愛をもとめて ― NHKスペシャル取材班『職業“振り込め詐欺”』
職業“振り込め詐欺”
著者:NHKスペシャル「職業“詐欺”」取材班
発行:ディスカヴァー・トゥエンティワン 平成二十一年
[ディスカヴァー携書 ]
さすがに、一万六千の従業員を抱えるNHKの取材力は大したもので、
「振り込め詐欺」の被害者はおろか、十数の詐欺集団を統括する大物まで、
直接取材をおこなつたことに感心させられる。
「紛失した顧客データの修復に二百万円かかる」と泣きつく息子(を名乗る男)に、
二回にわたり三百五十万円を送金した、山口県在住の七十一歳の男の告白。
これはだまされた人じゃないとわからない。
助けてほしくても誰にも言うところがないんですよ。
周りに言っても、『何でだまされたの、テレビでよくやってたじゃない、
バカだねえ』って言われるだけだからね。
自分でも、あの時なんでもう少し考えなかったのかって。
自分がバカだった、自分がバカだったって思い続けるしかないんです。
年寄りは一日中テレビばかり見ているから、
自身が新手の詐欺のカモにされていると、知らない者はいない。
悪党はそれを逆手にとる。
最新の時事問題を話題にえらんで電話をかける。
教え子に猥褻行為をはたらいた教師がつかまつたら、教師の家族をねらう。
飲酒運転が問題視されたときは、会社員の家族を重点的に。
テレビなど見ない方が、健全な知力を保てるとボクはおもうが、
両親にはなかなか分つてもらえない。
四百万円を振り込んだ埼玉県の七十代の女は、
その被害を息子に報告したところ、叱責されてしまう。
オレは一生懸命働いているんだから、飲酒運転なんてするわけないだろ。
息子が信じられないのか。
被害額以上の打撃が、家族の絆にいやしがたい傷をおわせる。
ウィークリーマンションなどのアジトを転々としながら、
詐欺集団は一日十二時間、ひとり三百件の電話をかける。
カネの運び役や、ATM引き出し役は別働隊としてはたらき、
特に「出し子」とよばれる引き出し役は、
最末端の使い捨てのコマなので、主犯格とは決して接触しない。
組織構成は本格的だが、ボクがやるとしてもこれくらいは考える。
GPS機能がない輸入した特殊な携帯に、他人名義のチップをさしこみ、
探知することを不可能にした「無敵携帯」をつかつたり。
アメリカのデラウェア州に登記上の本社を設立し、
租税回避地にひらいた口座で、年利二十パーセントの金をうごかしたり。
汚れた金の洗浄がおわれば、貿易会社だの不動産投資会社だのIT企業だの、
オモテの仕事を立ち上げ、成功した青年実業家として社会にまぎれこんだり。
ここまで来ると、現実世界の闇の深さに気が遠くなるが、
ただ奇妙な心象が、胸の奥でモヤモヤとただよう。
邪悪な犯罪への怒りというより、生理的な不快感というか。
振り込め詐欺で検挙された容疑者の年齢構成は、
「詐欺師」という言葉の印象に反し、二十歳代が六十四パーセントと若く、
三十四歳以下で数えると八十三パーセントにおよぶ。
孝行息子のふりをして電話をかけるのだから、当然だが。
かつて振り込め詐欺に手を染めた、二十九歳の「タカハシ」はこう語る。
名簿には、実家の住所、電話番号なんかが載ってあるんで、
親の年齢も、やっぱ50代後半から60代後半ぐらいまでの年齢が
一番いいかなって思ってかけるんですよ。
まぁカネも持ってるし、年とると、判断能力もだんだん衰えてくるし。
不快感の根拠があきらかになる。
ボクだつて本当にカネに困れば、親に泣きつくだろう。
でもそれは恥づかしいことだ。
老いた親を養うのが子の義務なのだから、だれだつてそう感じる。
まして息子のふりをして、他人の親にカネをせびるなんて!
これほどの恥辱が他にあるのか?
二十代の甘えんぼ詐欺師にくらべれば、
春をひさぐ女の心でさえ、どれほど気高いかとおもう。
やっぱり親の心情からしても、息子に当てにされるっていうのは、
すごい嬉しいことだと思うんですよ。
だから本当に、お母さんにしか話をしたくなかったからって言う。
絶対誰にも言わないでねって念押しする。
そして、孤独な老人たち。
未成年を妊娠させたとか、会社のカネを横領したのがバレたとか、
息子かわいさのあまり、自分の貯金で臭いものに蓋をさせる。
悪行に正当な裁きをうけさせるのも、親の情けなのに。
でも、頼りにされるのがうれしくて。
人生の終着駅がちかづいた季節にあたりを見回すと、
自分たちが数十年をかけて築いた社会が、
強欲な犬畜生がのさばる醜い地獄だつたと気づき、申しわけなくて。
けふも巷では、愛に飢えた老若男女が、血走つた目でATMに通帳をさしこむ。
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テーマ : 政治・経済・時事問題
ジャンル : 政治・経済
高円宮妃久子『宮さまとの思い出』
宮さまとの思い出 ウィル・ユー・マリー・ミー?
著者:高円宮妃久子
発行:産経新聞社 平成十五年
高円宮の両殿下の出会いの場は、青山にあるカナダ大使館だが、
当時翻訳の仕事をしていた妃殿下は、翌日が締め切りの原稿が仕上がらず、
上の写真のレセプションから「逃げる」つもりだつた。
ところが車で迎えにきた母につかまつてしまい、
翻訳は後で会社にもどり徹夜で終えることにして、しぶしぶ青山にむかう。
他の出席者とともに紹介された高円宮を見たときは、
首をかしげて相槌をうつ仕草が「宮さまらしい」と感じた。
しかしこの出会いは相槌程度ですまず、毎日電話がかかる様になる。
ガールフレンドをバレエや音楽会に誘うのは、
われわれ庶民とそうかわらないが、ただ会話の中身がすごくて、
たとえば「大垂髪(おすべらかし=宮中行事の髪型)が似合う顔でよかつた」、
ラブラドールが好きだといえば、「うちの庭はひろいから丁度よいね」。
最初は聞き流していた妃殿下も、ついその気にさせられた。
そしてはやくも二週間後に、結婚の意思をつたえられる。
出会つて一月後の、フランス室内管弦楽団の夕べ。
失礼を承知でいうと、ドレス姿の久子殿下は聡明で明朗快活そうで、
こんな人と親しくなつて、求婚しない男はいないと思わせるうつくしさだ。
この日も結婚を連想させる話をする高円宮に対し、
おづおづと「でもまだ正式にプロポーズをしていただいてませんし…」というと、
かの有名な「Will you marry me?」の一言がとびだした。
おそろしいことに高円宮は、当日深夜に妃殿下の自宅に突撃する。
すでに床についていた父が哀れにも叩き起こされると、
真剣な顔つきのプリンスが待ち構えていた。
「たとえ皇族として生活できなくなる時が来たとしても、かならず、
なんらかの形で生活できる様、久子さんをきちんとお守りしますから」
親王にここまで言わせて、拒否できる親がいるわけがない。
「そうですか、よろしくお願いいたします」とだけ答えた父は、
ヨロヨロとまた二階の寝室へもどつていつた。
鳶に油揚げをさらわれたみたいで、なんだかおかしい。
平成十四年の斂葬の儀のために妃殿下は副葬品をえらび、
高さ六十センチのふたつの檜の箱におさめた。
ひとつは公式行事や、勤め先の国際交流基金に関するもの。
もうひとつには私的な品をいれるのだが、
なにせ趣味がおほいので、箱に入りきらなくて困らされた。
サッカー、テニス、陸上ホッケー、スキー、ダイビングなどのスポーツ用品、
写真集、根付カタログ、指揮棒、ウクレレ、レコード、シャンパン、ボルドーなど。
そして勿論、本も。
この写真は、次女である典子女王お気に入りの一枚で、
高円宮宮邸の雰囲気がつたわる。
娘に存分にあまえさせながらも、本にむける目つきはするどく、
美術関係の洋書かなにかを熱心に読んでいる。
四十ちかくになつてスペイン語を学びはじめた高円宮は、
すぐに原稿なしでスピーチができるまで上達した。
チェロのレッスンをはじめるときはさすがに悩んだが、
ヨーヨー・マに相談したところ「ぜひおやりなさい」と背中をおされ、
二年後には舞台で演奏するまでの腕前になつた。
人一倍の努力家なのだが、その背景には独自の皇室観があつた様だ。
皇族は国民が皇族として認めているから皇族なのであって、
国民が欲しくないといえば皇族はいる必要はない。
ボクなりに解釈すると、人形みたいに雛壇にかざられて、
庶民から敬して遠ざけられる生きかたが嫌だつたのだろう。
みづからの能力をためし、存在価値を證明したい。
相当な野心家なのだ。
だから、皇位継承順第七位という最下位の皇族でありながら、
名声が頂点に達しつつあつた四十七歳での死は、無念にちがいない。
平成十四年十一月二十一日、奇しくもまさに七年前。
久子殿下がかけつけた思い出のカナダ大使館では、
スカッシュコートで高円宮が横たわり、人工呼吸器をつけていた。
血色もよく、すこし気分が悪くて休憩している様にしか見えない。
一緒にスカッシュをしていたロバート・ライト駐日カナダ大使は、
うろたえてアレコレいうが、妃殿下はむしろ高円宮の顔をみて安心する。
しかし、彼の心臓はとまつていた。
健康が自慢のスポーツマンである高円宮は、内科的な問題は皆無で、
風邪はおろか、肩こりや腰痛を感じたことさえなかつた。
病気や死と、もつとも縁遠い人物とおもわれていた。
世間的に酒豪の印象があり、アルコールで寿命を縮めたといわれたが、
それは根拠のない憶測で、心ない陰口はのちに未亡人をふかく傷つける。
実は彼は宮邸では、夫婦の誕生日と結婚記念日にしか飲まない。
酒が好きというより、酒の席が好きだつたのだ。
そして、救急車ではこばれた慶應病院の応接室でも、
久子殿下は「入院になつたら大変だな」という程度の認識でいた。
ただ、外に集まりだしたマスコミの数をみて、
ようやく事態がどこにむかつているのか理解する。
「お父さま、目を覚まして。一生懸命にお勉強をするから、目を覚まして」
集中治療室にひびく娘三人の言葉もむなしく、高円宮の駆け足の人生は、
やすらかな顔のまま、午後十時五十二分に幕をとじた。
遺族をおそつた衝撃と悲痛は想像を絶するが、
本書をよむかぎり、久子殿下が取り乱した様子はない。
病院の先生から宮さまが亡くなられたことを伝えられても、
あれほどまでにご丈夫な宮さまが亡くなられるなどとは、信じられませんでした。
現実というのは冷たいものです。
でも、宮さまのお人柄なのでしょうか。
その時間が止まってしまったような一瞬の中にも、
確かにどこか穏やかな温かい雰囲気が漂っていました。
なんと表現していいのかわかりませんが、それはチェロの音色のようなものでした。
明け方ちかく宮邸にもどり、ベッドに遺体をねかせる。
前日まで無病息災だつた体をかこんだ母娘は、
音楽を愛した高円宮のためにいつもの曲を流しながら、
「まるで眠つているようね」と、家族団欒の様な口ぶりでおしやべりをする。
十二月のはじめに学習院の期末試験がはじまるので、
夜中には父のかたわらで勉強までした。
なんという平穏さなのだろう。
高円宮が家族にそそいだ愛情が、あまりに深く揺るぎないから、
突然に肉体がほろんでも、のこされた者は狼狽しなかつた。
どうかんがえても、これより不幸な出来事はないのに、
自分たちが不幸だとすこしも感じられない。
信じがたいことだが、人はこの様な家庭を築くことができるらしい。
宮さまとの結婚生活は、思いもよらず、
十八年という年月で終止符が打たれました。
今、その十八年を振り返れば、「幸せでした」という一言に尽きると思います。
十八年間、一日一日が充実していましたので、その間、
一度たりとも宮さまとご一緒して悲しいと思ったり、
宮さまとの結婚を後悔したことはありませんでした。
幸せだと思ったことは、ほとんど毎日ありましたけれども……。
どれだけ頭をひねつても、これにつけ加える一言は思いつかない。
早すぎた死は無念だとしても、みづから選んだ伴侶にここまで言わせれば、
生涯に一片の悔いもないと言いきれるだろう。
「前世で何をすると、こんなに幸せな生活を送れるのでせうか」が、
久子殿下の口癖だつたそうだ。
さて、記事が長くなりすぎた。
そもそも、普段は要約を得意技とする管理人だけど、
この理想的なカップルの物語が劇的すぎて、
削るべき箇所が見当らないのです!
ただあとひとつだけ、紹介したい逸話があります。
多趣味な高円宮殿下が、意外にもまつたく手をださなかつた分野。
それは料理。
なんでも久子殿下のつよい希望で、遠ざかつてもらつたのだとか。
もしダンナが料理をはじめたら、すぐ自分より上手になるに決まつてる。
でも、ひとつくらい「得意分野」がないと、妻の面目がたたない。
そんな女心がカワイイですよね?
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革命的映画 ― 『2012』
2012
出演:ジョン・キューザック キウェテル・イジョフォー アマンダ・ピート
監督:ローランド・エメリッヒ
制作:アメリカ 二〇〇九年
[新宿ミラノ1で鑑賞]
ブログの企画で『ニューオーリンズ・トライアル』を取り上げたばかりで、
率直にいうと、ジョン・キューザックのパッとしない顔は見飽きている。
レイチェル・ヴァイスだつたら、何本でもつきあう覚悟はあるけれど。
五年前の『デイ・アフター・トゥモロー』で地球を氷河期におくりこんだ、
不謹慎な趣味をもつローランド・エメリッヒ監督の新作は、
またもや世界が破滅するSFパニック映画。
科学音痴のボクには理解できない理由で、地核やら地軸やらが異常をきたし、
地震、火山の噴火、津波が全人類を根絶やしにする。
新鮮な題材とはいえない。
ただ、つねに内心に裏がありそうなキューザックの芝居は、
百五十八回くらい死にかける物語でも、変に取り乱したりしないので、
観客も安心して、生き残るのが誰かという予測をたのしめる。
リムジンの運転手をして食い扶持をかせぐ、
売れない作家という役柄も、彼に合つていたかな。
太平洋にしづむロサンゼルス。
「この映画はCGが大迫力だから、ゼッタイ劇場で見たほうがイイ!」
なんて書く人がいるけれど、個人的には大きなお世話だ。
シロウトはだまつてろ、と言いたくなる。
どこかのオタクがコンピュータでいじくりまわした画像なんて、
所詮はただの電気信号にすぎないわけで、家でみれば十分。
たとえば、カメラのまえで鎬をけづる役者同士の熱気。
専門家が舌をまくほど調べつくした、脚本の真実味。
気のきいたセリフまわし。
ひとつのコマも無駄にしない、演出と編集のこだわり。
そして、そのすべてを劇場で共有した観客だけが知る感動。
それを体験したいから、ひとは凍空のもと映画館に足をむける。
ま、そんなボクも「大迫力のCG」を巨大なスクリーンでみたくて、
割引き目当てのいつものシネコンではなく、
定員千六十四名の「新宿ミラノ1」にいつたんですけどね!
津波にさらわれた空母ジョン・F・ケネディ(退役艦のはずだけど)が、
大統領ごとホワイトハウスをおしつぶす場面なんて、
口をあんぐりとしてしまいましたよ。
大災害を予知した各国政府は、どうにか四十万人の命だけでも救おうと、
馬鹿デカいノアの方舟をチベットの山中でつくりあげる。
でもね、これが実に腹の立つ話なのですよ!
極秘に売り出された搭乗券の値段は、なんと一枚が十億ユーロ。
(最新のレートでは、1ユーロ=132.27円)
つまり権力者と大金持ちしか船にのれない。
絶対にまちがつているけど、大いにありうる展開でもあり、
到底のせてもらえない境遇のボクは、主人公に肩入れせざるをえない。
この映画には政治がある。
噂によると、ジョン・キューザックは民主党支持を公言し、
政治的発言がおほい左寄りの役者として有名なのだとか。
また、エメリッヒ監督が公にしているのは、同性愛者であること。
五十四歳とはおもえぬ美男子ではあるけれど、
神経質そうで、「いかにも」という印象があるでせう?
本作は、米国大統領をふくめて黒人の配役がおほかつたり、
少数派に対するエメリッヒ氏の共感が胸にひびく。
それと同時に、自分の性的嗜好を認めることができないなら、
そんな社会は滅びてしまえという、鬱屈した情念も感じる。
ボクはたわいない話だと思いつつも、
『デイ・アフター・トゥモロー』が結構好きなのだが、
映画作家がかかえる破壊衝動を、直感で読みとつていたのかな。
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袴田めら『この願いが叶うなら』
この願いが叶うなら
作者:袴田めら
発行:一迅社 平成二十一年
[百合姫コミックス]
真ん中の短髪の「海」がもつのは、第三世代のiPod nanoで、
右どなりの「陽」から借りたCDの曲を一緒にきいている。
片思いをうたう歌詞をたしかめながら。
nanoはすでに第五世代が市場にでまわつているが、
第三世代の正方形にちかい体状はユーモラスで、それでいて絵になる。
そして「月子」はひとり、街並みのむこうの夕日をみつめる。
「三人セット」の仲良しグループ。
もう一度紹介すると、左から月子、陽、海。
黒髪ロングで細身の月子は、口数すくなで他人に対し無頓着。
ウェーブがかかつた髪の陽は、おしやべりで世話焼きの元気者。
海はとぼけて頼りないけれど、おひとよし。
ということはつまり、かしゆか、あ~ちゃん、のっちだ。
Perfumeの三人が雛形だと断定したい。
自分もかつて、このグループをめぐる幻想にまきこまれたから分るのだ。
「彼女たちのあいだで三角関係が成立したらどうなる?」
その実験の成果報告が、この同人誌の様な一冊だ。
放課後の公園。
三ページめに山場があらわれる。
陽にだまつて、海と月子はつきあつていた。
海に貸すつもりのCDケースが落下する。
でも、ひとつの直線に垂線をひいただけでは、三角形は完成しない。
月子は無表情のしたに、陽への恋心をかくしている。
それは痛み、傷口、病であつて、触れてはいけないものだ、
と自己診断をくだした月子は、願望を決して表沙汰にしない。
そんな月子に告白した海。
千人分の勇気をふりしぼり、切々とうちあけた言葉を、
「あ 告白した」と他人事みたいに観察する。
すげなく拒絶するより、残酷な胸のうち。
海の告白は、月子の痩身のなかの核融合炉をゆすぶり、
あまりにむごい口頭試問がおこなわれる。
「好きってなに? 具体的に」
「一緒にいたいの」
「それだけ? だったら友だち同士でもできるし」
「は…裸がみたいの」
「ふうん…」
なかば憐れむように、なかば興味本位で、月子は求愛をうけいれる。
そして、海が月子の本心に気づいていることが、
この恋をさらに罪深いものにする。
さてこのあたりで、この世でもつとも単純で、いりくんだ迷宮、
つまり三角関係を整理しておこう。
(ヒマな管理人が作成)
出口がみえない。
『突然炎のごとく』のジャンヌ・モローが、おぼこ娘に思えるほどに。
空気をよみすぎて、かえつてその場をグチャグチャにするのは、
あ~ちゃんの言動の複写の様だ。
三人が言葉をかわすたび、みながひとしい深さの傷をおう。
教師の急病で体育の授業が自習となり、
生徒たちは体育館でかくれんぼに興じる。
演壇のカーテンにくるまる陽と月子。
記憶の底がかきみだされ、既視感がボクの脳裏をよこぎる。
カーテンにかくれたのは、いくつのときだつけ?
校舎の裏の、願いごとが叶うという森の神社でたおれた海を、
保健室のベッドで、月子が力をこめて抱きしめる。
うれしいのに、気持ちはわかつているのに、明白な一言をもとめる海。
あとで、
ちやんと。
言葉で。
保健室の扉のまえで、養護教諭と不自然なおしやべりをはじめる。
立話は、このあと十分はつづくのだろう。
ここでみじかい物語の幕がおりる。
少女たちは、話せば話すほど孤独になり、
重すぎる沈黙は、胸の裂傷をより深くえぐる。
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正義の女神 ― 『ニューオーリンズ・トライアル』
ニューオーリンズ・トライアル
Runaway Jury
出演:ジョン・キューザック ジーン・ハックマン ダスティン・ホフマン レイチェル・ヴァイス
監督:ゲイリー・フリーダー
制作:アメリカ 二〇〇三年
[DVDで鑑賞]
左手に天秤、右手に長剣。
目隠しをしたまま、ニューオーリンズの地方裁判所のまえで毅然と立つ。
ローマ神話の女神、ユスティティアの像だ。
その名は英語でいう「justice」、つまり「正義」を意味する。
また司法や裁判のことも「justice」とあらわされ、
たとえばアメリカの司法省は、「the Department of Justice」だ。
この女神のいない社会など、かんがえられない。
目隠しをしているのは、眼前の事象に左右されず、
おのれの良心にのみしたがつて裁きをくだすため。
なんとも剣呑な神さまだ。
人ならぬ身とはいえ、目がみえないで公平な審判ができるのか?
陪審員九号、ゲーム店員のジョン・キューザック。
ブロンド女は被告側がやとつた調査員で、色気でまどわし弱みをさぐる。
美女にしなだれかかれたニックは、「バンバン撃ちまくれ」と上機嫌だ。
しかし、「コイツはただのお調子者だ、陪審員からはづせ」と、
被告側の弁護を仕切るジーン・ハックマンが断じる。
おそるべき嗅覚。
実際に陪審員九号は、銃器会社の犬が周囲をかぎまわるのを承知で、
暴力的なゲームが好きなダメ男を演じていた。
たしかに視覚は信用できない。
ブロンド美女も、ゲームオタクのダメ男も、
裏でなにをたくらんでいるか知れたものではない。
ジーン・ハックマンとダスティン・ホフマンが衝突する、裁判所のトイレの場面。
手をふいたハックマンが歩みより、握手をもとめる。
その手はかすかに濡れて、まだ冷たかつたろう。
ハックマンは、相手の不快感など意にも介さない傲慢さと、
第三者にも握力がつたわる様な、肉体の迫真性を表現する。
路面電車のなかで。
陰で陪審員をあやつり、一千万ドルで評決を売りつける、
生意気なレイチェル・ヴァイスを強引にひきよせ、小切手を顔につきつける。
撮影時七十三歳だつたハックマンの生身の迫力におされ、
かよわい女の素顔をみせるレイチェルが色つぽい。
きびしい交渉をきりぬけ、ひとりで降車。
コトがおわつた後みたいな放心した顔つきで、ため息をつく。
ほんの短い一幕に、濃厚な性の匂いがたちこめる。
まつたく同じ交渉を、今度は原告側のダスティン・ホフマンにもちかける。
服も髪型もかわらないのに、ちがう人間にみえる。
父に小遣いをねだる少女の様だ。
これほど巧みな演じ分けをみせられたら、
目隠しして裁判にのぞむ女神の気持ちも理解できる。
老練な法律家すら、女の嘘にたやすく欺かれるのだから。
身も心も生傷をおつたレイチェル。
恋人に抱きすくめられながら、すこし苦い勝利の味をたしかめる。
おそらく、嘘にはふたつの種類がある。
ひとつは、欲望を実現するための嘘。
もうひとつは、自分以外の何かのため、みづから傷つくことも恐れずにつく嘘。
レイチェル・ヴァイスの様な、名にしおう女優をみていると、
後者のうつくしい嘘の存在を信じることができる。
みにくい騙し合いの世界に、うつくしい何かがある。
目をつぶつたら、現代の女神の姿をみのがしてしまう。
さてさて、「ブログ DE ロードショー」の第四回はいかがでしたか?
御参加いただいた皆さまのレビューやコメントが楽しみです!
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サジ加減 ― 国際親善試合・ニュージーランド戦
女子サッカー 国際親善試合 日本代表 対 ニュージーランド代表
結果:2-0 (1-0 1-0)
得点者
【日本】前半43分 宮間あや 後半13分 大野忍
会場:さいたま市駒場スタジアム
[現地観戦]
七月以来の駒場スタジアムだが、いまだに道順がわからない。
おぼえているのは、強制収容所にぶちこまれた屈辱だけ。
本太坂下の交差点を看板にしたがつて進んだら、とんでもない遠回りになつた。
敵側の観客をだまして消耗させ、試合を優位に運ぼうとたくらむ、
自治体をまきこんだ赤いクラブの陰謀にちがいない。
駒場への経路など世界の常識なのに、
知らないオマエがおかしいと勝ちほこる、赤い悪魔の高笑いがきこえる。
ふくらはぎに乳酸をためつつ到着。
「出島」でなくメインスタンドに腰をおろすが、むしろ居心地が悪い。
北朝鮮に亡命したら、こんな気分になるかもしれない。
この試合は、代表の新ユニフォームのお披露目でもある。
青がかなり深くなり、紺よりも濃くみえて違和感をおぼえる。
胸元のピンクの部分がひろくて、色白で細身の鮫島彩には似合つていた。
だれもが日焼けに悩む、女子サッカー選手にみえないでせう?
堀北真希にだつて、引けを取らない。
…ことにしておこう。
前日からふりつづけた雨は正午までにやんだが、
芝は水を大量にたくわえ、パス回しをむつかしくさせるだろう。
日本の中盤は左から、宮間、澤、宇津木、大野が水平線をえがく。
前線は安藤と北本。
ベレーザの太い幹に、レッズのフォワードを接ぎ木した陣容だ。
(宮間あやは、九年前までベレーザに所属)
ニュージーランドは、10番のアナリー・ロンゴを頂点にすえる菱形。
平坦な日本の中盤の組織は、左右にムラなく平衡をとりやすいが、
一方のホワイトダイヤモンドは負けじと、縦の間隙に起点をつくる。
難解な詰将棋をとく様な競り合いがつづく。
人口よりも羊の数がおほい島からきた女たちは、
みなプロレスラーみたいな体格で、陸上選手みたいに突進する。
大和撫子の花園は、ブルドーザーで根こそぎにされかかるが、
これまたベレーザの岩清水梓が、片手で金髪のレスラーを薙ぎ倒した。
国内リーグで、ボクの天使・岩渕真奈の足をひつぱりヤキモキさせた連中が、
制服を青にかえただけで、みちがえるほど活発な動きになる。
サッカーの摩訶不思議な錬金術だ。
前半43分。
左側面の宮間は、攻撃をつくれないので代えるべきと思つていたら、
ワンツーで中央をこじあけて得点。
宮間さん、スミマセン。
ことしもジェフの降格以外、あらゆる予想をはづした管理人です。
ハーフタイムがおわり、北本綾子にかわり永里優季が登場。
リーグ戦では、ベレーザを「勝ち点差11」でくだしたレッズだが、
駒場の人口比率では「3-6」で敗北(宮間を含まず)。
センターサークルで試合再開の笛をまつ大野と永里の、
ニコニコたのしげに会話する様子が、スクリーンに大写しになる。
さらに芝がかわいたのも影響してか、日本のパスがまわりはじめた。
カテゴリーをとわず、パス交換を楽しみだした日本代表が負けることはない。
澤穂希のパスをうけた大野忍が、後半13分に追加点をきめた。
前後半でサイドがかわり、はじめて宮間あやを近くでみて、
いまさらながらその力量を痛感する。
ボールをもたないときの動きに無駄がなく、演算能力の高さをみせつける。
そして地をはうパスの軌跡の、この上ないうつくしさ!
ぬれた芝は初速をたかめるが、減速が普段よりはげしい。
それを考量して宮間がころがしたボールを追いかけ、
左サイドバックの鮫島が八割五分の速度ではしると、
最後にふみだした左足が、ぴたりとゴールラインにかさなる。
魔法みたいだ。
男子では名波浩以降とだえた伝統藝能が、受け継がれていることに感動する。
オーナーが澤で、シェフが宮間。
そんな名店の御馳走を堪能した。
もし、パスの受け手が岩渕真奈ならどれほど美味になるか、
想像しただけで興奮するけれど、ないものねだりの客は野暮にちがいない。
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巻誠一郎、ナベツネ、そしてオシム
巻誠一郎、男泣き。
二部降格という失態を詫びるため、
地をなめるほど腰をおる仲間のかたわら、ただひとり棒立ちのまま。
かなしい光景だ。
背負つた荷が重すぎると、人は謝ることさえできない。
サッカーには、受けいれがたいほど残酷な面がある。
そもそも、こんな競技は存在しなければよかつたのに、
と思いたくなるときがある。
煮ても焼いても食えない。
「スポーツ? そうですね、サッカーが好きかな」なんて、
一生涯口にすることはないだろう。
川淵三郎『「J」の履歴書』(日本経済新聞社)を読んだ。
さほど面白い自伝とはいえないが、
なにせわが国のサッカーのウラオモテを知り尽くした人なので、
その証言自体が歴史的価値をもつ。
なかでもやはり、ナベツネこと渡邉恒雄との確執が興味ぶかい。
親企業に依存しない、職業的なスポーツクラブの先駆者と自負する、
東京ヴェルディ(旧・読売クラブ)は実は二十年前、
どこよりも強硬にサッカーリーグのプロ化に反対した。
野球以外のプロリーグなど成功するはずがない、と。
ところが、為郷恒淳・読売クラブ代表らの予想に反し、
平成五年に処女航海の途についたJリーグは、
ヴェルディを中心とする途轍もないブームとなつた。
途端に、読売新聞社社長の介入がはじまる。
チーム名に「読売」を入れさせろ、放映権をよこせ、本拠地を東京に移転させろ。
ことごとく川淵にしりぞけられたが。
ほとぼりの冷めた平成十三年、念願かない東京に城をかまえるが、
結局ヴェルディは、多摩川をはさんで成功したふたつのクラブ、
川崎フロンターレとFC東京のあいだで埋没し、いまや消滅寸前だ。
ナベツネが滑稽なのは、日本野球機構にはきわめて有効な、
「リーグ脱退、新リーグ発足」という幼稚な恐喝手段が、
日本サッカー協会(JFA)には通じないと知らなかつたことだ。
国際サッカー連盟(FIFA)は、唯一無二のサッカーの国際統括組織であり、
その傘下にあるJFAが公認しないリーグに所属する選手は当然、
FIFA主催大会である「ワールドカップ」に出場する権利がない。
どこの馬鹿がワールドカップを捨てて、ナベツネリーグなどに参加するのか?
平成十四年。
JFAの名誉総裁だつた高円宮憲仁親王の斂葬の儀で、
川淵と渡邉がひさしぶりに顔をあわせる。
霊車が到着するまでの二時間は、ナベツネの独演会となつた。
庭を荒らすカラスが憎たらしくて、空気銃で撃つた。
当たつたからあわてて庭に飛び出したら、すべつて骨折した云々。
延々とつづくカラス談義に、川淵は身を固くする。
サッカーにすこしでも関わりがある者なら、
JFAの象徴が八咫烏(やたがらす)であることは常識だ。
川淵にむけた悪意を読みとられてもしかたない話題だし、
薨去した名誉総裁に対する非礼にもあたる。
しかし、いつまでたつてもオチがつかないので、
川淵は取り越し苦労をしていたと気づき、談笑の輪にくわわつた。
ナベツネのイイカゲンさがよくわかる挿話だ。
サッカー協会とカラスの因縁など、カケラも念頭にない。
要するに、ただの目立ちたがり屋のジイサンなのだ。
わすれもしない平成十九年十一月十六日。
代表監督のイヴィツァ・オシムが脳梗塞でたおれる。
クリスマスイブに、川淵はリハビリテーション病院にいるオシムを見舞つた。
身長百九十センチでも着れるセーターがどこにもないので、
貴乃花親方におそわつた力士御用達の店で、
5Lサイズのアーガイルチェックのセーターを調達した。
十五キロやせたオシムはむしろ若返つたくらいで、セーターの柄をみては、
「これはスコットランドの監督になれつてこと?」と皮肉にわらう。
アシマ夫人からは、夫がリハビリそつちのけで、
サッカーの映像ばかり見るので困る、と愚痴をきかされる。
この老将の知力と人間味だけは、脳を害しても絶対かわらない。
医師を驚嘆させる快復をみせたオシムは翌年一月に、
後任監督の初陣、母国ボスニア・ヘルツェゴビナ戦の国立競技場にあらわれる。
ハーフタイムに、川淵と高円宮妃久子殿下が部屋をたづねると、
病み上がりの百九十センチが立ちあがつて丁重に挨拶した。
「どうぞ座つてらして」と気づかわれたのに、
「妃殿下の前なら十時間でも立つてられます」とカッコつけるのがおかしい。
ボスニアは0-3で日本にやぶれる。
妃殿下はオシムの胸に手をあてて、「イライラしないでくださいね」と声をかけた。
夫を心不全で亡くしたこともあり、つい心配してしまうのだろう。
いまもオーストリアで、オシムは昼夜をおかず各国のサッカーを見ているはずだが、
イラついて庭のカラスを銃で撃つたりはしないと思う。
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ドン・ウィンズロウ『犬の力』
『La Caja Resonante de Sandro Cohen』から借用
犬の力
The Power of the Dog
著者:ドン・ウィンズロウ (Don Winslow)
訳者:東江一紀
発行:角川書店 二〇〇九年
原書発行:アメリカ 二〇〇五年
[角川文庫]
メキシコとアメリカをおもな舞台とし、
三十年におよぶ麻薬戦争にたづさわる男たちをえがく、
この雄大で凄絶なエピックに、心にしみる通奏低音をひびかせるのが、
サンディエゴの「白い家(ホワイトハウス)」という娼館ではたらくノーラという女。
片田舎のあばずれだつた十六歳のときにスカウトされ、
シェイクスピアの戯曲を暗誦させられるなど、
女主人から高級娼婦としての訓練をほどこされる。
さらに、新聞の読みかた。
「ファッション面を読むんじゃないのよ。芸術面でもない。
高級娼婦はまず最初にスポーツ面、次に経済面、
余裕があったら社会面をよむの」
十八歳になつたノーラの初見世のとき、「白い家」の女主人は彼女を、
アイルランド系の寡黙な殺し屋ショーン・カランとひきあわせる。
なぜか惹かれあう二人。
しかしそこに、イタリア系の下品なマフィアの「大桃」ジミーが、
「取りかえつこしよう」と割りこみ、ノーラをさらつてしまう。
ボロ布の様に、うすぎたない性欲の処理につかわれるノーラ。
やるせない。
このたわいない挿話が、千ページをこえる長編の音調をさだめる。
無数の人物が登場し死んでゆく、本作の主人公といえるのが、
アメリカの麻薬取締局(DEA)の捜査官であるアート・ケラー。
過剰な暴力が二分冊からこぼれおちる小説だが、
彼のまつさらな正義感に、ごくまれに安堵の胸をなでおろす。
無論その「正義」とは、相対的な意味の「正義」にすぎないが。
たとえば、DEAの指揮による「コンドル作戦」で、
メキシコはシナロア州の罌粟畑が焼き払われるが、
麻薬戦争の趨勢には露ほども影響しない。
むしろそれは逆効果で、栽培や精製だのといつた農民じみた骨折りより、
はるかに価値のある商品にメキシコ人たちは気づく。
国境。
土地は焼かれ、作物は毒され、人は追い散らされても、国境は残る。
国境はどこへも行かない。
国境の一インチこちらでは数セントの値打ちしかない品物が、
向こうへ一インチ移動しただけで数千倍の価値を持つ。
アートはDEAにはいる前に、CIAの分析官としてベトナム戦争に参加したが、
著者は麻薬戦争をしつこいほど、かのインドシナの戦いと類比する。
この『犬の力』は、アメリカ・メキシコ国境から裏書きすることで、
ベトナム以降のアメリカ現代史をあぶりだす、野心的なくわだてだ。
メキシコ人たちは、気兼ねなく死のことを話題にする。
“死”には、多くの呼び名がある。
“気まぐれ婦人”、“痩せっぽ”、“老骨”、
あるいは単純素朴な死(ラ・ムエルテ)……。
死は遠くに置いて眺めるものではない。
死者と疎遠になるべからず。
死者の日(エル・ディア・ロス・ムエルトス)になると、生者は死者を訪ねる。
復讐の復讐の復讐。
飽き飽きするほどの、何度目か数えきれないほどの。
それはややグロテスクな、アメリカ合衆国の肖像画だ。
国境においてのみ、国家はその素顔をみせる。
本作のテーゼは明確で、誤解の余地はない。
「人はみづから憎むところのものになる」。
だれもが、つまり大統領も麻薬王も高級娼婦も、
生きのこるために悪に手をそめ、くらい淵に転げ落ちてゆく。
あんな風にだけはなりたくないと思つていた人間に、
三十年後の自分がなつている。
その濁流は塞きとどめようがない。
だからこそ、二十二口径の拳銃を愛する一匹狼、
ショーン・カランの生き様があざやかだ。
友人の命をすくうためにおこなつた、はじめての殺人。
幕切れでの、知りすぎた女ノーラをつれた逃避行。
向こう見ずな激情が、読者の肺腑をつらぬく。
あと一度だけ、引用するのを許していただきたい。
バイクにのるカランが、現金強奪のためにBMWをおそう場面。
二発の二二口径の弾丸が、
ピンボールの球よろしく運転手の脳みその中を跳ね回る。
だから、カランは二二口径を愛用する。
頭蓋骨を貫くほどの威力はないが、
出口を求める弾丸が盤上をやみくもに駆け巡り、
すべてのランプを点灯させ、それから残らず消灯させる。
ゲームオーバー。
ボーナス・プレイはなし。
BMWは一気に三百六十度回転して、道路から飛び出す。
それはあまりにやるせない、一九九六年のピンボール。
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テーマ : 推理小説・ミステリー
ジャンル : 本・雑誌
佐々木希という奇跡 ― 『天使の恋』
天使の恋
出演:佐々木希 谷原章介 山本ひかる
監督:寒竹ゆり
制作:日本 平成二十一年
[新宿バルト9で鑑賞]
【注意】
以下の記事では、物語の核心にふれています。
その美貌はボクに、生まれてはじめて神の存在を信じさせた。
人間が作りだせる美しさを超えているのだから、
ホモ・サピエンス以上のなにか、つまり神の手によるとしか説明の仕様がない。
生命を維持できるかおぼつかない小さな頭骨の中ほどで、
視覚器官として不要なほど大きい眼球が、完璧な位置におさまる。
世界のすべての光をあつめながら。
ととのつた鼻梁と唇はやや小ぶりだが、ピタゴラスも惚れこむであろう、
顎のあでやかな三角形にむけ、ゆがみない対角線をなしている。
手足と名付けられたコンパスはひたすら細く長く、中空に端正な真円をえがく。
皮下脂肪という不愉快な現実を、ファンタジーとおもわせる痩躯なのに、
その両肩や腰のまわりには優美な曲線があらわれ、
図像学の教科書のフェミニニティの項目に、おあつらえむきの標本を提供した。
たとえばこんな風に。
社会における最悪の職業とは、佐々木希と共演する女優のことだ。
彼女の隣でどうふるまえば、客の視線の百分の一を集められるのか。
ただそこにいることが、災厄となる女。
映画の題名は、彼女を天使にたとえている様だが、
比喩につかわれた天使にしたら迷惑な話だ。
くらべられるのを恥じて、首を縊つたかもしれない。
本作は、同名のケータイ小説を映画化したもの。
不幸にも十分な教育をうけられなかつた、
なかば文盲の女学生むけの媒体だから、
その筋書きにケチをつける野暮はつつしみたい。
十四歳のときレイプされ妊娠中絶を経験し、
グレてしまつた主人公が、同級生をたばねて組織的な売春をおこない、
イジメ、恐喝、美人局などの悪行をかさねつつ、
恋人の難病や、親友の自殺(こちらは性的虐待)などの困難をのりこえ、
ついに真実の愛をみつけだすさまに、素直に感動すべきだ。
レイプや売春が大好きなケータイ小説の読者はどうかしてるとか、
脳のどこを使えば、ここまで品性下劣な物語をつくれるのか分らないとか、
そんな無神経なことは申しません。
だけど佐々木希の芝居は、その発声も表情も、
演技経験が皆無にひとしいことが言い訳にならないほど、
つたなくて、焦点があつておらず、調子はづれだつた。
一言でいうなら猿芝居。
なのに泣ける。
人の心の不可解さよ!
うつくしければ、すべてOK。
それが宇宙の真理であり、佐々木希という存在自体が、
万巻の哲学書にまさる説得力をもつ。
鉄道のダイヤグラムより正確に、
予想どおりの頃合いで不幸な事件がおこる映画なので、
入念にならべたドミノの様に、パタパタと人がたおれる。
主人公の恋人も当然、脳腫瘍という重病をわづらう。
ちなみに、三十五歳の大学教授なんているわけないと、
至極正当な批判をしたいところだが遠慮しておこう。
上映時間の終わりがちかづくにつれ、
ボクの胸は「コイツはいつ死ぬのか」という期待で一杯になる。
手術当日、恋人をはげます希の目からダイヤモンドがこぼれた。
広大な湖をせきとめていたダムが決壊し、
洪水が秋田美人のなめらかな頬をあらう。
ようやく来たか。
しかし幕切れで、銀幕をうろつく谷原章介に驚愕!
映画の分類から考えてゾンビではなさそうだから、
難手術をのりきり、みごと快復をとげたらしい。
佐々木希。
それは災厄であり、人智のおよばぬ奇跡でもある。
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「ブログ DE ロードショー 第4回」告知
えェー、お運びでありがたく御礼もうしあげます。
殺人、強盗、詐欺に、覚醒剤。
物騒な事件が耳にはいらぬ日はない世の中でして、
われわれ善良なる市民としては、枕を高くして眠れません。
そんな悪党どもはお上が片つ端からふんづかまえて、
しばり首にしてくれるとありがたいですが、
みなさま御承知のとおり、ことしから「裁判員制度」なんてのがはじまり、
ずぶのシロウトが、重大犯罪に裁きをくだす役目をになう次第となりました。
まあ映画なんかですと、有名なところでは『十二人の怒れる男』とか、
陪審制度に題をとつた名作がございますな。
「さすが訴訟社会アメリカはすごいな、カッコイイな」てな具合で、
対岸の火事と安心して眺めていたものですが、
まさか自分が法廷に招かれるかもしれないとは、おもいもよらぬ展開でございます。
さてこのエントリは、「ブログ DE ロードショー」のお知らせです。
ブロガー同士で日取りをきめ、DVDかなにかで同じ映画をみて、
感想を記事に書いたり、ブログにコメントしたりして楽しむ企画です。
えェ勿論、文章を書くのは義務ではございません。
楽しみかたは、人それぞれ。
なんと今回は、ワタクシめが作品選定の役を仰せつかりましたので、
普段映画をあまり見ない、そんな読者のかたこそ、
是非気軽に御参加いただけるとありがたく存じます。
日時は11月13日(金)~15日(日)です。
さて、気になる作品名は…
『ニューオーリンズ・トライアル』
(DVD版タイトル:『ニューオーリンズ・トライアル/陪審評決』)
出演者:ジョン・キューザック ジーン・ハックマン ダスティン・ホフマン
監督:ゲイリー・フレダー
原作:ジョン・グリシャム
製作:アメリカ 2003年
に決定いたしました。
ビデオ屋さんでは、「サスペンス」の棚に置かれてるはずです。
おつと、「そんな映画は聞いたこともない」とお思いの読者さま、
食わず嫌いでは勿体ない。
陪審制度のおそるべき裏事情をえがく、法廷サスペンスの傑作なんですから。
『ニューオーリンズ・トライアル』は、銃乱射事件の被害者の妻が、
銃器会社を相手に起こした訴訟をめぐるドラマです。
この裁判の陪審員にえらばれたのが、冒頭の写真の右側、
ゲーム店ではたらくニック・イースター(ジョン・キューザック)。
市民の義務をはたす気などさらさらないグータラ男で、
「ネットゲームの大会があるので棄権します」と逃げたら、
かえつて裁判長の怒りを買い、無理やり審理に参加させられる。
ところがどつこい、その不真面目な態度は実は演技だつた。
厳粛な裁判の背後で、陰謀がうごめく。
殺人の責任を負わされてはたまらない銃器会社は、
巨費を投じ、陪審員を通じて判決を誘導しようとたくらんでいた。
陪審コンサルタントのランキン・フィッチ(ジーン・ハックマン)。
こいつがまた悪いヤツでして。
心理学、ハイテク、捜査などの専門家をあつめてチームをくみ、
ありとあらゆる面から、陪審員をあやつろうとする。
陪審員席を隠しカメラで監視し、被告側弁護士に指示をだす。
原告側に味方する陪審員は、住居侵入までして弱みを探しだし、
それをネタに脅迫して意見をかえさせる。
いやあ、裁判つてコワイものなんですねえ。
この映画は、配役が最高なんです。
みな藝達者で、しかもノリノリ。
原告側の弁護士役のダスティン・ホフマンと、ジーン・ハックマンが、
裁判所のトイレではげしく議論をたたかわすさまは、
語りつぐべき名場面中の名場面。
ちなみにジョン・キューザックは、21日公開のSF大作、
『2012』の主演もつとめているので要チェックだつたりします。
そしてワタクシが、美女のでない映画を選ぶわけがございません!
原告被告双方に、「陪審員売ります」とのメッセージをつたえる、
謎の女マーリー(レイチェル・ワイズ)。
ただでさえヤヤコシイ裁判は、上を下への大騒ぎとなるのでした。
どうです、見たくなつてきたでせう。
暴力や性的な表現もないので、どなたにもオススメできます。
14・15日の週末はアニメは録画しておいて、たまには映画でもいかが?
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そして天使は走りつづける ― なでしこリーグ 第21節 ベレーザ 対 INAC
なでしこリーグ 第21節 日テレ・ベレーザ 対 INAC神戸レオネッサ
結果:2-0 (1-0 1-0)
得点者:前半7分 岩渕真奈 後半7分 須藤安紀子
会場:駒沢オリンピック公園総合運動場陸上競技場
[現地観戦]
平日よりも念入りに髭をそつた。
ボクの天使に見苦しい顔はさらせない。
つむじ風が、駒沢公園の枯葉をまきあげる。
世田谷の住宅地にかこまれる広場では、
裕福そうな家族が日曜の午後をすごしていた。
十七歳年下の女子サッカー選手に熱をあげ、
孤独な週末をおくるボクは、相対的に人生の敗残者だとおもえる。
ちなみに我が弟は、妻子とともに世田谷区のどこかに住んでいるが、
最近勤め先が倒産したとかで、生活は大変らしい。
どの家族にも、それぞれの内情がある。
見た目では、なにもわからない時代だ。
二万人を収容できるうつくしい競技場。
ただし、一番上の写真にうつる病院のせいで照明をおけず、
立地も設備もカンペキなのに、Jリーグの規格をみたさない。
まさに宝の持ち腐れ。
閑古鳥がなくバックスタンドに、この国のサッカーの実体がみえる。
前半7分、大野忍とのワンツーからぬけだした岩渕真奈が、
ゴールネットをやさしく揺らす。
身も焦がれるほど待ち望んだ瞬間だが、
実際に目の当りにすると、さほどの感動はない。
だれからも当然とおもわれている。
公平にみれば、十六歳が日本代表選手をおしのけて、
この試合に出ていることが驚嘆に値するけれど。
「天才」の称号とは、斯様に重いのだ。
ぶっちーの一蹴りで、勝ち点3で追うINACを返り討ちにし、
ベレーザは今季の準優勝をきめた。
でも実は得点よりうれしいのは、
彼女の右腿のサポーターがとれていたことだつたりする。
つまらない試合だつたので、追加時間中に席をたつ。
まあ岩渕真奈が、後半22分に木龍七瀬と交代したからでもある。
一方、INACはシーズンを四位でおえた。
右サイドバックの主将・藤村智美は、なぜ勝たねばならない試合で、
ずつとぶっちーに貼りついていたのだろう。
よくわからない。
「天から来たマナ」と徒競争をしたくなかつたのか、
それとも、『サッカーマガジン』の表紙をかざつたのを妬んだのか。
トイレから出たあとの細い階段で、
ケガで欠場していた澤穂希とすれちがう。
不機嫌そうだつた。
後輩のはたらきに不満があるのか、
それとも、くるしくなるほど排泄をこらえていたのか。
いづれにせよ、今度は全日本選手権にむけて、
岩渕真奈とその仲間たちの挑戦はつづく。
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