岡野雅行『野人伝』

 

野人伝

 

著者:岡野雅行

構成:吉村栄一

発行:新潮社 平成二十一年

 

 

 

のちに「野人」とよばれるその逆子は、胎内で暴れるので、

へその緒が首にからまり窒息死しかけていた。

母体も出血多量で危険になり、残酷にも「母子のどちらをとるか」ととわれ、

父は病院の廊下で泣きながら決断をくだす。

妻をたすけよう。

そのころ分娩室で、胎児がするりとオフサイドラインをぬけた。

ワールドカップ出場者、岡野雅行の誕生だ。

その瞬間から、強運の星が彼をてらしていた。

プロ初年のヴェルディ川崎戦でゴールキーパーと衝突したときは、

救急車ではこばれ、肺に穴があいているので三か月入院とつげられる。

翌日の手術のまえ、レントゲン写真をみて医師は驚愕した。

「なんか…治つてんだよね」

そういわれてみれば、痛みもない。

医学の常識ではありえないと怒られ、病院からたたきだされる。

大学の体育の授業で、バスケットシューズをはいて百メートルはしつたら、

記録は「10秒8」で、そのときはじめて自分は足が速いとしつた。

放し飼いの大きな犬に襲われたときは走つてにげて、

金網によじのぼつてから振り返ると、犬は舌をだしてへたりこんでいた。

だがこれらの逸話は、しられざる野人伝説の枝葉末節にすぎない!

 

 

 

教育熱心な両親は、家庭教師までつけて勉強させたが、

野人に学業成績をもとめるのは無謀だつた。

高校進学にあたり、地元横浜の底辺校でヤンキーになるよりはと、

親戚がすすめる、島根県の全寮制の学校に息子をおくりこむ。

どうも彼らは、松江日大高について事前にしらべなかつたらしい。

理事長の岡崎功は、死者一名をだした松江騒擾事件の首謀者で、

無期懲役刑(のちに恩赦)をうけた、ホンモノの右翼。

新入生に教育勅語をわたして暗記させ、

授業では、三島由紀夫の生首の写真をみせて、

教師が落涙しながら愛国心を説く学校だつた。

そして入学式で、特攻服にマスク姿のまわりの生徒をみて、

野人はそこが、兇悪な不良をあつめた更生施設だときづいた。

校舎では教師が竹刀を、寮では先輩がチェーンをふりまわし襲いかかる。

六時の門限をまもらなかつたという理由で、野人は前歯四本をおられた。

寮のトイレの窓をあけただけでブザーがなるなど、

脱走者がでない様に厳重な警戒態勢がしかれる。

覚悟をきめた野人は、『魁!!男塾』の元種と噂されるこの高校で、

理事長にかけあつてサッカー部を創設した。

 

 

 

部員は二十人以上あつまつたが、サッカー経験者はほとんどいない。

地元にかえれば単車数千台が出迎える様な、

暴走族のもとヘッドなどがチームメイトだ。

顧問になつた教師は陸上が専門。

野人が実質的な監督になり、練習メニューから戦術までお膳立てした。

厄介なのは、対外試合がくめないこと。

「淞南学園」の名をきくだけで震えあがり、即座にことわられる。

ようやくみつけた対戦相手は、島根の片隅の水産高校。

バスで遠征すると、挑戦がうけいれられた理由がわかつた。

校舎の窓は全部われて、壁は落書きだらけ。

キックオフ。

勿論、ボールではなく人間をける。

校舎からヤンキーの援軍がなだれこむ。

顧問の教師同士まで取つ組みあつている。

創部したてでも、ケンカに関しては全国選りすぐりのエリートなので、

スコアは「0-0」で、淞南学園が「初勝利」をかざつた。

そんなこんなで、野人はこの個性ゆたかな集団をまとめ、

三年の冬には地区大会決勝までみちびいた。

『スクール☆ウォーズ』をこえる物語が実在した。

 

 

 

日本大学にすすんだ野人は、おのれの俊足を発見し、

独自のプレースタイル(ひたすら走る)を確立、プロとして浦和レッズにはいり、

ワールドカップ初出場をめざす日本代表にもえらばれた。

漫画だつたら御都合主義と笑われるが、事実なのでしようがない。

野人のゆくところ、つねに風雲あり。

当時の代表チームは、内も外も混沌たるありさまだ。

指揮をとる加茂周は、郎党に対する影響力をうしなつていた。

平成九年十月四日。

最終予選、韓国にやぶれたあとのカザフスタン戦。

ベンチの雰囲気は最悪で、控え選手が采配に不平をささやく。

野人は陰口をたたくどころか、監督につめより、

「おい、代える選手がちがうだろ!」と怒鳴りつけた。

そのままスタジアムを後にした野人は、アルマトイで深夜まで飲みあるく。

強制送還も甘受するつもりで宿舎にもどると、加茂が解任されていた。

同年十一月十六日。

ジョホールバルでのイラン戦。

出陣まぎわのロッカールームに、サッカー協会幹部が大挙しておしよせ、

なんの足しにもならない演説をぶちあげる。

いま、Jリーグの人気がおちている。

これでワールドカップに出れなかつたら、潰れるかもしれない。

だから勝つてほしい!

大勝負のまえに妙な責任をおわされ、選手らはただ動揺した。

そして、生まれてはじめて「出たくない」とおもつた試合に、

しかも延長戦に投入された野人のところに、

不思議とボールはあつまり、決勝ゴールがうまれた。

 

 

 

もし男子日本代表が、世界の強豪に肩をならべる日がくるとしたら、

そのときの監督は岡野雅行だとおもう。

本気だ。

他人のサッカー観にふかく共感したのは、ジョゼ・モウリーニョ以来だ。

野人いわく。

なぜ日本人は、楔のパスを受けて落として、サイドに展開して、

という攻撃の形がこんなに好きなのだろう?

足の速いやつを走らせてセンタリングをあげられるなら、

その方が効率的なサッカーなのに。

パスを回さないサッカーは単純で浅い?

いつでも華麗なボール回しをできるチームなんて、ブラジル代表だけ。

マラドーナだつて、一発で局面をかえるロングパスをねらつていた。

サッカーは、シンプルな競技だから。

岡野監督の兵法は、淞南学園でめざましい戦果をあげた。

野人より俊足のウイングがクロスをあげ、テコンドーのチャンピオンがきめる。

極真空手のチャンピオンはディフェンダーとして、敵を叩きのめす。

ブラジル代表だつて、野人のサッカーをおそれるだろう。





野人伝野人伝
(2009/12/19)
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以下のリンクは、ジョホールバルでのイラン戦について、

相馬直樹を中心にかたつた記事です。

あわせて読んでいただければ幸いです。

 

「ジョホールバルから町田へ」


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