星をみるひと ― the brilliant green『LIKE YESTERDAY』
LIKE YESTERDAY
the brilliant greenのシングル曲
作詞:川瀬智子
作曲:奥田俊作
制作:ワーナーミュージック・ジャパン 平成二十二年
カップリング曲の『at light speed』は、『そのスピードで』の英語版で、
「Kick off my muddy worn out shoes.」と歌いだされる。
泥だらけの靴を蹴つとばす。
あまりに直訳なのがおかしい。
川瀬智子の英語コンプレックスはまだ癒えない様だが、
おかげで彼女の日本語詞の、響きと影像のうつくしさを再認識できた。
「そ・の・すぴー・ど・で~」のけだるい艶を、やすやすと翻訳されてたまるか。
たとえ、それを書いた当人でも。
速度を「光速(light speed)」と言いきる口ぶりにも違和感が。
「どのスピード?」と含みをのこす、京女らしい底意地のわるさが素的なのに。
しかし、ブリグリの歌詞は難解な禅問答といわれるが、
トミーさんは頭のよいひとだから、実はすつきり整理できる。
トミーの好きなもの | トミーの嫌いなもの |
チョコレート | 泥だらけの靴、湿つた部屋 |
星、月 | 鏡 |
天使 | 悪魔 |
青白い涙 | あくび |
あきらかに重度のナルシストであるトミーだが、
鏡を好きな自分が嫌いでもあるので、それを叩き割り、
天使と手をたづさえ星をめざそう、という歌だ。
いくつになつてもお星さまに願いをかける、永遠のティーネイジャー。
『LIKE YESTERDAY』は、ブリグリの二年ぶりのシングル。
アルバムは八年も音沙汰なしで、彼らはあからさまに煮詰まつている。
でも夫婦でいとなむバンドを、おいそれと解散もできない。
ゆえに、詞も曲も息ぐるしい。
When I wish upon a star
消えた星空
オルゴールの中に落ちた
硝子の涙一粒の嘘
あなたは気づかない
冒頭から耳をうたがう。
星空は虚空になつた。
その後も、「星のない夜も」や「霧の舞う空に 願える星はないけど」と、
天空をあますところなく濃墨でぬりつぶす。
トミーさん、夢も希望もない時代なのはわかるけど、
あなたまで星を見失つたら、ボクは迷子になつてしまう。
「夢は絶望になつた」とつぶやく憂鬱な歌が、列島に君臨した季節はすぎ、
CDなんてチャチな円盤は、見向きもされない長い冬がつづく。
どんな歌を、だれにむかつて歌えばよいの?
トミーがそう絶望したとしても、無理はない。
歌詞カードのサビのところに、不思議な図形が。
消えたはずの星が、うかびあがる。
たとえそこが漆黒の闇でも、空のかなたで星はかがやいてるよ。
トミーの声にならない思いが、やさしく胸にしみる。
目をつぶりCDをきいていると、心というスクリーンは、
満天の星空をうつすプラネタリウムになる。
YouTubeで低音質のPVをみて、歌詞をちよつと検索して、
それで音楽をわかつた気になるのは個人の自由だ。
CDが、時代遅れのメディアなのも事実だろう。
ただ今めかしい流儀では、みえない光景がある。
いまみえるベテルギウスの光が、六百四十年前にうまれた様に、
そう簡単にかわらない何かが音楽にあることを、ボクは信じている。
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テーマ : お気に入り&好きな音楽
ジャンル : 音楽
岡野雅行『野人伝』
野人伝
著者:岡野雅行
構成:吉村栄一
発行:新潮社 平成二十一年
のちに「野人」とよばれるその逆子は、胎内で暴れるので、
へその緒が首にからまり窒息死しかけていた。
母体も出血多量で危険になり、残酷にも「母子のどちらをとるか」ととわれ、
父は病院の廊下で泣きながら決断をくだす。
妻をたすけよう。
そのころ分娩室で、胎児がするりとオフサイドラインをぬけた。
ワールドカップ出場者、岡野雅行の誕生だ。
その瞬間から、強運の星が彼をてらしていた。
プロ初年のヴェルディ川崎戦でゴールキーパーと衝突したときは、
救急車ではこばれ、肺に穴があいているので三か月入院とつげられる。
翌日の手術のまえ、レントゲン写真をみて医師は驚愕した。
「なんか…治つてんだよね」
そういわれてみれば、痛みもない。
医学の常識ではありえないと怒られ、病院からたたきだされる。
大学の体育の授業で、バスケットシューズをはいて百メートルはしつたら、
記録は「10秒8」で、そのときはじめて自分は足が速いとしつた。
放し飼いの大きな犬に襲われたときは走つてにげて、
金網によじのぼつてから振り返ると、犬は舌をだしてへたりこんでいた。
だがこれらの逸話は、しられざる野人伝説の枝葉末節にすぎない!
教育熱心な両親は、家庭教師までつけて勉強させたが、
野人に学業成績をもとめるのは無謀だつた。
高校進学にあたり、地元横浜の底辺校でヤンキーになるよりはと、
親戚がすすめる、島根県の全寮制の学校に息子をおくりこむ。
どうも彼らは、松江日大高について事前にしらべなかつたらしい。
理事長の岡崎功は、死者一名をだした松江騒擾事件の首謀者で、
無期懲役刑(のちに恩赦)をうけた、ホンモノの右翼。
新入生に教育勅語をわたして暗記させ、
授業では、三島由紀夫の生首の写真をみせて、
教師が落涙しながら愛国心を説く学校だつた。
そして入学式で、特攻服にマスク姿のまわりの生徒をみて、
野人はそこが、兇悪な不良をあつめた更生施設だときづいた。
校舎では教師が竹刀を、寮では先輩がチェーンをふりまわし襲いかかる。
六時の門限をまもらなかつたという理由で、野人は前歯四本をおられた。
寮のトイレの窓をあけただけでブザーがなるなど、
脱走者がでない様に厳重な警戒態勢がしかれる。
覚悟をきめた野人は、『魁!!男塾』の元種と噂されるこの高校で、
理事長にかけあつてサッカー部を創設した。
部員は二十人以上あつまつたが、サッカー経験者はほとんどいない。
地元にかえれば単車数千台が出迎える様な、
暴走族のもとヘッドなどがチームメイトだ。
顧問になつた教師は陸上が専門。
野人が実質的な監督になり、練習メニューから戦術までお膳立てした。
厄介なのは、対外試合がくめないこと。
「淞南学園」の名をきくだけで震えあがり、即座にことわられる。
ようやくみつけた対戦相手は、島根の片隅の水産高校。
バスで遠征すると、挑戦がうけいれられた理由がわかつた。
校舎の窓は全部われて、壁は落書きだらけ。
キックオフ。
勿論、ボールではなく人間をける。
校舎からヤンキーの援軍がなだれこむ。
顧問の教師同士まで取つ組みあつている。
創部したてでも、ケンカに関しては全国選りすぐりのエリートなので、
スコアは「0-0」で、淞南学園が「初勝利」をかざつた。
そんなこんなで、野人はこの個性ゆたかな集団をまとめ、
三年の冬には地区大会決勝までみちびいた。
『スクール☆ウォーズ』をこえる物語が実在した。
日本大学にすすんだ野人は、おのれの俊足を発見し、
独自のプレースタイル(ひたすら走る)を確立、プロとして浦和レッズにはいり、
ワールドカップ初出場をめざす日本代表にもえらばれた。
漫画だつたら御都合主義と笑われるが、事実なのでしようがない。
野人のゆくところ、つねに風雲あり。
当時の代表チームは、内も外も混沌たるありさまだ。
指揮をとる加茂周は、郎党に対する影響力をうしなつていた。
平成九年十月四日。
最終予選、韓国にやぶれたあとのカザフスタン戦。
ベンチの雰囲気は最悪で、控え選手が采配に不平をささやく。
野人は陰口をたたくどころか、監督につめより、
「おい、代える選手がちがうだろ!」と怒鳴りつけた。
そのままスタジアムを後にした野人は、アルマトイで深夜まで飲みあるく。
強制送還も甘受するつもりで宿舎にもどると、加茂が解任されていた。
同年十一月十六日。
ジョホールバルでのイラン戦。
出陣まぎわのロッカールームに、サッカー協会幹部が大挙しておしよせ、
なんの足しにもならない演説をぶちあげる。
いま、Jリーグの人気がおちている。
これでワールドカップに出れなかつたら、潰れるかもしれない。
だから勝つてほしい!
大勝負のまえに妙な責任をおわされ、選手らはただ動揺した。
そして、生まれてはじめて「出たくない」とおもつた試合に、
しかも延長戦に投入された野人のところに、
不思議とボールはあつまり、決勝ゴールがうまれた。
もし男子日本代表が、世界の強豪に肩をならべる日がくるとしたら、
そのときの監督は岡野雅行だとおもう。
本気だ。
他人のサッカー観にふかく共感したのは、ジョゼ・モウリーニョ以来だ。
野人いわく。
なぜ日本人は、楔のパスを受けて落として、サイドに展開して、
という攻撃の形がこんなに好きなのだろう?
足の速いやつを走らせてセンタリングをあげられるなら、
その方が効率的なサッカーなのに。
パスを回さないサッカーは単純で浅い?
いつでも華麗なボール回しをできるチームなんて、ブラジル代表だけ。
マラドーナだつて、一発で局面をかえるロングパスをねらつていた。
サッカーは、シンプルな競技だから。
岡野監督の兵法は、淞南学園でめざましい戦果をあげた。
野人より俊足のウイングがクロスをあげ、テコンドーのチャンピオンがきめる。
極真空手のチャンピオンはディフェンダーとして、敵を叩きのめす。
ブラジル代表だつて、野人のサッカーをおそれるだろう。
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以下のリンクは、ジョホールバルでのイラン戦について、
相馬直樹を中心にかたつた記事です。
あわせて読んでいただければ幸いです。
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蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語 2』
日本人の知らない日本語 2
著者:蛇蔵&海野凪子
発行:メディアファクトリー 平成二十二年
なぎこ先生 is back!
日本語教師・海野凪子先生の奮闘ぶりを、
もともと友人である蛇蔵さんがかわいらしく、
そして愉快にえがく、大評判のコミックエッセイの第二弾。
はじめて本を一冊かけば、普通はネタ切れをおこすものだが、
そこは勉強熱心さがウリのなぎこ先生、
続刊もクスリと笑えて、かつためになる話題が満載だ。
日本語学校の生徒は、はやい段階でこの表を暗記する。
その知識のうえに、順をおつて「尊敬語」の形をまなぶ。
ステップ1 「お~になります」 (例:お食べになります)
ステップ2 「受身と同じ形」 (例:食べられる)
ステップ3 「特別な形」 (例:召し上がる)
下にゆくほど敬意がたかい。
当然ながら、われら誇りたかきネイティブスピーカーは、
文法体系を手習いせずとも日本語をつかえる。
とはいえ、「論語よみの論語しらず」という言葉もある。
ためしに上の表の、一段活用とカ行変格活用のところだけ、
「可能」と「受身・尊敬」の形がおなじことに注目しよう。
日本語の乱れと、おとしめられがちな「ら抜き言葉」は、
体系面からみて合理的な使用法だ、という説があるらしい。
個人的には、言語そのものが合理的であるべきだなんて、
頭デッカチな学者の寝言にきこえるけど。
それにしても、自分が毎日つかう「日本語」という道具は、
手入れをサボるうち、すでにサビついてないか不安になる。
おやおや読者のみなさま、眠そうな顔をしてますね。
この世に国語文法ほど、退屈な話題もないですし。
でも言いわけになりますが、
言葉で言葉をかたるのは、骨のおれる仕事なのです!
だからこそ、この漫画の存在価値があるわけでして。
フランスからきた美青年ルイ君は、こう見えても筋金いりのオタクで、
漫画を原文で読むため日本語をまなびはじめた。
しかし残念だが、漫画は教材にむかない。
『北斗の拳』は偉大な作品にちがいないが、武論尊と原哲夫には、
日本語学習者をまどわせた責任がある様だ。
「強敵=友」なんて意味不明だし、まつたく申しわけない。
絵と一緒だと、説得力があるのにね。
半濁音をしめす右肩の丸は、日本語の微妙な発音のちがいに窮した、
十六世紀のポルトガルの宣教師による発明だ、というお話。
われわれはつい日本語を特別視しがちだが、
外国人との交流なしで言語は成り立たない。
著者の友人で、英語と日本語が堪能なドイツ人女性が眼科にいつたとき、
日本人医師は気をつかい、英語で応対した。
病名は「結膜炎」だつたが、英語で「conjunctivitis」といわれても、
ドイツ人の彼女にはピンとこない。
英語の医学用語は、ラテン語・ギリシア語に由来するものが多いから。
ところが、ドイツ語で結膜炎を意味する「bindehautentzündung」は、
そのままバラすと、「binde:結、haut:皮/膜、entzündung:炎症」になる。
日本の医学や化学はドイツの影響がつよいせいか、
ドイツ語の翻訳借用語が多く、彼女には漢字の方がわかりやすい!
につこり笑顔のなぎこ先生。
ケチな島国根性と無縁な、さわやかさが素敵です。
黒澤明を愛する、スウェーデン人のエレーンさんも健在。
忍者を熱くかたつてくれます。
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第一巻についての記事は、以下のリンクを御参照ください。
まいっちんぐナギコ先生 ― 蛇蔵&海野凪子『日本人の知らない日本語』
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アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』
一外交官の見た明治維新
A Diplomat in Japan
著者:アーネスト・サトウ (Sir Ernest Satow)
訳者:坂田精一
発行:岩波書店 一九六〇年
原書発行:イギリス 一九二一年
[岩波文庫]
十九歳のとき、イギリスの外交官として幕末の日本をおとづれ、
乱高下するこの国の政治を、客観的にみまもつた人物の回顧録。
偶然にもその名が日本風であるサトウは、
司馬遼太郎の幕末物によく顔をだすので馴染みがあるが、
彼は自分の書きたいように書く作家だし、
実際に書物を手にとつてはじめて見える風景があつた。
『安宅』や『勧進帳』といつた演目では、
山伏に身をやつした源義経一行が、奥州への道をいそぐ。
関守の富樫は、手配写真もないのに変装をみやぶり、
「いかに、それなる強力」と義経を誰何する。
咄嗟に金剛杖で主を打ちすえ、疑いをはらす武蔵坊弁慶。
観客は、そのゆるぎない忠義に胸をあつくする。
でも思うのだけど、冷戦期の西ベルリンではあるまいし、
歩行者を対象とする国境封鎖なんて不可能だ。
弁慶もそんなにボスが大事なら、なぜ脇道をえらばなかつたのか?
さて七月のある日、八王子の西にある高尾山にでかけたサトウらは、
足のつよい馬にまたがり頂上にのぼり、風光と弁当をたのしんだ。
事件は帰り道でおきた。
まちがえて関所の裏側の街道にでたイギリス人に対し、
番人はかたく門をとざして通過をこばむ。
もと来たところに戻るだけなのに、とりつく島もない。
役人の頑迷さは、古今東西普遍の真理だから。
医師のウィリアム・ウィリスが、馬の足で蹴やぶる素振りをみせると、
その剣幕におどろいた番人は、ようやく門をひらいた。
「関所」なるものは、その地理的物理的な効果よりも、
民衆への支配力をみせつける儀礼として存在したのだろう。
いうまでもなく、当時の駐日外交官はみな命がけだ。
神国日本をけがす毛唐を斬りすてんと狙う、攘夷の志士から自衛するため、
文官も例外なく、コルト社などの拳銃をたづさえていた。
反撃に成功した者はいなかつたが。
外交官の最大の武器は、言語だ。
在留の数年ですつかり日本語が流暢になつたサトウは、
ありとあらゆる場で交渉をこなすことができた。
芝居小屋でつねに「つんぼ桟敷」におしこめられるのが不服で、
あるとき意を決し、靴をぬいで土間の升席に陣取つた。
困惑した興行者は、そこから出なければ幕をあげないと言いはる。
勝手にしたらよかろう、と居座るサトウ。
イギリス人が日本語で議論に勝つ様子をみて、
まわりの観客もこの前座に満足した。
概して一般の庶民は、わけへだてせず外国人に親切にふるまうのに、
「クロウト」の人間ほど拒否反応をしめしがち。
幕府の監視をのがれて、大坂(オーザカ)の街にくりだしたときは、
店にあらわれたイギリス人をみて、藝妓たちはキャアとさけんで逃げた。
そもそも「尊王攘夷」という題目は、貿易の利益と海外の情報を独占する、
幕府の足をすくうための方便にすぎない。
生麦事件、薩英戦争、下関砲撃事件といつた血生ぐさい抗争のあと、
薩摩藩や長州藩は、豹変して蛮族にすりよつた。
明治維新とは、一種のツンデレなのだ。
外交官として優秀であるほど、おちいりやすい罠がある。
現地の精神に同化しすぎること。
銃撃戦となつた神戸事件で、責任をかぶつた滝善三郎の切腹に、
イギリス人であるサトウやミットフォードがたちあつたのは、
キリスト教徒として許されざる野蛮な行為だ、との新聞報道がなされた。
サトウは本書で堂々と反論している。
武士にとつてハラキリとは、名誉となる厳粛な儀式であり、
それに列席することはなんら恥ではない!
まつたく正しい意見なのだが、でもボクが当時の英国人なら、
同胞があまりに異文化に染まつているのに不安になるかもしれない。
この本は、夷狄が刀でおわれる前半の方がおもしろく、
時がめぐり、革命の立役者がサトウと親交をむすぼうと列をなすに至り、
読んでいてすこし鼻白んでくる。
ヨーロッパ人の目に悪趣味にうつる洋館が建つのは歯がゆいし、
黒人の奴隷がみたいなどとワガママをいう、
薩長がかついだ貴族たちのバカさ加減にはあきれる。
江戸は「東京」と改称されたが、「イギリス人は革新をこのまない」ので、
外交官は維新後もしばらく、あたらしい帝都を「エド」と呼びつづけた。
あまりに無軌道で空疎な、政治というゲームに翻弄される男たちは、
なんだか滑稽だが、だからこそ学べることもある。
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『カラヴァッジョ 天才画家の光と影』
カラヴァッジョ 天才画家の光と影
Caravaggio
出演:アレッシオ・ボーニ エレナ・ソフィア・リッチ ジョルディ・モリャ
監督:アンジェロ・ロンゴーニ
制作:イタリア 二〇〇七年
[銀座テアトルシネマで鑑賞]
藝術家の伝記映画は駄作ばかりと、相場がきまつている。
その理由は、論理的に説明できる。
藝術家を題材とする作品は、それ自体の藝術性がとわれるから。
たとえばピカソの映画をつくるなら、ピカソなみの才能が必要で、
要するに、ボンクラがつくつたピカソの映画を見るくらいなら、
画集でもながめた方が、より作家について理解できる。
「あの傑作の裏には、秘められた恋があつた!」
だからなに、てなもんだ。
『ゲルニカ』をかいたのはピカソであり、彼の愛人ではない。
彼女らがほかの男とつきあつていたら、そいつが『ゲルニカ』をかいたのか?
噴飯ものだ。
おしなべて藝術家の人生は、孤独でみすぼらしいもので、
とてもではないが映画の題材にはむかない。
本作の主人公、「カラヴァッジョ」ことミケランジェロ・メリージは、
意外にも藝術家らしい藝術家として銀幕にあらわれる。
川辺でみつけた、真つ青に変色した腐乱死体に執着したり、
公開処刑で罪人の女が断首されるのに興奮したり。
鑑賞する前は、彼の男色趣味をながながと語られるのをおそれたが、
閨での出来ごとはさらりと流す、外連味のない筋立てがよい。
男に手を出すこともあつたかもしれないが、
それは娼婦を買う金がないからで、作家の本質にはかかわらない。
娼婦フィリデ役のクレール・ケーム。
「高級娼婦」という言葉のひびきに滅法よわい管理人としては、
画像を掲載しないわけにゆかないと、必死で検索しました。
このかたも、いくつかの絵のモデルになつてます。
『ホルフェレネスの首を斬るユディト』(一五九七年ごろ)
おもい剣を片手に、長時間ポーズをとらされたクロウト女が、
「もうやつてらんないわ!」とマジギレするさまが素敵だつた。
画題もふくめ、たおやかな恋愛の情緒からほど遠く、
だからこそ、「教皇と娼婦の街」であるローマの空気を感じとれる。
この映画の実質的な演出の担当者は、
撮影監督のヴィットリオ・ストラーロだといえそうだ。
全編にわたり、絵画の様に計算しつくされたショットがつづく。
カラヴァッジョの明暗法を模した、ほのぐらい光景にみとれるうち、
観客はいつのまに、画家が幻視した世界にとりこまれる。
ストラーロによるカラヴァッジョ評が興味ぶかい。
また不思議なことに、彼の絵画は青をほとんど使っていません。
これはわたしの勝手な解釈ですが、
青色は彼にとっては聖性を表す色だったのではないでしょうか。
ところが彼の作品は市井の人々をモデルにしたリアルなものが多い。
彼は闇の対比としてのみ聖性を描いたので、
青を使う機会が少なかったのではないかと思います。
プログラム「ヴィットリオ・ストラーロ インタビュー」
取材・文:佐藤久理子
青は聖なる色だから、あえて使わない。
なるほど、さすがにえらい先生は着眼点がちがう。
作品についてよりも、警察や裁判の記録の方が多くのこる、
無法者のカラヴァッジョは、イタリア各地を荒らしまわつた挙げ句、
死体となつて、トスカーナの砂浜にうち捨てられる。
発見されたときは、青色に腐りはてていたかもしれない。
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たおやめ巌流島 ― 東アジア女子サッカー選手権 韓国戦
東アジア女子サッカー選手権2010 決勝大会
日本 対 大韓民国
結果:2-1 (2-0 0-1)
得点者
【日本】前半7分 大野忍 前半17分 山口麻美
【韓国】後半30分 ユ・ヨンア
会場:味の素スタジアム
[現地観戦]
ユニクロを熱愛する父から、ヒートなんとかという、
変な横縞の下着をもらつたときは邪魔だつたが、
そんなものいらんと言つて怒らせるのも面倒なので、
礼もいわず受けとり、丸めて自宅の隅にほおつておいた。
絶対に無地の服しか着ない、我が子の趣味くらい覚えてほしい。
ところが今日、期せずしてヒートなんとかの出番がきた。
だつて、雪がふつてるんだもの。
淡雪をふみしめ、味の素スタジアムにたどりつく。
お目当ての十六歳の人間国宝が出ていなくとも、
前半の日本代表は精彩をはなち、凍空のもと遠征した甲斐はあつた。
大和撫子がはげしく動き、半島からの客人を封じこめる。
いまさらながら、澤穂希の存在のおもさを痛感した。
女子サッカーの歴史をせおう大立者でありながら、
だれよりも守備に精をだし、攻めに転じては囮として前線を掻き乱し、
好機とみるやニアサイドにとびこみ、つぶれ役となる。
すべて、このチームのために。
わかい同僚が、奮い立たないわけがない。
シュート練習の様に、大野と山口が得点をかさねた。
後半開始まえ。
大和撫子がピョンピョン跳びはねる。
韓国代表がいつまでたつても出てこないから。
電光掲示板に、笑顔でおどる大野の無邪気な姿が大写しされ、
凍死寸前の観客たちもすこしなごんだ。
ひねくれ者のボクは、「これは巌流島だな」とつぶやく。
韓国における宮本武蔵の知名度はしらないが、兵法は万国共通だ。
敵を寒風に吹きさらして体力をうばい、焦燥をさそう。
あの半島で生まれた人間なら、それくらいはやる。
差別発言?
いやちがう。
むしろ異常なのはわれわれだ。
「後半なんであんなに押しこまれたのか分らない」と、
試合後に山口麻美がかたつているが、ボクは甘いとおもう。
前半にトドメをささなかったアンタらが悪い。
読者のみなさまは、「3-0」のときのブラジル代表を見たことはおありですか?
3点差になつた瞬間、カナリア軍団の目の色はかわる。
さあ仕事はおわつた、あとは遊ぼうぜ!
そして彼らは、そこからさらに3点をうばう。
たのしみながら。
対戦相手に、死ぬまで消せない悪夢を味わゝせながら。
一方、微妙な2点差でなんとなく満足してしまうのが、
「なでしこジャパン」であり、われら日本人なのだろう。
「敵に情けをかける」とか、「敵に塩をおくる」とか、
おそらく翻訳不可能な慣用表現をもつ、不思議な文化の国。
後半は韓国が支配し、猛然と追いあげられはしたが、
からくも日本が大会の優勝をきめた。
『SANSPO.COM』(撮影:森本幸一)
チャッカリ大会得点王にかがやいた、閃光の天使・岩渕真奈。
今日のわづか23分間では、なんの任務もはたせなかつたし、
「フル代表デビュー」や「代表初ゴール」などの栄冠をさづけられても、
キミは本大会の自分の成績に不満をのこしているだろう。
勿論ボクは、そんなキミの貪欲さが好きなのさ!
五月のアジアカップの二十三名に、キミが選ばれる可能性はひくい。
それでもボクは、今年もできるかぎりキミを追いかけたい。
二点とつてもまだまだ物足りない、たおやめぶりとは無縁のキミの、
宮本武蔵そこのけの兵法をまなびたいから。
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天使の第一歩 ― 東アジア女子サッカー選手権 人民共和国戦
東アジア女子サッカー選手権2010 決勝大会
日本 対 中華人民共和国
結果:2-0 (1-0 1-0)
得点者:前半19分 宮間あや 後半16分 近賀ゆかり
会場:味の素スタジアム
[現地観戦]
足の裏がこおりつく。
クソ、こんなところまで守りようがない。
ティンバーランドのブーツは、ちいさな冷凍庫になつた。
うちで一番ダサイが、一番ぶ厚いコートにエネループカイロをしのばせ、
手袋に膝かけ、胃のなかにはアルコールが充満。
体の内も外も末端も、入念に防寒仕様をほどこしたが、
結局のところ、なんの意味もない。
ボクは空をとべないから。
おそろしい勢いで、体熱がコンクリートに吸収されてゆく。
歯をくいしばり、震えを最小限にとどめ、消耗をおさえた。
帰ることはできない。
視線のかなたのベンチで、ダウンコートのなかに隠れている、
キミの初見世をみとどけるまでは。
流刑地と化したスタジアムで、ボクは時の流れが一定であることを呪つた。
後半20分。
閃光の天使・岩渕真奈が、日本代表選手としてサイドラインをこえた。
歯の根もあわぬ身震いは、武者震いにかわる。
体の芯が白熱する。
キミがうすいジャージ一枚でたたかつているのに、
椅子でやすむボクが「寒い」だなんて、冗談でもいえない。
さつきまで身を切り裂いた強風も、そよ風に感じられる。
夢幻のごとき二十五分はまたたく間にすぎ、ながい笛がなり、
ボクは、自分がまだ極寒の地にいることをおもいだした。
ここらが臨界点だろう。
つづく男子の試合は無視し、熱い風呂がまつ自宅へいそいだ。
おそらく会場には、十六歳の人間国宝の両親もいたはずだ。
娘の最大の夢のひとつが実現する瞬間をみんと、
たとえ来るなといわれても、こつそり忍びこんだにちがいない。
小学二年生からサッカーをはじめた彼女は、
しばらくして、この自由な競技の美しさにとりつかれる。
そして十歳ごろには幼いなりに、将来の目標が具体化したろう。
いつかわたしも「なでしこジャパン」にはいつて、
ワールドカップやオリンピックで活躍したいな!
卒業文集に「ケーキ屋さんになりたい」と書きのこした、
甘いもの好きな、ボクの同級生たちとおなじ様に。
少女たちは、本当のケーキ屋は毎日ケーキを食べないし、
もしそうすればデブになる、なんてつまらぬ実情は考慮にいれない。
ただ岩渕真奈の似て非なるところは、その夢を数年でかなえたこと。
あの場に肉親はいなかつたかもしれない。
身長以外の、娘の成長があまりに早すぎるので、
さすがについてゆけないと、あたたかい部屋でため息をついたりして。
あくまでそれは、はじめの一歩にすぎないのだから。
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風の歌をきけ ― ある絵師さんについて
http://r0411sit07e2.blog75.fc2.com/blog-entry-67.html
宇宙空間にちらばるディスプレイ。
無際限の反射。
閃光が、この世のすべてを断罪する。
残念ながら現在は休止中のブログ『地球缶コーヒー』で、
サンシロウさんが公開した作品だ。
「東方Project」のキャラクターである四季映姫・ヤマザナドゥが、
『サガ フロンティア』のラスボスの必殺技をくりだす。
防御も回避もできない、全体攻撃。
NO FUTURE.
ボクの心の盾は、その他大勢とともに打ち砕かれた。
http://r0411sit07e2.blog75.fc2.com/blog-entry-75.html
神霊よりつく月の使者、綿月依姫。
大胆な色づかいと構図を得意とするサンシロウさんだが、
素朴な絵だと、内的な凄みがよりつたわる。
風に波うつポニーテール。
はだけたジャンパースカートからのぞく、
自重で折れそうな細い腿を、さらにベルトがしめつける。
つめたく光る緋色の瞳。
箸より重いものを持てるとおもえぬ右腕に、殺気がやどる。
「祇園さまの剣」で斬り殺されたい、という衝動をおさえられない。
http://r0411sit07e2.blog75.fc2.com/blog-entry-77.html
人形つかいのアリス・マーガトロイド。
この絵師さんがえがく女の子は、みるものに微塵も媚びない。
品性下劣な「萌え」のファイル形式からはづれている。
ただ彼女の無表情は、三体の人形をあやつるので精一杯だからでもある。
アリスは、圧倒的な戦力差で勝つてもつまらないので、
つねに相手よりすこし上の力でたたかう。
ゲームをあそぶ要領で世界に接し、どんな場合でも本気になれない、
現代の若者の感性が絵にあらわれている。
なんて、こじつけか。
なぜ、こんなにサンシロウさんの作風に心をうばわれるのかと、
埒もないことを、あれこれかんがえてしまう。
もし『サンシロウ画集』が出版されたら、一万円でも買いたいくらい好きです。
http://r0411sit07e2.blog75.fc2.com/blog-entry-70.html
女子高生の制服姿で登場した、風雨をあやつる巫女・東風谷早苗。
どこからが水たまりで、どこからが空なのか、
雨なのか、晴れなのかさえ判別できない、幻想の風景。
例により、傘の柄の様にほそい足に目は釘づけだが、
反転する両足の先がぼやけていることに、歯がゆい思いをする。
寸止めのエロス。
鏡の国の美少女たち。
秘密をときあかそうと、設定資料集の『東方求聞史紀』まで購入したが、
謎は謎をよぶばかりで、ボクは途方にくれる。
さて、話はとびます。
ある日ボクは、素敵なネコさまと、名もしらぬ音楽を紹介してくれるブログ、
『quand les chats ne sont pas là, la souris danse』を読んでいた。
あれ、めづらしく管理人の37kwさんが、
ボクでも聞きおぼえのあるアーティストの音楽をとりあげてるぞ。
「I am Robot and Proud」
サンシロウさんが、記事のタイトルにつかつてた言葉だ!
そして「I am Robot and Proud」とは、エレクトロニカ系の音楽をつくる、
トロントで活動する中国系カナダ人の名義だとわかつた。
早速ボクは「Amazon.co.jp」でCDを注文する。
そして、いくつかの謎を解明した。
http://r0411sit07e2.blog75.fc2.com/blog-entry-79.html
万物の境界をほしいままにする能力をもつ妖怪、八雲紫。
しなやかな肢体にみとれるのは我慢して、
絵師さんがそえた附言に注目したい。
「今年は…エレクトロニカな音楽が合う絵を描きたいです。」
絵も音楽もつくれない愚鈍なボクは、言われてはじめて気づいたが、
実はサンシロウさんの絵では、電子音楽が鳴りひびいていた。
音楽は可視化できる。
すくなくとも、言語化するより手際よく。
たとえばこんな風に。
紫色の背景は、まさに音量メーターだ。
そして絵画には、音色も旋律も律動も和声もある。
ゲーム音楽から「東方」の世界にはいつたサンシロウさんの、
尖鋭で格調たかい感性は、おそらく音楽がささえている。
知らぬうちにボクは、目でエレクトロニカをきいていた。
出歩きながら、I am Robot and Proudの音をきくと、
おもいのほか東京の風景にもなじむ。
だれでも耳をすませば、すべての通行人の死角にあるスピーカーから、
軽妙なエレクトロニカがながれることに気づく。
音楽という不思議の国に、ボクたちは住んでいるから。
サンシロウさんは御身内の事情で、しばらく創作活動をやすまれるそうだが、
その胸のうちで音楽は鳴りやまないはずだし、
またなんらかの形で、うつくしい絵を拝見できるとボクは信じている。
以上の記事を書くにあたり、管理人はサンシロウさんの許可をえています。
掲載した画像の使用については、良識にもとづき判断してください。
また勝手ながら、上記のサンシロウさんと37kwさんのブログを、
こちらからリンクさせていただきました。
よろしくお願いいたします。
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テーマ : 自作イラスト(二次創作)
ジャンル : アニメ・コミック
ニルヴァーナ『ライヴ・アット・レディング』
ライヴ・アット・レディング
Live at Reading
ニルヴァーナ(Nirvana)のライブアルバム
録音:レディング・フェスティバル(イギリス) 一九九二年
発行:アメリカ 二〇〇九年
[CDとDVDで鑑賞]
贅をこらした料理が、数時間後に糞尿として排出されるのと逆に、
カート・コベインは、この肥溜めみたいな世界を、
空色に澄んだ瞳でありのまま見つめつつ、
ひたすら生々しく、うつくしい音楽にかえる。
五曲目の「スリヴァー」で、しばらく音程をとれずに苦笑い。
しかしその歌いぶりに、ニルヴァーナの二面性がみえる。
猛獣のうなり声の様な、乞食が不平をもらす様な低音。
絹を引き裂く様な、天使が号令をさけぶ様な高音。
それを縫いあわせながら、旋律がかなでられる。
いわずとしれた出世作の「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」では、
パクリだと批判された、ボストンの「モア・ザン・ア・フィーリング」のリフをひく。
にやつきながら。
ひねくれ者にもほどがある。
仕切り直してからも、わざとメチャクチャにひくので、
盟友クリス・ノヴォセリックでさえ困惑顔だ。
それでも、ドラムセットをこなごなに砕くほど、
デイヴ・グロールの剛腕がうなると、
カートの魂も点火され、ようやく曲がうごきだす。
天才が書いた代表曲なのだから、ひろく愛されて当然なのだが、
称賛をあびることさえ、カートにとつては不満の種だつた。
ならば、彼の望みはなんだつたのか?
いまではよくわからない。
Maybe, it's just a denial.
ひき語り風にはじまる「リチウム」で、五万人が大合唱する。
病的に内気だつたカートは、絶対に派手なソロなどひかないので、
腕前を過小評価されるのはしかたないが、死後十五年たつ今日ならそろそろ、
ジミ・ヘンドリックスに匹敵する左ききのギタリストだと認められてよい。
MCなどたまにクリスがつぶやくくらいで、演出はほぼ皆無、
楽器はギター、ベース、ドラムの三つだけ。
それでもカートのギターはフェスティバル会場をみたし、
あらゆる観客の正気をぬぐいさるほど煽動する。
「オール・アポロジーズ」に入るときに聴衆によびかけ、
十二日前に出産した妻コートニーに対し、
「愛してるよ」と言つてくれないかとお願いする。
妊娠中にヘロインを使用したなどと報道され(彼女ならやりかねないが)、
傷ついた妻を彼なりに気づかう姿がいじましい。
「Courtney, we love you !」の声に、めづらしく顔をクシャクシャにしてわらう。
つい耳をつんざくノイズに圧倒されるが、歌詞カード片手にきくと、
ニルヴァーナの曲は、わりと平穏なラブソングがおほいことに気づく。
In the sun
In the sun I feel as one
In the sun
In the sun
I'm married
Buried
太陽のもと
オレたちはひとつになる
太陽のもと
オレたちは結婚する
埋葬される
「オール・アポロジーズ(All Apologies)」
(訳は引用者による)
いや、やはりラブソングではないか。
全曲の演奏がおわり、セットの破壊がはじまる。
アンコールというお約束を嫌うゆえの習慣らしい。
お約束をやぶる行為自体が、お約束になつている気もするが、
おかまいなしに乱暴狼藉をはたらく。
もともとセットなどアンプくらいしかないが、
その残骸にうづまり、うろおぼえのアメリカ国歌を独奏する。
血だらけのギターで。
普通に解釈すれば、同郷の大先輩ジミ・ヘンドリックスにささげるオマージュだが、
行きあたりばつたりにしか見えないのが、ニルヴァーナであり、カート・コベインだ。
全二十五曲、九十七分にわたり、カートの演奏は鬼気せまる。
暗闇のなか、崖つぷちにむかいアクセルをふみこむ様な。
なのに、その瞳は少年みたいに純真で、退屈している。
オレはここにいるぜ、とカートがよびかける。
で、アンタはどうなんだ?
オレは偉大な三枚のアルバムをつくり、ロックの歴史をかえた(もしくは終らせた)。
世界各地で、会場の屋根が吹きとぶくらいのライブをした。
たしかに、夫や父としては褒められたものぢやないが、
すこしは財産をのこしたし、それすらできない男がほとんどなのだから、
最悪つてほどではないだろう?
で、アンタはどうなんだ?
最悪だよ、カート。
アンタが死んでから、世界は年々ひどくなるばかりだ。
オレも肥溜めのなかでくすぶつている。
悪臭漂うぬるま湯につかるうち、気づいたらアンタより年老いた。
水たまりに捨てられた吸殻みたいに、炎も消えかけてる。
でも、もうすこし待つてくれ。
オレはアンタみたいな天才ぢやないんだ。
せめてあと二三年。
どうにもならなければ、オレもそつちにゆくよ。
いや、真似して散弾銃で頭をふきとばすつもりはないぜ。
ウチにそんな物騒なものはないからね。
アンタは才能はあつても弱い男だし、お手本にはならない。
でも、生きるか死ぬかの覚悟で音楽をやつていたのは事実だ。
ひさしぶりにアンタとむきあつて、痛感したよ。
このまま終つてたまるかつてね。
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