隼人加織『スピード・オブ・サウンド』

画像はアルバム『Lindas』(平成二十一年)のブックレットから

 

スピード・オブ・サウンド

Speed of Sound

 

hayato kaori(隼人加織名義)のアルバム『pluma』収録曲

 

作詞・作曲:マーティン バックランド ベリーマン チャンピオン

制作:ビクターエンタテインメント 平成二十年

[コールドプレイの楽曲のカバー]

 

 

 

十月二十四日、土曜日。

ボクはふたりの女のあいだで引き裂かれた。

かたや西が丘のフィールドを駆ける、閃光の天使・岩渕真奈

もうひとりは、ブラジル人の母と日本人の父をもつ歌手「hayato kaori」。

タワーレコード新宿店でのイベントの参加券を入手していた。

女に天秤にかけられ、ゴミみたいに捨てられた経験は数あるが、

自分が女を比較衡量したことなどないから、頭をかかえた。

結局、はらわたが千切れる思いのまま、凍空のサッカー場にむかう。

しかし寒風ふきすさぶスタンドで、風邪がぶりかえし昏倒しかけ、

ブログ仲間のmiriさんを呆れさせる、みつともない結末となつた。

なぜ人は、体をひとつしか持てないのだろう?

 

 

 

 

 

海鳴りの様にどこか不穏なベース音を越えて、

ピアノが、葉脈をつたう朝露とおなじくらい繊細にきらめく。

さりげなく歌いだすカナリアの声は、ピアノよりも澄んでいる。

かすかに嫋やかさを匂わせながら。

速歩をはじめたベースによりそい、アクースティックギターもさざめく。

鍵盤の上の両手は、競いあう様にはげしくステップをふみ、

聞くものは否応なく、地球の真裏のカーニバルにいざなわれる。

水平線のかなたに飛ぶカナリアを追つて。

 

鳥は音速でとぶ

その幕開けをしらせるため

鳥は地底からきた

みれば信じられたろうに

 

And birds go flying at the speed of sound

To show you how it all began

Birds came flying from the underground

If you could see it then you'd understand

 

(訳は引用者による)

 

圧倒的なスピードで、地平線が水平線にとつてかわる。

一変する風景は、暴力的なまでにうつくしい。

 

 

 

よくしらないが、コールドプレイはイギリスを代表するバンドのひとつで、

『スピード・オブ・サウンド』も、かれらの代表曲のひとつらしい。

そんな名作を、富山うまれの当時二十三歳の女が、

独自の解釈で歌いこなすのが、摩訶不思議な現象におもえる。

特にサンバのリズムの陶酔は、原曲にもとめえない美点だ。

ひとつの体で、東京とロンドンとリオデジャネイロをつなぐ。

歌手ほど神秘的な生業はない。

 






プルーマプルーマ
(2008/03/26)
隼人加織

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今回が、ことし最後のエントリになるはずです。

内向的な人間が、内向きにつづるブログとはいえ、

平成二十一年はすこし円の半径がのびたかな。

miriさんをはじめとする、えがたい読者のみなさまに、

うつくしい歌声と、この拙文をささげます。


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『レイトン教授と永遠の歌姫』

 

レイトン教授と永遠の歌姫

 

出演:大泉洋 堀北真希 水樹奈々

監督:橋本昌和

制作:日本 平成二十一年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

「やつと着きましたよレイトン先生! ここが日本の首都、東京かあ~」

「ロンドンと変わらない寒さだね、ルーク。

まあ、異国でむかえるクリスマスというのも悪くない」

「でも一体なぜ、わざわざ日本に来たんですか?

もしや、ものすごいお宝が眠つているとか?」

「いや、わたしの著書の読者で、ケンという日本人がいるのだが、

なにやらいくつかのナゾが解けないで困つているそうだから、

物見遊山がてら、助けに来たというわけさ」

「さすが先生、やさしいですね!」

「当然さ、英国紳士としてはね」

 

 

 

 

 

ナゾ001:「なぜルーク少年はあんなにカワイイのか?」

 

うわあ! なんですか先生、このナゾは!?

未来の英国紳士であるボクに対し、こんなことを考えるなんて、

日本人というのは失礼な人が多いんですね!

この画像は、「ボクはレイトン先生の一番弟子です」と言つたときかな。

先生の決めゼリフ、「それはあなただ」をひとりで真似する様子を、

本人に見られたのも恥づかしかつたな。

たしかにボクは、先生に甘えすぎるところがあるけど、

それは、いつか立派な研究者になるためだし、

なにしろ一番弟子なのだから、おかしくありません!

でももし先生が、ボクのことをカワイイと思つてくれるなら、

嬉しくないこともないかな……いえいえ、ヘンな意味ぢやないですよ!

まつたくもう、こんな国に来なければよかつた……。

 

 

ナゾ解明!:「堀北真希が声をあてているから」

 

おちつきなさい、ルーク。

これは簡単なナゾだつたね。

堀北真希は、自分のなかの少年性をスッとだせる不思議な役者だ。

ちなみに「少年性」と「幼児性」は、ことなる概念だよ。

日本のアニメ声優は、後者の表現が得意だと聞くが、

それだと、名探偵きどりのルークの一途さがつたわらない。

でも堀北のまつすぐな声は、いつ聞いてもすばらしいね。

もつとも、わたしが師弟関係の範疇をこえて、

ルークを過度に寵愛しているという見方があるらしい。

それに、わたしが同性愛に関心をいだいていることも、否定できない。

モチロン、研究対象としての関心だがね。

おやルーク、大丈夫かい?

さつきから随分と顔が赤くなつているよ。

 

 

 

 

 

ナゾ002:「なぜ本作は、音楽をナゾトキに使つたのか?」

 

なんだ、普通の疑問もあるんですね。

これはボクにまかせてください!

それにしても、ジェニスさんの歌声はキレイだつたなあ。

もともと、西浦智仁さんによるタンゴ調のテーマ曲もお気に入りなんです。

ただニンテンドーDSだと、カートリッジの記憶容量に限りがあるし、

音楽を再生するには、本体のスピーカーも物足りないですよね。

一方、映画館の音響は大迫力!

「映画らしいナゾトキ」を提供するために、音楽を主題にしたんぢやないかな?

 

 

ナゾ解明!:「日野社長がゼルダファンだから」

 

さすがは私の一番弟子、説得力のある推理だつたよ。

ただ、連作の生みの親であるレベルファイブ社長・日野晃博氏の、

興味ぶかいインタビュー記事をみつけたので、読んでごらん。

 

『ゼルダ』シリーズは全部好きで、

もちろん『トワイライトプリンセス』もプレイしています。

『ゼルダ』がいいのは、謎が解けなくて、

もうあきらめようかなと思うところで解けちゃうこと。

まさに天才的なバランスだなあと思いますね。

開発にたっぷり手間暇をかけて、

絶品料理のような職人技の塊ですから、

『ゼルダ』には見習うところも多いですね。

 

ニンドリドットコム「日野晃博さんインタビュー」

 

音楽をつかつた仕掛けは、『ゼルダの伝説』の象徴でもある。

ゼルダファンだと公言する日野社長が、それを意識しないはずがない。

だからこの映画は、ゼルダにささげたオマージュだし、

レイトンシリーズ自体も、ゼルダの流儀を彼なりになぞつたものなんだ。

実は、かくいう私がはるばる日本までやつてきたのは、

水曜日に発売された『ゼルダの伝説 大地の汽笛』を手に入れるためさ。

これはケンさんには内緒だよ。

 

 

 

 

 

ナゾ003:「なぜレイトンシリーズは成功したのか?」

 

ウーン、これはむつかしいな!

でも、われらが英国を中心に、ヨーロッパでは日本以上の大当たりですものね。

あくまで個人的な意見ですが、レベルファイブはこの処女作で、

「新しいこと」に挑戦したからぢやないでせうか?

『頭の体操』の多湖輝先生をゲーム製作の現場に引きずり出し、

長野拓造さんによるヨーロッパアニメ風のキャラクターと、

豪華声優陣が出演する、アニメーションを惜しみなくつかつたことで、

携帯ゲーム機の常識を打ち破つた作品だとおもいます。

あ、モチロン、先生御自身の魅力が最大の要因なのはまちがいないです。

なんて言つちやつたりして、エヘヘ……。

 

 

ナゾ解明!:「偶然としか言い様がない」

 

おやおやルーク、キツネにつままれた様な顔をしているね。

曖昧模糊とした現象にかくれる、因果関係をみつけるのが私の仕事だが、

しかし、この世の出来事のほぼすべてが、偶然の産物なのだよ。

第一、多湖先生や声優の名前は、ヨーロッパでは通用しないぢやないか。

たしかに、大泉洋と堀北真希の配役は見事というほかない。

でも本作の、アニメより実物の方が十億倍カワイイのが悲しい相武紗季や、

シャアみたいな假面が失笑をよぶ渡部篤郎をみれば、

テレビの人気者を連れて来ればうまくゆくのではないことも、明白だ。

つまり、すべては偶然なのさ。

「新しいこと」に挑戦すれば、その分だけリスクは高まる。

どうせ失敗するなら、自分の好きなもの、たとえばアイドルや巨大メカとかを、

この真新しい器に、こぼれ落ちるくらい盛りつけてしまえ!

そんな日野社長の開き直りともいえる姿勢が、わたしは尊いとおもうね。

発売後の成功なんて、オマケみたいなものだ。

そして大ヒットの理由は、結局ナゾのまま。

どうだい、ルーク。

なぜ私のもとに依頼が引きも切らないのか、わかつただろう?


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タグ: ゼルダの伝説 

さよなら、ブリタニー

 

 

 

一月二十四日に、ブリタニー・マーフィ主演作品『ラーメンガール』をみて、

ボクの平成二十一年ははじまつた。

太平洋のかなたのあこがれの女優が、新宿のきたないラーメン屋で、

西田敏行にシゴかれる姿に目をうたがつた。

なんの天変地異の前ぶれかと、おそれおののいた。

そして年の瀬をむかえ、にゃもさんのブログ『Heart Attack』をのぞいたら、

「女優ブリタニー・マーフィさん亡くなる 32歳」という見出しがあつた。

にゃもさんが、ブリトニー・スピアーズの名をタイプミスしたなら良いのにと、

不謹慎な反応が、やにわに脳裏をよこぎる。

数秒後、ボクは現実をうけいれた。

ブリタニーは十二月二十日、心不全で命をおとした。

 

 

 

ボクがもつている数少ないDVDである、

『8 Mile』(カーティス・ハンソン監督/アメリカ・ドイツ/二〇〇二年)をみた。

つぶらな瞳のしたに隈をつくり、やさぐれて不健康なブリタニーがそこにいた。

うつくしかつた。

 

 

昼休み中の自動車工場の重機のかげで、愛しあう。

右の手のひらを、唾液で入念にぬらすブリタニー。

男のそれを湿らすために。

一秒でもはやく、うけいれたい。

せつかちすぎる愛。

でもこの一瞬をのがせば、つぎの機会はいつかわからない。

事実ふたりが体を重ねたのは、このときだけ。

 

 

はげしく動き、果てた男を、小馬鹿にする様にわらう。

その滑稽な一部始終がおかしくて。

でも、なんだかいとおしくて。

 

 

 

じり貧の田舎町から抜け出したい、ただその一念で、

ブリタニーがほかの男と寝たせいで、ふたりの関係はおわる。

あつけなく。

 

 

実質上の、別れの場面。

手のひらとニット帽ごしに、キスをおくる。

あのときみたいに、右手を口につけて。

たしかにそれは儚い出来事で、おたがいの顔も名前も、すぐに忘れるかもしれない。

でもわたしは、すくなくともあの瞬間は、本気だつた。

だれがなんと言おうと。

 

 

数時間後、MCバトルの大会で優勝した恋人は、群衆のなかにブリタニーをさがす。

そしてふたりは、出会つたときと同じ様に、挨拶がわりに中指をたてる。

涙なんて、わたしたちに似合わない。

 

 

 

さよなら、ブリタニー。

この時代にしか存在し得なかつた個性。

ボクが映画を見つづけるかぎり、キミのことは忘れない。


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ジェイムズ・ラヴロック『ガイアの復讐』

 

ガイアの復讐

The Revenge of Gaia

 

著者:ジェイムズ・ラヴロック (James Lovelock)

訳者:竹村健一

発行:中央公論新社 二〇〇六年

原書発行:イギリス 二〇〇六年

 

 

 

著者が八十七歳のときに出た本だが、このジイサマ、

老いてなお血気にはやり、人をたじろがせる迫力がある。

殺気だつている。

 

政治家たちが、対処しているというアピールをしきりにしながら、

その実時間稼ぎをしているところなど、

京都議定書は不思議なほどミュンヘン協定に似ている。

(中略)

戦闘はまもなく開始されるだろうが、われわれが今直面している状況は、

いかなる電撃戦よりもはるかに破壊的だ。

環境を変えることで、人間は知らず識らずのうちに

ガイアに宣戦布告していたのだ。

 

「ガイア」とは、大地の女神にちなんで名づけられた理論で、

そこでは、生物と物質的環境をひとつの存在とみなし、

地球というニッチ自体が進化する様相を、記述し分析する。

しかし、地球は母なる女神だが、アドルフ・ヒトラーでもある。

この振れ幅が壮絶だ。

四十年ちかい論戦の日々をくぐり抜けたラヴロックは、

キマジメな環境保護主義者と袂をわかつ。

汚染のないエネルギー源として原子力を支持したり、

都市の照明のため、農村に風車をたてる利己主義を批判したり。

口先だけでなく、発電所から出る放射性廃棄物の一年分を、

自宅の庭で保管すると申し出たそうだ。

放射性元素が崩壊する際の熱を、暖房につかうのだとか。

 

 

 

ラヴロックの予測は過激で、二酸化炭素の濃度が500ppmをこえ、

気温が6度から8度上昇し、あらたな安定状態になる将来を想定する。

ガイアは暑がりなので、惑星の生命の分布は一変し、

陸も海も、高緯度以外は不毛な沙漠と化す。

その時期は百年後かもしれないし、数年後かもしれない。

カナダの軍事アナリストのグウィン・ダイヤーは、

ラヴロックの書いたシナリオがあまりに大袈裟なので、

気象学者に話を聞くたび、「あれはやりすぎですか」と水をむけたが、

専門家たちは存外なほど、ラヴロックの予想を真剣にうけとめていた。

ジェイ・ガリッジはこう語る。

 

ラヴロックのシナリオに、論理的におかしな点は少しもない……

彼が描くようなシナリオは、しばしば門前払いを受けるけれど、

それは人心を惑わすようなところがあるからだ……

さはさりながら、今後何が起きるかは分からないし、

彼が言っていることだって起こり得ないわけではない。

 

グウィン・ダイヤー『地球温暖化戦争』(新潮社)

 

ガイアの自己調整のしくみは、精妙で複雑怪奇だ。

ラヴロックの解釈によると、動物が尿素を排泄するため、

貴重な水分とエネルギーを消費するのは、

もし窒素を呼吸で吐きだしたら、植物が減少し飢餓をまねくから。

ボクたちは「利他的」に進化する。

ウーン、毎日トイレにゆくのに、想像だにしなかつた言い草だ。

近代物理学の基礎をきづいたマックスウェルは、

ワットの回転球の調速機をみた数日後に、

「すばらしい発明だが、わたしには解析できない」といつた。

部分だけみても全体を理解できないという意味で、

ガイアのしくみは、蒸気機関や量子物理学や自転車の乗りかたに似る。

それでも、破局は訪れないかもしれない。

ガイアに関し、確実な予測など存在しないから。

でもボクたちが、夏も冬も、昼も夜も、彼女の怒りを肌で感じるのも事実だ。

 

 

 

最終章で、著者はまた戦争を比喩にもちいる。

いわく、人間界はナポレオンの一八一二年ロシア戦役をなぞつている。

遠征はすでに限界をこえ、補給品は日ごとに消耗する。

 

彼は冬将軍率いる圧倒的な軍勢がロシアに味方していることを知らず、

反撃され、失地回復されるがままになっていった。

敗北せずにすむ唯一の方法は、

再度の交戦に備えてダメージを最小限に抑えるために、

職業軍人らしく即時退却を実行することだった。

軍人の世界における指揮能力の質は、任務を最後まで遂行できるか、

そして退却を成功させることができるかで決まる。

 

ラヴロックが説くのは、「持続可能な成長」ではなく、「持続可能な撤退」。

文明を損なわずに生きのびるために、ガイアと早急に平和条約をむすぼう。

それには、交渉を有利に運ぶだけの力を残さないといけない。

絶滅しかけ、衰弱した群れでは何もできない。

しかし、ナポレオンすらできなかつた困難な撤退戦を、

指揮官不在の人類がどう遂行すればよいのか?

勿論、参謀であるラヴロックは作戦計画をたてている。

イギリスの国土を三分割し、ひとつを都市、産業、港、空港、道路にあてる。

もうひとつは集約農業に。

のこりはすべてガイアにささげ、干渉も管理もせず、展開するままに任せる。

無理だろう。

それが正しいとわかつていても。

だが、さすがはダーウィンやフロイトに比肩すると評される大学者、

さらに十手先までかんがえる。

「大変動」を生きのびた小数の人間が、崩壊した文明を再建するために、

火の起こしかたから、天体の動きまでおしえる、

わかりやすいマニュアルを書くべきと、ジイサマは真顔で力説する。

なるほど、たしかに役立ちそうな本だな。

運が悪ければ、ボクたちの社会は来年にも消滅するかもしれない。

でも、それを憂えている場合ではないのだ。





ガイアの復讐ガイアの復讐
(2006/10)
ジェームズ ラブロック秋元 勇巳

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テーマ : 環境・資源・エネルギー
ジャンル : 政治・経済

胸に星空をいだく女 ― 『ジュリー&ジュリア』

 

ジュリー&ジュリア

Julie & Julia

 

出演:メリル・ストリープ エイミー・アダムズ スタンリー・トゥッチ

監督:ノーラ・エフロン

制作:アメリカ 二〇〇九年

[新宿武蔵野館で鑑賞]

 

 

 

高名な料理研究家ジュリア・チャイルドにあこがれ、

一九六一年にでた著書の全レシピを再現するブログをはじめた、

二十九歳の公務員ジュリー・パウエルの実体験にもとづく作品。

そこに年代をこえて、外交官の妻だつたジュリアが、

戦後のパリで本式の料理をまなぶ過程が重ねあわされ、

とにかく全編食い物ばかり!

食い意地のはつたオバチャンが会場を埋めつくし、

毎日ひもじい食生活にたえるボクは、肩身がせまかつた。

なにせ、「男子厨房にはいらず」の教えを忠実にまもり、

たまに松屋で「牛焼肉定食(630円)」などを注文すると、

贅沢しすぎた、と悲しい気分になる男なのでね。

 

 

料理はうつくしくない。

映画研究者の丹野達弥は、伊丹十三の『タンポポ』を評して、

「喰い物が主題ってのはどうも絵にするとバッチイ印象になる」といつた。

映画を見ているとき、ヒトは目と耳に依存するが、

そこに舌と鼻にむすびつく「食べ物」が挟み込まれると、

大脳の感覚野は撹乱され、悪印象だけがのこる。

ちがうというヒトは、残念ながら映画をみる目がないのでは。

 

 

 

ではなぜ、栄養失調ぎみの管理人が本作を見たかというと、

エイミー・アダムズが大好きだからです。

団子より花なんす。

 

―ジュリーと共感するとことはありましたか?

 

たくさんあったわ。

9.11後の社会で30歳になろうとしている彼女は、生き方に迷っている。

分岐点に立って決断を下そうとしているの。

それは私も経験してきたことよ。

そういったことを率直に描いた映画というのは滅多にないと思う。

 

プログラムのエイミー・アダムズへのインタビューから引用

取材・文:細谷美香

 

エイミー姫がタネをあかす通り、戦争と政治がこの映画の隠し味だ。

料理研究家ジュリア・チャイルドは、ながく政府機関ではたらいた人だし、

外交官の夫は、戦時はCIAの前身である戦略諜報局(OSS)に属していた。

「赤狩り」でしられるジョゼフ・マッカーシー上院議員をめぐり、

食事中だというのに、ケンカ腰で議論する場面まである。

ノーラ・エフロン監督の両親は脚本家だつたそうで、

おそらく、ハリウッドを標的にした赤狩りの恐怖は、

幼かつた彼女の記憶に焼きついた、家族の食卓の光景のひとつなのだ。

そして、どれだけ通俗的な作品にかまけても、

政治との接点は失わないという伝統が守られたから、

当節のハリウッド映画はかろうじて現実味を保つている。

 

 

 

いやいや、年の暮れも無粋な話でスミマセン。

世界のどこでも、食べているときに政治と宗教の話は御法度。

一杯のビールで上機嫌になり、政局を語りだした父に対し、

母が眉をひそめるなんてのは、ウチの家族だけではないはずだ。

天下国家を憂うより、目の前の料理をホメなさいよ!

そんなこんなでボクは、ますますエイミー姫が好きになる。

いたましいテロ事件を念頭において演じながらも、

深刻さは感じさせず、みじかくした髪型はまるで十五歳の少年みたい。

不器用なシェフの悪戦苦闘ぶりが、観客をわらわせる。

政治の世界と同様に、料理の世界もキレイゴトではないけれど、

彼女の芝居はすこしも下品にならない。

その高貴さよ。

 

 

屋上に友人をまねいたディナーの場面。

 

あの夜はスタッフ全員の間にとても穏やかで幸せな雰囲気が漂っていた。

あまりにも美しく、魔法のような時間だったから、

心の中で何枚も写真を撮ったわ。

みんなが屋上に揃い、ひとつの共同体なんだという想いを強くした。

そこがニューヨークの晩春の素敵なところね。

 

同記事から引用

 

出演作を宣伝する口上が、キラキラかがやく一篇の詩になる。

ボクも負けじと、胸の奥のメモリーカードの容量が不足するくらい、

エイミーのサファイアの瞳を記録した。


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テーマ : 映画感想
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外交官ベラスケス

 

ディエゴ・ベラスケス『白衣の王女マルガリータ・テレサ』

(一六五六年ごろ/油彩、カンヴァス)

 

まだ五歳のスペイン王女。

テーブルみたいな衣装は、グアルダインファンテと呼ばれるもので、

乳臭をのこす体に、性的な気配をそえる。

なにしろこの絵画は、彼女が嫁ぐことになつている、

神聖ローマ皇帝レオポルト一世のいるウィーンに送るための、

いわば一種の「見合い写真」なのだ。

背後の赤いカーテンと響きあう、胸もとのバラ飾りは、

イーゼルに向かい健気におすましする、

ちよつと退屈げな面持ちに視線をあつめる。

黄金色の巻き毛にかざられた、利発そうな瞳。

宮廷画家をつとめるベラスケスによる、三点の彼女の肖像画は、

数年にわたりハプスブルク家にとどけられ、

はれて十五歳となつた王女は、無事に輿入れした。

この絵のマルガリータは、顔の向き以外ほぼ同じ姿で、

かの有名な『ラス・メニーナス(女官たち)』に、画家とともに登場する。

ヨーロッパ絵画の代表作として、多士済々の学者や評論家が、

饒舌に深読みをするのにウンザリするが(リンク:悪い例)、

あれなんて、本業の手をやすめた画家が使い回しをした、

オアソビの小品にすぎない、なんて言つたら怒られるかな?

 

 

 

諸国の文化や精神に通じ、自国の評判をたからしめる術をしる。

すぐれた藝術家は、外交官としての適性をもつ。

二十四歳でマドリードの宮廷に参上したベラスケスは、

長年の宮仕えを耐えしのび、王室の家政管理にまつわる、

重要な役割をまかされるまでに出世する。

雇い主の顔を描くだけの仕事ではない。

二度イタリアをおとづれたときは、新旧の美術作品を購入したり、

教皇インノケンティウス十世の肖像を描いたりした。

宗教戦争で痛手をこうむつた同輩である、

スペインと教皇庁の関係をつよめる意味もあつたのかな。

上の絵は、国立新美術館の「THE ハプスブルク」展でみたが、

なぜあの家系がいまだに敬愛されるのか、すこしわかつた。

戦争ではなく、婚姻によつて帝国の所領をひろげ、維持する。

その華やかさと平安さが尊いのだ。

たしかに、度重なる血族結婚による遺伝的障害は無視できないが、

戦車と空母の数で、世界の秩序をまもろうと無益な努力をする、

現代の某帝国が、消滅の二百年後に尊敬を集めるなどありえない。

 

 

 

 

ディエゴ・ベラスケス『王太子フェリペ・プロスペロ』

(一六五九年ごろ/油彩、カンヴァス)

 

マルガリータ王女の弟君で、このとき二歳。

姉の肖像と対をなす様な作品だが、印象はかなり異なる。

椅子にかかるカーテンの赤味はくすみ、

バラ飾りのかわりに垂れさがる護符は、はかなさを強調する。

スカートのまわりの小さな鈴は、チリンチリンと鳴る音で、

王子の所在を近侍におしえるためのもの。

過剰なまでに、王位継承者の安全に気をはらつていた。

しかし病弱の王子は、二年後に癲癇の発作で夭折する。

この絵がのちの不幸を予言しているなんて言うと、

宮廷に生きたベラスケスに対しあまりに失礼だが、

肖像画家として有能かつ誠実すぎるがゆえに、

画材にかかわる運命までカンヴァスに留めたことは、否定できない。

遠からずしてスペイン・ハプスブルク家は断絶、

継承戦争をへて、フランス系のブルボン家に取つて代わられる。

ただその時すでに、侍従長ベラスケスは世を去つていた。


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テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

ジョン・グレイ『わらの犬』

 

わらの犬 地球に君臨する人間

Straw Dogs; Thoughts on Human and Other Animals

 

著者:ジョン・グレイ (John Gray)

訳者:池央耿

発行:みすず書房 二〇〇九年

原書発行:イギリス 二〇〇二年

 

 

 

哲学者は、イイカゲンなデマカセばかり言う。

イイカゲンなデマカセに、目くじらを立ててはいけない。

ゆえに哲学者の言うことに、目くじらを立ててはいけない。

これが、彼らが真実をかたるための戦術だ。

 

今この時点で主流を占める世界観は、

最新の科学を権威と仰ぐ正統派的信念と、

楽天を装った非現実的な希望の抱き合わせである。

 

ダーウィンは人間が動物であると證したのに、

世のヒューマニストは、人間はほかの生き物とことなり、

自由意思にもとづき、種の未来をきりひらけると信じる。

しかし、ヒトだけが自由意思をもつと根拠づける、正統的科学研究はない。

つまり、ヒューマニズムは宗教だ。

一方で科学は、人類の進歩に貢献しない。

科学者の職務はそんな空念仏を目的にふくめないし、

歴史的に科学は、逆の方向に作用してきた。

要するに、この世の誰もがまちがつていて、

ほんの数名の哲学者と、その同調者だけが正しい。

そんな本です。

 

 

 

現在、権威をほこる唯一の存在である科学は、異端を封じる力をもつ。

医学界がフロイトを、進化論者がラヴロックをはげしく敵視した様に。

科学は、あらゆる事象において明快な記述をさけ、

当代の正統から逸脱した思想家を排斥しながら、

うすつぺらな世界像を、俗受けする幻影のまま温存する。

だからこそ、科学は人気がある。

たとえばガリレオは、自身を教会の敵としてではなく、

神学擁護の立場をもつて任じていた。

話術のたくみな彼は、その学問をラテン語ではなく、

イタリア語でしるすことで論敵を圧倒しただけだ。

ニュートンはみづからの理論が、神のさだめた秩序にしたがうと考えた。

科学に、「科学的方法」など存在しない。

科学哲学者カール・ポパーは、理論は反論されることで科学的になるという、

「反證主義」を説いたが、もしそれが科学研究の現場に適用されたら、

ダーウィンの進化論も、アインシュタインの相対性理論も、闇に葬られていた。

どちらも、證拠がそろい絶対の支持を得たのは、かなり後だから。

それでも科学技術は、人類の苦しみをいやすかもしれない。

しかし、ユダヤ人虐殺というヨーロッパの古い伝統は、

鉄道と電信と毒ガスなどの新技術により、ホロコーストとよばれる形式に進化した。

 

 

 

「人間は自由意志をもつ」というヒューマニズムの大前提は、

科学ではなく、キリスト教の因習に由来する。

ダーウィンの進化論、ヒンズー教のインド、道教の支那、

または精霊崇拝のアフリカで、そんな与太話は問題にならない。

未来は過去とさして変わらない。

歴史は果てしない循環であつて、そこに一貫した意味はない。

これを異教の考えとして、キリスト教社会は忌み嫌つた。

 

現代人の多くは、自身、運命を支配することのできる

種の一員であると考えている。

これは信仰である。科学ではない。

クジラやゴリラが自分たちの運命を支配する時代を

想定するなどは論外だろう。

それを言うなら、人間にしたところで同じではないか。

 

ヒューマニズム批判の先覚であるショーペンハウアーの哲学は、

体験とは、自由な選択の結果によるのではなく、

恐怖や飢えなど、肉体的な衝動がもたらすものとした。

そしてその筆頭に、性欲をあげる。

欲情は、人間のほぼあらゆる努力がむかう終着点であるが、

個人の福祉や自律にはなんら関わりをもたない。

そんな自身の姿をみれば、人間が自由行為者でないことは歴然だ。

 

 

 

人間社会、政治、科学、道徳は進歩しない。

かつて地球に生きていた人間のほとんどは、

自分たちで世界を改造しようなどと、夢にもおもわないが、

それでいて大多数がしあわせな生活をおくつた。

人生の目的は、世界を変えることでなく、正しく見ることだから。

ラヴロックのガイア説によると、人間は粘菌と同等の存在であり、

地球の平穏をみだせば、絶滅という罰をあたえられる。

世界は人類を必要としない。

古代の支那で、祭祀の捧げものにされたわらの犬の様に、

用がすめば人間も踏みつけにされ、惜しみなく捨てられる。

それを認める勇気をもてば、ボクたちの視界はもつと明瞭になるだろう。





わらの犬――地球に君臨する人間わらの犬――地球に君臨する人間
(2009/10/23)
ジョン・グレイ

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テーマ : 哲学/倫理学
ジャンル : 学問・文化・芸術

『パブリック・エネミーズ』

 

パブリック・エネミーズ

Public Enemies

 

出演:ジョニー・デップ クリスチャン・ベイル マリオン・コティヤール

監督:マイケル・マン

制作:アメリカ 二〇〇九年

[新宿ピカデリーで鑑賞]

 

 

 

Michael Mann, he is the man.

男が男らしく生き、そして死んでゆく。

当世にあつては、冗談としかおもえぬ映画ばかりつくる人。

『パブリック・エネミーズ』は、大恐慌下のアメリカであばれた、

伝説的な銀行強盗に題材をえた作品だが、

筋だては至極単純で、空疎といつてもよい。

銀行をおそい、逃走し、追いつめられ、射殺される。

ただそれだけ。

みづから望んで身命を賭し、たたかう男の姿が残像をむすぶ。

男を描くというより、銃をもつた男を描きたい。

いやむしろ、銃そのものを描くのが本懐か。

トンプソン短機関銃の角ばつた無骨な外形が、

「HDCAM-SR F23」や「XDCAM EX」といつた、

ソニーの最新型のHDカメラで録画される。

 

 

男が素頭で街をあるくなど考えられない時代なので、

マイケル・マンは帽子にもこだわる。

脱獄をはかる真つ最中のジョニー・デップが、

他人の帽子を拝借し、ツバを手でなぞる仕草が色つぽい。

 

 

 

 

 

シャッターみたいなつけ睫毛が、視界の上半分を閉ざしていそうな、

銀行強盗の恋人役のマリオン・コティヤール。

出会いの場であるクラブでながれる「バイバイ・ブラックバード」を、

ふたりをつなぐ紐帯として、主旋律と響かせる筋書きはあざやかだし、

幕切れで、コティヤールが頬をマスカラでよごしながら、

見開いた目からこぼす涙もうつくしかつた。

でも、ロマンチックではない。

かのギャングが撃たれたとき、恋人は刑務所で苦労していたのに、

元凶であるはずの彼は売春婦と一緒だつた。

「花より短機関銃」なマン監督は、色恋沙汰は一筆書きですませ、

一九三〇年代の車、汽車、飛行機に執着する。

 

 

シカゴ駅に、当時の蒸気機関車をはこびこみ撮影したんだと。

マイケル・マンは現場で、ベッドシーンの百倍興奮しただろう。

 

 

 

凝り性の作家が、趣味嗜好をむきだしにする映画なので、

銀行をおそう一部始終も、手に汗をにぎらせるほどではない。

あまりに糞リアリズムで、いたましい。

どれだけ大胆不敵な悪党でも、資金と人材に関して、

連邦政府と量的に張り合えるはずがなく、

鹿狩りの標的の様に、ひとりひとり仲間がたおされてゆく。

背後からデップをおそつた銃弾は、

頭部を貫通し、エラのはつた頬から射出する。

黒々とした傷が、端正な顔にきざまれる。

あれほど生々しい銃創はみたことがない。

 

 

粗暴なギャングを演じた、マイケル・ヴィオー(Michael Vieau)。

甲高い声でわめきながら、壁と天井と人体に穴をあける。

潜伏先ではFBIの襲撃をかわし、真夜中の森を一心不乱ににげる。

それでも包囲され、数十発の弾丸を身にうけるが、

引き金から決して指をはなさず、体内にある弾よりおほく撃ちかえした。

ついに力つき、草の上にころがる短機関銃。

夜露にぬれたドラム弾倉から湯気がたちのぼる。

持ち主の心臓がとまつても、銃には素手でさわれぬほどの熱がのこる。


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

雪の妖精 ― 鈴木あみ「white key」

 

white key

 

鈴木亜美(鈴木あみ名義)のシングル曲

 

作詞:MARC 小室哲哉

作曲:久保こーじ 小室哲哉

制作:TRUE KiSS DiSC 平成十年

 

 

 

「white key」をきくと、むかしバイト先で一緒だつた娘をおもいだす。

名前は失念したが。

ちいさな顔からこぼれ落ちそうな、つぶらな瞳。

手足は細くしなやかで、ながい飴色の髪も奇麗だつた。

持田香織をもつと女の子らしくした感じで、

Every Little Thingの曲をうたわせると本人より絵になる。

たしか教育学部にかよつていて、

子ども好きで優しそうな風情に、男心がくすぐられた。

同僚の男は、みな虜になつた。

飲み会があつたその日、カノジョはよほどのお気に入りなのか、

丈のみじかい、真つ白なニット地のワンピースを着てきた。

細身のシルエットがくつきりと浮かび、目のやり場にこまるけれど、

まるで雪の妖精みたいで、ボクはジョッキをもつたまま見とれた。

そして何次会だつたか忘れたが、最終電車がどこかに消えたころ、

紅一点のカノジョは男三人とカラオケボックスにいた。

美女はシンデレラより三時間はやく帰宅すべし、という法があるのに。

ボクは幸運に感謝する一方で、おどろいた。

カノジョ、心底からカラオケが好きなのかな。

そこで雪の妖精が、「white key」を歌うのをきいた。

 

 

 

この曲はBメロが最悪だ。

しつとりした歌い出しの余韻をかきけす、キンキン金切り声の八小節。

木に竹をつぐ様な、いかにもTK趣味の転調が聞くにたえない。

作曲者は、久保こーじと小室哲哉と記されているので、

そこから想像をたくましくするなら、弟子が提出した地味な曲をみて、

小室はムリヤリBメロをいれかえ、噛み合わない曲調にしたのだろう。

ただ出来ばえからみれば、ある意味でそれが奏功した。

ゆつくりと螺旋階段をくだる、どこか沈鬱なサビの旋律。

転調のおかげで、童顔の十六歳には不似合いな、

鈴木亜美の湿り気をおびた声質がきわだつ。

十一年まえの曲だが、さすがはTK全盛期の仕事なので、

クールなレゲエ調のリズムトラックはふるびていない。

歌手として過小評価されているあみーごは、

タイム感も抜群で、まるで雪ダルマをつくるみたいに、

裏打ちの拍子にのせて、なめらかに言葉をころがす。

ガラスの靴で背のびする、シンデレラ。

『ASAYAN』のオーディションで有象無象の石くれのなかから、

この声をさぐりあてたのだから、TKの耳は尋常ではない。

 

 

 

寒い夜だつたので、男物のコートを布団がわりにして、

歌いつかれた雪の妖精が、ボクによりかかり昏々とねむる。

カレシと別れたと、悲しくもなさげに打ち明けてくれたのに、

その後もカノジョに言い寄らなかつた、

自分のオクテさ加減には、いまさらながら呆れる。

でも、どこでどうすれば一番よかつたかなんて分らない。

それが分れば、TKは詐欺で有罪にならなかつたし、

あみーごは、事務所と揉めて一時期引退においこまれもしなかつた。

例のいびつなBメロも、挿入すれば曲の魅力が増すだろうと、

TKがどれだけ確信をもつていたか疑問だ。

ただそのときどきで、その人なりに最善をつくすだけ。

後悔しないと言えば嘘になるけれど、

肩にのせられたカノジョの小ぶりな頭からきこえる、

かすかな寝息の音はよくおぼえている。


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テーマ : 音楽
ジャンル : 音楽

小室哲哉『罪と音楽』

 

罪と音楽

 

著者:小室哲哉

発行:幻冬舎 平成二十一年

 

 

 

去年の十一月、詐欺の容疑で逮捕された小室哲哉は、

大阪地方検察庁庁舎で、その細い手首に手錠をかけられた。

 

そのカチンという硬い音は、本当は小さく短かったはずなのに、

部屋の天井や壁に反響して聞こえた。

そして、金属の冷たさがじんわりと手首にしみこんできた。

 

どれだけ落魄しても、音楽家のサガは死なない。

他人事の様にかすかな反響音をききとる。

そして大阪拘置所では、ラジオ番組になやまされる。

ツマミをいじり音量を「小」にするが、それでも音楽が精神をかき乱すので、

なんとかお願いして放送をやめてもらつた。

他者に拘束されるとは、つまり好きな音楽が聞けなくなることだ。

しかし、小室の聴覚はこれでも万全ではなかつた。

保釈後にテレビにたまたま映つた大阪拘置所の外観をみて、

すぐそばに高速道路があつたことを知り、ぶつたまげる。

たしかに地鳴りの様な音はきこえたが、まさか高速道路だつたとは!

心にかかる重圧が、彼の生命である音感をうばつていた。

 

 

 

だれよりも自身の過去を冷静にながめられる境遇にあるTKに、

どんな戦略で音楽市場を征服したのか教わりたくて読んだ本だが、

参考になる解答はなにひとつ書かれていなかつた。

とにかく、有効な戦略などカケラもないことだけは理解できた。

たとえば、TRFの「EZ DO DANCE」について。

 

♪EZ DO DANCE

サビで連呼する。

英語としては間違いどころか、ほぼ意味不明だ。

和製英語にすらなっていない。

しかし、日本人には、伝わってしまう。

 

なんだよ、分つてやつてたのか!

ミイラとりがミイラになる様に、

小室はバカにCDを売るために、自分自身もバカになつた。

財布のヒモも緩みはじめる。

世界各地でウン億円の住宅を買い、数えきれないフェラーリを車庫におさめ、

チャーター機で好きな時間に飛びまわつた。

極端な偏食家で、鯉のぼりを直視できないくらい(!)の魚嫌いのくせに、

世界最大級のクルーザーを買うにいたつては、「バカ」という形容すら生ぬるい。

 

 

 

三人目の妻であるkco(小室桂子)への愛情と、

被害弁済のために六億五千万円を私財から融資した上に、

弁護側の證人として出廷した、エイベックスの松浦勝人社長への感謝は、

TKなりに誠実に綴られていて、それなりに感動させられる。

しかし彼がその何百倍も熱く語るのは、音楽について。

たとえば、CDは製造工場ごとに音質が異なるから、

ある工場の製品が出回つた地方は売れなかつたとか。

録音の現場では、コンピュータの処理能力はギリギリで稼働しているから、

いま以上にBPMを上げることはむつかしいとか。

テレビの討論番組でみた、東京大学教授・姜尚中の声の倍音構成と、

音程やテンポのすばらしさとか。

どの話もおもしろいが、わざわざこの本で書くべきことなのか?

TKは前妻の吉田麻美とのあいだに娘・琴梨がいるのに、

かなしいかな、八歳になる娘への言及がまるでない。

法廷で検察官が読みあげた供述調書のなかで、

毎月二百万円以上の養育費の支払い義務に触れられるだけ。

なぜ幼い娘への謝罪の言葉がないのか?

まァ前妻に対し言い分もあるだろうし、いまの妻に気をつかつたのかもしれない。

でもボクは男だから分らないけど、どれだけ嫉妬ぶかい女だつて、

実子にすら愛着をしめさない人間と、ともに暮らしたいと願うだろうか。

音楽に魂を売つた男の末路は、あわれなものだ。





罪と音楽罪と音楽
(2009/09/15)
小室 哲哉

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テーマ : 音楽
ジャンル : 音楽

『戦場でワルツを』

 

戦場でワルツを

ואלס עם באשיר

 

監督:アリ・フォルマン

制作:イスラエル 二〇〇八年

[シネスイッチ銀座で鑑賞]

 

 

 

獰猛な二十六匹の犬が、明け方の街を駆け抜ける。

狂犬に群れをなす習性はないから、どうやら悪夢のなからしい。

空とおなじ橙色の目は、不吉なまでに美しい。

美術監督のデイヴィッド・ポロンスキーは、ひとりで全体の八割におよぶ、

千七百二十枚のイラストをかいたそうだが、

冒頭の配色だけで、このアニメーションが本物の藝術だとわかる。

これは、フォルマン監督の友人である会計士を苦しめた夢。

イスラエル陸軍兵として出征したレバノン戦争で、

撃ち殺した犬の数がちやうど二十六。

会計士だけに、寝ているときでも数字にうるさい。

友人の夢の話に触発され、同時期に兵士としてレバノンにいた、

映画作家の忌まわしい過去への旅がはじまる。

フラッシュアニメと古典的アニメと3Dグラフィックの混淆。

一単語もききとれないヘブライ語。

それでも十数分で違和感は消え、気づけば異国の泥沼に足をいれていた。

 

 

 

 

 

フォルマン監督は関係者との会見をかさねながら、

アニメーションの形式で従軍経験を再現する。

そして、レバノンのパレスチナ難民キャンプでおきた、

「サブラ・シャティーラの虐殺」の現場に自分自身がいたことが、

記憶の底からうかびあがる。

三千人に対するデタラメな殺戮に、消極的にとはいえ自分も加担した。

すくなくとも、止めはしなかつた。

ナチの虐殺を生きのびたイスラエル人が、おなじことをパレスチナ人にするのか?

そんな国が存在する意義はあるのか?

予備知識をもたずに劇場にでかけたので、巧みな脚本だとおもつたが、

本作は作り話ではなく、実写のインタビュー映像に忠実に、

アニメーションを構成したと後から知つて驚愕した。

国家の大義名分を泥まみれにする内容だから、

イスラエルの右翼は怒り狂つて当然なのだが、

海外での評判をきいて、「イスラエルにオスカーを!」と応援したらしい。

現金なものだが、例の金メッキの像は『おくりびと』に奪われてしまう。

むしろ、地上のどの国でも一番頭が固いのは左翼で、

「アラブ人をまともに描けていない」と、的外れな批判をした。

 

 

 

 

 

一九八二年、西ベイルート。

フォルマン監督の属する部隊が、迫撃砲で照明弾をうちあげる。

キリスト教のファランヘ党民兵組織が、

イスラム教の難民を虐殺するのを、ユダヤ教の軍隊が支援する。

三宗教の信徒が輪になつて、無様におどるワルツ。

橙色に照らされる町並み。

上で「狂犬に群れをなす習性はない」と書いたが、例外はある。

軍隊のことだ。

この時代が一夜の悪夢で、朝にはすべての不具合が初期化されるなら、

世界はそれほど不幸でないと言えるのだが。


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

よつばと店員たち

 

よつばと!

 

作者:あずまきよひこ

掲載誌:『月刊コミック電撃大王』(アスキー・メディアワークス)二〇〇三年三月号~

[単行本は第九巻まで刊行]

 

 

 

『よつばと!』第九巻をよんだ。

ショッピングモールに出かけた「よつば」と「とーちゃん」は、

ふらりとテディベア専門店「HIGMA」に立ち寄る。

熊の顔をあしらつたエプロンがお似合いの店員は、

億劫がる素振りもみせずに、棚にかざられた縫いぐるみを下ろす。

ニコヤカなのは当然で、このクマチャンのお値段はなんと五万円。

 

 

こちらは近所の焼肉店、「炭火焼肉1010(ジュージュー)」。

ジュージューの従業員は、商品知識が豊富で手際もよく、

こんな看板娘がいる店なら、山ほど肉を注文してしまいそう。

 

 

熱気球のイベント「バルーンフェスティバル」では、

豚汁をタダでふるまわれて、よつばも御満悦。

それにしても、この漫画にでる店員はみなカワイイ。

単に目鼻だちがととのつているだけでなく、

ひとりひとりが主役をはれそうな、あざやかな印象をのこす。

ペンをにぎれば別嬪さんをかかずにいられない、

作者あずまきよひこの救いがたい業を感じる。

美女のデフレーション、それが『よつばと!』という作品だ。

 

 

 

さてさて、『よつばと!』美人店員図鑑のはじまりです。

 

(二巻第十話)

 

ケーキ屋の「Mercredi」で。

アルバイトの女子高校生だろうか。

よつばのトンチンカンな質問にも動じない、優秀な人材だ。

ウチのちかくの商店街は、器量よしの看板娘どころか、

看板そのものが日ごとに消えるシャッター通りなのだが、

そんな辛気くさい現実とは縁のない街角にホッとする。

 

 

(八巻第五十話)

 

ファミレスの「Lesenyei's(レゼネイズ)」でも、かくのごとし。

チェーン展開する店舗なので、「目玉焼き単品」の注文に応じられないが、

それでもお姉さんの笑顔はかわらない。

 

(七巻第四十八話)

 

牧場で乳しぼり体験。

牛の乳しぼりの仕草よりも、飼育員の乳に目がひきつけられる。

実にケシカラン漫画だ。

 

(三巻第十八話)

 

婦警さんまで美人。

熱心に「悪い車」を追う姿に、よつばも尊敬の念をいだく。

一場面だけで消えてゆく人物に、それぞれの性格の違いまでつたわる、

入念の描き分けをほどこす作者の色好みには、あきれるばかり。

 

 

 

われわれが日常で、もつとも接する機会がおほい職業は「店員」だろう。

いくつかの例外をのぞいて、店にはヒトよりモノを目当てに行くのだし、

技術革新がうながす流通の合理化という潮流のなかで、

その価値が十分にみとめられているとは言えないけれど、

「店員」が存在しない世界なんて、想像することさえできない。

 

(五巻第二十八話)

 

カネを動力源とするダンボールのロボット「ダンボー」が、

綾瀬家三女・恵那のなけなしの小遣いを飲みこむ。

差し向かいの意思疎通を煙たがる人間を、あざわらいながら。

PCの電源をおとせ、町へ出よう。

そして気になる看板娘に、ひとこと声をかけるのだ!

本作の主題はこれで明瞭となつた。

だが、しかし。

 

(九巻第五十八話)

 

男を誘う様に尻をつきだす、綾瀬家次女・風香。

バランスボールで体操をしているだけだが。

『よつばと!』をひらくたびに脳の裏のおかしな部分が刺激され、

ホルモンの分泌量が異常をきたすが、それもそのはずで、

平凡な日常にさしこまれた蟲惑的な影像が、ボクの理性をかき乱す。

漫画家に騙されてはいけない。

あずまがあれほど精魂こめて美人店員の絵をかくのは、

秘めたる野望を実現するためなのだから。

日本列島をアキハバラの植民地とし、あらゆる店舗をメイド喫茶にするという陰謀。

まあ、それも悪くはないですけどね。





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(2009/11/27)
あずま きよひこ

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他の『よつばと!』関連の記事は、以下を御参照ください。

 

星をみるひと ― 『よつばと!』綾瀬恵那コレクション


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苑田 健

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