたしのゴーストが。
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いただきストリート
たまに両親と会食すると、彼らは少々蓄えがあるので、
ボクは行きつけの店(松屋)より高級な食事にありつける。
嬉しくなくもないが、ひとつ許容しがたいのは、
父母がやたら皿をシェアしたがること。
料理は、「皿」を単位として完結する世界だ。
テーブルには流れもある。
料理人の構想に水をさす真似はよした方が。
……なに、せつかく高い店に来たからつて?
いやいや。
こういうレストランだからこそ、カロリー摂取より、
充実した時間を過すことに主眼をおくべきであつてね。
……わかつたよ、そんな不機嫌な顔しないでよ。
普段はケンカばかりなのに、仲睦まじく皿をわけあう老夫婦。
いまの東京は、『いただきストリート』のゲーム盤だ。
ボクがねらう、CDやゲームソフトやサッカーのチケットは、
だれも見向きもしない物件だが、賽の目がわるく手に入らない。
ボヤボヤしてたら、電池、ガソリン、ティッシュ、トイレットペーパー、
インスタント食品、水……ありとあらゆる必需品を買い占められた。
腰の曲つたバアサンが、数リットルの水をかかえ坂をのぼる。
イキイキしてやがる。
プレイヤーとしての力量がちがう。
『桃太郎電鉄』(ハドソン)
ジジババは、貧しい時代を知つている。
1カロリーがどれほど貴重な宝物か、身に染みて理解している。
ボクは朝五時におきて買い出しなんて行けない。
ドラクエの発売日ではあるまいし。
どうにかなると高をくくり、スーパーへゆくたび青ざめる。
科学者として、災害を予測したり。
経営者として、突発的な事故に対応したり。
政治家として、国民を安心させたり。
そういつた分野に彼らは不向きだ。
でも、石にかじりついても生きのびるという、
貪婪な人生ゲームをさせたら世界最強かもしれない。
すくなくとも、ボクは勝てる気がしない。
敗北が餓死を意味すると、わかつていても。
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テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済
KILLER WAVE
新譜が陳列される水曜なのに、タワーレコード新宿店で閑古鳥がなく。
商品が軒並み発売延期だからか。
相対性理論のリミックス盤、コーネリアスが手がけたsalyu×salyu、
十年ぶりの砂原良徳など、ボクの気になる音源が市場にでる見通しはたたない。
インターネットでも配信されない。
なかでも特筆すべきはcapsuleのアルバム名か。
題して『KILLER WAVE』!
右のチャラい男が、バチあたりな商品の名づけ親です。
capusleは、石川県金沢市出身の中田ヤスタカが、
カワイイと断言してよいか微妙な同郷の女を、オモチャにして弄ぶユニット。
音楽界に津波をおこすつもりでいたら、自分が流された。
このところボクの内面で、マグニチュード0の余震がつづく。
立つても、すわつても、寝ても、ゆるい震動を感じる。
なぜか台所にいると、転倒しそうなほどの眩暈が。
家のまえを大型車がとおるたび、神経が過敏に作動する。
「不謹慎のすゝめ」とか虚勢をはつたくせに、この体たらく。
強気な言動は、反転した鏡像にすぎないらしい。
藝能人やスポーツ選手がわめく激励の言葉が、いちいち癇に障る。
なにをどうガンバレばよいか、わからない。
見ず知らずの他人から説教される身の上がかなしい。
義捐金や救援物資は、東京を素通りする。
電池やガソリンは買い占められた。
あと百日生きのびたら、冷房と冷蔵庫なしの夏をむかえる。
どうでもよい。
いまボクがほしいのは、数枚のCDだ。
『ミュージック・マガジン』2011年4月号(絵:やくしまるえつこ)
やってきた恐竜 街破壊
迎え撃つわたし サイキック
更新世到来 冬長い
朝は弱いわたし あくびをしてたの
(略)
飛んでったボイジャー 惑星破壊
なすすべないあなた サイコパス
環状線渋滞 先長い
待つのつらいわたし ゲームボーイしてたの
相対性理論『スマトラ警備隊』
作詞:真部脩一(註:初期の楽曲は帰属が曖昧らしい)
さすが自称サイキック少女。
やくしまるえつこは自主制作の初アルバムで、すべて預言していた。
彼女の不敵な歌声は、一般市民を1ミリシーベルトも勇気づけないが、
絶体絶命都市でくたばりかけたサイコパスを癒す。
手もとにあるのはゲームボーイでなく3DSだけど、
とりあえず桜が散るまでガンバルつもり。
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『Famidasライト ファミコン裏技編』
Famidasライト ファミコン裏技編
著者:鴨原盛之
発行:マイクロマガジン社 2010年
角界における八百長が問題化したのは先月だが、
さすがは国技、たちどころに神風がおこり忘却の淵にきえた。
ごっつぁんです!
まあ年季のはいつたゲーマーなら、もともと大相撲なる競技が、
八百長でも裏技でもなんでもありの、究極の総合格闘技だと知つている。
『つっぱり大相撲』(テクモ)に教わつたから。
ファミコンは、ウィキペディアより有用な百科字典だ。
堀井雄二は、健康的なエロスを表現するのに巧みで、
少年をすこしばかりオトナにした。
盟友さくまあきらも、『桃太郎電鉄』(ハドソン)でお色気を提供する。
気合いのはいつたドット絵を表示するには、稚内から大分まで、
隠れ都市もふくめすべての温泉を買い占める必要があり、
残念ながらボクは実機でみたことはない。
さくまが堀井とくらべ小者なのは、このケチくささからも一目瞭然。
いわずとしれた「キンタマリオ」。
「ワールド1-2」で実現可能な裏技で、接待藝として重宝した。
股間で点滅する丸い物体は爆笑必至。
スーマリは天才がつくつた傑作だが、「子ども」は宮本茂以上の天才で、
一本のソフトを裏の裏の裏まで遊びつくす。
いやいや、単なるオッサンの昔話とおもわれては困ります。
ファミコンの世界はもつと深い。
宇宙が、暗黒物質と暗黒エネルギーに満たされているのと同様、
ゲームにとつて「裏技」とは本質的な何かだ。
太平洋をこえてアメリカ合衆国にあらわれた天狗の面が、
破壊のかぎりを尽す大活躍する『暴れん坊天狗』(メルダック)。
このゲーム自体が大いなる謎だが、それはともかく本作は、
「上上下下左右左右BA」のコナミコマンドがつかえる。
コナミコマンドをしらないゲーマーなど想像できない。
裏技は、チビッコたちの国技だつた。
『ファミリーコンピュータマガジン』(通称ファミマガ)の「ウル技」コーナーを担当した編集者、
MW岩井氏へのインタビューが本書に掲載されている。
『水晶の龍』(スクウェア)のシンシアと野球拳ができるという伝説の「ウソ技」は、
岩井氏が自力でドット打ちをしたなんて、おどろくべき逸話ばかり。
「ウソ技」を「横綱技」にしないのは暗黙の了解などと知り、やはりそうかと感慨ぶかい。
雑誌編集部の都合まで、なぜか全国のチビッコは把握していた。
ゲーム制作者と雑誌編集者とゲーマーが、三つ巴になつて騙しあう、幸福なトライアングル。
そんな熱い時代は、三四年ほどしか続かない。
『ファミマガ』から、『ファミ通』へ。
「ウソ技」から、「クロスレビュー」へ。
スカしたライターによる粗探し、もしくは提灯記事が、ゲーム雑誌の主流となる。
避けられない趨勢だろうが、一種の堕落なのは確かだ。
アマゾンで、「二周目に能力引き継ぎできないから星一つ減らします」なんて、
バカげたレビューを読んだことがある。
オマエは赤ん坊か!?
猫なで声の声優がペチャクチャ喋るしか能のないガラクタで育つたせいか、
いまどきのガキはゲームで、戦慄するほどの衝撃を受けたことがない。
なにがやりこみ要素だ、ふざけんなよ!
バントでホームランを、一度浴びてみやがれ。
そもそも音声なんて、『燃えプロ』にすらあつたんだよ。
ゲームの神話時代は、とつくに終つた。
あらたな伝説が生れることは、もうない。
それでも逆転ホームランを期待する人間が、ここにいる。
さて、『デビルサバイバー』の続きでもやろうかな。
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不謹慎のすゝめ
清水勲・編『近代日本漫画百選』(岩波文庫)から、いくつか諷刺画を紹介します。
本多錦吉郎「西郷隆盛の墓」(『團團珍聞』明治10年10月6日号)
西郷隆盛は、いわずとしれた明治維新の元勲。
しかし明治十年の西南戦争にやぶれ、別府晋介に介錯される。
権力に執着しない、西郷どんの潔い生き様は、
ひろく一般市民から敬愛されて……いませんでした!
墓標をみてください。
「狂賊」に「大權衰」、挙句の果てに「墓」でなく「馬鹿」。
そなえられた刀は、旧式装備でむなしく散つた、
薩摩士族の時代遅れぶりをからかつている。
作者不詳「女ずき者の最後」(『大阪滑稽新聞』明治42年11月15日号)
明治も末の四十二年。
韓国統監だつた伊藤博文が、満洲ハルビン駅で韓国人安重根に暗殺される。
影に注目。
「女」の形をしてますね。
藝者をはべらせるのを常とした伊藤は、好色漢として明治の男たちから嫉妬、
……ぢやなかつた、倫理的な反感をかつていた。
それにしても、元老が外国人に殺されて大喜びするとは。
諷刺する側も、される側も、まさに命懸けの時代。
秋吉馨「満員電車」(『漫画』昭和20年6・7月合併号)
にぎやかで享楽的な大正は飛ばしまして、いよいよ昭和です。
ここに描かれるは、太平洋戦争下の疎開の風景。
列車は満員で扉から入れず、窓からのりこんだ。
漫画では、オヂイさんがいくら騒いでも無視されるのに、
若い女性が声をかけると、「ドウゾドウゾ」とすべての窓がひらく。
いまNHKは、被災地で一致団結する老若男女の姿をうつすが、
それがすべての真実とはおもえない。
ボクだつて、普段は会話のない職場のキレイな子に、
優しさをみせようと「実家は大丈夫?」とか聞いたりするもの。
近藤日出造「近衛さんは天国へ急ぎ、われ等は生きて地獄へ往く」
(『民報』昭和20年12月19日号)
国家総動員のかいなく、戦いは敗北におわる。
開戦直前に首相をつとめた近衛文麿は、戦争に反対だつたのに、
軍事裁判でA級犯罪の容疑をとわれ、青酸カリをのんで自殺。
屈辱に耐えられなかつたらしい。
生前、近衛は「戦争前は軟弱だと侮られ、戦争中は平和運動家だとののしられ、
戦争が終われば戦争犯罪人と指弾される」と嘆いていた。
そして、死後も漫画で皮肉られてしまった。
政治家にだけは死んでもなりたくないが、
志願者がいまも目白押しなのはなぜだろう。
南部正太郎『ヤネウラ3ちゃん――住めば天国の巻』(昭和23年5月31日)
終戦直後は食糧難となり、配給制度に頼つては生命を維持できず、
ひとびとは農村への買い出しや、闇市で手に入る「ヤミ」の物資でしのいだ。
餓死しかけてるのに、遵法精神もへつたくれもない……とおもいきや、
教育者・判事・警官など、お堅い職業につく者の幾人かは、
ヤミ行為に決して手を染めず、そのまま栄養失調で死んだ。
だから南部正太郎の漫画は、笑いごとではない。
最近も近所のドラッグストアで、生理用品の巨大な棚が空で唖然とした。
小生、女性の生理現象に無智な者だが、月経に関して、
需給バランスに急な変化がおきるとは思えないのだが……。
善い悪いはともかく、現代の日本には、
我が子を飢えさせても、浅ましい真似はできないと考える親はいない。
諷刺画は時代の空気を刻印し、後世の参考としてのこす。
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Perfume『エレクトロ・ワールド』
エレクトロ・ワールド
Perfumeのシングル曲
作詞・作曲:中田ヤスタカ
発行:徳間ジャパンコミュニケーションズ 2006年
この道を走り進み進み進み続けた
地図に書いていてあるはずの町が見当たらない
振り返るとそこに見えていた景色が消えた
この世界 僕が最後で最後最後だ
エレクトロ・ワールド 地面が震えて砕けた
空の太陽が落ちる 僕の手にひらりと
本当のことに気づいてしまったの
この世界のしくみ キミに手紙残すよ
ボクは2007年前後のPerfumeに思い入れがあるが、
代表曲『エレクトロ・ワールド』の記事だけ書かなかつた。
のっちが残した「手紙」の文面が、わからないから。
数日まえ、謎は解けた。
すこし遅すぎたけれど。
街ゆく猫だって空を飛んじゃう街で
キミの存在さえ リアリティーがないんだよ
予想もつかないことばかり起きている。
東大教授が保證した理論は、すべてウソつぱちだつた。
とはいえ、「猫が空を飛んだ」という報道は今のところない。
この街はどうなるんだろう?
人は弱くて、すぐ絶望する。
でもさ。
そこに見えていた景色が消えても。
この世界で、最後の人間になつても。
それでもボクは、ここにいるよ。
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『ゴダール・ソシアリスム』
ゴダール・ソシアリスム
Film socialisme
出演:オルガ・リャザノヴァ アガタ・クーチュール カトリーヌ・タンヴィエ
監督:ジャン=リュック・ゴダール
制作:フランス 2010年
金曜の夜、いや短針はかなり右に傾いていたから土曜か、
湯船につかるオレの脳裏に、テレビでみた気仙沼が焼きつく。
氷点下の闇。
津波に洗われた沈水海岸。
そのすべてを舐めつくす炎。
おなじ大地にたつ者として他人事におもえないが、
現在進行中の事象として了解もできず、ただむなしく両手で湯をまぜた。
のんびりと風呂にはいれる有難さを痛感……なんて、
殊勝な気分にはなれない。
ちかくのコンビニで、食品が完売したのも衝撃だつたから。
数時間のうちに、都心で食糧難になりかけるとは。
天地に仁愛はなく、万物をわらの犬としてあつかう。
それでも貪婪に獲物にくらいつく犬ども。
翌朝、平時でもダイヤが狂いつぱなしの中央線にのる。
吉祥寺バウスシアターに『ゴダール・ソシアリスム』を見にいつた。
60年代ならともかく、ジャン=リュック・ゴダールの近作に、
崇拝者以外が価値をみとめられないのは、誰でもしつている。
ましてオレは七回もゴダールの悪口をかいた男。
批判するためにサンロードを歩いた様なものだ。
チケット売場で、余震があつたら上映中止といわれる。
102分がすぎた。
観客は、オレひとりだつた。
信徒にすら無視されるゴダール。
え、『ゴダール・ソシアリスム』がどんな映画かつて?
JLGはつねに、粗筋を書かれるのを阻止せんと死に物狂いだが、
題名があからさまにネタバレになつている。
「socialisme」、つまり「社会主義」が本題。
アラフォーだつたのに学生運動に肩入れし、毛沢東主義を標榜し、
あつけなく挫折し、なのに自己批判する時機を逸したまま、
無慚に齢八十を数えるにいたつたカントク。
見苦しくも、「私の人生は失敗ぢやない」と自己辯護にいそしむ。
よいのではないか。
失敗だろうと挫折だろうと、とにかくアンタは生きのびて、映画をつくつている。
寝言より退屈なセリフ、できそこないの絵葉書みたいに空疎な映像。
貸切の映画館で、アンタの悪あがきは見届けた。
それは、ひとりぼつちの社会主義。
1930年うまれの映画作家は、ほかに深作欣二とクリント・イーストウッドがいる。
十五歳で終戦をむかえた世代のせいか、どいつもこいつも独歩独行、
他者の手を借りずに、フィルムの世界にあらたな価値体系を築いた。
深作は、ゆがんだ私生活をおくりつつも、
最晩年に『バトル・ロワイアル』(2000年)という恐るべき傑作をつくり、
前立腺癌にくるしめられた続篇製作中に、力つきる。
巨匠に祀り上げられたイーストウッドは、やたら薄味の駄作(らしきもの)を連発中だが、
全世界の映画通から絶賛されている(らしい)のが不気味だ。
ジイサン三人の幸福度を、オレは順位づけられない。
ひとつ確実なのは、連中は心臓がとまるまで、カメラを回し続けるだろうつてこと。
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生存報告
……って、更新をサボってたブログの記事のタイトルによくありますね。
今回は文字通りですけど。
御心配をお掛けしましたが、ボクは元気です。
家の被害も微々たるものです。
みなさんも、どうぞお大事に!
彼女がオバサンになつても
『ミュージック・マガジン』三月号で、小泉今日子が最近の音楽界をかたつている。
いわく、90年代以降はなんだかうるさい。
――それはノイジーという意味ですか。
ノイジーでもあるし、歌詞もポエムじゃなくなっていたというか。
言葉を使ってる人って、たくさんの言葉を使わなくても伝えることができると思うし、
それが詩人なんだと思うんですけど、
一から十まで説明しているような歌詞が増えていたと思うんです。
で、それが全部メロディに乗っていてうるさい。
なんか余韻がないんですよ。
文:岡村詩野
キョンキョンらしく棘のない言葉をえらんでいるが、痛烈な批判だ。
誤解されるのをおそれ、意味もなく饒舌になり、
かえつて大切なことが相手につたわらない。
媚びて、へつらつて、卑屈になつて、それでも受け容れてもらえない。
あと、みんな歌が上手いでしょ(笑)。
カラオケとかに若い友達と行ったりしても、
みんな上手いんだけど流れていっちゃう。
完璧過ぎるというか、
“何か一つバランス崩せばいいのに…”って思っちゃうんですよ。
ボクは同期デビュー(花の82年組)では明菜派だけど、わかる気がする。
「なんてったってアイドル」の見解だもの!
『チャンネルパナソニック』「愛情サイズ TM45 4人の森高さん篇」
森高千里、四十一歳。
職業は兼業主婦。
家事の合間にパートをこなし、家計をたすけます。
まるで少女の様な……といつたら失礼かもしれないが、
あどけなさを残しているのが摩訶不思議。
ハタチ前後のギトギトした脂身が取り除かれて、
むしろ清げな透明感はたかまつた。
私がオバサンになっても ディスコに連れてくの?
ミニスカートはとてもムリよ 若い子には負けるわ
私がオバサンになっても ドライブしてくれる?
オープンカーの屋根はずして かっこよく走ってよ
『私がオバサンになっても』
作詞:森高千里
純白のミニのワンピを着こなすアイドルつて、今いるかな?
リリース時、二十年後のモリタカの姿は想像できなかつた。
すごく変な曲だとおもつた。
でもまさかあの頃より、お世辞ぬきで奇麗になるなんてね!
例の歌詞には、「若い子に負けない」という自信と覚悟がこもつている。
だから安心して、わたしのことを末永く愛してね。
でも恥しくて直截に言えないから、ちよつと意地悪な書き方をした。
女心は、オブラートに包んでこそ効能がます。
「アイドル」の称号を返上しても、しとやかに美をうたいあげる術はわすれない。
ノイズだらけの街で、「オバサン」たちは詩人としての使命をはたす。
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『アレクサンドリア』
アレクサンドリア
Agora
出演:レイチェル・ヴァイス マックス・ミンゲラ オスカー・アイザック アシュラフ・バルフム
監督:アレハンドロ・アメナーバル
制作:スペイン 2009年
3DCGを駆使して、おそろしく可憐な女の子をえがくはやせゆうさんが、
衣装のリクエストを取られたので、「チュニックとか、体の線がでる感じで」と早速手をあげた。
「このエロオヤジめ」と呆れられたかどうか定かでないが、
とにかくボクは、チュニックを着たお嬢さんが好きです。
はるか古代への憧憬を掻きたてられます。
チュニックだかトゥニカだかトガだか、名称はくわしく知らないけれど、
古代アレクサンドリアの哲学者ヒュパティアに、レイチェル・ヴァイスが扮する。
彼女のけだかさや聡明さは、役にそぐわしい。
「セールで2000円で買つたチュニックに、デニムあわせて~」とか言つてる小娘では、
何十世紀かけても表現できない、深遠たるうつくしさ。
アレクサンドリア。
地中海が頭で、ナイル川がながい髪だとすると、
この町はゆたかな水運をたばねるリボンだ。
交易でさかえ、エウクレイデスなどの学者や詩人がつどい、
世界中の書物(一説には七十万冊)を蔵する図書館があつた。
あゝ、悠久の歴史に観客をいざなう、映画藝術のすばらしさよ!
……とは思わない。
当方、単なる映画バカではないので、そう易々とだまされません。
アレクサンドリアの図書館には、そんなにたくさんの書物はなかったと思います。
古代の図書館を話題にするとき、その規模を誇張して考えがちだ、
という話はすでにしましたね。
中世の図書館でいちばんの有名どころでも、せいぜい四百点程度の書物しか
所蔵していたかったということが証明されているんですよ!
ジャン=クロード・カリエールとウンベルト・エーコの対談、
『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(阪急コミュニケーションズ)での、エーコの発言
訳:工藤妙子
蔵書五万冊をかぞえる記号学者兼小説家の意見ですから、
本好きでもあるボクはすぐ説得されました。
われわれも、王朝文化などを過大視しないよう気をつけませう。
地球が太陽のまわりを動いている?
ありえない、そんな異端思想は抹殺せよ!
学問を解さない野蛮なキリスト教徒に、図書館が破壊される。
よくキリスト教国で制作できたと感心するほど、悪者として描かれていた。
アメナーバル監督は同性愛者だから、イエスさまに恨みがあるらしい。
だが焚書坑儒は世の常、キリスト教徒がおかした罪のなかでは軽い方だ。
本とは、燃やしたくなるシロモノ。
ウェルギリウスやランボーやカフカは、みづからの作品を焼き捨てようとした。
いま『アエネーイス』や『地獄の一季節』や『城』が書棚にあるのは、ただ幸運だつただけ。
砂に楕円をかきながら、女哲学者はこの映画のなかで、
コペルニクスより千百年はやく、地動説を数学的に裏づける。
だからどうした。
数学者は数学的美をかたるけれど、決してそれは銀幕にうつらない。
映画で哲学は表現できないから。
ジャン=リュック・ゴダールがひろめた悪弊が、まだ生きていることに鼻白んだ。
本は本、映画は映画。
なのにカントクさんたちは、本の完璧さにあこがれる。
物としての本のバリエーションは、機能の点でも、
構造の点でも、五百年前となんら変わっていません。
本は、スプーンやハンマー、鋏と同じようなものです。
一度発明したら、それ以上うまく作りようがない。
たしか去年が「電子書籍元年」だつたつけ?
そんな流行語を口にする人間にかぎつて、
本を一冊読めるオツムがあるか怪しかつたなあ。
映画作家は、書物の運命より心配すべきことがある。
たしかに本作のレイチェル・ヴァイスはうつくしい。
しかし彼女は元々うつくしいわけで、自慢になるものか。
女を、美女に。
美女を、絶世の美女に。
絶世の美女を、女神に。
同性愛者だろうと異性愛者だろうと、職業倫理は守つていただきたい。
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暴力の城 ―― 押切蓮介『ピコピコ少年』
ピコピコ少年
作者:押切蓮介
発行:太田出版 2009年
1979年うまれの押切蓮介は、ボクより学年は四つ下の漫画家で、
分類するなら「ストⅡ」世代に属するか。
『ピコピコ少年』は、格闘ゲームの洗礼をうけた時分をえがく自伝的作品。
プリクラとかいうバカげたオモチャに、まだゲーセンは占拠されていない。
カツアゲされた友人のケガより、被害金額を気にする情景に、
この時代を生き抜いた男だけがわかるリアリティがある。
不良の溜り場つて、いまもあるんですかね?
ゲーマーはつねに被害者とはかぎらず、しばしば癇癪をおこす。
暴力が結晶した空間、それがゲーセンだ。
毒物を流しこみながら、駄菓子屋でもあそぶ。
でも母の口癖がうつるせいか、子どもは意外と健康にうるさい。
駄菓子屋は最新のゲームはなくても、一回五十円なのが魅力だ。
懐古趣味におちいるのは避けたいが、
この風景への感慨を抑えるのはむつかしい。
テクノスジャパンの『西遊降魔録』。
ある種の作品は、わびしい建物でプレイしてこそ味がでる。
身の置きどころもない、プラモデル屋の奥のゲームコーナーで、
『スプラッターハウス』(ナムコ)に熱中する押切少年。
あまりに狭くるしいので、立ち方を自分で編み出した。
ゲーセンそのものが、攻略すべきステージだつた。
プレイステーションの『夕闇通り探検隊』(スパイク)。
作者に多大な影響をあたえたらしい。
実写をとりこんだ背景の前で演じられる悲劇。
昨今は、自慢げにオタク趣味を開陳する者もいるが、
押切蓮介はそんな風潮に迎合しない。
かれはゲームを藝術ととらえ、釣瓶をふかく落し、できるかぎり多くを汲みとる。
現実世界と作品世界がとけあう接点で、
藝術は真実をうつす鏡として、あやしい光をはなつ。
ドブ川に秘密基地をつくつた、チビッコ三人組。
むかしなら「エディット」、いまなら「カスタマイズ」。
世界創造こそが、ゲーマー最大のよろこび。
少年にとつて家とは、与えられる物でなく、みづからデザインすべき物だ。
ゲームボーイの周辺機器、ライトボーイ!
なんとまあ、いまだに売られているのに驚愕した。
『あやかしの城』(セタ)。
少年はドブ川のほとりで単身、ダンジョンにもぐる。
それにしても、これまで紹介したゲームはおどろおどろしい物ばかり!
ホラー漫画家・押切蓮介は、まちがいなくゲームが養成した。
金持ちの息子で趣味のあう奴が、クラスに一人くらいいるもの。
そいつの部屋は、自宅より居心地がよい。
少年にとつて家とは、みづから発見すべき物だ。
高校時代、有明の東京ビッグサイトにて。
なにかと厄介なNPC、その名は女。
趣味に没頭するだけの人畜無害な少年を、遠くから罵る。
プリクラでギャーギャー騒ぐくらいしか能がない白痴のくせに、
なんの権利があつて、オレたちゲーマーを非難するのか!?
作者はこう語る。
俺は他人から馬鹿だと言われるが
逆に勉強ばかりやっている奴らは馬鹿だと思っていた
こんなに苦しく 興味を持てないものに
集中する者こそ馬鹿だと信じていた
そう、そのとおりだ!
スポーツは陳腐なクソゲーだし、教科書はクソの役にもたたぬ攻略本だ。
工業高校で、ドリルをまわす日々。
山田(金持ちの子)にすすめられたエロゲーと程遠い、ネズミ色の青春。
でもいまの境遇は、学業をおこたつたオレ自身のせい。
ゲーマーという人種は、おのれのミスの責任をとる。
ゲーセンにもトキメキはある。
風変りな女が多いが、場所柄のせいか、天使にみえる。
当然、こういうオチがつくけれど。
ゲームは愛をうまない。
なのに、愛さずにいられない。
![]() | ピコピコ少年 (2009/09/17) 押切 蓮介 商品詳細を見る |
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マイセンという錬金術
陶版画《横たわる若い女性》原画:フランソワ・ブーシェ(原型・製造:19世紀前半)
陶器です。
ええ、そうなんです。
ちなみに額縁まで陶器で、サントリー美術館でボクは唖然とした。
磁器絵具は焼成後に変色するから、油彩画を再現するのはきわめて困難。
つめたくひかる磁器板から、尋常でない情熱がほとばしる。
ヨーロッパではじめて硬質磁器をつくつた名窯、マイセンの来歴をたどつてみよう。
[左]宣興写し瓶(原型・製造:1715年ごろ)
[右]白磁瓶(原型・製造:1715年ごろ)
メシなど胃袋を満たせればそれでよいというボクは、
食器になんら関心をもてない野蛮人だが、かつてのヨーロッパも大差なく、
十八世紀にようやく、ヨハン・フリードリッヒ・ベットガーが見様見真似で、
黄味がかつた石灰の磁器をつくることに成功した。
このベットガーさん、もとは錬金術師を自称していたのですが、
金の製造は失敗ばかりで(当り前か)身が危うくなつたところ、
この逆転ゴールで歴史に名声をのこしました。
1710年、磁器きちがいのアウグスト強王の布告により、「マイセン磁器製作所」が設立。
インド文様花卉文蓋付壷(原型:1725年ごろ 製造:1730-35年ごろ)
どうみても支那または日本風の絵柄だが、「インド文様」。
磁器を輸入した東インド会社にちなみ、東洋はみな「インド」あつかい。
しかし十数年で、技術が洗練されてきた。
「玉葱文様」(通称「ブルー・オニオン」)皿(原型:1730年ごろ 製造:1730-40年ごろ)
コバルト・ブルーの絵具による下絵つけという、マイセンの特徴がはやくも完成。
しかしなぜタマネギなのか?
支那の豊饒のシンボルである、ザクロやウリをよく知らなかつたので、
ヨーロッパ人はそれがタマネギだと勘ちがいした。
テキトーさがおもしろい。
ワトー・セルヴィス、大皿
(原型:1741-45年ごろ、ヨハン・フリードリッヒ・エベライン 製造:1760-75年ごろ)
ヴァトーの賀宴画に想をえたディナー・セットの一部。
こんな食器のあるテーブルをかこめば、さぞかし華やいだ気分になるでせう。
浮彫りもみごとで、東洋の模倣から完全に抜け出している。
スノーボール貼花装飾ティー・ポット
(原型:18世紀中ごろ、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーに帰属 製造:18世紀中ごろ)
焼成前の磁器表面に、手捻りによる花をひとつひとつ、
泥漿で貼りつける装飾がほどこされた。
日本人にはつくれそうにない。
いや、マイセンを愛好するかたには申しわけないけれど、
ボクは間近でみて気持ち悪くなつた。
グロテスクだ。
半世紀経たずに独自の様式をきづいたのだから、マイセンおそるべし!
だがここらで満足すればよいものを、
アウグスト強王は白く透きとおつた野望に身を焦がす。
すべての部屋を磁器でみたす、エルベ河畔の「日本宮」造営の構想に。
メナージュリ動物彫刻、アオサギ
(原型:1732年、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 製造:20世紀中ごろ)
まずは「磁器の動物園」から。
宮廷彫刻家ケンドラーに原型をつくらせ、最先端の技術で焼成する。
ため息がでるほど、うつくしい。
しかし、わざわざ磁器で実物大の動物をつくる意味があるのか?
アウグスト三世騎馬像の頭部
(原型:1750-57年ごろ、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 製造:1922年)
これは等身大の二倍もある。
造形の巧みさより、王の面がまえの傲岸さが不快だつた。
白磁とは、もつと繊細な工藝品だとおもつていた。
誇大妄想的な時代精神の暴発。
アウグスト三世騎馬像(雛形)
(原型:1745年、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラー 製造:1924-34年ごろ)
完成すれば、高さ十一メートルの彫刻になつた。
ザクセンは銀の生産で豊かで、強王はその富を新技術に投じる。
国家財政を傾けながら。
たしかに産業育成の名目があり、各国の要人によろこばれる贈答物として、
マイセン磁器は外交手段にも用いられた。
でもまあ、どうかんがえても王さまの道楽だ。
マイセンの窯印である、コバルト・ブルーの双剣。
アウグスト強王の紋章からとられ、現在も受け継がれている。
世界最古の「商標」といわれる。
三百年つづくブランドを立ち上げたのだから、道楽も捨てたものではない。
鉱夫のテーブル・センターピース
(原型:1750年ごろ、ヨハン・ヨアヒム・ケンドラーに帰属 製造:19世紀後半)
鉱山の街でうまれた夢。
それはインチキ錬金術師(正直な錬金術師がいるか知らないけど)がはじめ、
贅沢好きの王がそだて、無数の職人の手でまもられ、世界中の富家に愛されてきた。
豊かさをもとめる人々の、キラキラかがやく俗つぽい願望が、
マイセンの三百年という宝箱につまつている。
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シティ・オヴ・金子信雄
おなじみの企画、「ブログ DE ロードショー」の時間がやってまいりました!
今回はhiroさんがえらばれた『シティ・オブ・ゴッド』(2002年)で、ボクは初見です。
好みからいうと甘口すぎるけど、よくできた青春映画だとおもいます。
リオデジャネイロのスラムで、ガキ同士がバンバン撃ちあうお話。
日本のヤンキー漫画にちかいかな。
『ビー・バップ・ハイスクール』、『BADBOYS』、『クローズ』など。
ケンカ、ケンカ、ギャグ、ケンカ、ケンカ、恋愛、ケンカ、ケンカ……。
悪童が明けても暮れてもゴロをまき、勝った負けた死んだの大騒ぎ。
地球の裏側でも、同様の需要があると知って嬉しくなりました。
「ええかげんにせえよ! 銭になりもせんことしやがって」
山守組組長・山守義雄が毒づく。
金子信雄が演ずる、『仁義なき戦い』シリーズ(1973~74年)の中心人物。
子分が組のため体を張ってもこれだから、最低の男です。
脅迫、懐柔、追従、買収、虚言、扇動、
進退きわまれば、恥も外聞もない泣き落し。
あらゆる手練手管をもちいて、広島ヤクザの頂点にたつ。
そう。
『シティ・オブ・ゴッド』には、金子信雄がいない。
組織を運営するには、なにはさておき資金がいる。
表社会だろうと、裏社会だろうと。
定期的な融資や資金洗浄のためには、銀行か、どこかの金持ちに頼らねば。
麻薬を売るには、業者から仕入れなければ。
武器もタダでは手に入らない。
強盗をしたら、盗品を捌いてくれる人間が必要だ。
ガサ入れを避けるため、警察に渡りをつけなくてはやってゆけない。
銃を何丁持ってようが、子どもだけでシノギができるものか!
『シティ・オブ・ゴッド』には出てこないが、もしあれが実話に近いなら(かなり怪しい)、
カメラの背後で、ブラジルの金子信雄が暴利を貪っている。
狡猾な親分・金子信雄に操られ次々に犬死にしてゆく仲間たち。
けっきょく、戦争さえなければ堅気だったろうヤクザのアマチュア“焼跡・闇市派”の連中は、
根っからのプロ・金子信雄にしてやられる。
それは“大義”のために戦死・戦災死していった大正一ケタ&昭和一ケタの若者たちと、
おのれは信じてもいない“大義”を錦の御旗に甘い汁を吸っていた明治男の職業軍人
……という大東亜戦争の構造と二重うつしになってくる。
この大作に傑出した脚本を提供した笠原和夫もまた焼跡で野良ついていた男だった。
丹野達弥
川本三郎・編『映画監督ベスト101 日本篇』(新書館)
戦争に翻弄された男たちの、鬱屈したエナジーが暴発する。
観客は銀幕にうつる嘘をみのがさない。
だからこそ『仁義なき戦い』は、何十年たってもボクらを感動させる。
くらべるのは気の毒な、『シティ・オブ・ゴッド』のカントクさんです。
フェルナンド・メイレレス、公開当時四十七歳。
サンパウロ大学で建築をまなんだ。
文盲のガキの気持ちなどわからないし、むこうも理解されたくないだろう。
ちなみに父は医者、妻はバレリーナ。
のう、メイレレス。
おどれがスラムの何を知っとんじゃ?
ママゴトみとうな映画作ってからに、ハジキぶちこんでこますぞ!
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