簡単な問題 ― 『マイルス・デイビス自叙伝』

 

 

マイルス・デイビス自叙伝

Miles: The Autobiography

 

著者:マイルズ・デイヴィス クインシー・トループ

訳者:中山康樹

発行:宝島社 二〇〇〇年

原著発行:アメリカ 一九八九年

[宝島社文庫]

 

 

 

四十年代。

ニューヨークの音楽学校、ジュリアード・スクール。

白人女が、音楽史の授業をはじめる。

教室にチビの黒人がいる。

その名は、マイルズ・デイヴィス。

同情にあたいする役回りだ。

目の前の若者が、これから音楽の歴史をかえるのに、

一体なにを教えればよいのか。

講義内容はケッサク。

黒人は貧乏だから、生活のため綿花をつむ。

その境遇が悲しくて、ブルーズがうまれた。

黒人がいまもブルーズを演奏するのは、それが理由よ。

すかさずマイルズ君が挙手する。

 

ぼくは東セントルイスの出身で、父は歯科医なので金持ちですが、

でもぼくはブルースを演奏します。

父は綿花なんて摘んだことがないし、

ぼくだって悲しみに目覚めてブルースをやっているわけじゃありません。

そんな簡単な問題じゃないはずです。

 

さて、六十三歳のとき出版した自叙伝の終わりごろ。

単純でない音楽の世界に、くつきり足跡をのこしたマイルズは、

ロナルド・レーガン大統領がひらく祝宴にでるため、

ホワイトハウスへむかうリムジンに乗る。

ここでまたしても、白人女が高慢なセリフをはく。

あなたがプレジデントに会うと知れば、ママも大喜びね!

アメリカ人、白人、女性、上流階級。

悪条件が四つも重なると、沈黙に十秒とたえられず、

話したくもない相手に話しかけ、無用の軋轢をうむ。

 

 

 

六九年から七五年までのマイルズをよく聞く。

でも、この音楽を形容する最適の言いまわしは、

ボクの知識と語彙には見あたらない。

なので、マイルズ自身の言をひく。

 

あれは、ポール・バックマスター、スライ・ストーン、

ジェームス・ブラウン、それにシュトックハウゼンのコンセプトと、

オーネットの音楽から吸収したある種のコンセプト、

そいつをまとめ上げたものなんだ。

あの音楽の基本は、空間の扱い方にあって、

ベース・ラインのバンプと核になっているリズムに対する、

音楽的なアイデアの自由な関連づけがポイントだった。

 

隔靴掻痒の感がある。

入り乱れつつも理知的な、リズムの洪水のなかから、

呪術的な旋律がにわかに飛びだす、狂騒の渦。

「そいつをまとめ上げたものなんだ」。

いや、そんな簡単な問題ではないはず。

ならば中退とはいえ、元音大生。

楽理的に解説してもらおう。

 

たとえばアル・フォスターが四分の四拍子で叩くと、

エムトゥーメは八分の六か四分の七拍子で演奏し、

ギタリストはまた異なった拍子か、

まったく違ったリズムを演奏するという具合だ。

(中略)

ビートや拍子を数えたりと、音楽ってやつは、とても数学的だ。

わかるか?

そしてオレは、こうしたことのすべての

上や下や中を通り抜けるように吹いて、

キーボードもベースも、どこか別な空間で演奏するようにさせた。

 

すべての演奏者は別の空間であそび、決して馴れあわない。

それをマイルズが、あの巨大な眼で交通整理。

七十年代初頭に鳴つていた、あらゆる音楽の素材を煮こんだ、

複雑怪奇な味のシチューのできあがり!

 

 

 

レコード会社は、七十二年の自信作『オン・ザ・コーナー』を、

だれに売ればよいか分からず途方にくれる。

あいもかわらずジャズ専門のラジオ局で宣伝するが、

石頭のジャズファンを憤慨させただけ。

マイルズは、若者を踊らせたかつたのに。

しかし翌年、自分のバンドにいたハービー・ハンコックが大当たり。

アメリカ一誇り高い男が、弟子の前座をつとめる辱めにあう。

たしかに音楽は、簡単な問題ではない。

人の良いハービーが挨拶に楽屋をたづねたら、

「もうメンバーではないのだから、オレの楽屋に入るな!」と、

年甲斐のない師匠に門前払いをくらつた。

そしてついに、マイルズ・デイヴィスの鼻つ柱が折れる日がくる。

創造性のきわみにある四十九歳でトランペットをおいた彼は、

それから六年ものあいだ、愛器に指一本ふれなかつた。

ジュリアードとホワイトハウスをつなぐ、高みに張られたロープに、

彼の華やかな経歴は存在するが、それは直線ではなく、

解きようもなく混線し、ところどころ途切れている。

その危なつかしさが、たまらなく面白いのだが。





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『sky-ballade』の「mint-blue」さんから頂戴したコメントをきつかけに、

前から読みたかつた自叙伝を手にとり、記事を書きました。

ありがとうございました。


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