微笑をたやさずに ― ルリエーヴル『サガン 疾走する生』

 

サガン 疾走する生

Sagan à toute allure

 

著者:マリー=ドミニク・ルリエーヴル (Marie-Dominique Lelièvre)

訳者:永田千奈

発行:阪急コミュニケーションズ 平成二十一年

原著発行:フランス 二〇〇八年

 

 

 

サガンが『悲しみよこんにちは』を書きあげた十八歳のとき、

まわりに原型となる、軽薄で不品行な人間はいなかつた。

保守的な、南西部のブルジョワ娘だから。

耽読していた、十九世紀の作家たちとプルーストを下敷きに、

ペンとタイプライターの助けをかりて、自分ごのみの世界をつくりだした。

それからの彼女は、人生というありふれた紙のうえに、

あきもせず処女作を清書しつづける。

『悲しみよこんにちは』の主人公セシルは、

エレクトラコンプレックスよろしく、プレイボーイの父親に執着する。

二十二歳になつた小説家も、倍の年齢の男と結婚。

新郎は結婚式に指輪をわすれたくらいで、

真剣な関係ではなかつたらしく、一年で別れる。

さらに自動車。

サガンはスピード狂だつた。

フランスに高速道路がひとつしかない時代に、

一番速い車をあらそつて買いもとめた。

一九五七年、小説の結末をなぞるように国道四八八号線から飛びだし、

アストンマーティンのなかで押しつぶされる。

 

車のなかほど、一緒にいる人に友情を感じる場所はない。

ちょっぴり窮屈にすわって、

スピードの快感にともに身をゆだねる。

もしかすると死にも、ともに。

 

『悲しみよこんにちは』(新潮文庫)

河野万里子・訳

 

発想がまづしい批評家は、「処女作にはすべてがある」などというが、

サガンの場合はできすぎで、自作自演のきらいがある。

 

 

 

戦後風俗の象徴のようなサガンだが、その価値観は旧弊だつた。

地方名家のお嬢さん気質がぬけることはない。

出かける前は、かならず化粧をする。

夕食によばれたら、さきに美容院にゆく。

夜は腕をださない。

バイセクシュアルだが、決してそれを公言しなかつた。

下品であることを、かの女は耐えられない。

ミッテラン大統領を自宅にまねくときは、

黒のワンピースに真珠のネックレスを身につけ、

シャネルの五番とランコムのファンデーションを軽くあしらい、口紅をひく。

またたく間に、貴婦人に化けた。

オレは鑑定できないが、その文体も古典的なものらしい。

いかにも現代小説風の口語体が大嫌い。

現代口語では消滅した、接続法半過去にこだわる。

だれよりも文章表現にきびしかつた。

 

 

 

一九六八年の五月、パリで革命騒ぎがおきた季節、

サガンは仲間と、おきにいりの店で食事をたのしんでいた。

大通りでは、車が焼かれているのに。

時代の寵児が、過去の遺物となる。

でも、街頭で声をはりあげるサガンなんて、冗談でも想像できない。

通貨単位がユーロにかわつても、かの女は「フラン」で数えた。

そんな逸話に安堵する。

サガンとユーロなんて、ぞつとしない取りあわせだもの。

女ながらも電化製品がすきで、携帯電話やデジタルカメラもすぐに購入。

充電が面倒で、つかわなかつたが。

マッキントッシュまで持つていたが、執筆にはもちいず、

ポーカー、ルーレット、バカラなどであそんだ。

病気、薬物への依存、経済的な破滅。

悲惨としか言いようのない晩年だが、サガンはサガンでありつづけた。

 

 

 

作家自身をふくめて、おさないサガンのまわりには、

サガン的人物はひとりもいないと本書は結論づけるが、

どうも母の存在があやしい気もする。

戦時中、リヨンに疎開していた一家の話。

警報がなつても、母マリーは地下室にゆきたがらない。

地下室は臭いから。

サガンがのちにこう語る。

 

母が髪にカーラーを巻いていたのを覚えているわ。

壁が揺れ、ぱらぱらと漆喰が落ち、

みんな早く空襲が終わらないかとじっと待っているのに、

私たちは何も怖がることなく、トランプで遊んでいたの。

空襲が終わって家に戻ったとたん、母が悲鳴を上げた。

なんと、台所にネズミを見つけたからなの

 

なんてサガン的な。

でも小説家の打ち明け話は、どれも作りごとにおもえるのが問題だ。

マリーは老境にあつてアルツハイマー病をわづらい、

視力もうしなつたので、見舞い客をみわけることもできなくなる。

サガンは友人と病床をたづねたが、御機嫌うかがいは連れにまかせ、

自分は廊下で犬とボールあそびをした。

直視するには、つらすぎたのだろう。

 

 

 

賭博を愛したサガンは、うつくしい言葉をのこしている。

 

サガンはすぐに、無表情を装うことがゲームに勝つコツであると気づく。

彼女は生まれながらに感情を隠すことに長けていた。

何があっても運命に翻弄されないと心に決めていたのだ。

「つらいときも、嬉しいときも、微笑を絶やさず、平然としていよう」

 

人生はゲームだなんて、陳腐すぎるかもしれないけれど、

サガンについては、それ以上の比喩があるとはおもえない。




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(2009/04/18)
マリー=ドミニク・ルリエーヴル

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