『アイガー北壁』

 

アイガー北壁

 

出演:ベンノ・フユルマン フロリアン・ルーカス ヨハンナ・ヴォカレク

監督:フィリップ・シュテルツェル

制作:ドイツ・オーストリア・スイス 二〇〇八年

[新宿バルト9で鑑賞]

 

【注意】

以下の記事では、物語展開の要点にふれています。

 

 

 

クルツとヒンターシュトイサー、主人公ふたりの登場場面は、

門限やぶりの罰としての、兵舎の便所掃除だ。

登山に夢中の若き山岳猟兵は、規則などまもらない。

「なぜあなたは、エベレストを目指すのか?」

「そこに山があるからさ」

そんなジョージ・マロリーの名言は、信憑性を疑われているそうだが、

われら平地の民はつい、ありきたりの問いをつぶやく。

なぜ登るのか?

ドイツ軍で出世する人間は、ナチス党に媚びへつらい、

大仰な宣伝文句を鸚鵡の様にくりかえす連中ばかり。

アーリア人の優秀性がどうした、こうした。

愚にもつかない。

逆の立場からみると、クルツやヒンターシュトイサーは、

時流にのりおくれた、単なる世渡り下手にすぎない。

だからこそ彼らは、アイガー北壁にひかれる。

山は清潔で、そこに政治はない。

頂より上にあるのは、空気だけ。

 

 

 

 

 

スイスはアイガーの、千八百メートルの岩壁。

おもわず背筋を正したくなる山容だ。

山というより、建築物にみえる。

ボクは、遭難をあつかう映画は好きではない。

およそ悲劇が演じられるが、その脚本はすこしも演劇的ではない。

主人公が天候になるから。

個人の努力も、人間同士の絆も、何もかもがむなしい。

ナイフでザイルをきり、みづからを犠牲に仲間をすくう場面など、

劇的にはちがいないが、予定調和の臭いがする。

「はやく落ちろ」と、心のどこかで願う自分が嫌になる。

凍傷の描写も、あまりに痛ましい。

手袋をうしなつたクルツは、右手が完全に壊死してしまい、

左手と歯で、どうにかザイルをむすぶ。

生きて下山できても、まともな生活はおくれない。

もつとも辛い痛みとは、痛みを感じないことだ。

 

 

 

 

 

これは映画の一幕ではなく、一九三六年にアイガーで撮影されたもの。

三人の同行者をうしなつたトニー・クルツは、

ただひとり、片手でむすんだザイルをつたい懸垂下降するも、

結び目がカラビナに引つかかる不運にあい、

宙吊りのまま、救助隊に見守られながら息たえた。

あまりに険しすぎ、近づくこともできない難所だつた。

死に瀕していたクルツは救助隊にむかい、

とぎれがちな声で遭難の経緯を説明する。

そのおかげで、いまだ伝説が語りつがれるのだし、

本作も胸をゆさぶる名作だが、ひどい虚脱感におそわれた。

たしかに山の上は清らかだが、そこにあるのは純粋な死だつた。


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