「冥福」なんて、祈らなくてよい

 

「ゴメーフクをお祈りします」つて、面とむかつて言うことはない。

その相手は、もうこの世にいないもの。

だから日本語における「冥福」は、書きことばだと思う。

意味はよくわからない。

死後の幸福のこと?

あの世は格差社会で、幸福な人と不幸な人にわかれるの?

むこうで何をすれば、しあわせになれるの?

有名人が死んだ日には、いろいろな人のブログで、

だれだれさんの御冥福を祈るとか書かれるのを目にする。

わるいけれどボクは、そんな紋切り型をよむと鼻白む。

 

 

 

「冥福」とは、支那伝来の考えかた。

あの世で十分に食べるものがある、という状況をさす。

 

あの世で食うに困らず、金もあり、大きな家に住んで召使いを大勢使って

ゆたかにくらすのが「冥福」すなわちあの世でのしあわせである。

そのためにはこの世からの応援が必要である。

花をそなえて手をあわせるくらいではとても間にあわない。

さしあたりのものはまずお墓に入れて人間といっしょにあの世に送ってやらねばならぬし、

食いものなんかはあとずっと送りつづけねばならない。

 

高島俊男『お言葉ですが… 別巻1』(連合出版)

 

支那民族の最高の徳目「孝」にかかわる、重大な風習だ。

飯を送りつづけないと先祖は食べるものがなくなり、「餓鬼」になつてしまう。

それでは申しわけないし、いづれ自分もあちらで暮らすのだから、

この風習はまもらないといけない。

先祖をまつるのも必死だ。

無論カネもいるので、模造である紙銭を墓のまえで燃やす。

『男たちの挽歌』(1986年)で、チョウ・ユンファがタバコで紙幣を焼くが、

古習が現代にいきている證拠といえるだろう。

 

 

 

以上の伝統は、日本人には縁もゆかりもない。

すくなくともボクは、御先祖さまのメシやカネの心配など、一度もしたことはない。

連中も自力でどうにかするだろう、と考えている。

だから「冥福」を祈るなんて、むなしい。

文章にそう書くことは、葬式で「ゴシューショーサマです」と言うのとはちがう。

差し向いでは、咄嗟になにか口にしなくてはならないが、

文章なら、一行書くのに一時間ついやしても構わないのだから。

たしかにことばは、死に対し無力だ。

それでも自分の心をしづかにみつめれば、すこしは意味のあることを書けるのではないか。



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苑田 謙

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