ワインと欲望のカクテル ― 『コッポラの胡蝶の夢』をみて

ラブホ

コッポラの胡蝶の夢
Youth Without Youth

出演者:ティム・ロス アレクサンドラ・マリア・ララ ブルーノ・ガンツ
監督:フランシス・フォード・コッポラ
(二〇〇七年/アメリカ・ドイツ・イタリア・フランス・ルーマニア/百二十四分)
[渋谷シアターTSUTAYAで鑑賞]


円環をなしてはしる緑の山手線に二日酔いの体をねじこむ。
二週つづけて渋谷にゆかねばならないのか。
改札口からハチ公前広場にぬける。
ここのスクランブル交差点は世界で一番醜い土地だろう。
赤信号が芋でもあらうように人のながれを堰きとめ、
しばらくして拘留から解きはなたれた囚人たちは、
おのおのの欲望をみたすためにちらばってゆく。
渋谷には空白がない。
歩行者の目がとどく場所のすべてに広告がうめこまれ、
あらゆる企業が無駄な商品をうりつけてくる。
優秀なビジネスマンもさすがに空中は宣伝に活用できておらず、
九十度上をむいてあるけば看板をみないですむ。
人の足をふまないで目的地にたどりつく自信はないけれど。

範田

109のとなりにAV女優・範田紗々の巨大広告があっておどろいた。
一応AV会社による性病予防運動の一環という名目でかけているらしい。
この町の堕落も底の方にゆきついたかもしれない。
別にAV女優がきらいなわけではないですよ。
むしろ大好物です。
でも子どもから「この女のひとだれ?」ときかれたら、
なんてこたえてあげればよいのですかね。


人があつまるから金があつまるのか、その逆なのかはしらないが、
渋谷は欲望の中心となっている町だ。
欲望とは、他人に接近したいとねがう衝動のこと。
まるでブラックホールのように人々はその重力にとらわれる。
町ゆく人は生きいそいでいるように見え、表情に余裕がない。
オレはビルケンシュトックのサンダルをふみしめながら道玄坂をのぼる。
ブンカムラの前から小道にはいり、ラブホテル街を突進する。
ええ、お一人さまで。
だって目あての映画館がここにあるんだもん。
最悪の立地条件だ。
ただでさえ女の人はひとりでは映画館にゆきづらいときくが、
これではますます足がとおのくはず。
恋人同士ならある意味便利かもしれないが。
いや、それはない。
よい映画をみて気分をたかめて、
記憶にあたらしい場面や役者の話をしながら食事をたのしみ、
そのあとでナニヤラするというのが正式な手順だろう。
映画の前にけばけばしいホテルの看板を目にしたら興ざめだ。
空白のない町では、まともな段どりをつけることは不可能なのか。


ソフィア・コッポラは、しったかぶりして東京が舞台の
映画をつくって恥をさらした人ですが、
本作はかの女のお父さんの十年ぶりの新作です。
それはともかく、パパ・コッポラの子ども二人が映画の道にすすんだことは、
オレにとっておおいなる謎だ。
親父はこの仕事で人生が破滅しかかったのに…。
とめろよ。
三回も破産した経済状況も悲惨だが、その精神においても、
首をつらないでよくぞここまで生きのびたという映画人生。
ところが一転、コッポラ父さん、
経営するワイナリーが成功して大富豪になってしまったとか。
おそらくその儲けをつぎこんで、うるさいスタジオ幹部の顔色を気にせずに、
やりたい放題につくったゲージュツ作品が本作。
だから作中で展開される神秘的な東洋学も胡散くさくおもえる。
いくら脱俗的なことをいっていても、
そういう映画をつくれたのは金もちになれたおかげじゃないの?
でも今どき藝術家の魂が自由にたわむれる作品など貴重なので、
その映像美を堪能してきましたよ。


エキストラの顔つきにまで緊張感がただよっていて、
主演のティム・ロスが医師役のブルーノ・ガンツと話しているあいだも、
うしろの看護婦がそれらしい仕草をしている。
「プロの看護婦だったらここではどんな反応をするかしら?」
普通は、やすい報酬で演技する役者はマジメに役づくりなどしない。
気がぬけていたり、逆に変に目立とうとしたり。
本作はコッポラ全盛期ほどの張りはないにせよ、
近ごろの映画ではめったにみれないような熱気が感じられる。
そして、ヒロインのアレクサンドラ・マリア・ララのうつくしさに圧倒された。
今風に小顔で痩身なのもよいのだが、笑顔に愛嬌があり、
機敏にうごくおおきな瞳にひきつけられてしまう。
かすれ気味の声、顔の左がわの黒子も素敵だ。
輪廻転生だかなんだかしらないが、
いろんな時代の人間の生まれかわりという超難解な役を上手に演じている。


この作品はあれだね、黒澤明の『生きものの記録』がやりたかったんだね。
年老いた工場経営者が、核戦争への恐怖をつのらせるあまり、
全財産を投じて家族総員でのブラジル移住を計画するという異常な物語。
一九五五年の作品だ。
第二次大戦~冷戦と狂気の度合いをましてゆく一方の世界と並行して、
老人の生への執着心が常軌を逸してゆく筋書きはおなじ。
どちらも主人公のゆがんだ欲望と時代の暴力が、
見事にフィルムに焼きつけられている。
たしかに生命にしがみつこうとする老人の姿は不気味だ。
でも町とおなじで、キレイキレイだけでは藝術作品は成立しない。
なんにせよ、勝手気ままに映画をつくろうとすればするほど、
古典への傾倒があらわになってしまうのが
いかにもコッポラ調で、たまらない魅力がある。


なんですか、連想が強引すぎるとおっしゃるのですか?

この作品は「これからはゴダールをやる」という、コッポラの宣言である。
蓮實重彦

『コッポラの胡蝶の夢』公式サイト

でも、おもわず吹きださずにはいられないような、
いまだにゴダールへの夢をすてられない
元東大総長の老人のコジツケよりは何倍かマシですよ。
うつくしい映画はなんでもゴダールの影響かよ。
はっきりいいますが、コッポラが復活したのは単にワインが売れたからです。
wikipediaでの本作のページもハスミ信者の手によって歪曲されているようだ。

かつて自分はジャン=リュック・ゴダールになれたのに
ならなかったのだ、と発言したコッポラ。
息を呑むほど美しい画面と暴力的なまでの物語の
分断と再構築は二人の映画作家の共通点といえ、
コッポラにおいてその特徴が顕著に現れた作品が本作である。


いや、そんなこと全然ありませんから。
ゴダールの「分断と再構築」ってただのデタラメだし。
パパ・コッポラの古典趣味にもとづく編集の妙と一緒にしないでください。
ていうかこのページには、ゴダールのゴの字も書く必然性がありません。
時代おくれの狂信者どもの馴れ合いと我田引水は、
渋谷にたむろするギャルが裸足でにげだすほどの横暴さだ。
でも人間の肉体と同様に、ゴダール崇拝も
永遠の生を獲得することなどできないのです。


よい映画をみれたため、オレはすこし軽い気分で道玄坂をくだる。
うすっぺらい欲望が貼りつけられた町なみも、
コマネズミみたいな人の群れも受けいれられる気がする。
ビールののみすぎで頭は痛いままだけれども、
コッポラのワインに感謝しなくてはならないかな。
ラブホテルにつれてゆく同行者がいなかったことが唯一の心のこり。
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