スキルアップ ―― 佐野タカシ『ラブ・スタ』

 

ラブ・スタ

 

作者:佐野タカシ

掲載誌:『ヤングキング』(少年画報社)2010年18号~

[単行本は「YKコミックス」として、第一巻まで刊行]

 

 

 

美少女をかければ、それだけで家を建てられる。

佐野タカシの代表作『イケてる2人』は、そんなテーゼの證明になるだろう。

その「ちよつとエッチな学園ラブコメディ」は、連載開始時ですら古色蒼然と見え、

流行によわい自称漫画通から無視されつづけたが、

連載は実に十三年、単行本は三十三巻を重ねるにいたつた。

そして、齢は四十を越えているはずの漫画家の新作は、

さすがにもう、高校生カップルのイチャイチャは卒業し……

 

 

……「ちよつとエッチなオフィスラブコメ」に進化した。

ヒロイン綾瀬陽子(あやせ・はるこ)の電話をとる速さに、作家の成長が見てとれる。

 

 

ハルコは、人材派遣会社営業部の新人である一馬の先輩。

モデルは吉瀬美智子がベースではないかと、ボクはにらんでいる。

それにしても、「セクハラは本人の意識次第」だなんて、

オトナなセリフに惚れずにいるのは難しい。

 

 

こちらは派遣スタッフの有栖川敦子。

派遣先からの無断欠勤の苦情をうけて自宅をおとづれると、

彼女は男にふられてヤケをおこしていた。

 

 

とはいえ敦子は、ただの尻軽女などではなく、

スキルアップに貪欲で優秀なスタッフだ。

本社社員も、「スタッフ重視派」や「クライアント重視派」など、

意見の相違があり、それが原因で軋轢が生じたりする。

人間には多様な側面があり、それぞれ性質もことなり、

たがいに足りない部分をおぎないつつ、社会の歯車を噛みあわせる。

 

 

 

 

 

背景を丁寧にえがいてこそ、恋の炎が映える。

ハルコには同棲している婚約者がいるが、仕事熱心なふたりは、

怒られたり、謝つたり、グチをいつたりするうち、自然にひかれあう。

一線をこえる勇気がほしくて、アルコールを援軍に。

 

 

たつた一口で、泥酔するが。

ハルコの焦点のあわない目つきがかわいらしい。

 

 

婚約者と一緒のところに偶然出くわすが、それは気まづい顔合せになる。

ハルコが一心不乱に仕事にうちこむのは、

「グチるくらいなら辞めろ」と言われるのが嫌だから。

自立している様で、男に依存している様な。

強い様で、弱い様な。

化粧室にたつハルコの、くるしげな面持ち。

そこにいるのは空想上の美少女ではなく、社会にいきる一人の女だ。

 

 

とかなんとか言つても、佐野タカシは佐野タカシ以外の何者でもない。

輪郭線とスクリーントーンだけで、肌のきめこまやかさをあらわす。

世界で彼ひとりがもつ特殊技能だ。

今度はどこかに、ビルが建つのかもしれない。





ラブ・スタ 1巻 (ヤングキングコミックス)ラブ・スタ 1巻 (ヤングキングコミックス)
(2010/12/13)
佐野 タカシ

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テーマ : 漫画
ジャンル : アニメ・コミック

女とは ―― 『RED』

 

RED

 

出演:ブルース・ウィリス メアリー=ルイーズ・パーカー ジョン・マルコヴィッチ

監督:ロベルト・シュヴェンケ

制作:アメリカ 2010年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

けふは、堀北真希がでている『白夜行』にしようか迷つた。

土壇場で予定をかえたのは、本作を監督したのが、

『フライトプラン』(2005年)のロベルト・シュヴェンケと知つたから。

ジェット旅客機で、ニブそうな乗客のピーター・サースガードが、

いきなり航空保安官として牙をむく意外性。

ありふれた日常の、静謐な空間を転覆させる藝を、

このドイツ人監督がまた披露してくれるのでは?

ならホマキちやんはグッと我慢だ!

 

 

ブルース・ウィリスの住居に忍びこんだ暗殺者が、撃退される。

『RED』の粗筋は、引退したCIA工作員が古巣から狙われるというもの。

 

 

だから登場人物はジジババばかり。

ジョン・マルコヴィッチは、陰謀論に凝り固まつたサバイバリスト。

アメリカには、まつたく国家権力を信用せず、完全に自活する連中がいるときく。

 

 

こちらは老人ホームでの一コマ。

「アンテナをもうすこし左にしてくれ」と美声がひびく。

 

 

「うん、バッチリだ」

モーガン・フリーマンも元CIAだが、いまは介護士の尻をながめることが生きがい。

さすがは名優、最高の笑顔だ。

 

 

同盟国イギリスからは、MI6のヘレン・ミレン。

園藝をたのしみながら、悠々自適の暮しをおくる。

 

 

勿論サブマシンガンも、英国女性の嗜み。

 

 

 

 

 

「オンナノコ同士、たのしくお話しませう?」

スナイパーライフルをかかえて、ささやく。

 

 

このバアサンにはかなわんと呆れる、メアリー=ルイーズ・パーカー。

どうもデイム・ヘレンは、主人公のあたらしい恋人に妬いているらしい。

失礼ながら彼女は六十五歳なのだけど、

カワイイ女を演じるのが異様にうまいんだよなあ。

ボクは別に年上好みではないし、惚れてしまつてよいものかどうか。

 

 

おそらく映画史上、もつとも気品ある狙撃手だ。

 

標的を決めて銃を撃つというのは、思った以上に楽しいことだった。

私にはスナイパーが合っているみたい。

 

映画プログラム

取材・文:渡辺麻紀

 

 

 

 

 

アクション映画ファンなら誰でもしつているが、銃という小道具は、

ただ構えて引き金をしぼればよい物ではない。

うつくしくなければならない。

シェイクスピア劇にMP5はでてこないが、舞台経験が役だつたはず。

 

一番気をつけたのは銃を撃つとき、ヘンな顔をしないこと。

たとえ空砲であっても大きな音がするし、銃も動く。

そのときマヌケな顔をしていては、

プロフェッショナルという設定にはまったく似合わないでしょ。

 

 

M2重機関銃をブッ放す場面もよい。

カメレオンのごとく色をかえ、背景にとけこみ、隙あらば餌食をものにする。

女優という稼業は、狙撃手に似ている。

いや、女という生き物がそうなのか。

 

 

火の海と化す、地下駐車場。

女つて、こわい。

ホリキタなんて小娘のことは、すつかり失念いたしました。


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テーマ : 映画
ジャンル : 映画

前衛 ―― アジアカップ準決勝 韓国戦

 

AFCアジアカップ カタール2011 準決勝 日本-韓国

 

結果:2-2 (1-1)〈延長戦後〉 3-0〈PK戦〉

得点

【日本】36分 前田遼一 97分 細貝萌

【韓国】23分〈PK〉 奇誠庸(キ・ソンヨン) 120分 黄載元(ファン・ジェウォン)

会場:アル・ガラファ・スタジアム

[テレビ観戦]

 

 

 

120分の試合はおわり、PK戦がはじまつた。

悠然と本田圭佑が、ペナルティマークに歩をすすめる。

だが強気で鳴らす二十四歳の目は、わづかに泳いでいる。

 

 

ザッケローニ監督は、本田の名をリスト最上部にしるした。

ある意味で冷酷な措置だ。

 

 

背番号18の脳裏に焼きつく、20分前の悪夢。

彼はPKを失敗したばかり。

 

 

あのことは、考えるな。

いま、ここに、集中しろ。

もう真ん中には蹴れない。

隅をねらい、悪いイメージを振り払え。

 

 

当然、敵はそれを読んでいる。

甘いコースにうてば、止められる。

右上に、全力で突き刺せ。

その分、確率はさがるが。

五割くらいか?

オレが外せば、この試合は負ける。

だからどうした。

ほかに道はない。

 

 

拳銃は火をふき、カウボーイひとりが死体と化す。

 

 

卑屈な笑みをうかべる鄭成龍(チョン・ソンニョン)。

勝負は0.5秒できまつた。

 

 

 

 

 

キッカーの順序は、カタール戦の前に決めたもの。

ザッケローニにとつて、「戦術」ではなく「戦略」に属する事柄らしい。

その日の出来事には左右されない。

ビビつて失策をかさねる男なら、端から第一キッカーに選びはしない。

 

 

尖兵の剛愎さに度肝を抜かれ、終了間際に追いつき、

勢いづいていたはずの韓国は、PK戦で一点もとれなかつた。

 

 

 

この大会で代表チームから引退する、朴智星(パク・チソン)。

二十歳前後の三年を京都ですごした選手で、

両国の因縁の深さについて、誰よりもくわしい。

試合後すぐ日本側に歩みより、握手をもとめた。

サッカーの歴史は、あらたな章が書き始められるのだろう。


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テーマ : アジアカップ
ジャンル : スポーツ

ネメシス、天罰の女神 ―― バートン・ゲルマン『策謀家チェイニー』

 

 

策謀家チェイニー 副大統領が創った「ブッシュのアメリカ」

Angler: The Cheney Vice Presidency

 

著者:バートン・ゲルマン(Barton Gellman)

訳者:加藤祐子

発行:朝日新聞出版 2010年

原書発行:アメリカ 2008年

[朝日選書]

 

 

 

2000年5月、アメリカでのこと。

共和党の何人かの有力者は、精をだし膨大な書類をまとめていた。

内容はすべて、自分自身について。

信仰から、下半身の事情まですべて。

有望な政治家である時点で、自他ともに認める公明正大な人間のはずだが、

親友にすら言えない秘密を告白するよう、その調査票はもとめた。

医療記録には、睾丸の形までしるされた。

厚さ二十センチにおよぶ「身体検査」の資料の山は、

ジョージ・ブッシュから副大統領候補選定を任されていた、

ディック・チェイニーのもとに届けられる。

しかし、厳しすぎる審査基準が災いしてか、候補の候補はすべて不採用に。

チェイニーは、チェイニーをえらんだ。

みづからは精査手続きを回避し、なにも書面で報告しない。

この策士はさらに、守秘義務で封印されている手もとの個人情報を、

政敵を攻撃する武器として利用したといわれる。

 

ネタ元は明らかに、ディック・チェイニーか、チェイニーの部下の誰かだ。

薄汚いクソみたいな手口だ。

いや、そんな生ぬるいもんじゃない。

(略)

ディック・チェイニーと関わったことは、僕の人生における汚点のようなものだ。

 

オクラホマ州前知事フランク・キーティングの発言

 

 

 

 

左からムラーFBI長官、ゴンザレス司法長官、チェイニー副大統領(肩書きは2007年当時のもの)

 

権力を奪取したチェイニーは、自宅のキッチンにこもり、

ノートのリストを埋めながら、連邦政府の設計図をかく。

まづは国務、財務、司法、国防の四大ポストから。

司法長官がここに数えられているのを、意外におもつた。

日本で「法務大臣」は、軽量ポストとみなされるから。

死刑執行を命ずる権限をもつ、おそるべき役職なのに……。

司法権の重みを、かの国の人々は熟知しているらしい。

チェイニーは、世界は作り変えるべきもので、

それこそまさに自分の使命だとかんがえていた。

軍師として、謀を帷幄のなかにめぐらしつつ、

イラク戦争を主導し、テロの容疑者を拷問し、

西部のクラマス河流域で騒動が起きれば、

魚が死滅することをいとわず、水門をひらいた。

ホワイトハウスがもつとも揺いだのは、司法省が反乱をおこしたとき。

国家安全保障局(NSA)は、電波情報をあつめる諜報活動をおこなう機関だが、

かれらの非合法活動を承認できないと、司法省は強硬に主張した。

司法省の上から五人とFBI長官が、辞任する寸前までいつた。

政権が崩壊する可能性は高かつたらしい。

ウサーマ・ビン=ラーディンやマイケル・ムーアより、

政府内にいる職務に忠実な官僚たちの方が、手強い敵となる。

権力をあやつるのは、むつかしい。

 

 

 

 

シークレット・サーヴィスがチェイニーにつけた暗号名は「釣り師(Angler)」だつた

 

2005年8月、異教の女神がホワイトハウスに天罰をくだす。

ハリケーン・カトリーナ。

ブッシュは非常事態対応を得意とするチェイニーを、

カトリーナ担当に任命しようとしたが、かたくなに拒まれた。

人目をきらう副大統領は、水没したルイジアナ州ににノコノコ出向き、

赤ん坊を抱いて同情する演技をみせるなんて、まつぴら御免だから!

政権二期目は、ひたすら反落の四年間となる。

イラク戦争は、石油収入を懐におさめれば収支が合うはずなのに、

あいつぐテロ攻撃によつて目算をくじかれた。

玉座の陰から銀河を牛耳るチェイニーは、

ダース・ヴェイダーそつくりだと揶揄されたが、

それは国民の畏怖のあらわれでもあつた。

だがシスの暗黒卿は、いつしか道化師となる。

2006年、テキサスの牧場で野鳥狩りを楽しんでいたところ、

あやまつて友人を撃つという事故をおこした。

命に別条ないとはいえ、あまりにチェイニー的なこの逸話が、

笑い話としてアメリカ人を大喜びさせたのは、悲しいことだ。

就任時六十歳だつたチェイニーはスポーツマンで、若く見えたが、

白髪が増え、太り、急速に老けこんでいた。

八年の任期中、八回の心臓発作におそわれた。

エアフォース・ツー(副大統領搭乗機)から降りるときは、

タラップの手すりをギュッと握り、足もとを慎重に見つめる様になつた。





策謀家チェイニー 副大統領が創った「ブッシュのアメリカ」 (朝日選書)策謀家チェイニー 副大統領が創った「ブッシュのアメリカ」 (朝日選書)
(2010/10/08)
バートン・ゲルマン

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テーマ : アメリカ合衆国
ジャンル : 政治・経済

イニシアティヴ ―― アジアカップ準々決勝 カタール戦

 

AFCアジアカップ2011 準々決勝 日本-カタール

 

結果:3-2 (1-1)

得点

【日本】29分・71分 香川真司 90分 伊野波雅彦

【カタール】13分 セバスティアン 63分 ファビオ・セザール

会場:アル・ガラファ・スタジアム

[テレビ観戦]

 

 

 

63分、吉田麻也にレッドカードが提示された。

左膝ををふまれた痛みにのたうつ、彼の目に映つてないけれど。

ペルシア湾に突き出た半島の国カタールのだれかが、

マレーシア人のスブキディン主審に、高価な鼻薬を嗅がせたとしても驚かない。

使い道にこまるほど金があれば、オレでもそうする。

われら庶民は貧乏だから、上司に中元や歳暮をとどけるくらいで済ますのだ。

 

 

サッカーなる競技は、プレイヤーに物理法則をこえた存在、

いうなれば天使であれと要求することがある。

全速力ではしる男の全体重が足にかかつても、微動だにせず耐え忍ぶべし。

だが吉田も、それを承知で職業をえらんだのだから、

同情の余地はあるにせよ同情しない。

一時間強にわたり、力技小技裏技でゆすぶられ、

青を身にまとう二十二歳は、すでに顔色をうしなつていた。

日の丸を胸に縫いつける男の顔ではない。

退場もやむなし!

 

 

つづくフリーキックは、川島永嗣がガッチリとめた。

網のなかで。

 

 

オレは黙々と仕事をするゴールキーパーが好きだ。

楢正剛とか松林美久とか。

川島は顔藝にたよりすぎで、見ていて落ち着かない。

 

 

 

 

 

サイドラインの外側から、自分のしでかした事の顛末をながめる。

顔面は蒼白なまま。

 

 

参謀本部に怠慢はゆるされない。

64分に岩政大樹をおくりこみ、守備陣の穴をふさぐ。

「かちかち山」の、泥船であわてるタヌキに似ている。

 

 

割りをくつた前田遼一。

逆に彼は、感情をもつと表に出せないのかな?

「けふのボクは連係がよくなかつたし、運動量のある岡崎や、

セットプレーの得意な本田は残したいから、交代も当然か」

……なんて考えてそう。

「ざけんなよ、オレ抜きで点が取れんのか!?」と、顔で表現すればよいのに。

 

 

……そういう人は、残したくなるからね。

沈没寸前の泥船をひきいる、聯合艦隊司令長官ザッケローニは無策だつた。

予備兵力の藤本・柏木・李らは優秀だが、その若さゆえ信頼できない。

かたむいた艦艇が、かえつて転覆しかねない。

 

 

 

 

 

なんと90分、右バック・伊野波雅彦が左足で得点。

 

 

現場の長谷部主将が、「なぜあそこにいたか分らない」と感想をもらすほどで、

六時間の時差をへだて観戦するオレは、テレビの前で目を白黒させるばかり。

しかしすぐ、あることに気づく。

 

 

四日前、ザッケローニ監督が布石をうつていたことに。

グループリーグのサウジアラビア戦、

7分に警告をうけた内田篤人が次戦の出場資格をうしなつたので、

はやくも後半開始時に伊野波を右バックで起用。

試運転なしで、真剣勝負をさせるのは不安だから。

カタール戦の90分間で打つ手はなくとも、計略はうごいていた。

 

 

90+3分。

184cmのディフェンダー永田充が、サイドラインの前にたつ。

オレはアドレナリンか何かのせいで、脳の中身がグチャグチャだつたが、

コーチのステファノ・アグレスティなど、幕僚の精勤ぶりに感心した。

対空兵器の投入は必要だし、時間稼ぎになるし、まさに最善手だ。

 

 

カタールに、空戦を挑みつづける以外の選択肢はない。

一方の日本は交代枠を温存しているから、

もし追いつかれても、延長戦でまた艦隊の進路をかえられる。

日本代表はこの日はじめて、主導権を手にした。

山のごとく不動であることによつて。

 

 

 

 

 

世界的に見てイタリアの指導者は守備重視で、自分たちの良さを出すよりも、

相手の良いところをつぶしていくというイメージが一般的だと思うが、

今日はそうではないイタリア人もいることを発信できたことはうれしく思う。

 

カタール戦後 ザッケローニ監督会見

『スポーツナビ』


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テーマ : サッカー日本代表
ジャンル : スポーツ

『名人』と『ディフェンス』

百手まで

 

川端康成の『名人』は、本因坊秀哉名人の引退碁に取材した小説。

 

六十五の老齢で勝負碁を打つ名人など、前にはなかっただろう。

しかし、今後は打たない名人など、存在をゆるされないだろう。

いろいろの意味で、秀哉名人は新旧の時代の境に立った人のようだ。

旧時代の名人というものの精神的尊崇を受けるとともに、

新時代の名人というものの物質的な功利も得た。

そして偶像を礼拝する心と破壊する心とが織りまざっている日に、

古い型の偶像の名残として立って、名人は最後の碁に臨んだのであった。

 

(新潮文庫版から引用)

 

さすがは大家の文章、作中から任意に抜きとつても、それが最良の要約になる。

「罐詰め」にされた温泉宿で、心臓病にあえぐ老名人と対峙するのが、

二十九歳の大竹七段(実名は木谷實)。

勝てば病気につけこんだと思われるし、敗ければなおみじめだ。

盤上は、肉体も感情もなく、ただ石があるのみ。

棋士なら百も承知とはいえ、悲壮劇の登場人物に、

ひたすら攻防に専念しろと要求するのは無理がある。

 

はじめ名人の石は、指先からこぼれ落ちるようだったのに、

打ち進むにつれて力がはいり、石の音も高くなった。

 

石をつかむのがやつとの老人がならす、痛烈な打音。

箱根の宿でその日の対局がおわると、勝負ごとを偏愛する名人は、

寝る間をおしんで将棋や麻雀やビリヤードをたのしみ、周囲をあきれさせた。

麻雀やビリヤードでも長考するのが、いかにも碁打ちらしい。

 

 

 

 

ナボコフがつくつたチェス・プロブレム

 

ロシア出身のウラジーミル・ナボコフは、

1899年うまれ、つまり川端と同い年の作家だ。

西暦に一を足せば当時の年齢がわかるので、ありがたい。

彼には『ディフェンス』という、チェスの天才を主人公とする小説がある。

 

並木道は日差しで斑になり、その斑点が、

目を細めて見ると、明と暗の枡目に見えてくる。

庭のベンチの下には、格子模様の強烈な影がへばりついている。

テラスの四隅にある、石の台座に乗った壷は、

ビショップのように対角線で互いに睨み合っている。

 

(翻訳:若島正)

 

諧謔にとむ比喩の多用がナボコフの文体の持ち味で、

世界がチェス盤に変容する過程をたのしめる。

作品全体では、さほど成功してないけれど。

訳者は後記で、ルージン夫人が幼いころによんだ物語が、

実はルージンの父が書いたものであるなどの仕掛けが、

チェスの「コンビネーション」だというが、ボクにはサッパリわからない。

古今東西の物語作者があやつる伏線と、なにがちがうのか。

すこし意地わるく結論づけると、『ディフェンス』におけるチェスは、

小説を智的によそおうための小細工だ。

ビリヤードのキューをしごく秀哉名人からただよう、人間臭さが欠けている。

 

 

 

 

百一手より 二百三十七手終り

 

そもそも囲碁やチェスなどという、高度に智的で抽象的な盤上競技を、

俗つぽい藝術形式である小説にえがくことは可能なのか?

引退碁の観戦記者をつとめた川端康成は、ある一手をうつことで実現した。

「時間」を、主題にする。

長考をこのむ名人は、持ち時間を長めに設定。

 

この法外な四十時間という条件を、名人の側から出したのだとすると、

名人みずから重荷を背負ったわけだった。

つまり、名人が病苦を我慢しながら、相手の長考を辛抱する羽目になったのだ。

大竹七段の三十四時間に余る消費時間が、それを示している。

 

新旧の時代の境にたつ秀哉名人の心身を、時間がさいなむ。

その酷薄さ。

史上はじめて、昭和十三年のこの対局では、

不公平が中断時に生じない様に、「封じ手」がもちいられた。

中原の戦いのさなかの黒百二十一、わかい大竹七段の封じ手は、

感情表現のにぶい名人すら怒らせ、人々にうたがわれた。

新ルールを悪用し、時間を稼いでつぎの手を調べたのではないかと。

そして名人は白百三十の敗着をうち、半年にわたる長期戦は、

急転直下をへた三日後、黒五目勝で終局。

それから一年、第二十一世本因坊秀哉名人は、熱海の旅館で死んだ。

 

 

 

この小説で語り手は、碁をたしなむアメリカ人に話かけられ、

汽車のなかで磁石をつかう碁盤をはさみ一石相手をする。

だが異民族の碁は張り合いがなく、異様だつた。

「碁の気合い」がない。

色はどす黒く、舌に苦みをのこす「時間」をえがいた、作家の感性はするどい。

西洋人は「時間」を理解できない、と言い立てるつもりはない。

マルセル・プルーストの様に、それを主題に大長篇をかいた人もいる。

「チェスの宇宙では時間は無慈悲なのだ」というあつさりした記述が、

ナボコフの『ディフェンス』にもある。

おそらく川端康成が、鋭敏すぎるだけだろう。





名人 (新潮文庫)名人 (新潮文庫)
(1962/09)
川端 康成

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テーマ : 文学・小説
ジャンル : 小説・文学

カーディガンズ『ライズ&シャイン』

 

ライズ&シャイン

Rise & Shine

 

カーディガンズ(The Cardigans)のシングル曲

 

作曲:ピーター・スヴェンソン マグナス・スヴェニングソン

発行:スウェーデン 1994年

 

 

 

 

 

 

 

すこし一人になりたいの

I want to be alone for a while

 

大地の息づかいを感じたくて

I want earth to breathe to me

 

波のたかまりを見たくて

I want the waves to grow loud

 

太陽の赤いほとばしりも

I want the sun to bleed down

 

 

 

波がしづまつてゆく

see the waves go down

 

ひとりぼつちで月を

see the moon alone

 

わたしは面をあげてさゝやく

I raise my head and whisper

 

 

 

天へのぼり かゞやいて

rise and shine

 

天頂でかゞやいて さあ

rise and shine my sister

 

 

 

 

 

カーディガンズのデビューシングルの歌詞を、かなり自由に訳しました。

そもそも「rise and shine」の主語が、太陽か月かわからない……。

とりあえず念頭では太陽だとしています。

「my sister」という呼びかけも、不思議な印象。

もとは英語だけど、北欧ならではの自然観が感じられないでせうか。

「ヘッポコ訳詞クラブ(假称)」としてシリーズ化する、かも。


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テーマ : 音楽
ジャンル : 音楽

犬塚ケン 対 フーリガン

『モスラ対ゴジラ』(1964年)

 

当ブログと岩渕真奈の掲示板に、連日大量の迷惑コメントがよせられている。

設定を「承認制」にかえたので実害は皆無にひとしいが、

ちらばる豆鉄砲のタマを掃除するのは、ちよいと手間がかかる。

だが後始末の作業は、チェックボックスをクリックするだけなのに、

投稿者は画像認証のため、四桁の数字を毎度打ちこまねばならない。

 

富士通公式サイト

 

ドコモ用の富士通のケータイ「F-01A」から。

タッチパネル搭載の機種とはいえ、いちいち御苦労さまですこと!

なんだか愛おしくなる。

相手が浦和レッズレディースのフーリガンであることは、100%確実。

深野悦子審判員の名誉と、サッカーの正義を守ろうとして書いた記事で、

ある人物をコテンパンに叩きのめしたので、その逆恨みである疑いが濃厚だ。

ただフーリガンの人材が豊富なクラブだから、容疑者は数知れず。

 

 

 

 

 

投稿の内容は「キチガイ」とか「うんこ」とか、書き手の知能指数を反映するが、

「自作自演の犬塚ケン」とあるのに失笑させられた。

あるかたから頂戴したコメントを、ボクが捏造したと言いたいらしい。

あのですね。

気のきいたコメントを考えるには、十分くらいかかります。

そんなヒマがあるなら、ボクは積んだままのゲームを先にすすめます。

「死ね」と書かれたつて、なんともおもわない。

当ブログを熟読してもらえばわかるが、「死」や「暴力」はボクの得意分野。

むしろこれらのテーマについて、夜を徹して語りあいたい。

 

 

 

 

『B.L.T.』(東京ニュース通信社)12月号

 

この姫さまに関つたせいで、面倒ごとに巻きこまれたのだなあ……。

お目汚しではありますが、豆鉄砲のタマをひとつ披露しませう。

 

岩渕とS○Xする妄想でもしてマスでもかいてろよー。

 

せつかくだから、正直に答えたい。

たしかに、その誘惑にかられたことはある。

もとよりボクは、正人君子ではないから。

それでも忠誠を誓つた以上、彼女に対し不誠実なことは絶対にしない。

たとえ妄想のなかでも。

戒律をやぶつてまで、生きる意味などあるのか?

要するに、オレをお前らと一緒にするな、ということだ。


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テーマ : エッセイ
ジャンル : 小説・文学

ネットワーク

 

アンストッパブル

Unstoppable

 

出演:デンゼル・ワシントン クリス・パイン ロザリオ・ドーソン ケヴィン・ダン

監督:トニー・スコット

制作:アメリカ 2010年

[ユネイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

もつとも絵になる役者、それは機関車のことだ。

その力強さと、親しみやすさ。

人間風情のおよぶところではない。

 

T・J・ミラーとイーサン・サプリー

 

ペンシルヴェニア州の鉄道が舞台の『アンストッパブル』は、

鉄道会社の内幕をえがいていて、マニアではないボクも興味がひかれた。

下つ端の運転士は、かたい結束をほこる労働組合にまもられ、

ダラダラと油を売りながら仕事をする。

 

 

彼らの不注意が原因で、無人の貨物列車が力行状態で暴走!

 

 

三十九両編成の列車は、ディーゼル燃料と有毒化学物質をつんでいた。

所かわれば鉄道もかわる。

自動車や航空機が発達した今日のアメリカは、

実は貨物列車が大盛況で、国内貨物輸送の約四割を占めるらしい。

ほとんどの路線は電化されておらず、ディーゼル機関車が自力で疾走。

外から、この巨大兵器をとめる手立てはない。

 

ロザリオ・ドーソン

 

ノンキな報告をきいた操車場長は、目を白黒。

あわてて四方八方に協力をあおぐが、すでに取り返しのつかない事態になつていた。

 

ケヴィン・ダン

 

こちらは、本社から指令をくだす運行部長。

ヘリコプターをとばす珍作戦は、みじめな失敗におわつた。

下つ端はサボるが、お偉方は目の前のリスクから逃げたがる。

組織の上も下も、だれもが互いに責任をなすりつけ合うのが、

会社や役所という場所であり、洋の東西でかわりはしない。

 

 

さていよいよ、真打ち登場!

空気をよめない「主演女優」の一人芝居に太刀打ちできるのは、

オスカーを二度さづかつた、デンゼル・ワシントンしかいない。

ちなみに列車を女優あつかいするのは、かならずしも比喩ではなく、

彼女の映画のなかでの代名詞は「she」だつた!

 

 

 

 

 

ソーシャル・ネットワーク

The Social Network

 

出演:ジェシー・アイゼンバーグ アンドリュー・ガーフィールド ジャスティン・ティンバーレイク

監督:デヴィッド・フィンチャー

制作:アメリカ 2010年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

『ソーシャル・ネットワーク』は、「フェイスブック」というサイトを立ち上げた若者たちの物語。

それにしても、しまらない絵だこと!

ネット企業なんて題材は、どうも侘しいものがある。

 

主演のジェシー・アイゼンバーグ

 

創業者マーク・ザッカーバーグの着こなしのダサさは、GAPの逆宣伝だ。

ハリウッド映画は入念に調査してつくられるため、個人的にまるで縁のない、

ハーバードなどアメリカの名門大学の内情が、身も蓋もなく暴かれていて楽しい。

青春映画といえばパーティの場面が見どころなのだが、

ユダヤ系の学生の集まりでは、だれも踊らない。

ユダヤ人はアジア人とおなじく、ダンスが苦手なんだつて!

 

 

ジャスティン・ティンバーレイクの役は、ファイル共有サイト「ナップスター」をつくつた男。

ミュージシャンに音楽業界の敵を演じさせるなどという、

ピリリときいた皮肉が、スレッカラシの映画ファンにはたまらない。

 

アンドリュー・ガーフィールド

 

大学の寮の窓にかいた数式が、世界に波紋をひろげる。

本作は学生が浮かれ騒ぐだけの、単なる青春映画ではない。

『ゴッドファーザー』にちかいか。

東海岸にすむ少数民族のさえない若者が、

痛々しいほどアメリカの権門への憧れをいだきながら、

一方で敵愾心を剥き出しにして、なりふりかまわず成り上る。

無表情のなかに、ドス黒い情念と鋭利な智性がひらめくアイゼンバーグは、

アル・パチーノの生れ変りにみえた。

 

 

 

 

 

大変おもしろい作品だが、絵と音はつまらない。

ひたすらカタカタという打鍵音と……

 

 

……マウスのクリック音が支配する。

 

 

そして、ディスプレイに照らされるマヌケ面。

いままさにボクがおこなつている作業なのだが、

コンピュータ、これほどスクリーン映えしない道具もめづらしい。

 

 

PCが「小道具」らしい存在感をみせるのは、親友と喧嘩して壊されるときくらい。

マイケル・コルレオーネは、銃把にテープをまいたリヴォルヴァーで、

マクラスキーとソロッツォを殺し、震える手からレストランの床にゴトリと凶器をおとす。

あの鉄の重み、冷たさ、そして鈍い音。

どんな巨匠でも、プラスチックでうつくしい場面を撮るのは至難だろう。

 

 

ふたたび『アンストッパブル』に戻りまして。

「さつさとあの売女を止めようぜ」と、クリス・パインが口走る。

 

 

赤い装いの「ビッチ」のふてぶてしさ!

人を人ともおもわず、おのれの欲望だけにしたがう。

線路はきしみ、くるしげな悲鳴をあげる。

 

 

連結器に足をはさまれるクリス・パイン。

その痛みは想像を絶する。

 

 

全長八百メートルのミサイルが、市街地に突入。

鉄道は、われらの生活に欠くべからざるネットワークだ。

映画にしたときの説得力が桁外れ。

インターネットなんかとは歴史の重みがちがうわよと、彼女は得意げに言うのだろう。


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アウトレーテ

 

AFCアジアカップ2011 グループB 日本-ヨルダン

 

結果:1-1 (0-1)

得点

【日本】90+2分 吉田麻也

【ヨルダン】45分 ハサン

会場:カタールSCスタジアム

[テレビ観戦]

 

 

 

アジアカップの緒戦、わが日本代表は引き分けに終るが、

指揮をとつたアルベルト・ザッケローニの弁解に違和感をおぼえた。

オウンゴール、オウンゴールとくりかえすことに。

え、あれつて自殺点だつたの?

 

 

 

 

 

いつもは憎たらしいほど予知能力のたかい遠藤保仁は、

前半終了間際の疲れで判断がにぶつたか、ヒラリかわされる。

 

 

名はかわいらしいが、実は身長189cmの巨漢、吉田麻也の左足がのびる。

 

 

爪先が分岐器となり、列車は無事に目的地へ。

駅員の川島永嗣に見送られる。

 

 

くやしがる吉田。

しかし流れのなかの自然な反応にすぎず、彼を責めるものはいないはず。

 

 

裏方のオジサンもまじえて、礼拝がはじまる。

信心ぶかいのは結構だが、そこに神の介入などない。

たたえられるべきは、得点者ハサンの技術と、チームの粘りだ。

 

 

 

 

 

イタリア語で自殺点のことを「アウトレーテ」という。

このサイトで発音がきける。

彼らのカルチョ観にもとづくと、味方が爪先でチョンとさわれば、それは「アウトレーテ」。

 

ザッケローニ監督は「アウトレッテ(オウンゴール)」と言っていた。

イタリアの基準なら、間違いなくあれは吉田のオウンゴールという記録になる。

 

後藤健生

『J SPORTS』のコラム

 

あんなのは不運な事故だから、「失点」ぢやない!

エエカッコシイのイタリア人は、なにより無失点であることを優先し、

万が一ゴールネットをゆすぶられても、絶対にそれが失点だと認めない。

カルチョとは、わづか一点で勝敗がきまる苛酷な競技だが、

そのなかに世界各地の多様な価値観をふくんでいて、

恥をかくのを異常に嫌う、伊達男の美学なんてのもある。

しればしるほど、興味ぶかい。

 

 

 

 


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高崎ゆうき『むげんのみなもに』

 

むげんのみなもに

 

作者:高崎ゆうき

掲載誌:『コミック百合姫S』(一迅社)vol.12~14/『コミック百合姫』2011年1月号~

[単行本は「百合姫コミックス」として、第一巻まで刊行]

 

 

 

贅沢な漫画だ。

なぜか二人暮らしの美少女、カギリとみなもの日常が綴られる。

 

 

スプーンのかわりにUSBケーブルをくわえる、みなもが愛くるしい。

マッチ棒の手足に、ビー玉の瞳。

ふたりは誰よりもうつくしく、愛しあつていて、完璧だ。

大槍葦人風の絵柄であらわれる、都会の理想郷。

 

 

挨拶がわりに自殺をかたる、少女たち。

うつくしすぎる娘は、よごれきつた世界に居場所がないと知つている。

だから死をもてあそぶが、それは可能なかぎり残酷な、

悪意にみちた他者に対する復讐でなくてはならない。

 

 

主人公のカギリは、実は殺し屋だつた。

級友の依頼をうけ、彼女を手籠めにした父をあやめる。

そこは男が死体としてのみ存在をゆるされる空間で、ゆえにうつくしい。

愛というコインの裏面がにぶくひかる、贅沢な漫画だ。

 

 

 

 

 

拾い猫を飼いはじめる、第三話も味わいぶかい。

名前は「ちびキイ」。

カギリのあだ名が「キイ」で、ねむそうな目が似ているから「ちびキイ」。

 

 

ちびキイは、艶事の邪魔までする。

 

 

もともとカギリは、猫を飼うことに反対だつた。

動物は、ちがう時間を生きているから。

生きとし生けるもの同士がふれあえば、たがいの時間を意識する。

なによりもつよく、死を。

 

 

カギリの哲学的な問いかけは、宮崎駿の引用で撥ねのけられた。

『むげんのみなもに』は、宮崎アニメほど甘口ではないが……。

 

 

この「天罰」をくだした下手人は第四話であきらかになり、

カギリによつてその罪が報いられる。

天罰の連鎖、それがすなわち宇宙の本質なのだろう。

 

 

 

 

 

謎めいた皮肉屋の「時間商人」。

この物語がおわるとき、どれほどの悲劇となるのか、

ボクには想像もつかず、いまからただ震えるばかり。





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(2010/10/18)
高崎 ゆうき

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ラファエル前派とRPG

ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ『レディ・リリス』(1867年)

 

どすこい!

ごっつぁんです!

海をのぞむ横須賀美術館で、プリラフィエライト部屋のロセッティ関に遭遇。

ちゃんこ鍋と猛稽古でつくつた首周りのたくましさは、見るたび圧倒される。

 

同『エッツェ・アンチルラ・ドミニ!(受胎告知)』(1949-50年)

 

嫁入り前の処女マリアがおびえている。

寝室に見知らぬ男が侵入したのだから、無理もないが。

二十歳をこえたばかりのロセッティは、

いかつい女力士ではなく、たおやかな美少女を描いた。

これぞ「ラファエル前派」だ。

リアリティの追求。

性交ぬきで子を宿すなんて珍事が、本当にベツレヘムで起きたなら、

それはきつと、こんな情景だつたのだろう。

 

 

 

 

ジョン・エヴァレット・ミレー『オフィーリア』(1851-52年)

 

モデルはのちにロセッティの妻となる、エリザベス・シダル。

画家は水にひたされたドレスを正確に描写したかつたので、

ながく浴槽につからせたら、エリザベスは風邪をひき、

彼女の父がおこつて訴訟騒ぎになつた。

現物を一度目にしたことがあるが、水草の細密な表現が見事だ。

ミレーは川岸で毎日十一時間、画架にむきあつたが、

白鳥が水面をかきまわすのに悩まされたらしい。

 

 

同『めざめ』(1865年)

 

三十代のミレーは、もうインテリぶつてシェイクスピアを引用したりしない。

ベッドの上で真剣な面持ちで鳥籠をながめる少女。

幸福なブルジョワ家庭をえがく本作は、俗受けをねらつたものだ。

しかしこの絵は、筆舌に尽くしがたいほどうつくしい。

雪の結晶のごとき毛布の白妙!

こまやかな色彩の交響曲!

無限に織りなされる単色の魔術!

 

 

 

 

 

エドワード・バーン=ジョーンズ『花環』(1866年)

 

バーン=ジョーンズはロセッティに師事した美術家だが、

ありがたいことに師匠の大女好みは受け継がず、柳腰の女を描いた。

原題は「The Garland」。

コクトー・ツインズのファーストアルバムのタイトルは『Garlands』だが、

直接の関係こそないが、イギリス人の美意識の底流が透けて見える。

 

同『モーガン・ル・フェイ』(1862年)

 

夕暮れ時の野で、まじないに使う薬草をあつめるモーガン。

アーサー王の異父姉で、修道院で黒魔術をおぼえた。

小生無智にして、シェイクスピアもアーサー王伝説もしらないが、

「黒魔法」と聞くとドキドキする悪癖がある。

 

 

松本零士のパクリみたいな、コイツを思いだすから。

 

同『聖カタリナの復讐する天使』(1878年)

 

ローマ皇帝の迫害を阻止するため、神が派遣した天使。

両の手に炎をつかむ。

復讐する天使、avenging angel!

まさしく厨二病設定で、今度女子サッカーの記事でつかいたくなつた。

イーディス・リデルを偲んで設置された、ステンドグラスの下絵にもとづく水彩画だが、

ちなみにこのイーディスは、アリス・リデルの妹でもある。

 

(撮影:ルイス・キャロル)

 

勿論アリスとは、『不思議の国のアリス』のモデルになつた、あのアリスだ。

ラファエル前派の歴史に記されたあらゆる音符が、

ひとつひとつボクの心の琴線をかき鳴らす!

 

 

 

 

090403eccP.jpg

サンシロウさんのブログ、『地球缶コーヒー』から

 

最近なぜかゲーム熱が再燃し、いろいろ遊んでおもつたのが、

やはり自分は、剣と魔法のファンタジーが好きだということ。

特に『ウィザードリィ』や『ファイアーエムブレム』など、

古典的な世界観やシステムが一番うつくしく感じる。

他に代えがたい原型が、そこにある。

古典的かはともかく、たとえば「東方Project」の二次創作物をみれば、

ラファエル前派の画家に共通する遺伝子を発見できないか?

サンシロウさんはアマチュアの絵師さんだが、

百五十年前の名画とくらべても、別に遜色はないとおもう。

 

ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス『南の国のマリアナ』(1897年ごろ)

 

地下迷宮にもぐり、珍奇な宝をさがしたり。

宿敵と対峙できるだけの技量を身につけるまで、

緊迫した戦闘をくりかえす旅をつづけたり。

鏡の世界でたたかうボクたちは、けふも氷の刃を炎の壁に突きたてる。

淡雪よりはかないリアリティをもとめて。


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愛ゆえに ―― セス・シュルマン『グラハム・ベル空白の12日間の謎』

十三歳のメイベル・ハバード

 

グラハム・ベル空白の12日間の謎 今明かされる電話誕生の秘話

The Telephone Gambit

Chasing Alexander Graham Bell's Secret

 

著者:セス・シュルマン (Seth Shulman)

訳者:吉田三知世

発行:日経BP社 2010年

原書発行:アメリカ 2008年

 

 

 

 

ベルが百年祭万博で展示した電話装置

 

近代科学は宗教だから、固有の神話をもつ。

アイザック・ニュートンが落下する林檎をみて、万有引力の法則を発見したとか。

科学史家によれば、ニュートンの論文にも手紙にも、

果実がおちてきたという話はまつたく含まれない。

本書の主人公アレクサンダー・グラハム・ベルもまた、神話の登場人物だ。

1876年3月10日、ボストンの屋根裏部屋で助手をよぶ。

「ワトソン君、来てくれたまえ。用事があるんだ」

彼の革新的な発明、すなわち「電話」を通じて。

だが、このかがやかしい世界初の通話がウソッパチで、

舞台裏の卑劣な陰謀を隠すためのものだとしたら?

 

 

 

 

 

グレイの假特許と、ベルのノートの図をならべて表示したもの

 

MITディブナー研究所で働いていた著者シュルマンは、

ベルの実験ノートに突飛な図をみつけた。

特許取得をあらそつたイライシャ・グレイの、

假特許出願書にある略図にそつくり。

非公開だつた書類の情報を、不正に入手したとしか思えない。

まさか、人格者として知られるベルが、

見え透いた剽窃を働くなんてありうるのか?

 

ベルの1876年の特許出願書原本

 

左の余白に、「可変抵抗」の概念が書き加えられている。

発明の核心部分が、なぜか片隅に!

歴史はおそろしい。

「王様は裸だ」とおもつて根気よく調べると、芋蔓のごとく證拠が続出する。

ベルには協力者がいた。

弁護士で実業家の、ガーディナー・グリーン・ハバード。

若き科学者ベルのしめした着想をもとに、

広大な通信ネットワークを立ち上げる野心をもつていた。

遺恨をかかえて死んだグレイの覚え書きに、こうある。

 

電話の歴史が、一切の漏れなく完全に記されることは決してないだろう。

その一部は、二、三万ページにも及ぶ宣誓供述書のなかに隠されており、

また別の一部は、頑なに口を閉ざしている数名の人間が、

良心が咎めながらも心の底に封印したままでいる。

その封印とは、幾人かの場合は死であり、

ほかの幾人かの場合は、死よりもなお頑丈な、黄金の留め金である。

 

あらゆる人間を支配するものが、ふたつある。

死と、金だ。

 

 

 

 

1877年夏、新婚旅行直前のベルとメイベル・ハバード

 

さらに愛という封印を、加えることができる。

二十六歳のスコットランド人が、裕福なハバード家を訪問したとき、

そこには十五歳の聡明な美少女、メイベルがいた。

ベルは哀れなほど、彼女に惚れてしまう。

異邦の青年が良家の娘を手にいれるには、

成功、名声、富、そのすべてが絶対に必要だ。

そして勿論、ガーディナー・ハバード、

義理の父になるかもしれぬ男の要求も、拒否できない。

さらに、メイベルは「孝行娘」だつたらしい。

「電話の発明者」であるベルは、1876年のフィラデルフィア百年祭万博に、

自分の発明品を出展することを、なぜか頑なにこばんだ。

ガーディナーが圧力をかけても、首をふらない。

しかし、うつくしき婚約者が突如泣きだし、

「あなたが万博にゆかないなら結婚しない」と脅迫するにいたり、

強情なスコットランド人は、しぶしぶフィラデルフィア行きの汽車にのる。

ああ、グラハム・ベル!

キミもまた、男だつたのだね。

 

 

 

 

1870年代の電信線

 

ではなぜ競争相手のグレイは、みすみす権利と栄誉を譲つたのか?

当時のひとびとは、電話を「科学的なオモチャ」とみなしていた。

早急に解決すべき問題は、電信線を効率的に使うこと。

雨雲の様に空を覆うケーブルを、どうにかして減らさなくては!

要するに、電話の商業的可能性をグレイは見誤つた。

科学の現実は、つねに混沌としている。

携帯電話に生活を乗つ取られる二十一世紀人を、

夢想しえた十九世紀人なんて一人もいない。

電話の発明におけるグレイの役割は、過小評価の最たるものだが、

ベルもグレイも、ドイツのフィリップ・ライスの研究に依存しているし、

バーリナーやエジソンによる送信機の改良も無視できない。

1870年代。

西部ではまだ、ジェシー・ジェイムズが健在だつた時代。

 

 

 

 

1885年ごろのメイベルとアレック・ベル

 

ベルは結婚の贈り物に、真珠をはめこんだ銀の十字架のほかに、

設立したばかりのベル・テレフォン・カンパニーのほとんどの株を、新妻にあたえた。

随分と意味深なことをするものだ。

結婚後のベルは、電話の技術的発展に寄与していない。

「自分の人生は破綻した」とまで、妻にかたつている。

それでも特許を確保するため、法廷での争いをつづけながら、

聴覚障害者の教育に、残りのながい生涯をささげた。

ベルの母エリザは、巨大な補聴器をつけないと音を聞けなかつた。

ピアノの共鳴板に補聴器をおしつける母のため、ベルはよく演奏した。

彼にとつて、電話をめぐる神話など、取るに足らぬ道草だつた。





グラハム・ベル空白の12日間の謎―今明かされる電話誕生の秘話グラハム・ベル空白の12日間の謎―今明かされる電話誕生の秘話
(2010/09/23)
セス・シュルマン

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苑田 謙

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