よつばと大和撫子 ― あずまきよひこ『よつばと!』

よつばと!
作者:あずまきよひこ
掲載誌:月刊コミック電撃大王(2002年3月〜)
むかし犬をかっていたとき、毎日の散歩が結構苦痛だった。
でもいまでは、いつもおなじ道筋をまわっていただけなのに、
しあわせそうにしっぽをふって歩く飼い犬のうしろ姿がなつかしい。
凡庸な感覚しかもちあわせない人間には想像もつかないが、
犬にとって町は無限の情報がつまっている宝の山。
そして本作の主人公、小岩井よつばをみるといつも犬を連想する。
その敏捷なうごき、人なつっこさ、
しっぽのように感情をしめす後ろ髪はもちろん、
自分にとってあたらしい物事にすぐに夢中になる、
貪欲な好奇心こそがよつばの個性。
あと、レストランのメニューをみながらよだれをたらすような、
食い意地のはっているところもおかしい。
動物園や牧場にゆくと野生がよびさまされ、突然ヤギやヒツジをぶんなぐる。
そういう意味で、よつばはマンガ史上最強のヒロインかも。
かの女はちょっと人なみはずれている。
四コマで名をうったあずまきよひこは本作ではじめて長編にいどんだが、
話のながれのなかで空間をきりとるみごとな力量を証明した。
取材に相当な時間をかけ、大量の写真をもとに作画をしているようだ。
人物の表情やしぐさもフォトリアリズムの意識でとらえているから、
ギャグのコマの効果が一層たかまっている。
この緻密な画力に匹敵する作品は、
ジャンルはちがうが真刈信二と赤名修による『勇午』くらいのものだろう。
繊細な感情表現に目をむければ、『よつばと!』のほうが上だ。
おもしろいのは身長107cmのよつばをファインダーからのぞくと、
風景は自然にかの女の視線と一致すること。
ありふれた地方都市が、
子どもの目線でいききとかがやきだすのが本作の最大の魅力。
上の画像は知りあったばかりのよつばと恵那が、
トラックの荷台にすわってセミとりにでかける場面。
「なんだか違う町みたいに見える」とつぶやく恵那が印象的な、
作品中の白眉といえるほどうつくしい一コマだ。
ところで、ウチの近所の新宿区立中央図書館ににているのは気のせい?
男手ひとりでそだてられているよつばは、
三人姉妹がいる隣りの綾瀬家に毎日のようにいりびたっているので、
本作は変則的な四姉妹物ということになる。
『若草物語』とか『細雪』とか。
姿も心もうつくしい娘たちの日常は平凡だけどはなやかで、
丁寧につづられる感情の交流をおってゆくのがたのしい。
四兄弟物語ではこうはいきません。
小学四年生でもっとも年齢がちかい恵那が
よつばの相手をつとめることが多いのだが、
まったくこの娘はかしこくて健気で可憐ですばらしい。
たくましいよつばの行動は周囲の年長者を翻弄するけれど、
恵那は大抵の場合やさしい笑顔でそれをうけとめる。
かの女は自然科学に関心があるらしく、巨大なカエルにも動じず、
つったばかりのニジマスを平気でさばき、天体観測にだれよりも没頭する。
そんな好奇心のつよさがよつばと共鳴するのだろうか。
しかし、むこうは史上最強のヒロイン。
簡単にはりあえる相手ではない。
たとえば、
よつばがレンタルビデオ屋の「いろんないきもの」コーナーでうたう鼻歌は、
「ぼーくらはみんなー いーきていーるー
いきーているから つらいんだー」という毒々しいもの。
悪意がないゆえの破壊力がおそろしい。
緑色の髪をもつ人種不明の五歳児は、
第三話ではやくもその超人哲学を表明する。
恵那から地球温暖化問題と節電の重要性をおそわったよつばは、
帰宅してすぐ、だいすきなとーちゃんにむかって
「みそこなった!!」と泣きながらさけぶ。
とーちゃんが地球の敵だったなんて!
いま一世を風靡する環境思想の偽善性をコケにしていて爆笑ものだが、
しかしこれでは教授した恵那の立場がない。
異世界からの使節の受け入れ担当者、それが綾瀬恵那の役目だ。
全人類の平和と道徳と科学が破壊されるのか、
それともこのキュートなエイリアンを大和撫子にしたてることができるのか。
すべては恵那のちいさな肩にかかっている。
よつばの苗字である「小岩井」は、有名な牧場をおもいおこさせる。
最初はよつばの動物性を象徴しているとおもっていたが、
じきに人間の家畜性をあざわらう命名なのかとうたがうようになった。
『よつばと!』はかわいいキャラ満載の心あたたまる物語だけれど、
世界のおわりを予感させる毒気にみちた問題作でもある。
![]() | よつばと! (1) (2003/08/27) あずま きよひこ 商品詳細を見る |
野良犬心中 ― 関谷あさみ "YOUR DOG"

YOUR DOG
(関谷あさみ 著/2008年/茜新社)
私は中学二年生です
成績はあまりいい方ではないです
外に出ると 体が強張る気がする
小学生のときは中学生になれば何かが変わると思っていたけど
私は どこも何も変わらなかったので
一生このままなんだと思う
学校は好きじゃない
という、主人公の歩のモノローグからはじまる全一巻の物語
ものうい顔色が時代の空気をかんじさせる
関谷あさみはとてもじょうずな作家で、空白をいかした構図が目をひくいっぽうで、細部もていねいにかきこんでいる
とくに少女たちのまとう衣服はどれも女の子らしくかわいらしい
上にのせた画像は自宅で部屋着をきた歩
ごろごろとくつろぎやすそうな服だが、見えづらいとおもうがパンツの裾のデザインも凝っていて、このまま繁華街をあるけそうでもある
ただ、これだけおしゃれな女の子なら他人とのつきあいも器用にこなせそうで、内向的な歩の性格設定に矛盾をかんじなくもない
そういう性分の娘が現実にいないとはいわないが、本作はどこかおとぎ話のようなところがある
筋だてもある意味で現実感がとぼしい
学校を早退した歩は公園で、ひとりでアダルトビデオを制作しているマキムラにスカウトされる
このときまで歩は処女で、ふたりっきりの撮影がおわったあと、たまごの殻をやぶったばかりのアヒルのようにマキムラのことをすきになってしまう
題名の"YOUR DOG"のとおり、歩はさびしげな子犬のイメージ
都会にすむ犬たちはなんら生産的ではなく、人間からえさをめぐんでもらうだけの存在だが、だからといって卑屈なところはなく、頭をなでられれば反射的にしっぽをふってよろこぶ
家族や学校に適応できない歩はよわよわしい一ぴきの子犬にすぎないけれど、じぶんに「やさしくしてくれた」マキムラを特別な存在と錯覚してしまう
マキムラにとって歩は「AVの出演者」であり、その性行為もただたんに仕事の一部だ
行為の最中に性的に興奮したかもしれないが、それは特別な「やさしさ」とはいえない
でも人生ってそんなもののような気がする
恋愛とか個人的な感情生活は、経済力や社会的地位につよく影響される
純粋な恋なんてどこにあるだろう
歩の思いこみが見当ちがいとはいえないし、ぎゃくにたしかなリアリティもかんじられる
少女たちをもてあそんできたマキムラも、こころに暗いものをかかえている
同棲相手ににげられたことがきっかけで会社をやめ、違法ポルノに手をそめる
中学生が出演するビデオはとうぜん公開できないので、金もち相手の秘密の商売だ
金ははいるだろうが、まあ社会の最底辺をうろつく野良犬といえる
作者は女性とおもうが、みずからの心情が投影されているのはたしかだ
べつに成年むけ漫画を蔑視するつもりもないが、一生エロマンガ家をつづけたいとねがう作家がいないのも事実だろう
この業界も競争はきびしく、かれらは性器や性交の描写を切磋琢磨しながらみがきあげる
でもどれだけ工夫してえがこうが、他人のセックスなんてみていておもしろいものではない
ようするに生殖器どうしの摩擦運動と、それのわずかなバリエーション
それだけ
もちろん漫画家じゃなくたって、だれでもじぶんの職業に嫌気がさして砂をかむようなおもいをすることはあるだろう
そうじゃなかったらおとなとはいえない
そんなふたり、なんら社会的な存在価値のない犬どうしが最悪のかたちでであったところで恋がはじまるのがおもしろい
こづかい銭の代償に少女たちをえさにしてきたマキムラは、歩からおもわぬ好意をよせられてとまどい、それにこたえようと自腹でDVDを回収する
経済的打算をこえた恋愛感情のたかまりという、むかしの心中物の現代的解釈のようにもおもえる
いたいたしい現実をえがき、これといった希望もしめされないが、それらをすべてうけいれようとする視線がやさしくてこころがうごかされる
ところで関谷あさみのちょっとことばたらずな作風は興味ぶかい
マキムラの家をちょくちょくおとずれるこの人物

いったいマキムラとはどんな関係なんだろうと読者はいぶかることになる
じつは男なのだが、物語のなかでは明示されず、最後から2枚目のページのちいさな自筆のかきこみでこっそりあかされる
いじわるだなあ
某ブログのひとがみごとにだまされていておかしかった
よみかえしてみると登場シーンのそこかしこでにおわせていて、わかるひとだけわかればいいじゃないという作者のいたずらごころがかんじられる
![]() | YOUR DOG (TENMAコミックスRiN) (2008/05/23) 関谷 あさみ 商品詳細を見る |
マンガ王子の深層心理 ― 石黒正数「ネムルバカ」

ネムルバカ
(石黒正数 著/2008年/徳間書店)
「それでも町は廻っている」の石黒正数による、大学生のゆるい日常をえがいた全一巻の中編
一巻できっちりまとまった漫画はすきだな
二、三ヵ月に一回というペースの連載をまとめたもので、月一連載の「それ町」とくらべても過剰なかきこみはひかえめで、手のあいたときににさらっとかいたという印象だ
推理ものがベースで毎回読みきりの「それ町」とちがい、「ネムルバカ」は物語にはっきりしたながれがあるが、こういうスタイルでもそつなくかけていている
主人公が大学生ということで人間模様はやや成熟し、ある意味で社会学的なモチーフをあつかう
若者らしい夢と、それに立ちふさがるぬるま湯的な日常の壁
われわれはそんな退屈な毎日をうけいれなくてはならないんだろうか?
ながい黒髪をもち天然ボケな大学生の入巣柚美が主人公
よっぱらってゲロをはく場面が二回もあるおそるべきヒロインだ
女子寮のルームメイトである先輩・鯨井ルカとのかけあい漫才が物語の軸になる
ルカはプロをめざしてバンド活動にうちこむ金髪のロック少女で、口をついてでることばはどれも辛辣
でも意外と後輩おもいのところもあって、入巣のゲロの始末をしたりもする
「それ町」の紺先輩に似すぎなことに目をつぶれば、これほどクールで男前なキャラはそういない
馴れあいの人間関係をきらって「駄サイクル」となづけ、そこから脱出しろとまわりを扇動する
なんかなつかしいテーマだな
若者特有の鬱屈した感情をリアルにえがいた、いまどきめずらしいまっとうな青春マンガなのだ
入巣に気があるバイト先のナルシスト男とかおかしいんだけど、読んでいるとなんとなく身につまされたりして
なんだコイツきもちわるいな…
でも人からみればおれも同類かもしれないし…
そんなちくちくささる青春の棘がたくさんしかけられた作品だ
いまどきの若者でオジサンやオバサンにすかれる世渡り上手は、「ナントカ王子」とかよばれてすべての栄誉を独占する
それ以外はオタクとなりフィクションの世界に没頭し、精巧につくられた架空の少女におぼれて精力をつかいはたす
そして女の子たちはケータイ小説みたいなゴミに小銭をまきちらしながら、一日ずつ年老いてゆく
半年できえるお笑い芸人どものネタは流行語大賞として必須の教養となり、いっぽうで「反抗心」のような言葉が完全に死語となった
窓ガラスをわるとかうたう尾崎豊は人なつっこいタイプの歌手だったが、いまの時代にデビューしたらテロリストとして逮捕されるだろう
しかし石黒正数の作品はそんな日常と同化することはない
お前らみんなイミわかんねぇっつってんだ
なんの目的もなくただ毎日いきてんのかよ!?
ルカのパンクなセリフが胸をうつ
物語の最後で、ルカはメジャーな世界へと旅だってゆく
レコード会社にスカウトされたりなんなりの段どりは必要以上にうそっぽくえがかれていて、とってつけたような結末をむかえる
もったいないな
メジャーデビュー後のルカの苦労にちょっとふれるだけでも説得力がでたのに
音楽業界の実情に興味がなく、それをしらべるのもめんどうくさかったのだろう
そもそも石黒は日本一の器用貧乏漫画家だ
就職がいやだから漫画をかいてみたらプロになり、編集者の意向をうけてメイド喫茶の漫画をかいたらヒットしたという適当ぶり
大阪芸大卒であり、「文化庁メディア芸術祭」なるインチキくさいものに顔をだしていたりもして、どちらかといえば優等生タイプといえる
「青春マンガ」という題材もどれだけ自分の真情からでてきたのかあやしいものだ
でもそんなマンガ王子のこころの奥底には、ルカや紺双葉のようなパンク魂がねむっているのも事実で、かの女たちは作品のところどころで顔をだし、けだるそうな瞳で毒をはく
そういうふしぎなリズムがここちよい
関連項目:器用貧乏な大田区民 ― 石黒正数「それでも町は廻っている」
![]() | ネムルバカ (リュウコミックス) (2008/03/19) 石黒 正数 商品詳細を見る |
観葉植物のまわりで ― オノ・ナツメ「リストランテ・パラディーゾ」

リストランテ・パラディーゾ
オノ・ナツメ
(2006年/大田出版)
ところはイタリア
カタカナの人名ばかりでてきてとまどってしまう
ヒロインは、家族の事情をかかえて上京した21歳のニコレッタ
上京ってのは東京じゃなくてローマにでることですよ
いうまでもなく
母・オルガのあたらしい旦那が所有するリストランテが物語の舞台
味もサービスもよいが、オルガの趣味でスタッフ全員に老眼鏡を着用させるという奇怪な店だ
「眼鏡」じゃなくて「老眼鏡」というのが作者のこだわりらしい
凹レンズと凸レンズでどれほどのちがいがあるのかおれにはよくわからない
母娘の確執というのも、母親が再婚するさいに「子持ちの相手はいやだ」という相手の趣味にあわせてニコレッタの存在をかくしたのが原因
う〜ん、けっこうくるしい設定じゃないですかね
オルガは評判の弁護士でありながら、恋にいきる女でもあるちょっとしたスーパーウーマン
かっこよくて女らしくてチャーミングなキャラクターだ
それはよいのだけれど、上流階級の人間が結婚暦もこどもがいることもかくして、べつのあたらしい家庭をつくりあげるなんて現実ばなれしているとおもう
しかしオノ・ナツメの絵のもつ表現力はすばらしい
全編イタリアのはなしだが、違和感なく現代日本漫画のスタイルにとけこんでいる
まあ日本人がイタリア料理をつくるようなもので、べつにおかしなことではないかもしれない
目や顔の輪郭の描きかたに特徴があり、手足もひょろひょろとながく爬虫類的な印象
おこると口もとが「へ」の字やひくい二等辺三角形になり、わらうとおおきな三日月になる
いまふうのよくある絵柄かもしれないが、こまかな表情のうごきをながめるのがたのしい
コマごとの構図もきまっていて、どうみても並大抵の実力ではない
そして、ニコレッタはリストランテのカメリエーレ長であるクラウディオに恋をする
やさしげな物腰の50歳くらいの男だが、わかい娘から好意をよせられて当惑するさまがほほえましい
すったもんだがありつつも、かの女も店ではたらくことに
リストランテをめぐる群像のそれぞれの挿話がからまりながら、全6話の物語が収束してゆく
とくに最後のパーティの場面
オルガが娘をみつめるときの、泣き顔でもなく笑顔でもない複雑な表情にこころがうごかされる
それにしてもこのリストランテ
おいしい料理とすてきな紳士をそろえて、女性客にとっては食欲も色欲もみたせる夢のような店だ
ニコレッタが熱をあげるクラウディオはイタリア男だが、「チョイワル」どころかニコレッタがおしたおしてもなびくそぶりをみせない堅物
攻撃的で目あてのえものをうばいとる生きものではなく、ただそこにたたずんで日光と水と空気をすいこむだけの存在のようだ
老眼鏡からとおい眼をして女性にせっするたたずまいに、ますますはまっていくニコレッタ
凸レンズをとおしたような屈折した恋愛感情が物語に陰影をなげかける
でもわかい女性はだまされちゃだめだよ
いくつだろうとそんな植物みたいな男はいないよ
いたとしてもそれはカモフラージュで、内面はもっとあれやこれやがうずまいている
ま、それもふくめてすきなんだったらなにもいわないけどさ
おなじ作者の「Not Simple」もよんでみたが、こちらは題名どおりの少々ひねりすぎなプロットの作品だった
おれが「パラディーゾ」を気にいったのは、母と娘の関係に焦点をあてたシンプルな筋書きだから
まっすぐな瞳とおおきな口でにこにこわらうニコレッタにひかれる
クラウディオにひかれつつも不倫がいやで距離をおいていたのが、結婚指輪が擬態であることをしるや、その足でかれをむりやり部屋につれこんで
母親の邪魔がはいって未遂におわるが(残念)
母オルガもすきだなあ
親の立場からしたら同世代の人にしときなさいって云うべき所だけど
同じ女として恋愛に歳は関係ないって云いたいわ
日本女性ならフィクションでもなかなか口にだせそうにないかっこいいセリフ
娘ってのは周回おくれのランナーで、仕事のスキルも恋の経験も母親にはとうていかなわない
それでもじゃじゃ馬むすめは全速力でかけぬけてゆく
![]() | リストランテ・パラディーゾ (2006/05/18) オノ ナツメ 商品詳細を見る |
器用貧乏な大田区民 ― 石黒正数「それでも町は廻っている」

それでも町は廻っている
石黒正数
(少年画報社/YKコミックス)
本作の舞台は大田区下丸子といわれている
東京都の最南端にある特別区で、多摩川をはさんで川崎市に隣接する町だが、このあたりも「下町」とよばれるらしい
自分の無知をさらすようで気がひけるが、下町とは東京の東、神田界隈をさすのだとおもっていた
東京に何年もすんでいるのに、この城下町についてはしらないことばかりだ
とあるアメリカの映画監督の娘が、しったかぶりして「ロスト・イン・トランスレーション」という作品で東京をえがいたが、わがみやこの表面をなめることすらできておらず悲惨だった
でもそれをわらえないな、とおもったりもする
そして石黒正数は独自の手法でこの町をえがくことに挑戦する
それは「東京物語」の最新バージョンであり、「ユリシーズ」の舞台をかえた変奏曲でもある
「それ町」は、商店街の喫茶店でウェイトレスのアルバイトをする女子高校生・歩鳥の日常をえがく
普通の喫茶店なのに無理にメイドの格好をしている違和感をたのしむ作品だ
必要以上につめこまれた情報量のおおさが、居心地をさらにわるくする
たとえば1巻32ページでは中段の一コマのなかに、
[メイド長]紅茶なぁ…面倒くさいんだよ アタシが好きじゃないし(ネタフリ)
[歩鳥]リトルグレイとかなんとかっていうんでしょ? わかんないよ(ボケ)
[タッツン]そりゃ宇宙人よッ(ツッコミ1)
[森秋]アールグレイのことか…(ツッコミ2)
…と古典的なボケとツッコミがつめこまれる
よんでいてつかれることもなくはない
そして伏線が話のなかに蔦のようにはりめぐらされる
まえの回ですみの方にかかれていた人物が、つぎの回の中心になったりする
歩鳥が買ったおみやげがとくに説明もなく双葉の家におかれていて、それが凶器につかわれる
「下半身が安定する」とだまされてドラムの練習をさせられた針原が、いつのまに卓球でフットワークが向上していたり
おそるべき罠がどこにしかけてあるのかわからないので、読者はつねに前後のつながりを意識しながらよまねばならない
「それ町」は、東京のローカルな町を迷宮化する作品だ
8話では、矢印をたどらせて客をよびこんだりもする
古道具屋で買われた仮面がまた店にもどってきたりとか
町民全員が顔見しりである下町人情と、「メイド」のようなアキバ文化が共存
歩鳥は町内をメイド服でうろうろするが、だれもあやしむものはいない
だれもみたことのないような不思議な空間がそこにある
作者は推理小説マニアらしく、物語も舞台もある種のミステリーとしてえがかれる
そして主人公の歩鳥は、「探偵」としてその謎をひとつひとつときあかしていく
歩鳥は名探偵らしく、強烈に反時代的な個性をもつ
友人に自宅の固定電話から連絡したり(いちおう携帯電話はもっている)
ズボンは「Gパン」を一着しかもっていなかったり
死後の世界に旅だつ14話は泣かせるが、天国でもさっそくまわりに適応してしまうのがおそろしい
大丈夫!! 江戸のメイドは伊達のエプロン着てないよ!!
…なんて見栄をきる、近年まれにみる吸引力をもった主人公だ
わき役がみょうに魅力的なのも本作の特徴
メイドカフェ漫画としてうりだした作品だが、制服より私服のほうがだんぜんよくかけている
「それ町」の世界では、制服すら私服の一種として存在するのだ
わき役筆頭としては、なんといっても歩鳥の先輩・紺双葉をあげざるをえない
11話で「美少年」として初登場する金髪で中性的なロック少女
カーゴパンツや皮パンツがよくにあい、あかぬけたよそおいをみてるだけでもたのしい
性格もそうとうパンクで、「アホ鳥」「双バカ」とよびあいながらツッコミ役として大活躍する
しかし双葉はメイド喫茶とも下町情緒とも無縁のキャラクターであり、かの女がうごきまわるほど作品のバランスはくずれぎみだ
ほんらい作者がえがきたいのはこういうキャラなのだろう
もともと連載開始まえに編集者が提示した設定とは、「コスプレ喫茶を舞台にして、各エピソードごとにちがうコスプレをさせる」というもの
この頭痛がするような条件にたいする部分的譲歩の産物が「それ町」というわけだ
俗うけをねらう編集者の趣味がよいとはとてもおもえないが、結果的には成功してしまった
馬鹿な編集者になやまされている漫画家のみなさん、あきらめちゃいけませんよ
うしなわれたバランスをとりもどすべく奮闘するのがタッツンこと、辰野トシ子

歩鳥の同級生だが文武両道の優等生で、容姿端麗
アキバ文化にも理解があるメイドらしいメイドだ
服の趣味もよいが、双葉とちがってフェミニンなセンスがひかる
そしてなによりも肢体のうつくしさに目をうばわれる
胸がないのがなやみである歩鳥たちとの対比で、そのなやましい姿態はさらにきわだつのだ
そんなタッツンも苦悩をかかえている[第32話]
それは「器用貧乏」であること
なにごとも上達ははやいがある程度でとまってしまい、天才と努力家においぬかれる
特出できない運命なんだよ…笑うがいいよ
それは作者・石黒正数のなげきにもきこえる
ぬきんでた画力、知的な作風、抱腹もののセリフまわし、風変わりなセンス…同業者がうらやむような才能をもちながら、どこか迫力不足
タッツンの体つきはおもわず指でなぞりたくなるほど色っぽくかけているが、例の情報量のおおすぎる絵柄のせいでコマは雑然とし、描線のうつくしさはそれほどいきてこない
迷宮のなかにいる作家にたいし、担当編集者は今度はどんな難題をふっかけるのだろうか
![]() | それでも町は廻っている 1 (1) (ヤングキングコミックス) (2006/01/27) 石黒 正数 商品詳細を見る |









