『エグザム』

 

エグザム

Exam

 

出演:ルーク・マブリー ジミ・ミストリー ナタリー・コックス アダル・ベック

監督:スチュアート・ヘイゼルダイン

制作:イギリス 二〇〇九年

[シアターN渋谷で鑑賞]

 

 

 

このイギリス映画では、世界的大企業による極秘の就職試験のなかで、

八人の男女が本性をあばかれてゆく様相をたのしめる。

 

 

試験会場。

カメラはこの薄暗い密室から、一歩も外に出ない。

受験者が部屋から出たら、その時点で失格になるから。

 

 

高圧的な試験監督が、数すくない規則をおしえる。

制限時間は八十分。

問題はひとつ、解答もひとつ。

 

 

警備員をのこして試験監督は退室し、ついに競争がはじまる。

一生涯を保障できるほどの報酬をもとめて。

 

 

はやる心をおさえつつ、ウスッペラな用紙をめくる。

 

 

だがそれは、まつさらの白紙だつた。

 

 

一秒ごとに、焦りの色が濃くなる受験者たち。

問題が何かさえわからない「試験」に、人生は賭けられない。

 

 

敵同士ひとまず手をくみ、問題を探し求める。

カメラは淡々と、見苦しい奮闘ぶりをうつす。

未来の雇用主に監視されていると、うすうす感じたとしても、

誰がおとなしく椅子にすわつていられるだろうか?

 

 

そして当然、摩擦が生じる。

ひとつのセットで撮影した低予算映画なのに、いやだからこそ、

御しがたい人間の「エゴ」が、フィルムに焙りだされる。

福本伸行の漫画が、あれほどヘタクソな絵なのに、

ドストエフスキーの小説の様に真に迫るのに似ている。

 

 

 

 

 

ヘアピンで薬のカプセルをひろう場面。

題材としては、舞台劇の方が映えそうな『エグザム』が、

映像作品であるべき点は、小道具のあつかいにある。

人は、ステージ上のヘアピンまで視認できない。

 

 

問題用紙に火をともし、スプリンクラーを作動させる。

ある意味で白紙が、本作の主人公だ。

 

 

一枚の紙は、凶器にもなる。

紙、この厄介な代物に、我らはどれほど翻弄されていることか!

 

 

受験者のひとりである「デフ(聾者)」。

下をむいてブツブツと、フランス語でつぶやいてばかりの変人だ。

ヘリクツを述べることだけ巧みで、実際に何もできないフランス的精神を揶揄して、

「サルトル」なんてあだ名をつけられる。

 

 

部屋の様子や照明を変えるのも一手だったけどそれでは不十分だったので、

受験者たちが試験問題に多様に取り組む様子を、

実際的、哲学的、心理学的、そして身体的という4つのセクションに分けて、

それぞれセクションごとに展開することにした。

 

ヘイゼルダイン監督による脚本の説明

「『エグザム』公式サイト」

 

この映画には哲学がある。

空白の問題用紙は、「タブラ・ラーサ(何も書かれていない石板)」だ。

人は白紙を目の前にして、たじろぐ。

自分という存在が試されていることに。

わたしは一体、なにものなのか?

一枚の白紙にまさる雄弁さを、ステージでは表現できないはずだ。

 

 

 

 

 

人種差別と性差別にもとづく発言を、確信犯的に弄して、

主導権をにぎろうとする、憎らしいルーク・マブリー。

 

 

だれよりも冷静だが、だれよりも悪どい、賭博師のジミ・ミストリー。

『キューブ』でも『es』でも『ソウ』でも、密室を舞台とする映画では、

役者たちが輝く、いや輝かざるをえない。

 

 

個人的にお気に入りなのが、心理学者「ダーク」役のアダル・ベックだ。

イスラエルうまれというのが、「らしく」てよい。

 

 

おびえる所作ですら、うつくしい。

眼鏡をかけた美人に、太刀打ちできる者などいない。

 

 

物語の中盤で拘束され、ひどい目にあうが、それは運命だ。

メガネ美女、その美貌と知性をひけらかす高慢さは、相応の報いをうける。

たかがメガネ、されどメガネ。

小道具が、作品の骨格をさだめる。

映画つて、本当におもしろいですよね!


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熱帯夜の殲滅戦

 

おそらく「ゴミ屋敷」として近隣で悪名高い、我が家に来てくれるのは、

にぶく黒光りしながら、六本足で疾走する友人だけだ。

月曜の夜、ひさしぶりにヤツと再会した。

仲よく二匹連れだつての訪問。

全身の毛を逆立てながら、ボクはなんとか片割れをしとめた。

しかしその相棒は、闇のなかを悠々と、秘密のアジトに帰投した。

ボクはゴキブリの生態にくわしくないし、くわしくなりたくもないが、

一匹をみれば、のこりの十匹の棲息を覚悟すべきだろう。

すくなくとも二十匹が、この家に。

折れそうな心を奮い立たせながらインターネットに接続し、

自国の防衛手段と、敵軍の弱点をさぐつた。

 

 

 

『Amazon.co.jp』が、悪の温床となつている。

ボクはそう結論づけた。

大々的に予約をうけつけながら、決して発売日に発送しない詐欺的行為を、

「konozama」と揶揄されている、有名な悪徳ネット企業だ。

ボクはほぼ毎週、ときには週二回、konozamaで買い物をたのしんでは、

商品をつつむ段ボールをひたすら部屋の隅に積み重ねてきた。

週一回の計算で年五十個の箱が、数年分。

そしてゴキブリは、段ボールを愛する。

暗くてヌクヌクあたたかい寝床を提供するだけでなく、

腹がへればムシャムシャと食べることもできる。

まさに『ヘンゼルとグレーテル』のお菓子の家だ。

ヤツらがビールの空き缶を好むことも初めてしつた。

甘い匂いに誘われるのだとか。

昆虫の分際で生意気な!

笑つてくれて構わないが、ボクは缶にのこるアルコールが、

虫除けの役を果たすのではないかと、期待していた。

段ボール、空き缶、ペットボトル。

そこはゴキブリの楽園だつた。

 

 

 

「一点に対し火力を集中せよ」とナポレオンも書いている。

次の日、ボクは「バルサン」で反撃をしかけた。

忌まわしい大量破壊兵器ではあるが、そこは太平洋戦争下の米軍とおなじだ。

ヤツらと共存はできない。

前夜はほとんど一睡もできなかつたし、食事も喉をとおらない。

侵入者を撃退しなければ、まちがいなく自分が死ぬ。

そして真夏の夜の大掃除。

千匹を迎えうつ腹づもりでいたが、見つけたのは、

月曜に取り逃がした一匹とおぼしきゴキブリだけだつた。

おどろくべきことに、まだ触角と足をうごかしている。

ガス室をいきのびた兵士をキッチンペーパーでくるみ、にぎりつぶす。

軍手ごしに体液を感じながら、「敵ながらアッパレ」とつぶやいた。

無論、敵軍に情けなどかけない。

バルサンは卵まで駆除できないし、隠れ家は他にあるかもしれない。

秋になるまで、つまりそれは長期戦になるはずだ。


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ホーム・スウィート・ホーム ― なでしこリーグカップ ベレーザ-エルフェン狭山

 

なでしこリーグカップ Bグループ 第3節 日テレ・ベレーザ-ASエルフェン狭山FC

 

結果:1-0 (0-0)

得点:69分 伊藤香菜子

会場:多摩市立陸上競技場

[現地観戦]

 

 

 

小田急線「はるひ野駅」でおりて、炎天のもと競技場へいそぐ。

「永山駅」からだとバスにのるか、それとも三十分の徒歩になるが、

この道をゆくなら、わづか十分で約束の地を踏むことができる。

すくなくとも、いつも利用しているスタジアムガイドにそう書いてあつた。

なのになんだよ、この山道は。

熊に襲われてもおかしくない。

未舗装の道なき道を這いあがり、ボクの探検家風の服装、

どらお氏命名の「アトランチススタイル」は、試合開始まえに汗みどろ。

 

 

 

 

 

ついにアトランチス大陸を発見!

ドイツでのU-20ワールドカップから、金曜日に帰つたばかりの、

岩渕真奈が控えの顔ぶれにならんでいる。

ぶっちー、おかえり。

名門の10番をせおう高校三年生は、通知表はいつもらうのかな?

体育以外の成績は期待薄だけれども。

ベレーザとエルフェンの取組は、ボクは四月に観戦した。

埼玉県を代表する女子サッカークラブであるエルフェン狭山には、

失礼ながら、ここまでヘタクソなチームもあるのかと衝撃をあたえられた。

あれから百日がたち、入間川の妖精も進化している。

そのかわり、戦術面の独創性は低下した。

「4-1-4-1」。

おそらく、ワールドカップ南アフリカ大会の日本代表を模倣したのだろう。

裏切り者アベユウキの位置に、岩澤和がおさまる。

もともと専守防衛のチームが、さらに錠前をふやした。

緑の女王の鍵の数はたりるのか。

 

 

 

日本代表の「4-1-4-1」を、並いる強豪はくづせなかつた。

唯一の例外は、準優勝国オランダのスナイデルの一蹴りによる、

公式球ジャブラニの急激な変化を川島が逸した、不運な失点だけ。

ボクが監督だとしても、マネしたくなる布陣だ。

裏切り者アベが、率先して危険地帯の地雷除去をおこない、

闘莉王と中澤は、門番の役目に集中する。

だが、完全無欠の戦術などない。

「4-1-4-1」は、中央に人があつまりすぎる。

自室に引きこもつた妹をやさしく見守る姉の様に、

ベレーザの各選手の位置どりは、うつくしい星座をえがく。

目にもとまらぬパス回しの刹那に、側面に空白がうまれる。

木龍や伊藤や有吉は、好機を見逃すほどやさしくない。

ペナルティエリアの隅をドリブルでえぐり、妖精にトドメをさした。

 

 

 

試合がおわり、着がえた中地舞がサポーターの群れに挨拶しにきた。

けふは暑いなか、本当にお疲れさまでした!

「疲れてるのは九十分走つてたアンタだろ」というツッコミは、

新参のボクなど到底口には出せなかつた。

よくみると、目の縁に青アザが。

そんな心配りのできる相手を、嫌いになれる人がいたらお目にかかりたい。

殺伐とした男子サッカーにはない美質が、そこにある。

そしてサポーターのリーダーの「よう」さんが、中地さんと密談をはじめる。

後でようさんが、ガッカリした口調で話したところによると、

サポーターを中心としたベレーザの存続のための活動に、

選手たちはまるで関心がないらしい。

チームの消滅とか、そんなのは慣れつこで、いまさらジタバタしたくない。

あたしらは、毎日一生懸命サッカーをするだけ。

ほかに何ができるというの?

 

 

 

 

 

はるひ野駅にむかう帰り道に、多摩の丘陵をのぞむ。

起伏にとむ武蔵野の台地から、数あまたの代表選手がうまれた。

ほかに何もできないからつて、何もしないのはどうなんだろう。

家が燃えているなら、救助をもとめて叫べばよいのに。

119番は通じない。

信じがたいことだが、日本サッカー協会はベレーザの行く末をただ傍観している。

直近の国際大会であるアジアカップのメンバー二十三名のうち、

ベレーザ出身者は丁度一チームをつくれる十一人。

だがサッカー官僚は、澤穂希も岩渕真奈も、自分で育てたつもりなのだ。

読者のみなさん、耳をすませてほしい。

声はちいさいけれど、誰かがあなたの支援を必要としている。

いますぐに。

この緑ゆたかな台地のどこかで。


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十年に一本の傑作 ― 『インセプション』

 

インセプション

Inception

 

出演:レオナルド・ディカプリオ ジョゼフ・ゴードン=レヴィット エレン・ペイジ 渡辺謙

監督:クリストファー・ノーラン

制作:アメリカ・イギリス 二〇一〇年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

夢強盗の映画だ。

 

 

ターゲットに接触する、強盗団のリーダー。

流行の最先端とはいえない髪型が、ギャング映画の伝統をにおわせる。

 

 

夢強盗はむつかしい犯罪だが、物理法則にとらわれずに計画を練れるのが強み。

 

 

夢のなかなら、大地さえ捻じ曲げられるから。

 

 

 

ディカプリオが、夢の「設計士」役のエレン・ペイジをテストする場面で、

カナダの蒼井優は紙に迷路をかかされる。

ボクも子供のころ、授業が退屈すぎるとき、要するに毎日の様にやつた。

『インセプション』は、フィルムにかかれた迷宮だ。

 

 

ターゲットであるエネルギー企業の経営者に一服もり、徒党をくんで意識下に潜入する。

この夢は、なんと三つの階層にわかれている。

 

 

第一階層は、雨中の追跡劇。

脳の所有者がトイレを我慢していたので、夢の天候が悪化した。

現実世界からの干渉が一番おほきい階層だ。

 

 

一味ははげしい抵抗をうける。

大企業の幹部ともなると、夢強盗に狙われる可能性をかんがえ、

無意識に侵入者を撃退する訓練をつんでいる。

しかし夢強盗の手口は一枚上手で、夢のなかで夢をみる「入れ子構造」をとる。

 

 

第二階層は、ホテルで暗躍する。

今度はターゲットの味方のフリをして、心をひらく隙をうかがう。

ニヤケ面のジョゼフ・ゴードン=レヴィットの髪もオールバック。

 

 

第一階層での苦戦を反映して、ホテルは大混乱に。

『(500)日のサマー』ではゾウイー・デシャネルに振り回されたが、

ニヤケ野郎は汚名返上とばかり、無重力でもなかなかの奮闘ぶり。

 

 

ターゲットとともに潜る第三階層は、雪山の要塞。

敵は軍隊なみに武装しており、容易にちかづけない。

 

 

 

狙撃銃で攻撃し、突破口をさぐるディカプリオ。

『インセプション』は、これらの策動が同時進行する映画だ。

だれも見たことのない映像体験。

「十年に一本の傑作」という評価が大袈裟でないと、御理解いただけたろうか?

 

 

 

架空の世界を構築してターゲットをつれこむ、「夢の共有」が物語のカナメだが、

しかし本作の主題は、「人の心は共有できない」ことにある。

 

 

主人公は妻の死に責任を感じ、つねに罪の意識にさいなまれている。

犯行中にも、死んだはずの妻が突如あらわれ、計画をぶちこわす。

人間はおのれの心すらあやつれないのに、まして他人の心など!

 

 

夢強盗は、どの階層が現実世界なのか見失う恐れがあるので、

手になじんだ小物をみな隠しもつている。

ディカプリオの秘密道具は、亡き妻の形見であるコマ。

不安になるたびコマをまわし、現実が現実であることを確める。

すべて夢であればよいのに、と願いながら。

 

 

自分でも不思議だが、ボクは雪上用迷彩服に興奮する趣味がある。

本作の予告篇をみたときも、白銀の戦闘場面に無性にひかれた。

かんがえてみると、母が北海道の生まれだからかもしれない。

父が大学のスキー部のキャプテンだつたという話も、意識下に影響しているか。

つまりスクリーンでうごめく影さえ、人は共有することができない。

おなじ絵をみても、ちがう像が網膜にむすばれる。

 

 

そして全階層が崩壊し、消滅する。

余韻をかみしめながら、ボクはトイレにはいつた。

アクースティックギターにのせて、キム・ディールの不気味なコーラスがひびく。

ピクシーズの「Where Is My Mind?」。

二十世紀末の黙示録、『ファイト・クラブ』のエンディングでながれた曲だ。

もしかして人生は一本の映画で、ボクは客席とトイレをただ往復していただけか?

背筋を寒気がはしつたのは、排泄行為のせいだけではないと思う。


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Sing Like Talking『RISE』

 

RISE

 

Sing Like Talking(シングライクトーキング)の

アルバム『Humanity』収録曲およびシングル曲

 

作詞:藤田千章

作曲:佐藤竹善

発行:ファンハウス 平成四年

 

 

 

寝苦しい熱帯夜は、吹雪みたいに空調をきかせたフロアで、

踊り明すのが理にかなつている。

酒、タバコ、闇に浮んでは消える女たち。

五感を麻痺させる高デシベルのビートが、暑中の憂さをふきとばす。

熱心にステップを踏みながら、汗一つかかず涼しげな、

『THE IDOLM@STER』のアイドル候補生たちの様に。

 


 

「バナールP」がニコニコ動画で公開している、アイマスMADだ。

Sing Like Talkingの名曲『RISE』にあわせ、マリオネットが踊る。

 

 

SLTのライブではおなじみの、天を指さすポーズ。

動画製作者の原曲への思い入れを感じる。

 

 

アイマス化された『RISE』の意外性に驚愕したが、

ショートカットの菊地真が、雰囲気になじんでいるのに震えた。

女らしい体臭をかけらも匂わせないくせに、やたらと艶かしく、

おまけに数秒ごとに視線をなげて、駆け引きをしかける。

光と闇のはざまで。

 

 

 

これに似た曲、どこかで聞いたことある!

そう思つたなら、あなたは耳がよい。

おそらくドリカムの『決戦は金曜日』が、それだ。

SLTの佐藤竹善とドリカムの中村正人は、

シェリル・リンのディスコ・クラシック『Got to be real』をネタにして、

どちらがよい曲をかけるか勝負した、という話がつたわつている。

売り上げはドリカムの圧勝だが(SLTはシングルヒットが皆無)、

曲の出来はどうだつたのか、十八年の時をさかのぼり判定しよう。

 

 

音楽番組「FUN」から。

 

 

おクスリが好きな人と、ダチョウ倶楽部のリーダーにはさまれ、

平成の歌姫が大きな口をさらにひろげる。

「ドリカム現象」なんて言葉がささやかれ、

女一人男二人でつるむのが先端的とされた時代。

たしかに若い娘の欲望を、性的な部分もふくめて、

大きな口で大らかに肯定する吉田美和の歌いぶりは新味があつた。

 

 

司会者までドリカム現象。

クルマとユーミンが好きな人と、ダウンタウンの腰巾着にはさまれ、

嫁入りまえの藤原紀香がクネクネとおどる。

神戸あたりでブイブイいわせた記憶が呼び覚まされたのか。

 

 

挙句のはてに、自分が主役といわんばかりの大熱唱!

自他ともにみとめる美女なのに、どうも滑稽なひとだ。

 

 

ドリカム現象の反響のすさまじさに、苦笑を禁じえない歌姫。

結論をのべると、『決戦は金曜日』はわづかに劣るとおもう。

この曲の吉田美和は歌いすぎで、木に竹をついだ様なブサイクさがある。

ダンスフロアに、フツーの女のコのリアルな感情なんて邪魔なだけ。

踊るアホウに、見るアホウ。

音楽が無内容であればあるほど、夢中になれる。

歌声なんて、楽器のひとつにすぎない。

 

 

 

 

 

アイマスのヒロイン格の天海春香は、本来は夜の盛り場など似合わないが、

丹誠こめてつくつた動画のなかでは、ディスコクイーンにみえる。

理想の女を追い求めれば、その姿は人形にちかづく。

自己主張なんて、こんな季節は特に鬱陶しい。

無表情で踊るくるみ割り人形をみて、男は想像をふくらませ、

あとはひたすら夏の夜の夢におぼれる。

 

 

佐藤竹善の声は安定感バツグンで、いかにも楽器の様だし、

藤田千章の歌詞も、どこかのクラブでいま起きている、

ありふれた一コマをスケッチした造作ないものだ。

無内容といえば、無内容。

なのにこの印象のあざやかさは、なんなのだろう。

人の海のなかをすり抜けてゆく、一匹のうつくしい魚。

ほかの漁師の手におちるまえに、とらえたい。

それが罠だと、うすうす気づいていても。

刹那的で頽廃的な、ダンスフロアのさめた興奮をとじこめた、

『RISE』という曲には、いまだ人を酔わせる魅力がある。





SECOND REUNION~The Best Of Sing Like TalkingSECOND REUNION~The Best Of Sing Like Talking
(1998/09/30)
SING LIKE TALKING

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横井軍平の暗闇 ― 『X-RETURNS』

 

X-RETURNS

 

発売:任天堂 平成二十二年

開発:キュー・ゲームス

ディレクター:ディラン・カスバート

対応機種:ニンテンドーDSiウェア

 

 

 

陸空両用の戦車「VIXIV」を単騎かりたて、

虚空にちらばる惑星を探索してまわる。

本作は十八年の時をへて復活した、ゲームボーイの名作『X』の続篇だ。

ディレクターは、前作をてがけたイギリス人のディラン・カスバート。

作曲も、当時新人だつた戸高一生をふたたび起用した。

失礼ながら、こんな小粒なダウンロード販売のソフトに、

惜しげもなくエースを投入した任天堂の酔狂にあきれる。

 

 

 

 

 

惑星間は、トンネルを高速でかけぬける。

とたけけの音楽が、プレイヤーをクールに昂揚させる。

 

(画像は英語版)

 

橙色が目にまぶしい惑星で、あらたな任務にとりくむ。

星ごとにことなる、大胆な色彩がたのしい。

たとえばバーチャルボーイを連想させる、赤と黒。

惑星「アース」の、心やすらぐ青と緑。

前作の舞台だつた「テタムスII」は緑と黒で、

ゲームボーイのモノクロ液晶そのものだつた。

比較のため、前作の画像ものせておこう。

 

トンネル

 

 

惑星探索

 

上官である「コーチ」

 

エミュレータでは、液晶の色味を出せないのが悲しい。

それはともかく、『X-RETURNS』の不変ぶりに目をみはる。

 

 

 

 

 

モノクロームが、想像力を刺激する。

積木の様に単純なポリゴンでえがかれる風景は、

幾何学的で抽象的で、SFの世界につながる夏の扉をひらく。

デザイナーは泣かされたろう。

意匠の専門家がえらんだ「キレイな色」が気にいらず、

カスバート氏はランダムで色彩をきめたらしい。(参照:『N.O.M』2010年7月号

もとプログラマーの要求は、まるでエイリアンの侵略だ。

なかには、まともに敵を識別できない惑星まである。

しかし、「キレイな宇宙戦争」なんて嘘くさくないか?

二十一年まえに発売されたゲームボーイをつくる際、

任天堂の横井軍平がモノクロ液晶を採用したのは、価格と電力消費のため。

ただそれ以上に横井は、見かけの派手さに興味がなかつた。

 

私はいつも、「試しにモノクロで雪だるまを描いてごらん」と言うんです。

黒で描いても、雪だるまは白く見えるんですね。

リンゴはちゃんとモノクロでも赤く見える。

昔の映画だって、カラーだったかモノクロだったか、

あまり覚えていないものでしょう。

人間は色を概念として見てしまうんですね。

 

横井軍平『横井軍平ゲーム館』(アスペクト)

インタビュー・構成/牧野武文

 

「概念」としての、ビデオゲーム。

めざめた後におもいだす、夢の記憶の様な。

 

 

 

 

 

横井軍平を神格化するのはつつしみたい。

彼はあくまでオモチャの世界の住人であり、ゲームの人ではない。

「任天堂=横井軍平」では決してない。

むしろファミコン以降の時代を、苦々しくおもつていたフシがある。

ファミコンの筐体にいかされた横井の着想は、「十字キー」と「イジェクター」のみ。

おほくの人が「十字キー」の革新性をほめたたえるが、

ボクはコストは十円程度の「イジェクター」に魅力を感じる。

「シュコン!」となめらかにソフトをおしだし、別のソフトをさしこむ。

「いろんなゲームを遊んでくれ」という、開発者のメッセージがそこにある。

ただソフトの中身より、ソフトを排出する方に横井らしさが表れているのが皮肉だ。

また、ゲームボーイを彼の代表作にあげるのも失礼ではないか?

そのとき下されたミッションは、「ファミコンより安い携帯ゲーム機」をつくること。

ウルトラハンド、ラブテスター、光線銃SP、ゲーム&ウォッチ…。

キラ星のごときヒット商品をうみだした頭脳にとって、退屈なしごとだ。

 

 

 

 

 

ボクなどがなんといおうと、軍平さんの名声は高まるばかり。

当の任天堂が、「黒歴史」だつたはずのバーチャルボーイをなぞる様に、

立体視がウリの「ニンテンドー3DS」なんてのを発表する始末だ。

『X-RETURNS』もどこまで意識したかしらないが、

「赤と黒」、バーチャルボーイの二色を象徴的にあしらう。

ゲームぎらいの男が心血そそいだ、

斬新すぎるゲーム機の特色は、LEDディスプレイを搭載したこと。

液晶だとバックライトをつかうから、どうしても光がもれる。

最高級の液晶テレビでも、完璧な「黒」は表現できない。

だがLEDの「黒」につつまれれば、人は無限遠を感じられる。

暗闇。

そこになにもないことで、プレイヤーは慄然とし、

妄想は自然にひろがりつづける。

宇宙の果てまで。

横井軍平の哲学が、簡単には表にでない深いレベルで、

京都の会社に受け継がれていることがわかつた。





横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力横井軍平ゲーム館 RETURNS ─ゲームボーイを生んだ発想力
(2010/06/25)
横井 軍平牧野 武文

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北乃きい、天の川をこえて

『KEY of DREAMS』(発行:玄光社/撮影:石川信介)


【八月九日追記】

コメント欄でyukirinさんが指摘してくれましたが、

『フライデー』の記事は、信憑性に欠けています。

したがって、交際にかかわる事実関係について、

以下の文章は事実に反する可能性があります。





七月九日発売の写真週刊誌『フライデー』(講談社)が伝えるところにより、

女優の北乃きいが、二歳年上の俳優と交際していることがわかつた。

渋谷のシティホテルに宿泊した二人が、写真におさめられた。

宿泊費は北乃が支払い、七夕の短冊に彼女が本名をそえて、

「かーくんとらぶらぶでいれますよーに。」としるしたことまで報道されている。

ちなみに「かーくん」とは、相手の佐野和真のこと。

イイトシのお嬢さんが、男とナニかして動揺するほどウブでないつもりだが、

まあなんというか、インターネットの「集合知」はバカにできないとおもつた。

 

泊まったのは恐らくホテルサーブ渋谷16000円
モナより高い

 

「2ちゃんねる」への匿名の投稿

 

そのくらいのカネ、年下の女に払わせるなよ。

なんて感想をもつた時点で、ボクが嫉妬していたのは明白だ。

 

 

 

このニュースが北乃きいの仕事にどんな影響をあたえるのかは、

ギョーカイ事情にくわしくないので分らない。

ただ「ブロガー・北乃きい」にとつて、致命的な打撃なのはまちがいない。

彼女がどれほどブログを大切にしているか、ボクはしつている。

寝る間もないスケジュールの合い間にケータイをひらき、

数百のコメントのすべてに目をとおす。

時間がゆるすかぎり、投稿者のブログを訪問する。

「生きるのがつらい」というコメントを見つけたら、いてもいられず、

「人生は喜劇だ」と堂々宣言する記事まで書く。

おそらく彼女は、同世代の男女のリーダーになりたかつたのだ。

十九歳の新進女優にその資格はあつたし、いまでもそう思うが、

しかし世間から後ろ指をさされて、もう偉そうな顔はできない。

 

 

 

七月十五日、北乃きいはブログを更新した。

彼女が自分の言葉で、この騒動を語らないわけがない。

 

今後はけじめをつけ、お仕事第一優先で頑張ります。

 

『チイサナkieのモノガタリ』

 

フムフム、「けじめをつける」ね。

こまつたら、いつもの様に『日本国語大辞典』をひこう。

「守るべき規範や道徳などに従って、行動や態度を明確にする。」

「ものごとのけりをつける。」

どちらも用例は戦後のものだ。

なるほど。

カレシと別れる意志があるかどうかは、わからない。

多分ないのだろう。

後半の「お仕事第一優先で頑張ります」という表現も、興味ぶかい。

つまり先週まで、彼女は恋愛を最優先にしていたのだ!

この期におよんで、まるで悪びれないノロケぶり。

「守るべき規範や道徳」がなんなのか、ボクにはわからないけど、

きいちゃんは、自分の道をそのまま前進してほしい。

天の川よりステキな未来が、キミを待つているはずだから。






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ジョージ・スタイナー『マルティン・ハイデガー』

 

『Tarleton State University』

 

マルティン・ハイデガー

Martin Heidegger

 

著者:ジョージ・スタイナー

訳者:生松敬三

発行:岩波書店 二〇〇〇年 (初版:一九九二年)

原書発行:イギリス 一九八九年 (初版:一九七八年)

[岩波現代文庫]

 

 

 

地球環境にまつわる理論を準備し、後進に影響をあたえたという点で、

哲学者マルティン・ハイデガーの功績は、ジェイムズ・ラヴロックに匹敵する。

 

なぜなら、ハイデガーの深遠な洞察が

現代の環境思想家にとって失われるとするならば、

大きな、不必要な損失であることはたしかであろうから。

実際、現代の思想家がハイデガーのなかに、

環境的に有徳な生きかたについてのしっかりとした概念を打ち立てるための、

堅固な哲学的基礎を見いだすことは可能だと思われる。

 

ジョイ・A・パルマー編『環境の思想家たち』(みすず書房)所収

サイモン・P・ジェームズ「マルティン・ハイデガー」

 

「技術」が、それを生みだしたものを奴隷にする。

この大地で、われわれは家をうしなつた。

ハイデガーは、合理的・科学的な知のモデルに意義をもうしたてる。

デカルトのいう確実性、そしてそれを支える自我(エゴ)。

自我は掠奪者として、外部世界に関係してゆく。

さらに、立證できないものは虚偽だとするポパー風の幻想が、

科学をみすぼらしいツギハギにかえ、絶望と不条理を蔓延させる。

「存在」が忘却され、世界は荒野と化した。

 

 

 

あらゆる哲学理論は難解だが、それを単純化するのは意外とたやすい。

ハイデガーの思想を、ボクなりに短縮してみよう。

耳で見て、手で考えよ。

哲学者たちの強迫観念的な「目の欲望」に対し、アウグスティヌスも警告を発している。

事物の本質を「見ること」を、プラトン流に主張し固執することに。

「存在」は、客観的な実在物ではない。

人間は、現実存在の聞き手であり、応答者であるにすぎない。

「存在の音楽」が、緊急に応答をよびもとめ喚起している。

さらに「事物」と「道具」の区別は、ハイデガーの世界観にとつて本質的なものだ。

ハンマーを打つことと、ハンマーを見ることは異なる。

手にしてもちいる機会がふえるほど、関係は一層根源的となり、

その事物がそれであるところのもの、つまり「道具」として顕わになる。

藝術家や職人やアスリートなら、訓練された手がしばしば、

目や頭よりすばやく繊細に「見る」ことをしつている。

理論的観察者にはマネできない、周到な営為だ。

 

 

 

ハイデガーに対するもつとも痛烈な批判者といえば、ルドルフ・カルナップだろうか。

一九三二年の試論「言語の論理的分析による形而上学の克服」で、

ハイデガーが形而上学的ナンセンスの代表者として槍玉にあげられた。

カルナップの様な論理実證主義者にとつて、「意味」とは検證の原理にもとづくもので、

形而上学の言明はまちがつているだけでなく、ただ単に無意味とされる。

「存在」は、検證不可能であるがゆえ無意味であり、

論理分析によつて簡単に乗りこえられる。

そもそも形而上学は「生活に対する感情」の表現であり、藝術に似たものだ。

ただ詩人や音楽家は、自身の作品が理論的または認識的内容をもつ、

などと錯覚しない分だけすぐれている。

一方で形而上学者など、詩的才能のない詩人、音楽的才能のない音楽家といえまいか?

狡猾なハイデガーは、批判者に耳をかさない傾向があつた。

カルナップの議論には、大いに反論の余地があるのに。

クワインのよくしられた論文「経験主義の二つのドグマ」(一九五一年)では、

語や文がただちに利用可能な現実と直接的関係をもつ、という考えが否定され、

カルナップが「意味」に関してえがく構図全体が崩壊した。

 

 

 

詩をかけない詩人の山荘を、本物の詩人であるパウル・ツェランがおとづれる。

両者は、たがいの著作につよい関心をいだいていた。

ときは一九六七年、ホロコーストを生きのびたユダヤ人にとつて、

ナチズムの内部で重要な役割をはたした哲学者と向きあうことは、

稀有な気力をふりしぼらねばならない行為だつた。

おそらく接待する側にとつても。

三年後、客人はセーヌ川に身を投じる。

遺稿詩集『光の強迫』におさめられた、

山荘のある地名を題した「トートナウベルク」という作品が、

訪問の様子をつたえる唯一の證言だといわれている。

 

われわれの知るかぎり、つまり「トートナウベルク」がわれわれに教えてくれるかぎり、

陳腐な言い逃れ(『シュピーゲル』のインタヴューにおいてのような)によってか、

それともまったくの沈黙、ハイデガーが教育の場においてさえもおこなった

完全な発言放棄によってか、この信頼は破られてしまった。

それがいずれであったにせよ、ツェランに及ぼした効果が

惨憺たるものであったことは感じとられる。

だが、問題は個人的なレベルをはるかに越えている。

その著作活動や教育活動の全体を通じて、マルティン・ハイデガーは

問いかけるという行為こそ本質的なものだと言明してきている。

 

ハイデガーの哲学と人生は、荒野に住まうことの困難さを、客観的に実證した。





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ジョージ スタイナー

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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

映画『グラディエーター』にみる「帝国」

 

グラディエーター

Gladiator

 

出演:ラッセル・クロウ ホアキン・フェニックス コニー・ニールセン

監督:リドリー・スコット

制作:アメリカ 二〇〇〇年

 

 

 

鬱蒼たるゲルマニアの森で、にぶい光を放つひとふりの剣。

北方軍団の司令官マキシマスが、混戦のさなかに突き刺したものだ。

 

 

蛮族をたいらげたあと、所有者の手にかえつた。

用兵にたくみで、兵からの信頼あつく、ローマの英雄でもあるマキシマスは、

皇帝マルクス・アウレリウスに、実子をさしおいて帝位を継ぐようたのまれる。

マキシマスは架空の人物だが、たしかにその人物像は現実ばなれしている。

そもそもローマ帝国は、「英雄」を必要としない。

 

 

映画でローマ軍は火矢をはなち、森ごと異民族を焼きはらう。

貪欲で残忍な、征服者としてのローマ帝国。

 

 

戦陣にたつ哲人皇帝。

この爺むさい姿こそローマだ。

アウグストゥス以降、新領土の獲得はきびしく制限されていた。

ブリテン島、ダキア、メソポタミアへの遠征は、皇帝自身が指揮をとる。

皇帝権力に挑戦する「英雄」がうまれない様にするため。

地中海を制し、自国の湖とかえたローマの富はすでに莫大なもので、

戦争は祖国防衛を目的とされ、軍人の行動は監視されていた。

あらゆる帝国が好戦的とはかぎらない。

 

 

 

 

 

ただしローマ市民が戦いをこのんだのは事実だ。

血なまぐさい娯楽を提供するため、巨費をついやし円形闘技場がつくられた。

 

 

善良でまじめな市民が、虐殺の場面に熱狂する。

この悪趣味に眉をひそめる向きもないではなかつた。

しかし観衆は、皇帝が見世物に無関心さをしめすだけで非難する。

円形闘技場が、ローマ社会の秩序をささえていた。

 

町の中心に位置するこの円形闘技場という空間では、

軍事中心主義に根差ざした社会に生きる人々が、

平和な時代になっても―ときには互いに傷つけあいながら―

引きつづき戦いを継続していたのである。

北方ヨーロッパの壮大な中世教会と同じように、

円形闘技場は多くのローマ都市の景観を色濃く特徴づけていた。

 

クリストファー・ケリー『1冊でわかる ローマ帝国』(岩波書店)

 

 

虎におそわれるマキシマス。

武器をもつ剣闘士ならまだマシで、ときにはキリスト教徒の一群をおくりこみ、

鉄の椅子で焼き焦がし、雄牛の角で突き刺し、飢えた獅子に食いちぎらせた。

ただこの宗派が一風かわつているのは、「殉教」を宣伝の機会ととらえていたこと。

属州アシアでキリスト教徒と称する群集が、みづからを死刑に処すよう要求したときは、

死にたいなら絶壁から身をなげろと、総督を激怒させた。

信徒を猛獣の餌にして楽しむうち、ローマ帝国はキリスト教化する。

 

 

 

 

 

皇帝コンモドゥスの凱旋パレード。

リドリー・スコット監督はこの場面を、レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』(一九三五年)

を連想させる様に演出したと認めている。

ヒトラーがニュルンベルクでナチスの党大会に登場する様子が、かさねられた。

 

 

元老院議場が、コロッセウムにむかいあつて建つ。

支配を象徴する建築物の壮大な配置は、ヒトラーが計画した新ベルリンの構想を模したもの。

実際の二世紀のローマは、道がせまく、中央広場には建物が密集し、

映画むきのパノラマなどとても提示できなかつた。

ようやく一九三二年に、ムッソリーニが軍隊を行進させるべくインペーロ通りをつくつたとき、

それに近い光景が出現したにすぎない。

現代人の想像力は、ヒトラーとムッソリーニ、

独伊の迷コンビの夢から、まだ半歩も踏み出せていない。

 

 

映画ではのちに帝位をつぐルキウス役の、スペンサー・トリート・クラーク。

最近の活動はしらないが、ボクは本作でのソバカスまじりの微笑をわすれられない。

美少年の透明な魅力だけは、時代をこえた真実だと信じたいが、

これも調べてみたらまた違うのだろう。

歴史、それは容易に飼い慣らせない猛獣だ。





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クリストファー・ケリー

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テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

『ハートキャッチプリキュア!』

 

ハートキャッチプリキュア!

 

出演:水樹奈々 水沢史絵 桑島法子 坂本千夏

シリーズ構成:山田隆司

アニメーション制作:東映アニメーション

放送局:ABC・テレビ朝日系列

放送期間:平成二十二年二月七日~

 

 

 

お花が大好きな転校生は、せつかくの自己紹介なのに、

極小のフォントで名前をしるした。

ふーん、「つぼみ」つてこんなコだつたんだ。

アニメにうといボクが『ハートキャッチプリキュア!』に興味をもつたのは、

『俺たちゲーム少年(ボーイ)』というブログで、イプイプさんが熱く語つていたから。

そのころ主人公は立派な戦士になつていたので、

当初のさえない中学生ぶりが、最近でたDVDでみて意外だつた。

 

 

「字がちいさすぎて見えないよー!」

空気を知覚できない「来海えりか」が、未来の相棒をコーナーにおいつめる。

大山のぶ代には負けるが、水沢史絵の声はヒロインとおもえぬ大胆なノイズまじりで、

友達おもいでウザカワイくて、お気にいりだつたのに。

これでは、ただ単にウザイ。

 

 

「えーと、あいてる席は…」と鶴崎先生が席をさがすと、

お約束どおり、えりかが「ここよー!花咲さーん!」と絶叫する。

いつもおもうが、転校生の席はあらかじめ教師が用意するものでは?

学園物をみるたび興ざめするが、それはともかく着席。

(ワタシこういうタイプのコ、苦手なんですけど…)

 

 

仔犬の様に、好奇心もあらわなえりか。

ウザカワイイ。

いや、やはり相当ウザイ。

 

 

(ファッション部にはいるの断つたのに、まだついてくる…)

下校の道程が、メタルギアになる。

 

 

最悪の転校初日。

もし本作がプリキュアではなく、学園ラブコメだとしても、

大いに不安になるであろう、頼りないヒロインなのだつた。

 

 

 

 

 

メガネがお似合いの、えりか嬢。

こんなにダメダメでも、つい応援したくなるのは、

ふたりがオシャレに熱心だからかもしれない。

等身大の女のコつて感じがするんだよね。

 

 

 

 

 

「キュアブロッサム」として、たたかいの場に立つたつぼみ。

だがマヌケな砂漠の使徒よりさらに弱く、あつけなく撃墜。

まあ、満足に自己紹介もできないコですから。

 

 

後方支援をうけもつ妖精のシプレとコフレには、

「史上最弱のプリキュア」とバカにされる。

でもここで、「アンタたちに言われてやつてるのに!」と逆ギレしないのが、

マジメなつぼみの美点だとおもう。

大物声優なのに衒いのない、水樹奈々の演技もステキだ。

 

 

なんだかんだで仲よくなつたえりかと、屋上でお弁当を。

ところが妖精が飛びだしてビックリ。

えりかの目はまんまる。

「ちよつとつぼみ、説明してよ!」

「えーと…このコたちはこころの大樹をまもる妖精の…」

 

 

「へー、妖精なんだ」

即座に納得。

なんという楽天家なのか!

そのままの流れでチーム結成。

ひとりひとりは、内気だつたりKYだつたり弱かつたりするけれど、

ふたりそろうと互いの欠点がおぎなわれ、乗数効果がうまれ、

すくなくともボクにとつては「史上最強のプリキュア」になる!

 

 

未見のエピソードをみて、ますますふたりが好きになつた。

ただ次回放送から、三人目のプリキュアが登場するらしい。

勿論「キュアサンシャイン」の活躍もたのしみだけど、それでもやはり、

『ハートキャッチプリキュア!』といえば、つぼみとえりか。

この名コンビが、これからも全国の等身大の少女の胸をときめかすだろう。




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「家業をつぐ ― 『ハートキャッチプリキュア!』」(八月六日の記事)



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かなしき「カプリコン・1」 ― ブルックス『まだ科学で解けない13の謎』

 

まだ科学で解けない13の謎

13 Things That Don't Make Sense

The Most Baffling Scientific Mysteries of Our Time

 

著者:マイケル・ブルックス (Michael Brooks)

訳者:楡井浩一

発行:草思社 二〇一〇年

原書発行:アメリカ 二〇〇九年

 

 

 

十一回目の「ブログ DE ロードショー」は、「白くじら」さんがお選びになつた、

『カプリコン・1』(ピーター・ハイアムズ監督/一九七七年/アメリカ・イギリス)だ。

かなりおもしろい、科学サスペンスだつた。

上は生中継された、史上はじめて人間が火星に到達した瞬間。

 

 

ところがこの映像は、地上で撮影したもの!

宇宙船に異常がみつかり、有人飛行ができなくなつたので、

とりあえずロケットだけ飛ばし、着陸の様子は捏造した。

七十年代後半のアメリカの空気がつたわる。

ウォーターゲート事件の余波はしづまらず、国家権力があなどられていた。

一方でいまとは比較にならない、宇宙開発にかける情熱も感じる。

結局人類は、まだ火星に足跡をのこせないのだから。

 

 

 

『まだ科学で解けない13の謎』は、科学ジャーナリストのマイケル・ブルックスが、

暗黒物質、常温核融合、プラシーボ効果、ホメオパシーなど、

科学者を困惑させる変則事象(アノマリー)を取りあげた本だ。

十九世紀のボストンにうまれた実業家パーシヴァル・ローウェルは、

火星にとりつかれた偏執狂のひとり。

一八九四年には、私費を投じてローウェル天文台をたてている。

赤い惑星に、文明をみつけるために。

かれの歪んだ動機は、科学史上の偉大な発見をもたらした。

ハッブルに先んじて、ローウェル天文台ではたらくスライファーが、

宇宙の膨張にともなう赤方偏移を一九一二年にみいだす。

ではなぜ、宇宙の膨張は加速しつづけるのか?

「暗黒エネルギー」があるから。

銀河にうかぶ星々は、なぜ虚空に飛び散らず、定位置にとどまるのか?

「暗黒物質」があるから。

それでは、「暗黒物質」と「暗黒エネルギー」とは一体なにで、

どこから発生したもので、どうすれば観測できるのか?

まつたくわからない。

宇宙空間の実に九十六パーセントが、いまだ完全なる謎のまま。

 

 

 

火星は、地球と共通点がおほい。

層のうすい大気に覆われ、地表に生命が存在するという仮説をたてても、

それを嘲笑する科学者はいない。

しかし、ソ連やアメリカなどの最高の頭脳による探査計画は失敗つづきで、

真顔で「火星の祟り」について語る研究者もいるほど。

一九七〇年代のバイキング計画以降、火星探査で生命体は目標からはづれた。

これは科学にとつて、かなしい事実だ。

イギリスの王立天文台長で、王立協会会長のマーティン・リースは、

地球外知的生命体の存在を立証、または否定する様な、

確固たる證拠をさがしだすことが、今後五十年の最優先課題だとのべている。

生命とはなにか?

われわれは皆しつている。

自分自身が生命体だし、ペットの犬や庭の草木をみてもそれは実感できる。

では生物と無生物の差異がどこにあるか、説明できるか?

人工的に、新種の生命体を創造できるか?

勿論、どちらも不可能だ。

だからそれが、太陽系の別の場所からやつてきた可能性を否定できない。

地球には、生命を創造する条件がそなわつていなかつたから、

だれも経緯を種明かしできないのは当然というわけ。

 

 

 

命ある物はかならず死ぬ。

とはかぎらない。

ブランディングガメなど、脊椎動物には老化しない種がいくつもある。

「死」もまた、「生」同様の変則事象だ。

数学者ジョシュア・ミッテルドルフは、「群選択」という説をえらぶ。

わかい世代に地位をゆづるために死ぬ種が、群選択をうけてのこつた。

魅力ある主張だが、これを認めればダーウィンの「自然選択」説は修正をせまられる。

「死」という冷酷な事象に対応するため、「性」が進化したと考える研究者もいる。

オスとメスの有性生殖により遺伝子を再編成し、

絶滅を回避するメカニズム、それが「セックス」なのだと。

とはいえセックスほど、非合理的な生殖行為はない。

メスしか子を産めないから、絶滅の確率は倍になる。

つがう相手をうばいあう労力、卵子と精子の合体にともなう非効率性、

交尾中に捕食者におそわれる危険も無視できない。

われら生物が日々なやまされる、欠陥だらけのいとなみだ。

なのに有性生殖は、なぜか爬虫類や魚類などの無性生殖に対し優位にたつ。

どうも生物学者はウソをついてきたらしい。

伝統的な「性選択」における、メスに選択権があり、

大きな角、大きな吠え声、優雅な尾羽をもつクジャクなど、

優良な遺伝子をもつオスがえらばれるという話は、過度に単純化されている。

メスはセックスをしたいとき、デタラメな相手とセックスをする。

そもそも動物にとつて、生殖は至上命令ではない。

自然界では、人類同様に同性愛行動がひろく観察されるが、

生物学者はそれを隠したがる性癖があるのだとか。

 

 

 

近代科学の悪口をいうと、おきまりの反論がかえつてくる。

「オマエは科学を信じないなら、カゼをひいても病院にゆかないのか?」

まあボクは、カゼくらいで医者の厄介になる様なヤワではないが、

それはともかく、近代医学ほど「近代的」でない科学はない。

オレゴン健康科学大学のアン・ヘルムによると、

処方薬の三十五パーセントから四十五パーセントが、プラシーボ(偽薬)だ。

白衣をきた医者に対面することが、もつとも効果的なクスリであり、

つまり近代医学と宗教をわける境目は存在しない。

研究がすすむにつれプラシーボ効果は、

再現性のある多面的生化学現象であることが明瞭になつた。

現代の製薬会社は、大枚をはたいてプラシーボの情報をあつめている。

治験に合格するには、比較対象について知らなくてはならないから。

おそろしいことに、プラシーボの効き目は年々増しているらしい!

みとめるには少し勇気がいるが、これが近代科学の不毛な世界観だ。

われわれがなにも知らないことを、科学はおしえてくれる。

たとえば人間は、「自由意思」をもたない。

ベンジャミン・リベットによる実験を皮切りに、神経科学ではすでに常識だ。

「意図」はつねに、「行動」のあとに知覚される。

人間は、なにかを決断した満足感にひたる、滑稽な動物にすぎない。

神経科学者が、弁護側の證人として法廷にたつ日もちかい。

脳スキャンの技術は高度になつている。

人格と経験は解剖され、単なる電気信号に還元されつつある。

たしかに彼は殺人をおかしました。

しかし脳の回路の接続について、責任を問うことはできません!

 

 

 

 

 

「カプリコン・1」の宇宙飛行士は、自分たちが抹殺されることを察し、

飛行機にのつて基地から逃れるが、燃料がきれて沙漠に不時着した。

すぐさま北・西・南の三手にわかれる。

もし全員で生き残りたいなら、確率は相当にさがつた。

でも彼らは空軍士官のはずで、そんな初歩的なミスはしない。

ひとりでもマスメディアに接触できれば、理不尽な権力に対する勝利になる。

だからオレたちは、別行動をとる。

ヨセミテの荒野は、近代科学の戯画におもえた。

目をそむけたい現実をまえにして、ひとびとは結束をたもてない。

あきらめたり、ウソをついたり、他人のせいにしたり。

行く手をさえぎる壁があるなら、打ち破らねばならないのに。





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(2010/04/22)
マイケル・ブルックス

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テーマ : 自然科学
ジャンル : 学問・文化・芸術

『ゴースト トリック』

 

ゴースト トリック

 

発売:カプコン 平成二十二年

ディレクター:巧舟

対応機種:ニンテンドーDS

 

 

 

数年まえ、よく熱をだして寝てばかりいた。

なにもかもがメチャクチャな最悪の時期だつたけど、

寝床であそぶDSのアドベンチャーゲームは、

よい気晴らしになつたし、いまおもえば心の支えでもあつた。

そのときだけ、ボクは物語の主人公になれた。

だから『逆転裁判』の四作をつくつた、カプコンの巧舟には感謝している。

 

 

 

タクシューの新作は、名こそちがえどADVなのがうれしい。

 

 

女刑事のリンネ。

だまつていれば美人なのに、空気のよめない言動ばかり。

でも底抜けにあかるくて、ウザカワイイ。

なにかの拍子に、マヨイがトリツいたのかもしれない。

 

 

レストラン「キッチンチキン」の全体図。

『逆転裁判』は、「16文字×2行」のテクストとにらめつこしながら矛盾をつくゲームだが、

本作はイメージのなかを移動し、過去のイメージをつくりかえ、未来のイメージをうみだす。

背景について、タクシューは三つ注文をだした(参照:公式サイト)。

 

・立体感ゼロのフラットな世界

・グラデーションのない、ベタな色彩

・文字を一切つかわない

 

担当の長嶋昭子は、『魔界村』も手がけた古強者らしい。

奇怪な舞台装置に、カプコンの伝統を感じる。

そして異世界のなかで、タクシュー印の珍妙なキャラがおどりだす。

 

 

個人的にお気にいりの、ウェイトレスのメメリ。

最悪の接客態度がおかしい!

彼女などマトモな方なのだが、それでも秘密があり、

かぼそい伏線の糸がよりあわされ、次第に大河となり、

ボクたちはいつの間にか、奔流に飲みこまれる。

 

 

 

 

 

リンネの妹分、「小さなレディ」ことカノン。

夜中にドーナツをたべる習慣があるわりに痩せている。

 

 

殺し屋が突如侵入!

しかし主人公と小動物クンが、鈍感な飼い主のかわりに迎えうつ。

 

 

ポメラニアンの忠犬ミサイル公。

本作での小動物たちの活躍は、とにかく目ざましい。

 

 

 

『ゴースト トリック』に極悪人はいない。

ボクが『逆転裁判』でなにより好きなのは、弁護士・成歩堂龍一が、

法廷で窮地にたたされつつも、狡猾な犯罪者のウソをみやぶり、

人さし指をつきつけて、化けの皮をはぐときの熱狂だ。

『ストリートファイターII』で必殺技をきめたくらいに、興奮する。

前シリーズが沸点に達する摂氏百度なら、本作は微熱の三十七度。

クールな素振りがさびしいが、最後の伏線がつながるとき、

巧舟の真意がどこにあるのか明瞭になつた。

彼はもう、強大な悪との対決に興味はない。

かよわきもの、死の恐怖におびえる小さな生きものが、

それでも力をあわせ、健気にいきる舞台を演出したい。

やさしい視線が、念のはいつたテクストと「2D」のイメージにあらわれ、

DSをもつボクたちの胸を、ほどよく熱くする。

つまり本作は、『魔界村』から『逆転裁判』まで、

3Dのリアリティに毒されない、2Dゲームの歴史の集大成だ。

点つなぎの操作は、いかにもDSのタッチパネルむきだが、

実はこのゲーム、ボタンだけで支障なくクリアできる。

ゲームボーイアドバンスではじめて企画をたてた、

タクシューならではのコダワリが感じられ、ボクはほとんどボタンでプレーした。

 

 

 

「ニンテンドー3DS」が発売されれば、寝ころんだまま立体視の世界であそべる。

『バイオハザード』のゾンビが、『モンスターハンター』の飛竜が、

もうすぐ枕元まで襲いかかつてくる。

「2D」というユートピアは、その鮮烈さのまえに霞むにちがいない。

ボクでさえ、エポナにのつてハイラル平原を駆けぬけるのが、

眠れないくらい楽しみなのだから。

でも寝床でゾンビに噛みつかれたら、おそらく発熱はおさまらない。

このモヤモヤとした複雑な気分!

ゲームの未来はわからないが、それがどうなるにせよ、

月夜にたたずむあの黒猫の姿を、ボクはきつと忘れない。





ゴースト トリックゴースト トリック
(2010/06/19)
Nintendo DS

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テーマ : ニンテンドーDS
ジャンル : ゲーム

タグ: 任天堂  ニンテンドー3DS 

駒野友一の絶望

 

2010 FIFAワールドカップ 南アフリカ

決勝ラウンド 一回戦 パラグアイ-日本

 

結果:0-0(延長後) 5-3(PK戦)

会場:ロフタス・ヴァースフェルド・スタジアム

[テレビ観戦]

 

 

 

昔なつかしい、一九九四年・アメリカ大会決勝の動画を紹介したい。

イタリアの主将フランコ・バレージの活躍をまとめたもの。

 

(音量が大きいので注意)

 

バレージは、グループリーグ第2節で膝をいためて離脱したが、

現地で手術をうけ、ブラジルをむかえた決勝戦にあらわれる。

 

 

ロマーリオとベベットがたやすく点をうばう当時のブラジルは、

ペレの時代をのぞけば最強で、彼らを止められるチームなどなかつた。

ただひとり、イタリアの6番を例外として。

たとえば3分13秒にカーソルをあわせ、バレージの動きをみよう。

ブラジルの選手がドリブルで、するりとボックスに侵入した。

しかしバレージはいちはやく、右側でパスをうける人間が脅威になると察知。

この動画では判別できないが、おそらくロマーリオだろう。

 

ブロック

 

電光石火。

目の前の敵はすて、第三の男の足もとに飛びこむ。

鬼神がのりうつつたとしか思えない。

 

 

足をのばされた痛みで絶叫する。

カリフォルニアの真昼の太陽が、メスをいれたばかりの体をさいなむ。

 

 

搬送されながらも、闘争心はおとろえない。

青の6番は百二十分間、ブラジルを封印した。

それだけで、「史上最高のディフェンダー」の称号にふさわしい戦果だ。

 

 

PK戦の準備をするバレージ。

しかも最初のキッカーをまかされる。

フランコ、あんたのワールドカップはおわりだ。

もう休んでくれ。

そう言えるイタリア人は、ひとりもいなかつた。

 

 

運命は、真昼の太陽より残酷だ。

ジャージの裾をだしたまま、ペナルティマークの前にひざまづく。

 

 

信心の深さにかかわりなく、人はそのとき天をあおぐ。

声もださずに。

 

 

ゴールキーパーのパリュウカに肩をだかれる。

ボクはイタリア語をしらないが、何語であれ、

この場に適した言い回しがないのはたしかだ。

そして三年後、バレージは現役からひいた。

 

 

 

あれから数えて四度目の大会。

日本は決勝ラウンドに歩をすすめ、イタリアはグループF最下位でアフリカから去る。

かの国にフランコ・バレージがいないかわり、わが国には駒野友一がいた。

 

 

韋駄天の様にかけあがり、シュートをはなつ。

無論、そう決るものではない。

 

 

全速力で持ち場にもどる。

寡黙な二十八歳は、ひたすら往復をくりかえす。

そのほとんどが、結果にむすびつかないと知つていても。

 

 

 

幾度も勝負をいどみ、はねかえされる。

その俊足、左右どちらでも蹴れる技術、的確な戦術眼は、

いわば雑用として、むなしく消費されつづける。

 

 

サイドバックに、寝ている暇はない。

かつては都並敏史や相馬直樹、いまは駒野友一。

日本代表は、かしこく忠実なサイドバックにたよつてきた。

そう、そのときも。

 

 

天をあおぐ青の3番。

世界が砕け散るなかで、それ以外にとりうる仕草はない。

 

 

 

おほくの人が駒野の健闘をたたえ、帰国をあたたかく迎えた。

すばらしい態度だとおもうが、でも国民はしつているのか?

これから彼が南アフリカ大会をおもいだすたびに、

ブブゼラを切り裂いてきこえた、クロスバーの音がよみがえることを。

人生がおわる、その日までずつと。

国をせおつて戦うなんて、なんだか悲しいとボクはおもう。


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ロバート・テンプル『図説 中国の科学と文明』

 

図説 中国の科学と文明

The Genius of China

3,000 Years of Science, Discovery and Invention

 

著者:ロバート・テンプル (Robert Temple)

訳者:牛山輝代

発行:河出書房新社 二〇〇八年 (改訂新版)

原書発行:イギリス 一九八六年

 

 

 

地震が発生すると、青銅の球がカエルの口におちる。

人が気づかない微弱なゆれを感知し、方角や距離までおしえ、

政府はすばやく食糧援助や軍隊出動をおこなえた。

開発したのは後漢の宮廷天文官・張衡で、

ときは二世紀、西洋とくらべて千四百年はやい。

支那人は、なんでも正確にしりたがる。

たとえば機械時計がつくられたのは、八世紀(ヨーロッパは十四世紀)。

必要は発明の母だとしたら、彼らはどんな母親にせまられて、

パンクチュアルな日々をおくつたのか?

こたえは、皇帝の性生活にある。

帝国がすぐれた後継者をさづかるためには、

懐妊の日時を占星術どおりに差配しなくてはならない。

うらやむべきか、あわれむべきか、

皇帝は分刻みのスケジュールで毎晩、九人の女の相手をした。

ボクでも、紙の発明が支那でなされたのは知つているが、

ということは紙幣がつくられたのも、かの国だ(九世紀)。

一一二六年には過剰発行のせいで、インフレまで「発明」する!

西洋初の紙幣は、一六六一年のスウェーデン。

 

 

 

本書は、ジョゼフ・ニーダムの大著『中国の科学と文明』を簡約したもので、

支那人の創意の才を、むせかえるほどの濃さで凝縮した。

紀元前十三世紀には漆がつかわれており、やや強引ながら、

ニーダムはそれが「最古の工業用プラスチック」だとのべる。

つまり、核兵器などのつまらない例外をのぞいて、

この世のあらゆるものの起源が支那にある。

比類なく長大な歴史と人口が、すべてを発明しつくした。

探究心は、体の内側にもむかう。

おそくとも紀元前二世紀には、「血液循環」が原理として確立していた。

死体からとりだした血管の全長をはかり、一呼吸ごとの血流速度をもとめる。

内分泌学も二千年まえに研究され、

人間の尿から性ホルモンと脳下垂体ホルモンを分離し、薬にした。

十世紀には、天然痘のウイルスを接種することで、

抗体の生産をうながす「種痘」の技術まであつた。

つまりワクチン注射、免疫学の元祖だ。

 

 

 

「蒸気機関の発明は、産業革命の文字どおり原動力だ」

これはいわば世界の常識だが、支那ではすでに五世紀に、

流水による車輪の回転を利用し、ピストンをうごかす仕組みがあつた。

ピカードやワットらによるヨーロッパでの「発明」は、

アゴスチーノ・ラメリなどの人物を介して、支那の装置から由来したもの。

 

 

近代科学の基礎である十進法は、支那ではじまつた(紀元前十四世紀)。

英語で「ten」のつぎは「eleven」だが、漢字で「十」のつぎは「十一」。

計算には算盤がつかわれたが、必然的に生じる空白をうめるため、

支那人は「ゼロの位」を案出した。

また、ニュートンが定式化した「運動の第一法則」は、

紀元前四世紀の『墨子』にそのものズバリの記述があり、

この力学を応用して、さまざまな技術が発達する。

 

 

 

いやまてよ、と思われたかもしれない。

「0」の起源は、九世紀のインドではないか?

しかしこの記号は、より古いカンボジアとスマトラの碑文にしるされており、

インドシナ半島を経由して、支那からインドにつたわつたらしい。

西洋人の自負心が、よりちかいインド説を歓迎するのか?

一般に将棋(チェス)の起源もインドとされるが、これまた支那だ(六世紀)。

もとは未来を予言するための占星術の道具だが、

そこから戦闘的な要素を抽出し、通俗化したものが世界にひろまつた。

現実の戦争も、かれらの得意分野。

弩、火炎放射器、照明弾、地雷、機雷、ロケット、銃、大砲、臼砲、連発銃など。

情熱をかたむけて支那人は兵器を開発し、大量生産した。

これらの技術はおしなべて、秩序をまもるために用いられる。

すくなくとも西洋人とくらべ、世界を混乱させた回数は圧倒的にすくない。

 

 

音楽の平均律を発明したのは、十六世紀の朱載堉。

音を平均化する新理論により、作曲者と演奏者は自由に転調できる様になる。

バッハもベートーヴェンもビートルズもAKB48も、

みな明朝の皇子がつくつた音階にもとづき、音楽をかなでている。

 

 

 

ジョージ・スタイナーによる、おもしろい評言がある。

 

ニーダムの仕事にもっとも適切な比較ができるものがあるとしたら、

それは科学と技術の百科全書的な他の歴史書ではない。

プルーストの『失われた時を求めて』である。

『中国の科学と文明』と『失われた時を求めて』はどちらも、

回想行為、近代的思考、想像力、制作形式による

全体的な再構成行為としても第一級のものであると私は信じている。

 

ジョージ・スタイナー『私の書かなかった本』(みすず書房)

 

ニーダムの大著を紐解いてないので、この比喩が適切かわからない。

ただ本書にならぶ百の項目、きびしく篩にかけた総目録をみるだけで、

感覚が歴史という絹織物にくるまれ、麻痺してゆく。

鉄製の犂が、雪の結晶の構造が、ヘリコプターの回転翼とプロペラが。

映画『ラストエンペラー』で、皇帝の座をおわれた溥儀がおもいだす、

布でたわむれた、幼いころの甘やかな記憶に似ている。

最初に機械時計をつくつたのが東西のどちらなのかが、それほど重大か?

発明の先取権あらそい、直線的に進歩する近代科学、フラット化する世界。

すべて陳腐なフィクションにすぎない。

真実はつねに、錯綜した過去のなかにある。





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(2008/10)
ロバート テンプル

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