越境 ― 『マン・オン・ワイヤー』

 

マン・オン・ワイヤー

Man on Wire

 

出演:フィリップ・プティ

監督:ジェームズ・マーシュ

制作:イギリス 二〇〇八年

[テアトルタイムズスクエアで鑑賞]

 

 

 

唐突ではありますが、問題です。

警官の目のまえで罪をおかしても、決して逮捕されない職業はなに?

こたえは、このドキュメンタリー映画の題材である、

フィリップ・プティがいとなむ「綱渡り師」。

一九七四年、世界貿易センターにしのびこんで、

ツインタワーにはつたワイヤーを、かろやかにつたう。

反対側の屋上には、手錠をたづさえた警官がふたり。

高さは四百十一メートル。

任務とはいえ、壁際に立つだけでおそろしい。

プティはあざわらうように、踵をかえす。

勿論、警官はおいかけられない。

綱のうえの、完全な自由。

 

 

 

フランス人のプティは、いやというほど現地を調査におとづれ、

精巧な模型をつくり、練習をくりかえした。

ヘリコプターをかりて、上空から建物を観察したり。

こころの奥のつめたい恐怖を、つよい炎でとかすように。

「犯行」当日の真夜中。

警備員の目をぬすみ、鋼鉄のワイヤーを屋上にはこぶ。

弓で釣り糸をとばして、夜明けまえに突貫工事で舞台をきづく。

 

 

翌朝の、プティがみた風景。

当然一睡もしていないし、力仕事による疲労がたまつたまま。

共犯者たちはみな、かれが失敗すると確信した。

そして、本人さえも。

それなのに綱渡り師は、足をふみだす。

ワイヤーが彼をよんだから。

 

 

 

大道藝人が、カメラのまえで泣き言をいうわけもないが、

それでもプティの昔話は、あまりに無頓着すぎる。

表情ゆたかに当時を再現する口ぶりが、かえつて薄気味わるい。

むしろ協力者や当時の恋人のほうが、いまは消滅した、

あのビルでの四十五分をおもうだけで感極り、涙をながす。

恐怖というのは、聴覚や視覚に似た一種の感覚で、

それを受けとめる器官が、はたらかない人間がいるのかもしれない。

演技をおえたプティをニューヨーク市警が逮捕するが、

なにをおもつたか、精神病院につれてゆく。

「なぜ?」「なぜ?」と質問ぜめにあい、辟易する大道藝人。

「アメリカ人は短絡的だね」と述懐する。

本人によると、手錠をかけられたまま階段をおりるのが、

この日で一番あぶなかつたそうだ。

 

 

 

一夜あけて、世界的名士となつたフィリップ・プティ。

仲間たちと、こころが離れてゆく。

本作は、そんな淋しさもえがいている。

プティは、「大道藝を藝術の域にたかめた」と評されるが、

藝術という厄介ごとは、裏に棘をかくし、ときにひとを傷つける。

子どもむきの胸おどるサーカスとは、異質な面がある。

よきにつけ、あしきにつけ。


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苑田 謙

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