殺伐たり自動車都市 ― 服部圭郎『道路整備事業の大罪』

 

『Immigration Impact』

 

道路整備事業の大罪 道路は地方を救えない

 

著者:服部圭郎

発行:洋泉社 平成二十一年

[新書y]

 

 

 

小生、イイトシなのですが車の運転ができません。

なにしろ注意が散漫で、信号の色すら目にとまらない。

殺人者になりたくないから、ハンドルを握るのをやめました。

免許証は、ただの身分証明書がわりです。

それも癪なんですけどね。

運転できてはじめて一人前、と言われているみたいで。

乗り物酔いするタチでもあり、とにかく車にまつわるアレコレが嫌いだ。

 

 

 

服部圭郎は本書で、日本にもう道路はいらないと申し立てる。

道路をつくれば、地方はおとろえる。

過疎村からは、さらに人口が流出し、

中小都市は、近隣の大都市に商圏をうばわれる。

バイパスをふやすにつれて、渋滞もふえる。

たとえば、神奈川県川崎市と千葉県木更津市をむすぶ「東京湾アクアライン」。

計画では、竣工をうけて神奈川から千葉へ十万人が移住し、

毎日橋をつかつて神奈川に通勤すると目算していた。

御存知のとおり絵にかいた餅だが、それにしてもヘタクソな絵だ。

通勤・通学者に無視された総事業費一兆四千四百億円の橋は、

木更津の若者や富裕層の買い物につかわれている。

駅前のそごう、ダイエー、西友などの店舗が撤退を余儀なくされ、

地価下落率全国一位という衰退が三年つづいた。

さらに、千葉駅周辺のデパートまで売り上げをおとす。

千葉市そだちのボクには、これはよくわかる。

東京や横浜がちかづけば、千葉の店などゆくわけがない。

 

 

 

道路整備推進者たちは、「命の道路」という言辞をこのむ。

道路がなければ、スーパーにも病院にもゆけない。

不便なままでは地方は滅亡する。

おかしな話だ。

見ばえのよいドウロなどなくても、住民はこまらなかつた。

ドウロが整備されてから、近隣の店舗がイオンとの競争にやぶれ、

個人経営の病院がたちゆかなくなる。

道とは、入口であると同様に出口でもあるから。

車をもつているなら、それでも生活に支障はない。

しかし、いづれはだれもが年老いて、運転ができなくなる。

どうやつて生きてゆけばよいのか。

街を無慚に分断する道路と自動車は、うつくしい景観をふみにじり、

子どもは安全な遊び場をうしない、家にひきこもる。

これが住民の願いだつたのか。

 

 

 

ルシオ・コスタが設計したブラジルの首都ブラジリアは、

自動車都市の最大の失敗例として有名らしい。

なんでもこの町、まともに歩くことさえできない。

すべての道が高速道路の様につくられ、横断歩道も歩道橋もない。

歩行者は道を横切るたびに、生命を危機にさらす。

一方、同国のクリチバ市は一九七〇年代以降、

都市計画の模範として世界に威名をとどろかせている。

市長のジャイメ・レルネルは、都心の中央道路である「花通り」から、

自動車を排除し、歩行者専用道路にしようと計画した。

この案は当然、商店街の店主から総スカンをくらう。

自信家のレルネル市長は連休中の間隙をついて、

舗装をはがし、そこに花壇をおいてしまう。

休み明けの店主はビックリ仰天、怒り狂つたわけだが、

一か月ほどたつと、売り上げが二倍から三倍にふえてもつと驚いた。

要するに、「便利さ」にたいした価値はない。

さあ、都市を人間の手にとりもどすべき時分だ。




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(2009/08/06)
服部 圭郎

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テーマ : 政治・時事問題
ジャンル : 政治・経済

無藝な天使 ― 『サッカーマガジン』岩渕真奈特集

 

 

週刊サッカーマガジン

(平成二十一年十月六日発行号・通算千二百五十九号)

巻頭スペシャル「今週の人 岩渕真奈」

 

取材・構成:老野生智明 内田麻衣子

撮影:高原由佳

発行:ベースボールマガジン社

 

 

 

とある本屋に平積みされた、雑誌の表紙が目にとまつた。

髪のみじかい制服の少女が、ひきつり気味の笑顔をみせる。

あたらしいアイドル雑誌だろうか。

奇しくも老舗のサッカー専門誌とおなじ題名らしい。

いやいや。

どこかで見た顔とおもえば、岩渕真奈さんぢやないですか!

女子選手がひとりで表紙をかざつたのは、これが最初。

またやすやすと、歴史をかきかえました。

でもこの表紙は不自然で、あんましカワイクナイかも。

ボクは競技場で、一番マックロケッケのおチビさんをみてるから、

深窓の令嬢に擬装するため、手をくわえたのがわかる。

 

 

ユニフォームを着るとすこし警戒をとき、さりげなく相好をくづす。

照れながらも、瞳はいたづらつぽく輝く。

こちらの方がずつとよい。

 

 

 

記事そのものはファンにとつて貴重なもので、

華麗なる天才伝説をいくらか修正できた。

幼稚園児のとき兄についていつた関前サッカークラブで、

リフティングをみせたところ、美技にほれこんだ小島洋邦監督が、

男子のみという規約をかえてまで入部させた、云々。

天才の逸話には尾ヒレが何枚もつくものだが、

よくかんがえれば、幼稚園児という設定は無理があるな。

サッカーをはじめたのは小学二年生。

実はリフティングは、むかしもいまも苦手だとか。

そう、ぶっちーの武器は敵を翻弄するドリブル。

曲藝をみせて拍手をねだる手合いではない。

だけど、監督が男子のチームにさそつたのはホント。

 

「岩渕真奈を知る10の質問」

 

Q.7 クラスメイトと何して遊ぶ?

A. この間、ボウリングに行きました。

スコアは50くらい…。最後には100まで行きました。

エアホッケーも全然ダメで「サッカーだけだね」って言われちゃいました。

 

同級生にボコボコにやられる、

「U-17ワールドカップ」と「AFC U-19選手権」の最優秀選手。

カワイイなあ。

 

 

 

 

重心を安定させるO脚が素敵だけど、どこか御機嫌ななめ。

おそらく、制服姿で写真にとられることに不服なのだ。

 

でも嫌なことはあります。

先日学校で、先生が「岩渕さんが大会MVPを獲りました」って、

わざわざ報告するんですよ。

学校で自分の話題を出されるのが嫌なんです。

「何で言うの!」って感じです。

 

ひとりの鈍才としていわせてもらいますが、

それつて普通はうれしいことですよ。

「何で」とおこられても、先生だつてこまります。

学校の自慢なのだから、おしえるのが当然です。

この十六歳は、ひとに媚びることを知らない。

小学二年生のころから、夢中でボールをおつているだけで、

目のまえの無数の自動ドアが、すいすいとひらく。

だれかに甘えて、苦労をかける必要などなかつた。

 

Q.5 好きな男の子はいる?

A. …いません。男の子はお友達でいいかなって。

好きなタレントとかもいないんですよ。

あまりテレビを見る時間がないですから。

 

あらあら、おやまあ。

その「お友達」のかた、どこのどなたか存じあげませんが、

大切にしてあげてくださいね。

国の宝なんですから。

あのスピードについてゆくのは、楽ではないでせうが。




ぶっちー情報は、掲示板「岩渕真奈 閃光の天使」でも紹介しています。


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テーマ : 岩渕真奈
ジャンル : スポーツ

タグ: 岩渕真奈 

猜疑心の十七世紀 ― 『カムイ外伝』

 

カムイ外伝

 

出演:松山ケンイチ 小雪 伊藤英明

監督:崔洋一

制作:日本 平成二十一年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

すぐれた脚本家で、市川崑の妻だつた和田夏十は、

映画でナレーションをつかうのは「イイジイ」だといつた。

いかに語りにたよらず書くかが、腕のみせどころだと。

これほど有用な判定基準はほかにないので、

映画をみるときは、つねづね肝に銘じている。

「むかしむかし、あるところに」ではじまれば、

最初の一秒で、その作品は傑作でないとわかる!

さて、宮藤官九郎の脚本(崔洋一が共同執筆)による『カムイ外伝』は、

山崎努がおもおもしく、「ときは十七世紀」と説きおこす。

すみやかに評価を下方修正しました。

そして、この脚本家はバカだと断言したい。

江戸時代の日本を西暦でかぞえてどうするの。

キリストさんが生まれた年からの勘定だろ。

え、元号はわかりづらい?

世界史の授業ぢやあるまいし、一体いつごろなのか、

「ナントカ世紀」と言われてもおぼつかないよ。

「むかしむかし」の方がまだマシだ。

 

 

 

セリフから例をあげると、本作でくりかえされる文句に、

「すぎたる猜疑心は、身をほろぼす」というものがある。

ボクの電子辞書にはいつている『精選版 日本国語大辞典』は、

末広鉄腸『雪中梅』(明治十九年)から用例をひろう。

極力初出をさがしてくれる辞書なので、これを信頼するなら、

「猜疑心」は明治時代以降のことばだ。

えた集落にうまれた無学のカムイは、「猜疑」という熟語も知らないはず。

だから単に、「うたがい」と書けばよい。

スクリーンのすみに送電線がうつりこむのと同じで、

不調和なセリフを耳にすれば、だれでも興がそがれる。

サイギシン、このカタくて場違いな五音が、

場内でメールチェックするバカヤロウの様に、背景からうかびあがる。

クドカンさん、客をなめてますね。

脚本家と自称するなら、字引きくらいめくつてください。

 

『YOMIURI ONLINE』

 

あえて率直にいうと、顔をみるからにクドカン氏の胃袋は、

手ごわい男同士の命のやりとりや、

賤民の身分におかれた人間の権力に対する怒り、

なんて重厚なネタを消化できそうにない。

うかれたガキがウロチョロする話は、得手吉らしいけど。

 

 

 

なんだ、また短気な管理人が駄作にあたつて怒つてるのか、

とお思いのみなさん、ちがいます、この映画はすばらしいです。

 

 

個別の場面は、きびきびした力感とこまやかな情緒にあふれ、

ロケ地である沖縄の海岸風景のうつくしさにも、息をのむ。

ただ脚本があまりに杜撰で、後先の脈絡がないのが惜しい。

大後寿々花がきたない衣をだきしめ、

カムイの残り香をかぐ情景など、胸がじんと熱くなる。

なのに、いつのまにか慕情をこめる小道具が、

変な貝殻にとつてかわられ、その貝もわすれられる始末だ。

主役の松山ケンイチの芝居は、不気味なほど感情をおしころす。

このひと、身長は百八十センチもあるんだね。

猫背なのでちいさくみえる。

端正で綺麗な顔だちだが、それを鼻にかける風もない。

男は普通、おのれの体力知力風采などを誇示したがるのに。

かわつたひとだが、忍者役は性にあつてそう。

 

 

 

 

後半、ボクのすきな伊藤英明が出てくるあたりから、

語り口に緊張感がまじりはじめる。

マツケンとは一センチしかちがわないのに、

堂々たる偉丈夫と目にうつるのが不思議だ。

ふたりが視線をかわす一瞬、ぞくぞくするほどの色気がただよう。

そして最後の決闘は、もはやクドカンの出る幕ぢやない。

両腕を斬りおとされながら、たからかに哄笑する、

「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」準グランプリ受賞者。

人を人ともおもわぬ様な、剛愎さ。

そして砂浜を赤くそめながら、断末魔の苦しみにのたうつ。

みごたえある戦いだつた。


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

あるドリブル ― J1 第26節 大宮 対 名古屋

 

J1 第26節 大宮アルディージャ 対 名古屋グランパス

 

結果:0-2 (0-1 0-1)

得点者:前半28分 マギヌン 後半33分 小川佳純

会場:NACK5スタジアム大宮

[現地観戦]

 

 

 

カシスオレンジのグラスを、マドラーでかきまわした様な空。

雲の上にいるかたは、腕ききのバーテンダーでもあるらしく、

みごとなアルディージャカラーにしあげた。

埼玉県を代表する、このクラブのスタジアムに来たのははじめて。

それどころか、さいたま市大宮区に足を踏みいれたことすらない。

県庁のある浦和より、ずつとにぎわう町なんだね。

オシャレな店も沢山あつて、サッカーだけ見て帰るのがおしい。

ふるくは中山道の宿場町としてさかえ、

今日は十三路線がのりいれるターミナル駅をもつ、交通の要衝。

でも、それだけではない。

「大宮」の名のとおり、ここには氷川神社の総本社がある。

ただのオミヤサンではなく、武蔵国一宮の格式をもつ社。

武蔵にあつて大宮は、神々の息吹きを感じながら、

トウキョウ二十三区と対をなす、うつくしい町だ。

 

 

スタジアムへの道筋は、氷川参道を経由する。

めづらしく神妙な気分になつたりして。

 

 

 

七月に、同市の別のマッカッカなクラブのスタジアムにいつたときは、

数万席あまつているのに、強制収容所に隔離された。

 

(駒場の強制収容所、通称「出島」)

 

せまく見づらく、売店は赤いひとたちの側にしかなく、

ミジメな思いをしたのは、いまだに忘れられない。

そしてきのう、鉄道によわいボクは路線をまちがえ到着がおくれ、

ゴール裏最上段の端にすわるハメになつた。

 

(ナクスタのゴール裏から)

 

それでもイングランド様式のスタンドは、すこぶる快適。

さあ、儀式の支度はととのつた。

 

 

 

むかえうつは、妖精ストイコビッチひきいる名古屋グランパス。

あいかわらず典雅なサッカーをする。

四枚の柿色の壁が行く手をふさいでも、夜空に星座をみつける様に、

電光石火の数本のパスが、秘密の抜け道をしめす。

それは、絶対的使命をおわされた守備者から点をうばうという、

あまりに理不尽な方程式をときあかす数式。

しかし、大宮の強健なマト(靴のサイズ三十センチ)と片岡洋介は、

持ち場を機銃掃射されても、得点だけはゆづらない。

岩渕真奈より四十一センチ背がたかいジョシュア・ケネディを、

体ごとおしつぶし、土の味をたしかめさせる。

前半28分。

名古屋の背番号10、小川佳純のフリーキックから失点。

サッカーは、たえがたいほど無慈悲な競技だ。

カミもホトケもあるものか。

 

 

 

後半になつても、橙のリスたちは木の枝でふるえたまま。

左サイドバック、三十三歳の波戸康広が覚悟をきめる。

フィールドに対角線をひく様に、ドリブルで抜き打ちをしかけた。

虚をつかれた、ストイコビッチの郎等ども。

おいおい、アイツは誰がみるの?

オレはいまのマークはずせないよ?

ヤバいよ、誰かとめてよ!

たしか枠外のシュートでおわつたんだつたかな。

袈裟懸けに斬りおろす一撃は骨に達したが、致命傷にいたらない。

だけど、波戸につづいて果敢に中央をせめれば、

大宮はおそらく追いつけただろう。

 

(攻撃のコンセプトである)サイドを使うという意味では

先に中を使わないとサイドは開かないと思う。

ボックスの中、ニアに進入するような形を作れば

サイドは開くしサイドチェンジも有効になると思う。

今の感じだと1、2人の関係でクロスを上げて、

跳ね返されてポゼッションされて、

ズルズルと引いてしまうというのが続いている。

それは変えないと厳しいかなと感じた。

 

『J's GOAL』

波戸康広の試合後のコメント

 

劣勢のなか、よくここまで戦況を分析できるものだ。

試合は、神出鬼没の小川の追加点で名古屋が勝利したが、

一本の補助線で難解な定理を証明してみせる様な、

波戸のただ一度のドリブルが、ボクの脳裏に焼きついている。


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テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

遺産相続 ― 『影武者』

 

影武者

 

出演:仲代達矢 山崎努 萩原健一

監督:黒澤明

制作:昭和五十五年 日本

[DVDで鑑賞]

 

 

 

大甕のなかにおさまる武田信玄の亡骸。

顔に青いゼラチンをぬられた仲代達矢は、

皮膚呼吸ができないでくるしんだとか。

もともと、血色のよい役者ではないのにね。

「影武者」とは、殿様の身がわりとして、

ふりかかる危険を丸ごとゆだねられる手下のこと。

これほど非情で、非人間的な役目もない。

陰気な仲代が演じるので、一層やりきれない。

たとえば、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』が評判をとつたのは、

白血病にたおれるヒロインに扮したのが、

ピチピチと健康的な長澤まさみだつたからだ。

死の淵にあつても、パッツンパッツンの頬が嘘くさく、

むしろなまめかしいほどだつた。

 

 

 

本作は構想の段階から、主役に勝新太郎をあてて準備をすすめたので、

脚本はおろか絵コンテまで、勝そつくりの人物がかかれていた。

光のささない世界につれられても、たちまちそこに順応し、

図太く生きのびようとする、狡猾で滑稽な初老の盗賊。

勝新にはハマリ役だつたろう。

本作の美術をうけもつた村木与四郎が、当時の現場をふりかえる。

 

勝もノッてたんですがねぇ。

砧のスタジオの自分の部屋に緋毛氈敷かせてさ、信玄公になり切ってた。

乗りすぎてビデオに撮って研究しようとした。

そうすると段々いろんなこと言い出す。

彼も監督してるからね、何本も。

そういう面がわずらわしくなっちゃったんですよ。

 

『村木与四郎の映画美術』

著者:村木与四郎・丹野達弥

発行:フィルムアート社

 

黒澤明を、狭量な独裁者と批難する向きもあるようだが、

それでも、前年にアヘンの不法所持が表沙汰となり、

ホサれていたのを救われた恩があるのだから、

我慢すべきは勝新のほうだつたろう。

この逸話は、なんだかかなしい。

映画の神話時代がとうにおわつた昭和末期。

かつての英雄たちのエゴはますます肥大するのに、

その居場所は縮小しつづけていた。

摩擦が生ずるのも、あたりまえか。

 

 

 

 

信玄の後継、武田四郎勝頼役の萩原健一が、長篠で采配をふるう。

死してなお、おのれにまとわりつく父の幻影を気に病み、

その重圧からのがれようと、国を危機にさらす暴挙にでる。

満身の力がこもる芝居だつた。

しかし失礼ながら、それはショーケンの手柄というより、

巨匠の手のひらでころがされた結果の様だ。

 

ショーケンは凄い気負ってたね。

いつもカッチカチでさ、震えてんだもん。

高天神城でも長篠でも。将几からひっくり返ったり。

一度なんかぶっつぶしちゃうんだもん。力まかせにガンと座るから(笑)。

完全なアガリですよ。見ててわかる。

だから僕はイヤで、彼の芝居は見ないようにしてました。

でも、あのアガッてるのが武田勝頼っぽくていいんだ。

そういう使い方ってのが黒澤さんは凄いんだなァ。

 

同書から引用

 

入念を期した配役でも、つかえない役者がまぎれこむことがある。

そういうとき黒澤は、早々に「見切る」。

撮影現場は戦場であつて、学校ではないから。

クランクアップまで若造をひたすらイジめぬき、

みぐるしく動顛するさまを、そのままフィルムに焼きつける。

かわいそう?

まあそうなんだけど、いざ映画が完成してみると、

一番イジめられた人が、一番評価が高かつたりするのだと。

 

 

 

実は『影武者』は、五年後の『乱』にむけての予行演習だつた。

晩年の代表作となる『乱』に流用する目的で、全国をロケハンしてまわり、

気にいつた城、つまり姫路城や熊本城などを『影武者』でためした。

そして山崎努、根津甚八、隆大介、油井昌由樹ら、

みどころのある若い衆が、次作にも起用される。

つまり、この三時間の映画そのものがオーディションだつた!

勿論ショーケンは不合格とされたし、辛気くさい仲代達矢には、

そのニンにあう、リア王になぞらえた役をあたえた。

やはり、ショーケンに同情したくなる。

オレの芝居はなんだつたんだ!

あれ全部が、ただのテストかよ!

後輩に財産をのこす気など、さらさらなし。

おのれの作品がすべて。

藝術家のエゴほど厄介なものはなく、

それにくらべれば、戦国武将など可憐な乙女の様なものだ。

 






前回の『2001年宇宙の旅』にひきつづき、

『映画鑑賞の記録』のサイ(miri)さんと、

『シネマ・イラストレイテッド』のMardigrasさん、

お二方の企画に参加させていただきました。

DVDを借りられず、記事の投稿がおそくなりましたが。

miriさん、お誘いいただきありがとうございました。

またの機会がありましたら、是非よろしくお願いいたします。


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

アンガルド ― 森島明子『半熟女子』

 

半熟女子

 

作者:森島明子

発行:一迅社 平成二十~二十一年

[百合姫コミックス・全二巻]

 

 

 

 

「女らしさ」を題目に、底の底まで潜心する傑作。

女の子らしさ。

ときに綿毛の様につかみどころがなく、ふわふわと浮遊し、

ときに投げだしたくなるほどの重荷となる概念。

「佐倉八重」と「早水ちとせ」、ふたりのヒロインをのせて、

ゴンドラははげしく上下動する。

 

 

本作の種あかしをする、第一巻三十八ページ。

筆ペンでムカッ腹をたてるおチビさんが「八重」で、

男役の自覚が絶無の黒髪が「ちとせ」。

 

 

女らしさの本義は、見せかけにあるのではない。

内と外にひきさかれた、八重のかかえる矛盾がその証拠だ。

木の葉を森にかくす様に、「桃山女子高等学校」に入学する。

「自分が変われるわけぢやないけど、まあ多少は気がラクだわ」。

 

 

柳眉がりりしい、早水ちとせ。

幼稚園からずつと女子高で、家では五人姉妹の末つ子。

花園にあつて、草花がおのれを植物だと省察しない様に、

男の視線を気にすることなく、のびのびと育つ。

女を、女だらけのシャーレで純粋培養すると、男みたいに発達した。

フェンシングをやつているのも意味深長だ。

 

 

八重に基本動作の稽古をつける、うつくしい場面がこのあとつづく。

フェンシングの構えは「アンガルド」とよばれ、

腰をふかく落として剣をつきだす、独得の形のもの。

本邦の剣道より攻撃的で、そのくせ狡猾な印象がある。

 

 

 

 

血のながれない決闘を演ずるふたりだが、

物語がすすむにつれ、大胆な戦術をまなんでゆく。

窓が、象徴的にえがかれる。

 

 

本をもどすため、夜の図書室にしのびこむ。

そこでは先輩と女教師が、からみあつていた。

「さすがだね!大人だね!エロいねえ~!」と、ちとせ。

「し…信じられない」と、八重。

支流があわさり、河水はいきおいをまして、ふたりの成熟をうながす。

 

 

休日中の部活でケガをしたというメールをよんで、

私服のまま保健室へ急行した八重。

成長ぶりがうかがえる。

「ケガしたのに不謹慎だけど、

弱つているちとせつて、ちよつとだけカワイイ」。

 

 

ちとせがピンクを好きだとしつて、意外におもつたり。

「そつか、「女の子つぽい」モノにもいろいろあるもんね」。

 

 

終盤の名場面。

なりゆきではじまつた、八重の初恋の少女とのダブルデートで、

垂直落下系アトラクションにのる。

「ちとせが初恋」とウソをついた八重が、ギロリとにらまれる。

ちとせは、飾りけがなくて、いつもまつすぐ。

でも、相手のカレシの前だから気をつかつたと聞いて、納得。

それは、宙にうかぶゴンドラより不安定な関係だし、

「女らしさ」とはなんなのかも、わからないままだけど、

すこしも悲観することのないふたりに、勇気づけられる。






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(2008/10/18)
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アットホーム ― JFL 後期第9節 武蔵野FC 対 流経大

 

JFL 後期第9節 横河武蔵野FC 対 流通経済大学

 

結果:4-1 (2-0 2-1)

得点者

【武蔵野】前半1分・16分 関野達也

      後半2分 高松健太郎 後半41分 遠藤真仁

【流経大】後半36分 河本明人

会場:武蔵野市立武蔵野陸上競技場

[現地観戦]

 

 

 

「女心と秋の空」なる、やや性差別的な言い回しのとおり、

メソメソと涙をこぼした昨日の雨雲は、穹蒼のかなたに消えた。

女の感情の機微がわからず、いまだ独身の当ブログ管理人も、

気象サイト『ウェザーニュース』で空模様は把握ずみ。

そそくさと競技場にたどりつく。

 

 

クッキーズキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!

三鷹のキッズチアチーム「Cookies」の華麗な演技と、

娘以上に必死なママたちの激写ぶりを御覧あれ。

管理人はいつもの様に飲んだくれながら、ママまでコッソリ盗み撮り。

三部リーグ優勝を目指しているとは思えないほど、

アットホームなスタジアムなのです。

 

 

 

サッカーの真髄は、ミルフィーユの様にかさなる層にうづまつている。

表面をどれだけにらんでも、みつからない。

たとえばイングランド北西部の都市マンチェスターには、

「マンチェスター・ユナイテッド」という国際的にしられるクラブがあるが、

地元の労働者階級の男は、「マンチェスター・シティ」を応援するらしい。

オアシスというバンドのギャラガー兄弟などは、

立身出世しても当地のチンピラ風情がぬけないので、

いまも口汚くユナイテッドを罵ることをわすれない。

 

『BBC SPORT』

 

お忍びでスタジアムにあらわれたノエル・ギャラガー氏。

ユナイテッドファンにいわせると、話はそう単純ではないそうだが、

それもふくめて、この種目の一筋縄でゆかない醍醐味を感じる。

てなわけで、国家単位でサッカーをかたる人間にはウンザリなのだ。

オランダに負けた、ガーナに勝つた、だから日本はドーチャラコーチャラ。

で、あんたは日本サッカーの何をしつてるの?

JFLを何試合みたの?

ボクはすくないながらも、いろいろなカテゴリーを観戦したけれど、

ミルフィーユにつきさしたフォークの先は、まだ皿にとどきそうにない。

 

 

 

また余談ばかりで、スミマセン。

武蔵野FCは、負傷のせいで長く戦列にくわわれなかつた、

背番号10の高松健太郎が戦術になじみ、前線の起点になる。

中盤の底で攻守の全権をにぎる太田康介とは、

ほどよい距離をたもち、攻撃の選択肢が数倍にふえた。

「東京第三勢力」は要所で得点をかさね、

ボクも心おきなく酒をたのしむことができた。

 

 

だつて、一仕事おえたクッキーモンスターを観察していれば、

勝負の行く末など丸みえなのだから。

前期第16節では試合中にむづがりだし、

芝生席に暴れにいつた途端、つづけさまに2失点。

でも、けふは案外おとなしかつた。

サッカーには、興味も知識も皆無なクッキーモンスターだが、

(実例:「なんであの人だけ手をつかつてるの?」)

母親のことはよく見ていて、その物腰から戦況を感知する。

いや、ホントなんですよ。

マンチェスターのチンピラとくらべれば、ちよつと甘口だけど、

これが日本サッカーの妙味のひとつかな。


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テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

ベースライン ― 『サブウェイ123 激突』

 

サブウェイ123 激突

The Taking of Pelham 123

 

出演:デンゼル・ワシントン ジョン・トラボルタ ジョン・タトゥーロ

監督:トニー・スコット

制作:アメリカ 二〇〇九年

[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]

 

 

 

ひさしぶりに長袖のシャツに腕をとおす。

天が、ひとびとの夏の疲れをいやすかの様に、

土曜の秋津島は雨にぬれる。

それでもボクは映画館をめざした。

いつもの新宿ではなく、都営大江戸線にのり、

目白通りにそつて豊島園駅へ。

ドア・トゥ・ドアで濡れないですむから。

お目当てが、地下鉄ハイジャックの映画なので、

この方が気分が出るかも、という腹づもりもある。

それにしても、ボクは毎日地下鉄を利用しているが、

闇にいろどられた車窓をみるたび、くさくさする。

トニー・スコット監督によれば、ニューヨークの地下鉄での撮影は、

地上より安全なのはよいが、仕事が長びくほどに、

くたびれて集中力がおちやすくなつた。

まるで魅力がないのに、大都会が必要とする機関。

それが地下鉄だ。

 

 

 

 

ニューヨークなのにワシントンとは、これいかに。

変哲もない地下鉄職員の役だが、

ハイジャック犯との交渉の役を、そのデカい背におわされる。

気心しれたトニスコ監督との仕事はもう四度目で、

不条理な重圧に苦しむそぶりを、のびのび演じていた。

トニスコといえば、技術をひけらかすような、

カチャカチャうるさい編集をおもいだすが、

腰をすえて芝居をたのしめる映画をつくる人でもある。

 

僕の母は95歳で亡くなったけど、

彼女はCGを取り入れた映画を観るたびに

「あのシーンはなんだかおかしいよ」と言って、

CGのシーンを上手に見つけて指摘していた。

そんなこともあって、僕はすべてのシーンを実際に

実現可能なものにするよう心掛け、CGを避けてきた。

(中略)

飛行機でも、車でも、電車でも、とにかく、CGを使わず、

本物を使うことで素晴らしいドラマやパフォーマンスが生まれる。

すべてがとれもリアルになり、画面にエッジが与えられるんだ。

 

『キネマ旬報』二〇〇九年九月上旬号

トニー・スコット監督インタビュー

取材・文:はせがわいずみ

 

ただのオバアサンではありませんよ。

リドリーとトニー、ふたりの兄弟を立派にそだてあげ、

八十年代以降の映画にもつとも貢献した女の人です。

 

 

 

老練なドラマー、トニスコ監督がくりだす奔放なリズムにのり、

ワシントン氏のトランペットから、粋な節まわしが即興でうまれる。

サックスを手にしたトラボルタ氏はヘタクソだけど、

臆することなく豪快な音できりこむ。

 

 

ブルックリンうまれの俳優、ジョン・タトゥーロ。

ニューヨーク市警の人質救出交渉の専門家に扮する。

本来かなりアクのつよい役者で、いくらでも奇抜な演技はできるが、

今回は感情表現をおさえにおさえて、鉄道職員をワキからささえる。

人種、金融、政治といつた御当地ネタのジョークが、

地元のなまりで往来する映画のなかで、

たくまずともニューヨーカーらしさを出せる自負があるから。

楽器にたとえるならベースかな。

名人藝を堪能しました。


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

三菱鉛筆の挑戦

 

 

 

仕事で愛用している、三菱鉛筆の「VERY楽ノック」。

価格は百五円と、最低価格帯のボールペンだけど、

使い心地に不満をおぼえたことはない。

ペン先は、フィギュアスケートの様に紙のうえでスピンをきめ、

手持ち無沙汰になれば、カチカチとノックするだけで、

その小気味よいリズムに心はおどる。

ただ、右手に感じる重みがうすれてきたので、

インクの残量をたしかめたら、唖然とした。

一ミリしかない。

書き味は購入時のままなのに。

このまま、最後の一滴まで絞りだせそう。

医療機器や兵器にもとめられる水準の信頼性だ。

しかし繰りかえしますが、これは本体価格百円の文房具です。

 

 

 

とりあえず触れておくべきなのは、「三菱鉛筆株式会社」は、

銀行、総合商社、自動車会社などを擁する「三菱グループ」とは、

資本や人材に関して、縁もゆかりもないということ。

あの三つのダイヤモンドを商標登録したのは明治三十五年。

旧財閥よりはやい。

むこうは重工業、こちらは軽工業。

競争相手ではないので、なかよく看板をわけあう。

ところが終戦後、そんなオトナの関係を理解できない、

大馬鹿者どもがアメリカからやつてきた。

GHQという三文字で呼称される連中は、

「財閥解体」のお題目をとなえて、

三菱鉛筆にまで商標をすてろと要求する。

当時の日本人は、占領者にシッポをふつたとはいわないが、

借りてきたネコの様におとなしく屈従したものだが、

三菱鉛筆は強大な権力に堂々反論し、社名をまもつた。

以上は、『ウィキペディア』からの受け売りです。

 

 

 

三菱鉛筆の現在をしるには、数原英一郎社長と、

経済ジャーナリスト・財部誠一の対談がおもしろい。

ことしの三月におこなわれたもの。

筆記具づくりが、いかにむつかしい分野なのかわかる。

 

作家の先生は、いつも同じものを使っていないと調子が出ないので、

商品の品質がわずかにでも変わると、すぐに気が付くというんです。

宇野千代先生はウチの9B、渡辺淳一先生は3B、城山三郎先生は4Bと、

だいたい決まったものをお使いになっているそうです。

そういう話を聞くにつけ、たとえ些細な部分であっても油断はできないし、

手を抜くことができないと思いますね。

 

『経営者の輪』(Season2:2008~)

 

芯のすべりをよくするマッコウクジラの油はとれなくなり、

ゆきすぎた伐採のおかげて、良質の木材も手にはいらない。

それでも顧客は、「uniは書きやすくてあたりまえ」と期待する。

だから経営者は、全資源を「書くこと」に傾注し、

わづかな部品で構成される鉛筆やペンの開発でも、

貪欲に技術革新の可能性をさぐる。

意外なのは、化粧品事業が売り上げの八パーセントをしめていること。

筆記具の技術を応用し、アイライナーなどをつくる。

化粧品は、顔のうえに「書く」ための筆記具でもあるから。


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テーマ : 経営
ジャンル : 政治・経済

Dr.ケンのブログ科クリニック

『ロイター』(撮影:シャノン・ステイプルトン)

 

 

 

当ブログはよく、「コメントしづらい」といわれます。

理由に心当たりは多々ありますが、要するに人望がないのです。

だから極まれに、未知の人からのひとことが投稿されていると、

管理人はビックリギョーテン、座椅子でのけぞります。

八月十四日の、映画『HACHI 約束の犬』をとりあげたエントリに、

『薬剤師×医師 ="PharmDoctor"』なるブログを運営する、

「ユキノシタ」さんから頂戴した、コメントの全文です。

 

いつも楽しく拝見させていただいています。

僕も映画の感想をちょくちょく書きたいなとおもいまして、

できればケンさんのようにきれいに画像を貼ってみたいのですが、

どこでそのような画像をてにいれてらっしゃるのですか?

特に映画のワンシーンなどです。

教えていただけたら幸いです。

また、失礼ですが、ワンシーンを載せることは

著作権等に違反しないのでしょうか?

 

こんなんばつか。

見ず知らずの人から、いきなり犯罪者あつかいされました。

せめて「犬カワイイですね」とか、書いてくださいよ。

短気な管理人は、またも朝から逆上!

画像の流通経路は配給会社に、法解釈は弁護士にきけと、

ツッケンドンな返答をなげつける。

しかしこんな不始末をさらすと、ますますコメントしづらくなるな。

 

 

 

数日ののち、福岡のイケてる高校生「茶栗鼠」さんのブログ、

『茶栗鼠の映画評論』をよんでいたら、ユキノシタさんのコメントがあつた。

投稿した時刻は、ボクのブログの三分後。

「ケンさん」を「tyandoraさん」にかえた以外は、文面もまつたくおなじ。

座椅子から転げおちた。

ほかにも、「hiropoo」さんの『伝説のhiropoo映画日記』や、

「emiusagi」さんの『さあて、映画でも見ようか。。。』といつたブログでも、

同様のコピペをみつけた。

ユキノシタさんは、著作権法より先におぼえるべきルールがあるね。

薬学部を卒業後、大分大学医学部に学士編入したそうだから、

オトナといつてよい年齢のはずなのに。

邪険な応対をしたボクはかまわないが、

ほかのみなさんは、コピペにマジメに返事をかかれている。

高校生をだまして情報をえた、医学生。

 

 

 

ユキノシタさんのブログに、「治験」と題された記事がある。

治験とは、医薬品や医療機器の臨床試験のこと。

一日あたり二万円も謝礼金をもらえるし、

医療に貢献するよい機会なので、みなさん参加されてみては?

口調が軽すぎると、ボクは感じた。

「チケン」といえば聞こえはよいが、つまるところ合法的で、

被験者の自由意思にもとづく、「人体実験」だ。

当然、不測の事態もありうる。

たとえば映画ファンの様な、不特定多数がよむサイトで、

すすめるべきことがらではない。

ふと脳裏で、因果の鎖がつながる。

ユキノシタさんのコピペ爆撃は、「治験」の一種だつたのだと。

条件を一定にしてこその実験だから、コピペはむしろ好都合。

サンプル数も、多ければ多いほうがよい。

たしかに、被験者にとつて愉快なことではないかもしれない。

それでも、ウチのブログの発展に寄与できるのだから!

 

 

 

最新のクスリでもいやせないほど根性まがりのボクは、

前途洋々たる医学生のもとへ突撃し、しつこく食い下がる。

なんでユキノシタさん、コピペの質問なんてしたんですか?

いやいや、あやまる必要はありません。

七月末にブログをはじめたばかりで、

このコミュニティの風習になれてないだけですよね。

ボクなんて、もつとヒドい失礼を何度もはたらいてます。

コピペの質問だつて、それほど悪くないですよ。

そもそも、(ボク以外)だれも気にしてないだろうし。

慇懃な文体の返事がとどいた。

あやまらないでよいと言つたのに、それでも随分と恐縮して、

「申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱい」と、

逆ギレしたいのをこらえて、作法どおり頭をさげてくれた。

生真面目な学生さんなのだろう。

でも、残念でした。

これはテストだつたんです。

 

 

 

ボクのブログには、アクセス解析のタグがしこまれている。

ユキノシタさんが当方にお越しいただいたのは、

八月十五日午前一時三十一分三十七秒がはじめて。

FC2ブログの共有スレッドテーマ、「映画感想」のページを経由して。

つまり、あの日に偶然たどりついた。

 

いつも楽しく拝見させていただいています。

 

ボクが怒つているのは、嘘をついたことに対してなんだ。

それを感じとつてほしかつた。

指摘されないことまであやまる必要はない、と思つたのだろうね。

え、そんなのズルいつて?

これがいわゆる、「情報の非対称性」つてヤツさ。

現実世界は、紙の上のテストほど公平ではない。

それをわかつてもらえたら、うれしいな。


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テーマ : インターネット関連
ジャンル : コンピュータ

天使のあしぶみ ― なでしこリーグ 第15節 ベレーザ 対 FC高槻

 

なでしこリーグ 第15節

日テレ・ベレーザ 対 スペランツァF.C.高槻

 

結果:1-0 (1-0 0-0)

得点者:前半11分 岩清水梓

会場:大和市スポーツセンター競技場

[現地観戦]

 

 

 

つよい風が残暑をちらす。

小田急江ノ島線にゆられ国境をこえ、相模国まで遠征した。

どうしてもボクの天使、岩渕真奈に会いたかつたから。

崇敬の度がましてきたな。

昨年の「U-17ワールドカップ」につづき、

八月にひらかれた「AFC U-19選手権」でも、最優秀選手賞を獲得。

チンチクリンの使徒は、天賦の才をふたたび世界に対し證明した。

このボクが、凱旋をむかえないでどうするのか。

練習風景をながめながら、缶チューハイをガブ飲み。

至福の時間だ。

背番号20は、サッカー選手のお姉さんについてきた子どもに見えるが、

ボールをさわれば一番うまいので、つまみ出されることはない。

すこし角ばつた顔の、長髪をうしろで束ねた選手がいる。

澤穂希だ。

ワシントンで一仕事おえたので、しばらく古巣ではたらくらしい。

つまり、ことしは休みなし。

頑丈で結構なことだ。

 

 

 

相手は最下位のFC高槻。

試合がはじまつた。

澤がセンターフォワードの持ち場におさまる。

大野忍が二列目に。

あれ?

今季のベレーザは、「仕切り屋」がいないのが不調の原因と、

ドシロウトのボクでも承知している。

器用な大野が、「点取り屋」と「仕切り屋」の一人二役をつとめたが、

これは少々荷がおもかつた。

交通整理の労をとらせるため、澤を呼びもどしたのでは?

結局十五分くらいして、澤と大野が部署をとりかえる。

なんだつたんだ。

ボクはことしから女子サッカーを見はじめた人間だから、

ベレーザの低迷に直接的責任をおう、星川敬・新監督に関して、

サッカー戦術の専門家としての適性を論評するほど、不遜ではない。

でも、昨季王者の試合をみるのも四回目だから、

素朴な感想をのべるくらいなら許されるはず。

星川氏は頭がわるい。

 

 

 

FC高槻の十四試合をおえての勝ち点は、わづかに「1」。

戦力差はどうにもならない。

ハーフコートのミニゲームみたいに、高槻の陣内に二十一人があつまる。

それでも、二三回あつたするどい逆襲が成功したら、

高槻にとつて奇跡的な勝ち点が、神奈川土産になつたろう。

コーナーキックを、卓越したディフェンダーの岩清水が叩きこんだほかは、

立ち見客までいたスタンドが沸くこともない。

国際大会で実績をのこし、自信をつけたぶっちーを見たかつたが、

これまでで最悪のデキだつた。

あれでは、ただの日焼けしすぎの小学生だ。

支那でのはげしい戦いをおえた八月下旬にようやく、

学校の夏休みの宿題にとりかかつた岩渕真奈だが、

もつとも厄介な難問には、手をつけなかつた。

秋風そよぐ宵に、そんなことをおもう。


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テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

タグ: 岩渕真奈 

アコギな稼業 ― 『パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ』

 

パティ・スミス:ドリーム・オブ・ライフ

Patti Smith: Dream of Life

 

出演:パティ・スミス レニー・ケイ オリヴァー・レイ

監督:スティーヴン・セブリング

制作:アメリカ 二〇〇八年

[シアターN渋谷で鑑賞]

 

 

 

一九四六年にうまれた、アメリカのミュージシャンで詩人、

パティ・スミスを、十一年の長きにわたり追つた記録映画。

日常生活、ツアー、つぶやき。

ただそれだけの百九分なのに、目がはなせない。

くつろいだ姿勢で、カメラのまえでもらす言葉のひとつひとつは、

たくまざる即興詩として、かすかに韻をふむだけでなく、

石碑にきざむかの様にゆるぎない。

櫛がとおるか心配になる長い髪、くたびれた黒い服。

ボクもパティも、女に化粧をしいる社会にいるのに、

そんなつまらぬしきたりの存在を、映画が終るまで忘れていた。

なのだけど。

その服は、プラダやコム・デ・ギャルソンだつたりする。

詩人はズルいよね。

 

 

 

作中で、画布にむかい木箆をはしらせながら、

ジャクソン・ポロックの逸話を披露する。

ピカソの画集をみて、ポロックがさけんだ。

ピカソは、すべてやつてしまつた!

もうオレが描くべきものなどなにもない!

失意のポロックは、『ゲルニカ』中央の馬に目をとめる。

大口をあけ、だらしなくヨダレをたらしている。

そう、あの馬のヨダレこそがポロックに、

「ドリッピング」技法の霊感をあたえたのよ。

すごくアメリカ的な藝術よね。

美術史をつらぬく奇想天外な話に感心したボクは、

帰宅して『ゲルニカ』の画像をしらべてみたが、

ヨダレはみつからなかつた。

これだから、詩人は。

 

 

 

顔も手足も長いパティだが、指はもつと長い。

特に第二関節とつけ根のあいだが。

ボクは女の手がすきなので、半分ねていても、

うつくしい手だけは見のがさない。

そのあとは背もたれにうづまり、またボンヤリ。

どうにも注意が散漫で、情緒にかける、

トコトン散文的な人間なのです。

対して詩人は、ことばを珠玉にかえるだけでなく、

自身の人生までをも、一篇の詩にしてしまう。

パティ・スミスは性にあわない人だつたが、

この映画は、一番すきな作品になりそう。


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テーマ : 洋楽ロック
ジャンル : 音楽

愛 戦士 ― 青木愛衆議院議員をたたえる

『2ちゃんねる』「議員・選挙板」で公開された写真(撮影:sqE2g9Dg氏)

 

 

 

なんだかいつも落し物をしている気もするが、数年前、

ちかくのコンビニの外でキャッシュカードをなくしたとき、

女性の拾い主が、わざわざ自宅までとどけてくれた。

眼鏡をかけた、細身で小綺麗にした人。

正直いつて、不自然さは感じた。

銀行に仲介させ、ボクから電話するよう段取りをつける。

通例、そんな面倒な交渉はしない。

不調法ゆえ、なんの返礼もしなかつたが、

とりあえず丁重に感謝の言葉をのべた。

ひと月くらいたつたろうか、ふたたびドアホンが鳴る。

公明党のパンフレットをたづさえて。

それはないよ。

フェアぢやない。

礼儀知らずはおたがいさまだが、善意を投票権と交換しろなんて、

随分と人を馬鹿にした要求ではないですか?

創価学会の尖兵たる、婦人部に属するその人は、

交差点に落ちていたキャッシュカードを見たとき、

「一票ゲット!」と欣喜雀躍したのだろう。

そんな日常をおくれば、自身の人間性は摩耗する。

同情を禁じえない。

 

 

 

ウチは東京都第一区だが、けふは十二区の話。

北区全域と、足立区の一部をふくむ。

「自公連立の象徴」と言われる選挙区だ。

どうしても小選挙区から当選者を出したい公明党と、

一議席もゆづれない自由民主党が折り合つたのが、

いわゆる「コスタリカ方式」の選挙協力。

それから一悶着あつて、いまは公明党代表の太田昭宏を、

自民党が支援する堅固な体制をきづいた。

説明がややこしかつたですかね?

スミマセン、政治にはとんと疎いもので。

ただ、そんな複雑な背景にこそ急所がある、と看破した男がいる。

民主党代表代行・小沢一郎、その人だ。

まづは、彼自身が十二区から立候補する、というウワサをながす。

みえすいたハッタリだ。

作戦参謀が最前線で戦火にさらされれば、なにひとつ利などない。

それとも、意表をつく切り札をかくしているのか?

 

 

 

衆院解散の三日後、先月二十四日にようやく、

参議院議員・青木愛が同選挙区からの立候補を表明した。

当選回数は衆院一回、参院一回。

前回の衆院選では、落選も経験している。

政界にはいるまえの職歴は、

テレビタレント、シンガーソングライター、保育士などだが、

失礼ながら、どの職でも華々しい業績をあげてはいない。

なんだオザワの野郎、勿体ぶりやがつて!

こんな小粒の弾しかないのか。

さてはビビつて逃げたな。

そういつて、政敵は安堵のため息をもらした。

愚かなことに。

もし岩手の虎が侵攻したら、地元の自民党系組織は奮い立ち、

「反小沢」の旗のもとに結集したはずだ。

しかし、相手が元歌手のカイワコチャンでは、

古株の支持者でさえ、自民党に愛想を尽かしたのに、

まして公明党などに力を貸すわけがない。

これは、どうみても思うツボ。

「気弱な地上げ屋」さんのブログ、『ラ・ターシュに魅せられて』によると、

青木の出馬発表の翌日には、ポスター五千枚と事務所ができていた。

その智謀、湧くがごとし。

 

 

 

江戸川をこえてパラシュート降下した愛チャンは、

敵本営をはげしく攻めたてる。

短髪を汗でぬらし、濃紺のパンツスーツを皺だらけにしながら、

腕も折れよと握手をくりかえす。

北区と足立区のすべてのドブ板をひつくり返すいきおいで、

自分の顔と名前と人となりを、ひとびとの記憶中枢にきざんだ。

あせりはじめる公明党。

小選挙区にこだわり、比例代表の重複立候補をしなかつたから。

これが宗教政党の限界か。

現実世界にひそむ陥穽が、目にはいらない。

これも「気弱な地上げ屋」さんから教わつたことだが、

あわてて全国から、十二区の有権者と同数の信者を赤羽にあつめ、

「一人一殺」の覚悟で説得にあたらせたとか。

要するに青木愛は、敵の党代表を地元に釘づけしたうえ、

万余の援軍をおびきよせて、一網打尽にした。

御存知のとおり、太田昭宏を筆頭に小選挙区候補は全滅。

最高幹部八名が、国会から消えた。

自民党の得票にも、すくなからぬ影響をあたえたろう。

信じがたいほどの戦果だ。

 

 

 

東京や大阪にお住まいのかたは先刻承知のように、

ここいらでは、めつたに創価学会の悪口はいえない。

どこにこの非人間的組織の手の者がいるか、わからないもの。

だから、安穏とした参院議員の青木にとつて、

東京十二区で名乗りをあげるという決断は、

ワニ園の池に、ハダカで飛びこむようなものだつたろう。

それでも彼女は、動揺をおくびにも出さなかつた。

ボスとの信頼関係があるから。

 

小沢先生は、いつも優しく厳しいかた。

私は、政界に入る前からの支持者です。

改革ができる方は小沢一郎先生しかいないと信じてついてきました。

 

『nikkansports.com』

 

美人に惚れこまれて、うらやましいかぎり。

鬼瓦みたいな顔のくせに。

青木愛の奮闘は、一年戦争後期に投入された、

地球連邦軍パイロットのアムロ・レイ少尉(終戦時)と、

その乗機、RX-78-2「ガンダム」を思い起こさせる。

ガンダムがなくても、地球連邦はジオン公国に勝てたろうが、

ガンダムなしの一年戦争など、かんがえられない。

なんでもガンダムにたとえるのも安直かな。

それはともかく。

(ほどほどに)若くて、うつくしくて、人間的な。

そんな将来有望たる政治家の誕生を、こころから祝福したい。







以下の記事とあわせて、「民主党三部作」の完成です。

そしてわが国のまつりごとは、あらたな章にはいります。

 

「小沢一郎、ホンモノの言葉」(五月十二日に投稿)

 

「国を割つて ― 鳩山由紀夫と、その身辺」(七月二十三日に投稿)


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テーマ : 衆議院選挙
ジャンル : 政治・経済

こころのカケラ

 

 

 

ボクのPCに、やたらと長文のメールをおくつたのは、

うら若き美女ではなく、楽隠居の父だつた。

しぶしぶ開封する。

「やはりお祖母ちゃんを見舞いに行きましょう。

集合時間は午前六時二十分です」。

おのれの視力への信頼をうしなう。

はやすぎる。

岩手にすむ、母方の祖母の具合がおもわしくなく、

いや、ありのまま言うと医師が匙をなげ、

「余命一か月」と言いわたしたことは知つていた。

だから行くべきなのは確かだが、ボクももう学童ではない。

旅程に関し、相談があつても良いのでは?

早暁の東北自動車道。

運転はボクの弟にまかせ、助手席の父は意気盛ん。

自民党の時代はオワッタとかなんとか。

母とともに後部座席にすわるボクは、

かすかに色づきはじめた、東北の山なみをながめつつ、

たまつた洗濯物と、来週着るべき下着のことを考えた。

 

 

 

宮城と岩手の県境をこえた頃。

カーナビの目的地が、「平泉」にかわつた。

クソッ、やはり観光目当てか!

奥州藤原氏ゆかりの中尊寺を、はじめて訪れる。

四月に世田谷美術館の「平泉展」を見たくらいだから、

不機嫌をよそおうボクも、内心は興味シンシン。

宝物館では、藤原氏当主の遺体をおさめた、

「金箔押木棺」に再会した。

砧公園にある美術館でみたときは、

千年のむかしの栄華と破滅の歴史が、

瞬時に脊髄をかけおり、肌が粟立つたものだ。

本来の置き場で見たら、気絶するかも。

あれ。

どこから見てもタダの木箱だぞ。

どうなつてんの。

自分の趣味嗜好を、痛いほど思い知つた。

美術館や映画館やサッカー場が、

ボクにとつての寺であり、神社であり、教会なのだ。

声を低めるという習慣を学びわすれた、

オバチャンや支那人の群れに揉まれる観光地にあつては、

こころのスイッチがはいらない。

 

 

 

祖母は二日前くらいは、家の中は自分で歩き、

食事もたのしんでいたそうだ。

ボクたちが到着した土曜日の夕方には、

床にひざまづき、ベッドに突つ伏していた。

横たわつていると、吐き気におそわれるから。

もはや、スープも口にできない。

ただ、体は病巣におかされても、頭脳は明晰。

「遠いところから来て、疲れたろうね」と、

物見遊山にあけくれた一家をいたわる。

かえす言葉がないとは、このことだ。

さらに、「ダイジョウブ。まだ死なないから安心して」と、

笑えない冗談まで飛びだして、面食らつたり。

あとで聞いた話だが、祖母は娘ふたり、

つまりボクの母と叔母には、自分にのこされた時間は、

あと一二週間だろうと伝えたらしい。

医師の宣告は聞いていないのに。

あの言い草は、「アンタたちがウチにいる間は死なないよ」、

という意味だつたのかもしれない。

 

 

 

こんな状況での見舞いは、善行なのかどうかよく分からない。

親類にあえて嬉しくないわけはないが、

ロクなもてなしもできない己の体にいらだつように見えたし、

よわつた様子を見せるのも、こころよくはないだろう。

ボクには分からない。

プラマイゼロ、つてとこか。

人が生まれ、そして死んでゆく。

ただ、それだけのこと。

人は、人の死を美化しがちだ。

たまに藝術作品のなかで、目をそむけたい現実をえがくが、

それも一種の帳尻あわせにすぎない。

 

 

 

白黒の写真をみせてもらつた。

戦前のもの。

大きな目をキッと見開いた、セーラー服の美少女がいる。

被写体だつた祖母がいうには、このとき小学生だつたとか。

いまの基準なら十五、六歳にみえる。

彼女がいまだに失つていない闊達さ、知的好奇心が、

はやくも表れているのに恐れいつた。

俯瞰すればプラマイゼロだとしても、人はこの世に何事かをのこす。

「美化してる」と言われればそれまでだが、

だからつて、その事実を否定する人もいないだろう。


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