ロバート・テンプル『図説 中国の科学と文明』

 

図説 中国の科学と文明

The Genius of China

3,000 Years of Science, Discovery and Invention

 

著者:ロバート・テンプル (Robert Temple)

訳者:牛山輝代

発行:河出書房新社 二〇〇八年 (改訂新版)

原書発行:イギリス 一九八六年

 

 

 

地震が発生すると、青銅の球がカエルの口におちる。

人が気づかない微弱なゆれを感知し、方角や距離までおしえ、

政府はすばやく食糧援助や軍隊出動をおこなえた。

開発したのは後漢の宮廷天文官・張衡で、

ときは二世紀、西洋とくらべて千四百年はやい。

支那人は、なんでも正確にしりたがる。

たとえば機械時計がつくられたのは、八世紀(ヨーロッパは十四世紀)。

必要は発明の母だとしたら、彼らはどんな母親にせまられて、

パンクチュアルな日々をおくつたのか?

こたえは、皇帝の性生活にある。

帝国がすぐれた後継者をさづかるためには、

懐妊の日時を占星術どおりに差配しなくてはならない。

うらやむべきか、あわれむべきか、

皇帝は分刻みのスケジュールで毎晩、九人の女の相手をした。

ボクでも、紙の発明が支那でなされたのは知つているが、

ということは紙幣がつくられたのも、かの国だ(九世紀)。

一一二六年には過剰発行のせいで、インフレまで「発明」する!

西洋初の紙幣は、一六六一年のスウェーデン。

 

 

 

本書は、ジョゼフ・ニーダムの大著『中国の科学と文明』を簡約したもので、

支那人の創意の才を、むせかえるほどの濃さで凝縮した。

紀元前十三世紀には漆がつかわれており、やや強引ながら、

ニーダムはそれが「最古の工業用プラスチック」だとのべる。

つまり、核兵器などのつまらない例外をのぞいて、

この世のあらゆるものの起源が支那にある。

比類なく長大な歴史と人口が、すべてを発明しつくした。

探究心は、体の内側にもむかう。

おそくとも紀元前二世紀には、「血液循環」が原理として確立していた。

死体からとりだした血管の全長をはかり、一呼吸ごとの血流速度をもとめる。

内分泌学も二千年まえに研究され、

人間の尿から性ホルモンと脳下垂体ホルモンを分離し、薬にした。

十世紀には、天然痘のウイルスを接種することで、

抗体の生産をうながす「種痘」の技術まであつた。

つまりワクチン注射、免疫学の元祖だ。

 

 

 

「蒸気機関の発明は、産業革命の文字どおり原動力だ」

これはいわば世界の常識だが、支那ではすでに五世紀に、

流水による車輪の回転を利用し、ピストンをうごかす仕組みがあつた。

ピカードやワットらによるヨーロッパでの「発明」は、

アゴスチーノ・ラメリなどの人物を介して、支那の装置から由来したもの。

 

 

近代科学の基礎である十進法は、支那ではじまつた(紀元前十四世紀)。

英語で「ten」のつぎは「eleven」だが、漢字で「十」のつぎは「十一」。

計算には算盤がつかわれたが、必然的に生じる空白をうめるため、

支那人は「ゼロの位」を案出した。

また、ニュートンが定式化した「運動の第一法則」は、

紀元前四世紀の『墨子』にそのものズバリの記述があり、

この力学を応用して、さまざまな技術が発達する。

 

 

 

いやまてよ、と思われたかもしれない。

「0」の起源は、九世紀のインドではないか?

しかしこの記号は、より古いカンボジアとスマトラの碑文にしるされており、

インドシナ半島を経由して、支那からインドにつたわつたらしい。

西洋人の自負心が、よりちかいインド説を歓迎するのか?

一般に将棋(チェス)の起源もインドとされるが、これまた支那だ(六世紀)。

もとは未来を予言するための占星術の道具だが、

そこから戦闘的な要素を抽出し、通俗化したものが世界にひろまつた。

現実の戦争も、かれらの得意分野。

弩、火炎放射器、照明弾、地雷、機雷、ロケット、銃、大砲、臼砲、連発銃など。

情熱をかたむけて支那人は兵器を開発し、大量生産した。

これらの技術はおしなべて、秩序をまもるために用いられる。

すくなくとも西洋人とくらべ、世界を混乱させた回数は圧倒的にすくない。

 

 

音楽の平均律を発明したのは、十六世紀の朱載堉。

音を平均化する新理論により、作曲者と演奏者は自由に転調できる様になる。

バッハもベートーヴェンもビートルズもAKB48も、

みな明朝の皇子がつくつた音階にもとづき、音楽をかなでている。

 

 

 

ジョージ・スタイナーによる、おもしろい評言がある。

 

ニーダムの仕事にもっとも適切な比較ができるものがあるとしたら、

それは科学と技術の百科全書的な他の歴史書ではない。

プルーストの『失われた時を求めて』である。

『中国の科学と文明』と『失われた時を求めて』はどちらも、

回想行為、近代的思考、想像力、制作形式による

全体的な再構成行為としても第一級のものであると私は信じている。

 

ジョージ・スタイナー『私の書かなかった本』(みすず書房)

 

ニーダムの大著を紐解いてないので、この比喩が適切かわからない。

ただ本書にならぶ百の項目、きびしく篩にかけた総目録をみるだけで、

感覚が歴史という絹織物にくるまれ、麻痺してゆく。

鉄製の犂が、雪の結晶の構造が、ヘリコプターの回転翼とプロペラが。

映画『ラストエンペラー』で、皇帝の座をおわれた溥儀がおもいだす、

布でたわむれた、幼いころの甘やかな記憶に似ている。

最初に機械時計をつくつたのが東西のどちらなのかが、それほど重大か?

発明の先取権あらそい、直線的に進歩する近代科学、フラット化する世界。

すべて陳腐なフィクションにすぎない。

真実はつねに、錯綜した過去のなかにある。





図説 中国の科学と文明図説 中国の科学と文明
(2008/10)
ロバート テンプル

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