巻誠一郎、ナベツネ、そしてオシム

『J's GOAL』

 

 

 

巻誠一郎、男泣き。

二部降格という失態を詫びるため、

地をなめるほど腰をおる仲間のかたわら、ただひとり棒立ちのまま。

かなしい光景だ。

背負つた荷が重すぎると、人は謝ることさえできない。

サッカーには、受けいれがたいほど残酷な面がある。

そもそも、こんな競技は存在しなければよかつたのに、

と思いたくなるときがある。

煮ても焼いても食えない。

「スポーツ? そうですね、サッカーが好きかな」なんて、

一生涯口にすることはないだろう。

 

 

 

川淵三郎『「J」の履歴書』(日本経済新聞社)を読んだ。

さほど面白い自伝とはいえないが、

なにせわが国のサッカーのウラオモテを知り尽くした人なので、

その証言自体が歴史的価値をもつ。

なかでもやはり、ナベツネこと渡邉恒雄との確執が興味ぶかい。

親企業に依存しない、職業的なスポーツクラブの先駆者と自負する、

東京ヴェルディ(旧・読売クラブ)は実は二十年前、

どこよりも強硬にサッカーリーグのプロ化に反対した。

野球以外のプロリーグなど成功するはずがない、と。

ところが、為郷恒淳・読売クラブ代表らの予想に反し、

平成五年に処女航海の途についたJリーグは、

ヴェルディを中心とする途轍もないブームとなつた。

途端に、読売新聞社社長の介入がはじまる。

チーム名に「読売」を入れさせろ、放映権をよこせ、本拠地を東京に移転させろ。

ことごとく川淵にしりぞけられたが。

ほとぼりの冷めた平成十三年、念願かない東京に城をかまえるが、

結局ヴェルディは、多摩川をはさんで成功したふたつのクラブ、

川崎フロンターレとFC東京のあいだで埋没し、いまや消滅寸前だ。

 

 

 

ナベツネが滑稽なのは、日本野球機構にはきわめて有効な、

「リーグ脱退、新リーグ発足」という幼稚な恐喝手段が、

日本サッカー協会(JFA)には通じないと知らなかつたことだ。

国際サッカー連盟(FIFA)は、唯一無二のサッカーの国際統括組織であり、

その傘下にあるJFAが公認しないリーグに所属する選手は当然、

FIFA主催大会である「ワールドカップ」に出場する権利がない。

どこの馬鹿がワールドカップを捨てて、ナベツネリーグなどに参加するのか?

平成十四年。

JFAの名誉総裁だつた高円宮憲仁親王の斂葬の儀で、

川淵と渡邉がひさしぶりに顔をあわせる。

霊車が到着するまでの二時間は、ナベツネの独演会となつた。

庭を荒らすカラスが憎たらしくて、空気銃で撃つた。

当たつたからあわてて庭に飛び出したら、すべつて骨折した云々。

延々とつづくカラス談義に、川淵は身を固くする。

サッカーにすこしでも関わりがある者なら、

JFAの象徴が八咫烏(やたがらす)であることは常識だ。

川淵にむけた悪意を読みとられてもしかたない話題だし、

薨去した名誉総裁に対する非礼にもあたる。

しかし、いつまでたつてもオチがつかないので、

川淵は取り越し苦労をしていたと気づき、談笑の輪にくわわつた。

ナベツネのイイカゲンさがよくわかる挿話だ。

サッカー協会とカラスの因縁など、カケラも念頭にない。

要するに、ただの目立ちたがり屋のジイサンなのだ。

 

 

 

わすれもしない平成十九年十一月十六日。

代表監督のイヴィツァ・オシムが脳梗塞でたおれる。

クリスマスイブに、川淵はリハビリテーション病院にいるオシムを見舞つた。

身長百九十センチでも着れるセーターがどこにもないので、

貴乃花親方におそわつた力士御用達の店で、

5Lサイズのアーガイルチェックのセーターを調達した。

十五キロやせたオシムはむしろ若返つたくらいで、セーターの柄をみては、

「これはスコットランドの監督になれつてこと?」と皮肉にわらう。

アシマ夫人からは、夫がリハビリそつちのけで、

サッカーの映像ばかり見るので困る、と愚痴をきかされる。

この老将の知力と人間味だけは、脳を害しても絶対かわらない。

医師を驚嘆させる快復をみせたオシムは翌年一月に、

後任監督の初陣、母国ボスニア・ヘルツェゴビナ戦の国立競技場にあらわれる。

ハーフタイムに、川淵と高円宮妃久子殿下が部屋をたづねると、

病み上がりの百九十センチが立ちあがつて丁重に挨拶した。

「どうぞ座つてらして」と気づかわれたのに、

「妃殿下の前なら十時間でも立つてられます」とカッコつけるのがおかしい。

ボスニアは0-3で日本にやぶれる。

妃殿下はオシムの胸に手をあてて、「イライラしないでくださいね」と声をかけた。

夫を心不全で亡くしたこともあり、つい心配してしまうのだろう。

いまもオーストリアで、オシムは昼夜をおかず各国のサッカーを見ているはずだが、

イラついて庭のカラスを銃で撃つたりはしないと思う。





「J」の履歴書「J」の履歴書
(2009/09/26)
川淵 三郎

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