不毛の解放区 ― 『ドロップ』

 

ドロップ

 

出演:成宮寛貴 水嶋ヒロ 上地雄輔

監督:品川ヒロシ

制作:日本 平成二十一年

[池袋シネマ・ロサで鑑賞]

 

 

 

二十六歳の成宮寛貴が、中学三年生に扮する。

強気の配役だ。

実際、映画の根本をゆるがすほど無理があるが、

三十分もすぎれば、気にならなくなつた。

設定にかかわるアレコレをこえて、

わかい役者たちの熱い体温が、銀幕からつたわるから。

品川ヒロシ監督の賭けは、奏功した。

ナリミヤにいたつては、そんな品川に心酔しているとか。

 

おれが26年間生きてきた中で、

今一番かっこいいと思っている人ですね。

監督としてはもちろん、人間として。

普段は笑顔でおちゃらけているんですが、

瞳の奥に何かすごく熱いものを持っているんですよ。

コミュニケーション能力も高いし……

とにかく完ぺきな人ですね。

 

『Yahoo!映画・インタビュー』

 

『キネマ旬報』四月上旬号での、品川へのインタビューをよむと、

ここまで慕われる理由がわかる。

この新人監督は、出演者全員に見せ場をあたえて、

「出た人がよろこぶ映画」を作ろうとつとめた。

たしかに、テレビ直輸入のせせこましい「お笑い」は寒いが、

バリバリの不良がよその家だと礼儀ただしかつたり、

ベタな挿話でぬかりなく笑いをさそう。

そして最後は、人情話でしめくくり。

 

 

 

終始キレつぱなしの、水嶋ヒロにしびれる。

お洒落な髪形と服装は、八十年代のヤンキーのそれではないが、

まあ、格好よければアリだろう。

こちとら、ヤンキー文化に微塵も関心なし。

かれは声がよい。

上目づかいでにらみ、ドスをきかせて「テメ、殺されてーのかよ?」

ゾクゾクする。

天はこの男に、運動能力までさずけた。

さすがは、全国高校選手権に出場したほどのサッカー選手、

引きの画面を、縦横無尽によくうごくこと!

華奢な長躯が、みじかい鉄パイプをもてあそびながら、舞う。

小ぶりな武器をもたせて、敏捷性を強調。

殺陣に工夫がこらされている。

ファミレスの窓をぶちやぶつて、奇襲される場面の迫力。

火にくべていた角材を武器にする、派手な趣向。

ほかにも、とつぽい波岡一喜、鳶の作業着が似あう上地雄輔らが好演し、

さながら若手俳優の見本市のようで、たのしい。

ケチくさいテレビのしきたりから解放され、みなイキイキしている。

 

 

 

邦画界に俊英あまたなることを證明するこの秀作に、

清楚な本仮屋ユイカが、そつと花をそえる。

ウソウソ。

このひと、ちつとも色気がない。

ゴボウに目鼻がついたような野暮つたさで、

艶のある男優陣とならべたら、かわいそうなくらい。

本作は、いまの日本映画の弱みもあきらかにした。

有望な女優が、払底している。

本仮屋といえば、上野樹里や貫地谷しほりとおなじく、

『スウィングガールズ』(平成十六年)の出演者。

三人の連続テレビ小説ヒロインをうみだした、

「花のスウィングガールズ組」なのだが、

変顔の天才・上野をはじめ、かの女らはその後イマイチぱつとしない。

いや、テレビでは活躍しているかもしれないが、ウチの四角い箱は、

サッカーとゲームしかうつらないので、わからない。

そもそも女つてやつは、「映画づくり」に夢を感じないのかもしれない。

でもね。

女優業を営むみなさま。

名花は、劇場でこそ映えるのですよ!

 






成宮寛貴主演作『ララピポ』についての拙文は、以下を参照のこと。

 

逆流するナリミヤ ― 『ララピポ』


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

履歴書の虜 ― 柘植久慶『オバマ暗殺』

『Skytrainの香港駐在日記』

 

オバマ暗殺

 

著者:柘植久慶

発行:角川春樹事務所 平成二十一年

 

 

 

ツゲといえば、ヨシハルではなく、ヒサヨシだ。

六十六歳のヒサヨシは、寡作家のヨシハルなどとちがい、

去年だけで十二冊の著書を世におくつた。

月ごとに質の低い本をかきなぐる、デタラメぶりに頭がさがる。

アメリカ陸軍特殊部隊に所属した退役大尉という経歴をひきさげ、

平和ボケした文壇で、大成功をおさめたヒサヨシ。

のちに、ホンモノのグリーンベレーである三島瑞穂に、

あつさり嘘をあばかれたのは、御愛嬌。

男子として、これほどの不名誉はそうないが、

かれはけふも、どこ吹く風でいばりくさつている。

あまり悪口をいうと本人に暗殺されるから、本の話にはいろう。

 

「黒人大統領を暗殺することが国家のためになる?」

「民主党政権の背後には、鼻もちならない東部のインテリ、

ホモセクシュアル、黒人とヒスパニック、

ユダヤ人、左翼、それに不満分子がいる。

彼らが国家を別の方向に導くのではないか、

という危険意識だろう」

 

ヒサヨシの世界観がよくわかる会話だ。

世界一優秀な弁護士でもかばいきれないくらい、

完全にまちがつている。

エセ軍人のくせに、いや、エセだからこそなおさら、

本職以上にアメリカ合衆国の将来をうれうのか。

 

 

 

バラク・オバマの暗殺を依頼された主人公、一ノ木戸悠の、

あまりの魅力の乏しさに圧倒される。

ヒサヨシの(虚偽の)経歴にピタリとかさなる、六十六歳。

年齢など意に介さず、銃をかかえて激戦をかさねては、

世界中の美女と、一夜かぎりの情事をたのしむ。

おのれの願望を、そのまま文章におこすのは結構だが、

こんな超人に共感できる読者がいるとはおもえない。

凡百の小説家なら、主人公の過去の悲しい事件をかくとか、

同等の能力をもつ好敵手をだすとか、

敵につかまつて拷問されるとか、適当な見せ場をつくる。

勿論ヒサヨシが、読者がよろこぶ小細工をするわけがない。

大きらいなオバマのことも、言いたい放題。

他人の経歴には、きびしい作家なのだ。

「オバマの妹の亭主はバリバリの支那人。

国家機密がそこから流出するだろう」

「オバマの叔母はイスラム教徒で、不法滞在で摘発された。

大手メディアはまつたく問題にしなかつたが」

「オバマは支援者や裏方に愛人がいる。

妻ミシェルにはとつくにバレていて、頭があがらない。

かの女によつて、かわゆい黒人娘がバハマ諸島に島流しに」

ちなみに上のふたつは確認したが、一番下は真偽不明。

「愛人」とか「不倫」とか、英語でどう検索したらよいのだろう。

 

 

 

左翼ぎらい、黒人ぎらいのヒサヨシは、小説のなかでオバマをおいつめる。

 

RPG-7で防弾ガラスを破壊、機関銃で掃射、狙撃銃での狙撃、

周辺の警護を榴弾で一掃、そして迫撃砲か。

 

銃弾、榴弾、砲弾の雨あられ。

かわいそうなバラクくん。

腰をぬかした新大統領は、みじめに演壇を這いまわる。

失禁してズボンをぬらした姿が、全世界に放映される。

 

実弾の洗礼を受けたことのない人間の見せた醜態だ。

ジョン・マケインなら、暫くのあいだ立っていたであろう。

 

だれだつて逃げるだろ。

迫撃砲弾は、特等席にいた報道記者たちを直撃し、

大統領選でオバマを応援したことへの、報復まではたす。

しかしなぜ、ここまで。

オバマとその支援者への憎しみの、はげしさよ!

おそらく、愛知県うまれの平木啓一(ヒサヨシの実名)は、

嘘に嘘をかさねるうち、負の感情のとりことなつたのでは。

オレはアメリカ軍人なのだから、反アメリカ的政治家はみとめられない。

邪魔者は、殺すべきだ。

戦争だつて、「ドミノ理論」とか「大量破壊兵器」とか、

えてして屁理屈や虚言を燃料にしてはじまる。

その意味で本作は、正鵠をいた戦争文学でもある。

 

 


オバマ暗殺オバマ暗殺
(2009/03)
柘植 久慶

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バラク・オバマに関するマジメな本については、以下を参照のこと。

 

千両役者オバマ ― 成澤宗男『オバマの危険』


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テーマ : 読んだ本
ジャンル : 本・雑誌

六年目のスキップ ― ジル・ボルト・テイラー『奇跡の脳』

 

 

奇跡の脳

My Stroke of Insight

A Brain Scientist's Personal Journey

 

著者:ジル・ボルト・テイラー

訳者:竹内薫

発行:新潮社 平成二十一年 (原書:二〇〇六年)

 

 

 

脳科学の本は、大抵つまらない。

かれらは脳が大事というが、だからつて中身をかえるわけにもゆかず、

結局シロウトにとつては、ほとんど意味がない。

ではなぜ本書を手にとつたかというと、著者である脳科学者、

ジル・ボルト・テイラーの経歴に興味がひかれたから。

ハーバード大学につとめていた三十七歳のとき、不幸にも脳卒中でたおれ、

それから八年ものあいだ、闘病生活をおくる。

脳の本質的な機能を、いわば「内側」から観察したわけで、

かつて見聞したことがないほど、説得力を感じる。

 

 

 

一九九六年十二月十日の朝。

テイラーは、はげしい頭痛とともに目をさます。

脳卒中の症状なのだが、この病気がおそろしいのは、

専門家でさえ、脳の異常だと気づけないから。

それどころか彼女は、血行をたかめようと運動をはじめて、

損傷をひろげてしまう。

それから、平衡のとれない体で浴室にはいり、蛇口をひねる。

水の音が、騒音となつて耳をつんざく。

著者はこのときはじめて、深刻な神経の機能不全を自覚した。

左脳の出血のために、知覚を分析する機能がうしなわれたのだ。

あらゆる音は、無秩序な雑音となる。

視覚は、三次元的なひろがりや色を把握できず、

印象派の絵画のようにみえる。

救急車をよぶことも不可能。

言語と記憶の機能がはたらかないので、

脳のなかの「911」という番号は、血の海でおぼれたまま。

そんな危機にあつて、最初におもいだした電話番号は、

なぜか、遠方にすむ母のものだつた。

 

 

 

幼児にもどつたような娘を、ねばりづよく看護する、

母の愛情が印象にのこる。

ヘレン・ケラーとサリバン先生のよう。

脳の回復には、人のやさしさと、時間が必要。

薬にたよらず、子どもむけの本や玩具をつかつて、

「できること」からすこしづつ学ばせる。

できなくても、生きていること自体をよろこべばよい。

また、病人は普通テレビをみたがるが、

テイラーは、テレビ、電話、ラジオを一切しめだして生活した。

テレビや電話はエネルギーをうばい、患者を無気力で、

学習に興味をもてない状態にするから。

療養生活のハイライトは、六年目にようやく、

一段とばしで階段をのぼれるようになつたこと。

 

わたしは脳卒中をおこして以来、毎日のように、

スキップで階段を上がることを夢見ていました。

自由気ままに階段を駆け上がったとき、

どんな気持ちだったかを忘れずにいました。

心の中で、その場面を何回もくりかえし再現し、

頭とからだがそれを実現できるほどに調和していくまで、

スキップで階段を上るための

回路を失わないようにしていたのです。

 

たかがスキップが、頭と体のどれほど複雑な連動によるかなんて、

かんがえたこともなかつた!

 

 

 

壮絶といつてよい手記だが、渦中にあるテイラー自身は、

まつたく不幸ではなかつたらしい。

それどころか、理屈屋の左脳がねむつているおかげで、

永遠にながれるような幸福感にひたることができた。

「左脳マインド」は、怒り、嫉妬、欲求不満といつた負の感情をもたらす。

いまこんなに幸せなのに、回復して言葉をとりもどす意味があるの?

病身の彼女は、世界との一体感と、思いやりにみちた、

「右脳マインド」を犠牲にすることをおそれた。

この点も、非常に示唆にとむとオレはおもう。

われわれは、あまりに言葉で分析しすぎ、自他を比較しすぎ、

結果として、みづから不幸になることがおほい。

ただもちろん、言葉は強力な道具だ。

それをつかつて、左脳は体の治癒をはやめることもできる。

下の引用部分は、単純なパズルをとけない娘に対し、

母が助け舟をだすところ。

 

「ジル、色を手がかりにしたらいいじゃない」

わたしは心の中で、独り言をくりかえしました。

いろ、いろ、いろ。

そして電光石火、突然、色が見えるようになったのです!

 

信じられないような瞬間でせう?

だがこれも、脳科学者の実体験なのです。




奇跡の脳奇跡の脳
(2009/02)
ジル・ボルト テイラー

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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

小細工大作戦 ― 『ワルキューレ』

 

ワルキューレ

Valkyrie

 

出演:トム・クルーズ ビル・ナイ トム・ウィルキンソン

監督:ブライアン・シンガー

制作:アメリカ 二〇〇八年

[新宿ピカデリーで鑑賞]

 

 

 

あの完璧なサスペンス映画、『ユージュアル・サスペクツ』をみたのは、

大学にはいりたての頃だつたかな。

主流に属してはいないが、それでも滅法おもしろい、

そんな映画が存在することを、未熟なオレにおしえてくれた。

だから、監督のブライン・シンガーがその後、

コンピュータ頼りの大味な作品にかまけていたのは、さびしかつた。

計算機をうまくつかえば、ごくまれにサプライズをあたえるけど、

決して、サスペンスはうみだせない。

一方で、つかいふるした革のブリーフケースが、

役者から役者に手渡しされるのをみただけで、観客の心拍数はたかまる。

不安とは、アナログな感情なのだろうか。

序盤の、トム・クルーズがワグナーのレコードをききながら、

「ワルキューレ作戦」をおもいつく場面も印象にのこる。

家が空襲をうけて、針飛びするプレーヤー。

これがCDやiPodでは、絵にならない。

 

 

 

サスペンス映画は、小道具が命。

『キネマ旬報』で今野雄二も指摘していたが、

本作ではタバコが随所にあしらわれる。

吸殻を足でもみけす描写がやけに多いが、

ここは、『ユージュアル・サスペクツ』の冒頭がこだましている。

 

貨物船のデッキでタバコに火をつけたキートンが、

燃えている紙マッチを、洩れて流れるガソリンの上に捨てる。

炎のラインがカイザー・ソゼの小便で消される。

タバコに火をつけたソゼはキートンを射殺した後、

吸殻をガソリンだらけの床に捨て、船を爆発させる。

「ワルキューレ」のタバコと吸殻は、

シンガーとマッカリーの〈署名〉だったのだ!

 

『キネマ旬報』四月上旬号

今野雄二・作品評

 

卑俗な精神分析で恐縮だが、これは「去勢不安」のあらわれと解釈できる。

さきのレコード針、ペンチできられる信管、切断されたクルーズの腕。

男根と去勢、という素材が反復される。

フロイトは去勢不安と同性愛をむすびつけたが、

本評文では、その理論の是非をとうつもりはない。

同性愛者として知られるシンガーが、内的な心象風景を、

なまなましく作品にやきつけたことを評価したい。

あ、もうひとつ大事な「小道具」をわすれてた。

女。

クルーズの妻役に、カカシみたいな女優(カリス・ファン・ハウテン)を配し、

「異性愛」と、その結晶である「家族」の空疎さを、きわだたせる。

 

 

 

政権転覆をくわだてる際、軍隊は必須の道具にちがいないが、

タバコほど手軽にあつかえるものではない。

白髪頭の高級将校の協力をとりつけるのが、一苦労だ。

だからクーデターをえがく映画の観客は、

くたびれたジイサンの顔をみつづける、忍耐力がもとめられる。

しかし、さすがは「男ずき」のシンガー監督。

イギリスから古強者を大量輸入したうえで、

各人の性格を簡潔にえがきわける。

とぼけたケネス・ブラナー、臆病なビル・ナイ、

狡猾なトム・ウィルキンソン、風格あるテレンス・スタンプ。

特にビル・ナイがうまい。

ヒトラーの生死が不明な状況で、決断をくだせない大将に気をもまされる。

たとえヒトラーが死ななかつたとしても、一旦作戦がはじまれば、

グズグズしたところで何の意味もない。

それがわかつていても、不安はひとをおかしくする。

最後の処刑の場面。

クルーズが撃たれる瞬間に、副官のジェイミー・パーカーが立ちはだかる。

帰宅してしらべておどろいたが、これも実話だつたんだね。

死の中でみつめあう、男と男。

そのうつくしさ。

やはり本作は、ブライアン・シンガーにしかつくれない傑作だ!


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

村上春樹のエルサレム賞受賞演説について

 



「小説家は嘘つきだ」と、小説家がいつた。

二月十五日のエルサレムでの、村上春樹のことだ。

「社会における個人の自由」に貢献した文学者におくられる、

「エルサレム賞」授賞式での記念講演は、こうはじまる。

 

今日わたしは小説家として、

つまり嘘を紡ぐプロとしてエルサレムにやってきました。

 

無論これは、典型的な「自己言及のパラドックス」だ。

本当に小説家が嘘つきなら、この講演の内容は信用にあたいしない。

逆に、村上がエルサレムで真実をかたつたとしたら、

「小説家としてここにきた」という言明と矛盾する。

冒頭に真偽さだかならぬ命題を配したことで、

全文は信頼できる前提をうしない、ふわふわと宙にただよう。

「物語をかたるには、真実が存在する場所をしらなくてはならない」

「けふ、わたしは嘘をつくつもりはない」

などと、めずらしく殊勝なハルキ先生だが、

退路を確保したうえでの発言であることは、強調しておきたい。

 

 

 

村上は、世界中の心ある人々が、

ガザ地区でのイスラエルの蛮行に悲憤慷慨するなか、

イソイソとお呼ばれしたいきさつを弁明する。

 

決心した理由のひとつは、

あまりに多くの人にやめておけと言われたことです。

 

この口ぶりが、かれが創作した主人公のそれに似ているのは、

愛読者でないオレでもわかる。

あくまで消極的に、厄介ごとに首をつきこむハルキ。

講演では、あえてパレスチナを支持し、

ユダヤ人入植者の撤退をもとめることもできた。

まさかハルキが、そんなみつともない真似をするはずないが。

なぜつて、二〇〇一年のスーザン・ソンタグ、

〇三年のアーサー・ミラーといつた同業者が、すでにおなじ席上で、

イスラエル政府をはげしく批難しているから。

エルサレム市民は、意外と懐がふかい。

作家風情がムキになつて、なにをつぶやいたところで、

結局は、権力者の手のひらの上のダンス・ダンス・ダンスだ。

ならば得意の物語で、みなを煙にまいてしまえ。

 

 

 

ブログ界隈などで評判になつたらしいのが、以下の隠喩。

 

高くそびえる堅固な壁と、

それにぶつかって割れる卵があったとしたら、

わたしは常に卵の側に立つ。

 

「卵」は、いきた魂をもつ個人。

「壁」は、それを抑圧する「システム(The System)」のこと。

人間を不幸にする「システム」をのりこえるべく、

万国のかよわき「卵」よ、連帯せよ。

昨年なくなつた、「パートタイムの僧侶」だつた父の記憶をまじえ、

この短編小説は山場をむかえる。

ツッコミをいれるのは、野暮だろう。

ハリー・ポッターが杖をかざしたときに、

「この世に魔法なんてあるわけない」というようなもの。

しかし残念ながら、オレは野暮な人間なのですよ!

そもそも「壁」や「システム」なんて、本当に存在するの?

村上はJ・K・ローリングと同様、

「システム」がそこにあることは自明として、物語をすすめる。

だが問題はシステムでなく、つねに人間それ自体だ。

あらゆる悲劇は、つよい卵がよわい卵をつぶした、というだけ。

幸運にめぐまれれば、その逆もまれにあるけれど。

わざわざ、現代のもつとも不幸な紛争に取材して、

寝物語むきのおとぎ話にしたてた、マエストロ。

小説家とは、業の深いなりわいであることだ。

 





 

緑色の箇所は、『クーリエ・ジャポン』二〇〇九年四月号から引用した。

 

 

講演の全文は、下のリンク先などで読むことができる。

『47NEWS』

【日本語全訳】村上春樹さん「エルサレム賞」授賞式講演全文


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テーマ : 政治・時事問題
ジャンル : 政治・経済

北へ ― 北乃きい写真集『free×フリー×fri』

北乃きい写真集 free×フリー×fri

 

撮影:萩庭桂太

発行:講談社 平成二十一年

 

 

 

撮影隊が北欧へとんだのは、オーロラをとるためではなく、

アイドル写真集をつくるためだつた。

なにを勘ちがいしたのやら。

グアムやサイパンとはいかなくても、女の子をかがやかせるには、

もつと強い陽光が必要ではないか?

 

 

ま、まぶしい!

瞳の吸引力は、直視にたえないほどだし、

唇はぷるぷると、髪はつややかに、きらめく。

そして、この「はい、あーんして」的情景は、

かの女とのデートを疑似体験させてくれる、すばらしい趣向だ。

たかなる胸の鼓動。

いや、まて。

サラダくわすなよ。

しかも、コーン山盛り。

「野菜もちやんと食べなさい!」つて、あんたはオフクロか。

 

 

股ひらきすぎ。

これでも一応、アイドルの登竜門としてしられる、

「ミスマガジン2005グランプリ」受賞者です。

ヨコスカのあばれ馬は、北国でもかわらずたくましい。

本書は、その生態をおさめる貴重な記録だ。

 

 

 

 

寒中水泳大会?

水着すがたは写真集の見せ場だが、

心肺機能がとまらないか心配で、それどころではない。

ドブ色の水面をみているだけで、鳥肌がたつ。

アザラシを狩るホッキョクグマのようでもある。

 

 

街中でも、野生の本能をあらわにする北乃きい。

もはや人間にみえない。

口のひらき具合がものすごい。

ジャック・ハンマーのようでもある。

 

 

 

 

これがベストショットかな。

胸の谷間がのぞく、桃色のタンクトップ。

スタイリストがえらんだ素敵な衣装も、背中のハンガーで台なしだ。

じつとしていれば可憐な美少女だけど、

無抵抗の被写体のままではいられない。

かの女にとつて、「美少女」であることは、擬態のひとつにすぎない。

 

 

葉つぱをみれば、とりあえず頭にのせる。

タヌキ的カモフラージュ。

かわゆいといえば、かわゆいが、

見るものに「美」の基準の再検討をうながすような、違和感も。

頭に紅葉をのせることに、なんの意味があるだろう?

北乃きいのやぶれかぶれの即興演奏は、

古典的な約束ごとを無にかえながら、

太陽よりもまぶしく、異彩をはなつている。




北乃きい写真集 free×フリー×fri北乃きい写真集 free×フリー×fri
(2009/03/15)
萩庭 桂太(撮影)

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北乃きい主演の映画、『ハルフウェイ』についての拙文は、以下を参照のこと。


「157cmの暴君 ― 『ハルフウェイ』」


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テーマ : ☆女性アイドル☆
ジャンル : アイドル・芸能

追憶のイチゴシェイク ― 『ピカソとクレーの生きた時代』

20世紀のはじまり ピカソとクレーの生きた時代

ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館所蔵

 

会場:Bunkamura ザ・ミュージアム

 

 

 

「ピカソの絵とかつて、なにがおもしろいのか全然わからない」と、

真剣な表情で、友人からいわれたことがある。

まるで、理解できない自分の感性をはじるかのように。

それは、おかしいよね。

オレは美術にくわしくないけれど、そのときは、

ピカソの作品の意義と、友人の見識を、同時に擁護したはず。

どんな風に弁論を展開したんだつけな?

ピカソは、音楽でいうならビートルズみたいなもの。

あまりに偉大で、後世に影響をあたえすぎて、模倣されすぎて、

いまでは、その作品から意外性を感じられない。

ピカソ自体が、ピカソのパロディにみえてしまう。

ただ、美術には物体としての魅力がある。

外形や色彩は、簡単に模倣できるけれど、

物体としての実在感は、その作品に固有のものだ。

だからこそ、ひとは美術館に足をはこぶのさ。

なんてペラペラと、優等生的な口頭弁論はできませんがね。

 

 

 

本展覧会は、六点のピカソを展示する。

少々権威主義的な言いかたではあるが、

ジョルジュ・ブラックがピカソとならぶと、気の毒になる。

「キュビズムで革命をおこしました」という美術史の教科書の記述を、

一歩もはみだしていない、と感じるから。

かたや、ピカソの『瓶とグラスのある静物』(一九一三年)。

 

 

左側の新聞紙は「ル・モンド」。

定冠詞の"LE"だけみせる、周到な意匠。

にじみ具合までもが、コラージュ手法の効果をきわだたす。

ほかには『ギター』(一九一三年)も、印象ぶかい。

ウェブ上で画像をさがしたが、みつからなかつた。

そもそも、どんな絵姿だつたかおぼえていない。

ただ、苺のミルクセーキのように泡だつ、

ピンクの絵の具の塗りのはげしさが、脳裏にやきついている。

 

 

 

ノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館は、

パウル・クレーのコレクションで有名だそうで、

たつぷり二十七点のクレー三昧に、大満足。

その精緻な作風は、寄せ木細工を連想させる。

日本の伝統工藝に通ずる味わい。

 

『再構成』(一九二六年 油彩、板に貼つた布)

 

ぼんやりした色調のなか、柱や階段といつた、

建築物の部材が配置される。

一見散漫な構成だが、不思議と一体感があり、

かれなりの「建築作品」のようにおもえる。

モダニズム建築の発信地である、

バウハウスの教授時代だつたことも、影響しているだろうか。

藝術とは物づくりであるわけで、すぐれた作品にはつねに、

「なんとかイズム」におさまらない、職人藝の側面がある。


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テーマ : art・芸術・美術
ジャンル : 学問・文化・芸術

THE女優 ― 『ダウト あるカトリック学校で』

 

ダウト あるカトリック学校で


出演:メリル・ストリープ フィリップ・シーモア・ホフマン エイミー・アダムズ

監督:ジョン・パトリック・シャンリー

制作:アメリカ 二〇〇八年

 

 

 

「Yahoo!映画」には、メリル・ストリープの人物ユーザーレビューが、

現時点で四十五件も投稿されている。

見出しも大袈裟なものばかり。

「現代最高の映画女優」

「THE女優」

「神業」

「天才。」

などなど。

その一方で、このひとの日本語のファンサイトはないはず。

尊敬されてはいるが、愛されてはいないようだ。

本作でのストリープ女史の役は、ところは六十年代のニューヨーク、

カトリック系の学校をしきる、おそろしい校長先生。

日本の校長は、顔もおぼえてもらえないほど存在感うすい連中だが、

さすがはストリープ先生、全生徒の一挙一動に目をひからせる。

女子生徒が髪止めをつけていれば、すぐに取りあげ、

教室でボールペンをみつければ、激怒する。

「この国のペンマンシップ(書法)はどうなつてしまうの!?」

わかい修道女が、クリスマスの礼拝の打ちあわせで、

子どもたちに「雪だるまのフロスティ」を歌わせたいというと、

「異教的な歌だから、ふさわしくありません!」と頭ごなしに否定。

 

異教徒のフロスティ。

 

 

 

ケネディ暗殺の翌年が舞台なので、

冒頭のフィリップ・シーモア・ホフマンの説教では、

その打撃にたえて、団結を強めろとかたる。

アメリカのカトリック共同体が、はげしく動揺した時期だ。

こないだまで、「バラク・オバマが大統領に就任したら暗殺される」と、

真顔でかたるバカが大勢いた記憶があるが、

肌の色など、宗教の違いにくらべれば些細なものらしい。

逆境にたたされた集団のなかで、ストリープとホフマン、

ふたりの聖職者が激突する。

表面上は、ある醜聞の真偽をめぐる口論だが、実質は権力争いだ。

ホフマンがキレたときの声色は本当におつかないし、

教会内部の力関係もえがかれていて、見ごたえがある。

とはいえ観客は、「多分、メリル先生のほうが正しい」という結論をえて、

家路についたはず。

ゆるぎない信念、ときおりみせる滑稽味、同僚に対するやさしさ。

たくみに目をひきつける。

ホフマンも好演ではあるが、結局のところあて豚、

もとい、あて馬にすぎなかつた。

なんだかんだでメリル先生、王座防衛。

 

 

 

 

撮影の合間に子役にかこまれる、エイミー姫。

修道服がよく似あう。

うつすらとそばかすが浮かぶ肌は、化粧の必要がない。

サファイアの瞳が、ベールがつくる影のしたで、静かにかがやく。

その声は素つ頓狂だけど、真綿にくるんだようにやさしく、

学校の先生に似つかわしい。

本作では、ストリープとホフマンの対立に翻弄され、

オドオドと優柔不断なまま、最後まで立場がはつきりしない。

三十四歳だけど、純情可憐な乙女が得意役なのだ。

「「雪だるまのフロスティ」は大好きな歌なのに」と、

校長に泣きながら抗議するときのかわいさといつたら!

名優の熱演にも飲まれない、不思議な個性。

そもそも、老いてますますさかんな、

大女優と同じルールでたたかつたら、勝てるわけがない。

役柄をとことん調査したうえで、感情表現をおさえて分析的に演じ、

見せ場ではためこんだものを激発させる。

俗にいう「リアルな演技」だ。

そんな演技手法を確立した、デ・ニーロやパチーノは隠居状態だが、

ストリープ女史はいまも王として君臨する。

どうみても王座は安泰ではあるけれど、エイミー姫に代表される、

「おとぎ話メソッド」による映画も、オレはすきです。


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ジャンル : 映画

三つめなのに、第二法則 ― アトキンス『万物を駆動する四つの法則』

 

万物を駆動する四つの法則 科学の基本、熱力学を究める

Four Laws That Drive the Universe

 

著者:ピーター・アトキンス

訳者:斉藤隆央

発行:早川書房 平成二十一年 (原書:二〇〇七年)

 

 

 

百数十ページで熱力学の諸法則を概括しようとたくらむ、

本書の第一章であつかうのは、「第ゼロ法則」。

意味不明の番号がわりふられたのは、

すでに体系ができていた二十世紀初頭にくわわつた法則だから。

物理学という学問の無定見さの、象徴ではないだろうか。

熱力学研究者は、「平衡」という概念に注目する。

「なにも起きない」ときにこそ、目の色をかえる人々なのだそうだ。

そして、ネガティブな事実のなかから、ポジティブな結果をひきだす。

ここでは、力学平衡のふたつの閉鎖系から類推し、

身近な「温度」という特性を、明確にした。

 

 

 

さてお次は、「エネルギー保存則」を拡張する、第一法則。

各国の特許局は、「永久機関を発明した」という主張には、

耳を貸すことすらしないが、それもこの法則があるおかげだ。

つまり、燃料を消費せずに、仕事をうみだすことはできない。

熱力学をおさめれば、富が際限なく生じるなんていう売りこみは、

みな詐欺だと見ぬくことができる。

おもうに、エネルギーを貨幣にたとえるのは、意外と興味ぶかい。

たとえば系自体では、「仕事」の形なのか、「熱」の形なのか、

エネルギーが出入りする過程を見わけられない。

銀行に、ふたつの通貨で金を出し入れしても、

預金残高からは、その区別ができないのに似ている。

それはともかくとして、「ネーターの定理」によると、

どんな保存則にも、それに対応する対称性がある。

エネルギー保存則に対応するのは、「時間の構造」の対称性。

第一法則は、世界のきわめて奥ふかい性質に根ざしている。

 

 

 

問題の第二法則です。

「温度」や「エネルギー」はともかく、「エントロピー」なんて、

まるで親しみがわかないですよね?

第一法則は、エネルギーの「量」をしめす尺度をみちびき、

かたやエントロピーは、エネルギーの「質」の尺度になる。

「量」ではなく、「質」。

われわれが本来、物理学に期待する装置ではない気がする。

エントロピーの概念は、当のヴィクトリア朝時代人からもきらわれた。

 

彼らは、エネルギー保存則は理解できた。

天地創造において神が、ちょうどいい量、

いつでも適正な量として誤りなく判断したものを、

世界に与えたもうたのだ、と考えることができたからだ。

しかし、なぜか増大する定めのように見える

エントロピーを、彼らはどう受け止めただろう? 

 

ケルヴィンは、熱から仕事への変換について、

あらたな視点をもちこんだ。

熱源から取りだされた熱が、すべて仕事に変換されることはない。

また、熱機関においては、吸収源となる周囲の「環境」こそが、

最重要の構成要素となる。

著者は、環境にうばわれる熱を「税」にたとえる。

エントロピーとは、「神のみえざる手」のはたらきを邪魔する、

無慈悲な警察国家のようだ。

 

 

 

つぎの章は、第三法則にはいるまえに、

ふたつの「自由エネルギー」の解説にあてられる。

不可解なエントロピーを敷衍し、そのポジティブな面を強調する。

ヘルムホルツ・エネルギーは、等温等積過程の自由エネルギー。

条件を限定すれば、系のエントロピーが増大することで、

「税の還付」として、熱が流入する過程をとりだせる。

一方のギブズ・エネルギーは、等温等圧過程の自由エネルギー。

われわれも、ギブズ・エネルギーを消費して生きている。

ただし、タンパク質合成などの、

生命維持のための過程のおほくは、非自発的な反応だ。

だから生物が死ぬと、生命をなりたたせる反応を継続できずに、

肉体は腐敗し分解してしまう。

もちろん例外もあつて、タンパク質を合成する反応が、

自発性のたかい反応とむすびつけば、後者が前者を推進する。

たとえばアデノシン二リン酸(ADP)は、アミノ酸の結合に必要な、

アデノシン三リン酸(ATP)から切りはなされてできる。

残骸にすぎないADP分子だが、食物の代謝という反応とあわさると、

ギブズ・エネルギーを放出して、もとのATP分子にもどる。

その食物自体も、太陽でおきている核融合反応という、

ギブズ・エネルギーを放出する過程から生まれる物質だ。

天にいるのは「神」ではなく、偉大なる「蒸気機関」。

その太陽が散逸するエネルギーによつて、われわれは生きている。

環境に乱雑さをまきちらしながら。

 

 

 

えー、おしまいの第三法則の意義は、正直よくわかりません。

著者によるとこの法則は、ほかの三つとおなじ部類ではないし、

そもそも熱力学の法則ではない、と主張するひともいるとか。

なるほど。

立ちいつた問題でも、はつきり物をいうあたりが、エライ先生だとおもう。

一冊の本がオレの手もとにとどくまでに、

大量の木や燃料が消費され、世界はより乱雑になつてゆく。

でもそれがうつくしい本ならば、読者の脳に秩序だつた像がむすばれ、

創造的な活動のためのエネルギーと化す。

かもしれない。

産業革命は、神を断頭台におくり、

熱力学研究者は、神がいない世界をあるがままに記述した。

ネガティブな事実から、ポジティブな結果を。

世界のさだめは、なにひとつ変わりはしなかつたが。





万物を駆動する四つの法則―科学の基本、熱力学を究める万物を駆動する四つの法則―科学の基本、熱力学を究める
(2009/02)
ピーター アトキンス

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テーマ : 自然科学
ジャンル : 学問・文化・芸術

白鳥の歌

下の動画は、昨年八月になくなつた赤塚不二夫の告別式で、

タモリが弔辞をのべる様子をおさめる。

「私も、あなたの数多くの作品の一つです」と、

恩師をしのぶ切実なことばが、評判になつた。

 

 

漫画家を「師匠」とするのが、

突然変異的な藝人であるタモリの立ち位置をしめす。

また、弔辞にしては理屈がおほく、自己主張がつよい。

哲学的ともいえる。

いわく、「あなたにとつて、死も一つのギャグなのかもしれません」。

意外としられていないとおもうが、

かれは早稲田大学第二文学部西洋哲学専修に入学しており、

名目上においても、哲学徒だつた時期がある。

 

あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、

前むきに肯定し、受けいれることです。

それによつて人間は重くるしい陰の世界から解放され、

かろやかになり、また時間は前後関係を断ちはなたれて、

その時その場が異様にあかるく感じられます。

この考えをあなたは見事に一言でいひあらわしています。

すなわち、「これでいいのだ」と。

 

堅密な論理展開にみちびかれる、あざやかな結論。

かれの藝風の核が、ここにある。

動画をみればわかるが、手もとの紙にはなにもかかれていない。

この弔辞自体が「勧進帳」のパロディだつた、というオチがつく。

 

 

 

さらに一年さかのぼつて今度は、「横山ノックを天国へ送る会」での、

上岡龍太郎による献杯の挨拶。

死後一月たつていることもあり、上と比べるとくだけた調子だ。

ところは勿論大阪の、リーガロイヤルホテル。

 

 

上岡は七年まえに引退したので、ここでは相方時代の「横山パンチ」をなのる。

隠居の身とおもえぬほど若々しく、立て板に水の口調はかわらない。

「ノックさん、あなたはいま、西の空を真つ赤にそめて、

水平線のむこうに沈んでゆこうとしています」という詩的ないひまわし。

そこから故人にまつわる日付、車種、地名、肩書きなどを列挙し、

上岡流の名調子にひきこむ。

知性をひけらかしながらも、中盤からは語調がみだれ、

哀切な涙声でしめるのが、上方の話藝ならではだろうか。

感服したのは、献杯の音頭をとるときの物腰。

ホテルの人間と、グラスのうけわたしをする間が完璧なのだ。

挨拶するにあたり、どれだけ準備をしたのかしらないが、

ほれぼれするほど水際だつた藝だ。

 

 

 

上岡龍太郎は、「ボクの藝は二十一世紀には通用しない」と

いひのこして引退したが、多分その判断はただしかつた。

マイク一本で、人のこころをゆさぶる技巧をもつていても、

それを披露する場所は日ごとにへつているから。

のこる唯一の発表の場が葬儀場、というのはあまりに皮肉だ。

「YouTube」などをみるかぎり、上のふたつの動画に対する、

わかい世代からの反響は決してちいさくない。

それでも、演藝者ふたりの沈鬱な口ぶりは、

ほろびゆく伝統をせおつた人間の、白鳥の歌にもきこえる。

 






タモリの弔辞の全文は、以下を参照のこと。

SANSPO.COM「タモリ弔辞『私もあなたの作品の一つです』」


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ジャンル : アイドル・芸能

彼女の存在理由 ― 『パッセンジャーズ』

 

 

パッセンジャーズ

Passengers

 

出演:アン・ハサウェイ パトリック・ウィルソン デヴィッド・モース

監督:ロドリゴ・ガルシア

制作:アメリカ 二〇〇八年

[新宿武蔵野館で鑑賞]

 

※注意! この記事は、ものがたりの核心にふれています。

 

 

 

残念ながら女優業をいとなむ知人がいないから、憶測でいうが、

このしごとをしていれば、一度はサスペンス映画にでたいものだろう。

何者かにねらわれ、おびえるさまを綺麗にとってもらえるし、

なんといっても、九十分のあいだ画面をひとりじめできる。

そして、われらがハリウッド・プリンセスがえらんだ脚本は、

飛行機事故の生還者を担当する、心理療法士の役。

あの手もとがくるった福笑いみたいな、巨大な垂れ目。

五体すべてが縦にながく、アスペクト比をまちがえてないか不安になる。

手足ながくてスタイルいいね、という次元ではない。

要するに、「ドクター」にはみえない。

まったくアンハサちゃんに、女優以外の適職があるのかどうか。

ほかには精々、お姫さまとかかな。

しかし本作ではインテリぶって、全身黒でかためたりして。

ちょっと大胆な気分のときは、灰色。

それでも細身のコートをぬぐときに、優雅さと色気がただよう。

かくしようのないエロス。

冒頭で、ベッドのうえにシーツ一枚で、背をむけるカットがある。

灰色のシーツごしからでも、

古代ギリシャの彫刻のような肢体がフィルムにやきつく。

 

 

 

「やっぱりサスペンス最高!」と内心でさけびながら、

アンハサちゃんの美貌を鑑賞するうち、ものがたりは佳境をむかえる。

オレは映画の展開をよむ能力が皆無で、今回も簡単にだまされた。

女優しかみていないと、伏線が目にはいらないのかもしれない。

たとえば、冬の海にとびこんで平気なところとか。

ただのバカップルだとおもってた。

それにしても、幽霊オチかよ。

オレが必死に目でおっていたのは、人間じゃなかったのか。

でも、霊魂の世界にはまったく不案内だけど、

オレの知るかぎり、あんなに存在感のある幽霊はいない。

どこからどうみても、アン・ジャクリーン・ハサウェイ。

幽霊なら、幽霊らしくふるまうべきだ。

目だちすぎなんだよ。

そもそも、なんでわざわざ映画に変なものをだすのか。

幽霊がみたいなら、お化け屋敷にゆく。

どうしても必要なら、せめて前宣伝で、

「本作はオバケがでます」とはっきり告知してほしい。

 

 

 

まあ、冗談はともかく。

ヤフーの「ユーザーレビュー」などをよむと、

みな「すぐに結末がわかった」とかいていて、ガックリ。

オレの頭って…。

あえていいわけするなら、「幽霊オチ」の元祖である、

『シックス・センス』(一九九九年)をみていないのが原因だろう。

みたひとは、「ああ、『シックス・センス』ね」とおもったとか。

ではなぜオレが、未見の映画のものがたりを知っているかといえば、

いま「シックス・センス ネタバレ」で検索したから。

「衝撃のラスト」とか、関心ないんだよね!

そんなもの、ウェブから三十秒で手にはいるけれど、

アンハサちゃんの気品あふれるたたずまいは、

劇場に足をはこばなければ、本当にはわからない。

それは街中で幽霊をみるより、貴重な体験ではないだろうか。


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テーマ : 映画感想
ジャンル : 映画

開戦 ― 第一節 ジェフ千葉 対 ガンバ大阪

 

J1 第一節 ジェフユナイテッド千葉 対 ガンバ大阪

 

結果:0-3 (0-1 0-2)

得点者:前半39分 レアンドロ

後半1分 明神智和 後半22分 宰溱(チョ・ジェジン)

会場:フクダ電子アリーナ

[現地観戦]

 

 

 

天の配剤なのかどうか、はじめての三月らしい陽気。

フクアリからながめる空は、いつだってうつくしい。

昨年のアジア王者をむかえての開幕戦だ。

大阪は先週、鹿島に三点差でやぶれるなど、あきらかに調整不足。

つけいる隙はある。

むしろけふこそが、かれらから勝ち点三をうばう最大の好機だ。

懸念すべきは、右サイドバックの加地亮がもどったこと。

加地はしぼりぎみにかまえ、左に山口智。

中央のふかい位置に、新加入のパク・ドンヒョクが壁をつくる。

変則的な3バックの網をはりつつ、機をみて加地は攻めあがる。

実につかみづらい。

右に精力的な加地亮、左に果敢なドリブルの安田理大。

このふたりのシーソーあそびが、ガンバ大阪の柔軟な戦術の源泉だ。

そして、百八十七センチのパクは、巻誠一郎に制空権をあたえない。

防衛線のまんなかに立ちふさがる韓国人をみていると、

西野監督がいたころの柏レイソルに君臨した、ホン・ミョンボをおもいだす。

すくなくとも守備においては、西野朗ごのみの布陣をえがき、

このチームはさらに進化したようだ。

 

 

 

イライラが募りはじめた前半二十五分、加地が負傷。

チョ・ジェジンと交代。

加地にはわるいけれど、オレはひそかにほくそえんだ。

むこうの守備がくずれるんじゃないか、と。

とはいえ、チョは清水での四年間で四十五得点した選手。

全軍の戦力はおちていない。

ルーカスが二列目に、橋本英郎が右サイドバックに。

すぐさま代表選手が穴をうめてしまう。

それにしても橋本英郎、なんでコイツはこんなに器用なんだ。

突然の配置変更にまごつくどころか、本職以上に役目をはたす。

そもそも、サイドバックの下平匠を投入する選択肢もあったが、

おしみなく前半から切り札がきられた。

そんな西野監督の前傾姿勢が、結局三得点をみのらせる。

一方わがジェフユナイテッドについては、特筆すべきことはない。

例の「フクアリの奇跡」であじわった美酒をわすれられない観客で、

スタジアムは満員だったが、いい酔いざましになったかもしれない。

奇跡は二度おこらないから、奇跡なのだ。

そしてまた、きびしい季節がはじまる。

 

 

 

今季から導入された「アジア枠」を利用するため、

ガンバ大阪はふたりの韓国人を獲得。

けふも四人の外国籍選手が同時に出場した。

一方の千葉は、オーストラリア人のボスナーがAFC加盟国選手なのに、

残るひとつの枠はあいたまま。

千葉が、ここ数年で最高の補強をしたのは事実だが、自殺的な経営で、

クラブを崩壊させかけた淀川隆博時代とくらべてマシってだけ。

のんびり屋なのは、ことしもかわらない。

もちろん大阪は、バレーをUAEのクラブにうった金のおかげで、

強化費が潤沢だという事情もある。

世界経済の地殻変動にも対応しないと、クラブはいきのこれない。

攻撃的なサッカーでアジアを制し、

マンチェスター・ユナイテッドと撃ちあいをした連中は、やはり一味ちがう。

来季からは国内移籍にともなう移籍金がなくなるし、

Jリーグの風景は、これからの二、三年でおほきくかわるだろう。

サッカーの未来にかかる不穏な影。

この競技をしるものは、だれもが初戦の重要性をとく。

そこには、すべてがあるからだ。


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テーマ : Jリーグ
ジャンル : スポーツ

やさしき殺人者 ― 『ゆきゆきて、神軍』

 

ゆきゆきて、神軍

 

監督:原一男

制作:日本 昭和六十二年

[早稲田松竹で鑑賞]

 

 

 

ほこらしげに、小指のない右手をかざす奥崎健三。

イギリス領東ニューギニアでの戦闘による損傷だ。

通念として、身体の欠損はぬきがたい恥だし、

実戦を経験したならなおさら、いまわしい記憶とむすびつく。

「名誉の負傷」なんて存在しない。

かくすべきものだ。

だから、カメラのまえでそれを誇示するしぐさは、

奥崎の精神構造のいびつさの証しにみえる。

自他の「傷」というものに、極度に無関心。

亡霊のようにむかしの上官のまえにあらわれ、

こころの一番底にかたく秘めている、

ニューギニアの地獄でおかした、四十年まえの罪をあばく。

ドキュメンタリー映画の歴史上、屈指とされる本作は初見だったが、

ふさわしい評価だと納得した。

撮影時の奥崎は六十歳をこえていたが、痩躯はひきしまり、うごきも機敏。

舌鋒するどく、対話者をおいつめる。

西部劇の主人公のようだ。

まあヤワなからだで、激戦の密林から生還できるわけもないが。

 

 

 

昭和天皇をパチンコでねらうなどの活動や、本作の影響で、

かつての奥崎は反体制の象徴としてうやまわれた。

しかし、時のながれは戦争とおなじくらい残酷であり、

いまではすこし調べれば、偶像をうちくだくに十分な量の情報が手にはいる。

監督の原一男自身も、

奥崎のワガママにふりまわされた制作過程をあきらかにしている。

他人には平気で暴力をふるうくせに、

反撃されると「なぜたすけないのか」と原をなじり、一方的に制作中止をいいわたす。

 

第一、この映画の主人公は私ですよ。

私がご本尊なんですよ。

その御本尊がやられているシーンなんて格好悪くて

映画を見てくれている人は喜んでくれませんよ

 

まがりなりにも記録映画なのだが。

しまいには、自身を「先生」と呼ぶようにもとめる。

虚栄心の塊の、エゴイストだったのはまちがいない。

ただ奥崎に、ほかに道はなかっただろう。

本を何冊かかいているが、高等教育をうけていないこともあり、

その文章はよむにたえない代物だ。

かれにとって、みづからの「思想」をうったえる手段は、行動だけ。

 

 

 

奥崎は善人か悪人かととわれれば、後者とこたえるしかない。

その反体制活動は、動機が不純だし、手段も不適切で、結果は無益だ。

そもそも昭和三十一年におこした傷害致死事件は、金銭問題が原因。

要するに、暴力嗜好をもつ奇人にすぎない。

それでも本作が感動的なのは、こわもての外面の裏にひそむ、

かれの本当のやさしさが垣間みえるから。

戦友の母をたづね、戦地での埋葬の様子を具体的につたえ、

「一番まともな死にかただった」と涙ながらにかたる。

息子をころされた母のまえで、何人も嘘はつけない。

そして、かなしみにくれる老婆をだきしめながら、

一緒にニューギニアにゆこうと約束する。

立派な態度だった。

アメリカのマイケル・ムーアはインタビューで、

本作を生涯最高のドキュメンタリー映画と評した。

おもえば、かれの代表作である『華氏911』も、

アメリカ、イラク両国の「母のかなしみ」を、構成の核とする。

『ゆきゆきて、神軍』へのオマージュだろう。

「戦争の最大の被害者は、子をうしなった母だ」という主題が、

映画史をつらぬいていることにきづき、胸がゆさぶられた。







引用をふくめて、この記事をかくにあたり、

『奥崎謙三 神軍戦線異状なし』を参照した。

ブログ形式ながら、おどろくほど内容の濃い伝記だ。


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テーマ : 映画感想
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ポケットにナイフを ― マンシェット『愚者が出てくる、城寨が見える』

 

愚者が出てくる、城寨が見える

Ô dingos, ô châteaux!

 

著者:ジャン=パトリック・マンシェット

訳者:中条省平

発行:光文社 平成二十一年 (原書:一九七二年)

[光文社古典新訳文庫]

 

 

 

小説にかぎらず、あらゆる文章表現は、文体がすべてだ。

なにが書かれているか、ではなく、どう書かれているか。

五月革命後のフランスに勃興した「ネオ・ポラール」とよばれる、

奔放な探偵小説、犯罪小説群のなかの一冊である本作は、

その意味において、理想的な文学作品だ。

最初のページから、目につく描写を二文ずつ引用する。

 

トンプソンが殺すべき男はおかまだった。

ある実業家の息子に手を出した報いだ。

 

トンプソンは、太い円筒の握りとブリキの丸い鍔をつけた

鋼鉄のぎざぎざの刃を、男の心臓に叩きこんだ。

鍔が血の噴出をおさえ、トンプソンが勢いよく円筒の握りをねじると、

男の心臓は真っ二つ、いや、それ以上に細切れになった。

 

手に死体の口紅の跡が残った。

トンプソンはおぞけをふるいながら拭きとった。

 

冒頭の文体の緊張は、結末までとぎれない。

度数のたかい酒で胃壁をあらうような、読みごこち。

たまたま本屋で手にとったオレは、特に、

「真っ二つ、いや、それ以上に」という言いまわしにしびれた。

人間の臓器まで、まさに単刀直入に描写する。

 

 

 

誘拐事件を題材とする小説だが、その筋書きよりも、

登場人物たちの奇行に面くらう。

両親を飛行機事故でうしない、財団を相続した少年は、

心にいやしがたい傷をおっている。

少年の後見人である叔父は、あからさまな差別主義者で、

「きちがい」に対し暴言をはくくせに、かれらを事業に利用する。

子守りとして雇われたおんなは精神病患者で、極度の警察ぎらい。

さきの引用にでてきた殺し屋のトンプソンは、胃潰瘍をわずらっており、

作中でつねにげっぷをして、反吐をはく。

訳者の解説によると、革命の異議申し立ての精神がミステリーに浸透し、

「歪んだ現実や狂った犯罪」がえがかれるようになったとか。

でも、細部の描写の冴えまでもが、革命の産物とはいえないだろう。

終盤、主人公が不気味な巨人の城にむかうところ。

 

原始的な橋は酔っぱらったボーイスカウトが作ったような代物で、

大きな丸い岩のあいだにかろうじてバランスを保って渡されていた。

以前は近くの木々に縄で結びつけられていたらしいが、

いまはその縄が腐って切れ、

ジュリーがそっと指で触れただけで粉々になった。

木製の橋の板にはところどころ穴が開いている。

その下では、川の水が黒く流れ、灰色に泡だっている。

 

「酔っぱらったボーイスカウトが作ったような」。

粉と化す縄、黒い河水、灰色の泡。

 

 

 

極限まで研磨した、マンシェットと、訳者の中条省平による文体は、

筆舌につくしがたい達成をとげた。

とはいえ、評言をそえるに難渋させられるような小説は、

みづからの墓穴をほっている。

文体をかたる人間の文体をとう作品だ。

すぐれた文章は、ときに読むものに沈黙をしいる。

短刀を首すじにあてられるような思いをしてまで、

読書をしたい人間はそうおおくない。

オレがマンシェットの存在をしらなかったのは、

もちろん無知が原因だが、その殺伐とした作風が、

読書共同体から歓迎されなかったからでもある。

というわけで、この二百二十三ページの凶器を、

文庫におさめた光文社はえらい。

これまで「光文社古典新訳文庫」は気になっていたが、

装丁が地味すぎるせいか、本屋の棚を素通りしていた。

食わず嫌いだった。

栞が人物紹介になっているのも、おもしろいし、便利だ。

おくればせながら、あれこれと紐といてみたい。




愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える (光文社古典新訳文庫)愚者(あほ)が出てくる、城寨(おしろ)が見える (光文社古典新訳文庫)
(2009/01/08)
ジャン=パトリック マンシェット

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テーマ : 読んだ本。
ジャンル : 本・雑誌

157cmの暴君 ― 『ハルフウェイ』

 

ハルフウェイ

 

出演:北乃きい 岡田将生 成宮寛貴

監督:北川悦吏子

制作:日本 平成二十一年

[京成ローザ10で鑑賞]

 

 

 

かの女は、うなりをあげるチェーンソー。

当人はまじめに仕事をしているだけだが、

まさに全身が凶器で、ちかよる気をおこさせない。

本作は、ホルモン分泌が異常をきたす高校三年生の、

みぐるしい恋模様をえがく青春映画。

でもこのふたり、キスすらしない。

自然の摂理に反するふるまいなのだが、その原因はわかる。

だって北乃きい、こわいんだもん。

とにかく、拍子がおかしい。

オセロの石の倍の面積をもつ黒目が、予想不能なタイミングでうごく。

眼窩を、エアホッケーの円盤みたいに、はげしく上下左右。

ふざけて寄り目をみせる場面があるが、

視神経がちぎれないか心配になるほど寄っていた!

ホラー映画かよ。

発声の間、高低、大小も、つねに予測をうらぎり、観客をいらだたせる。

顔がかわいいから、ゆるされているだけ。

多分、天才なんだろう。

 

 

 

北川監督は、わかい役者が即興でしゃべるところを、手もちカメラでおさめ、

「ドキュメンタリー風」にみせる手法をとったらしい。

おもうに、「ブレブレの画面=リアル」という発想自体が、

すでに陳腐化した常套手段であって、「現実味」の追求からほどとおい。

即興演技をしいるのも、経験不足の演技者にとっては、

必要以上の心理的な負荷がかかり、逆効果ではないだろうか。

というわけで本作は、北乃きいの脱線暴走をとらえる「記録映画」となった。

サファリパークで、車中から飢えたライオンをながめる気分。

息をのむような、うつくしい場面もたくさんあるけれど。

川べりの柱石の上にたつ、ふてぶてしく安定した姿勢。

友人とおおきなシャボン玉をつくってあそぶときの、機敏な身のこなし。

そしてもちろん、結末での大粒の涙。

「ハルフウェイ」という題名は、撮影中にかの女が、

単語帳にある"halfway"をよみちがえた発音が、そのままつかわれた。

小樽でのきいは、まるで独裁者だ。

 

 

 

この映画をみて気づいたのだが、オレは、

宮あおいがゲーノー界に移住したころから、邦画をみなくなった気がする。

この世に、テレビほど憎いものはない。

資金力にものをいわせ、有望な役者を片端から徴用するくせに、

つくる作品はゴミばかり。

失意の観客の足が、外国映画にむくのも当然だ。

そして、このくにの映画の、空席のままの玉座の最短距離にいるのが、

北乃きいかもしれない。

だからかの女には、日本放送協会などに魂をうることなく、

その活発なひとみで、自分の王国をきずくことをのぞむ。

しばらくは、邦画にすこしばかり時間と金をわりふろうかな。

この横須賀うまれの暴れ馬には、先行投資にあたいする可能性があるから。

 


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苑田 謙

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