『ダンジョンシスター』 第4章「雌伏」


全篇を読む(準備中)






 三鷹での騒動から三日後。

 水曜の午前七時。

 ヒロは千葉県千葉市にある自宅で朝食をとる。四人家族だが、妹は囚われの身で、父は早朝に出かけた。いまは母とふたりだ。

 マーマレードをぬった食パンを頬ばりながら、ヒロは台所にたつ母に目をやる。ナノのことを気に病んでるはずだが、普段とさほど変わりなく見える。

 テレビで流れるNHKのニュース番組に、見知った顔が映る。スーツをきた父が、生放送中のスタジオでキャスターと話している。日本政府は探索者任せにするのではなく、みづから警察や自衛隊をうごかしてナノを救出してほしいと訴える。

 父はしばらく会社を休み、役所やマスコミなどを回って、ナノを救おうと奮闘している。

 食器を洗う手をとめた母が、テーブルのそばに立つ。エプロンで両手を拭く。じっとテレビ画面をみつめる。ニュースは別の話題にうつった。

 母がヒロに尋ねる。

「パンのおかわりは?」

「いらない」

 テレビでドラマがはじまる。猿神が主人公の男女を演じている。着飾った猿同士が、朝からキスシーンを熱演する。見様によっては滑稽な文化だが、五年もつづくとありふれた光景となった。

 ヒロはテレビを消す。台所へもどった母に言う。

「俺もお父さんを手伝うよ」

「あなたは学校に行きなさい」

「輿論はそう簡単にうごかせない。そもそもNHKの会長が猿神なんだ」

「知った風なことを言わないで」

「お母さんも一緒に行こう。家族全員で訴えた方が効果がある」

「そうゆうのはお父さんに任せてるの」

「じゃあちょっとお金くれない? 俺に考えがあるんだ」

「はやく学校の支度をしなさい」

「ナノが心配じゃないのかよ」

 ガシャン!

 皿の割れる音が響いた。

「心配に決まってるでしょう! この三日間、私は一睡もできないのよ!」

「…………」

「あなたを見張るために、私は家にのこったの。お父さんとの約束よ」

「ごめん」

「お願いだから、余計なことはしないで」

 やつれて土気色になった顔で、母はヒロを睨む。ジャバウォックより恐ろしい形相だった。




 ヒロは詰め襟の学生服を着て、市内にある県立高校へ電車で登校した。昼休みの2‐Hの教室で、三名の女子生徒がヒロの机をかこむ。

 長髪の女生徒が言う。

「テレビみたよ。妹さん、大変だね」

「そうだね」ヒロが答える。「心配してくれてありがとう」

「私たちに出来ることがあれば何でも言って」

「わかった」

 女生徒たちは自分の席にもどり、昨日買ったコスメの話をはじめる。

 ヒロはため息をつく。やさしい言葉をかけてもらい、感謝してるのは本当だ。ただ、なにも解決に寄与しないとゆうだけ。パンのおかわりが必要かどうか、母が聞いてきたのと同じ。彼女らは非日常に引きずられないよう、日常を繋ぎとめたいのだ。

 ヒロは、父のお下がりのスマートフォンを鞄から出す。SIMカードが入ってないので、モバイル回線を使用できない。自作のゲームをテストプレイするための端末だ。ヒロは右手でスマホを操作しながら、左手でカロリーメイトとウィダーインゼリーを食べる。休み時間の効率的な活用法だ。

 制作中の『ダンジョンシスター2』を起動する。ナノが描いたイラストが表示される。剣と弓矢をかまえる若い男女の絵だ。3Dグラフィックで描画されるダンジョンに潜り、戦闘をくりかえす。

 前作は、ゲームデザインが不親切と批判されがちだった。いまどきオートマッピング機能を搭載しないなんておかしいとか。

 ヒロに言わせれば、オートマッピングなど論外だった。できれば方眼紙にマップを手書きして遊んでほしい。

 ゲーム好きの父が、ファミコンやスーパーファミコンのソフトを大量に所有しており、その影響でヒロはレトロゲーに夢中の変わった子供になった。特に好きなのは『ウィザードリィ』と『ダンジョンマスター』だ。

 ナノのイラストをみていると胸が締めつけられる。ヒロはスマホを切る。気分を変えようと席を立ち、学食へむかう。




 学食は混み合っており、ヒロは行列にならぶ。券売機でかき揚げうどんを購入し、トレイに乗せてテーブルへはこぶ。黒人の外国語指導助手であるテリーザが、ひとりでうどんを食べている。白のブラウスを着てるので、胸元のタトゥーはみえない。

 むかいの席に座り、ヒロが言う。

「テリー先生。御無事だったんですね」

「ヒロ! 妹さんの話は聞いたよ」

「先生が探索者なのをすっかり忘れてました。もっとはやく相談すればよかった」

「ジャバウォックの巣に潜ってほしいのかい? そりゃ、あたいも考えたさ」

「吹上にあるサナトリウムにいるそうです」

「申しわけないけど、ドラゴンは相手が悪いよ」

「だれか紹介してくれませんか」

 テリーザはしかめ面をし、大袈裟に両手をあげる。

「ドラゴンに挑戦できるのは、最強クラスと認められたパーティだけだ。あたいはまだ新米だから、とてもとても」

「複数のパーティがサナトリウムを攻略中と聞きました」

「モスクワで白龍を斃した『ルクス』ってやつが、東京に来てるらしいね。仲間がジャバウォックに攫われたんだって」

「お知り合いですか」

「いや。探索者はライバル同士でもあるから、あんまり交流はないんだ」

 ヒロはテリーザの手許に目をやる。どんぶりの中身は素うどんだ。値段は百円。

「ところで先生。僕のかき揚げ食べます? 教室でも食べてきたから、お腹いっぱいで」

「マジか! ありがとう!」

「素うどんじゃ足りないでしょう」

「しょうがないだろ。こないだの作戦が失敗して、大赤字だったんだ」

「僕、ここの回数券もってますよ」

 テリーザのアーモンド型の瞳が輝く。

 口の端をあげて、テリーザが言う。

「あたいと交渉しようってのか。意外とやるねえ」

「いえいえ。僕はいつも教室で食べるので」

「何円分あるんだい」

「五千円です。カツカレー十食分ですね」

 テリーザが唾を飲みこむ。

「交換条件は?」

「反物質剣を手に入れたいんです。それをもって僕自身がダンジョンに挑みます」




 ヒロは午後の授業を早退し、テリーザと一緒に秋葉原へやってきた。駅に隣接した高層ビル、秋葉原UDXの十階が目的地だ。ちなみにUDXは二年前、中国企業のシア・エレクトロニクスに買収された。

 十階はフロア全体が、シア・エレクトロニクス日本支社のオフィスとなっている。受付にいるのは、グレーのスーツをきた三十歳くらいの男だ。背が高く、胸板が厚い。学生服の男子と黒人の女とゆう珍しいペアを、用心深くながめる。

 日本人らしきアクセントで、男が言う。

「御用をうけたまわります」

 ヒロが答える。「反物質剣を買いにきました」

「アポイントメントはおありですか」

「ありません」

「御足労いただいたのに恐縮ですが、こちらはオフィスでして、一般のお客さま専用の窓口が別にございます。パンフレットをさしあげますね」

「パンフレットに書かれてる程度の情報はしらべました。担当部署に取り次いでください」

 男はヒロの隣のテリーザに目をやる。テリーザはとぼけた表情で、斜め上に視線をそらす。

 ふふん。男はかすかに鼻を鳴らす。こうゆう厄介な訪問者を捌くため、自分は雇われている。給料分の働きをせねば。

「お客さま。反物質剣はヴォイド物理学にもとづいて作動するテクノロジーでして、個人で所有できるものではございません。たとえるなら……」

「原子力空母なみの維持費がかかる。ウィキペデイアに書いてますね」

「御存じなら、なぜ」

 ヒロはスマートフォンのメールアプリを起動し、男の方にむけてデスクに置く。先週届いたメールを開いてある。男は視力が悪いのか、目を細めてそれを読む。

「差出人は弊社のゲーム事業部ですか」

「僕が開発したアプリを買い取りたいとの申し出がありました。そのときは断ったんですが」

「ええ」

「権利を無償で譲渡します。悪くない条件だとおもいますよ。一応八十万ダウンロードですから」

「しょ、少々お待ちください」




 おどろいたことに、ヒロとテリーザは社長室へ通される。黒塗りのデスクの背後は大きな窓で、電気街を一望できる。MITと記された赤い三角旗が壁に飾られている。社長の出身校だろうか。

 社長のシア・クーロンが、最初にテリーザ、つぎにヒロとゆう順で握手する。おだやかな笑顔で愛想がいい。ヒロたちにソファに座るよう勧め、自分も腰をおろす。

 シア・クーロンは、中国を代表するオルガリヒの御曹司だ。弱冠二十三歳で支社長をつとめる。痩身で、長い髪が背中にかかる。物腰は洗練されている。珍妙な比喩かもしれないが、ナノが好きな乙女ゲーに出てくるキャラクターみたいな風貌だ。

 長い脚を組み、クーロンが言う。

「おふたりをお迎えできて嬉しく思います」

「ありがとうございます」ヒロが答える。「突然の訪問だったのに」

「あたらしい友人にめぐりあう以上の喜びはありません。きょうは資源エネルギー庁に呼ばれてたんですが、キャンセルしましたよ」

 クーロンの口調は柔和だが、ヒロは圧力を感じる。社会的地位が隔絶しているから。

「おふたりは」クーロンが続ける。「千葉にお住まいだそうですね」

「はい」

「成田空港がある県ですよね。あとディズニーランド」

「そうですね」

「私は日本に来たばかりで、周辺地理にくわしくなくて。千葉はいいところですか」

「どうだろう。なにもない気がします」

「やはり東京が便利なのかな」

 なごやかな会話を交わしながら、ヒロはクーロンの表情をうかがう。大企業の経営者が、好きこのんで男子高校生との世間話に時間を割くはずない。クーロンはこちらを値踏みしている。

 クーロンが続ける。「高校生活は楽しいですか」

「勉強より部活の方が充実してます。パソコン部でゲームをつくってます」

「ああ。アプリの権利を無償で譲渡してくださると言う話でしたね」

「はい」

「若いあなたが情熱を注いだ作品を、タダでもらうのは気がすすみません」

「あくまで交換です」

「なるほど。でも交換と言うなら、釣り合いが取れてないと」

「たとえば反物質剣を一日だけレンタルとか」

 クーロンが乾いた笑い声をあげる。

「反物質剣は、世界の軍事バランスを破るほどの兵器なんですよ。二〇一四年のウクライナ内戦を知ってますか」

「あまりくわしくは」

「ヴォイドテクノロジーが軍事衝突に投入された、唯一の例です。いま日本にいるルクスとゆう剣士が、たったひとりでクリミア半島を制圧しました」

「『クリミアの英雄』」

「そうです。翌年のサラエボ条約で、人間に対する使用は禁止されましたけどね。つまり、それくらい危険なものなんです」

 クーロンは手を裏返し、両腕をのばす。会話に飽きはじめている。

「わかりました」ヒロが言う。「一介の高校生が手を出すべき代物ではなさそうですね」

「おっしゃるとおりです」

「ではうかがいますが、なぜシア社長は……」

「クーロンと呼んでください。私もヒロと呼んでいいですか」

「はい。なぜそれほど危険なドラゴン征伐に、クーロンさんは参加したのですか」

 クーロンは肩をすくめる。ヒロの意外な指摘に身構えた様にもみえる。

「唐突な質問ですね」

「ネットでみました。モスクワで白龍を退治したパーティにクーロンさんがいたと」

「そんな情報は出回ってないはずですが」

「『5ちゃんねる』の書き込みです」

「そのサイトは知ってます。失礼だが、日本人はデマに影響されやすいと言われる。弊社も対策をしています。あれはいかがわしいサイトでしょう」

「矛盾する情報を突き合わせると、対象を立体的に理解できます。たとえば僕はゲームを買うとき、高評価と低評価の両方のレビューを参考にします」

「私を立体的に理解できたんですか」

「なにひとつ不自由のない身分だからこそ、あえて危ない橋を渡りたがる御曹司」

「はははっ。おもしろい!」

 クーロンは手をたたき、のけぞって笑う。

 テリーザにむかい、クーロンが尋ねる。

「どうですか先生。ヒロは学校でとても優秀なんじゃないですか」

 テリーザが答える。「居眠りさえしなければ、いい生徒だね」

 クーロンはソファから立ち上がる。壁のテンキーパッドに暗証番号をうちこみ、クローゼットを開ける。中にあるテーブルを引き出す。

 テーブルの上に、ヨーロッパの田園風景を模したジオラマがつくられている。山間を縫って敷かれた線路に、蒸気機関車の模型が置かれる。感心したテリーザが口笛をふく。

 誇らしげな表情でクーロンが言う。

「これは秘密ですよ。社長室にジオラマがあることは、秘書ですら知らないんです」

「Nゲージですか」

「ええ。秋葉原は鉄道模型店がたくさんあってすばらしい。私は日本で言う『オタク』かな」

 クーロンはコントローラを操作し、機関車をゆっくりと走らせる。

 機関車を目で追いつつ、ヒロがつぶやく。

「いいですよね、箱庭って。僕がつくるダンジョンRPGも一種の箱庭ですから」

「箱庭を精密につくりこむと、まるで自分が神になった様な気分になりませんか」

「わかります」

「みてるだけで仕事のストレスが吹き飛びます」

「雰囲気あるなあ」

「SLはスピードとパワーの象徴です。蒸気機関が世界を決定的に変えたんです」

「ヴォイドテクノロジーはそれに匹敵する進歩だと、クーロンさんは考えるんですね」

 クーロンはコントローラのダイヤルを回し、最大出力にする。

「やはりあなたは優秀だ。でも蒸気機関とヴォイドテクノロジーは、異なる点がひとつあります」

「ふむ」

「蒸気機関は共有されたテクノロジーです。発展させたのはイギリスですが、軍事利用したのはプロイセンでした」

「大モルトケですね。参謀総長をつとめた」

「ロシアは逆に、ヴォイドテクノロジーを独占しようとした。機密を盗み出そうとするアメリカとの間に、夥しい血が流れたと言います。いや、いまも流れつづけている」

 機関車が脱線し、鉄橋から谷底へ転落する。クーロンは無表情でそれを拾う。

 腕組みしてヒロが言う。

「今度こそ立体的にクーロンさんを理解できた気がします。あなたの動機は愛国心だ」

「それだけではないですが」

「中国は列強に追いつくため、ロシア人がリーダーのパーティにあなたを派遣している。でも探索が成功すればするほど、ロシアが強くなる」

「反物質の九割をロシアが独占してるんです」

「僕がそれを妨碍できるかもしれない」

 機関車がふたたび走り出す。

 クーロンは腰に手をあて、息を吐く。うつむき加減につぶやく。

「いまから私はひとりごとを言います。でも、それをあなたがメモしても特に気にしません」

 ヒロは鞄からロディアのブロックメモと、ジェットストリームのボールペンをとりだす。決して学校の授業では発揮しない真剣さで、クーロンが口にする内容を逐一書き留める。




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

『ダンジョンシスター』 第3章「猿神」


全篇を読む(準備中)






 弁天池のほとりで、ヒロは自分が仰向けに寝そべってるのに気づく。ストライカー装甲車から投げ出されたときより、不吉に雲が垂れこめている。

 顔がむず痒いので掻こうとするが、右手がうごかない。顎を引いて手許をみると、高熱のブレスが直撃したせいで、どす黒く炭化している。

 ひどく息苦しい。呼吸がままならない。肺や気道も損傷した様だ。

 ヒロはとっくに死を覚悟していた。まだ生命を維持している肉体にむしろ感心する。

 ナノの命を救えたなら、自分が死んだとしてもコストパフォーマンスは悪くない。いつかはゲームは終わる。肝心なのは終了時のスコアだ。

 紅花で染めた袴が目にうつる。巫女のカイリが地面に膝をついている。目を細めるが、口は真一文字にむすばれる。重傷を負ったヒロをみて哀れんでるのだろう。

 さほど目立つ容姿ではないが、カイリには落ち着いた色気がある。ジャバウォックの毒牙にかからなかったのは、非処女だからか。

「妹は?」

 ヒロはそう尋ねようとしたが、口がぱくぱく動くだけで声にならない。

 咳払いをし、カイリが言う。

「しゃべってはいけません。目撃情報によると、妹さまはジャバウォックに攫われた様です。聖遺物と一緒に。それより御自身の心配をしてください」

 焼け爛れたヒロの喉が、へたな口笛みたいに耳障りな音をたてる。

 まだ俺は死ねない。

「率直に申し上げます」カイリが続ける。「探索者資格をもつ巫女としての所見です。高深度の熱傷が広範囲にわたっています。通常医療では救命の可能性は低いとおもわれます」

 カイリはかがんで顔を寄せる。

「ただいまから治術をほどこします。まづヒロさんの体内へナノロボットを注入します。ただ、ちょっとした問題がありまして、その……」

 カイリが顔を赤らめる。

「実はナノロボットは、わたくしの体液に存在するのです。それを他人に移すには、あの、その、男性に試すのは初めてでして、なんと言えばよいか」

「…………」

「ええ、それどころではないですね。恥づかしながら申し上げますと、キスをしないといけないのです。言い換えますと口づけ、接吻です。それも結構ディープなものでして。正直気が引けると言うか」

「…………」

「殿方は気にならさないかもしれませんが、人によるでしょうし。ですから施術の前に御意志を確認したいと存じます。『はい』はまばたきを一回、『いいえ』は二回。確認の合図をお願いします」

 ぱちり。

 ヒロは目をつぶった。

「では質問いたします。いまから治術をほどこしても構わないでしょうか」

 ぱちぱちぱちぱちぱち。

 カイリが勿体ぶるせいでヒロは取り乱し、せわしくまばたきする。人工呼吸のたぐいの処置なのだろうが、ディープキスなどと言われたら昂奮するではないか。こっちも初体験だし。

「ヒロさん」カイリが言う。「ふざけられては困ります」

 ぱち、ぱち。

「巫女はだれにでも治術をほどこすのではありません。危険を顧みず妹さまを助けようとしたヒロさんの、尊きお心を信じてのことなのです」

 ぱちり。

「わかりました。それでは失礼いたします」

 カイリは白い小袖で口許をぬぐう。切れ長の目が爛々とかがやく。水ぶくれのできたヒロの唇に、濃厚なキスを浴びせる。見ためは貞操堅固な大和撫子なのに、情熱的にむしゃぶりつく。




 三十分後。

 ヒロはカイリをつれ、三鷹市の西部にある国立天文台の敷地を歩いている。焼け焦げた服は捨て、コンビニで買った長袖のTシャツに着替えた。燃えた頭髪はカイリに切ってもらった。

 鉛みたく体が重い。とは言え、炭化した腕まで恢復してくれた医療用ナノロボットに、感謝しなければバチがあたるだろう。

 国立天文台は緑ゆたかだが、資料館の周囲はひらけた空間となっている。芝生の上に築かれた祭壇の前に、束帯をきた十頭の大猿が、横一列にならんで座る。角材をくんだ火櫓がごうごうと燃え盛る。

 ひとりだけ黒い装束のサトリが、立って祝詞を奏する。口が縫われてるので、思念のみ伝わる。華やかな冠をかぶった巫女たちが、炎のまわりで踊る。

 カイリが小声で言う。

「あれは御内儀と呼ばれる巫女たちです。交代しながらですが、儀式のあいだずっと踊りつづけます」

 ヒロが答える。「内儀? 妻ってことですか」

「そうですね。私的な面もふくめ、サトリさまのお世話をするのが務めです。かくゆう私も、御内儀に選ばれることが内定しております」

 ヒロはカイリの顔色をうかがう。祝福すべきことなのかどうか、よくわからない。ヒロとしては気の毒におもう。

 ひとりが舞の輪から離れ、別の巫女と交代する。カイリをみつけて手を振る。ヒロは仰天する。朝の連続テレビ小説の主演をつとめ人気者となった、モデル兼女優の出雲邦子だ。しばらくテレビで目にしなかったが、サトリの妻になっていたとは。

 うやうやしく頭をさげ、カイリが言う。

「御苦労さまです」

「御苦労さまです」邦子が答える。「聖遺物の件は残念でしたね」

「面目次第もございません」

「あなたにできないなら、ほかのどの巫女も無理だったでしょう。斎宮さまをのぞけば」

「不徳の至すところです」

 邦子はヒロに目をむける。片眉を上げ、怪訝そうな顔つきだ。カーゴパンツは焼け焦げ、頭髪は不揃い。不審者とおもわれてもしかたない。

 邦子がカイリに尋ねる。

「こちらの方は、例の?」

「湯川尋です」ヒロが答える。「ジャバウォックに妹とアインシュタインの脳を奪われました。一刻も早く救いたいんです」

「すでに探索者のパーティが複数、ジャバウォックの巣を攻略中です」

「どこにあるんですか」

「吹上のサナトリウムに棲みついてる様です」

「僕も行きます」

「お気持ちはわかりますが、探索者ライセンスがなければ不可能です」

「それをサトリさまにお願いしに来ました」

 ヒロはあえて猿のバケモノに敬称をつかう。邦子にむかい深く頭を下げる。

 さぐる様な目つきで、邦子が冷淡に言う。

「陳情の方が百人ちかく来られてますから。サトリさまもお疲れですし」

 カイリがヒロとならんで頓首する。

「わたくしからもお願いいたします。攫われた妹さんは紅梅生なんです」

 名門である紅梅学院は、巫女を多数輩出している。面識はなかったらしいが、高校三年のカイリはナノの四年先輩にあたる。現役女子高生にしては、カイリはやや大人びて見えるが。

「なるほど」邦子が言う。「紅梅生の絆は強いですからね。私もできるだけのことはしましょう」




 ヒロはカイリと一緒に、陳情の列の先頭にならぶ。強引に割りこんだのを、うしろの和装の老女に咎められるが、カイリがやさしくなだめた。

 空から白っぽい粉末が降っている。雪ではない。火山灰だ。ダークゾーンが東京に出現した九年前から、富士山・浅間山・三宅島などの火山活動が激しくなった。目や喉など、粘膜のある部分が刺激され、ちくちく痛む。

 炎がほとばしる火櫓のはるか上空に、重苦しい雲が湧きいでる。雨が降りはじめる。豪雨だ。風が猛々しく吹き荒れる。陳情の列にならぶ人々が、サトリの名をよんで歓喜する。火山灰を吹き飛ばす、恵みの雨とゆうわけだ。

 儀式を終えたサトリが、天幕の下にはいる。三方を屏風にかこまれた畳に腰をおろす。巫女たちがサトリの濡れた装束を脱がせ、長い毛に覆われた巨体をタオルで拭く。

 サトリの隣にかしづく邦子が、ヒロとカイリを手招きする。

 あぐらをかくサトリと向き合い、ヒロが言う。

「お話する機会をあたえてくださり、感謝いたします」

「礼ニハオヨバヌ」サトリが答える。「探索者ノらいせんすガホシイソウダナ」

「はい」

「探索者ハ全世界デ六十人シカイナイ。ソノ価値ヲ知ッタ上デノ要望ダロウナ」

「妹を取り戻したら返上します」

「反物質剣ヲツカエルノカ」

「えっと」

 サトリは目と口と耳が縫われた顔を、カイリへむける。カイリは恐縮し、もぞもぞ身をよじる。

 サトリがカイリに尋ねる。

「オ前ハナゼコノ少年ニ肩入レスル。ムザムザ死ナセルコトモアルマイ」

「妹さんをおもう心に共感いたしました」

 サトリが沈黙する。心を読んでいる。

「ホウ。コノ少年ニ治術ヲホドコシタカ」

 カイリは赤面し、平伏する。

 サトリの念話がつづく。

「モット固イ女トオモッテイタガ。唇ヲユルシテ情ニホダサレタカ」

「と、とんでもございません」

「マアヨイ。コノ話ハ保留ダ。ホカノ陳情ヲ聞イテカラ沙汰ヲクダス。下ガッテオレ」

 ヒロとカイリはうつむいて天幕を離れる。つぎの陳情者である老女とすれちがう。老女は手紙を包んでいた和紙をひろげる。中に金属の筒がはいっていた。口紅ほどの大きさだ。

 それを見たカイリが目を丸くする。天幕にむかって叫ぶ。

「反物質爆弾ですッ」

 ズドンッ!

 天幕で爆発がおきた。核融合の数千倍の威力をもつ対消滅を、ライデンフロスト効果によって範囲を半径数メートルに限定した攻撃だ。

 品のよい和装の老女は、暗殺者だった。

 広場にクレーターができる。サトリも老女も巫女たちも全員消滅した。

 カイリがへたりこむ。見ひらいた目は虚ろで、まばたきしていない。

 骸骨将軍に率いられた骸骨兵が、剣を抜いて陳情者の行列に斬りかかる。老若男女百名が虐殺される。ヒロはそれを為す術なく見つめる。

 逃げるべきか。しかし、探索者ライセンスを取得するチャンスは今しかない。

 クレーターのそばの空間に、モザイク状の靄が浮かびあがる。映像は次第に解像度が上がってゆき、ついに二足歩行の生物の姿をなす。黒い縫腋袍をきた巨猿がそこにいる。目と口と耳が縫われている。

 猿神の長、サトリだ。

 サトリは、時間を巻き戻す能力の持ち主だった。物理的身体が消失しても復活する。だれも彼を殺めることはできない。

 骸骨兵による殺戮には目もくれず、サトリは大股でストライカー装甲車へむかって歩く。

 ヒロは走って先回りし、土下座して叫ぶ。

「どうかライセンスを!」

「ワカルダロウ。イマ私ハ機嫌ガワルイ」

「妹を救いたいのです。なにとぞお願いします!」

「ソンナニ死ニタイノカ」

「攫われた妹を思うと、居ても立ってもいられないんです」

「ナラバ寝テオレ」

 サトリはひらいた右手を突き出す。ヒロは金縛り状態におちいり、崩れ落ちる。呼吸がとまる。

 まるで『スターウォーズ』のダースベイダーがあやつるフォースさながら。

 ヒロは力をふりしぼり、自分の頭を幾度も殴る。サトリが金縛りをつかうのは予測していた。ボス戦の前に万全の準備をととのえるのは、ゲーマーなら当然。ヒロは自己暗示をかけ、マインドコントロールから逃れる手立てを講じておいた。

 よろよろ立ち上がり、ヒロが叫ぶ。

「ライセンスを!」

 サトリはさらに左手も突き出す。

 息苦しさが増す。これは精神攻撃ではない。もっとフィジカルなものだ。喉に大きな物体が詰まり、気道を塞いでいる。それは段々迫り上がってくる。

 物体は口腔まで飛び出し、その一部がヒロの視野にはいる。

 ぬめぬめと赤く光る、肉の塊。

 規則ただしく脈打っている。

 自分の心臓だ。

 意識を失ったヒロが倒れる。

 サトリはストライカーへ乗りこみ、国立天文台から去る。

 骸骨兵に刎ねられた百人の生首が、広場に散らばっている。深緋色の装束を着た猿神たちが、その首にかぶりつく。頭蓋骨を齧り、脳漿を啜る。

 猿神にとってもっとも価値ある栄養は、ヒトの脳なのだった。




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

『ダンジョンシスター』 第2章「ジャバウォック」


全篇を読む(準備中)






 ヒロはナノを、無理やり屋内へ押しこめる。ドアを閉め、身を翻す。向かいの二階建ての住居にジャバウォックがとまっている。スレート瓦の屋根が崩れ落ちる。

 ジャバウォックは道路ごしに、牙のはえた頭部をちかづける。唾液が庭にしたたると、芝生が溶けて地表が露出する。

 あたりを嗅ぎ回り、ジャバウォックが言う。

「美少女の匂いがするぞぉ」

 ヒロはドアに寄りかかる。足がすくんでいる。

 ジャバウォックが続ける。

「甘い香りだぁ。十三か十四ってとこか。ちょっとばかり熟れすぎか。小四くらいがベストだがなぁ」

 ドアの裏側からつぶやきが漏れる。

「きもい……きもすぎる」

 板金鎧の骸骨将軍が、無言で剣の切先をジャバウォックへむける。散開した八名の骸骨兵が、長弓で矢を一斉に射かける。

 放たれた矢は、一本も鱗を貫通できない。ジャバウォックは苛立たしげに咆哮する。首の倍の長さの尾をふるう。骸骨兵三名が吹き飛び、四散してばらばらの骨となる。

 ヒロはドアをあけ、玄関で立ち尽くすナノの手をとる。脇目もふらず庭を駆け抜ける。

 ジャバウォックはナノに目を留める。飛翔してから叫ぶ。

「ロリ巨乳か! あれは上玉だぁ!」

 悪鬼の様な形相でナノが言う。

「あいつきもすぎ。にぃに、やっつけて」

 ヒロが答える。「だまってろ」

 骸骨兵が第二射をはなつ。白っぽい腹が比較的弱いらしく、矢が突き刺さる。ジャバウォックは猛り狂い、炎を吐いて反撃する。

 紅蓮の炎が、住宅街にほとばしる。骸骨兵たちは爆散する。祖父宅をふくむ数棟が灰燼に帰す。

 ヒロは足を止め、振り返る。祖父宅は全焼した。骸骨兵は全員斃れたが、板金鎧の将軍だけ剣を杖がわりにし、立ち上がろうとしている。黒龍の巨体は見当たらない。

 バサッバサッ!

 ジャバウォックは前方上空へ回りこんでいた。

「ロリ巨乳ちゃん。逃げるんなら容赦しないよぉ。丸焼きにして、おいしくいただくからね」

 ナノが叫ぶ。「ペドフィリアは死ねッ!」

「怒ってる顔もかわいいなぁ」

 ヒロはナノの手を引き、横道へ入る。血相かえて走る兄妹をみて、道端の猫が仰天する。

 ヒロは逃走経路をかんがえる。

 飛行する敵を撒くのは至難だ。たとえばマンホールの蓋をあけて下水道へ降りてはどうか? いや、降りるあいだに攻撃を食らう。

 車を止めようと、ヒロは交叉点に出る。ジャバウォックが首をもたげ、ふたたび炎を吐こうとする。

 時速百キロでほかの車輌を撥ね飛ばし、ストライカー装甲車が殺到する。兄妹とジャバウォックのあいだに停車する。

 火炎が直撃し、車体が揺れる。セラミック製のメクサス装甲は、かろうじて熱波に耐えた。

 後部ハッチがひらき、レザージャケットを着た黒人の女が手招きする。

「ほら、乗りな!」

 ヒロとナノは言われるままストライカーへ乗りこむ。狭い車内には、女以外にアメリカ陸軍兵が三名いる。二名は操縦席と助手席に座る。

 ストライカーが走りだす。席についたナノは、となりに座るヒロの手の甲をつねる。

 ヒロが言う。「痛いな」

「どうゆうわけ。巫女さんの胸触ってぼーっとして」

「ぼーっとなんかしてない」

「どすけべ。変態。痴漢」

「それどころじゃないだろ」

 向かいに座る黒人の女が、ヒロの顔をまじまじと見る。鼻にピアスをし、髪をこまかく編んでブレイズにしている。

「ヒロ? 2‐Hのヒロか?」

 ヒロはあらためて女を観察する。褐色の胸元に、蝶のタトゥーをいれている。

「もしかしてテリー先生?」

「そうだよ! こんなところで何してる」

 テリーザ・ビショップは、ヒロの高校で外国語指導助手をつとめる教師だ。陽気な性格で生徒に人気がある。

「テリー先生こそ」

「実はあたいはフリーの探索者なのさ。最近東京が熱いらしいから、一攫千金を狙いにきた」

「高校での仕事は?」

「生活費を稼がないとね。フリーランスはつらいよ」

 ナノがヒロの顔を見上げる。会話に混ざりたくてうずうずしている。

 テリーザが尋ねる。「となりの可愛いコはだれだい? ガールフレンド?」

「はい!」ナノが答える。「彼女のナノです」

 ヒロが言う。「嘘つくな。こいつは妹です。亡くなった祖父の家に来たら、ジャバウォックに襲われて」

「そりゃ災難だったなあ。とりあえずライトゾーンにむかおう」

 テリーザはポケットから、折りたたみ式の小さな端末をとりだす。ゲームボーイアドバンスSPに似ている。表示された地図をしらべ、運転手に目的地を英語でつたえる。

 ほくそ笑むテリーザが、ヒロに言う。

「ヒロの顔みたらアレ食べたくなってきた。いつも食べてるアレ」

「カロリーメイトですか」

「もってる?」

「どうぞ」

 チーズ味を箱ごとわたす。学校の昼休みにテリーザは各教室に出没し、生徒の弁当をおすそ分けしてもらっていた。食費を節約してるのだろう。

 ナノが笑う。「完全に『カロリーメイトの人』って思われてるね」

 ストライカーが加速する。蛇行して車体が揺さぶられる。ジャバウォックの鳴き声が中まで届く。

 米兵がモニターを見つつ、車内からM2重機関銃を発砲する。通常兵器はモンスターに一切通じないと言われる。まして相手は最強のドラゴンだ。目くらまし程度の効果しか期待できない。

 ヒロたちの上下の感覚が狂う。強烈な衝撃が全身を幾度も襲う。ジャバウォックのブレス攻撃をくらい、ストライカーが横転した。

 ヒロの意識は鈍痛で朦朧とする。目の前にナノの顔がある。涙をうかべている。背景は曇り空だ。ヒロは道路に横たわり、ナノは膝をついてそれを見下ろしている。ヒロは痛みの発生源である側頭部をさわる。右手がべっとりと血にまみれる。

 アサルトライフルのHK416を撃ちながら、米兵が叫ぶ。

「ラン(逃げろ)!」

 総督府支配下の東京において、米軍は日本人を保護する義務を負わない。あっぱれな兵士だ。しかしジャバウォックの鋭い爪が、アーマープレートごと米兵を貫きとおす。

 惨劇を間近で目撃し、ナノが尻餅をつく。両手で口許を覆う。ナノは気が強いが、一方でイラストを描くのが趣味であるなど、神経が細やかなところがある。特に視覚的なショックに弱い。祖父の焼死体をみたときも激しく動揺した。

 ジャバウォックは、先が三叉にわかれる舌をのばす。刺激臭が鼻をつく。ナノのハイウエストスカートを唾液で汚す。

「コレクションにしようかなぁ。それともここで食べちゃおうかなぁ」

 ヒロは米兵が落としたHK416を拾う。ストックを肩にあて、見様見真似でトリガーを引く。眼球にでも命中すれば、多少効くのではないか。しかしハンマーで殴られる様な反動が上半身につたわり、全弾外れる。

 でたらめな撃ち方が、かえって威嚇になったらしい。ジャバウォックが羽ばたき、十メートル上方で滞空する。牙を剥き出して叫ぶ。ナノをコレクションにくわえる気をうしなった様だ。

 ヒロは強引にナノを立てせ、鬱蒼と木の茂る公園へ逃げこむ。車内にのこしたテリーザの安否は気がかりだが、確認する余裕はない。探索者なら、自力で切り抜けるスキルをもってるだろう。

 左手にジブリ美術館がみえる。宮﨑駿がデザインした、トトロの森をイメージした建物だ。ナノは熱心にジブリアニメを愛好するが、その聖地の前にいるのに気づいてない。

 ナノが足を引きずっている。右足首を捻挫した様だ。ヒロはリュックサックを腹側で負い、ナノをおぶって走る。ナノの体重は四十キロ台に満たないが、速度は急低下する。

 ヒロは吉祥寺駅を目指している。地下街へ潜れば、絶好のシェルターとなるはず。

 井の頭池のそばの段差でよろける。ベンチに脚をぶつけ転倒する。ナノが石畳でころころ回転する。

 立ち上がったヒロの左手に激痛が走る。目眩がする。手のつけねの部分が不自然に曲がっている。橈骨と尺骨が折れた。

 ヒロは背後を見上げる。敵との距離を百メートル稼いだ。逃げ切れる可能性はある。

 ナノがはかなげな微笑をうかべる。ヒロの負傷を目ざとく見抜いた。

「にぃにだけ逃げて。その手じゃナノをおぶれない」

「なに言ってる。駅までもうすこしだ」

「どっちかが生き残らなきゃ。子供がふたりとも死んだら、パパとママがかわいそう」

「あきらめるな」

「安心して。ジャバウォックが変なことしたら、舌を噛んで死ぬ。家族に恥はかかせない」

 ナノはほほ笑んだまま後ずさる。ジャバウォックとの距離は五十メートルに縮まる。

「ごめんね」ナノが続ける。「いつも生意気でうるさくて。ウチの学校厳しいから、めったに外出許可もらえないの。にぃにとお出かけするの久しぶりだから、舞い上がっちゃった」

「ナノ!」

「絶対忘れないでね。にぃにのことを大好きな、ちっちゃな女の子がいたことを」

 疲労とダメージが蓄積し、行動不能となる寸前のヒロが、おのれの心を鞭打つ。

 考えろ。

 攻略法はある。

 かならず、どこかに。

 走りながら考えるんだ。

 ヒロは右脇にナノを抱える。つんのめって階段を駆け下りる。ジャバウォックの絶叫が鼓膜を裂く。

 十メートル。

 弁天池にかかる木造の橋を渡る。連休のたのしみを台無しにされたひとびとが、恐惶をきたしている。ほとんどが凍りついている。ヒロは傷ついた左腕でそれを掻き分ける。

 ふりかえって曇天を仰ぎ見ると、真上でジャバウォックが長い首を左右に振り、空気を肺へ溜めこんでいる。

 ヒロは右脇に抱えた荷物、つまり妹を、欄干ごしに池へ放りこむ。

 ジャバウォックが猛烈な炎を吐く。

 そのブレスは軍用車輌の装甲すら破壊する。木の橋などひとたまりもない。精力をつかい果たしたヒロは、呼吸困難に陥っていた。欄干につかまり、弁天橋が粉々に爆ぜ散ってゆく様子をながめる。火柱は直線的にちかづく。

 医学に精通してなくても、あの劫火にまきこまれて生存する可能性はゼロだと理解できる。それでもヒロは火炎に背をむけ、両腕で頭部をまもる。

 妹にはゲーム脳と笑われるが、悪あがきする性分なのだ。




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

『ダンジョンシスター』 第1章「祖父の遺産」


全篇を読む(準備中)






 湯川尋(ひろ)は、荒れ放題の庭の苔むした石畳をわたる。煉瓦造りの建物へちかづく。煙突のあるイギリス風の邸宅だ。祖父が精神病院にはいってから住む者はない。昨年、病院の火災で祖父は他界した。この家は取り壊しが決まっている。

 早足のヒロのあとに、妹の那乃がしたがう。三つちがいの中学二年生で、ダークグレーのハイウエストスカートを穿いている。ショルダーバッグのベルトが、リボンのついたブラウスの隆起を斜めに分断する。

 ヒロは、ジャケットの胸のスリットポケットに右手をいれる。古着屋でナノがみつけたフランス軍の戦闘服だ。

 合鍵をつかみ、ヒロはナノに言う。

「お前は外で待ってた方がいい。古い家だから壊れてるかもしれない」

「外も安全じゃないよ。ジャバウォックの行動が活発化してるってさ」

「例のドラゴンか」

「美少女を片っ端から攫って、自分の巣に閉じこめてるんだって。ただし処女にかぎる」

「最低だな」

「だからいま、若いコはみんな慌てて処女を捨ててるの。東京やばいよ」

 つぶらな目を細めてナノが笑う。

 湯川家の自宅は千葉だが、ナノは名門女子校である紅梅学院に合格したので、御茶ノ水で寮生活をおくっている。兄が三鷹で遺産探しをすると母親から聞き、助太刀を買って出た。

 ヒロはナノの全身をながめる。背丈は百五十センチに満たないが、胸だけすくすく成長している。最近処女を捨てた大勢のなかにナノが含まれるのか気になるが、確かめるのが怖くもあった。

 ナノが言う。「どこ見てんの」

「どこって」

「見るのはタダだから、別にいいけど。この服、胸が強調されるのわかって着てるし。可愛いでしょ」

「うん、まあ」

「もっと褒めてよ。にぃにのためにオシャレしたんだから」

「そのせいで一時間遅刻したけどな」

「ダメだこりゃ」

 ナノは首を横にふる。ヒロは女心がわからないと言うのが口癖だ。事実だから反論できない。

 ヒロは鍵をあけ、ドアノブをまわす。粘膜のこびりついた柔らかい物の感触がした。

 反射的にヒロが叫ぶ。

「うわあっ」

「どうしたの」

「ノブにナメクジが」

「きも。中もこんな調子かな。虫とかネズミとか」

「探索やめるか」

「びびりすぎ」ナノが笑う。「ナノは行くよ。どこかに億単位の遺産があるって話だし」

 ふたりの祖父である湯川茂樹は、経済学を専攻する首都大学東京の教授だった。二〇〇八年に出版した著書『十人のオルガリヒ』は、十二か国語に翻訳されるベストセラーとなった。財産も多少あったはずだが、この三鷹の土地と建物以外、めぼしいものは見つかってない。

 ナノはパンプスを履いたまま家にあがる。アイフォンのライトをつけて懐中電灯がわりにする。ヒロは埃っぽい空気に咳きこみながら、ナノのあとにつづく。

 ふたりが祖父宅をおとづれるのは五年ぶり。一階は居間や応接間やキッチンがある。暖炉が設置されてるが、つかわれるのを見たことはない。薪を準備するのが大変だと祖父がこぼしていた。

 ナノは地下室へつづくドアをあける。

 ヒロが言う。「地下へ行くのか」

「宝物と言ったら地下でしょ」

「でも」

「怖いならそこで待ってて」

 ロングスカートをひるがえし、ナノは階段をおりる。せっかちな性格で、昔からヒロを振り回すことが多い。

 地下は煉瓦壁の倉庫だ。棚にワインがならぶ。高価なのもあるかもしれないが、未成年のふたりでは鑑定できない。

 兄妹は二階へあがる。ナノがあくびする。宝探しに飽きたらしい。ひさしぶりに訪問した祖父宅は記憶より殺風景で、金目の物の匂いがしない。

 祖父母の寝室や、父の子供時代の部屋を漁る。父の卒業アルバムなどに興味をひかれるが、疲れはじめた兄妹は放置する。

 最後に書斎にはいる。大学教授だけあって、書架に古今東西の本がそろう。壁にピカソの『鏡の前の少女』が掛かる。模写だろう。机の上のチェス盤は、白黒の駒が置かれたまま。

 ナノは埃を払い、木製の椅子に座る。

 口を尖らせてナノが言う。

「億単位の遺産とか言って、ただのボロ屋敷じゃん」

「取り壊す前に見れただけでもよかった」

「印税はどこへ消えたんだろう。おじいちゃんって、やっぱ頭おかしかったのかな」

 祖父の晩年は不幸だった。

 祖父は、二〇〇八年のリーマンショックの引き金となった経済犯罪の主犯として、新興財閥を率いる世界四か国の十人を、名指しで批判した。著書は売れたが、陰謀論者のレッテルを貼られたのは、学者として致命的だった。学界で孤立し、奇行が目立つ様になり、精神病院にはいる羽目となった。

 その主張は奇抜だった。オルガリヒと呼ばれる各国の新興財閥は、新世代の強力なコンピュータで暗号を解読し、大規模な窃盗をおこなっていると糾弾した。手口はロシアで秘密裏に発展した物理学を流用したもので、比喩的に言えば禁断の魔術だと。

 予言者はえてして弾圧される。本物であればあるほど。祖父の警告は的中した。オルガリヒが暗躍した四つの地域、つまりアメリカ・ロシア・日本・中国に数十匹のモンスターが出現する。ゾーンバランスが崩れたのが原因らしい。巨獣たちは都市を破壊し、群衆を殺戮した。

 自論の正しさが證明されたとき、祖父は吹上のサナトリウムにいた。家族との面会すら許されなかった。世間は祖父の存在を忘れていた。

 それどころではなかった。

 ヒロは机の引き出しをあける。万年筆のインクなど、細々した品物しかはいってない。

 ナノが尋ねる。「なに探してんの」

「おじいちゃんのマックブックがほしい」

「そういや持ってたね。でももう古いでしょ」

「iOSのアプリ制作にはマックが必須なんだ」

「へえ。にぃにのゲーム、アイフォンで遊べないから困るんだよね。自分でマック買いなよ」

「そんな金はない」

 ヒロは中学のころから趣味でゲームをつくっている。満を持して去年配信開始したRPG『ダンジョンシスター』は、無料で広告なしとはいえ、八十万ダウンロードを達成するヒットとなった。

 ただし評価は散々だ。大半のユーザーは、ナノが提供したイラストが目当て。「神絵師のNANOさんの絵が見たくてクリアしました。正直苦痛でした」「クソゲーつきの画集」「作者はオッサン? 絶望的にセンスが古い」「時間返せ」など心ないレビューが投稿され、ヒロは傷ついた。

 ヒロはチェス盤に目を落とす。祖父につき合わされたので、駒の動きくらいは理解できる。強いのはクイーンとルーク。のこっている駒は十七個で、終盤戦の様だ。

 d5の白のナイトに注目する。f6へ飛べばチェックになる。g7の黒ポーンは、g1の白ルークでピンされてるので動けない。メイトだ。

 将棋の桂馬とおなじ要領で、白ナイトを動かす。

 カタカタ。

 暗色のマスの上で、駒がひとりでに回転した。こちらへ顔をむける。首をふっている。

 白ナイトの口許から音声が発せられる。

「よく仕掛けを見抜いた」

「えっ」

「俺だ。お前のおじいちゃんだ。元気か、ヒロ」

「おじいちゃんがしゃべってるの」

「電話みたいなものだ。どうだ、チェスの腕はあがったか」

「いや」

「テレビゲームばかりではいかんぞ」

 ナノは椅子から立ちあがり、ヒロの陰に隠れる。顔をしかめ、不審がっている。だれかのイタズラにしては手が込みすぎだ。

 ヒロは意を決し、白ナイトに話しかける。

「さっぱり状況がわからない」

「無理もない。いくつか申し置きがある。それを聞いてから、従うかどうか判断しろ」

「おじいちゃんはまだ生きてるってこと?」

「そっちの日付をおしえてくれ」

 ヒロは左腕のGショックをみる。

「二〇一八年五月六日」

「こちらは二〇一七年。ちょうど一年後の未来にむかって話している」

「信じられない」

「EPRパラドックスの応用だ。猿神があつかうテクノロジーでは、むしろ素朴な部類にはいる」

 猿神は、人間に対し支配的な地位についているクリーチャーだ。二〇一三年以来、ワシントン・モスクワ・東京・北京に総督府をおき、人間と協力して凶悪なモンスターを封じこめ、ゾーンバランスを恢復するための行動を展開している。

 震え声でヒロが言う。

「おじいちゃんは去年の六月に亡くなった。サナトリウムの火災が原因で。遺体もみた」

「サナトリウム? 病院なんて立派なものではない。ここは牢獄だ。連中は俺を尋問しつづけたが、なにも聞き出せないので殺そうとしている」

「助けられないの」

「俺はもう死んだのだろう。どうにもならん。連中が欲しいのはアインシュタインの脳だ。書斎に隠してある。それを……秋葉原の……」

「ノイズがひどくて聞き取れない」

「ダークゾーンの影響だ……猿神がきた……逃げろ……」

「おじいちゃん」

「ゲームは終わりだ……妹を守れ……」

 白ナイトが振動し、倒れる。沈黙した。

 ヒロとナノは顔を見合わせる。ふたりとも引き攣った表情だ。ヒロは書斎を見回す。

 ナノが言う。「もう帰ろう」

 ヒロは、ピカソの『鏡の前の少女』の前に立つ。キュビズムの手法によるシュールレアリスティックな絵画だ。額を揺するが、固定されておりびくともしない。机の引き出しからハサミをとりだす。

 ヒロのジャケットの袖を引き、ナノが言う。

「やめなよ。模写だとしても安いものじゃないよ」

 ヒロがゲーム制作でまなんだのは、リスクとリターンの関係だ。果敢にリスクを負ったプレイヤーには、相応の報酬を用意すべし。

 ハサミを画布へ突き立てる。破いた画布をめくると壁に窪みがあった。ナノから借りたアイフォンで中を照らす。筒型の透明な容器がみえる。ホルマリン処理された灰白色の肉片がはいっている。これがアインシュタインの脳の一部なのか。

 顔の前に容器をかかげるヒロに、ナノが言う。

「まったく。にぃには夢中になると人の言うこと聞かないんだから。ま、そうゆうところ嫌いじゃないけど」

「こいつをどうすべきか」

「さあ。秋葉原とか言ってたね。あと妹を守れと」

「守るさ」

「どうやって」

「しばらく実家にいろ。千葉ならジャバウォックにも襲われないだろう」

「ナノが処女だと信じてくれるんだ」

「あのなあ」

「にぃにってパパやママより過保護」

「東京は危険だ」

「でもモンスターによる被害は、交通事故よりずっと少ないんだよ」

「お前はすぐ屁理屈を言う」

 ヒロは容器をノースフェイスのリュックサックへ放りこむ。ウイダーインゼリーの袋をだし、マスカット味のゼリー飲料を吸う。

 いたづらっぽい笑みをうかべ、ナノはヒロにしがみつく。自分の胸を、ヒロの左腕に押しつける。肉まんの様にやわらかく、かつ弾力性がある。

「ほんとはナノのプライベートに興味あるでしょ。さっきそうゆう顔してたもん」

「年相応であればいいさ。帰るぞ」

 ヒロは書斎を出て、階段をおりる。

 しがみついたまま、ナノが言う。

「ねえねえ。年相応って、具体的には?」

「んなことは母親にでも聞け」

「中二で経験ありだと早すぎるかな」

「ありなのか」

「たしかめてみる?」

「ぶっ」

 ヒロは一階の廊下に、ゼリーを撒き散らす。それをみてナノは笑い転げ、スカートを埃まみれにする。

「冗談でもそうゆうのはやめろ」

「えーっ。冗談に聞こえるんだ。ナノの言い方がおかしかったかな」

 尻餅をついたナノが、ヒロの目をじっとみつめる。猫の様に黒目がちな瞳が、薄明かりできらめく。

 女心がわからないと批判されるヒロだが、ここは毅然とした態度をとるべきと判断する。思春期の女は情緒不安定になりがちで、ましてナノは格式高い名門校の寮生活でストレスにさらされている。年長の家族がただしく導かねばならない。

「そろそろブラコン卒業しろ」

「は? ナノがブラコン?」

「昔からどこにでもついてくるし、甘えすぎだ」

「意味わかんない。じゃあ聞くけど、にぃには女の子にモテる?」

「いや、まったく」

「即答だね。で、ナノは見てのとおり超絶美少女なわけ」

「…………」

「なによ。文句あんの」

「いや」

「にぃにを好きな女子はナノしかいない。一方で、ナノを好きだと言ってくれる男子はいっぱいいる。わかる?」

「否定はしない」

「そんなにぃにみたいな、かわいそうな人のことをシスコンって言うの。はい、證明終了」

 論理が破綻してる気もするが、口が達者なので疑義をさしはさむ隙がない。

 呆然とするヒロの手からウイダーインゼリーを奪い、ナノは勢いよく啜る。

「にぃに、ほんとこれ好きだよねえ。あとカロリーメイト」

「全部飲むなよ」

「毎日食べてよく飽きないね」

「おい、いい加減にしろ」

「触んないで」

「返せ」

「痴漢! だれか助けて!」

 玄関で咳払いがする。

 兄妹がふりむくと、そこに巫女装束の女がいた。長い黒髪を水引で縛っている。取っ組み合う兄妹をみて困惑し、まばたきする。

 巫女装束の女が言う。

「あの、お取り込み中でしたら出直しますが」

 ヒロが答える。「大丈夫です」

「失礼ですが、湯川尋さんでいらっしゃいますか」

「はい」

「お初にお目にかかります。わたくしは神田明神に勤務する巫女の、京枡海里と申します。いまは縁あって、総督府で猿神さまのお手伝いをしております」

「なにか用ですか」

「湯川さまが聖遺物をお持ちと聞いて、不躾ながら参上いたしました」

「セイイブツ?」

「学聖アインシュタインさまの脳のことです。法令にもとづき接収させていただきます」




 ヒロは、アポなしであらわれた巫女を観察する。

 薄化粧をほどこした顔に、おだやかな微笑がうかぶ。年齢は二十歳手前か。

 玄関のドアが開いている。見たところカイリは武装してない。突き飛ばして全力疾走すれば、ナノをつれて逃げられそうだ。

「抵抗ハ得策デハナイ。かいりハ格闘技ヲ一通リ修メテイル」

 耳を通じてではなく、ヒロの神経系に直接、ざらついた男の低い声が響いた。

 ドアの外を見ると、三メートルはあろうかとゆう巨大な猿が、庭を横切って歩いている。平安貴族風の束帯を着て、垂纓冠をかぶっている。

 その顔は異形と言うほかない。瞼と唇と耳朶が、太い糸でぞんざいに縫いつけられている。まさに「見ざる聞かざる言わざる」の動くシンボルだ。

 ナノとカイリが、床に両膝と両手をつく。ふだん生意気なナノが小刻みに震えている。

 この巨猿が何者か、報道のおかげでヒロも識別できる。猿神たちの長であるサトリだ。つまり、いまの世界の実質的な支配者だ。

 千葉で暮らすヒロは、猿神とじかに接触した経験がない。自分もふたりに合わせて平伏すべきか迷う。猿ごときに卑屈すぎるのではないかとも思う。

 ふたたびサトリの声が頭脳に響く。

「虚礼ハ省イテヨイ。ツイデニ立チ寄ッタダケダ」

 サトリは人の心を読めると言われる。ヒロの背筋が寒くなる。「猿ごとき」とゆう敵意も感知された可能性が高い。

 ヒロは庭へ出る。バケモノに恐怖は感じるが、負けず嫌いな性格なのだ。

 念ずるだけで会話は成立しそうだが、習慣は簡単に変えられない。ヒロは声にだしてサトリに言う。

「遺産を接収すると言われました」

「私ガ命令シタ」

「これは祖父の所有物です」

「不満ハアルダロウ。総督府ニ対スル苦情ハ、ソコノかいりヲ通ジテ申シ立テヨ」

「あなたに不満を述べてるんです」

 這いつくばっていたカイリが立ちあがる。微笑が消えている。

「湯川さん」カイリが言う。「言葉を慎んでください」

「いきなり家にきて遺産をよこせと言われたら、だれだって怒るでしょう」

「失礼の段、お詫び申し上げます。緊急事態とは言え、配慮に欠けておりました」

「ですよね」

「非はわたくしにあります。何卒サトリさまに反感など持たれないよう」

「とっくにムカついてます」

「湯川さん。どうか御自重なすってください」

「こうゆう噂があります。サトリはアインシュタインの化身だと。つまり自分の脳を取り戻そうとしてるわけですか」

 重苦しい沈黙が、白のペチュニアが咲き乱れる庭にひろがる。サトリの怒りを恐れ、カイリはまた平伏する。

 サトリが言う。

「少年ヨ。あいんしゅたいんニ興味ガアルカ」

「あの噂はガセですか」

「私ハ肯定モ否定モシナイ。證明シヨウガナイカラナ。語リエヌモノニツイテハ、沈黙シナケレバナラナイ。うぃとげんしゅたいんノ言葉ダ」

「どうやら本当っぽいですね」

「あいんしゅたいんノ業績ノナニヲ知ッテイル」

「舌を出した写真を見たことあります」

「フン、クダラン」

 脳内でサトリの嘆息が反響し、ヒロはおもわず目をつぶる。

 カイリを見下ろし、サトリが言う。

「コノ場ハマカセルガ、支障ナイカ」

「はい。丸くおさめます」

「私ハ忙シイ。アトデ書面デ報告セヨ」

 束帯の裾を引きずりつつ、サトリは祖父宅の敷地から去る。

 両方の瞼を縫いつけて目が開かないのに、どうやって書類を読む気だろうと、ヒロはおもった。




 ずっと玄関の内側で震えていたナノが、敷居をよろよろと跨いで庭へ出る。

「にぃにはどこまでバカなの?」

「大丈夫か。顔色悪いぞ」

 ヒロは飲みかけのウイダーインゼリーを差し出す。ナノに撥ね退けられる。

「いらないよ。これだからゲーム脳って嫌だ。すぐムキになる」

「すまん」

「あとアインシュタインについて何も知らないって、どうなの。めっちゃプライド傷つけてたじゃん」

「知らないものは知らない」

「理論物理学者。相対性理論を構築した」

「なんだそれ」

「たとえばスマホにはいってるGPSは、相対性理論を応用した仕組みだよ」

「スマホなんて持ってない」

「はあ。ナノがにぃにをちゃんと教育すりゃよかった。こんな世間知らずになっちゃって」

 えへん。咳払いがした。

 カイリが言う。「とても兄妹仲がいいんですね」

「いえ」ヒロが答える。「おそらく逆です」

「まあ、それはともかく。学聖さまの脳の話ですが」

 ヒロは顎に右手を添えてかんがえる。

 交渉相手が若い女ひとりになったのは好都合だ。すくなくともバケモノより与しやすい。

 祖父だと称する白ナイトと話して以来、ヒロの頭で情報が錯綜している。分析する時間が必要だ。最適解をみちびくためのヒントもほしい。

 ヒロが尋ねる。「アインシュタインの脳をなにに使うんですか」

「ゾーンバランスはオセロの様なものです」

「オセロ? 白黒のゲームの?」

「はい。ダークゾーンを転覆するのに聖遺物をもちいます。昨年モスクワでドラゴンが退治されました。つぎは東京の番とサトリさまは考えておいでです」

「それに協力しろと」

「正しき道ではないでしょうか」

「無償で、ですか」

「残念ながら」

「総督府ならまとまった金額を払えるでしょう。たとえば一千万円」

 カイリは微笑を絶やさないが、ほそい眉をかすかに寄せる。切れ長の目に翳りが宿る。

「心中お察しいたします。でも総督府としては、湯川さんだけ特例にはできません」

「断ると言ったら」

「御理解いただけるまで、誠心誠意うったえます」

「僕は猿神が嫌いだ。信用できない」

「そうおっしゃる方はまだ多くおられます。われわれ巫女がお手伝いするのはそのためです」

「はあ」

「浄明正直、われらの清き心を知っていただきます。これが善き道だと信じてもらえる様に」

 カイリは華奢な両手で、ヒロの右腕をつかむ。ひらいたヒロの右手を、純白の小袖の左胸に当てる。

 痩身のカイリは、性的魅力がある方ではない。でも妹のゆたかな胸に触れてもなんとも思わない、むしろ迷惑なのに、はじめて異性の肉体に接触した途端、ヒロの意識は混濁する。ナノが肘で脇腹を小突いてるのはわかるが、放心状態となる。

 紅潮した面持ちで、カイリが尋ねる。

「いかがですか、湯川さん。わたくしの心がつたわっていますか」

 ヒロがつぶやく。「え……えっと」

「にぃに!」ナノが叫ぶ。「門の方をみて!」

 家の前の通りに、暗緑色に塗装された大型車輌が駐まっている。片側に四つのタイヤがあり、車体上面にM2重機関銃をそなえる。アメリカ陸軍のストライカー装輪装甲車だ。総督府が統治するいまの東京では、米露日中の軍隊が展開している。

 後部ハッチがひらき、九名の兵員が降りる。入れ替わりに束帯を着たサトリが乗りこみ、あわただしくストライカーが発進する。

 兵員たちは祖父宅の門をあける。ふぞろいの芝生を踏みしだき、列をなして玄関へ近寄る。みな鎧兜に剣と盾を装備している。顔や手足は肉がなく、骨だけだ。どうみてもアメリカ兵ではない。総督府に雇われた骸骨兵だ。

 ヒロは青褪める。カイリは援軍到着までの時間を稼いでいたのだ。

 ヒロの右手を胸から外し、カイリが言う。

「お許しください。武力に頼るのは本意ではありません。本来巫女は和を尊ぶので」

「色仕掛けなんて卑怯だ」

「湯川さん。いますぐ聖遺物を」

 顔面以外の全身を甲冑で覆った、ひときわ大柄の骸骨兵を、ナノが指差す。

 かちかち歯を鳴らし、ナノがつぶやく。

「あれは治安局長だよ。骸骨将軍って呼ばれてる」

 グロテスクな骸骨兵たちは、人間の変わり果てた姿だ。東京に総督府が置かれたあと、仕事中毒の警察官や自衛官が志願して任に就いている。

 ヒロは背中のリュックサックへ手をのばす。

 チェックメイトだ。投了のタイミングだ。

 ギエェェーッ!

 ヒロとナノとカイリが同時に耳をふさぐ。骸骨兵たちは平然とする。耳がないからだ。動物のけたたましい鳴き声が住宅街に轟いた。ヒロは周囲を顧望するが、あらたな脅威は見当たらない。

 異変は上空でおきていた。黒い飛行物体が旋回している。蛇の様な体、大きな翼、光沢のある鱗。

 忌まわしき黒龍、ジャバウォックの襲来だ。




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

『ナデシコ女学院諜報部!』 最終章「七星剣」


登場人物・あらすじ(準備中)


全篇を読む(準備中)






 ジェーンはミキに憤慨し、ケーブルが張り巡らされた床をドシンドシンと踏みつける。

 銃と刀だ。絶対的な優位はうごかない。でもあの女は、いちいち予想外の手を打ってくる。自分の立ってる土台が崩れてゆく様な、漠然たる不安。

 ジェーンはファイブセブンの照準を、汗で前髪が貼りついたミキの額にさだめて言う。

「そんな近接武器でどうするつもり? 日本は石器時代から進歩がない」

「石器時代に金属器はないだろ」

「いまだに人が外でタバコを吸っている。文化は差別主義的で、女性を蔑視している」

「お前にだけは言われたくない」

「日本は先進国じゃない。土人の国よ」

「かもね。だからと言って、ボクがお前に劣ってるわけじゃない」

 ミキはかすかに腰を落とし、七星剣を天に突き上げる。

「信じられない」ジェーンが言う。「この期におよんでカミカゼアタック」

「さっさとケリをつけよう」

「刀は日本の魂ってわけ? アルカイダと変わらない野蛮な原理主義」

「ゴチャゴチャうるせえな。お前は嫉妬してる。日本の文化に」

「なんですって」

「アメリカには歴史がないからな。シンデレラ城みたいな単なるハリボテだ」

 ジェーンが手にするファイブセブンが揺れる。深呼吸するが、耳鳴りがやまない。壁一面を覆う巨大な星条旗がぼやけて見える。星条旗こそが正義で、地上の唯一の真実なのに。もともと激しい気性だが、これほどの怒りは経験がない。

「この銃は二十発装弾できる。予備弾倉が四つ。全弾ぶちこんでやる」

「超音速の刃で、そのキレイなお顔を真っ二つにするのが先だ」

「お前たちは弱すぎる。原爆二発であっさり降伏するなんて。私が大統領なら千発落とした」

「それは典型的なプロパガンダだ。日本が降伏した直接的原因はソ連参戦だ」

「ファッキンジャップ!」

 ジェーンはファイブセブンを発砲する。彼女はさほど優秀な射手ではない。激情に駆られての射撃では、命中率は五割を切っていたろう。

 ミキは五メートルを全力疾走し、右足を最大限に踏み出し、袈裟懸けに斬る。巨匠による彫刻の様な顔は傷つけるに忍びなく、相手の左肩から右腰にかけて振り下ろす。心臓を両断し、蘇生不可能なダメージを負わせた。

 ジェーン・カラミティは死んだ。

 ミキは七星剣にまとわりついた血を振り払う。怯えながら決闘を見守っていた三人の技術者はミキに睨まれ、なだれをうって逃げ散る。

 ミキは嘔吐をもよおしていた。氷雨が部室棟の屋上から飛び降りて以来、ずっと煮え滾っていた復讐の念願を果たしたが、気分は晴れない。

 後悔はしていない。しかしこの罪悪感は、死ぬまで自分を苦しめるだろう。




 ゴトンとゆう重い物が落ちた音が、出入口から聞こえる。ミキが視線をむけると、両手で口を覆うおかっぱ頭のアルテミシアがそこにいた。足許に木工用ドリルが転がっている。

 アルテミシアが叫ぶ。「ジェーン!」

 嗚咽を漏らしながらジェーンの上半身を抱き上げる。頬を血糊で染め、目を極限までひらいてミキを凝視する。アルテミシアはこれまでジェーンの陰に隠れがちだったが、壮絶なうつくしさだ。

「ひどい」アルテミシアが言う。「これほど崇高な美を破壊するなんて」

「…………」

 ミキは返す言葉もない。

 アルテミシアは口づけできるほど顔を寄せ、ジェーンに語りかける。

「ごめんなさい。いつかこうなると解っていた。身を挺して止めるべきだった。でも勇気がなかった」

 アルテミシアは、ミキに視線をもどして言う。

「あなたは私の最愛の人を殺した。決して許すことはできない」

「…………」

「でもジェーンは誇り高い。彼女の名誉を守らなきゃいけない。この場は私が収めるから、あなたは今すぐどこかへ消えて」

 ミキは整った右眉をもちあげる。

「あんた中国政府のスパイだろ」

「……侮辱する気?」

「警報がガンガン鳴ってるのに、いまごろになって部屋に戻ってきた。そのくせ事後処理を任せろって? 漁夫の利を得ようとする魂胆ミエミエだ」

 アルテミシアは腕のなかの遺骸を取り落とす。ジェーンの十字架が血の海に沈む。

 立ち上がったアルテミシアが三歩近づく。武装してるかは不明だが、彼女はマーシャルアーツの心得があり、数十分前にミキをねじ伏せたばかり。七星剣をもった今でも、格闘ではミキの不利だろう。

「憶測の真偽はともかく、この愁嘆場で動揺しないのは大したものね」

「コミュ障だから感情に流されない」

「ふふ。あなたには驚かされ続けた。諜報の世界は狭い。きっとまたどこかで会うでしょう」

「一緒にすんな。ボクはゲーム漬けの毎日にもどる」

「わかってないわね。諜報の世界の方が、あなたを放っておかないの」

 アルテミシアはすれ違いざま、ミキのなめらかな頬にキスする。まったく信用できない女だが、同性愛者だとゆう情報だけは本当だったかもしれない。




 狂騒の日々から一か月経った。

 ミキは手にした色紙をながめつつ、高等部校舎の階段を下りている。きょうで学院を退学するので、クラスメートから寄せ書きをもらった。辞めるよう圧力を受けてはいないが、ケジメをつけるべきと自ら判断した。

 転校するつもりはない。どうやら自分にはゲームの才能があるらしいと解った。家業の蕎麦屋を手伝いながら、本気でプロゲーマーをめざそうと考えている。

 下駄箱で厚底のレザーブーツに履き替える。ほかのクラスの生徒たちとすれ違い、昇降口から出る。女子校の賑やかさの中にいるのも最後と思うと、柄にもなく感傷的になる。

 秘密の抜け穴をつくった校舎裏のフェンスへたどりつく。もう一度色紙を見る。「かわいい」とか「おしゃれ」とか「かっこいい」とか、褒め言葉が書き連ねられている。クラスメートとあまり交流は持てなかったが、それでもうれしい。なにかと言うと女子が寄せ書きを書きたがるわけだ。ただし、まだ入院中の氷雨からのメッセージはない。

 革のリュックサックに色紙をしまう。中に隠してあるMP7を撫でる。この相棒との別れだけは耐えられず、早朝に部室へ忍びこみ、実弾三百発と一緒にいただいてきた。公安が交換した錠前を、テンションレンチとレークピックでこじ開けた。学院でまなんだもっとも有益な技能だ。将来食うに困っても、空き巣で稼げるだろう。

 背後から声がした。

「あいかわらず手癖が悪いな」

 振り向くと、ボマージャケットを着た千鳥が苦笑いを浮かべている。思えば彼女とはじめて話したのも校舎裏だった。

 ミキが答える。「えっと、これはその」

「まあ銃のことはともかく、きょうが最後なら先輩に一言挨拶しなきゃダメだろう」

「別に縁を切るわけじゃないですし」

「どうだか。学院辞めてなにして過ごすんだ? 朝から晩までゲーム三昧か?」

「ボクなりに夢ができたんです」

「ふうん。ならこうゆうのはどうだ?」

 千鳥がスマートフォンの画面を見せる。どこかのホームページらしい。モデル風に端正な顔立ちの女子高生が、銃を構える写真が載っている。

「なんですか、これ」

「スパイゲームが復活するんだ。文科省が絡まない形で。あたしの親父は顔が広いから、スポンサーを集めてくれてる。ただひとつ条件をつけられて……」

「ボクが参加するってことですか」

「話が早いのもあいかわらずだな」

 ミキは唇を噛み、首を回す。

 心は揺れる。

 斜めに刀傷を負ったジェーンの姿が、いまだに毎晩夢に出て悩まされている。許されざる罪だ。スパイゲームは封印したい過去なのだ。

 一方で、こっそりMP7を盗み出したくらい、自分にとってもっとも充実した日々でもある。

 キーキーとゆう金属音とともに、校舎の陰から車椅子があらわれた。座るのは氷雨で、きららが背後から押している。

「氷雨ちゃん!」ミキが叫ぶ。「退院したの」

「きょうからね。驚かせたくて内緒にしてた」

「車椅子だと学校生活大変でしょ。手伝ってあげたいけど、ボクはもう……」

「リハビリも順調だから大丈夫。スパイゲームの実行委員としても、みんなでがんばるつもり」

「そうなんだ」

 氷雨の優しい笑顔に、ミキは胸をしめつけられる。飛び降り自殺をこころみるほど追い詰められてたのに、また前向きな姿勢を見せている。

 やっぱり一緒にいたい。またチームを組みたい。

「あの」ミキが言う。「退学届って、いまからでも撤回できるかな……」

 千鳥が飛び跳ねながら叫ぶ。

「よっしゃ来たあ! きららの作戦どおりだ。頑固なミキも、氷雨の説得なら耳を貸すって」

「ボクは頑固じゃないですよ」

「なに言ってんだか。あたしがどんだけ苦労したか」

 諜報部の四人は、声をあわせて笑う。いますぐ試合に出れそうなくらい、息はぴったりだ。

 いたづらっぽく右目を細め、ミキが言う。

「ところで新しいスパイゲームですけど、実弾射撃ありにするのってどうです?」




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

最近の記事
記事の分類
検索とタグ

著者

苑田 謙

苑田 謙
漫画の記事が多め。
たまにオリジナル小説。

Twitter
メール送信

名前
アドレス
件名
本文

カレンダー
05 | 2018/06 | 07
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
月別アーカイヴ
06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03  02  01  12  11  10  09  08  07  06  05  04  03