師弟ふたたび ― 『誰かが私にキスをした』

 

誰かが私にキスをした

 

出演:堀北真希 松山ケンイチ アントン・イェルチン

監督:ハンス・カノーザ

制作:日本 平成二十二年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

 

レイトン先生と映画を御一緒するのは初めてですね。

うれしいです!

先生は映画にもお詳しいので、いろいろ教えてください。

 

現代人の教養に、映画という藝術形式は欠かせないからね。

日本には「花見」とよばれる風習があるが、それは来週にまわそう。

ではルーク、チケットを買つてきてもらえるかな。

 

あ、先生!

売店の方はボクが行きます!

ビールを召しあがりますか?

 

ルークはチケット売り場に行きなさい。

食べ盛りのキミの好みは、把握しているよ。

ホットドッグ、マスタードたつぷり、これでよいね?

 

…まさか先生、けふボクを誘つたのは、

『誰かが私にキスをした』という映画のチケットを、

自分で買うのが恥づかしいからですか?

 

飲み物はジンジャーエールにしよう。

おやルーク、まだそんなところにいたのかい?

未来の英国紳士なら、はやく義務を果たしたまえ。

 

 

 

 

ナゾ001:「なぜ堀北真希はうつくしいのか?」

 

さつきの先生の目、こわかつた…。

日本にくるとロクなことがないなあ!

でもボクも、堀北真希さんは奇麗だとおもいます。

ショートカットがよく似合つて、少年みたいで、

なんだか他人におもえません。

それにしてもレイトン先生、今回わざわざ日本にきたのは、

堀北さんの主演作を見るためだつたのかな?

だとしたら騙されたというか、納得がゆかないな…。

 

 

ナゾ解明!:「それが彼女のカルマだから」

 

ルークも女性に関心があるとわかり、安心したよ。

ひいでた頬骨、格調高くはしる鼻梁。

モーツァルトのアリアを連想させる美貌だね。

だがそれより、彼女の肢体の女めかしさを指摘したい。

 

 

堀北真希は、宝物を隠すかの様に厚手の服をこのむが、

力づよくラガーシャツの生地をもちあげる胸のふくらみを見れば、

たおやかな外形を消したがる事情を理解できる。

 

 

鏡にむかい、にこやかに髪をきる堀北。

自分の女らしさを捨てることが、嬉しくてしかたないのさ。

 

 

 

ナゾ002:「なぜこの映画は名作なのか?」

 

先生は、堀北さんの胸ばかり見てたんですね。

なんだかガッカリです。

それにボクは、女の子に関心なんてありません。

いまは先生のもとで、ナゾ研究に専念したいのに…。

あと、この映画が名作だなんて何かの冗談ですか?

東京のアメリカンスクールが舞台ですが、

監督や脚本家がアメリカ人であるせいか、まるで現実味がないし。

玉突き事故みたいに、男女がついたり離れたりするのはキライです!

 

 

ナゾ解明!:「堀北がうみだすカオスがすばらしい」

 

ふむ、ルークはマジメだね。

堀北真希は階段でころんで頭をうち、四年間の記憶をうしなつた。

病状がわかつた瞬間に、三人の男が殺到する。

だれが恋人だつたか覚えてないから、早い者勝ちだ。

病気という弱みにつけこむなんて、実に卑怯な連中だよ。

うつくしすぎることは、それだけで災厄なのさ。

 

 

ジャニーズ事務所所属タレントに大喝する。

ラシーヌの悲劇を演ずる様な気品があつたよ。

うつくしく生まれたことは罪で、あらがえない運命で、

そこでもがき苦しむほど女はうつくしくなる、という皮肉が胸をうつ。

 

 

 

ナゾ003:「女優・堀北真希は成功できるか?」

 

「ジャニーズ事務所所属タレント」つて、手越祐也さんのことですか?

堀北さんの相手役は、名前を出すのもイヤなんですね…。

わかりました、もうなにも言いません。

映画自体は感心しないですが、堀北さんは新鮮な魅力がありますし、

ボクがいうのもなんですが、彼女はまだ二十一歳とわかいので、

これからの成長が期待できるとおもいます。

陰ながら応援したいです!

 

 

ナゾ解明!:「おそらく無理だろう」

 

堀北真希は、女優として枢要な条件が欠けている。

たとえばインタビューでは、こう語る。

 

―友人や知人にこの映画をオススメするとしたら、

堀北さんはどうやってオススメしますか?

 

友人や知人にオススメするのは、ちょっと恥ずかしいです(笑)。

 

プログラム「キャスト・インタビュー」

 

本音かもしれないが、プロの発言とはおもえない。

 

 

松ケンとのキスシーン。

やけに滑舌のわるい松ケンは、過大評価されている役者だが、

その虚名のおかげで、堀北の唇に自分の唇を接触させる僥倖をえた。

まあ、それはともかく。

カメラのまえで堀北と口づけることは、職業人生を台無しにしかねない惨事だ。

鼻のさきに、究極の美少年がいるのだから。

なんという喜劇だろう!

堀北真希は完璧で、穴埋めするパーツをもとめておらず、

そこで目をつぶつているだけで、あたりを寄せつけない神通力をはなつ。

 

 

 

 

なるほど、お説はよくわかりました。

ただ先生は以前、松山ケンイチさんのお芝居を、

かなり褒めていた様に記憶するのですが…。

 

あそこのスタバでコーヒーでも飲もうか、ルーク。

花見の計画も立てたいしね。

 

 

…はい。

でも、なんだかんだいつて楽しめた映画でしたし、

誘つていただきありがとうございました。

 

当然さ、英国紳士としてはね。





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鶴川街道 ― JFL 前期第3節 町田ゼルビア-ツエーゲン金沢

 

JFL 前期第3節 FC町田ゼルビア-ツエーゲン金沢

 

結果:2-0 (0-0 2-0)

得点者:後半5分 星大輔 後半41分 勝又慶典

会場:町田市立陸上競技場

[現地観戦]

 

 

 

前半の45分間、ため息が緑地をみたす。

先週の日曜は、柳崎と太田が果敢にボールをうばい、

即座に俊足自慢の勝又と木島をはしらせた。

二本の槍で、急所を幾度もつらぬかれたMIOびわこは、

ほとんど抵抗もせずに野津田に屍をさらした。

しかし古都金澤からの訪客は、槍をもつ手をねじあげ、

すばやく足払いをかまし、J2昇格をあらそう相手をねじふせる。

町田ゼルビアは油断したとおもう。

ツエーゲン金沢は、ドラゴンを飼う物好きにすぎないと。

ボクはツイッター2ちゃんねるの様なサイトに、

「ツエーゲンはよく走る強敵だ」と書きこんだが、なんの反応もなかつた。

いや、先見の明を誇るつもりはない。

ただ第1節で金沢、第2節で町田を、肉眼でみたマニアはそうおらず、

その分だけ価値がある客観的な投稿だつたが、

「中立」の放浪者を信用するお人よしなどいない、ということだ。

おなじ意見をセルジオ越後がいえば、説得力はちがつたろうが。

 

 

 

右翼の統治者、星大輔も沈黙した。

ボクはこの選手については、二十九歳のわりに童顔なこと、

町田出身であること、そしてドリブルとキックの正確性しか知らない。

ウィキペディアで個人成績をながめると、平成十五年から十八年まで、

モンテディオ山形と京都サンガで戦果をあげている。

つまり、「柱谷(兄)チルドレン」のひとりらしい。

側面攻撃を軽視しがちな日本で、典型的なウインガーは、

相性のよい指導者にめぐまれないと出場機会を得られない。

だから星は、いま三部リーグにいるのだろうか。

平成二十二年。

彼は生地で、歴代最高の左サイドバック・相馬直樹監督のもとで、

サッカー選手としての履歴のすべてを賭けている。

無邪気な笑顔の裏で。

後半5分、星の右足から放たれたフリーキックが先制点をもたらす。

 

 

 

 

 

けふ太田康介はJFL百試合出場をはたし、父から花束をうけとつた。

心憎い儀式だつた。

父の目のまえで、仕事をなまける男はいない。

絶対ありえない。

また父上も、康介を誇りに思つてほしい。

南アフリカ共和国にゆくだけの力量をもちながら、三部リーグで苦闘する息子のことを。

これまで何度も書いたが、ボクは彼の流儀がすきだ。

防御線の五メートル前でかまえるが、決して吸収されることはなく、

視野に六十八メートルの幅員をおさめ、攻守のすべてを差配する。

勝又の追加点をうんだロングパスは、まさにお家藝だ。

帰り道、シャトルバスの運転手は先週の渋滞にこりて、

回り道をしながら鶴川駅をめざした。

結局、鶴川街道もつまつていたけれど。

人間の予測は大抵はづれるし、あたつたところで意味はない。

肝心なのは、そこでなにをするかだ。


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神は二度死ぬ ― スティグリッツ『フリーフォール』

 

 

フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか

Freefall

America, Free Markets, and the Sinking of the World Economy

 

著者:ジョセフ・E・スティグリッツ (Joseph E. Stiglitz)

訳者:楡井浩一 峯村利哉

発行:徳間書店 二〇一〇年

原書発行:アメリカ 二〇一〇年

 

 

 

第一章の冒頭から引用する。

 

二〇〇八年の経済危機にかんしてただひとつ驚かされたのは、

あまりにも多くの人々が危機の発生に驚いたというその事実だった。

事態をしっかり見守っていた少数派からすれば、

あの危機は教科書どおりの実例であり、

予測することは当然可能だったし、実際に予測はなされていた。

 

知力をひけらかす癖がある、コロンビア大学のスティグリッツ教授だが、

ここまでくるとイヤミをとおりこし、むしろ清々しい。

世紀のおわり、一九九九年。

投資銀行と商業銀行を分離するグラス・スティーガル法が廃止され、

「大きすぎて潰せない」独占的な銀行がうまれる。

そして、「潰されない」ことを知つた銀行は、

過剰なリスクテークにはしるインセンティブをもつた。

自我にめざめたロボットの様に。

貧困者を餌食にする住宅ローン商品は、金融市場そのものに牙をむけ、

結果としてアメリカ政府は、世界最大の自動車メーカーと、世界最大の保険会社と、

世界最大級の銀行数社を所有する、おそるべき社会主義国家に変貌した。

「悪の帝国」の開闢だ。

金融大手九社がうけとつた1750億ドルの公的資金のうち、

330億ドルがボーナスとして重役に支給された。

勿論、収益がないので業績ボーナスがつくはずもないが、

余人をもつて代えがたい彼らは、「会社残留ボーナス」をもらう資格がある。

のこりの「利益」は、配当として株主に還元した。

 

 

 

ブッシュ大統領が行動の大半を、「9.11」(同時多発テロ)の恐怖で正当化した様に、

ブッシュ・オバマ政権下の財務省は、「9.15」(リーマン・ブラザーズ倒産)を利用する。

ウォール街に良いことは、アメリカと世界にとつても良いという信条にもとづき、

規制緩和の哲学を輸出し(住宅ローン債権の四分の一が海外に販売された)、

最後は不況を全世界に輸出した。

外国の金融機関をだまさなければ、アメリカの状況はもつと深刻になつたろう。

プロパガンダは、国内の亀裂も覆いかくす。

この三十年のあいだ、上流階層が栄耀栄華をきわめる一方、

ほとんどのアメリカ人の所得は停滞、もしくは下落してきた。

この不平等を取り繕うため、大衆に消費を奨励する。

消費すれば、自由になる。

かれらは借りた金で、巨大なスーパーの巨大なカートを満杯にした。

シャボン玉がはじけるまで。

 

 

 

足枷のない自由な市場は効率的で、過失は即座に自力で修正できる。

最良の政府は小さな政府であり、規制はイノベーションを阻害するだけだ。

いま言えば失笑をかうお題目だが、一年半まえまで、

各国の政治と経済の選り抜きはそう大合唱しながら、

地上に楽園をきづかんと新秩序建設に邁進した挙句、混沌だけをもたらした。

カール・マルクスにかわり、ミルトン・フリードマンが神となつた。

だがふたたび、神は死んだ。

神なき世界で、われわれがどう生きればよいのかは分らない。

スティグリッツ先生も、いくつか処方箋をかいている。

「大きすぎて潰せない」銀行は、組織を分割すればよいとか。

赤子によだれ掛けをつかわせる程度の幼稚さだが、

しかし、人間社会はそれすらできなかつた。

ボクは先生の口ぶりに、言うことを聞かないわがままな患者にあきれ、

ついに匙をなげた医者がみせる、あの冷淡さを感じる。





フリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのかフリーフォール グローバル経済はどこまで落ちるのか
(2010/02/19)
ジョセフ・E・スティグリッツ

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JFL 前期第2節 町田ゼルビア-MIOびわこ

 

JFL 前期第2節 FC町田ゼルビア-MIOびわこ草津

 

結果:2-0 (1-0 1-0)

得点者:前半30分 木島良輔 後半4分 星大輔

会場:町田市立陸上競技場

[現地観戦]

 

 

 

ツイッターでなかじマダオ氏と、漫画やアニメの話をするうち出発がおくれ、

例により乗り換えをまちがえ数分ムダにしたこともあり、

鶴川でシャトルバスにのつたのは、試合開始の十分前だつた。

大遅刻つて程ではない。

しかしサッカーは水物、ここからイライラの三十分がはじまる。

スタジアムに近づくにつれ、渋滞が悪化する。

野津田公園の入口で、完全につかえた。

花見の季節でもないのに、駐車場から車があふれたらしい。

去年は、リーグ運営者がもとめる観客動員の基準をみたせず、

J2昇格をあきらめた無名クラブなのに、この混雑はどうしたのだろう?

忍耐は限界に達し、運転手にたのんで途中下車した。

前売券は1600円だから、1分あたりの価値は17.8円。

血相かえてスタンドにとびこんだ。

そして折よく、さすらいのストライカー・木島良輔の得点をみれた。

ほかの乗客もみな降りていたし、われながらファインプレーだつたかな。

 

 

 

ワールドカップ出場者・相馬直樹監督がきるスーツは、

ピチピチした流行のシルエットではなく、ゆつたりした無地の黒。

髪は現役時代とかわらぬ、坊ちやん刈り。

いますぐ銀行の支店長くらいは務まりそう。

三十八歳の新人監督だから、若作りしても意味はないし、

世界のどこでも通ずる肩書きがあるから、虚勢もはらない。

ベンチから出ると、地元の主婦が一斉にカメラをむける。

ウチのダンナもこんなだつたらなあ!

恋人にするなら、内田篤人や本田圭佑がよいけれど、

結婚するなら相馬直樹ということだ。

ただ、なにかと知的にみられがちな相馬カントクだが、

歴代最高の左サイドバックが、ただの冷血漢であるはずがない。

試合中はテクニカルエリアに出ずつぱりで、

審判に抗議しては、右手を宙につきだし怒りをあらわにする。

スタンドから拍手がわく。

カントク、町田に来てくれてありがとう!

そんな空気を感じた。

 

 

 

サッカーという競技が、ラグビーから学ぶことは多いが、

その最たるものは、監督がいないことだ。

実際は、監督が客席から無線で指示をだすけれど、

フィールド上の問題は、主将を中心に選手自身で解決すべき。

そんな文化が、ラガーマンにはあるらしい。

ガミガミ怒鳴りつぱなしのサッカー監督に、爪の垢を煎じたい。

勿論、町田の新人監督もずつと何かわめいていたが、

ひとつのことしか言つてないのに、いつしか気づいた。

「ラインを下げるな!」

ただひたすら、それだけ。

ゼルビアは選手が大幅にいれかわり、連携はチグハグだつた。

ファンとしては、太田康介がはやくも定位置をうばつたのは嬉しいが、

彼の力量は十分の一くらいしか出せていない。

なんか向こうでカントクが叫んでるな。

よくわからんけど、とりあえずラインあげとくか。

そんなこんなで、町田ゼルビアは4993名の観客をまえに浮き足だち、

失策の山を築きつつも、かたよりなくフィールドを制圧した。

なにかおもしろいことが、ここで起きている。

来週の土曜も、ボクは野津田にいるだろう。

遅刻はするかもしれないが。


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『アイガー北壁』

 

アイガー北壁

 

出演:ベンノ・フユルマン フロリアン・ルーカス ヨハンナ・ヴォカレク

監督:フィリップ・シュテルツェル

制作:ドイツ・オーストリア・スイス 二〇〇八年

[新宿バルト9で鑑賞]

 

【注意】

以下の記事では、物語展開の要点にふれています。

 

 

 

クルツとヒンターシュトイサー、主人公ふたりの登場場面は、

門限やぶりの罰としての、兵舎の便所掃除だ。

登山に夢中の若き山岳猟兵は、規則などまもらない。

「なぜあなたは、エベレストを目指すのか?」

「そこに山があるからさ」

そんなジョージ・マロリーの名言は、信憑性を疑われているそうだが、

われら平地の民はつい、ありきたりの問いをつぶやく。

なぜ登るのか?

ドイツ軍で出世する人間は、ナチス党に媚びへつらい、

大仰な宣伝文句を鸚鵡の様にくりかえす連中ばかり。

アーリア人の優秀性がどうした、こうした。

愚にもつかない。

逆の立場からみると、クルツやヒンターシュトイサーは、

時流にのりおくれた、単なる世渡り下手にすぎない。

だからこそ彼らは、アイガー北壁にひかれる。

山は清潔で、そこに政治はない。

頂より上にあるのは、空気だけ。

 

 

 

 

 

スイスはアイガーの、千八百メートルの岩壁。

おもわず背筋を正したくなる山容だ。

山というより、建築物にみえる。

ボクは、遭難をあつかう映画は好きではない。

およそ悲劇が演じられるが、その脚本はすこしも演劇的ではない。

主人公が天候になるから。

個人の努力も、人間同士の絆も、何もかもがむなしい。

ナイフでザイルをきり、みづからを犠牲に仲間をすくう場面など、

劇的にはちがいないが、予定調和の臭いがする。

「はやく落ちろ」と、心のどこかで願う自分が嫌になる。

凍傷の描写も、あまりに痛ましい。

手袋をうしなつたクルツは、右手が完全に壊死してしまい、

左手と歯で、どうにかザイルをむすぶ。

生きて下山できても、まともな生活はおくれない。

もつとも辛い痛みとは、痛みを感じないことだ。

 

 

 

 

 

これは映画の一幕ではなく、一九三六年にアイガーで撮影されたもの。

三人の同行者をうしなつたトニー・クルツは、

ただひとり、片手でむすんだザイルをつたい懸垂下降するも、

結び目がカラビナに引つかかる不運にあい、

宙吊りのまま、救助隊に見守られながら息たえた。

あまりに険しすぎ、近づくこともできない難所だつた。

死に瀕していたクルツは救助隊にむかい、

とぎれがちな声で遭難の経緯を説明する。

そのおかげで、いまだ伝説が語りつがれるのだし、

本作も胸をゆさぶる名作だが、ひどい虚脱感におそわれた。

たしかに山の上は清らかだが、そこにあるのは純粋な死だつた。


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16→17 20→10 3→4

『FIFA.com』

 

 

 

春風が大地を吹きぬけるころ。

十七年まえの三月十八日、岩渕真奈はうまれた。

自分の誕生日が一月だから実感としてわかるが、「早生まれ」は損だ。

産声をあげたのが三月か四月かというだけで、一年の差がつく。

体が元手のスポーツでは、特に不公平な結果があらわれる。

この見事に右肩下がりのグラフをみよ!

学齢に融通がきかない日本では、よりきびしく淘汰がはたらくらしい。

でも閃光の天使は、あと二週間で次の学年にはいれたのに、

胎内の退屈さにたえかね、この世にとびだした。

こんなとこで四月まで、じつとしてらんない!

その勢いのまま同級生を置き去りにし、いまや日本代表選手だ。

 

 

 

 

「東京ヴェルディ」公式サイト

 

ぶっちーの背番号は「20」から、きつかり半分になつた。

逆に背中にのしかかる重さは倍増、いやそれ以上だ。

でも彼女は、「澤さんの跡をつぐなんて無理」と悩んだりしない。

大好きな番号をもらえてうれしい!

はやくこのユニフォームを着てフィールドにたちたい!

終業式でもらつた微妙な成績表を片手に、ウズウズしてるにちがいない。

キミに再会できるのは、四月四日の西が丘になるかな。

そしてまた、あたらしい「四月物語」がはじまる。


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ついに鳴くのか不如帰 ― 『戦国Spirits』開戦前夜

 

 

 

 

三月十八日、タスケからニンテンドーDS用ソフト『戦国Spirits』が発売される。

 

(クリックで公式サイトに飛びます)

 

当ブログが発売前の作品を取りあげるのは、めづらしい。

戦況不利をみかねて、援軍に馳せ参じた次第だ。

本作の製作者が、二十二年まえのファミコンの傑作シミュレーション、

『不如帰』(アイレム)をてがけた岡野修身氏なのを、

ファンのボクですら、先週末まで知らなかつたほどだから。

いまだ現役として愛されるゲームの魅力を、手短にかたろう。

 

 

 

 

 

北条氏の根拠地、小田原城。

「城塞値60」という防御力をほこる、ゲーム内最強の要塞だ。

知略にひいでた北条氏康がここに籠ると、手も足もでない。

ファンサイト「幻の不如帰」の管理人「清正謀反!」さんが、

ゲームデザイナーから直接聞いたところによると、

岡野氏はまづ、小田原城の数値を固定してから他を調整し、

外郭は九キロにおよぶ、この城の堅牢さを再現したらしい。

結果として、謙信でも正攻法だと落とすのに十年かかり、

秀吉の様に、全国の兵を動員しないと力攻めできない、

小田原城をめぐる懸け引きがうまれた。

背景で無限にからみあう数列の網目に、

戦国という苛烈な時代がうかびあがる。

 

 

 

 

 

野戦では、指揮官の能力、兵数、鉄砲数、士気、陣形などのほかに、

みえないパラメータとして、国ごとの「兵質」が影響する。

容量わづか百十九キロバイトのなかに隠された数値が、

幽霊のごとくプレイヤーをなやませる。

上掲のサイトには、「兵質15」の薩摩隼人にうえられたトラウマで、

いまだに鹿児島県出身者がこわい、という投稿がある。

『不如帰』は遊ぶたび、あらたな大河ドラマがうまれるが、

それでも島津氏が九州を統一し、西日本を席巻する展開がおほい。

近畿まで征服されると、挽回はむつかしい。

これも歴史に忠実だ。

徳川家康は遺言で、おのれの遺骸と神像と愛刀を、

西にむけて久能山にまつれと指示した。

関ヶ原での強敵だつた島津を、死後も監視したいから。

幕末に徳川慶喜は、会津・桑名藩などをしたがえ京都を鎮圧したが、

鳥羽・伏見の戦いで薩兵の蛮勇におそれをなし、江戸に逃げかえつた。

これが幕府瓦解のきつかけだと、よくいわれる。

慶喜が『不如帰』をプレイしていれば、江戸時代はもう三百年つづいたろう!

 

 

 

 

 

精密に構築されたシステム。

限界まで単純化したインターフェイス。

ウンザリするほどテストプレイをくりかえし、

数値をいじくりまわしてできた、絶妙なゲームバランス。

戦国時代をはげしく生き、死んでいつた男たちに、生命が吹きこまれる。

『不如帰』にかぎらず、ゲーム制作とは魔法の様だとあこがれ、

自分もゲームデザイナーになりたいとまで思つた。

しかし業界は、ポリゴン表示数をくらべる野暮な競争をはじめ、

「ゲームデザイン」という言葉は死語になつた。

ボクの関心も、映画やサッカーなどにうつる。

勿論、『戦国Spirits』が傑作かどうかは分らない。

不如帰は二十二年まつても、鳴かないかもしれない。

まあそのときは、「殺してしまえ」などとはいわず、

おとなしくエミュレータを起動することにしよう。


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昭和十年六月の攻防 ― 『丹下左膳餘話 百萬兩の壺』

 

丹下左膳餘話 百萬兩の壺

 

出演:大河内傳次郎 喜代三 沢村国太郎

監督:山中貞雄

制作:日本 昭和十年

[DVDで鑑賞]

 

 

 

矢場の女の、グータラなヒモとしてえがかれる丹下左膳。

兇暴な剣客のおもかげはない。

自身も映画監督である加藤泰が書いた、叔父・山中貞雄の伝記によると、

試写をみた原作者は、無遠慮な改竄に激怒したとか。

 

理の当然で、完成試写(と思う)を見た原作者の林不忘が

「これは、おれの丹下左膳ではない」と怒ったのである。

泡食った(格好の?)日活が、平謝り(と思う)に謝って、

「どうぞこれでお許しを……」でとった処置が、

あの題名の変更と、妙なタイトルになったものであろうと思われる。

 

加藤泰『映画監督 山中貞雄』(キネマ旬報社)

 

しかし、「と思う」に「と思われる」とは、甥つ子も自信がないと思われる。

本当に原作者はキレたのか?

千葉伸夫『評伝山中貞雄』(平凡社ライブラリー)にあたると、

「不忘が抗議したためらしい」との記述が。

今度は、「らしい」か。

どうやらこの一件、證拠はないらしい。

伝記の執筆者は、本を劇的にしたがるから困る。

 

 

 

それでは、監督と共謀して主人公の性格をつくりかえた、

主演・大河内傳次郎の回想にも耳をかたむけよう。

 

「丹下左膳」をもじって構成した「百万両の壺」というのがあります。

あまり茶化して原作者が抗議を出したりして話題をまきましたが、

なかなか面白い映画です。

 

『キネマ旬報』昭和二十三年八月上旬号

大河内傳次郎「山中貞雄の側面」

 

十三年まえのシャシンとはいえ、他人ごとの様な口ぶりだ。

『百萬兩の壺』の撮影期間は、二月二十四日から六月四日まで。

はやくもその月の十五日、東西同時に封切りされた。

撮影終了と公開のあいだに十日間しかないのに、

深刻な泥仕合があつたとはおもえない。

脚本をかいた三村伸太郎は、こうかたる。

 

ちなみにこの百万両の壺は、原作とは内容が違うということで、

原作者の遺族からつよい抗議が出て、丹下左膳ではだめ。

それで百万両の壺となったわけであるが、

それで、原作者におわびのしるしとして、まずこの通りと、

シナリオを書いた私の名前は、タイトルからけずられてしまった。

今から考えると、奇妙な話である。

 

『時代映画』昭和三十年五・六月号

村上忠久「日本時代映画年代史 鳴滝組とその時代」への、

三村伸太郎による傍注

 

辱めをうけた脚本家の方が、記憶はより鮮明なはずだ。

しかし、この懐旧談も事実にあわない。

「遺族」は抗議などしなかつた。

なぜなら、原作者・林不忘はまだ生きていたから。

『百萬兩の壺』は、東西ともに二週続映の盛況となり、

六月二十八日に無事に楽日をむかえる。

その翌日、林不忘が三十五の若さで突然死した。

多事多難の時代であり、当事者の記憶が混濁しても無理はない。

 

 

 

つまりこのイザコザは、山中貞雄を称揚するため広められた、

「天才伝説」の一端とみなすべきだろう。

映画という新藝術の本質がわからない、おろかな原作者。

不忘も損な役をふられたものだ。

また実際、むかしの小説家は権威があつた。

「小説と映画は別物だから、好きに料理してください」なんて、

妙に物わかりのよい作家がふえたから、だれも本を読まなくなつたのだ。

本作の丹下左膳は、決して看板だおれではない。

 

 

用心棒の左膳が、夜道で七兵衛をおくる一幕。

ここまでで結構ですと、丁重に礼をのべられる。

 

 

しかし悪党どもが、標的がひとりになる隙をうかがつていた。

 

 

 

犬の遠吠えをきき、異変を察知する隻腕の剣士。

トーキー初期の作品でありながら、たくみに音声をもちい、

丹下左膳の技量をあざやかに描写する。

たしかに、二十五歳とはおもえぬ手際だ。

原作を最大限に尊重しつつも、あたらしい表現手法を模索する。

そんな若き「天才」の奮闘ぶりが、さわやかな印象をのこす。







左から三番目が、金魚釣りのセットであそぶ山中貞雄。

 

今回の記事は、「ブログ DE ロードショー」第七回にあわせたものです。

選定担当の宵乃さん、すばらしい作品をありがとうございました!


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沈黙の一撃 ― JFL 前期第1節 武蔵野FC-ツエーゲン金沢

 

JFL 前期第1節 横河武蔵野FC-ツエーゲン金沢

 

結果:3-2 (0-1 3-1)

得点者

【武蔵野】後半18分 冨岡大吾 後半40分 遠藤真仁 後半43分 瀬田達弘

【金沢】前半22分 山道雅大 後半3分 古部健太

会場:西が丘サッカ-場

[現地観戦]

 

 

 

「門番が槍をひき抜かれた」と評したのはどらおさんだが、

昨季を二位で終え、Jリーグをめざすクラブを斬りすてた武蔵野は、

疵をおわせた町田ゼルビアに、主力ふたりを掠奪された。

特にエレガントな独裁者、太田康介の統率力は埋めあわせ様がない。

しかし、指揮者不在のオーケストラがないのと同じく、

サッカーという競技も、フィールドに司令官がいてはじめて形になる。

よく手入れされた芝の匂いをかげるほど間近な、

西が丘サッカ-場のスタンドから、だれが後継者なのか識別できた。

センターバックの主将、瀬田達弘だ。

アメリカザリガニのツッコミみたいな呼号が、スタジアムで反響する。

よどみなくフィールドを制圧する、青いアマチュア軍団。

そして古都金澤からの客人は、やけにおとなしい。

Jリーグ298試合出場の山根巌がいないからか。

ドラゴン久保竜彦も、ただ黙々と前線で右往左往する。

サッカーは、いや人生のあらゆる局面がそうだが、

胸のうちを声にださなければ、主導権はにぎれない。

 

 

 

 

 

ツエーゲン金沢のサポーターをこつそり撮影。

田舎あつかいする気はないが、北信越一部リーグ三位のクラブを、

いくつも山脈をこえて、これほど大勢でおう情熱におどろいた。

みな赤いジャージを着こみ、わるい流れのときも淡々と声援をおくる。

ツエーゲンの十一人は、生気をとりもどす。

特に二十三歳のボランチ、山道雅大のはたらきに感服した。

前へ前へと圧力をかけ、敵のパスコースを半減させる。

機をみては、かぞえきれないほど前線に突出し、

武蔵野の防御線をかきみだした。

アメリカザリガニのツッコミがとだえる。

漫才師が沈黙したら商売にならないが、

守備の専門家は、攻め口の心配をしていられない時がある。

しづかにフィールドは統治され、ツエーゲンが二点差をつけた。

 

 

 

 

 

のこり三十分をきつた。

ガラのわるさに定評がある、武蔵野サポーターのヤジがふえ、

ドラゴン目当てであろう中立の観客はギョッとする。

「勝負、勝負!」「フォローきてるよ!」「逆サイド!」

同時に発せられる撞着した指令が、一層の混乱をまねく。

古都の風流人にあしらわれる、武蔵野台地のゴロツキども。

しかしいつの間に、勢いにまかせてバタバタと同点に。

後半43分。

興奮しすぎておぼえてないが、コーナーキックのこぼれ球だつたか?

猛然とはしりこんだ瀬田達弘が、三十数メートルの距離から、

すさまじい速度のボールを網に突きさした。

Jリーグ準加盟だか、元日本代表だか知らないが、格上なのはオレたちだ!

八十八分間ためつづけた、声にならない怒りのはげしさに、

すべての観客はふるえあがり、その一秒後に絶叫した。


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『シャーロック・ホームズ』

 

シャーロック・ホームズ

Sherlock Holmes

 

出演:ロバート・ダウニー・Jr ジュード・ロウ レイチェル・マクアダムス

監督:ガイ・リッチー

制作:イギリス・アメリカ・オーストラリア 二〇〇九年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

高速デジタルカメラの「ファントム」で、シャーロック・ホームズの格闘をおさめる。

アイツは酒飲みで、歩くときは左足をひきずる。

まづ肝臓をたたき、つぎに膝を破壊しよう。

そして、ゆるやかに敵がくづれおちた。

ノックアウト。

標準速度で、ホームズの思考を追うことはできない。

「鰻と梅干し」より相性のわるい食べあわせ、それが「映画と名探偵」だ。

活字を目でなぞるのと、ポップコーン片手にふんぞりかえり、

秒間二十四コマを傍観するのは、次元のことなる行為だ。

映画にはアクションやエモーションはあるが、ロジックはない。

まだらの紐が蛇だとして、感動する観客が何人いるのか?

この藝術形式は、シャーロック・ホームズを必要としない。

 

 

 

 

 

ロバート・ダウニー・Jrと、共演のジュード・ロウは、

自分らの演技がもつとも原作に忠実だと主張するけれど、

話二十四分の一くらいに聞いておきたい。

ボクはまじめにホームズものを読んだことがないが、

ドイルがえがく主人公は、露骨に男色趣味をにおわせたり、

障碍を前に、なにかと暴力に頼つたりしないはず。

要するに、ロバダニの芝居は偶像破壊のこころみで、

それは上首尾をあげたと言つてよい。

腑におちないのは、くだけちつたイコンのかけらの上で、

名探偵が名推理をはたらかせていること。

ホームズさんよ、一体アンタは何者なんだ。

どこからきて、どこへむかうのか?

 

 

 

コナン・ドイルとその同時代人は、世界を知りつくしたいという欲望をもつていた。

だからこそ、ホームズのあやつるロジックに熱をあげた。

実際の蛇は鼓膜がないから笛はきこえない、なんてトリビアにすぎない。

しかし二十世紀の映画の観客は、頭デッカチをきらう。

美男美女が街角で出会うかどうか。

カウボーイがはなつ銃弾があたるかどうか。

それはランダムであり、決してロジカルではない。

ではなぜ二十一世紀アメリカの役者が、十九世紀イギリスの探偵になれたのか?

ロジックでは説明できないミステリーだ。

文楽の人形が生きてみえる様に、ロバダニのホームズも銀幕で息づく。

当代では傑出した、孤高ともいえるその腹藝。

ならば本作は、『シャーロック・ホームズ』というより、

『ドン・キホーテ』の映画化と称した方が正確かもしれない。


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「戦後」をつくつた男 ― 山平重樹『実録 神戸芸能社』

 

実録 神戸芸能社 山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界

 

著者:山平重樹

取材・写真協力:田岡滿

発行:双葉社 平成二十一年

 

 

 

いくさが終つて、まだ三年。

美空ひばりは十一歳だつたが、紹介された痩身の男が、

神戸でその名をとどろかすヤクザであることは、

周囲の大人の緊張ぶりから感じとれたろう。

でも物怖じしない性分なので、無伴奏で「影を慕いて」を堂々とうたつた。

三十五歳の山口組三代目は、おそるべき歌唱力に舌をまきつつも、

あどけない少女の行く末を案じた。

先の先がみえる男なのだ。

ひばりは八つのとき、ラジオの「のど自慢」に出場したが、

あまりに歌がうますぎて気味悪がられ、失格した。

才能は、ときに反発をまねく。

ならこの子は、ワシがまもつてやらな!

浅草で観客から塩酸を顔にかけられたときは、

ドーランにまもられて傷は残らなかつたとはいえ、

不世出の侠客・田岡一雄はおのれを責めた。

それからは、ひばりの興行のすべてに同伴し、

舞台袖にたつたまま、ショーの一部始終をみまもつた。

最強のボディガードだ。

三代目がたちあげた「神戸芸能社」は、ひばりのほかにも、

田端義夫や三橋美智也らと契約し、国内きつてのプロモーターとして、

焼け跡で立ちあがる庶民に娯楽をもたらした。

 

 

 

 

 

昭和二十六年、難波球場でひらいた前代未聞の歌謡ショー、

「歌のホームラン」の会場にたつ三代目。

当時、歌謡曲の興行はベンチャービジネスだつた。

民衆は娯楽に飢えているとはいえ、リスクは高い。

テレビがない時代の公演は、歌手を目にできる貴重な機会だが、

開催すれば、地元のヤクザがカスリをもとめて殺到する。

しかし神戸芸能社をとおせば、厄介ごとをさけられた。

背景がおそろしいから。

逆に山口組としても、地方進出の糸口として、

神戸芸能社がかかえるタレントを利用した。

すんまへんが、こちらで興行をうたせてもらいます。

もし手出しすれば、血の雨がふりまつせ。

それより、ウチと組むいうのはどないでつか?

ひばりや力道山をつれてきますよ。

三代目襲名時、わづか三十名をかぞえるのみの山口組が、

日本を制圧するにしたがい、藝能も近代的事業として確立する。

つまり「戦後」が、かたちづくられた。

 

 

 

ある日、世田谷にある小林旭の邸宅を三代目がおとづれる。

「お嬢がアンタに惚れとるそうや。男冥利につきるやろ」

「それは、そうですけど」

「天下のひばりが言うとんのや、一緒になつたれや」

強面のキューピッドの脅迫が効いたのかどうか、

昭和三十七年、ひばりと旭は結婚した。

しかしあの暗い予感のとおり、ひばりの手から幸福がにげる。

一年七か月後に縁はきれた。

大親分は、別居するふたりの住みかを足しげく往来し、

ヤクザ渡世のかたわら、離婚の話をまとめた。

なんと「神戸芸能社社長」として、記者会見にも同席した!

おほらかな時代だつたし、好かれはしないにせよ、

庶民はヤクザをいまほど敵視しなかつた。

そしてこの年、警察による「頂上作戦」がはじまる。

神戸芸能社は、公共施設から排除される。

しまいには、キャバレーに歌手を斡旋しただけで、

労働大臣の許可をうけないモグリ営業だと取り締られた。

病床にあつた田岡は、なすすべもない。

世間は、これまでなにも見なかつたかのごとく唐突に、

藝の道をえらんだ女とヤクザの関係を非難する。

「藝能界」とは、ひばりと三代目がひらいた庭だが、

いざ完成してみれば、そこは極道よりよごれ、

仁義もへつたくれもない世界だつた。





実録 神戸芸能社―山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界実録 神戸芸能社―山口組・田岡一雄三代目と戦後芸能界
(2009/11)
山平 重樹

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『ハート・ロッカー』

 

 

ハート・ロッカー

The Hurt Locker

 

出演:ジェレミー・レナー アンソニー・マッキー ブライアン・ジェラティ

監督:キャスリン・ビグロー

制作:アメリカ 二〇〇九年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

銃をうたないのに、固唾をのむ戦争映画。

イラク侵攻における米軍の戦死・負傷・行方不明のうち、

七五パーセントが即席爆弾によるらしい。

ガスボンベ、地雷、迫撃弾、榴弾など、

とにかく爆発するものならなんでも、

そこに簡易な起爆装置をつければ一丁あがり。

 

 

こんな具合に。

百五十五ミリ榴弾を三個つなげるだけで、戦車をひつくりかえす威力がある。

それでも放置するわけにゆかず、陸軍兵の出番となる。

市民の協力は期待できない。

米兵が吹き飛ぶ姿を撮影し、YouTubeにアップロードする輩までいる。

携帯電話をつかう人間をみたら射殺する。

遠隔操作かもしれないから。

泣いて助けをもとめるアイツは、自爆攻撃をしかけるつもりでは?

あの子どもの死体のなかに、爆弾がしかけられてないか?

地獄とはなにかを、おしえてくれる作品だ。

 

 

 

 

 

沙漠の炎気のなか、ケプラー繊維とセラミックプレートで身をまもる。

車両の装甲をくだく爆風のまえでは、気休めにしかならないが。

解体作業は、経験豊富な下士官がひとりでおこなう。

しくじつても損耗は最小限、つまり死者一名にとどまる。

アメリカの覇権は、経済や科学の力が支えているのだろうが、

最後はだれかが、ブーツで敵地を踏みしめねばならない。

投石されようが、狙撃されようが、爆破されようが、

そこに旗をたてる人間がいてはじめて、戦争はおわる。

 

 

バグダッドの日常の風景。

狂気を勇気とよびかえ、兵士は任務に従事する。

 

 

 

主役の陸軍二等軍曹のジェレミー・レナーは、

派遣期間をおえ、五体満足で家族のもとにかえつた。

イラクでの武勇伝をかたるが、妻は耳をかさない。

夫が粉々になりかけた話をよろこぶ女が、どこにいるだろう。

スーパーに出かけたレナーは、「シリアルを買つてきて」と命じられる。

 

 

無数のシリアルがならぶ棚。

 

 

ただ呆然とする二等軍曹。

爆発物こそないが、本当に狂つているのは母国ではないかと疑う。

地に足をつけて生きるのは、むつかしい。







以上の拙文を書くにあたり、プログラムの田中昭成氏による記事、

「『ハート・ロッカー』にちりばめられたイラク侵攻の問題点」を参考にしました。


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弐瓶勉『シドニアの騎士』

 

 

シドニアの騎士

 

作者:弐瓶勉

掲載誌:『月刊アフタヌーン』(講談社)平成二十一年六月号~

[単行本は二巻まで刊行]

 

【注意】

以下の記事では、物語展開の要点にふれています。

 

 

 

白紙にかろやかにペンをはしらせるのが漫画だが、

弐瓶勉という異形の作家は、漆黒に塗りつぶされた紙面を、

もうしわけ程度に片すみだけ漂白し、それが世界だと宣言する。

すくなくとも、処女作の『BLAME!』はそうだつた。

視界を圧迫する、巨大建造物。

すりつぶす様に殺戮される、芥子粒のごとき群集。

 

 

『シドニアの騎士』の主人公、谷風長道(タニカゼ・ナガテ)の乗機、

天空をかけるロボット兵器の「継衛(ツグモリ)」。

銀白の機体が、宇宙空間ではえる。

ガンダムやホワイトベースがそうだつた様に、

巨大ロボットと冷蔵庫は、白がよいと相場がきまつている。

 

 

 

SF作品はたのしいが、舞台設定を説明するのが億劫だ。

「シドニア」とは、地球外生命に真二つに破壊された惑星から、

あわてて脱出した数百隻の播種船のひとつ。

その航海はすでに千年におよび、上の気色わるい生物、

「奇居子(ガウナ)」とはてしない抗争をつづけている。

陰険なハードSF趣味の痕跡をのこしつつも、

『シドニアの騎士』は血沸き肉踊るロボットものだ。

にへー先生は黒の時代をぬけ、ついに光をみいだした。

 

 

 

 

 

訓練生仲間の科戸瀬イザナ。

遺伝子改良により、シドニア人は光合成ができるし、

イザナみたいな両性具有者もいる。

 

 

「重力祭り」での、イザナの艶姿。

女装美少年が大好物のボクは、冷静でいられない。

冒頭にかかげたヒロイン、星白閑といちやつくナガテをみて、

学園ラブコメよろしく嫉妬し、複雑怪奇な三角関係ができる。

 

 

陰惨なたたかいの合間に、せまい船内をかざりつけ、

にぎやかな祭典をたのしむシドニア人たち。

にへー先生持ち前の、冷徹な建築家の感性に、

はれやかな幸福感という装飾がくわわり、

読んでいるとめでたい気分になる。

 

 

 

 

 

校舎裏のいつもの風景が、完璧な構図でたちあがる。

なにをかいても絵になる。

漫画家にはそういう時期があるらしい。

 

 

あざやかな第二巻の表紙(装丁は牧唯)。

本屋でこのヒロインに一目惚れした人もいるのでは。

はじめは擦れちがうナガテと星白だが、

極限状況で手に手をとるうち、恋がうまれる。

 

 

 

醜悪な怪物との交戦中、星白閑が命をおとす。

その遺体は、はづかしめられる。

表紙にそえる指がふるえた。

油断した。

絵柄がかわつても、作家の本領まで遺伝子操作されはしない。

弐瓶にとつて創作は、あくまでただの建築作業なので、

偶然そこで魅力ある人物がうまれても、

設計図どおりに擂鉢のなかでなぶり殺す。

 

 

 

 

 

さかのぼつて第一巻、訓練生・山野栄子の葬儀の場面。

作家が発見した光の意味がわかる。

白のまぶしさは、黒の陰鬱さをひきたてる。

全篇に鯨幕をはる、まがまがしい明暗法にうちのめされ、

ボクの心は粟立ち、そして絶望する。






シドニアの騎士 1 (アフタヌーンKC)シドニアの騎士 1 (アフタヌーンKC)
(2009/09/23)
弐瓶 勉

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タグ: 男の娘 

『ラストウィンドウ 真夜中の約束』

 

ラストウィンドウ 真夜中の約束

 

発売:任天堂 平成二十二年

開発:シング

ディレクター:金崎泰輔

対応機種:ニンテンドーDS

 

 

 

「ハードボイルド」の定義がしりたくてウィキペディアにあたると、

非ハードボイルド的に冗長な駄文をよまされ、まるで無益だつた。

とりあえず一般的な解釈にしたがうと、この流儀は、

思索や感情を排した、行動主義の物語とされる。

そして、「あらゆるゲームはハードボイルドだ」という説をたてたい。

ボタンをおすと、キャラクターが行動する。

どれだけ複雑になろうと、ゲームにはそれしかない。

思索にふけるマリオ、感情にながされるパックマンなどありえない。

 

 

ニンテンドーDSを一冊の本の様にかまえてプレイする、

『ラストウィンドウ』の主人公は、三十四歳の元刑事カイル・ハイド。

無愛想ながらも、その煤けた背中に男の哀愁がにじむ。

ホテルを改装した、居宅のあるロサンジェルスのアパートメントで、

十三年まえと二十五年まえの、ふたつの殺人事件について探査する。

ふるびた四階だての建物には、大がかりな組織犯罪と、

カイルの父の死にまつわる秘密がかくされていた。

村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』が出版されたのは、

昭和六十年で、ファミコン(NES)がアメリカで発売された年でもある。

任天堂が世界を征服し、ハードボイルド文学は淘汰されたが、

四半世紀をへて、ゲームとして昔ながらの姿でよみがえつた。

 

 

 

だが奇妙なことに、このゲームの本質はハードボイルドではない。

行動ではなく、感情が物語をうごかす。

ロトスコープ手法でえがかれるアパートの住人は、

きめこまやかに喜怒哀楽をプレイヤーにつたえる。

水が高きから低きにながれる様に自然に、

カイル・ハイドは相手を気づかいつつふるまい、

そのやさしさを感じた住人は、次第に心をひらいてゆく。

さて、開発指揮と人物造形をうけもつた金崎泰輔が、

どれほど贅沢に手間暇をかけたか知るため、

是非、以下のリンク先にある動画をみていただきたい。

 

公式サイト:「キャラクターアニメーションができるまで」

 

金崎ファンとしては、本人の筆づかいをみれて感激した。

ちなみに冒頭でトレースされている美人は、任天堂の生田良子だ。

 

 

まづ、オーディションでえらんだモデルを撮影する。

 

 

 

静止画をPCにとりこみ、手作業で一枚ずつトレースする。

 

 

荒い線画、動きを感じさせる斜線、立体感をあらわす陰影。

この三つのレイヤーをかさねる。

 

 

 

ようやく一枚完成。

この作業を延々とくりかえし、さらに微調整をほどこして、

カフェの看板娘ニコールに生命がふきこまれる。

 

 

 

湖畔によせるしづかな波の音がいまだ忘れられない、

『アナザーコード:R 記憶の扉』の姉妹篇といえる本作では、

鈴木理香・シング副社長の作風がさらに深化した。

ミステリーらしく殺人事件もあつかわれるが、

それは主要な当事者もいない、すでに忘れられた旧聞だ。

物語の軸になるのはマリーとパトリス夫人、ふたりの未亡人で、

胸をさわがせる色恋沙汰がえがかれることもない。

つまり、一向にもりあがらない。

かすかな波紋がひろがり、水面はしばらくして鏡の様にしづまる。

その平穏さがうつくしい。

DSに表示される映像は高精細ではないが、

エレベーターで屋上にのぼつたとき、たしかにボクは、

一九八〇年のロサンジェルスにいると感じた。

ビルの谷間からのぞく光、地上からとどく巷のざわめき。

夜になれば、燈台を模した照明が辺りをてらす。

タッチペンをあやつりながら、不思議な感懐にひたつた。

街はだだびろい海原で、ボクはただよう流木なのだと。





ラストウィンドウ 真夜中の約束ラストウィンドウ 真夜中の約束
(2010/01/14)
Nintendo DS

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苑田 謙

苑田 謙
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