花散るまえに ― 『ディア・ドクター』

 

ディア・ドクター

 

出演:笑福亭鶴瓶 瑛太 余貴美子

監督:西川美和

制作:日本 平成二十一年

[京成ローザ10で鑑賞]

 

 

 

ロケ地は茨城県常陸太田市だが、作中での所在は藪のなか。

撮影監督・柳島克己がきりとる暗緑色が、しづかに心の襞にしみこむ。

ニセ医師を演ずる、笑福亭鶴瓶のキツめの訛りは、

どこでもなくて、どこにもありそうな、現代の寓話をつむぐ。

医者がいない僻村にあらわれ、老人たちから崇められ、

ずるずると深入りするセンセイ。

あまり見たことはないが、鶴瓶が出演するNHKの番組、

『鶴瓶の家族に乾杯』そつくりの舞台装置らしい。

医学より他者への思いやりを優先する、その献身ぶりが仇となり、

やがて谷あいの村に、ちいさな悲劇の波紋がひろがる。

 

 

 

テレビそのままの佇まいで移植された鶴瓶を、藝達者なワキがささえる。

 

 

まづ、研修医役の瑛太がよい。

はじめは、トウモロコシのような髪でチャラチャラふるまうが、

過疎の村に奉仕する先輩に、次第にひかれる純情がにじむ。

うまい。

おくゆかしい八千草薫は、村民として物語の鍵となる。

鶴瓶が彼女を診察する気配に、官能の匂いがただよう。

おそろしいほど。

肉体をこえた、至上の愛のかたち。

なんて、自分でもかいていて恥づかしいけれど、

ホントにそう感じたのだから仕方ない。

 

 

余貴美子は、しらずにニセ医師をささえる看護婦。

気胸の緊急治療をするよう、果断に進言する場面は、

何年も語りつがれるべき名演だ。

 

 

 

かのように傑作となつた『ディア・ドクター』において、

八千草薫の娘役である井川遥が、間のびした印象なのが残念。

東京の大学病院につとめる医者で、鶴瓶と衝突するが、

出番がふえる終盤になるにつれ、興がさめる。

年まわりは監督の西川美和にちかく、

作家の分身となるべき、重要な役どころなのに。

戦後日本映画の「神話」を体現する、八千草薫の世代。

したたかで、どんな芝居でもできる、余貴美子の世代。

だけど、その後がつづかない。

どうしようもなく人材難。

わかい男の役者は、イキがよいのが大勢いるのに。

理由として考慮すべきは、以下の写真。

 

『シネマトゥデイ』

 

西川美和監督の御真影です。

はつきりいつて、井川よりうつくしい。

人となりを、鶴瓶の言葉からさぐろう。

 

外見はああいう可愛らしい女性だけど、

接した感覚はむしろ男に近いというか……

ツレ(男友だち)みたいな感じがするんですよ。

撮影現場でも、その印象は変わらなかった。

瑛太もそない言うてました(笑)。

 

プログラム「笑福亭鶴瓶インタビュー」

 

いまの世の中、「男」が多すぎる気もする。

それでも神話時代の女たちは、銀幕の花をはぐくむ秘密を、

なんとか次の世代につたえてほしい。

邦画界が、過疎の村と化すまえに。

花のない映画なんて、みる価値がないもの。


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ジャンル : 映画

文明の象徴 ― カハナー『AK-47 世界を変えた銃』

 

AK-47 世界を変えた銃

AK–47 : The Weapon that Changed the Face of War

 

著者:ラリー・カハナー (Larry Kahaner)

訳者:小林宏明

発行:学習研究社 二〇〇九年

原著発行:アメリカ 二〇〇七年

 

 

 

二〇〇五年公開の映画『ロード・オブ・ウォー』の撮影で、

三千挺のAKライフルが必要になつた。

監督のアンドリュー・ニコルは、

複製品を調達するつもりだつたが、費用をしらべて仰天。

「ホンモノ」のほうが安い。

早速実銃を購入し、撮影後に売りはらう。

映画監督が、電話一本で武器商人になれる時代。

 

 

 

AK-47の設計者であるミハイル・カラシニコフは、

戦車の車長として、第二次世界大戦に参加した。

ドイツ軍の「電撃戦」の威力を、そこで目撃する。

爆撃機が拠点を破壊したあと、戦車と自動車化歩兵が敵陣ふかくに侵入。

カラシニコフ軍曹は重傷をおつた。

独軍歩兵のサブマシンガンに薙ぎたおされた同胞のため、

祖国からドイツ人を追いはらうための武器を開発することを、

機械工は病院のベッドで誓つた。

その名のとおり一九四七年に採用されたAKライフルには、

独創的な機構はつかわれていない。

どんな悪条件でも作動する信頼性と、

時間とコストをかけずに生産できる単純性を追求した結果だ。

外観も無骨そのもの。

バナナのようにまがつた弾倉など、ブサイクともいえる。

設計者は、デザインにこだわるのは反ソヴィエト的と考えていた。

この銃には、ソヴィエト連邦の精神がフル装弾されている。

 

 

 

制式採用されたとき、憎き仇のナチス・ドイツは地上になかつたが、

さらなる難敵であるアメリカ軍を撃つため、AKはかりだされた。

ベトナム戦争のことだ。

米軍歩兵に支給されたM14は、第二次大戦で活躍したM1の改良型で、

フルオートマチックでの射撃にむいていない。

相対するAKは、あつかいが容易で、弾づまりなどと無縁。

密林での出会い頭で、さきに必殺の銃弾をバラまいた。

のちにM16なる制式名をあたえられる、AR-15はすでに存在していたが、

利権をまもりたい軍官僚による、インチキ試験で排除されていた。

さすがに誰の目にも、ライフルの性能差が明白になつた一九六六年夏、

国防長官マクナマラは大慌てで、十万挺以上のM16を戦場におこりこむ。

しかし、この措置も失敗におわつた。

故障した新兵器をかかえて死んでいる米兵が、多数発見される。

軍が弾薬を変更したことが原因らしい。

官僚主義の権化とみなされているソヴィエトのほうが、

歩兵武器の技術革新をはたしたことが、実に興味ぶかい。

AKはいまだに米軍に対し優勢で、けふもイラクで、

ハンヴィーの装甲を七・六二ミリ弾がつらぬいている。

 

 

 

勿論アメリカは、やられつぱなしではない。

アフガニスタンでソヴィエト軍とたたかうイスラム戦士を、

一九八〇年代のCIAが熱心に支援した。

戦場にある兵士が一番よろこぶもの、つまりAKライフルを、

胡散くさい流通経路を通じてあたえた。

このころからAKは、国境をこえた「文明の象徴」として、

単なる武器をこえた威信をほこるようになる。

ウサーマ・ビン=ラーディンは、AKを撃つところをビデオにとらせ、

みづからを反体制の戦士として演出。

サッダーム・フセインも、このライフルの愛好家として有名で、

銃身をかたどつた悪趣味なモスクをたてた。

もうすこしマシな例をあげると、モザンビークの国旗には、

鍬と本とAKライフルがあしらわれている。

 

 

国防、労働、教育にはげむことを意味する。

内戦が収束にむかうころ、AKはおとなりの南アフリカ共和国にながれ、

人種隔離政策にくるしむ黒人の若者に手にわたつた。

AKライフルは、現代の世界でもつとも有効で、

唯一といつてよい異議申したての手段だ。

AKをもつてはじめて、男は一人前とみとめられる。

PCや携帯電話より安価で、使い勝手がよく、故障がすくない、

日常生活になくてはならない必需品。

いわば、おのれの生命を担保としたクレジットカードだ。




AK‐47世界を変えた銃AK‐47世界を変えた銃
(2009/04)
ラリー カハナー

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ジャンル : 政治・経済

逃亡 ― 『ターミネーター4』

 

ターミネーター4

Terminator Salvation

 

出演:クリスチャン・ベイル サム・ワーシントン アントン・イェルチン

監督:マックG

制作:アメリカ 二〇〇九年

[新宿ピカデリーで鑑賞]

 

 

 

ウタダの元ダンナでも作れそうな映画。

核戦争ののち、四方八方荒野と化した西海岸が、

ヤスリをかけたような手ざわりの、すすけた映像に焼きつく。

機械軍の攻撃により絶滅寸前となつた、

人類の絶望感がつたわるが、あまり単調なので飽きる。

色調をコンピュータでいじりすぎ。

いや実際は、ふるいフィルムを日光にさらすなど、

アナログ技術を応用したらしいけど。

CGの実験場みたいな『T2』が公開されたのは、一九九一年。

作品世界より六年はやく、映画界が「マシーン」に支配される。

元ボディビルダーが出演していない本作は特に、キカイ臭フンプン。

肉体の説得力がたりない。

そのうえ、作品世界の時間が循環するのは五周目で、

イチイチ矛盾を指摘するのが無意味なほど、因果関係が破綻。

繰りかえし再生し、色あせたビデオテープのよう。

 

 

 

クリスチャン・ベイルの、カービン銃の構えが格好よい。

マシーンへの憎しみに、こころを煮えたぎらせつつも、

肩で銃床をガッチリと固定している。

ひえびえとした、兵士の本能。

こういうのをもつと見たい。

はじめベイル兄さんは、半機械の役をふられたそうだが、

抵抗軍をひきいて戦うことをえらぶ。

特殊メイクやCGで、ゴチャゴチャ弄ばれたくなかつたのだろう。

だから某知事とはちがう意味で、説得力がある。

兄貴のためなら、抵抗軍に馳せ参じてもよい。

ウソです。

ところで今年の二月、ベイル兄さんが本作の撮影現場で、

裏方を口汚くののしる様子をおさめた音声が、

何者かによつてウェブ上に流出した。

下品なもので聞く価値はないけれど、一応リンクを貼つておきます。

撮影監督が本番中にセットをうろついたから、キレたとかなんとか。

 

ただ、このクリスチャン・ベールの

切れた声を聞いたファンや評論家からは、

「ベールの役者バカぶりが窺える」として

賞賛する声も少なからず出ている。

 

『ウィキペディア』

「クリスチャン・ベール」のページ

 

いかにもヤラセくさい。

スカイネット、ではなくインターネット時代ならではの、

映画会社の姑息な宣伝手法におもえる。

まあボクが穿ちすぎかもしれないし、いづれにせよ、

いまの時代に有名人であるのは、苦労がたえないことだ。

 

 

 

姑息な宣伝といえば。

映画屋たちは、本作は不評だつた『T3』とは無関係で、

偉大なるジェイムズ・キャメロン監督の流儀にかえりました、

と事あるたびに強調しているらしい。

大ウソだ!

『T4』こそが、配役も、時代設定も、筋書きも一新した、

あきらかな異色作なのに。

なぜ彼らはそこまで、前作を忌避するのか。

ロサンゼルスを粉砕するクレーン車の迫力。

墓地が舞台の、象徴主義的な銃撃戦。

老骨にムチ打つシュワルツェネッガーの奮闘ぶりも、感動をよぶ。

なんだかんだ言いつつ、『T3』で初登場した、

「ケイト・ブリュースター」は本作でも活躍。

 

 

手前のマシーンではないですよ。

変わりはてたケイトに、ボクは涙した。

 

 

こちらが本物の「ケイト・ブリュースター」です。

薄紫のTシャツに、黒のパンツ。

野暮つたいジャケットもあわせて、

映画の女主人公としての許容範囲をこえた地味さ。

それでも、クレア・デインズは最高にかわいかつた。

なるほど、理解できたよ。

『T4』が、「ターミネーター」の名をかぶせた別物になつたのは、

第三作がすばらしすぎて、比較されたくなかつたからだと。

 

 

 

ちなみに、『T3』の監督であるジョナサン・モストウの新作、

「Surrogates」の予告編はコチラから。

これがまた、おもしろそうなんだな!


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ザッツ・エンタテイメント! ― JFL 前期第16節 武蔵野FC 対 MIOびわこ

 

JFL 前期第16節 横河武蔵野FC 対 MIOびわこ草津

 

結果:1-3 (0-1 1-2)

得点者

【武蔵野】後半22分 斎藤広野

【びわこ】前半15分 田中大輔 後半37分 木下真吾 後半38分 アラン

会場:武蔵野市立武蔵野陸上競技場

[現地観戦]

 

 

 

最悪!

ヤボ用を午前中に片づけられず、一旦帰宅したのが一時十分。

すでに試合ははじまつている。

前売券が勿体ないので、後半だけでも見にゆくことにする。

夏仕様の髪形になつたのはよいが、

おのれの段取りの悪さに腹がたち、落ちこんだ。

東西線、中央線、関東バスをのりついで、

後半がはじまる前に、どうにか到着。

 

 

三鷹のキッズチアチーム、「Cookies」の晴れ姿をみれました。

一気になごむ。

武蔵野FCではなく、娘を応援しにきたママ軍団は大喜び。

見事な演技をみせた小さなチアリーダーたちは、

客席にもどつても飛びはねつづける。

かわいらしいおサルさんお嬢さんをながめて肴にしつつ、

自宅の冷蔵庫から持つてきた「金麦」をいただきます。

やつぱりJFL最高!

融通のきかない官僚主義がはびこり、

缶の持ちこみを禁ずるJリーグなんて、もう行く気がしない。

 

 

 

フィールドの向こうの、貧相な手動式の掲示板に目をやる。

「0-1」。

負けていたのか。

しかし、クッキーズにあおられた武蔵野が、攻勢にたつ。

みるのは二度目だが、7番の太田康介にまた唸らされた。

要所でボールをうばうし、そこからの展開が的確。

ツボをおさえた働きぶりは、非の打ちようがない。

後半22分。

武蔵野らしい外周りでの連携から、内側に切りこんだ、

左サイドバックの斎藤広野のシュートがきまる。

小ぶりのスタンドがゆれる。

ママもついでに歓喜!

クッキーモンスターはウロウロ!

なんにせよ、「本拠地での逆転勝利」という、

もつともおいしい段取りへの期待がたかまる。

 

 

 

追加点がとおい。

退屈きわまつたクッキーモンスターは、

母親に芝生席に行つてよいかたずねる。

「イイけど、コロコロしたらダメよ!」

よくおわかりで。

主婦業をいとなむものが、洗濯の手間を忘れることはない。

サポーターも、この冷静さをみならうべき。

武蔵野は、のこり二試合に天皇杯出場権がかかつており、

観客の一部は相当ムキになつていた。

押し上げろ! フォローしろ! 逆サイド!

ボクが選手だつたら、邪魔で仕様がないよ。

せつかく側面をくづしたと思つたら、

「クロスあげろ!」と「フォローきてるよ!」の声が同時にとぶ。

混乱させてどうするの。

マイナーなカテゴリーの観客にありがちだが、

贔屓のチームが身近に感じられるのをよいことに、

必要以上に感情移入してしまう。

自分が、選手や監督になる。

風変わりな柄のポロシャツをきた男がいたが、

そいつは90分間ずつと、ブツブツと実況中継をしていた。

クッキーモンスターをおびえさせながら。

 

 

 

のこり10分をきつたところで、2失点。

最後に、琵琶湖の苦い水をのまされた。

それにしても滋賀県にまで、Jリーグ加盟を目指すクラブがあるとは。

そもそも面積の大半を、巨大な湖がしめているはずなのに、

サッカー場に利用できる土地があることに驚く。

とはいえ、琵琶湖のアオコのような色のチームが、

技術面で武蔵野を上まわつているように感じた。

JFLは、近江の湖底より奥がふかい。

ボクももつと勉強しよう。

だが帰宅途中、金麦の缶を席に置いたままだと気づいた。

どうにも段取りが悪い。

もしかしたら、となりの席のやさしそうなママが、

気をきかせて捨ててくれたかも。

ゴミすら捨てられない、ボクがいうのもなんですが、

武蔵野FCは、クッキーモンスターも、そのママも、

気軽に応援できるクラブであつてほしい。


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変ホ短調で書かれた海戦 ― サルキソフ『もうひとつの日露戦争』

 

 

もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から

 

著者:コンスタンチン・サルキソフ

訳者:鈴木康雄

発行:朝日新聞出版 平成二十一年

 

 

 

ジノヴィー・ロジェストヴェンスキーは、

日露戦争で日本海海戦をたたかつた、「バルチック艦隊」の司令長官。

おどろくことに五年まえ、同提督が七か月半におよぶ大遠征の途上、

妻におくつた三十通の書簡の存在があきらかになつた。

 

 

青い線が、本隊のとおつた航路。

無事にウラジオストクにたどりつけば、

海戦史上の快挙として永遠にかたりつがれたろう。

周知のとおり、その栄誉は東郷平八郎にうばわれたが。

しかし、ロシア革命後の波乱の時代のなか、

ロジェストヴェンスキーの手紙を保管しつづけた子孫たちは、

歴史におほきな貢献をなした。

史上まれにみる惨敗の責任をおわされ、

愚将と評される提督の名誉を取りもどしたかはともかく、

航海中のかれの心境が、百年のときをこえ共感をよぶ。

 

私がペテルブルグを出発する直前、私はお前と一緒だった。

あの数日間のことを私はお前に心から感謝している。

あのような数日をまた過ごせることができるなら、

私はお前に何でも差し出すよ。

それなので、お前が“変ホ短調”的[暗く哀愁を感じさせる]

気分になっているのが、私にはとても残念だ。

 

帝都に革命の第一波がうちよせた一九〇五年。

ロシア的哀愁ともいえる、ひとつの世界が崩壊する音がきこえる。

 

 

 

居眠りしていたからウロ覚えだが、学校の授業では、

バルチック艦隊は「当時の世界最強」とならつたはず。

どうやら、過大評価らしい。

もともとが、旅順艦隊をたすけるために編成された寄せ集めで、

未完成の新造船や、時代錯誤のオンボロ船が混在した。

艦隊とよぶほどの艦隊ではない。

二年まえの日英同盟も効果を発揮し、

イギリスの圧力のせいで、ほとんどの港が使用できない。

同盟国のはずのフランスは風見鶏の本性をあらわにし、

戦局不利とみるや、ロシアへの協力をしぶつた。

たとえば、蒸し風呂のような灼熱のギニア湾で、

身うごき取れないほど石炭をつみこむ作業を、

ロジェストヴェンスキーは「地獄絵」とよぶ。

妻への手紙は愚痴ばかり。

たとえば、部下のエンクヴィスト少将の悪口。

 

この男は、私が想像さえしていなかった、とんでもないのろまだ。

頭が回らず、その上、耳まで悪い。

そのため、彼に命じていないことが聞こえたかのように錯覚し、

行動に移すことさえしばしばあるのだ。

 

艦上での最大のたのしみ、つまり食事にもうるさい。

 

フランス人のコック長はタンジールで下船してしまった。

下船に当たって、

彼は自分の後任にフランス人コックを指名した。

しかし、このコックも、調理の仕事は

自分でやらず、他人まかせだった。

結局、ろくでもないロシア人コックたちが調理を担当した。

ところが、ロシア人コックたちは

フランス人コック長に嫌がらせをし、彼も船を下りた。

今や何もできないコックだけとなり、

われわれはひどい料理を食わされている。

 

妻のオリガが理解できたか分からないが、

戦略についても率直に書いた。

新聞記事で、日本軍によつて旅順艦隊が全滅、

旅順要塞も陥落させられたことをしらされる。

それでも司令官は、時間こそが唯一の味方だと確信していた。

黄海海戦と旅順封鎖戦の際にうけた傷をいやす前に、

東郷提督ひきいる連合艦隊を叩かなくては。

それ以外に、ウラジオストクにつづく道はない。

絶望的な戦局にあつても迷いの形跡はみられず、

すくなくとも、ボクのしる「愚将」の人物像からほど遠い。

 

 

 

さきほど「オリガが理解できたか分からない」と書いたが、

勿論そこに、性差別的な意図はない。

だれよりもサンクトペテルブルクの官僚が、状況を読みちがえた。

増援をまつようバルチック艦隊に命じ、

マダガスカル島沖合で無為な時間をすごさせる。

「スピード」ではなく、「数」で勝て。

結局、対馬東沖での二日間で、艦隊は撃破された。

ロジェストヴェンスキーも重傷をおい、捕虜となる。

一九〇九年に、その傷がもとで死去。

終戦後に敗北の責をとわれ軍法会議にかけられるなど、

その死は失意にみちたものだつたろう。

ただ本書には、たたかう男の心の支えのありかが印されている。

オリガ夫人のことだ。

この人はやたらと嫉妬ぶかく、看護婦として従軍中の知人の娘と、

夫が浮気をしていると信じていた。

「お嬢さん方の一人と結婚することを許すわ」などと手紙に書くくらい。

夫人の名誉のために付言しておくと、

ロジェストヴェンスキーは美男子として知られていたとか。

 

 

それにしても、文字どおりの修羅場のなか、

妻への弁明に汲々とする提督をおもうと、ほほえまずにいられない。

決戦まえの最後の文面は、あまりに悲哀にみちている。

 

お前たちのところでは、私のことを心配しているほかに、

社会に蔓延する気落ちは、全般的な秩序欠乏や、

これまでどうやら倒れずにやってきた巨大なロシアが

立脚してきた土台の崩壊の兆候がもたらす不安のためである。

お前たちのことが気の毒でたまらない。

 

私の大事な人、私を赦してくれ。

 

もしかすると、私は、お前に対する最後の罪を

これから犯そうとしているのかもしれない。

少なくとも、私は生きて帰れるとは思えない。

生還することは、私にとっては

まったく異常な出来事のように思える。

 

予感のおほくは現実となつてしまつたが、

それでもこれらの便りが、時代の波に揉みけされずに残つたことが、

海の戦士が、伴侶から深く愛されたことの証明とおもえる。




もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書)もうひとつの日露戦争 新発見・バルチック艦隊提督の手紙から (朝日選書)
(2009/02/10)
コンスタンチン・サルキソフ

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光明 ― J2 第21節 東京V 対 水戸

 

J2 第21節 東京ヴェルディ 対 水戸ホーリーホック

 

結果:0-0

会場:国立競技場

[現地観戦]

 

 

 

曇天のもと、芝のうえに四本の縦縞がはしる。

緑と白の、ゆるみなき直線。

「4-4-2」と称される陣形だ。

サッカーは所詮、二十二人が球をけりあうだけのアソビだが、

スタンドからみえる風景は、日々あらたまる。

去年このブログをはじめたころ、役割分担が明瞭すぎて退屈な、

「3-5-2」の布陣が淘汰されるとよい、と書いた。

攻めるひと、守るひと、外側を走るひと。

そんな汗くさい任務から選手を解放し、

空間に即興でかいた絵を共有する、うつくしいサッカーがみたい。

ヴェルディの高木琢也監督は四十一歳。

水戸の木山隆之監督は三十七歳。

指導者の世代交代が、日本サッカーの近代化をはやめた。

ひとつ苦言を呈するなら、日本の選手は、

フィールドに立派な陣形をえがいただけで満足し、

「そこにいること」が自分の「役割」だ、と勘ちがいしがちなこと。

これでは、なにもかわらない。

 

 

 

あの無骨な「アジアの大砲」が、スーツにきがえた途端、

緻密な戦術家になつたことを、意外視するむきがある。

ストライカーの精神は、まだ誤解されているのか。

足の爪のさきの一センチ、またたきを惜しむ〇・一秒に、

おのれの一生を賭けるという哲学。

イヴィツァ・オシム流にいえば、「殺し屋の本能」か。

仕事人は、入念すぎるほど布石をうつ。

日曜の試合では、左に滝澤邦彦、右に永里源気が散開し、

可及的すみやかにクロスを供給。

茨城で一番うつくしいチームを、掻きみだした。

滝澤はおととし、横浜FCで高木の指揮下にあつた選手。

今季ヴェルディが獲得したのは、監督の引きだろう。

ちなみに滝澤は、全試合に先発出場しているから、

高木琢也の構想の堅実さがわかる。

 

 

 

さて、おカネの話で興をそいでしまいますが。

水戸ホーリーホックの強化費は八千万円。

二部においても規模がちいさい。

ちなみに高原直泰の年俸が一億六千万円だから、

浦和がはらう無駄金で、水戸が二チームつくれる。

今季序盤は好調だつたが、第12節に新進気鋭の点取り屋、

二十三歳の荒田智之が全治三か月の骨折をおう。

壊滅的な損耗。

7勝2分3敗という躍進がとまり、離脱後は1勝3分4敗。

陣形だの戦術だの精神だの、

キレイゴトではどうにもならないのが、中小企業のかなしさ。

それでもきのうは、均衡をたもちつつ果敢に攻撃をしかけ、

堂々と勝ち点1を確保した。

映像を逆再生するように、ちらばつた破片が秩序をとりもどす、

貴重な瞬間を目にしたのかもしれない。

やはりスタジアムはよい。

ワールドカップの四強がどうとか、戯言につきあわないで済む。

密雲のむこうに、かすかな光がきざした。


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テーマ : サッカー
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ing形 ― ローリング・ストーンズ『シャイン・ア・ライト』

 

ザ・ローリング・ストーンズ シャイン・ア・ライト

Shine a Light

 

ローリング・ストーンズ(The Rolling Stones)のライブ映像

監督:マーティン・スコセッシ

制作:アメリカ 二〇〇八年

[早稲田松竹で鑑賞]

 

 

 

ストーンズを見にきたというより、自分の体を見せにきたような、

小綺麗なオネエチャンが最前列にならび、ヨダレがたれそうに。

ミック・ジャガーはクネクネと踊りつめ、彼女らを忘我の境にみちびく。

還暦をとうにすぎても、なお「現役」。

男の夢ですね。

でも、「ミック・ジャガーになりたい」とは少しもおもわない。

なぜ四十年まえの曲を、あれほど必死に歌えるのかな。

最強のバンドによる、最強のリズムにのる幸福があるにしても。

「さすがにミックも老けたな」つて、言わせてくれてもよいのに。

ジイサンが元気すぎるのも、こまりもの。

 

 

 

 

 

スコセッシ監督と談笑する、キース・リチャーズ。

ニューヨークっ子には理解不能な冗談で、巨匠を煙に巻いているのか。

髪に五円玉のようなものをぶらさげた装いは、よくいえば個性的。

わるくいえば浮浪者。

この格好で駅のホームで寝たら、駅員が飛んでくるはず。

ミックが休憩するあいだ、キースがしやがれ声で二曲うたう。

お姉さまがたはドン引き。

なにこのオジイサン、こわい…。

四十年以上の、音楽稼業でみがいたはずのギターと歌唱は、

高額なチケットには、とても釣りあわぬ腕前。

圧倒的な盛り下がり。

 

 

 

ステージが温まらないうちは、無理せず様子見するキース。

ヨッコラショとすわつたり、ロン・ウッドの肩に手をかけてやすんだり、

バスドラムが揺れるのをながめたり。

じきに、ストーンズらしい音がうねりはじめる。

お、コレだよコレ。

イイ感じのロックンロールだぜ。

これなら、オレが弾くまでもねえな。

手もち無沙汰に舞台をウロウロ。

それにも飽きたら、無様な姿勢でペニョーンとならす。

どうだい、クールだろ?

不摂生がたたつて年齢以上にシワがきざまれた、

かれの顔と不気味な化粧をみていたら、公演がおわつた。

 

 

 

知つたかぶりが売り物の当ブログですが、

さすがに、「ローリング・ストーンズ」は語りつくされており、

ワタクシがつけくわえる評言などございません。

映画では、キースとロンに対し別々に、

「どつちのほうがギターがうまいと思う?」と質問する場面があつた。

期待どおりの、傑作な答えがかえつてくる。

なんと言つたかは、DVDなどで確認いただくとして、

キース・リチャーズが、キース・リチャーズを演じるような作為を感じた。

おそらく、まだ何かがかくされている。

現在進行形でかたられる伝説。

ローリング・ストーンズは、音楽の世界に屹立するモノリスなのだろうか。




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テーマ : 洋楽
ジャンル : 音楽

越境 ― 『マン・オン・ワイヤー』

 

マン・オン・ワイヤー

Man on Wire

 

出演:フィリップ・プティ

監督:ジェームズ・マーシュ

制作:イギリス 二〇〇八年

[テアトルタイムズスクエアで鑑賞]

 

 

 

唐突ではありますが、問題です。

警官の目のまえで罪をおかしても、決して逮捕されない職業はなに?

こたえは、このドキュメンタリー映画の題材である、

フィリップ・プティがいとなむ「綱渡り師」。

一九七四年、世界貿易センターにしのびこんで、

ツインタワーにはつたワイヤーを、かろやかにつたう。

反対側の屋上には、手錠をたづさえた警官がふたり。

高さは四百十一メートル。

任務とはいえ、壁際に立つだけでおそろしい。

プティはあざわらうように、踵をかえす。

勿論、警官はおいかけられない。

綱のうえの、完全な自由。

 

 

 

フランス人のプティは、いやというほど現地を調査におとづれ、

精巧な模型をつくり、練習をくりかえした。

ヘリコプターをかりて、上空から建物を観察したり。

こころの奥のつめたい恐怖を、つよい炎でとかすように。

「犯行」当日の真夜中。

警備員の目をぬすみ、鋼鉄のワイヤーを屋上にはこぶ。

弓で釣り糸をとばして、夜明けまえに突貫工事で舞台をきづく。

 

 

翌朝の、プティがみた風景。

当然一睡もしていないし、力仕事による疲労がたまつたまま。

共犯者たちはみな、かれが失敗すると確信した。

そして、本人さえも。

それなのに綱渡り師は、足をふみだす。

ワイヤーが彼をよんだから。

 

 

 

大道藝人が、カメラのまえで泣き言をいうわけもないが、

それでもプティの昔話は、あまりに無頓着すぎる。

表情ゆたかに当時を再現する口ぶりが、かえつて薄気味わるい。

むしろ協力者や当時の恋人のほうが、いまは消滅した、

あのビルでの四十五分をおもうだけで感極り、涙をながす。

恐怖というのは、聴覚や視覚に似た一種の感覚で、

それを受けとめる器官が、はたらかない人間がいるのかもしれない。

演技をおえたプティをニューヨーク市警が逮捕するが、

なにをおもつたか、精神病院につれてゆく。

「なぜ?」「なぜ?」と質問ぜめにあい、辟易する大道藝人。

「アメリカ人は短絡的だね」と述懐する。

本人によると、手錠をかけられたまま階段をおりるのが、

この日で一番あぶなかつたそうだ。

 

 

 

一夜あけて、世界的名士となつたフィリップ・プティ。

仲間たちと、こころが離れてゆく。

本作は、そんな淋しさもえがいている。

プティは、「大道藝を藝術の域にたかめた」と評されるが、

藝術という厄介ごとは、裏に棘をかくし、ときにひとを傷つける。

子どもむきの胸おどるサーカスとは、異質な面がある。

よきにつけ、あしきにつけ。


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

「戦後」という寝物語 ― 田母神俊雄と村上春樹

 

三島由紀夫が市ヶ谷で腹をきつたのが、昭和四十五年。

ということは、ボクは三島をしらない世代となる。

その作品や生涯に、特別な関心を向けることはなかつた。

これからもそうだろう。

ただ、杉山隆男の『自衛隊が危ない』(小学館101新書)という本をよみ、

かれの死の意味を、すこしばかり理解できた気がする。

自決の五か月あまり前、三島は毎日新聞に、

石原慎太郎にあてた公開状を投稿した。

 

昔の武士は、藩に不平があれば諌死しました。

さもなければ黙って耐えました。

何ものかに属する、とはそういうことです。

もともとは自由な人間が、何ものかに属して、

美しくなるか醜くなるかの境目は、

この危うい一点にしかありません。

 

ちなみに、これは孫引きです。

三島なら、もとは正字正かなで書いただろう。

当時の裕次郎の兄貴は、自民党所属の参議院議員でありながら、

マスメディアを通じ、党執行部を声高に批判していた。

それが見苦しいと、たしなめた。

権力をもつものは、かるがるしく不平不満をもらすな。

たとえ、それが正しくても。

「内容」より、「形式」を優先すべきという美意識を、

作家は切腹という様式で実演した。

 

 

 

さて、杉山隆男の著書にもどろう。

週刊誌の企画で、前航空幕僚長の田母神俊雄と対談。

田母神は、政府見解に反する論文を発表したことが原因で、

空幕長の職をとかれたことで、名をしられた人。

三島的な美意識を試験紙として、杉山は、

目下の右翼のヒーローの性根を値踏みする。

 

〈軍人、とりわけ指揮官は言論や表現の

自由が制約されていると思う。

なぜかといえば、言論や表現の自由とは

丸腰の人間がいう言葉だからです。

四万五千人もの部下と武器を持つこと自体が

大きな力であり、一定の表現をしている。〉


などと私が軍のトップに立つ人間と

一般の人間との違いを強調すると、前空幕長は反論した。


〈制服を着ていたら全く言論の自由がない?

そりゃあなた、差別じゃないか。おかしいですよ〉


私はあっけにとられたような顔をしていたかもしれない。

 

間のぬけた返答に、ボクも愕然とした。

数万の兵士と最新の兵器を管理する立場にあつた、

事実上の空軍大将が、みづからを「弱者」とみなす喜劇。

さらに杉山は、軍人としての料簡をとう。

 

対論の席でなおも私が、

「上官の意志に背いたことに変わりはないですよね」

と畳みかけると、

田母神氏はこうつづけている。


〈僕はやろうと思えば解任されたことに対して

裁判で争うこともできた。

国家公務員法と自衛隊法に基づくなら、勝てるかもしれない。

が、僕は争っていない。

秩序を乱したといわれるのは心外ですよ。〉

 

いま本屋にゆくと、かれの写真をかざつた本がならんでいる。

タモチャン(田母神の愛称)が、これほど共感をよぶ理由はひとつ。

肩に桜を四つのせた最高位の軍人でありながら、

虐げられた人間のごとく、アッケラカンと弱みをさらけだしたから。

三島由紀夫が、はやめに人生をおわらせたのは正解だ。

長生きしていたら、腹がいくつあつても足りない。

 

 

 

与太話はつづきます。

いま一番うれている本といえば、御存知のとおり村上春樹の『1Q84』。

実は村上と田母神は、同学年にあたる。

つまり、ちやうど還暦の「団塊の世代」。

このブログでは三月に、村上がエルサレムでぶつた演説をとりあげた。

(リンク:「村上春樹のエルサレム賞受賞演説について」

「高くそびえる堅固な壁と、それにぶつかって割れる卵が

あったとしたら、わたしは常に卵の側に立つ」という発言に注目し、

「人間の問題」を「システムの問題」にすりかえる村上を、

それなりに筋道をたてて批判した。

でも、すべての疑問はとけていない。

かれはなぜ、実体のない「システム」とやらにこだわるのか?

これ以上のぞめないほど成功をおさめた小説家が、

なぜ妙に舌たらずで、おびえた顔つきなのか?

こたえは、世代にある。

戦争終結直後にうまれた団塊の世代だけがもつ、

「弱者の精神」とよぶべきものが、たしかに存在する。

かれらは寝物語のなかで、母親から戦争の醜悪さをおそわる。

すこやかに成長した幼子は、見当はづれの革命ごつこに加わつたり、

空軍大将になつたり、人気作家になつたりした。

つねに、みえない敵におびえながら。

それが日本の戦後だ。

「弱者の精神」がいま、黒い雲のように列島をおほつている。




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テーマ : 政治・時事問題
ジャンル : 政治・経済

まつすぐな回り道 ― 石田美穂子ストーリー

 

午後一時。

習志野は秋津のスタジアムからみる青空。

綺麗?

とんでもない。

これは、脱水症状との闘いを意味する。

スタンドに屋根がないことは調べていたから、

『アトランチスの謎』の主人公みたいな帽子をかぶり、

背番号18のタオルマフラーで首筋をおほつた。

もちろん、水筒も持参。

探検家なみの装備だ。

 

(参考画像)『アトランチスの謎』のウィン

 

水筒は前半で空になる。

ハーフタイムに飲み物を買つたが、それでもキツイ。

結局、かるい熱中症になつた。

完全なインドア仕様(ひ弱とも言う)の体がうらめしいが、

炎天のもと、90分走りつづける選手にかかる負荷は、

半端なものではない。

 

 

 

ジェフレディースをみるのは初めてだが、

やはり彼女らも、兄弟チームの影響を強くうけていた。

センターフォワードが最前線で孤軍奮闘し、

こぼれたボールをひろいながら、側面攻撃の隙をうかがう。

フクアリでよくみる光景だ。

どちらかというと、悪夢にちかい。

巻誠一郎の役をつとめるのが、背番号9の石田美穂子。

 

「石田ミホコofficial web site」

 

巻より男前だけど、女子選手です。

昨季は14試合で11得点。

一部に昇格した今季も、前節までにリーグ最多の6得点。

顔立ちからわかる通り、鼻つ柱のつよいエースストライカーだ。

おそらく技術は巻以上で、まわりの人間を使うのもうまい。

残念ながら試合は、INACに0-3でやぶれた。

守備は嫌いなのか、「イッシー、ボール!」とゴールキーパーにいわれて、

いやいや走っていたのが印象にのこつた。

でも巻だつて、こんな日にいつもの調子でプレーしたら死ぬけれど。

比喩表現ではなく。

 

 

 

さて、サッカーの話題は小休止。

「石田ミホコ」名義の、三枚目のシングルをお楽しみください。

 

 

ELLEGARDENの「ジターバグ」のカヴァー。

原曲の細美武士の甲高い声より、ずつとドスがきいた歌が、

これまたオトコ気にあふれています。

あれ皆さま、ついてこれてます?

これは別に冗談でもなんでもなく、「石田ミホコ」は、

テイチクからCDをだしている正真正銘のメジャーアーティスト。

バンド活動を高校時代から続けていたところ、

ライブハウスで見染められてデビューとあいなつたとか。

漫画かよ。

『NANA』のほうが現実におもえる、サクセスストーリー。

片方だけでも、かないそうにない夢なのに。

 

 

 

この人は自分のサイトで、小説もかいている。

その名も、『早すぎる自叙伝』

まあね。

当方は文章なら、読むのも書くのも多少心得がありますし。

どうせケータイ小説に毛がはえた程度の駄文だろうと。

そうおもつて一応チェックしてみたわけ。

夢中で読んだ。

サッカーや音楽や恋やファッションの挿話のなかに、

いじめ、自殺未遂、レイプ、覚醒剤など、悪趣味な記号がちらばる。

いわゆるケータイ小説は、「自伝」と銘打つたホラ話ばかりと聞くが、

彼女の場合は、ウソをついてもなにも得がない。

どえらい人生だ。

すこし逆説的だが、サッカーにのめりこんだことが、

石田のような個性をはぐくんだのではないか。

女子サッカーは、学校教育に組みこまれていない、

クラブチーム主体のスポーツだから。

中学のころ所属していた、「本町田サッカークラブ」での話。

 

部活動ではないため、中1から一般と一緒だ。

上は30歳くらいの人までいた。

中1にして、高校生のお姉さん達や会社務めしてる

大人の人達ととても仲良くなっていく私。

絶対ませガキだった。

サッカー以外の遊び、カラオケでオールや、真夜中にゲームセンターとか、

いままでやったことのない遊び方は、

付いて行けば当たり前にそこにあった。

 

さぞかし両親は心配したろうが、

同年齢の子どもとの共同生活をしいる「学校」などより、

はるかに多くのことをまなんだろう。

 

 

 

武蔵丘短期大学に入学し、はじめて「部活動」を経験する。

「呼び捨て」でよぶことを禁ずる先輩たちに反発。

勿論、練習がおわれば敬語をつかう。

でもサッカーをやつてるときは、年齢なんて関係ない。

序列は、能力できまるのだから。

正論だけど、この社会では非常識とみなされがち。

あれ、なんだか教育論みたいになつた。

理屈はまたにしよう。

石田美穂子のゆく道は、いうほど平坦ではなく、

将来を嘱望されながら一度サッカーを捨てたこともある。

いまだつて、はるか先の目的地をめざす途上。

われわれ凡人にしたら、遠回りにみえる生きかただけど、

彼女のまなざしは、いつでも真つすぐだ。


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テーマ : サッカー
ジャンル : スポーツ

理解者 ― 『サガン 悲しみよ こんにちは』

 

サガン 悲しみよ こんにちは

Sagan

 

出演:シルヴィー・テステュー ジャンヌ・バリバール ピエール・パルマード

監督:ディアーヌ・キュリス

制作:フランス 二〇〇八年

[シネスイッチ銀座で鑑賞]

 

 

 

決して薄くはない伝記の書評をかき、

小説も再読してから、サガンの映画をみにでかけた。

予習のしすぎかな。

本人がみたら、皮肉つぽく笑うだろう。

「他人の人生ほど退屈なものはないのに」つて。

そして、ひさしぶりの銀座からもどつた今は、

ますますサガンがわからなくなつた。

混乱のきわみ。

作家の人生を十八歳から六十九歳まで、

たたみかけるように再現したシルヴィー・テステューでさえ、

「サガンに貼るラベルは存在しないのよ」、

「自己規制を一切しない人物をどう捉えたらいいの?」とのべる。

 

彼女の友人たちの何人かに会ったけれど、そのうちに、

たくさんの人に会えば会うほど分からなくなると気づいたの。

ひとり目は彼女のことを内気だったと言い、

ふたり目は情欲をそそる魅力があったと言い、

3人目は内向的だったと言う……。

みんな言うことが違うんですもの。

 

映画プログラム

[インタビュー]シルヴィー・テステュー

 

脚本はいかにも略伝調に、できごとを列挙する。

栄光と没落、二度の結婚と離婚、同性愛、交通事故、病気。

おかげでアクビがでる隙もないが、

ふかい共感をおぼえるまえに、二時間がすぎた。

脚色が悪いとはいわない。

伝記をよんだからわかるが、

これでも映画むきの大事件を相当はぶいている。

 

 

 

シルヴィー・テステューの演技が真にせまる。

サガンのしやべりかたなど知らないけれど、

銀幕にうつる鋭敏な物腰は、かの女ならではだろう。

機関銃のような早口、神経質に髪をさわるしぐさ。

辛辣なユーモアで会話を制するが、ときに少女のように笑いくづれる。

要するに頭がよすぎて、他人がすべて馬鹿にみえた。

それでも、多少マシにおもえる人間にはやさしくふるまう。

自分を傷つけないかぎり。

この映画は、サガンの残酷な面を強調する。

はつきりしない理由で、息子との縁をきつたり、

長年つくしてくれた秘書も唐突に解雇する。

足蹴にされた秘書は裁判所にうつたえ、

不当解雇とみとめさせるが、賠償金はもとめなかつた。

破産状態のサガンには、支払い能力がないから。

他人との感情的なしがらみを面倒がり、

不要になればオモチャのように投げすてる。

あとで苦しむとわかつていても。

孤独という文字が、豹柄のコートを着て歩いているかのよう。

 

 

 

「自由を定義したら、それはもう自由ではないわ」と、

サガンが最初の夫にむけていう。

かの女の人生観そのもの、という気がする。

サガンを理解できないのも、当然かな。

言葉では定義しえない、「自由」という規則をまもりながら、

みづからの生を完結させたのだから。

この世界でサガンを理解できたのは、テステューひとりだけ。

そうおもわせる演技だつた。

サガンの人生は、サガンにならなければわからない。

これほど不幸な人もまれだ。

でもなぜか、あこがれてしまう。

時代も、国も、性別さえも違うのに。

そんな自分のあやふやな心模様もふくめ、どうしようもなく悲しい。

 






フランソワーズ・サガンの伝記についての拙文は、以下を参照のこと。

 

「微笑をたやさずに ― ルリエーヴル『サガン 疾走する生』」


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

微笑をたやさずに ― ルリエーヴル『サガン 疾走する生』

 

サガン 疾走する生

Sagan à toute allure

 

著者:マリー=ドミニク・ルリエーヴル (Marie-Dominique Lelièvre)

訳者:永田千奈

発行:阪急コミュニケーションズ 平成二十一年

原著発行:フランス 二〇〇八年

 

 

 

サガンが『悲しみよこんにちは』を書きあげた十八歳のとき、

まわりに原型となる、軽薄で不品行な人間はいなかつた。

保守的な、南西部のブルジョワ娘だから。

耽読していた、十九世紀の作家たちとプルーストを下敷きに、

ペンとタイプライターの助けをかりて、自分ごのみの世界をつくりだした。

それからの彼女は、人生というありふれた紙のうえに、

あきもせず処女作を清書しつづける。

『悲しみよこんにちは』の主人公セシルは、

エレクトラコンプレックスよろしく、プレイボーイの父親に執着する。

二十二歳になつた小説家も、倍の年齢の男と結婚。

新郎は結婚式に指輪をわすれたくらいで、

真剣な関係ではなかつたらしく、一年で別れる。

さらに自動車。

サガンはスピード狂だつた。

フランスに高速道路がひとつしかない時代に、

一番速い車をあらそつて買いもとめた。

一九五七年、小説の結末をなぞるように国道四八八号線から飛びだし、

アストンマーティンのなかで押しつぶされる。

 

車のなかほど、一緒にいる人に友情を感じる場所はない。

ちょっぴり窮屈にすわって、

スピードの快感にともに身をゆだねる。

もしかすると死にも、ともに。

 

『悲しみよこんにちは』(新潮文庫)

河野万里子・訳

 

発想がまづしい批評家は、「処女作にはすべてがある」などというが、

サガンの場合はできすぎで、自作自演のきらいがある。

 

 

 

戦後風俗の象徴のようなサガンだが、その価値観は旧弊だつた。

地方名家のお嬢さん気質がぬけることはない。

出かける前は、かならず化粧をする。

夕食によばれたら、さきに美容院にゆく。

夜は腕をださない。

バイセクシュアルだが、決してそれを公言しなかつた。

下品であることを、かの女は耐えられない。

ミッテラン大統領を自宅にまねくときは、

黒のワンピースに真珠のネックレスを身につけ、

シャネルの五番とランコムのファンデーションを軽くあしらい、口紅をひく。

またたく間に、貴婦人に化けた。

オレは鑑定できないが、その文体も古典的なものらしい。

いかにも現代小説風の口語体が大嫌い。

現代口語では消滅した、接続法半過去にこだわる。

だれよりも文章表現にきびしかつた。

 

 

 

一九六八年の五月、パリで革命騒ぎがおきた季節、

サガンは仲間と、おきにいりの店で食事をたのしんでいた。

大通りでは、車が焼かれているのに。

時代の寵児が、過去の遺物となる。

でも、街頭で声をはりあげるサガンなんて、冗談でも想像できない。

通貨単位がユーロにかわつても、かの女は「フラン」で数えた。

そんな逸話に安堵する。

サガンとユーロなんて、ぞつとしない取りあわせだもの。

女ながらも電化製品がすきで、携帯電話やデジタルカメラもすぐに購入。

充電が面倒で、つかわなかつたが。

マッキントッシュまで持つていたが、執筆にはもちいず、

ポーカー、ルーレット、バカラなどであそんだ。

病気、薬物への依存、経済的な破滅。

悲惨としか言いようのない晩年だが、サガンはサガンでありつづけた。

 

 

 

作家自身をふくめて、おさないサガンのまわりには、

サガン的人物はひとりもいないと本書は結論づけるが、

どうも母の存在があやしい気もする。

戦時中、リヨンに疎開していた一家の話。

警報がなつても、母マリーは地下室にゆきたがらない。

地下室は臭いから。

サガンがのちにこう語る。

 

母が髪にカーラーを巻いていたのを覚えているわ。

壁が揺れ、ぱらぱらと漆喰が落ち、

みんな早く空襲が終わらないかとじっと待っているのに、

私たちは何も怖がることなく、トランプで遊んでいたの。

空襲が終わって家に戻ったとたん、母が悲鳴を上げた。

なんと、台所にネズミを見つけたからなの

 

なんてサガン的な。

でも小説家の打ち明け話は、どれも作りごとにおもえるのが問題だ。

マリーは老境にあつてアルツハイマー病をわづらい、

視力もうしなつたので、見舞い客をみわけることもできなくなる。

サガンは友人と病床をたづねたが、御機嫌うかがいは連れにまかせ、

自分は廊下で犬とボールあそびをした。

直視するには、つらすぎたのだろう。

 

 

 

賭博を愛したサガンは、うつくしい言葉をのこしている。

 

サガンはすぐに、無表情を装うことがゲームに勝つコツであると気づく。

彼女は生まれながらに感情を隠すことに長けていた。

何があっても運命に翻弄されないと心に決めていたのだ。

「つらいときも、嬉しいときも、微笑を絶やさず、平然としていよう」

 

人生はゲームだなんて、陳腐すぎるかもしれないけれど、

サガンについては、それ以上の比喩があるとはおもえない。




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テーマ : 書評
ジャンル : 本・雑誌

相対性アクション ― 『チョコレート・ファイター』

 

チョコレート・ファイター

ช็อคโกแลต

 

出演:ジージャー・ヤーニン アマラー・シリポン タポン・ポップワンディー

監督:プラッチャヤー・ピンゲーオ

制作:タイ 二〇〇八年

[新宿ピカデリーで鑑賞]

 

 

 

地下鉄の駅のエスカレーターで『キネ旬』を読んでいたら、

おもわずプッとふきだした。

 

脚本が弱いというのが、タイ映画のいちばんの弱点ですね。

タイ映画がいきおいを盛りかえして、

いまでは年間50本くらいの映画が製作されるようになりましたが、

プロの脚本家といえるのは5人しかいないんですよ。

 

『キネマ旬報』2009年6月上旬号

プラッチャヤー・ピンゲーオ監督インタビュー

取材・文:宇田川幸洋

 

すくなすぎないか。

そんなこんなで、池脇千鶴似のジージャーは、

病的に無口な娘の役をあたえられる。

気のきいたセリフをかんがえる手間がはぶけるし、

映画初出演(なのかな?)のジージャーも、アクションに集中できる。

肉体という言語が、華麗に国境をこえた。

ジージャーはかなり本格的にテコンドーをしていたそうだが、

軽業めいたキック主体の殺陣が、細身に似つかわしい。

テーブルの下、棚の空隙、ビルの壁の足場。

大男なら片足しかはいらない隙間が、かの女の戦場だ。

地の利をいかし、セットに存在するすべてを武器にかえ、

アインシュタインのように三次元空間をつきぬける。

 

 

 

究極の格闘アクションといつてよい本作だが、

あまりに無鉄砲で、観客としては心配になる。

たとえば、ジージャーに蹴りとばされた敵が足場から落ちるとき、

あきらかにヤバい角度で、カドに頭をぶつけたり。

CGでは絶対につくれない、直接的な痛み。

 

―タイのアクション映画は、そこがすごいと思うんだけど、

上から落ちる人が、看板に背骨をぶつけたり、

わざわざいちばん痛そうな落ちかたをしますが、

大丈夫なんですか?

 

2、3日から1週間、寝こむ人はいます、病院で。

それはスタントマンにとっては普通で、

ケガのうちにははいらないんですよね。

 

同記事より引用

 

いえいえ、立派な入院です。

タイつて、どこか不可解な国。

オカマ(カトゥーイ)が多いことはつとに有名ですが、

この国の映画のお約束なのか、本作にも団体様で出演しております。

 

タイ語で「こんにちは」は、男性の場合は「サワッディー・クラップ」

女性の場合は「サワッディー・カー」と言います。

男性と女性で違うわけです。

じゃあオカマさんはどうなんだ、と言うと・・・

「サワッディー・ハー」になるらしいのです。

オカマ語とでも言うのでしょうか?

でもコレを言ってしまうと、

自分がカトゥーイだと公表しているようなものです。

 

マナオ『Bon Voyage』

 

オカマ専用の文法!

人権意識高すぎ、というかユルすぎ。

カトゥーイが一般社会に受け入れられているのは、

タイ人が他者の権利に対し寛容なのが一因だが、

すすんだ医療技術にささえられている面もある。

 

タイの病院では、最先端の医療機器が

日本や欧米諸国と時差なしで導入され、

日本では治験に長い時間をかける治療法が積極的に採用される。

この場合のタイの病院とは、

一部の国立を除く私立に限定されるものの、

日本よりむしろ「進んでいる」のが実情だ。

 

『newsclip.be』

菊地ゆかり「最新機器・新治療法、国際レベルのタイ医療」

 

お医者が優秀だから、安心してカトゥーイになれる。

命がけのスタントもへいちやら、というわけ。

 

 

 

オレもジイサンになつたら、タイに住もうかなと思つてたら、

一足さきに、インドシナ半島にでかけた男がいた。

日本のヤクザを演ずる、このひとです。

 

 

阿部チャン、東南アジアになじむな~。

今回の記事は引用がおほすぎて、おそらく皆さま、

上の段落で読むのをやめたと思いますが、実はもうひとつあります。

だつておもしろいんだもの。

 

日本にいる友人に相談したら、

なんで日本の俳優をつかわないのと言われて、

ダメもとで自分のイメージにぴったりの阿部寛さんにオファーしたら、

すぐにOKがかえってきて。

OKだったことが、かえってショックでした(笑)。

 

上掲の監督インタビューから引用

 

阿部チャン、フットワークかるいな~。

彼ほど顔が濃くなくても、「マイペンライ(気にしない)」の精神でゆきませう。


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苑田 謙

苑田 謙
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