デジタルとアナログの町 ― 『天使の眼、野獣の街』

カーフェイ

天使の眼、野獣の街
跟蹤/Eye In The Sky

出演:
徐子珊(ケイト・チョイ) 任達華(サイモン・ヤム) 粱家輝(レオン・カーファイ)
監督:游乃海(ヤウ・ナイホイ)
制作:香港 二〇〇七年
[シネマライズで鑑賞]



二階だての路面電車での追跡からはじまる、九十分の傑作。
煩雑なくらい、こまかいカットわり。
けたたましいエレクトロニカ系の音楽。
音量をまちがえたような町の騒音。
きづいたら、香港の雑踏のなかにいた。
ものがたりは簡素のきわみで、香港警察の監視班の面々が、
とぼしい手がかりをもとに、強盗団のあしどりをおう。
監視カメラの設置や、通信傍受が普及したため、
犯罪者は法執行機関の目をのがれようと水面下にひそむ。
野良犬のように町をうろつきながら、つぎの犯行計画をねる。
そして対抗する警察官も、一市民にまぎれて捜査をおこなうようしいられる。
主人公である暗号名「子豚」は、目標とすれちがうとき、
携帯電話ではなすふりをしながら顔を写真におさめ、
それをすぐに転送して分析させる。
デジタルとアナログがせめぎあうさまに、みるものも緊張する。
先端技術をあつかう警察ものとして、オレのしるかぎり最高の作品だ。



「子豚」ちゃんを演ずるのが、徐子珊(ケイト・チョイ)。

ケイト

本作がはじめての映画出演。
新人女優、なんと甘美なひびき。
ミス香港コンテストでの受賞という、素敵な肩書きのもちぬしだ。
無愛想でするどいまなざしが、印象にのこる。
そして、強盗団をひきいる「影のおとこ」を演じた、
粱家輝(レオン・カーファイ)がすばらしい。
髪をかっちり七三にわけ、一見成功した実業家にみえる。
しかし、おいつめられると凶暴性をあらわにし、
唐突にひとをあやめる。
狂犬のようなこわさ。
「影のおとこ」を尾行中、刺殺された警官をみつけたとき、
新人のケイトは狼狽し、任務を放棄する。
あまいといえばあまいが、全編をいろどるハードボイルドな苦味を、
ほどよくまろやかに中和していた。



警察ものだが、銃をぬく場面はのこり三十分をきってから。
遠距離からおさめる銃撃戦は、あざやかだ。

銃撃

しかし尾行が専門の監視班は、決して武器をつかわない。
ものがたりを、警察と強盗団の頭脳戦に煮つめるのがいさぎよい。
香港の景観は東京より雑然としているし、
陰気なくせに、看板などの色彩はどぎつい。
なのにフィルムばえするというか、きたないはずの町が、
なまなましい美をもって、銀幕にたちあがる。
旅ぎらいのオレでさえ、すぐれた香港映画をみると、
この特別行政区の空気と喧騒にふれたくなるから不思議だ。


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千両役者オバマ ― 成澤宗男『オバマの危険』

エマニュエル

オバマの危険 新政権の隠された本性

著者:成澤宗男
発行:金曜日 平成二十一年



バラク・フセイン・オバマ・ジュニアのさわやかな笑顔をみるたび、
オレのかぼそい神経が悲鳴をあげる。
こいつのツラは、オレにまるで縁がないもの、
すなわち金のにおいがする。
警戒しろと、ゴーストがささやく。
レーガン以降のアメリカ大統領選は、
資金をもっともおおくかせいだ候補者が当選する、
という法則があるそうだが、バラク・フセインもそのただしさを証明した。
大企業から六億四千万ドルを徴収し、
わずか三億六千万ドルのマケインをつきはなす。
この時点で勝負あり。
実際の投票行動なんて茶番だ。
ウォール街からは、JPモルガン・チェイスが二十八万ドル、
リーマン・ブラザーズ二十七万ドル、シティ・グループ二十五万ドル。
昨年の金融危機に際し、
経営責任をとう国民の声におされて、まごつくマケインを尻目に、
義理がたいオバマはまよいなく、血税を投じ救済せよと表明。
みつぎものは無駄じゃなかった。


いまおもえばなつかしいが、予備選のころ、
報道機関やブロガーはヒラリー・クリントンを、
偏狭で癇癪もちの悪魔だと、ひどく感情的に非難した。
政治家に対する批判は当然あるべきだが、
元大統領夫人が国務長官に指名された途端、
二か月まえの悪意ある中傷が、霧のようにきえたのが不気味だ。
通商をふくめ、外交全般を統括する重要職なのに。
ことにヒラリーさんは、世界観に傑出したものがあり、
ABCのインタビュー番組では、
「今後十年間、イスラエルに攻撃を仕掛けようなどと
愚かなことを考えているのなら、
イラン人を全員抹殺することができるだろう」とかたる。
「米国は現在もこれからも、イスラエルの側に立つ。
……われわれは利害、理想、価値観を共有している。
私には、イスラエルの安全保障を確約するという原則がある」
なんて、こころあたたまる発言も。
ニューヨーク州選出の上院議員がイスラエルよりなのは無理もなく、
きまえのよい口約束はききながすべきにせよ、
中東の民の血でよごれた金が、
新政権に大量にながれこんだのは、まぎれもない事実。



オバマのまわりには、札つきの小悪党がたむろするが、
筆頭にあげるべきは、ラーム・エマニュエルだろう。

エマニュエル2

大統領当選後の人事で、まっさきに大統領首席補佐官に指名される。
異例のはやさだとか。
二〇〇六年の民主党の圧勝に貢献した戦略家。
ユダヤ人で、かつイスラエルとの二重国籍者。
父親はシオニストのテロ組織「イルグン」に所属していた。
下院議員として、公然とユダヤ人の利益のためにはたらいた人物。
ああ、オレは陰謀説はきらいだから、
「ユダヤ資本が世界を支配する!」なんていわないから安心して。
ただこのひとが、クリントン政権時代、
イスラエルの諜報活動に加担したとして、
FBIによる内偵をうけたという話はおもしろい。
反国家的活動をうたがわれたおたずねものが、
あっさり要職につくのが、アメリカ政界のふところのひろさか。
昨年六月四日にオバマは、最強のロビー団体にかぞえられる、
米国イスラエル公共問題委員会の総会で演説。
「エルサレムはイスラエルの首都であり、分割されるべきではない」と。
国連安保理決議二百四十二号と明確に矛盾する、
醜悪な「統一エルサレム発言」は問題視され、オバマは翌日に訂正。
ユダヤ人からの愛をひとりじめしようと、ヒラリーとあらそった時期であり、
かれも相当あせっていたから、同情にあたいする面もある。
所詮、演説の中身はスピーチライターがかくのだし。
でも意地わるくいうと、これからの政権運営も、
他人がかいた脚本どおりになるといえるよね。



Yes, you can.
世界はかわるだろう。
わるい方向に。
だれがホワイトハウスの住人になろうが、おなじなのさ。



オバマの危険-新政権の隠された本性オバマの危険-新政権の隠された本性
(2009/01)
成澤 宗男

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ジャンル : 政治・経済

核シェルターでテレ東を ― 相対性理論『ハイファイ新書』

画像 018

ハイファイ新書

相対性理論のアルバム
制作:みらいレコーズ 平成二十一年



舌たらずというか、くちびるや舌をうごかす労力をおしむような、
紅一点、やくしまるえつこのうたいぶり。
不安定なささやきごえで、
子どもむけのSF漫画みたいな世界を、ひとふでがきする。
つゆほども上手な歌でなく、端的にいえばへただが、
個々のことばを大切にうたうので、無意味な歌詞が、
脳のなかにくっきりと奇妙な影絵をうつす。
一曲目の「テレ東」では、別にすきでもないであろう、
テレビ東京への愛をうたう。

チャンネルをテレ東に ダンスチューンは緩やかに
オーディオはステレオに 結婚するなら六月に


なぜ唐突に「結婚」という語があらわれるのか、さだかでない。
「ふしぎデカルト」は、霊感がつよい女子高生が、
就寝三十分まえにあらわれた幽霊と恋におちる不思議なラブソング、
とおもわせるが。

あなたが霊でも わたしはいいんだよ
あなたが霊なら なおさらいいんだよ
わたしが霊でも あなたはいいでしょ?
わたしが霊なら あなたはどうする?


結局どっちがどうなんだ。
「四角革命」は、時空警察におわれる二十五世紀のおとこと、
二十二世紀のむすめの、一向にもりあがらないロマンスをえがく。

25世紀に生まれたあなたは 時空警察に追われてしまった
22世紀に生まれたわたしは テレビを見ながらコーラを飲んでた


どうもこいつら、であうことさえなく、すれちがったまま曲がおわる。
壮大なSF設定が台なし。
まったく埒もない手もとの歌詞カードをみながら、
必死に引用する自分はバカではないか不安になるが、
くりかえしきくうち、こんなでたらめないいぐさが、
ふと体内にはいる瞬間が快感といえなくもない。
洗脳?



そろそろ現物をきいてもらいます。


「地獄先生」

白衣をきた洞口依子が、たばこに火をつけようとウロウロする様子を、
スローモーションでとらえる、なぞのPV。
洞口のくびすじがうつくしいのはよいが、曲の内容とはまるで無関係。
むしろ歌詞のほうが、もっと意味不明か。

授業参観 恋の予感
家庭訪問は地獄の門


おざなりに韻をふむでだしで、ぷっとふきだしたあなたは、
もうインチキ女子高の校門から、ぬけだせないかもしれない。
可憐な少女の、教師に対する恋情をえがく曲にはちがいないが、
スカスカの演奏が、「だからなに?」という半畳をはぐらかす。
平成十八年に自主制作した『シフォン主義』では、
はげしく、まえのめりなパンク調の音をきかせたが、
本作では、やくしまるのけだるい歌を前面にだす流儀に。
ジャケットにも、かの女によるへたくそな絵があしらわれているが、
武蔵野美術大学をでているのだから、本当はもっとかけるだろう。
どこまでが、バンドの意図する方針なのか。
あれこれふかよみするうちに、中毒症状があらわれだす。
おもうツボ?



平成十四年に解散したナンバーガールの向井秀徳がかく詞は、
少女にまつわる性的妄想が色こくてきもちわるかったが、
相対性理論は、まるで向井の夢が遺伝子のプールで血肉化したかのよう。
血はストロベリーシェイク、肉はチョコレートでできてるけど。
とがった音の洪水のなか、無防備にたたずむ美少女。
やくしまるの声に毒されたオレがうかべる妄想は、
父親がつくった核シェルターのなかで、
ねころがりながらテレビをみる女子高生。
核戦争勃発をつたえるNHKの速報をみて仰天するが、
じきにあきて、テレ東のアニメにもどす。
家族のかえりをのんびりまちながら。
くるった世界と、それより千倍こわい、ひとびとの無関心。
そんな時代の空気をとじこめる、おそるべき傑作だ。
おもいすごし?



ハイファイ新書ハイファイ新書
(2009/01/07)
相対性理論

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ラーメンより美味なもの ― 『ラーメンガール』

ブリ

ラーメンガール
The Ramen Girl

出演:ブリタニー・マーフィ 西田敏行 余貴美子
監督:ロバート・アラン・アッカーマン
制作:アメリカ 二〇〇八年
[テアトル新宿で鑑賞]



死ぬほどすきな『8 Mile』(二〇〇二年)で、
エミネム扮するジミー・スミス・ジュニアと、
みじかくもはげしく愛しあったブリタニー・マーフィ。
オレにとって、ちょっと特別な女優だ。
おめめぱっちりでかわいいが、
顔の下半分がアヒルを連想させるため、ファニーフェイスに分類される。
キスするときは口をとんがらせ、より一層アヒルにちかづく。
一方で、いつも目のしたに隈をつくり、不健康な風情をかもす。
複雑な、えがたい個性だ。
神話的な傑作『8 Mile』のあとは、ダコタ・ファニングの子守を演ずる、
『アップタウン・ガールズ』(二〇〇四年)がおもしろかったが、
おとこがらみでドタバタしすぎた反動か、話題を耳にしなくなる。
と、おもっていたら。
このひと、新宿のラーメン屋で修行してた!
びっくりするなあ。
黒のワンピースをきたままトイレを掃除するすがたは、
落魄の身のものがなしさをただよわすが、
むしろ悲惨な境遇のほうがいきいきするのが、ブリタニー。



われらが西田敏行は、ラーメン店主として、
ハリウッドからの客人をきびしくきたえる。
ぽっとでの南部むすめとは格がちがうよ、
といわんばかり、貫禄たっぷりに映画を牽引。
特にものがたりの前半はアドリブも好調で、
「そういや外人ってほうれん草たべるっけ?
いや、たべるか。ポパイもたべてたしな」みたいなセリフで、
場内のわらいをさそう。
が、しかし。
『8 Mile』と『釣りバカ日誌』のたべあわせは、あまりに異質すぎる。
ブリタニーがいつまでたっても日本語をおぼえず、
なにかというと"I don't undestand."ばかりで、
芝居は一向にもりあがらない。
最後は、目と目をあわせてこころが通じたことにしてけりをつけるが、
まあ、消化不良をもたらす献立かな。



はじめブリタニーは、アメリカの恋人をおって来日するが、
「おまえの存在がおもいんだよ」とあっけなくふられ、
ほどなく韓国系のおとこといい仲になるも、
あっというまに、仕事を理由にすてられる。
ブリさんには、失恋がにあう。
でも、せっかく東京まできたのに、
つまらん在日韓国人をえらぶなんて納得できない。
東京には、ほかにもっとよい役者がいるのだから、
ブリタニーにも、アメリカのおんなの子にも、
日本のおとこのよさをしってほしかったな。
そんななか、わすれがたい印象をのこすのが、
西田の妻を演ずる余貴美子。

余

やたらとおっかない亭主のかげにかくれながら、
しっかりと店をきりもりする。
かの女もことばは通じないが、いつもほほえみをたやさず、
苦労するブリタニーをいたわる。
決して目だたないけれど、実際には、
まわりの人間を手のひらでころがす感覚。
そして、楚々としてうつくしい。
少々下しらべがたりない本作は、ラーメンの味を宣伝するには力不足だが、
日本のおんなの魅力を、世界にうったえてくれるだろう。


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甘美なるトラウマ ― 中森明菜『十戒(1984)』

十戒
『とらにゃんこ生活』から借用

十戒(1984)

中森明菜のシングル曲
作詞:売野雅勇
作曲:高中正義
制作:ワーナー・パイオニア 昭和五十九年



オレの「いいおんな」の基準は、中森明菜だ。
そうすりこまれている。
小学校にかようころ、『ザ・ベストテン』などの歌番組での明菜は、
ただひたすら格好よかった。
すごみのある歌唱に、斬新な衣装。
曲ごとにことなる仮面をかぶり、
だれもみたことのない世界をえがく。
自分もいつかおとなになれば、
明菜みたいに妖艶な美女とであえるのかな、
とおもうと興奮する一方、すこし不安もおぼえた。
かの女が歌のなかで演ずるおんなは、
三分間のなかで激情をほとばしらせ、
恋のためなら死をも辞さない、危険な風情だったから。
ただ実際に成人すると、ちまたをウロチョロするおんなは、
みな生物学的に異性というだけで、その本質は、
自分とかわらぬケチくさい小市民であることがわかり、安堵した。
一抹のさびしさを、かかえつつ。
そう、明菜が特異すぎたんだ。



ちょっとしたきっかけがあり、
動画サイトで明菜のふるい映像をさがしたが、
あるわあるわ、宝の山がざくざくと。
何十年もまえの録画を、みなよく大事に保管するものだ。
ビデオもめったにない時代なのに。
週ごとの歌番組は、それだけ盛大な祭典だった。
まだおさなかったから発表時の記憶はないが、
九曲目のシングル『十戒(1984)』が一番よいとおもう。
明菜が自分の流儀をうちたてた作か。
以降も名曲はめじろおしだが、
本人が制作に積極的にかかわるので、すこしおもい。
文字どおり身をけずりながらうたうすがたは、
やせおとろえて、いたいたしくもある。
『十戒』はまだ、当時のアイドルらしいみずみずしさがのこり、
そこにかえって年月をこえる魅力がある。




『夜のヒットスタジオ』での熱唱。

衣装が素敵すぎる。
黒のノースリーブの中央に、白い十字架をあしらう。
ふわりとしたレース地のスカートのしたに、黒いスパッツとハイヒール。
ベルトでしめあげる胴まわりが、不気味なほどほそい。
ゴスロリの元祖か。
このまま新宿のマルイワンあたりにあらわれれば、
無理してにあわぬ服をきるロリータ少女もひれふすだろう。
ふりつけもみごと。
『少女A』にはじまる、ツッパリソングのしめとなる四作目で、
ロック調のはげしい導入部がはじまる。
レースの手袋の左手で顔をかくす明菜。
そのまま上体を水平にのけぞらせる。
わかき日の荒川静香に霊感をあたえたかもと、
想像をたくましくしさせる様式美。
いきおいよくステップをふむなか、うたがはじまる。

愚図ねカッコつけてるだけで
何もひとりきりじゃできない


きえいりそうな低音。
そのくせこころもち顎をあげ、カメラをねめつける。
「愚図ね」なんていうせりふのとげを、
胸のおくのほのおでとかすようにうたう。
動から静への落差に、身があわだつ。
うえの動画をみてなにも感じないひとは、
どこか歌謡曲のないくにに移住するべきだ。
地上にそんな場所があるかどうか、しらないが。



かきたいことがおおすぎて、まとめられない。
三分二十秒につめこんだ、濃密なものがたり。
題は『十戒』だが、歌詞には宗教的な語彙はなにもない。
おとこまさりの不良少女が、恋人に文句をいうだけの幼稚な文面。
しかし、さむざむとした低音から、
サビの高音のビブラートにのぼりつめるうねりは、
崇高な賛美歌にもきこえる。
明菜は、あたえられた曲を自分なりに解釈し、
きくものの心のスクリーンに一本の映画をうつす。
動と静、聖と俗、強と弱、明と暗、愛と憎。
曲や詞を遠心分離機にかけ、
あい反する要素をとりだし、体内で再構成する。
天使と悪魔が同居する二律背反。
元祖ツンデレ?
さっきから元祖元祖としつこいが、四半世紀がすぎても、
わたしたちは、明菜がつくりだした世界から一歩も進展していない、
とさえおもう。






本当は、かの女の歌手人生とからめて曲をかたろうとたくらみ、
いろいろしらべたが、とてもではないが論じきる余力はない。
五倍の字数と、十倍の時間、そして百倍の気力が必要だとわかった。
「あのころ」の中森明菜は、おそろしい。

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ソーダバーグのソーダ水 ― 『チェ 28歳の革命』

カストロ

チェ 28歳の革命
Che The Argentine

出演:ベニシオ・デル・トロ デミアン・ビチル サンティアゴ・カブレラ
監督:スティーヴン・ソダーバーグ
制作:アメリカ・フランス・スペイン 二〇〇八年
[新宿ピカデリーで鑑賞]



焼肉のたれで有名なエバラ食品ならわかるが、
ゲバラのほうはてんでしらない。
こんなおおげさな伝記映画がつくられるくらいだから、
よほどえらいひとなんだろうけど……。
美男子だったのと、キューバ革命が成就したあともたたかいつづけ、
わかくしてボリビアでちったことが、神格化される理由だろう。
顔は革命の本質と無縁だが、不細工ではTシャツの図案にむかない。
あと、革命の指導者だった、
フィデル・カストロの宣伝工作に利用された面もある。
カストロはかわりものの独裁者で、偶像として崇拝されることをきらい、
国家的人物のすがたをかざるのを禁ずる法律をつくったほど。
ただ、仏さまはおがんで結構ということで、
ゲバラをたたえる記念碑は山ほどあるらしい。
ずるいともおもうが、ずぶとくなければ、
五十年間、海のむこうの超大国におどされたまま、
権力をにぎりつづけることなどできない。
写真のひだりがカストロで、
このふたりの関係をどうえがくのかたのしみだったが、
実際は、ゲバラがパンパン銃をうつだけの映画だった。



それにしてもベニシオ・デル・トロ、びっくりするほどゲバラににていない。
むしろ、古谷一行にちかい。
ゲバラは少年のおもかげをのこし、
民衆から「チェ」という気軽な愛称でしたしまれたが、
悪人顔の眉間にいつもしわをよせ、
目のまわりにパンダみたいな隈をつくるトロさんは、
絶対にともだちになりたくない、いや、声すらかけづらい雰囲気だ。
どうみても別人。
古谷一行の伝記にすればよかったのに。
演技らしい演技もしない。
なぜ、カストロと意気投合したのか。
なぜ、他国の革命に身を投じたのか。
なぜ、喘息もちのからだでたたかったのか。
なぜ、外国人なのに仲間からみとめられたのか。
さっぱりつたわらない。
これなら、上野動物園でパンダの檻をみるほうがたのしい。
オレの休日をかえしてくれ。
要するに本作は、
トロさんの「オレ、ゲバラ演じてえ」というねがいをかなえる、
大規模な自己満足映画だ。
これで金をとるのだから、ある意味、革命だ。
デル・トロ、四十一歳の革命。



一番わるいのは、巨匠ソーダバーグ監督。
アメリカ訪問時の様子を白黒で随所にはさむ手法が、
なんの効果もあげていないとか、
手もちカメラのブレブレ映像をつかいすぎて目がいたいとか、
ながれがぶつぎりで、いつのまにか戦争がおわっているとか、
重大な欠点がてんこもりなのは、まあ目をつぶるとして。
ゲバラのこころ模様がえがけていないのも、
あえて、ものがたりから劇的な要素を排し、
たたかいそのものをなまなましく記録するという意図にもとづくと、
好意的に解釈しよう。
でも、戦争すらまともにえがけてないからなあ。
どうやって、キューバ上陸時の十二人から勢力をのばしたのか。
どうやって、ゲリラ戦のなかで民衆からの支持をえたのか。
どうやって、物量にまさる政府軍をくつがえしたのか。
巨匠は、そんな小事に関心はない。
カッコイイ映像をとれれば満足。
やはりこいつはニセモノだ、と確信した。
気のぬけたソーダをのまされるような百三十七分。
炭酸がぬけているから、それはただの砂糖水だが、
店員はソーダだと高飛車にいいはる。
そんな感じ。
まえにパスタ屋でOL風のおんなが、
「にんにくぬきのペペロンチーノ」を注文したのをおもいだす。
それじゃあただの塩あじパスタじゃんとおもったものだ。
しょっぱいだけでもおいしいのかな?


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ウォール街のうかれ女 ― ガルブレイス『大暴落1929』

暴落

大暴落1929
The Great Crash 1929 (1997 Edition)

著者:ジョン・ケネス・ガルブレイス
訳者:村井章子
発行:日経BP社 平成二十年



八十年まえのニューヨーク証券取引所での株価の大暴落について、
五十五年まえにかいた本。
一九二八年から二九年の株ブームは、藝術的なからくりにみちびかれた。
ひとびとが現金をもたずに投機にうちこむよう下ごしらえ。
銀行は證券会社に、證券会社は顧客に資金を提供し、
とった担保は銀行に還流する。
目論見どおり、相場は螺旋階段をのぼりつめるが、
盲目的な投機をあとおしする、あやうい信用取引のしくみを、
ガルブレイスはこうあらわす。

してみるとウォール街は、
お色気たっぷりの美女がぶくぶく着込んでぶあつい靴下を穿き、
天職は娼婦なのに料理上手を売り物にしているようなものと言えようか。


そうなれば、町をうろつく商売女をしょっぴく治安当局、
すなわちFRB(連邦準備制度理事会)の責任がおもくなる。
しかしFRB理事はみづからに手錠をかけ、なにもしない。
口には猿ぐつわ。
みめうるわしい淑女にむかい、
「あなたは売春婦だ」と発言するには、非常な勇気が必要だから。

FRBの持っている武器の中で、
いちばん結果を予測できないのが言葉である。
一つまちがえればおぞましい結果を引き起こしかねない。
しかも責任者をはっきりと名指しできるから、
発言者は確実に血祭りに上げられるだろう。
というわけで一九二九年初めには、
FRBの中でも慎重な理事にとって、文字通り沈黙は金となっていた。

このとしの夏、一切のおそれやまよいをすて、
市場がはるか大海にたびだつ。



当ブログの読者はわずらわしかろうが、
あまりにご機嫌な口調なので、引用せずにいられない。

一九二九年の夏には、市場は報道を独占しただけでなく、
文化まで独占するにいたった。
いつもなら聖トマス・アクイナスだのプルーストだの
精神分析だのに関心を抱いている文化人まで、
ユナイテッド・コーポレーションやユナイテッド・ファウンダーズや
USスチールについて語り始めたのだ。
市場に無関心を貫き精神療法や共産主義思想に没頭し続けるのは、
よほどの変人だけだった。


證券仲買人や投資顧問は、有名人のあつまりでひっぱりだこになり、
うけうりのたわごとをまきちらす。
投機に成功すれば女性の地位があがるとそそのかされ、
おんなたちは、なにもしらない企業の株をかいあらそう。
かように当時の投機熱ははげしいが、
一般のひとの市場に対する関心は、誇張される傾向があるとか。
一九二九年の絶頂期に、さかんに投機をしたひとは百万人以下。
前年末から、アメリカ人がレミングよろしく株式市場に殺到したといわれるが、
信用取引をする顧客は、五万強ほどふえたにすぎない。
このとしの熱狂は、投機に手をだすひとのかずではなく、
それにあつまる視線のかずが肝要。
国民の生活が、不実な街娼を中心にまわる。



そして暴落。
描写は意外に淡白だ。

誰も彼もあっという間に富をむしりとられたのだから、
レーニンの平等化政策のようなものだった。


こんなことをかくから、著者は初版の刊行時、
一文なしになった投資家から脅迫の手紙をうけとるのだ。
ウォール街の紳士をこころよくおもわない大衆はおおよろこびし、
新聞も、ダウンタウンの様子をおもしろおかしくかきたてる。
相場師がつぎからつぎへと窓から身をなげ、
通行人は死体をよけるのに苦労した、とか。
しかし、そこは「経済学の巨人」の異名をもつガルブレイス、
瑣末なことでも丹念にしらべる。
保険・教育・厚生省統計局のちからをかりて調査すると、
自殺者数は、むしろ市場が活況だった夏のほうがおおい。
ひとはそうたやすく命をたたない。
暴落の副産物として特筆すべきは、
横領が発覚する率を飛躍的にたかめたこと。
破局からわずか数日で、
万人を信じていた世のなかが、万人をうたがいだす。
監査がきびしくなり、着服した公金で相場をはる社員は、
カネをこっそりもどせなくなる。
横領罪をおかした社員の記事が、ニューヨーク・タイムズ紙を占領し、
背徳をせめられる金融業界は四面楚歌に。
ひとびとが、ふところがさびしくなってはじめて、
正義にめざめるのがおかしい。



大暴落1929 (日経BPクラシックス)大暴落1929 (日経BPクラシックス)
(2008/09/25)
ジョン・K・ガルブレイス

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ジャンル : 政治・経済

綱わたりのエヴリデイ ― MOON CHILD『ESCAPE』


【高画質版はこちら】

ESCAPE

MOON CHILDのシングル曲
作詞・作曲:佐々木收
制作:エイベックス 一九九七年



一発屋。
ひとぎきはわるいけれど、そういうことになるかな。
MOON CHILDの五枚目のシングルで、オリコンチャートで一位を記録。
だがつづく大あたりにめぐまれず、バンドは二年後に解散する。
世人からもわすれられる。
表面上は。
かくいうオレは、ニンテンドーDSのソフト『大合奏!バンドブラザーズDX』で、
この曲が配信されたのをきっかけにおもいだす。
そしていまでも、こころがつよくゆすぶられる。



刑事ドラマを髣髴させるギターにみちびかれ、
『ESCAPE』は緊張感をはらんではじまる。
ドリルで廃屋を解体するように、サイドギターが切迫にきざまれる。
速度ははやいが、リズムはひきしまって、もたつかない。
解散後も、中心人物の佐々木收と行動をともにする、
渡辺崇尉のベースが前面にきこえる。
ライブもよいバンドだったのだろう。

綱わたりのevery day すぎゆく日々の背に
つばはきすりぬけてrunaway


口早に、佐々木が低音でつぶやく。
ちなみに歌詞は『goo 音楽』を参考にしたが、
表記はこちらの都合にあわせている。
都会の退廃をナイフでえぐることばづかいに、
色あせない硬質な魅力がある。
一転Bメロでは、リズムはたもったまま、裏声であまい感傷をうったえる。

もうだれもいやせない
きずあとにふりそそぐ雨
そうきみと秘密をわけあうように
ずっと孤独をだいてくれ


サビにはいるともはや佐々木の独壇場で、
カラオケばえのするうつくしい旋律と、
鋭利な音塊がとけあって、唯一無二の世界がたちあがる。
これよりカッコいい曲を、一体だれがつくれるのか。



佐々木收の才能はさほどに目ざましいが、
ではなぜかれらは一曲だけできえたのか、という疑問がのこる。
どうやら、レコード会社はMr.Childrenにあやかろうとしたらしい。
『ESCAPE』のようにおとこの体臭がただよう曲はすくなく、
なんだか抒情的な風情のシングルがならぶ。
別にわるくないが、佐々木にしかかけない曲ではない。
かぼそい金切り声でこころの機微をうたうなら、
桜井和寿にかなわないだろう。
周囲が音楽の方向をおしつけたのかもしれないし、
それとも佐々木自身が、故郷の盛岡の牧歌的風景を、
わすれられなかったのかもしれない。
いまさらいってもしかたないが、まえのめりで東京の雑踏をかけながら、
その不毛を拳銃でうちつづけていれば。
十年あまりがたち、さらに荒廃した町をおもうと、
このロック詩人が、説得力ある予言者だったことを痛感する。




『サイレン』
SCRIPT

SCRIPTは、佐々木と渡辺が一九九九年にくんだユニット。
二〇〇一年の『サイレン』は、ざらざらした音質が耳をひき、
鮮烈でささくれた景観が目にうかぶ。

きみのこころの ならないピアノのキーは
さびついたままだれにも ふれられはしない

こころに鍵をかけて きみはなにとたたかうの
なぐさめのことばは いらない


現在は独立系のレコード会社で活動するようだが、
吟遊詩人のたましいがくじけることはない。
のんきな応援歌がそらぞらしくきこえる昨今、
佐々木收はこの町のどこかで、ふたたび一旗あげるべく、
ギターをつまびいているのだろう。


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ジュリエット・ビノシュの町 ― 『PARIS』

ビノシュ

PARIS

出演者:ジュリエット・ビノシュ ロマン・デュリス ファブリス・ルキーニ
監督:セドリック・クラピッシュ
制作:二〇〇八年 フランス
[ル・シネマで鑑賞]



ひとをまえにたたせカメラをまわせば、それだけで映画になるわけで、
要するに劇映画など、どれもにたりよったりだといえる。
それでもあえて一本境界線をひくなら、
「ジュリエット・ビノシュがでている映画」と「でていない映画」、
という分類をのこすのが有益だ。
ジュリエット・ビノシュ、四十四歳。
共演者や裏方の思惑などすこしも意に介さず、
作品を強引にみづからの色にそめる魔力は健在だった。
特殊すぎる。

横顔

おちくぼんだ眼窩にちいさな目がひそみ、感情を容易にさとらせない。
女優なのに。
どこか不恰好な鼻梁と、発達しすぎた頬骨は、
典型的な美女の条件からはずれる。
声がうつくしいわけではなく、愛嬌もない。
それどこころかいつも不機嫌で、
神経は他人への警戒心で二十四時間緊張したまま。
それがビノシュというおんななのだが、
ごくまれに仏頂面にほほえみがうかんで、
さしてととのってもいない顔を、ぐしゃりとくずす。
それをみるだけで、
道ばたでダイヤモンドの指輪をひろったような困惑が。
まれなる笑顔をまたみたいとねがう共演者をふりまわし、
ビノシュを中心にものがたりがまわる。



本作のビノシュは、女手ひとつで三人の子をそだてる社会福祉士。
実生活では二児の母のはずだが、
映画での育児すがたはまるで板につかず、
ペットにあたえるほどの愛情すら感じない。
こわいおかあさんというのではなく、そもそも子どもへの関心が皆無。
職場では浮浪者などの相談にのるが、
もちろんかの女に甲斐甲斐しい世話ができるはずもなく、
訪問者は、無愛想な福祉士の顔色をうががいつつビクビク。
そもそも『ポンヌフの恋人』では、
自分が橋のうえで路上生活をしていたのだから、
もっともらしい福祉活動など無理なはなしだ。
この群像劇のなかで主軸となるのは、
ビノシュとロマン・デュリスが演じる弟の関係。
弟は、おもい心臓病をわずらい手術が必要なことを告白するが、
姉ジュリエットは、なぜかくしていたのかと激怒。
死の不安におびえる弟をさらにきずつけ、涙させる。
高慢というか、残酷ですらあるが、でもそれがパリっ子なのだろう。
ケチな不平不満ばかりをこころにかかえ、
いつでも自分の権利を主張し、他人は二のつぎ。
それでもなぜか伝統的に、人生を最大限にたのしむ秘訣をしっている。
ビノシュの神経質なたたずまいは、
この町でいきることがなんであるかを象徴する。



メラニー

メラニー・ロラン。
一九八三年うまれで、ビノシュとは二十年のちがい。
目のさめるような器量よしで、手足はすらりとながく、
わかさをかわいい鼻にかけて自信満々、おしゃれで華がある。
あこがれのパリジェンヌ。
フランスでも評判の女優だとか。

カフェ

カップのなかをかきまぜながら。
美人なのだけれど、カフェでよむ本をうしろからのぞいたら、
むつかしげな哲学書、みたいな雰囲気。
なぜかわがくにでは、この手のむすめにお目にかかることはなく、
はづかしいほどパリ的な絵にみえる。
彼氏がいるのに大学教授とねて、そのあと中年おとこをいたづらに翻弄。
しかし、ビノシュはロラン嬢と一度だけ顔をあわせるが、
歯牙にもかけないし、「小便くさい小娘だわ!」という態度がありありで、
おかしいけれど、やきもきする。
ビノシュの鼻息だけでふきとばされそうな存在感。
相手がわるかった。



おもうに、都市の基点にあるべきなのは、うつくしいおんなだ。
おとこだけでなく同性だって、
あんな風に綺麗なひとになりたいとおもい、その町につどう。
だからパリがパリであるためには、パリらしい女優が必要だし、
いつかは世代がかわらなければならない。
オレはフランス映画の熱心な観客ではないからわからないが、
セーヌ河岸の町の未来に、不安がきざす作品ではある。

― あなたがパリで一番好きな場所はどこですか?

セーヌ川のほとりね…一番好きだと思うわ。
昼も夜も、セーヌ川のほとりを歩いているわ。
光、川の流れ、橋、流れ行く水、溢れ出るアイデア…。
それからポンヌフもあるしね!
橋と私の人生はとても強く結びついているの。
ポン・デ・ザールはデートを彷彿させるし、
マリー橋は私の精神科医みたいなものよ!


ジュリエット・ビノシュへのインタビュー
『PARIS(パリ)』公式ブログ


パリとはすなわちわたしのこと、とでもいわんばかりの自負。
ポンヌフのうえでビノシュとすれちがったら、
通行人も仰天して川におちそうだ。
フランスのわかい女優にとっては気の毒だが、
代がわりにはまだ時間がかかるだろう。


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あなたはノアじゃない ― 『地球が静止する日』

地球

地球が静止する日
The Day the Earth Stood Still

出演者:キアヌ・リーヴス ジェニファー・コネリー ジェイデン・スミス
監督:スコット・デリクソン
制作:アメリカ 二〇〇八年
[ユナイテッド・シネマとしまえんで鑑賞]



キアヌ・リーヴスは、てもとにSF映画の脚本がとどくと、
いてもたってもいられなくなるのでは。
出世作『スピード』のつぎにでたのが、超駄作『JM』。
ビートたけし共演、安手のサイバーパンク調ににがわらい。
清新な熱血アクションスターの応援にかけつけた観客を、
心底がっかりさせた。
ぬぐいようがないオタク気質。
無論、『マトリックス』という新機軸がうまれたのは、
かれの複雑な個性のおかげでもある。
ただ、神がふるサイコロのあたり目はわずかで、
本作の首尾はおしてしるべし。
相方がジェニファー・コネリーであることも、制作者の無神経をあらわす。
どちらも面長で、鼻すじのとおった端正な顔だち。
しかも黒髪。
同系の風貌のくみあわせがつまらない。
『スピード』なら、サンドラ・バロック。
『マトリックス』なら、キャリー=アン・モス。
さばさばした、男っぽい女優との相性がよいみたい。
『イルマーレ』は、サンドラとの十二年ぶりの顔あわせで、
なかみは普通の恋愛映画だったが、
『スピード』ファンとしては配役だけで感涙ものだった。



ジェニファー

ジェニファー・コネリー、SF顔だ。
つくりものじみている。
整形手術をした、という意味ではないですよ。
そのての悪口には興味がない。
たしかめようがないし、そもそも綺麗ならなんでもかまわない。
顔の部品のすべてが、定規でひいたように直線的。
わけても、みるものをたじろがせる目がしらのするどさ!
形成外科医がメスでつくりあげたのなら、
むしろ、その大胆な彫刻家的造作をたたえたい。
ちがうだろうけれど。
本作では色気のない科学者の役をつとめる。
髪はそっけなくうしろでたばね、すこしも変哲がない黒の皮ジャンをはおる。
どれだけ女優を地味にうつすか、という実験なのか。
現実味のない美貌が、それを可能にする。
監督のスコット・デリクソンは日本のホラー映画狂だそうで、
黒髪のヒロインを、しつこくおいつめる流儀が日本風におもえなくもない。
いずれにせよジェニファーの出演作は、
大規模の高エネルギー物理実験のような、高踏的な活動だ。



しかしキアヌにとっては残念なことだが、
実際かれは、SFむきの役者ではないとおもう。
自己イメージと、他者による評価は一致しないもので、
これだけ成功した役者でもおなじだから、むつかしい。
その野ぶとい声、たくましい首まわりは、
科学理論をこえる、なまなましい肉体の存在をうったえる。
「ノアの方舟」のものがたりを下じきにした本作で演じるのは、
滅亡の危機に瀕する人類をみごろしにする冷酷な人物だが、
観客としてはただとまどうばかり。
キアヌさん、なにしてるんですか。
あんたは救世主でしょ。
ヒーローでしょ。
まえはエージェント・スミスやデニス・ホッパーをぶっとばして、
みんなをたすけたじゃない。
なんでそこでぼーっとしてるの?
まあ逆に、そういう不満をもたせるのがえらいところ。
キアヌ・リーヴス、このすこしいびつで、たぐいまれな演技者は、
凡作にでてもわすれがたい印象をのこす。


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キラキラ☆エンジェル岩渕真奈

疾走



こはずかしい題をつけてしまったが、
漫画やアニメからぬけだしたような、
かの女のことをしるにつれ、遠慮の念はうすれてゆく。
日テレ・ベレーザ所属の岩渕真奈は、
一九九三年の東京にうまれた十五歳。
高校一年生。
ベレーザ公式ホームページによると、
身長百五十三センチ、体重四十五キロ。
このちいさな天使は、
去年U-17女子ワールドカップに出場し、三試合で二得点。
さらに大会最優秀選手賞をえる。
ちなみに、日本人選手のFIFA主催大会でのMVP獲得は、
男女を通じてはじめて。
にっこり笑顔で歴史をかきかえました。
チームは準々決勝で敗退、得点数もすくないのに、異例といえる受賞。
観戦者によほどつよい印象をのこしたみたい。



あいにくその活躍をじかにみたことはないが、
かの女はみるものをとりこにする魔法をつかうようだ。
経歴のはじまりは、小学校二年生のときにさかのぼる。
関前サッカークラブでの兄の練習についてきた岩渕のため、
小島洋邦監督は規約をかえて、女子の入部をゆるした。


FIFA U-17女子ワールドカップ2008

とにかくはやい。
特に準々決勝、イングランド戦の勝ちこしゴールは、
ボールをうける右足のひとけりで相手をおきざりにし、
そのままシュートまでちぎる。
大会参加全チームのなかで二番目にかるい体重の岩渕は、
まるで背中に羽をはやすかのようにはしる。
ふけばとびそうな華奢なからだで、だれよりもはやく、
ゴールまえの危険地帯にとびこむ勇気がすばらしい。
当然敵は三、四人でかこいこむが、
そうなれば味方への矢のごときパスで形勢逆転!



試合後の主催者による記事の見だし(FIFA.com)は、
"Japan's Mana from heaven(マナは天国からやってきた)"というもの。
興奮しすぎ、というか完全に恋しちゃってるね。
公平中立であるべき立場のくせに。
「岩渕真奈との恋はあっけなく三試合でおわった」とか、
ほかにもきもちわるい文章があってたじろぐ。

抱擁

ちいさな全身に、よろこびをはじけさせるマナ。
その魔力に接したことはないからわからないけれど、
ひとめで恋におちるのも、ありえるかな。
インタビューのうけこたえは年齢以上におさなくて不安になる。
でも、カメラのまえでこぼれおちる笑顔がよい。
スターはこうでなくっちゃね。
ちょっと色黒なシンデレラのものがたりは、
まだ幕があがったばかり。



ぶっちー情報は、掲示板「岩渕真奈 閃光の天使」でも紹介しています。
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最後の一滴まで ― 『アンダーカヴァー』

口論

アンダーカヴァー
We Own The Night

出演者:ホアキン・フェニックス マーク・ウォールバーグ ロバート・デュヴァル
監督:ジェームズ・グレイ
制作:アメリカ 二〇〇八年
[シネマックス千葉で鑑賞]



新年二日目に、年に一本あるかないかの傑作にであうと、
酔狂でかった福袋に、掘りだしものをみつけた気分。
一年の運をつかいはたしていないことをいのるが。
『リトル・オデッサ』(一九九四年)や
『裏切り者 (The Yards)』(二〇〇〇年)でしられる、
ジェームズ・グレイ監督作品。
オレはこのひとの映画は全部みている。
というと相当のファンみたいだが、
そもそも監督作がこのみっつしかない。
だれよりも寡作で、だれよりもおもく、くらく、希望がなく、
理不尽な暴力が突発する映画ばかりつくるひと。
あと、風景をきりとる技術にもふれなくては。

町

一九八八年のニューヨーク。
決して予算がありあまる制作現場ではないはずだが、
ルドルフ・ジュリアーニ市長に除菌されるまえの、
町のあぶない空気を丁寧に再現。

海

終幕で、警官がようやくつかまえたマフィアをかこむ。
明白にはえがかれないが、おそらくかれらは主人公がさったあと、
警官ごろしの復讐として処刑をおこなう。
それを風景にかたらせる、省略語法のこわさ。



配役がすばらしく、みなが経歴における最高水準の演技をみせる。
ホアキン・フェニックスは、警官一家から脱落したおとこで、
ロシア人マフィアとつながりのあるクラブをしきる。
てきぱきと仕事をこなすすがたがいなせだ。
だが家族がおそわれたことで、ふたつの世界のはざまで苦悩する。
かれはつばが席にまでとんできそうな熱演型の役者で、
個人的に得意ではないが、観客をひきこむ魅力のもちぬしなのはたしか。
兄役のマーク・ウォールバーグは、ニューヨーク市警の警部。
わかいころ、ボストン市警に何十回もおせわになった本物のワルに、
まじめな警察官をやらせるというひねりに感心。
これが予想以上にはまる。
共演者とは逆に、ゆるゆると役にちかづくひとだとおもうが、
一度気分がのると、その映画はウォールバーグの世界になる。
駄作もおおい気がするが。
ホアキンとの相性はよいらしく、『裏切り者』につづく共演。
ロバート・デュヴァルの起用は、
『ゴッドファーザー』への敬意の表しかたが露骨でちょっとしらける。
でも『ラッキー・ユー』でもよかったし、調子はよさそう。
七十七歳では現役にみえないけどね。
エヴァ・メンデスは、ホアキンの恋人役。
いちゃついてから体をはなすとき、
クッションでかるく身をまもるしぐさがかわいい。
とにかく演技指導に一瞬のゆるみもなく、
役者ずきにはこたえられない一品。



配役にこり、映像にこり、脚本にこる作家だから、
十五年の職歴で監督作がみっつだけなのも理解できる。
ルキノ・ヴィスコンティや黒澤明さながらの映像美と、骨太な世界観を、
現代の銀幕にうつそうとたくらむ野心はみあげたもの。
「古典映画」をつくりたいんだろうな。
奇特なひとだ。
あまりに目標がたかすぎて息ぎれし、
どれも陰鬱で愛嬌のない作品となる。
本国でも客がはいっているとは到底おもえない。

嵐
車での追跡場面のあと。

あらしのなかを、高速で逃走するときに襲撃される場面。
最後の、散弾銃をもち、せのたかい草をかきわけてすすむ場面。
本作は活劇としても手にあせをにぎらせる。
おもしろいんですよ。
関係ないが、ホアキンはつぎにグレイ作品にでたあと、
俳優を引退するらしい。

俳優としての仕事はこれが最後だ。
今後は音楽をやっていく。
もうやりつくした。おしまいだよ

『シネマトゥデイ』

三十四歳でなにをやりつくしたのかよくわからないが、
さすがは熱血俳優、つねにぎりぎりの覚悟で演じるのだろう。
チューブをしぼりあげるように、
作品に自分のすべてをそそぐひとびとの映画は、
洋の東西をとわずもっと評価されるべきだ。


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あけまして二〇〇八年 ― 第八十八回天皇杯決勝

ヤット

天皇杯 決勝 ガンバ大阪 対 柏レイソル

結果:1-0 (前後半[0-0 0-0] 延長戦[0-0 1-0])
得点者:播戸竜二 (延長後半11分)
会場:国立競技場
[テレビ観戦]



おきにいりのブログをのぞくたび恐縮するが、
当方は新年のご挨拶を略させていただく。
サッカー愛好者にとって、元日はあたらしい年のはじまりではない。
そして、第八十八回天皇杯決勝のフィールドでくりひろげられたのは、
はれがましさとは無縁の泥仕合。
スケジュールに無理につめこんだ国際試合のせいで、
ガンバ大阪の選手のからだから、ガタピシきしむ音がきこえる。
きき足をいためる遠藤保仁は、左でパスをさばいてごまかす。
ひっこめようにも、ほかに無事な人間がいない。
それでも優勝して、ACL出場権をえなくてはならない。
疲労と義務感という霧がこもる、おもくるしい百二十分。
となれば、人情味あふれる戦略家、
石崎信弘監督の花道を勝利でかざろう、
が合言葉の柏イレブンの男気に期待したくなるが、
サッカーはかならずしも身体的条件が予想どおりにはたらかない。
満身創痍、昏倒寸前のアジア王者が、
鉛の棒と化した両足をひきずりながら、徐々にフィールドを支配。



柏の指揮者は、後半二十一分までにすべての札をだしおえる。
結果論をいうなら、これが敗因。
勝負をいそぎすぎたことはいなめない。
延長戦にはいれば柏の選手のうごきもにぶり、
地力でまさるアジア王者に後手をふむだろう。
その判断は、合理的ではある。
ただ、相対する将が百五分間じっとたえ、
一枚も手札をうごかさないのはみこみちがいだったのでは。
百戦錬磨、西野朗。
不気味ですらある。
試合直後のインタビューでは、
「遠藤、橋本、明神らがケガをしているから、かえたくてもかえられなかった」
といっていたが、それでもよくねばるものだ。
西野の忍耐は戦況を好転させ、石崎がおそれた以上に、
延長戦をふくめ、試合の後半を大阪が圧倒した。
フィールドの指揮者である遠藤は、
冷徹な頭脳でのこり時間を割り算しつつたたかったろう。
あと十回くらい、右足でけれるかな。
なら、そろそろ前いこか。
無愛想な顔が幾度となく柏ゴールのちかくにあらわれ、
石崎の計画がくるいはじめる。



延長戦前半がおわるまで西野は我慢をつづけ、
後顧のうれいがさった最後の十五分、播戸竜二と倉田秋を投ずる。
すでに勝敗はついたようなもの。
延長後半十一分に、その播戸が得点する。
段どりをととのえたのは、遠藤の右足。
あたりまえのように。
お役御免のヤットは、すぐさま武井択也といれかわり、
風のようにあっけなくきえる。
そのあざやかさ!
精神も肉体もふるわない。
それでも賜杯は手にいれたい。
どうすればよいか。
その難問をとく、現実主義の教本のような一戦。
これはこれでおもしろいし、二〇〇八年をしめくくるにふさわしい。
試合後、めずらしく西野監督が目をあかくはらすのが印象的。
なにもしないことが、もっともこころの重荷になるのだ。
一方、だれよりも無理をしたはずの遠藤だけは、
飄々とインタビュアーにこたえる。
口を半びらきで、ありがとうございますとか、がんばりますとか。
このおとこには、盆も正月も関係ないらしい。


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