『マイケル・ジャクソン THIS IS IT』

 

マイケル・ジャクソン THIS IS IT

This Is It

 

監督:ケニー・オルテガ

制作:アメリカ 二〇〇九年

[新宿ピカデリーで鑑賞]

 

 

 

マイケル・ジャクソンが死の二日前まで尽力した、

ロンドン公演のリハーサルの模様をまとめた映画。

まづ気づいたのは、彼が四六時中ジャケットを羽織つていること。

それもキンキラキンの。

痩せぎすの体躯をみせるのが嫌いなのだろう。

世界各地からつどう若いバックダンサーは、

汗だくになるのを予期して、だれもが半分裸みたいな格好なのに。

キング・オブ・ポップには、舞台衣装と普段着の区別がない。

私生活など、とうの昔にドブに捨てている。

『ハイスクールミュージカル』などで知られるオルテガ監督にとつては、

この男の隙のなさが好都合だつたはず。

練習風景をつなぐだけの映像でも、貧乏くさく見えないし、

それどころか、拍手喝采の会場が瞼にうかぶ瞬間が多々ある。

あゝみえて藝歴四十年をこえる古兵だから、共同作業者への要求は高度で、

期待にこたえられない人間には、露骨にイラつくこともある。

舞台は氷りつく。

マイケル・ジャクソンに叱責されるなんて、これよりひどい悪夢はない。

ただ空気にまじる酸性の粒子に、マイケルはすぐに反応する。

だれかがだれかを傷つけることに、極度に敏感だから。

「怒つてないよ、愛でいつてるんだ。L-O-V-E」

こんなセリフを口にして嫌味にならないのは世界でただひとりだし、

そして、その人はもういなくなつてしまつた。

 

 

 

この映画がすばらしいのは、その死について一言もふれないこと。

匂わせすらしない。

最高のショウをめざし、音楽とダンスと演出の采配をふるう、

偉大なリーダーの奮闘ぶりだけがそこにある。

ベース担当のアレックス・アルに、「もつとファンキーに」といいながら、

「ドゥクドゥントゥットゥッ」と呻り、ベースの弾き真似をするのが超クールだ。

やたら線の細い印象でかたられる人だが、本質的には野太いビートを愛する、

ジェイムズ・ブラウン直系のファンクマスターだつた。

 

 

「Black Or White」でギターを掻き鳴らすオリアンティ・パナガリス。

下からの風に金髪が逆立ち、まつたく別の意味で超クール!

一筋縄でゆかぬ音楽的背景にささえられた、

いまのマイケルにしか演じられない、綺羅星のごときコンサートになつたろう。

 

 

 

オルテガ監督が本作を、故人をしのぶという口実で、

お涙頂戴のドラマに仕上げるという誘惑に勝てたのは、

それが、藝の道に生きた男への最高の手向けと知るからだ。

せめて映画という形で、公演をまつとうしてあげたい。

かぎられた素材を慎重に縫いあわせ、マイケルの最後の夢を現実のものとした。

誠実な仕事だとおもう。

数日後に心肺停止するとは信じがたい、はげしく踊る百十一分のあと、

めづらしくスタッフロールを最後までみている筆者のなかで、

少年の様な彼の声が、たしかにひびいた。

ボクのことでいつまでも悲しまないで。

そして、世界に愛を。

L-O-V-E。


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テーマ : マイケル・ジャクソン
ジャンル : 音楽

『ヴィーナスの身支度』

 

 

 

電車で化粧する美人はいない。

人前で見た目をとりつくろう姿は、どうにも見苦しい。

内面のあさましさは、ファンデーションでは隠せないのだ。

実際彼女たちがおもう以上に、人は人の顔を意識する。

その美醜ではなく、何者であるかを。

敵か、味方か、はたまたそれ以外か。

だから目の前でだれかが偽装工作をはじめれば混乱するし、

わるくすれば敵意を買うことさえある。

ボクは自分にあまく、他人にきびしい人間なので、

不快な行為をみかけたら、見知らぬ相手でもときに注意する。

ただこの案件では、どう声をかければよいのか。

「人前で化粧することがなんで迷惑なの」と返されたら?

講釈に三駅分の時間がかかるし、それで理解してもらえるとも思えない。

 

 

 

 

『ヴィーナスの身支度』(四世紀後半/大理石、石灰岩、色ガラス)

 

ローマの植民市として再建された、カルタゴの住居の寝室にあつた舗床モザイク。

大丸ミュージアムの「古代カルタゴとローマ展」で一目惚れした。

手鏡をうつとりと見つめるウェヌスのあだつぽさ。

マントから自然にさらけだされる、ふくよかな薔薇色の肌。

クピードーが左右より、宝石箱の中身をわたそうとする。

それにしても、化粧する愛と美の女神!

なんという涙ぐましい努力!

この題材は、ローマ支配下の属州アフリカで広く知られたもの。

正統的なローマ神話における解釈とは、趣きを異にする様だ。

くわしくはなにも知らないが、古代地中海文化の粋という気がする。

 

 

 

カルタゴの婦人は、朝にはウェヌスを横目でながめつつ、

その永遠の若さと美しさにあやかろうと、身支度をととのえた。

そして夜には、夫婦が情けをかわすのを女神はやさしく見守る。

このモザイクが寝室にあることが、実によい塩梅だ。

身づくろいだとか、男女のあいだの秘めごとだとかは、

私事としてかたく鍵をかけた上で、表沙汰にするべきでないと、

賢明な古代人たちはよく知つていた。

小スキピオがいまの東京を見ればこれを嘆き、

かつてのカルタゴの様に、草一本はえぬまで破壊しろと命ずるだろう。


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テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

海賊より貪欲な ― 『パイレーツ・ロック』

 

 

パイレーツ・ロック

The Boat That Rocked

 

出演:フィリップ・シーモア・ホフマン トム・スターリッジ ビル・ナイ

監督:リチャード・カーティス

制作:イギリス・ドイツ 二〇〇九年

[新宿武蔵野館で鑑賞]

 

 

 

一九六〇年代のイギリスが、音楽の革命の中心地だつたことは、

のちの世代でもしらぬ者はいないが、

そのラジオ放送が悲惨なほど保守的だつたとは意外だ。

ラジオ局自体、公共放送のBBCしか存在せず、

ポップミュージックをながす番組はほとんどない。

当然、若者は不満をつのらせる。

そこで目をつけたのが海の上。

海岸より三マイルはなれれば国内法が適用されないから、

船上から二十四時間すきな音楽をながし放題!

この文字どおりの「海賊放送」で跋扈する、八人のDJの物語が本作だ。

いまさらロックを、反体制の象徴とまつりあげても鼻白むが、

海賊放送をつぶそうとするロック嫌いの大臣をからませる、

『ラブ・アクチュアリー』のカーティス監督の作劇は、けれんがない。

 

 

 

あいかわらず女優をかわいく、そして小憎らしく撮るひとだ。

 

 

男ばかりの船にやつてきた、タルラ・ライリー(Talulah Riley)。

この監督は黒髪の女がすきなのだろう。

はなれぎみの垂れ目が子犬をおもわせ、庇護心をかきたてる。

そして「タルラ」つて名前が、なによりかわいらしい。

気弱な主人公のトム・スターリッジとよい雰囲気になるが、

コンドームがどうとかいう、男同士の内緒話を耳ざとく聞きつけ、

「わたしがすぐ寝る女とおもつたの!?」と激昂する。

その怒りはもつともなのだが、

 

 

スターリッジがちよいと目をはなした数分後に、

まえからファンだつたという、おデブなDJとこんなことに。

純情な主人公は、レナード・コーエンをききながら、

ほろにがい失恋の味をかみしめる。

 

 

別の腰ぬけDJのもとに嫁いできた、ジャニュアリー・ジョーンズ。

 

 

はじめて夜のあと、朝の紅茶ものまずに、船にのりこんだ目的をつげる。

この結婚は十七時間でおわつた。

英国政府を嘲弄する海賊も、美女には手玉にとられるばかり。

 

 

 

 

 

アメリカ人DJとして、フィリップ・シーモア・ホフマンが出演。

オシャレ度も愛嬌も皆無だが、逆にその鈍重な個性が、

うわつきがちな音楽映画を、碇の様につなぎとめる。

正直ボクは、大物きどりの自惚れで太鼓腹をふくらませた、

このブタマン、もといホフマン氏が好きではないが、

船上での五週間の共同生活ではぐくんだ団結心のせいか、

彼にはめづらしい、団体行動としての芝居をみれてよかつた。

 

 

名をあらそうDJとの、マストのぼり対決での一コマ。

豚もおだてりや木にのぼるというわけで、

カーティス監督の、役者をその気にさせる演出術は健在だ。


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

凍空の天使 ― なでしこリーグ 第20節 ベレーザ 対 浦和レッズ

 

なでしこリーグ 第20節 日テレ・ベレーザ 対 浦和レッズ・レディース

 

結果:1-1 (1-1 0-0)

得点者

【ベレーザ】前半15分 大野忍

【浦和レッズ】前半23分 安藤梢

会場:西が丘サッカー場

[現地観戦]

 

 

 

一歩踏みだすたびに熱がぶりかえす。

体温すらまともに保てない、おのれの身が不甲斐ない。

きのうは半日寝てすごしたが、木曜にひいた風邪はまだ癒えない。

糸のきれたマリオネットの様な体をひきずりながら、

手足がもげる前に、どうにか日本唯一の国立サッカー場にたどりつく。

試合がはじまるまで一時間ある。

なにせ東京都北区は、赤いやつらの根城にちかい。

出遅れたら、彼らの得意な数の暴力でスタジアムを占拠され、

客席から石をもつて追われるおそれがあつた。

それも杞憂におわる。

曇天のもと、閑散としたスタンドを寒風がふきさらす。

いてもいなくても迷惑な連中だ。

上着のまえを喉元まであわせても、ふるえがとまらない。

一体ボクは、なにをしているのだろう。

いるべきなのはサッカー専用スタジアムではなく、

医療の専門家のところではないのか。

ただボクの天使にみとられて死ぬなら、それも天命かもしれない。

 

 

 

練習がはじまる。

岩渕真奈は、右腿にサポーターをまいている。

そういえば今季前半も、筋肉系の負傷で離脱していた。

ゴム毬みたいに弾力性にとむ肉体だが、

それゆえ負担もおほきいのだろうか。

先発選手がつげられた。

ボクのすきな南山千明がいるのが嬉しい。

宝塚歌劇団の男役の様に背筋をピンとのばしたまま、

ボールをさばくさまが優雅だ。

ぶっちーは右側に足場をかためる。

試合は、すでに今季の優勝をきめた浦和が掌握した。

堂園、庭田、高橋、柳田の四人が中盤に鉄条網をはり、

ベレーザは前線への補給線をたたれる。

後半は布陣をかえ、馬力のあるフォワードのまわりを衛星の様にうごく、

ぶっちーの得意の形になるが、それだけで片はつかない。

ことしのベレーザをみると欲求不満がたまる。

ファミコン時代のサッカーゲームみたいだ。

各選手のAIが機能しない、というよりAI自体がプログラムされていない、

熱血高校ドッジボール部以下の戦術が悲しい。

 

 

 

西が丘の客席は、選手の息づかいが聞こえるほどフィールドにちかい。

鼻のさきを駆けぬける岩渕真奈は、まさに一迅の風だ。

くにおくんとちがい必殺シュートはうてなくても、決してあきらめない。

錐で穴をあける様に、執拗にドリブルをくりかえす。

王座をゆづつた原因でもある、第13節での浦和相手の敗戦を、

インタビューで「くやしかつたこと」に挙げたくらいだから、

相当発奮していたのだろう。

後半は一番わかいぶっちーが、最前線で攻撃の道をつけた。

終了まぎわのボレーが決つていればとおもうが、是非もない。

同点でおわつたけれど、試合終了時の拍手はあたたかい。

かえりの本蓮沼駅でホットレモネードをのんでいるとき、

ふとあることに気がついた。

自分の足どりが妙にかるい。

三時間の医学的な自傷行為の果てに、風邪はなおつていた。


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テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

タグ: 岩渕真奈 

電撃ドキュメンタリー ― 『ラブ・アクチュアリー』

 

ラブ・アクチュアリー

Love Actually

 

出演:ヒュー・グラント アラン・リックマン エマ・トンプソン

監督:リチャード・カーティス

制作:イギリス・アメリカ 二〇〇三年

[DVDで鑑賞]

 

 

 

さて英文法の授業です。

「Love Actually」を字面だけ見れば、「動詞+副詞」のくみあわせ。

実際に、愛しあおう。

響きにふくみのある題名だとおもう。

 

 

冒頭の字幕は、この様に補足する。

赤で強調されたbe動詞に注目しよう。

この映画における「愛」は、抽象的な「モノ=名詞」ではなく、

「いまそこにあるなにか」として、銀幕で脈うつ。

だから製作者たちは、ヒースロー空港で一週間カメラをまわしつづけ、

魅力的な顔をみせたシロウトに、作中につかう許可をもとめた。

本作は、どこか記録映画に似た手ざわりがある。

 

 

 

 

 

ドキュメンタリーだから、『ラブ・アクチュアリー』は社会をえがこうとする。

ヒュー・グラント扮する英国首相が、先頭をきつて恋におち、

官邸の配膳係にふりまわされたり。

また恋愛映画でもあるから、おしなべて女の方がつよい権限をもつ。

 

 

文字どおりの女性上位。

このふたりは売れない役者で、『ラストタンゴ・イン・パリ』みたいな、

俗つぽい官能大作映画の撮影現場で、ラブシーンの替え玉をつとめている。

しらじらしくセックスのふりをする仕事中に、おかしな順序で愛がめばえた。

 

 

こちらは口でのお仕事。

スッポッポンポンなのに、純情をにじませるジョアンナ・ペイジがいとおしい。

すぐれた戦争映画は、えてして若手男優の見本市になる。

『プライベート・ライアン』に、エドワード・バーンズやヴィン・ディーゼルが出ていた様に。

おなじく恋愛群像劇は、若手女優に機縁をあたえるだろう。

 

 

当時、飛ぶ鳥をおとす勢いだつたキーラ・ナイトレイの、

瞬間最高風速をフィルムに記録することに成功。

かるくムカつくほど、自信にみちた笑顔だ。

 

 

お次はドイツ出身のハイケ・マカチュ。

さあ、電撃戦のはじまりです。

 

 

ボスの部屋から出るとき、華麗にピルエットをきめて、意味ありげな微笑をおくる。

上半身の輪郭が、影絵の様にうかびあがる。

黒のタートルネックを勤務中に着るのはやめませう。

どうしても着たいなら、胸元をチラチラみられても文句はいわないこと!

 

 

上司と話しながら、死角を利用して大股びらき。

ワタシはいつでも準備オッケーよ、と業務連絡。

 

 

パーティ会場にて。

そのものズバリな悪魔の仮装。

相手のオクサマも来てるのに、ダンスにさそう。

 

 

宴がひけてから。

上司は女房を連れてかえつたが、手ごたえはアリ。

勝ち誇るかのごとく、真紅のドレスをぬぎすてる。

ヨッシャ、落とした!

 

 

 

 

 

あつさり白旗をあげたダメ上司のアラン・リックマンが、妻と出かけたデパートで、

ひとりになつた隙に、小悪魔へのクリスマスプレゼントを物色する。

「お客さま、なにかお探しで?」と声をかけたのは、危険な男ミスター・ビーン。

 

 

ペンダントを買つたはよいが、いつ細君がもどるかわからない。

しかし焦るリックマンに頓着せず、店員は悠々と包装に凝る。

脚本をかいたカーティス監督は、日本の店で体験したイライラをこの場面にいかした。

わが国の悪しき風習が、世界に知られることに。

 

 

袋に花をいれたりして。

静止画をみるだけで笑えるのはボクだけでせうか。

 

 

何度いつても急がないので、半泣きになる浮気中年。

 

 

挙げ句の果てに、シナモンスティックで香りまでつける。

人を人とも思わぬ、この余裕。

 

 

あきらめの表情。

ローワン・アトキンソンの相手をする人間が、いつも見せる顔ではあるが、

ただリックマンは本当につかれていたらしい。

このサスペンスフルな場面は、「セルフリッジ」という百貨店で、

閉店後の午後九時から朝の五時まで、やすまず撮影された。

作品では三分半しかないのに。

たわいない茶番劇のために、ふたりの名優から本気の芝居をひきだし、

その激突の瞬間が記録としてのこされたことを、尊くおもう。

 

 

 

 

 

今回の記事は、いまブログ界でしづかなブームをおこしている、

「ブログ DE ロードショー」の第三回に便乗したものです。

そこで気になるのは次回の作品ですが、

なんと選考は不肖ワタクシめが任されることになりました!

いまのところ作品名を挙げることはかたく禁じられておりますが、

十一月六日には当ブログで告知いたします。

乞うご期待!





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ジャンル : 映画

想像力について ― 「ベルギー幻想美術館」展

ベルギー幻想美術館

クノップフからデルヴォー、マグリットまで 姫路市立美術館所蔵

 

会場:Bunkamura ザ・ミュージアム

 

 

 

「ブンカムラ」とかいう変な村の、乙にすました村役人の間をすりぬけ、

ベルギーの絵画にかこまれた途端、すさまじい便意におそわれた。

出がけにトイレにいつたのに。

ことわるのが遅れましたがスミマセン、お食事中ではなかつたですよね?

尾籠な話ながら小生は、父に似たのか胃腸がよわく、

便秘と下痢という名の友人が、数日おきに交代で訪問してくれます。

ちなみに呼吸器系統を中心とする虚弱体質は、母ゆづり。

父母それぞれの欠陥のみをつぎはぎした、不様なパッチワーク。

それがボクという人間です。

顔面蒼白のまま入口を出口として使い、

その十分後に再入場券をさしだしたときの、

村役人が假面の下にかくす薄笑いが厭わしい。

しかしこの大惨事は、わが一族の呪われた血統だけが原因ではない。

東急本店となりの地下一階にたちこめる、

ひんやりと冷たい死の臭いをかぎとつた神経が、警報をならしたのだ。

 

 

 

 

フェルナン・クノップフ『ブリュージュにて 聖ヨハネ施療院』(一九〇四年ごろ)

 

ローデンバックの小説『死都ブリュージュ』に触発されて、

写真や絵葉書をもとにかいたらしい。

運河の水面をひろめにとる構図が、衰退したふるい港町の不吉さを強調する。

空は画面から追いはらわれ、ひたすら息ぐるしい。

この絵のまえで、ボクの括約筋は重荷にたえきれなくなつた。

 

レオン・フレデリック『春の寓意』(一九二四~一九二五年)

 

図像学に無知なボクでも、三連祭壇画を模したことくらいは分る。

ただ聖マリアが青外套をまとわないなど、新趣向もこらされている。

マリアはうつとりとした面持ちで、頬紅をさした様にほんのり赤らむ。

ノンノモデルみたいだ。

多分カノジョは、男にさそわれるのを待つている。

子持ちとはいえまだ処女だから、別におかしくはない。

そうかんがえると題名も意味深長だ。

英語の辞書をひいたが、残念ながら「spring」に性的なふくみはない。

海外旅行中に「I want to buy spring.」といつても通じないので御注意を。

ベルギーでつかわれるフランス語やオランダ語はしりません。

ただ日本語の「春」はすごいです。

春のめざめ、春をひさぐ、春情、春画、売春、エトセトラ。

つぎの春がまちどおしい。

 

フェリシアン・ロップス『古い物語』(一八六七年)

 

助平な当ブログ管理人に掲載をためらわせるほどの、

悪趣味な版画を沢山つくつたロップスの油彩作品。

淑女の假面の下の、娼婦の素顔。

ありふれた題材にちがいないが、画家の希少な油彩の人物画が、

斯様に卑俗なものであるという事実は重い。

描かずにいられなかつたのだ。

 

 

 

 

ポール・デルヴォー『乙女たちの行進』(一九五四~一九五六年)

 

おほきな瞳の女が、なんら意味なくポロリと乳房をさらす、

デルヴォーの画風はボクの理解をこえている。

ただ例の女たちの、後ろ姿のうつくしさに気づいたのは収穫だつた。

浮世絵師がみたら笑い転げそうな、髪の量感のとぼしさ。

背中からでも、「女らしさ」が意地わるく歪曲される。

 

ポール・デルヴォー『海は近い』(一九六五年)

 

視線のさきに、鉛色の北海がみえる。

嘲弄する様にえがかれる裸婦のはざまで、

影をせおつた白いドレスの女が海をめざす。

その目的は、しるよしもないが。

画家も、作品をみるボクも、彼女を引き留めるつもりは毛頭ないから。

 

 

 

 

 

ベルギーの地図と、画家たちの出生地を照らし合わせるとおもしろい。

てんでバラバラなのだ。

たとえばアンソールとスピリアールトは、北海に面するオステンド。

クノップフは、北部のグレムベルゲン。

フレデリックは、王都にしてEU本部所在地であるブリュッセル。

マグリットは、ブリュッセル近郊のレッシーヌ。

ロップスは、南部のナミュール。

デルヴォーは、ドイツにちかい東部のアンテイト。

もしこれがモグラ叩きなら、プレイヤーが十人必要だ。

九州よりせまい国土で、よくこれだけ都市が機能するものだ。

高度な流通システムのおかげだろうか。

しかし交通の要衝は、つねに軍事の要衝でもある。

ふるくは、ナポレオン一世の百日天下をおわらせたワーテルローの戦い。

二十世紀には、ふたつの世界大戦。

大国同士がベルギーを庭としてたたかい、戦火は王国を焼きつくす。

ベルギーの画家の暗い想像力は、その不条理な歴史と無縁ではないだろう。


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孤独を抱いて ― JFL 後期第12節 町田ゼルビア 対 武蔵野FC

 

JFL 後期第12節 町田ゼルビア 対 横河武蔵野FC

 

結果:1-2 (0-1 1-1)

得点者

【町田】後半44分 御給匠

【武蔵野】前半44分 冨岡大吾 後半13分 桜井直哉

会場:多摩市立陸上競技場

[現地観戦]

 

 

 

FC東京のユニフォームが散見する京王線。

調布の片田舎にあるくせに厚かましくも「東京」を名のる、

イカサマなクラブの支持者を尻目に、調布で乗りかえた。

真の都民がみるべき試合は、「東京ダービー」のほかにない。

橋本行きに乗車。

このごろの車内広告は、「債務整理」の四文字ばかりで鬱々とする。

あくどい金貸しのために色香をふりまいたグラビアアイドルは、

野暮つたいスーツの司法書士にとつてかわられた。

おもえば、サラ金だつてそう悪くもなかつた。

破産が日常茶飯事と化した時節とくらべれば。

電車やバスにのるたび、首をくくる日時を早めるかどうか、

なやまされる乗客が大勢いる。

一体全体、この街はどうしたのか?

快適なシャトルバスで缶チューハイをながしこむうち、

四月に岩渕真奈」という名の天使と邂逅した、多摩市立陸上競技場に到着。

いわば思い出の地だが、やけに陰気に感じられるのは、

男女のちがいか、季節のちがいか。

 

 

 

岩渕真奈の才能をはぐくむため(だけ)に存在する東京ヴェルディは、

読売グループの、プロスポーツ史上類がない見事な経営手腕のおかげで、

存続すらあやぶまれる体たらくだ。

十六歳の若さで、だれもがうらやむ天賦の才をもつぶっちーが、

サッカーをつづける確証をもてない現実をおもうと、胸がはりさけそうだ。

そんな平成二十一年。

東京都西部からJリーグ入りをめざす町田ゼルビアは、

後期いまだ負けなしと、上げ潮にのる僥倖にめぐまれた。

もし、勝ち点差2の武蔵野をひきずりおろせば、

帝都のサッカーの地殻変動を象徴する事件として記憶されるはず。

試合前のサポーターの士気も高まるばかり、と書きたいが、

席を確保したあと、外のベンチで休んでいたのでわからない。

サッカーは好きだけど、付随する儀式は退屈すぎるから。

音楽をたのしみつつ酒をのみ、写真をとつたりして過ごす。

 

 

MOON CHILDの「ESCAPE」をくりかえし聞いた。

もう十二年たつけど、これより東京らしい曲にまだ出会えない。

 

 

 

東京ダービーにかけつけた観客は、都の人口の0.01%にあたる1315人。

ゼロに等しいといえよう。

新宿駅にいた、あの群衆はどこに消えたのか。

オレは幽霊でも見たのか。

武蔵野は、エレガントな独裁者の太田康介を欠いたこともあり、

町田がフィールドの領有権を手ばなさない。

しかし。

前半終了まぎわと、後半開始すぐあとに失点。

サッカーを御存じのかたならお分りのとおり、最悪の展開だ。

原因は大分県にもとめることができる。

先週の天皇杯で、武蔵野はJ1に属する大分トリニータをPK戦まで追いこんだ。

大分市営陸上競技場で目の当りにした技術水準をおもいだしてからは、

つねに町田に一歩さきんじて、試合をきめる二得点をうばつた。

それだけの話。

 

 

 

後半44分、つまり追加時間にはいる直前、

百八十七センチの御給匠が、頭でゴールネットをはげしくゆすぶる。

ヘディングシュートはうつくしい。

足によるものより何倍も。

その場所をうばいあう雄々しさ!

陳腐な二次元の戦術をあざわらう、地表をはなれた崇高さ!

御給の得点は、勝敗にほとんど影響しなかつた。

そもそも試合に勝つたところで、今季のJ2昇格はない。

プロリーグをめざすとはいえ、選手のほとんどはアマチュアで、

地元の企業の情けで、サラリーマンとして雇われている。

もし数年後、幸運にもクラブがJリーグに加盟できたとしても、

大幅に選手はいれかわるだろう。

要するに、けふフィールドに立つた二十八人は、

サッカーの世界における成功者ではない。

二十代でメルセデスを乗りまわしたり、女子アナウンサーと結婚したりはできない。

誰ひとりとして。

それでも、驚嘆すべき得点はうまれる。

誰のためなのかは分らないが。

 

もう誰も癒せない

傷跡に降りそそぐ雨

そう君と秘密を分けあうように

ずっと孤独を抱いてくれ

 

MOON CHILD「ESCAPE」

作詞:佐々木収


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最後のラブコメ ― 伊藤伸平『はるかリフレイン』

 

はるかリフレイン

 

作者:伊藤伸平

発行:白泉社 平成十年

[JETS COMICS]

 

【注意】

以下の記事では、物語の核心にふれています! 

 

 

 

全一巻百九十二ページで、のべ六人が死ぬ辛口のラブコメディ。

と言つてもひとりの人間、それも主人公の恋人が、

巻き戻された時空のなかで六回死ぬだけなのだが。

皮肉屋として好事家にしられる伊藤伸平だが、

進研ゼミの『高1Challenge』に一年、つまり十二回連載された本作は、

柄にもないキョーイクテキハイリョが、作者本来の毒を中和したおかげで、

そのむかし十五歳だつたボクの胸を、いまだにゆすぶる。

 

 

カレシの啓太の葬儀に参列する、新高校一年生のはるか。

夜通し泣きぬれる姿はあえて描かず、翌日に「おや まだ涙が残ってたよ」。

数滴の涙の方が、よりふかい哀痛をあらわすこともある。

いかにもシンペイ流の、かわいた心理描写だ。

さて。

鎌倉駅西口広場に実在する、冒頭の時計塔の鐘の音にみちびかれ、

はるかは唐突に、事故の一日まえにタイムスリップした。

 

 

 

 

 

前日は学校でテストがあるが、時間を堂々めぐりするうち、

勉強ぎらいのはるかも好成績をおさめる様になる。

進研ゼミの教材のなかで、カンニング行為をおこなうヒロイン!

 

 

時間移動するまえの、自宅での朝食の風景。

いつも一言おほい母がつけわすれた塩の中蓋は、

 

 

…かしこくなつて過去にもどつた時間旅行者にすくわれる。

はるかは運命にたちむかい、啓太の命をすくおうと意を決した。

 

 

 

 

 

啓太の家に電話して注意をうながそうとするが、

本人は不在で、しかも母に邪魔されるのがもどかしい。

でも自分が時間旅行者で、カレシがあす事故死する予定だなんて、

むやみに口にすることなどできない。

それにしても十二年まえ、携帯電話をもつ高校生はほぼ皆無だつた。

とつくに比率は逆転したけれど。

つきあう前も後も、固定電話という壁が恋するふたりをさまたげたが、

いまおもえば、それは恋愛の味を複雑にする調味料だつた。

番号かアドレスをしれば、後はやるかやらないかの選択肢しかない時代は、

たしかに便利だが、おもしろみはない。

ラブコメ漫画という一大ジャンルが衰退した原因のひとつだ。

 

 

はるかは知恵をしぼり、千枚通しで車のタイヤをパンクさせるなど、

運命という機械に幾度も挑戦するが、歯車はとまらない。

恋人の死に徐々に無感動になるのが、おかしくもかなしい。

 

 

 

 

 

いよいよ万策つきて、禁じ手に頼るはるか。

啓太に、行く手にまちうける不運をおしえる。

勉学は不得手でもかしこいはるかは、このメビウスの輪の様な物語が、

現実をうけいれられない自分がみる「ユメ」でないかと、

うすうす感じていたことが、会話からわかる。

結局救出に失敗し、幽霊として出てきた啓太からこう言われる。

もう十分だよ。

オレははるかが一生懸命やつてくれただけで満足だよ。

 

 

啓太の死も、それを許容できない自分のよわさも、

すべてをあるがままに受けいれる心を取り戻したはるかは、

夕闇にしづむ自宅にきびすをかえす。

はじめてみる、「今日」の夕焼け。

 

 

これが表紙。

ふくみのある笑顔は、「それ」をうけいれる前か後か判別できず、

だから一層、表紙をみるだけで泣けてくる。





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(1998/08)
伊藤 伸平

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ジャンル : アニメ・コミック

黄色い花 ― 『ストーカー』

 

ストーカー

Сталкер

 

出演:アレクサンドル・カイダノフスキー アナトリー・ソロニーツィン ニコライ・グリニコ

監督:アンドレイ・タルコフスキー

制作:ソビエト連邦 一九七九年

[早稲田松竹で鑑賞]

 

 

 

とおくの席でオッサンがクシャミをした。

おもわず泡をくう。

そのくらい場内はしづまりかえり、観客の神経がはりつめる。

『ストーカー』は三十年まえのソビエト映画で、

映画史上最高傑作とたてまつる人もおほい。

椅子がなければ、何人かは正座して見ただろう。

ボクはすくなくとも、半分くらいの時間うつらうつらしたから、

背もたれなしで百六十四分を辛抱できないけれど。

映画が、藝術性の純度をどこまでたかめられるか、

作家の心象をどこまで忠実に具現化できるかという実験に、

アンドレイ・タルコフスキーはソビエトでいどみ、上首尾をおさめた。

共産主義もわるいことばかりではない。

俺様のゲージュツがわからないなら寝てればよい、

なんて映画をつくれる国は、もう世界から消滅したことをおもえば。

 

 

 

 

タルコフスキーが最後に祖国でつくつた本作は、

この凝り性の監督が、おそろしいことに美術まで担当した。

だだびろい草原をまえに監督兼デザイナーは、

あたりに咲きほこる黄色い花を、ひとつのこらず抜くよう命令をくだす。

一面を緑にしたかつたから。

そして木の一本一本、それどころかすべての枝まであらため、

みじかく切つたり、色をぬつたり。

カメラのまえのあらゆるものを、おのれの美意識のもとに統一する。

 

 

主人公の娘が、念力でグラスをうごかす場面。

神韻をおびた作風でしられるタルコフスキーでも、撮影現場で奇蹟はおこせない。

だから監督自身が、糸でズルズルとひつぱつた。

カメラから身をかくしながら、必死に糸をひく巨匠をおもうとわらえる。

残業代もでないのに超過勤務をしいるタルコフスキーは、

相当嫌われていたそうだが、みづから汗をながす姿に、

手をかす気になつた職人もいたのではないか。

 

 

 

音響設計をつとめたヴラジミール・シャルンが、気がかりなことを述懐する。

本作のロケ地の川の上流に化学工場があつて、有害物質をたれながしていた。

映画のなかで夏に雪がちらつき、川面に泡がうかんでいたのは、

人体をむしばむ毒を、しらずにフィルムに焼きつけたもの。

そして、タルコフスキーをふくむ多くのスタッフが、

ほどなくして気管支ガンで死んだのは、その工場のせいなのだと。

正気の沙汰ではないが、ソビエトならありうる。

国そのものが、SF映画みたいに奇々怪々だから。

すでに西側で名声を博していたタルコフスキーは、

生国をすてて、『ノスタルジア』と『サクリファイス』をつくるが、

どちらも散漫な印象の、不活発な作品だつた。

作家自身が、例の花の様に引き抜かれたわけで、

皮肉に感じないといえば嘘になる。

 






執筆にあたり、『佐藤公俊のホームページ』を参考にさせていただきました。

 

(リンク)

http://homepage.mac.com/satokk/selfcriticism/stalkertop.html


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

タグ: 近未来 

よごれた魂 ― 『さまよう刃』

 

さまよう刃

 

出演:寺尾聰 竹野内豊 伊東四朗

監督:益子昌一

制作:日本 平成二十一年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

いつぞや帰省したとき、母が新聞の切り抜きをみせてくれた。

小学校でひとつ下の学年にいたMという男が、記事にかかれている。

Mは途轍もないワルガキだつた。

家がちかいので何度かあそんだこともあるが、

極度に利己的で、他人の意見をまつたく受けつけない無軌道ぶりに、

後輩ながらついてゆけないと感じた。

でも、仲間からは人気があつた。

そんなMがなした行為は当然、おだやかなものではない。

強姦。

しかも起訴内容は、余罪をあわせて十数件。

おどろくと同時に、妙に腑におちるものがあつた。

この世に存在する価値のない人間、うまれつきの犯罪者がいるのだと。

とはいえ、Mが死ねばよいとはおもわない。

極刑に処したくらいで、しおらしく改心するタマではない。

するわけがない。

「ひとの家に火つけたらダメだよ、あぶないよ」

その程度の忠告すら、聞く耳をもたなかつたのだから。

よごれた魂をもつてうまれた、あわれな人間だ。

おもい罪を背負つたまま、生きてもらうしかない。

 

 

 

さて本作は、主人公のひとり娘を自動車で拉致したあげく、

覚醒剤かなにかを注射して強姦におよび、死体を川べりに捨てた、

残虐な犯人たちに対する中年男の復讐劇。

「少年法」のせいで死刑にならないなら、おのれの手で殺す。

どうなんだろう。

感想をよむと、「もし自分がおなじ立場なら云々」と共感するひとがおほい。

威勢はよいが、所詮は口先だけだ。

殺人事件の報道は数あまたあるけれど、

殺人犯が遺族に報復されたという事例は、聞いたことがない。

いうほど簡単ではないから、人殺しの罪科はおもいのだ。

「少年」に重刑を科したがるオトナは、なににおびえるのか。

結局のところ、ガキはガキだ。

ガキだから選挙権はないし、酒もタバコも禁止。

だけど死刑だけはあたえろ?

厳罰化はかならずしも犯罪を抑制しないし、冷静な意見とはおもえない。

遺族の気持ちもかんがえろ?

そういうアンタは直接聞いたのかい。

ちなみに本作の娘役は、アダルトビデオ女優の伊東遥がつとめている。

父とかたらう場面すらなく、強姦されて殺されるために出演した様なもので、

演ずる役よりも、伊東自身の方が気の毒におもえた。

 

 

 

ハゲにちかい髪のうすさだが、そろえかたが絶妙で見苦しくない。

やせこけた頬に疎らにはえる無精鬚も、不思議と清潔感がある。

寺尾聰はあいかわらずカッコイイ。

これにくらべれば、ジョージ・クルーニーなんてウスッペラなセレブ野郎だ。

上でのべたように、東野圭吾の小説にもとづく筋書きは、

国家権力を強化する宣撫工作におもえて不愉快だが、

寺尾の芝居そのものは、観客に迎合するそぶりもみせない。

見苦しく、泣きわめかないのがよい。

感情をあらわにするのは、犯人のアパートのきたない部屋で、

その一部始終をおさめたビデオをみて、反吐をまきちらすくらい。

さすがは、かつて「孤独が好きなオレさ」と歌つたハードボイルド男。

オレがオレの責任でアイツらを殺す、それだけさ。

安全な場所で議論ばかりしてる連中なんざ、しつたことか。

アイツらのよごれた魂は、まるごとオレがおんぶしてやるよ。

しびれました。

益子昌一監督も、いくつかうつくしいショットをおさめている。

特に、薄明にうかぶ首都高の鮮烈さはわすれがたい。

高架道路にみにくく分断された、現代都市の不毛がきわだつ。

ようやく、SF映画『惑星ソラリス』より印象的な首都高をとらえた、

日本映画があらわれたのかもしれない。


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ジャンル : 映画

タグ: 刑罰 

半世紀の空間 ― 藤枝雅『飴色紅茶館歓談』

 

飴色紅茶館歓談

 

作者:藤枝雅

掲載誌:『コミック百合姫』(一迅社) Vol.6~

 

 

 

 

 

本作の舞台、「飴色紅茶館」の店主である芹穂。

宝くじの賞金で開業したという、まるで漫画みたいな喫茶店をいとなむ。

童顔で、毒にも薬にもならなそうな二十五歳。

 

 

店員の「さらさ」、十七歳。

学年主席級の秀才だが、芹穂の人柄にひかれ、

飴色紅茶館の仕事をてつだつている。

キューティクルの概念をすてたベタ塗りの黒髪と、

単なるバイトのくせに、コストがどうのと経営に口をはさむ、

カワイゲのなさがカワイラシイ。

このふたりが、ちいさな店でイチャつく様子をたのしむ作品です。

 

 

 

 

 

開店早々、倒産の危機におちいる飴色紅茶館。

実に不景気な話で、ドッキリさせられる。

宝くじの当選すら、夢をかなえるには不十分という、

この御時世ならではの真実味がある。

個人事業主として同人活動をしてきた作家だからこそ、

描くことができる重みかもしれない。

おもうのだが、ついこないだまでの漫画家はみな、

大企業の末端に属するサラリーマンの様だつた。

集英社、小学館、講談社の有名な雑誌をよんでいれば、

あたらしい才能の出現を見逃すことは、まづない。

マニアックな連中も、講談社の「アフタヌーン四季賞」がひろつて育てた。

多分、幸福な時代だつたのだろう。

 

 

 

 

口やかましい版元からのがれた漫画家の卵たちは、

同人誌の森にひそみ、精力的なゲリラ活動をくりひろげる。

コンピュータを武器にして。

かつて漫画家は、編集部が派遣するアシスタントを連日徹夜でこきつかい、

スクリーントーンや背景をととのえた。

いまならタブレットをツンツンしたらポン、みたいな。

まあそれは大袈裟にしても、作業効率のめざましい向上が、

「漫画の個人営業化」をうながしているとは言えそうだ。

 

 

第三話の扉絵。

制服のロングスカートの墨ベタが、仰視の構図をひきたてる。

舞台が、ゆるぎなく立ち上がる。

 

 

相方のさらさが、京都への修学旅行で不在のなか、

二人客の老婦人から、女同士の理想像をおしえられる。

夜の八時まえ、バスをおりて直で店にやつてきたさらさに、

紅茶の香りで八つ橋をともにたのしみながら、

「五十年後も隣りにいてね?」と、必殺の口説き文句をささやく。

うつくしい空間が、かるがると半世紀の時間をとびこえる、

そんな宝くじにまさる奇蹟を、藤枝雅はひとつのコマにとじこめた。





飴色紅茶館歓談 (1) (IDコミックス 百合姫コミックス)飴色紅茶館歓談 (1) (IDコミックス 百合姫コミックス)
(2009/07/25)
藤枝 雅

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ジャンル : アニメ・コミック

タグ: 百合  百合姫コミックス 

許されざる者 ― J1 第28節 浦和レッズ 対 ジェフ千葉

 

J1 第28節 浦和レッズ 対 ジュフユナイテッド千葉

 

結果:3-1 (1-1 2-0)

得点者

【浦和】前半10分 阿部勇樹 後半33分 エジミウソン 後半40分 高橋峻希

【千葉】前半7分 深井正樹

会場:埼玉スタジアム2002

[現地観戦]

 

 

 

十年は一昔。

JR京葉線車内でみかけた、まだ高校生の阿部勇樹をおもいだす。

小柄でかわいらしい娘と一緒だつた。

そのころすでにジェフの中軸をになつていたが、

世上では無名にちかく、ほかに気づくものはいない。

オレは見て見ぬふりをする。

「阿部選手ですよね?サッカーがんばつてください!」なんて、

不躾なマネはできないし、人にこの話もしなかつた。

いうなれば、かけがえない弟の様な存在だから、

練習のあいまの逢瀬を邪魔する気にならない。

かれはチームに忠実で、体をはつて果敢にたたかい、

精密なミドルシュートを武器とする、前途がたのしみな選手だつた。

おない年のパク・チソンの様に、

マンチェスター・ユナイテッドでも活躍できると期待をかけた。

なにかのまちがいで、いまはおなじ赤色でも、

さいたま市浦和区のクラブの装束を身にまとう。

結婚もしたが、相手はあのときのお嬢さんではないのだろう。

 

 

 

なれない地下鉄南北線にのり、北をめざす。

一駅ごとに赤い悪魔がふえてゆく。

オレはトートバッグの口をかたく閉じた。

背番号18のマフラーは奥底に厳重にしまつたが、

なにかの拍子で、フーリガンの目にとまるかもしれない。

ケンカは上等だ。

ジェフの一部残留のため、一人一殺の覚悟はある。

運よく二三人をしとめられれば最高だ。

しかし、背後から刃物で刺されたらひとたまりもなく、

かれらの大好きな色で、むなしく床を染めるだけ。

事件は埼玉県警にもみ消されて終わりだ。

ひたすら息をころし、足もとをみつめながら、競技場にたどりつく。

 

 

前途にたちこめる暗雲。

おもつていたより、「ABE 22」のユニフォームがおほい。

いまだに違和感をおぼえる、おのれの未練がましさがいとわしい。

 

 

 

前半10分、ポストをかすめた阿部のフリーキックが網をゆらす。

生涯最高のプレーのひとつだ。

なにも、この日に。

千金に値する、3分前の深井の得点が水泡に帰す。

オレたちの心は打ち砕かれた。

ゴール裏はチーム名を連呼して、絶望をまぎらせる。

「よりによつてアベかよ!」とは、だれもいわない。

それを口にするのは、みじめすぎるから。

されども男一匹、巻誠一郎。

コイツの闘志だけは、おとろえることがない。

数分後にはヘディングシュートをはなち、クロスバーを高らかにならす。

きのうの二番目に有効な攻撃だつた。

もつとも巻ですら、狼狽していたのかもしれない。

心平かなら、シュートをすこし下に向けられたのに。


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世界 ― 「メアリー・ブレア展」

『イッツ・ア・スモールワールド』コンセプト・アート(一九六四年)

 

メアリー・ブレア展

 

会場:東京都現代美術館

 

 

 

おそるべき造形と色調の才。

予期せぬほどの歴史的重要性。

体内の酸素がきれて目まいがするほど、ため息をくりかえした。

メアリー・ブレアは、水彩画家として活動したあとの一九三九年、

ウォルト・ディズニー・スタジオにはいり、『シンデレラ』や『ピーターパン』など、

ディズニーを代表する映画の製作を、藝術性において牽引した人。

むつかしいことはともかく、いまから沢山画像をはりますので、

以下を御覧いただければ、その才幹は一目瞭然でせう。

 

 

 

『ストーミー・ビーチ』(一九三六年ごろ)

 

ロサンゼルスのシュイナード美術学院でまなんだメアリーは、

美術史上は「カリフォルニア水彩派」に属する画家だつた。

先入観かもしれないが、ドラマを感じさせる映画的な構成や、

人物のいきいきとした身のこなしが、どうしても目をひく。

しかし時代は大恐慌。

「藝術のための藝術」で食つてゆけるはづもなく、

メアリーは夫とともにアニメーション製作の現場にとびこむ。

 

『わんわん物語』(一九五五年公開)ストーリー・スケッチ

 

公開はおくれたが、スケッチがかかれたのは四十年ごろ。

右下の猫二匹の影がなす、明暗のあざやかさ。

銀世界のなか、急停止した左下の犬の足もとには粉雪がまう。

公表をまつたく意図しないただの下絵とは信じがたいし、

これをいまだに保管しているディズニー社にもあきれる。

やはり尋常な会社ではない。

 

『南米スケッチ/笛の男』(一九四一年)

 

『白雪姫』につづく『ピノキオ』や『ファンタジア』が大コケし、

会社は第二次世界大戦の影響もあつて、経営難におちいる。

尾羽うち枯れたウォルト・ディズニーは、政府の依頼で南米にとんだ。

アメリカ政府は、南米文化を紹介する映画をつくらせ、

南米各国が枢軸国側につくのを防ぎたかつたらしい。

ブラジルなどがどちらに味方しようと、戦争の勝敗がかわるわけもないが、

それは当時の政府や民間人のあづかり知らぬところ。

みな必死なのだ。

いづれにせよこの旅行は、メアリーの色彩に霊感をあたえた。

こぼれおちる様な深々たる緑が、以降の作品できわだつ。

 

 

 

『シンデレラ』(一九五〇年公開)コンセプト・アート

 

『ふしぎの国のアリス』(一九五一年公開)コンセプト・アート

 

『ピーター・パン』(一九五三年公開)コンセプト・アート

 

『ピーター・パン』コンセプト・アート

 

これらの作品につけたすべき評言などあるだろうか。

おのれの修行不足を痛感させられた次第。

ただし以上のグアッシュ画は、狭義の「作品」とはみなせない。

あくまで映画の体裁をととのえるための図案にすぎず、

この絵は、アニメーションでそのまま再現されてはいない。

むしろアニメーターたちは困惑しただろう。

たしかにすごい絵だけど、アニメにするのは無理ですよ!

それでもメアリーは、ボスのウォルト・ディズニーの支援のもと、

アニメーターを挑発する傑作を量産しながら、

子どもむけのアニメに、藝術家の魂をふきこんだ。

 

 

 

『ピーター・パン』公開の数日まえにディズニーを退社し、

メアリーは独立のデザイナーとなる。

 

 

一九六〇年代のバターの広告。

おしやまな女の子をかかせたら、ならぶものはいない。

 

『レモネード・ガール』(一九六〇年代)

 

戦争がおわり、ディズニーが世界を征服するなかで、

アリスやウェンディやティンカーベルが、巷を闊歩する時代となる。

そして一九六四年。

「ニューヨーク世界博覧会」のパビリオン制作をうけおつたウォルトは、

その意匠を、すでに退社したメアリーにまかせる。

『イッツ・ア・スモールワールド』。

世界中の工藝の色彩や模様を配した建物のまえで、

子どもたちが無邪気にたわむれる。

それはメアリーの夢を三次元化した記念碑だ。

 

 

 

そろそろ書くのにつかれたので、メデタシメデタシとゆきたいが、

真の藝術家の人生は、そう都合よくまとまらない。

展覧会でいうと「第五章」。

晩年の作品が、濃い影をなげかける。

 

『レ・シャ(猫たち)』(一九七八年)

 

いわゆるミクスト・メディアで、窓や顔、そして乳房まで木片で表現される。

どぎついピンク。

わかい女の肉体、それも性的な部分への露骨な執着。

醜悪といつてもよい。

「子どもをイイ展覧会に連れてこれてよかつたわ」と満足げなママも、

最後の部屋にくると言葉すくなだつた。

彼女の家庭問題やアルコールへの依存が、

作風の変化の原因とされているらしいが、どうだろう。

あくまでボクの想像だが、メアリーは自由をもとめたのではないか?

「小さな世界」から、外へ。

カワイイおばあちやんでいるなんて、つまらないもの。

 


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