『竜圏からのグレートエスケープ』 第1章「竜に咬まれた少女」


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 歌舞伎町、かつて不夜城と称された歓楽街は、いまや一望の廃墟だった。ビルの残骸からなるチャコールグレーの丘陵を、雨水が滝のごとく流れ落ちていた。鉄骨の枝に吹きつける風に、ガラスの破片の落ち葉が舞った。

 黒い蛇に似た極大の物体が、道路を塞いでいた。九本の竜の首だった。切断されてもなお痙攣していた。

 四年前、東京は竜によって占領された。

 東京湾から竜の大群が、都心部へ上陸した。世界各地で同様の事態が発生し、甚大な被害をもたらした。散発的な戦闘と交渉の月日を経て、人類は武力をもって竜を排除すると決意した。当然の権利の行使だった。「人竜戦争」のはじまりだ。そして人類は思い知った。竜という想像上の生物が、想像以上の力を持っていることを。彼らは保有する戦力のすべて、具体的に言うと核兵器などを使用した。結果は絶望的だった。

 それでも人類は諦めなかった。

 歌舞伎町に横たわる屍骸は、西部戦線で猛威を奮った九頭竜のものだ。ワンサイドゲームばかりのシーズンにおいて、溜飲を下げる得点だった。

 しかし、まだ交戦は続いている。

 精悍な風貌の青年が、アサルトライフルのSCARを竜に対し発砲していた。野球帽をかぶり、防水のフリースジャケットを着ている。青年はしゃがんだ姿勢で、セーラー服の少女の左腕を脛で圧迫していた。豪雨が降り注ぐ路面に血溜まりができている。青年は九頭竜に咬まれた少女の止血と、ライフルの操作を同時に行っていた。

 竜に咬まれた哀れな少女は生贄だった。全面戦争が繰り広げられる一方で、人竜間にはブラックマーケットが存在し、人身売買などの違法取引が横行していた。セーラー服を着せられたのは、竜族は人間の処女を好むゆえ高値がつくからだ。

 ギエェーッ!

 口腔に被弾した黒竜が飛び去っていった。

 青年は射撃を止めた。SCARをスリングで提げ、少女を瓦礫の陰へ引き摺った。止血帯を少女の腕に通し、棒で巻き上げた。たった一人で戦うこの二十二歳の名は、因幡八代。竜に対抗する軍事組織「禁衛府」の、下士官にあたる衛士長に任じられている。

 禁衛府のタスクフォースは今回の秘密作戦で、人身売買に携わる盗賊団を買収し、業者にカムフラージュして竜族の支配地域へ潜入した。そして不意打ちにより九頭竜を斃す大戦果を上げた。付近の残敵も掃討した。竜族は分厚い鱗と霊力で守られるが、巨竜はともかく使いっぱしりの小竜程度なら、ライフル弾などの通常兵器でも防禦を貫通できる。

 運がよければ。

 出血で青褪めた少女に、因幡が言った。

「具合はどうですか」

 少女が言った。「頭がぼんやりする」

「じきに後続部隊が到着します。そうしたら輸液しましょう」




 雨は弱まる気配がない。人の手で管理されてない街路は排水機能が働かず、膝が浸かるほど水位が増していた。

 軍人と盗賊が、路上に停まるトレーラーに荷物を積んでいた。竜の反撃を恐れて動きが鈍い。禁衛府の衛士は、生贄の少女十数名をコンテナへ誘導した。可憐な少女らは解放されて安堵するより、人と竜の戦闘の凄惨さに怯えていた。盗賊は黒光りする石を、積載量の限界まで積み込んだ。霊力が篭もるこの竜鉱石が、彼らの報酬だ。

 新宿は敵地だった。一刻も早く脱出したい。他方で、できるだけ手土産を持って帰りたい思惑もある。焦る衛士と欲張る盗賊の間で、口論が起きた。

 袖を切って左腕にガーゼ包帯を巻いた女が、一連の作業を指揮していた。メディックの治療を受けたばかりの、竜に咬まれた少女だ。処女性の象徴たる白のセーラー服は泥塗れだった。腰に締めた剣帯に日本刀を佩いている。竜鉱石を鍛造して仕上げた霊刀クサナギだ。

 少女は、連携の取れない混成部隊に刀を振りかざし、風雨に掻き消されないよう大声で叱咤した。雨に濡れた前髪が額に貼りついていた。口を開くたび、発達した犬歯が露わになった。幼く愛らしい顔立ちだが、野性味も滲ませた。気性の荒い野良猫といった印象だ。

 彼女の名は暁ジュン。この十八歳の娘が囮となり、九頭竜をクサナギで斬った。事務方も合わせて九千人を擁する禁衛府の長官でもある。これまでジュンには数多くの上官がいたが、ほぼ全員戦死した。もはや人竜戦争において、ジュンに指図できる人間は残ってなかった。

 ジュンは爪を噛んだ。

 十名いた盗賊が、三名足りないのに気づいた。戦闘に不参加の盗賊に死傷者は出てないはずだ。監督の目を盗み、どこかで悪事を働いてるに違いない。

 ギャーギャー!

 廃ビルの方から獣の鳴き声が聞こえた。逃げ遅れた竜だろう。激変した東京の生態系、いわゆる竜圏では、竜以外の動物にめったに出会わない。

 ジュンの眉間に皺が寄った。

 数分前、盗賊があのビルに入るのを見た。さっさと小悪党どもを送り返して、本来の目的に取り掛かろう。

 風俗店の看板を通り過ぎ、ジュンは新宿東宝ビルへ水溜りをばしゃばしゃと進んだ。元はシネマコンプレックスやホテルが入居する大型施設だった。竜が支配する前の歌舞伎町は、多種多様な欲望を飲み込むユニークな空間だった。

 泥濘に足を滑らせ、ジュンは手をついた。出血多量のせいで歩行がおぼつかない。メディックが勧める乳酸リンゲル液の輸液は断った。部隊は帰投の準備をしているが、まだ彼女の悲願である復讐を遂げてない。輸液バッグをぶら下げて作戦行動するなど御免だった。

 ジュンはサブマシンガンのP90を両手で持っていた。トリガーの下のセレクターをフルオートに合わせてある。貫通力の高い特殊な弾薬を、拳銃のファイブセブンと共用できる優れた銃だ。ただしジュンが選んだのはアニメの影響だが。

 動かないエスカレーターを歩いて上り、シネコンの内部へ入った。異臭が鼻腔を刺激した。ロビーには一面、竜の卵が並んでいた。孵化して卵殻を破った子竜もいる。深いエメラルド色の鱗を持つ緑竜だ。ロビーは産卵と孵化のための施設として使われていた。絨毯敷きの床を覆う粘液が、ローファーにこびりついた。

 ロビーには盗賊が三人いた。大きな卵を左右の脇に抱え、持ち出そうとしていた。ブラックマーケットで売り捌くつもりだ。よちよち歩きの小竜が同胞を救おうと咬みつくが、盗賊に蹴り飛ばされた。泡を吹いて気絶した。

 紫のタンクトップを着た女盗賊のホムラが、略奪を仕切っていた。この盗賊団では古株で、額に傷跡があった。

「ホムラ」ジュンが言った。「卵と子供には手を出すな」

「これはめっけもんだよ。緑竜の卵は竜鉱石より高く売れる。たまらなく美味なのさ。あんた食べたことあるかい?」

「聞いてるのか。あたしは卵を盗むのを許可してない。時間的にも限界だ」

 ホムラはジュンに詰め寄った。豊満な乳房を誇示するかの様に胸を張った。

「いいや、聞こえないね。ウチらは盗賊だ。お宝を見つけたのに放置なんて、できるもんか」

「まだ生まれてすらない竜に罪はない」

「おやおや。ドラゴンスレイヤー様の御意見とは思えないね。竜は竜だろう。成長すれば人間を襲うんだ」

「緑竜はおとなしい。こちらから仕掛けないかぎり無害だ」

 ホムラは首を横に振った。竜退治のエキスパートと議論する愚を悟った。卵を抱えたまま、包帯を巻いたジュンの肩にわざとぶつかり、ロビーから出ようとした。

 カシャッ。

 金属音がしたのでホムラが振り返ると、コッキングハンドルを引いて給弾したP90を、ジュンが構えていた。

 ひゅうと短く口笛を吹き、ホムラが言った。

「ウチを撃とうってのかい。竜圏の外にいる仲間が黙ってないよ。禁衛府が盗賊と組んでると知れたら、世間は大騒ぎだね」

「卵を元に戻せ」

「もともとあんたは恨まれてるんだ。霊力を使いすぎるせいで洪水が起きて、市民が何万人と死んでいる。竜に殺された人数より多いじゃないか」

 ジュンは銃口を下げた。首を回してボキボキと鳴らした。

「竜鉱石をやる」

「なんだい」

「折半する約束だったが、全部くれてやるよ」

 破顔一笑したホムラは、八歳年下のジュンの肩を抱いた。

「さすがは長官閣下! 話がわかるねえ」

「うるせーな」

「他の軍人連中と違って、あんたのそういう融通の利くところ、ウチは好きさね」

 ホムラはふくよかな胸を押しつけ、ジュンの頬にキスした。




 シネコンから出ると、トレーラーの荷積み作業は終わっていた。天候はさらに悪化し、大型台風が直撃した様な暴風雨となっていた。ジュンは交通標識のポールにつかまらないと立っていられなかった。

 歩くこともままならない荒天なのに、単独で作戦行動できるか不安になった。

 でも、やるしかない。

 あたしはそのために新宿を再訪したんだ。

 トレーラーに乗ったホムラが、助手席からジュンに言った。

「あんたらも早く乗りなよ」

「西口の高層ビル街に黒竜王の巣がある。ちょっくら挨拶してくる」

「無理だろう、そんな大怪我してちゃ」

 突風が吹き、標識のポールが根本から折れた。部下の因幡八代が駆け寄り、ふらつくジュンを押し倒した。

 ドーンッ!

 凄まじい騒音がし、地面が揺れた。

 路上に黒い物体が出現していた。怪獣映画のゴジラの頭部だ。東宝ビル八階に飾られていたオブジェが落下した。もしあそこにいたらと思うと、ジュンの背筋は寒くなった。

 覆いかぶさる因幡の顔を見上げ、ジュンが言った。

「ありがとう」

「長官には何度も助けていただきました。これくらいお安い御用です」

 至近距離で囁かれ、ジュンは紅潮した。ほころんだ口許を手で隠した。まるでプリンセスに仕えるナイトではないか。

 泥濘の中で立ち上がり、ジュンが言った。

「あたしはもう大丈夫。因幡も帰還しな」

「何をおっしゃるんですか。自分もお供します」

「いいから乗れ。これは命令だ。黒竜王と刺し違えるのは、あくまであたし個人のミッションだ。巻き込みたくない」

「その命令には従えません」

「頑固だな。霊刀遣いならともかく、お前なんかいても役に立たない。死体が二つになるだけだ」

「そんなことはさせません。長官は自分がお護りします」

 雷光が因幡の顔を照らした。落ち着き払った表情は、決意の固さを感じさせた。

 人竜戦争において今のところ最大の会戦である「スカイツリーの戦い」で、ジュンは因幡の命を救った。それ以来彼は忠節を尽くしていた。

 因幡は装備の確認を始めた。やる気満々だ。どうすれば説得できるだろうか。

 ジュンは制服のスカートのポケットから定期入れを出した。中に入っていたカードキーを因幡に渡して言った。

「ひとつお願いがある」

「浦安にあるトランクルームの鍵ですね」

「官舎暮らしで手狭だから、荷物をよそで保管してるんだ」

「何を保管してるんですか」

「両親の遺品。あとは抱き枕とか、人に見られたら恥ずかしいアニメグッズ。あたしが戻らなかったら、処分してほしい」

「お断りします。自分は戦闘員であって、長官の雑用係ではありません」

「アニオタにとっちゃ大切な宝物だ」

「自分は野球オタクなので価値がわかりません。では準備をしたいので失礼します」

 因幡はカードキーをジュンに返した。弾薬などを調達しに後部のコンテナへ向かった。

 にやにやと笑みを浮かべ、ホムラがジュンに言った。

「ハンサムな男じゃないか。あんたのいい人かい」

 ジュンが言った。「そんなんじゃねーよ」

 血相を変えて振り返り、因幡が叫んだ。

「そこの盗賊! 我ら軍人を侮辱するか!」

「なんだよ。おっかないね」

「貴様らなどには解らぬだろうが、自分は断じて、よこしまな思いで長官に仕えているのではない!」

 助手席の側のジュンを見下ろし、ホムラが小声で言った。

「あんたも苦労が多いねえ」

「ほっとけ」

「確かに顔はいいけど、あれじゃあ脈はないな」

「アラサー女は黙ってろよ」

「二十六歳はアラサーじゃないさ」

「四捨五入したら三十だろ」

「正しくは『二十代半ば』って言うんだよ。それはともかく長官閣下、御武運を!」

 おどけて敬礼するホムラを乗せたトレーラーが発進した。

 因幡はSCARを構え、西武新宿駅の方へ歩き出した。ジュンの命令なしで勝手に先導していた。有能な下士官だが、やや独善的なところがあった。

 雨に打たれながら、ジュンはため息をついた。

 因幡を直属の部下に選んだのは、訓練の成績が良かったからだが、それより顔写真がイケメンだったのが大きい。

 ジュンはつぶやいた。

 なんだよ、よこしまな思いって。別にそういう目で見られても、あたしは構わないのに。




 山手線の高架を潜った先の、副都心と呼ばれた西新宿は、歌舞伎町より無慚に朽ち果てていた。人と竜の、ときに竜同士の争いに巻き込まれ、すべての超高層ビルが倒壊していた。腐蝕した近代的建築に蔦が絡みつく様子は、どこか退廃的な美を感じさせた。

 ジュンと因幡は、瓦礫に身を寄せて暴風雨を避けながら、荒廃した土地を進んでいった。

 まだ竜族との遭遇はない。重傷を負ったジュンにとって、因幡が同行してくれたのは正直ありがたかった。目と耳がもう一組あるおかげで、警戒しながらの戦術的移動がしやすい。

 ターゲット以外との交戦は極力、いや絶対避けたかった。

 クサナギの使用はあと一回が限度だ。九頭竜を斃すのに霊力を使いすぎた。これ以上はジュンの身心が保たないだけでなく、嵐による被害も取り返しのつかない規模になる。

 暗雲を引き裂いて数頭のワイバーンが飛び交い、金切り声を地上へ響かせた。ワイバーンはもっとも飛行が速い種族であり、偵察・警戒・連絡などの役割を務める。電波が通らない竜圏で、竜族は情報量の多い啼声と記憶を共有する能力を駆使し、高度な移動情報通信システムを構築していた。

 雲翳を見上げながらジュンが言った。

「仲間を呼んでやがる」

 因幡が言った。「赤竜まで来たら厄介ですね」

「黒竜の縄張りのど真ん中だから、それはないな。襲ってくるとしたら人間の奴隷だろう。注意しろ」

「あの盗賊団が裏切るかもしれませんよ」

 前行する因幡の広い背中をジュンは眺めた。盗賊を作戦に引き入れることに彼は猛反対していた。

「ああ見えてホムラは筋を通すタイプだ。利益も与えてある。心配いらねえよ」

「だといいのですが」

 ジュンはアンフェタミンの錠剤を飲み込んだ。いわゆる覚醒剤だ。多用すべきではないが、激痛と疲労を吹き飛ばすためには仕方なかった。

 足許に流れる雨水に指を浸した。コールタールの様に黒ずみ、粘りついた。鼻が曲がりそうな臭気も漂った。

 ジュンが因幡に囁いた。

「近いな」

 因幡は無言で頷いた。楽天イーグルスの臙脂色のキャップの下の、端正な顔が引き攣っている。

 いまから対峙するのは、大地を支配する黒竜族の長だった。人類はまだ、族長クラスの竜を斃した経験がない。終わってみれば、黒竜王が飲み込んだ膨大な血の量が、また一滴増えるだけの結末に至るかもしれない。

 賭博なら、二人はそっちにベットするだろう。

 コンクリートの砕片が崩れないよう慎重に、ジュンと因幡は斜面を登った。都庁前の半円形の広場に出た。午後二時なのに空は暗澹としており、視界は不鮮明だった。ナイトビジョンを用意すべきだったとジュンは後悔した。前方に倒れた二百四十三メートルの都庁舎が、広場を占拠していた。

「おかしい」ジュンがつぶやいた。「黒竜王はこの辺りにいるはずなのに」

 轟々という音が響いた。

 ジュンはぎょっとして飛び跳ねた。三年に及ぶ軍歴で、その音が何を意味するか知っていた。

 巨竜の寝息だ。

 P90を瞬時にクサナギに持ち替えた。近辺で寝ているであろう黒竜王を探した。

 ジュンが叫んだ。「クソッ!」

 見誤っていた。広場に横たわっていた物体は、倒壊した都庁舎などではなく、眠っている黒竜王だった。

 これほど巨大とは。

 三年前、ジュンは黒竜王を間近に見たことがあった。あれからさらに肥大化していた。

 ジュンは戦慄した。武者震いだった。

 ついに見つけたぜ。

 お父さんとお母さんの仇を。




 黒竜王の尾の方から、人間の女の声がした。

「待ちなさい! 私たちが相手になるわ」

 古代風の黄色の衣装を着た女三人が、横坑から現れた。プリーツスカートみたいな裳を穿き、鉄矛を持っていた。

 ジュンは舌打ちした。

 めんどくせえのが出てきやがった。

 女たちは黒竜王の妻だった。聞かないでも解る。戦前は政府が籤引きで人身御供を差し出したし、戦中はブラックマーケットで多くの女が売られていた。竜族がいかなる審美眼に基づいて人間の妻を選ぶのかは謎だが、三人とも王の側女にふさわしい器量を備えていた。

 矛でライフルに対抗する女たちのデタラメぶりが、衣装だけでなく世界観まで古代風に染まった証拠だ。インカ帝国を征服するときのスペイン人の心境を、ジュンは確知した。

 無謀な敵が、いちばん厄介だと。

 おいそれと人間に手は出せない。竜圏は少なくとも名目上、日本の法律が適用される領土だ。無法地帯ではない。下手を打てば、政治的にこっちの首が飛ぶ。

 長い黒髪を後ろで束ねた女が言った。

「竜王様への乱暴は許さない」

「ええっと」ジュンが言った。「特殊生物被害者保護法にもとづき、皆さんを竜圏外へ送還します。こちらの因幡衛士長の指示に従い、速やかに退去してください。従わない場合は敵性勢力と認定され……」

「竜王様は重い病に罹ってるの。おそらく寿命なの。お願いだからそっとしておいてあげて」

 ジュンは振り返って黒竜王の寝顔を見た。健康かどうか診断できない。ジュンが精通してるのは竜の殺し方だ。

 ジュンは怒りを篭めて女を睨んだ。

 この女たちの言動は理解できる。ストックホルム症候群だ。人質が誘拐犯に愛着を示すというあれだ。珍しくもない。

 あたしはただ、邪魔されたくないだけだ。

 ジュンが因幡に言った。

「こいつらを武装解除して追っ払え。抵抗したら撃っていい。あたしはサクヤが来る前にケリをつける」

 因幡が言った。「了解」

 サクヤとは、禁衛府次長の清原サクヤのことだ。中学以来の親友としてジュンを補佐するだけでなく、独走しがちな相棒の手綱を締めるお目付役でもあった。

 三人の女は、近づく因幡に穂先を向けた。皆へっぴり腰で、アサルトライフルを装備した衛士の敵ではない。

 それでも彼女らは、徹底抗戦の意志を示していた。

 黒髪の女がジュンに言った。

「聞いて。あなたは竜王様の御心を知らないだけなの」

「なめんな」ジュンが言った。「あたしはこのトカゲ野郎をようく知ってる。最低最悪の人食いモンスターだ」

「竜王様は本当は平和を望んでおられる」

「うるせえ、ビッチ。寝言は地底界に帰ってから言え」

「人と竜は解り合える。種族の違いは問題じゃないの」

 因幡は会話を聞きながら唾を飲んだ。背後にいるジュンが、女を真っ二つにする衝動に駆られるのを気配で察した。人間の殺害は物議を醸す。ジュンの統率力や戦術眼を因幡は尊敬しているが、若さゆえの軽率さを感じるときもあった。

 あえて因幡はSCARの銃口を下げた。釣られて女の一人が、やあっと無意味な叫びを上げて矛を突いてきた。因幡は右に動いて躱し、女の腕を取って転がした。もう一人に足払いし、ジュンと口論していた最後の一人の側頭部に、SCARのストックを叩き込んだ。

 鮮やかな手際に感心し、ジュンは鼻を鳴らした。

 高校時代まで野球選手だった因幡は、百八十四センチと長身だ。肩を壊して引退する前は、プロから声が掛かるほどの剛速球投手だったらしい。男なので霊力を使えないが、単純に近接格闘の技倆であればジュンを凌いでいた。

 ジュンと因幡はアイコンタクトした。

 決着をつける時だ。




 左手をクサナギの鞘に添え、ひとりでジュンは一歩また一歩と、黒竜王の頭部へ近づいた。心臓が高鳴っていた。

 お父さん、お母さん。

 見ててね、今からあたしがすることを。

 黒竜王の瞼が持ち上がった。濁った目でジュンを見下ろした。

 努めて平静な口調で、ジュンが言った。

「よう、久しぶり。あたしを覚えてるかい。それとも人間なんて餌だから、気にも留めないかな」

 竜族は人間の言語を解する。発声はできないが、人間の精神に直接言葉を送り込むことができた。

「覚えているとも」黒竜王が言った。「我々の記憶は失われることがない。そしてその記憶は竜同士で共有される」

「あたしも竜だったら赤点取らずに済むのにな」

「暁ジュン、お前は両親の仇を取りに来たのか」

「たりめえだろ。そのためにあたしは生きてきた。地獄の様な戦場を潜り抜けて」

「どれだけ竜を殺した。どれだけ人間の被害者が出た」

「あたしに説教すんな、トカゲ野郎。命乞いをしたけりゃ聞いてやる。まあその後で瞬殺するけどな」

「哀れな。憎しみに囚われた娘よ」

 ジュンはクサナギを鞘走らせた。しかしバチバチと火花が散る音がして、刀は固まった。手許を見ると、鍔のところに電光の鎖が巻きついていた。

 霊力によってクサナギが封じられた。誰がやったのかは解っている。その権限を持つ人間は一人しかいない。

 暗がりを見回しながらジュンが叫んだ。

「サクヤッ! 霊鎖を解けッ!」

 死角から、禁衛府次長の清原サクヤが現れた。刀の間合いに澄まし顔で立っていた。抜けない以上斬られる恐れはない。

 迷彩戦闘服を着たサクヤは、ジュンの中学時代の同級生だ。人目を引く容貌の持ち主だった。美少女というだけでなく、生まれつき唇と頬が真っ赤だった。あまりに唇が赤く、まるで生肉に食らいついた後みたいに見えるので、コンシーラーでごまかさねばならないくらいだ。

 憮然と腕組みして、サクヤがジュンに言った。

「あなたはひどい人ね。私に前線の指揮を任せおいて、自分は秘密作戦をこっそり実行してたなんて」

「なぜ邪魔する。あと一太刀で黒竜王を葬れるんだ」

「作戦中止命令が出たからよ。首相直々の」

「ふざけんな!」

「ふざけてるのはあなたでしょ。霊剣の使用は一日一回までと決められてるのに、もう四回も使った」

「九頭竜を斃せたんだから価値ある勝利だ」

「犠牲が大きすぎる。霊力バランスが崩れたことによる異常気象で、関東地方のほとんどのダムが決壊した。どれほど被害が生じたのか見当もつかない。実質的に敗北よ」

「国民は理解してくれる」

「あらそう。弁明は軍法会議でするといいわ」

 サクヤの真っ赤な唇が歪んだ。ナンバーツーである彼女には、長官を告発する法的権利がある。

 ジュンは剣帯に差していた、鉈の様に大型の戦闘用ナイフを振るった。サクヤは目を丸くして、自分の左頬を触った。華奢な指がべっとりと血で濡れていた。

「信じられない」サクヤが言った。「自分が何をしたのか解ってるの」

「霊鎖を解け。三度めは言わない」

「あなたは親友の顔を切ったのよ」

「それがどうした」

「狂ってる。あなたの辛い経験は知ってるわ。でも禁衛府を率いる責任の方が重いでしょう」

 ジュンは苦しげに俯いた。明るく快闊な性格だが、ときおり陰鬱な表情を見せることがあった。

 ぼそぼそとジュンがつぶやいた。

「三年前、あたしは京王プラザホテルのレストランにいた。両親の結婚記念日を祝っていた。黒竜王が現れて新宿を壊滅させた。お母さんはあたしを庇って死んだ」

「家族を失ったのはあなただけじゃないわ」

「着飾ってキレイにお化粧したお母さんは、黒焦げになった。翌朝救助されるまで、あたしは瓦礫の下で一晩中、お母さんの焼け爛れた肉の臭いを嗅いでいた。一分一秒だってあの日を忘れたことはない」

「…………」

「たとえ世界が滅んでも、あたしは黒竜王を斬る」

 闇の中でジュンの瞳が燃えていた。サクヤはこの幼馴染が、実は竜より恐ろしいモンスターだったのではないかと、考えを改めていた。本能的な恐怖に震えながら。




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

『スクールガール・タクティクス』 第9章「リーパー」


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 プレステージ号には、スロットマシンなどを備えたカジノがあった。パナマ船籍なので公海上ならギャンブルは合法だし、客筋が信用できる場合は東京湾内でこっそり営業することもあった。たとえば今みたいに。

 賭け金は人間の生命だが。

 男性アイドルグループ・ボディーゾーンのメンバー四名が、ルーレット台を囲んで浮かれ騒いでいた。ボールは赤の7へ落ちた。喜びを爆発させつつ、四名は船舶用バッテリーのスイッチをオンにした。

 パンツ一丁の島袋がジタバタと暴れた。両手両足を肘掛け椅子に縛りつけられ、手の甲に刺さった釘にブースターケーブルが繋がっていた。失禁し、吐血していた。

 リーダーである小田切ジュンが、島袋の二重顎をつかんで生死を確かめた。歌唱力はともかくトークが巧みで、現在六つのテレビ番組で司会を務める人気者だ。

「このデブ」小田切が言った。「まだ死んでねえわ。脂肪が絶縁体になるのかな」

 唇を噛んで意識を保ちつつ、島袋が言った。

「てめえらみたいなヘナチョコに俺が殺せるか」

「さっさとブサメン組織の情報を吐け。俺らはクルミちゃんとエッチしに行きたいんだ」

「俺の方がてめえらよりイケメンだ」

 島袋は情報部別班における訓練で、拷問への対処法を学んでいた。その中に鉄則がひとつあった。

 決して敵を挑発するな。

 次の電撃でとどめを刺すべく、小田切は足早にブラックジャックのテーブルへ戻った。バッテリーが置かれた扇形のテーブルの前に、黒いドレスの女が裸足で立っていた。

 ディーラーではなく、ヒカルだった。

 ヒカルはミニゴルフ場で拝借したパターをフルスイングした。小田切は転がってスロットマシンにぶつかった。衝撃でマシンは気前よくコインを吐き出した。ジャックポットだ。

 島袋の哀れな姿を見て眉をひそめ、ヒカルが言った。

「大丈夫ですか」

 島袋が言った。「たまにはカジノも悪くないぜ」

「こうなっては無人機を使うしかないと思いますが」

「最後の手段だが、やむを得ないな」

 ヒカルは風切り音を立ててパターを振り、ボディーゾーンの残る三名を威嚇した。人数と体力では不利だが、確実に当てる自信があった。誰だって鈍器で殴られるのは嫌だろう。

「抵抗しないで」ヒカルが言った。「キレイな顔を傷つけて、ファンの子たちに恨まれたくない」

 イケメン三名は同時に突進してきた。ステージでダンスする様に息はぴったりだ。

 ヒカルは仰天した。降伏勧告は一瞬も考慮されなかった。女は獲得すべきトロフィーであり、交渉すべきカウンターパートではないと、ジェイ事務所は所属タレントに教育していた。

 ヒカルはパターを構えた。彼女が潜入任務を志願したのは、クルーズ船に芸能人がいると聞いたからだった。途轍もなくミーハーなのだ。なのに目撃したのはセレブの醜悪さだけ。婚約者のリュウジ以外に恋愛経験のない彼女は、乱交なんて行為も大嫌いだった。

 レフト前、ライト前、センター前。

 ヒカルは華麗なバット捌きを披露した。高三のときソフトボールの都大会で記録した打率七割三部一厘は、いまだに破られてないはず。セクシーなドレスを着てるからって、あまりナメないでほしいと思った。




 ヒカルは東京湾の波に揉まれていた。大量の海水を飲み、そして吐いた。スカートが纏わりついて泳ぎづらいが、ライフジャケットの浮力で溺れずにすんでいた。トライハートによる銃撃に遭い、救命筏に乗る余裕はなかった。

 停止しているモーターボートへ近づいた。ブサメンが二人掛かりで、ヒカルと島袋を後部デッキに引き上げた。

 振り返ると、ジャンボジェット機が発着する羽田空港を背景に、黒煙をあげて燃え盛るプレステージ号が見えた。島袋がCIAに要請し、三沢基地から飛んだ無人航空機リーパーにヘルファイアで攻撃させた。五万トン級とはいえ、対戦車ミサイルを撃ち込まれてはひとたまりもない。左舷に生じた亀裂から浸水しており、数分後に沈没すると思われた。

 北朝鮮対策を専門とする諜報員の島袋は、CIAにいくつか貸しがあった。下院議員のスタッフに紛れ込んだスパイを教えた件では、特に感謝されていた。無人機を借りるのは妥当な報酬だった。

 ヒカルは、逆さ吊りで放置した沢木カズヤのことを考えた。逃げ遅れて死んだら自分の責任だ。たしかに乗客はみな虐殺の共犯者だが、死に値するかは解らない。若く純粋なファンが悲しむと思うと気が重くなった。

 銀髪で黒のショートパンツを穿いた神月ヤヤが、キャビンの上の操舵席から下りてきた。ヒカルにペットボトルを渡した。

「ありがとう」ヒカルが言った。「でも喉渇いてなくて」

 ヤヤが言った。「体内の塩分濃度が高まってるから、水分補給した方がいいよ」

 ヤヤはブサメンたちに、助けを求めて泳いでくるJKを拾うよう命令した。ブサメンは拒否し、口論となった。

 鬼瓦みたいな顔のブサメンが、歯を剥き出して叫んだ。

「あいつらは人でなしだ! 俺たちを虐殺してるんだぞ!」

「気持ちは解るよ」ヤヤが言った。「でもまだ二、三人はこのボートに乗れる。できるだけ助けたい」

「あんたも女だ。内心ではあいつらの味方なんだ」

「性別は関係ない。未成年を戦闘以外で死なせたくないだけ」

 唇をぎゅっと結び、ヤヤは鬼瓦を見上げた。中学生としても小柄な娘だが、有無を言わさぬ威圧感を放っていた。ブサメンたちは不承不承、JKを三人救助した。帰港するためモーターボートは走り出した。

 ヤヤは、ツインテールのJKのそばに膝をついた。呼吸停止しかけていた。ヤヤはツインテの豊かな乳房を潰し、胸骨を圧迫した。常に迷いがなく、テキパキしている。横たわるツインテの胸は自力で上下し始めた。

 ガシャンッ!

 キャビンからガラスが割れる音が響いた。切り裂く様な女の悲鳴が海に迸った。鬼瓦がJKの制服を剥ぎ取り、のしかかっていた。ズボンを下ろしてレイプしようとしていた。

 ヤヤは左手の親指で刀の鯉口を切った。キャビンへ飛び込み、鬼瓦の短髪をつかんでデッキへ引き摺り出した。萎縮した性器をぶら下げた状態で立たせた。

 深呼吸して怒りを抑えつつ、ヤヤは言った。

「なんてことをするんだ。謝れ」

「あいつらは犯罪者だ。何をされても自業自得だ」

「本気で言ってるの」

「俺たちにも少しはいい目を見させろ」

 ヤヤは左足を軸にすばやく回転した。後ろ回し蹴りを鬼瓦の腹部へ叩き込んだ。鬼瓦は頭から東京湾へ転落し、モーターボートに置き去りにされた。




 ヒカルは襲われたJKの衣服を直した。動揺は残ってるが、正常に会話できていた。対処は島袋らに任せ、後部デッキへ出た。

 太陽がレインボーブリッジの後ろに沈もうとしていた。空と海の青に、夕焼けのオレンジが混ざり合い、吊り橋の幾何学的なシルエットを際立たせていた。

 ヒカルは半分残ったペットボトルを返し、ヤヤに言った。

「優しいね。あの女の子たちは敵なのに」

「戦闘が終われば敵も味方もないよ」

「そう割り切れるものかな。ヤヤちゃんは奥多摩で頭をケガしたし、被弾もしたでしょ」

「なんとも思わない。むしろ尊敬する」

 いつも無表情なヤヤが、あどけなく笑った。ヒカルは逆に不安になった。ここは実弾が飛び交う戦場なのに、ヤヤの態度はテレビゲームに興じる少年の様だ。

「ヤヤちゃんはなんでこの戦いに加わったの」

「フレンドが殺されたから」

「フレンド? お友達って意味?」

「ゲーム仲間のこと。いろいろ調べたらTMAの存在を知った。そんでぶーちゃんに誘われた」

「いくらなんでも若すぎるよ。今でも私は反対」

「ボクはeスポーツに飽きたのかもね。大会で優勝してもあんま感動しなくなったし」

「でも何億円も稼いでるんでしょ」

 ヤヤはきょとんとした。自分が金銭に無関心なだけでなく、他人の金銭への関心さえ不可解である様だった。

「ヒカルちゃんはゲームする?」

「ほとんどしないかな」

「ネットで対戦すると、相手のハンドルネームが表示されるんだ。たとえば『あっくんママ』とか。きっと専業主婦なんだろうなって思ったり」

「へえ、楽しそう」

「でもボクはボコボコにしちゃうんだ。手加減するのも難しいし。で、後で虚しくなる。あっくんのママが忙しい家事の合間に気晴らししてるのに、嫌な思いさせたかもって」

「ゲームに勝ち負けがあるのは当然じゃない」

「うん。だから虚しい。遊びでもつい本気出しちゃう自分が。なんでこんなに必死なんだろって思う」




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『スクールガール・タクティクス』 第8章「資金源」


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 大胆に背中の開いた黒いドレスを着て、ヒカルはファッションショーのランウェイみたいな舞台を往復していた。幾度かよろけたのは、ヒールの高い靴のせいだけでなく、鎖で両手を縛られてるからでもあった。

 ヒカルは、エネルギー関連の商社マンや外交官や美女などが集う秘密のパーティに潜入していた。場所は東京湾に浮かぶクルーズ客船「プレステージ」だ。ただ残念ながら彼女の身分は、乗客でなく貨物だった。ほかにランウェイを歩く女たちは東欧や南米の出身だった。人身売買の組織を通じて日本へ送られ、この悪趣味なオークションに出品された。

 つまり彼女らは今、競売に掛けられていた。

 トライハートの資金源はおおよそ判明した。陸自の諜報員である島袋が仮想通貨の取引を調査した。中核にあるのは、シリア沖で発見された天然ガス田だった。ティナの父親が経営するエネルギー企業が、日本企業に支援されてそのガス田の開発を進めていた。内戦で身動きが取れないシリア政府を出し抜き、独占的な採掘権を獲得していた。

 十六歳のティナは、アジア大陸の東西にまたがる天然ガスのシンジケートの連絡員だった。ヒカルたちにぽんと二億円を与える財力があるのも道理だが、問題はカネだけではない。この大プロジェクトは日本政府も陰で一枚噛んでいる。ティナとしてはシリアに正統的なイスラム国家を樹立するため、日本を中東の政治的軍事的力学の渦中へ巻き込み、アサド政権を揺さぶろうとしていた。

 ヒカルは目眩を感じながら舞台袖へ戻った。密かな目的を持って潜入しているが、それでも剥き出しの欲望に打ちのめされた。異国から強制的に連れられた女たちの屈辱はいかほどだろう。警察に通報して関係者を全員逮捕してもらいたいが、ここは海の上なのだった。

 サングラスをかけた黒のスーツの男が、ヒカルに言った。

「落札された。五百五十万円だ」

 ヒカルは嘔吐しそうになった。安値で買い叩かれたことに。振り返ってホールを眺めたが、暗くて買い手の顔は解らない。クルーズ船のどこかにいるはずの島袋が、脱出するための頼みの綱だった。




 鉄鎖をジャラジャラ鳴らし、ヒカルはビュッフェ形式のレストランを横切った。酒池肉林の宴がたけなわだった。ソファで堂々と行為に及ぶ者もいた。テレビで見覚えある芸能人も乱痴気騒ぎに加わっていた。

 大きな音を立てて個室のドアが開いた。金髪で長身の女が現れた。森下クルミだ。全裸だった。腕にタトゥーのあるイケメンの髪をつかんで引き摺っていた。

「クソが!」クルミが叫んだ。「フェラだけでイクとかなめてんのか、早漏野郎!」

 クルミはテーブルの上のシャンパングラスを取り、口をすすいで中身を入墨男の顔に吐きかけた。ソファで別のイケメンの腰にまたがる女を引き剥がし、男だけを連れて個室へ戻った。わずかに面識あるヒカルの存在には気づかなかった。もともと女など眼中にないのだ。

 グラサン男は首輪に繋がる綱を引いて、ヒカルを隣の個室へ導いた。




 個室には窓があり、穏やかな東京湾の風景を楽しめた。そうするだけの心の余裕があればだが。

 部屋には女と男がひとりづづいた。女は縄で縛られ、天井から逆さ吊りされていた。透き通る様に白い肌をした東欧風の女だった。男は、痩身ながら筋肉の隆起した上半身を露わにしていた。鞭を振るうその男は、芸能人だった。

 沢木カズヤ。男性アイドルを専門とするジェイ事務所の、ボディゾーンというグループの一員だ。

 沢木は加虐を止めて振り返り、落札品であるヒカルをねめ回した。テレビで見たとおりの端正な顔立ちだが、目が濁っていた。アルコールや薬物の影響だろう。テーブルには使用済みの注射器が転がっていた。東欧女にも過剰投与し、意識を朦朧とさせた上で痛めつけていた。

 テーブルの上にはさらに、ナイフやハンマーや電動ドリルや糸ノコギリなどが並んでいた。死体をバラバラにされ、ゴミの様に海に捨てられる未来が予想された。島袋は一向に助けに来ない。身許がバレて捕まったのかもしれない。

 深呼吸してヒカルが言った。

「ボディゾーンの沢木カズヤさんですね」

「なんだ」沢木が言った。「日本語をしゃべれるのか。お前は日本人か?」

「そうです。あなたみたいな有名人が、なぜこんな酷いことをしてるんですか。ファンが知ったら悲しみます」

「ふん、なにも解ってねえな」

「どういうこと」

「ファンは、俺たちが誰かと真剣交際するのを一番嫌う。だからこういう所で遊ぶ。万一バレても連中は傷つかない」

「そんなバカな」

「乱交パーティなら、ひょっとしたら自分もジェイタレに抱いてもらえるかもしれないと、夢を見れるのさ」

 沢木は乾いた声で笑った。美声だった。

 ヒカルはうなだれ、鎖で繋がれた両手を見下ろした。幻滅していた。音楽が好きで、歌番組が放映されれば必ず見るヒカルにとって、明るく爽やかなジェイ事務所のタレントは憧憬の対象だった。

 でも現実のジェイタレは、一般社会と異なるルールに従って世を渡る、理解不能な生き物だった。

「トライハートという組織を知ってますか」

「知るか。くだらねえ質問はやめろ」

「じゃあ中川エリコさんは」

 長い前髪の下の沢木の表情が、皮肉で陰気なものに変わった。トライハートのリーダーであるエリコと、なんらかの因縁があるのは明白だった。

「そいつなら知ってる。アソコの締まり具合まで」

「恋人なんですね」

「俺たちはプロフェッショナルだから、恋人を作らない。性欲を吐き出す場所は必要だけどな。幸い、相手には困らない」

「エリコさんは異なる意見でしょうね。かわいそうに」

「あいつは、そこらの女優やアイドルよりツラもカラダもいい。でもやたら束縛してくるから捨てた」

 会話に飽いた沢木は、首を回してボキボキ鳴らした。天井の滑車から垂れ下がるロープを調整し始めた。ヒカルを吊って虐待するつもりだ。

 ヒカルは懸命に考えた。理解しようとした。このパーティの参加者の行動は、なぜこれほど異常なのか。

 おそらくストレスが原因だ。タレントなら常にCDの売上や視聴率で評価される。良い数字が出なければ地獄だ。将来への不安も大きいだろう。

 注射器を持って近寄る沢木に、ヒカルが言った。

「とてもいい体してますね。ジムで鍛えてるんですか」

「俺の肉体に惚れたか? 抱いてやってもいいぜ。クスリを打ってからヤると天国までイケる」

「もしよかったら下半身も見せてください」

 沢木はジーンズと下着を脱いだ。己の肉体美を見せたくてしかたないのだ。ただしヒカルとは二メートルの距離を保っている。両手の自由を奪ったとはいえ、反撃されるかもしれない。

「すてき」ヒカルが言った。「とっても立派です」

「ナニが大きいってよく言われるぜ」

「お尻も見たいです」

「それは断る」

「ああ、やっぱり。肛門を使い込んでるから」

「なんだと」

「事務所の社長に毎晩犯されてるんでしょ」

「てめえ、殺すぞ」

 沢木は乱暴にテーブルを漁った。もっとも痛覚を与えられそうな道具を探した。激怒していた。なのでヒカルが背後に忍び寄るのに気づかなかった。

 ヒカルは床から拾った注射器の針を、沢木の首筋に刺した。プランジャーを押し込み、バレルの中のヘロインを一滴残さず注入した。狼狽した沢木は尻餅をついた。

 ヒカルは這いずる沢木を捕まえ、足首にロープを結びつけた。力づくで滑車を引き、裸のアイドルを逆さ吊りにした。

 気絶しかかった沢木の頬を平手打ちし、ヒカルが言った。

「まだ意識はありますか」

「ウチの社長が黙ってないぞ」

「逆さまで凄むのは滑稽ですよ。あなたのファンを悲しませたくないから殺しはしません。でも、自慢のナニにお仕置きしてあげますね」

 ヒカルは思い切りハンマーを振り下ろした。




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『スクールガール・タクティクス』 第7章「浸透」


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 ヒカルは木製のデスクが並ぶ、芳友舎のパソコン部部室にいた。保育園で有給休暇をもらったのをいいことに、けっきょく毎日高校へ通っていた。

 乗りかかった船は下りられない。すでにヒカルは二人殺したのだ。あと制服に対する未練もなくはなかった。

 部長であるソラが、ホワイトボードにマーカーを走らせた。昼食のカロリーメイトを頬張りながら、トライハートにまつわる謎を箇条書きしている。

 資金源。

 武器弾薬の入手ルート。

 他校のJKへの浸透具合。

 政界とのコネ。

 背後で彼女らを操る黒幕。

 ブサメン絶滅以外の隠された目的。

 書きくたびれたソラは、ぶらぶらと右手を振った。ため息をついて言った。

「謎が多すぎるッス」

 ヒカルが言った。「ソラちゃんがハッキングして調べたら」

「やったけど、肝心なことは何も解らないッス。あの人たち、連絡やお金の管理にパソコン使ってないッス」

「用心深いなあ。じゃあ幹部の三人を監視するとか」

「エリコ様は無理ッスよ。プロの女性のボディガードが常に二名張りついてるッス」

「まるでVIPだね」

「小学生のときストーカー被害を受けて以来、そうしてるらしいッス。お父様が偉い警察官僚なんス」

「へえ」

「そんでお母様がオペラ歌手ッス」

「くわしいね」

「全芳友生の憧れッスから」

 ソラはうっとりした表情で、敵組織のリーダーについて語った。

 奥多摩でヒカルたちは、トライハートを痛撃した。確認戦果だけで三名死亡、ほかにも相当な被害が生じたろう。しかしあの戦闘は偶発的だった。功を焦った三年生が自滅しただけとも言える。組織の中核を叩いたわけではない。

 短いスカートから伸びる脚を組み、ヒカルが言った。

「カラオケに誘おう。クルミさんは正直怖いから、ティナさんがいいかな」

「へ?」

「私は保育士だから知ってるの。お歌が嫌いな子供はいない」

「いやいや」

「情報を引き出すには仲良くならなきゃ」

「でもカラオケって。世界的に悪名高いテロリストなんスよ!」

「子供は子供よ。例外なんてない」




 ヒカルとソラは放課後、田園都市線の用賀駅前にあるカラオケ店に来た。浅黒い肌の少女がアニメソングを熱唱していた。御岳山でヒカルの仲間を苦しめたティナだ。いま持ってるのはAK47でなくマイクだが。

 曲が終わり、ヒカルとソラは引き攣った笑顔で拍手した。

 上機嫌のティナが、ヒカルに尋ねた。

「ティナはもう何曲歌ったか?」

「十曲くらいですね」

「嘘だろ!」

「数えてないけど、それくらいです。とてもお上手なのでビックリしました」

「調子に乗ってしまった。今度はキミらが歌ってくれ。ティナは日本の歌をもっと知りたい」

 ティナはつぶらな瞳を潤ませ、何度も頭を下げた。ひたすら恐縮する姿に、残忍なテロリストの面影はない。マイクを渡されたヒカルは、得意の安室奈美恵を歌い始めた。

 店員が、ソラが注文したカツサンドを運んできた。皿をティナの方へ押し出し、ソラが言った。

「ティナさんもどうぞ」

「ありがとう。でもお腹は空いてない」

「そうッスか。じゃあ遠慮なくいただくッス」

 ソラは幸せそうにパンと豚肉にかぶりついた。もしゃもしゃと咀嚼しながら言った。

「アニソンに詳しいッスね」

「ティナは故郷のアレッポを離れ、ヨーロッパで一人暮らしをした。とても孤独だったが、日本のアニメに救われた」

「あたしもアニオタなんで、そう言ってもらえると嬉しいッス」

「日本のJKに憧れた。みんな可愛く、生き生きしていた。内戦で荒れ果てたアレッポとは、天国と地獄の違いだ」

「お気の毒ッス」

「そんなときフェイスブックでエリコと知り合った。誘われたので、勇気を出して芳友舎に入学した。みんなティナに良くしてくれた。日本は第二の故郷だ」

 ヒカルは安室奈美恵を歌いつつ、年下のふたりの会話に聞き耳を立てていた。おしゃべりなソラは、ティナの警戒を解くのに成功したが、口を滑らせて失言しないか心配だ。

「アレッポって」ソラが言った。「どんな町ッスか。シリア最大の都市ってことくらいしか知らないッス」

「古代以来の歴史が残る、美しい都市だ。イスラム文化の中心地だ。いや、だった。もはや瓦礫の山でしかない」

「シリア内戦は大変な出来事なんスね」

「かつて『アッラーに祝福された土地』と称された国だが、今となってはお笑い草だ」

「んなことないッスよ。アサド大統領を中心に、内戦は収束に向かってるとも聞きますし」

「すまない。ティナの前でその名を口にしないでくれ」

「アサドさんのことッスか?」

 ティナはフォークを握り、カツサンドへ突き刺した。皿は数片に割れた。

「バシャール!」ティナが叫んだ。「売春婦の子! 豚よりも汚らわしいケダモノ!」

「いったいどうしたんスか」

 ティナはソラの臙脂のネクタイをつかみ、首を締め上げて言った。

「あの男はアレッポにサリンガスを撒いた。母はもがき苦しみながら死んだ。名前を聞いただけで気が狂いそうだ」

「く、苦しいッス」

 ヒカルはマイクを置いた。ソラを窒息させているティナの手を握り、自分の方を向かせた。

 保育園でもケンカはよくある。大事なのは、兆候を見逃さないことだ。衝突に至るきっかけが解れば対処できる。今回ならカツサンドだ。イスラム教徒に豚肉料理を勧めるなんて無神経だった。客として招かれた立場のティナは、不愉快なのを表に出さず我慢していたのだろう。

「ティナさん」ヒカルが言った。「私からも謝ります。余計なことを言ってごめんなさい」

 ティナが言った。「別に謝る必要はない」

「さっきのソラちゃんの態度は、信仰や文化を軽視していました。彼女は物知りなのに、配慮に欠けるところがあって」

「こちらこそ見苦しい振る舞いだった。許してくれ」

 ティナは鄭重に頭を下げた。名家の生まれなのを匂わせる洗練された物腰だ。

 やや青みがかったティナの瞳に見惚れながら、ヒカルが言った。

「戦火で家族を喪うなんて、恐ろしいことですね」

「ああ。人生のすべてが変わった」

「さぞかし辛かったでしょう」

「インシャラー。アッラーの思し召しだ。それは理解しがたい。でもティナはアッラーのために戦う。ティナにはきょうだいが五人いる。弟が二人、妹が三人」

「大所帯ですね」

「いつかきょうだいを連れて祖国へ帰る。それまでに正しいイスラムの国を作る。長い道のりだが、アッラーを信じれば必ず成し遂げられる」

 ヒカルは頬に熱を感じた。涙が流れていた。

 各地で無差別テロを起こしたティナの行動は許容できない。それどころか弟の仇でもある。しかしその動機は純粋なのだと、直接話して解った。神のため、祖国のため、家族のため、命を賭して戦う情熱そのものは、否定しようがない。




 地下にある用賀駅は、入口が擂鉢状の階段になっている。カラオケ店を出たヒカルたち三名が、階段の上の歩道にいた。夜九時を回ったので帰宅したいヒカルとソラは、ティナに引き止められていた。

「約束してくれ!」ティナが言った。「またカラオケに付き合ってくれると」

 ヒカルが言った。「勿論です。沢山お話できて、私も楽しかったです」

「できれば毎週行きたい」

「ええ、ぜひ」

 ヒカルはセイコーの腕時計を一瞥した。母親から地元のスーパーで買い物を頼まれていたが、そろそろ閉店時刻だ。

 時間を気にするヒカルの様子に気づき、まるでこの世の終わりみたくティナはうなだれた。

「すまない。何か用事があるんだな」

「いえいえ、特に急ぎでは」

「ティナは一人でいると寂しくてたまらない。十六歳なのにみっともないが」

「女の子なら普通です。まして異国にいるなら、なおさら」

「なあ。ヒカルのこと、お姉さんと呼んで構わないか」

「嬉しいですけど、私たち知り合ったばかりなのに」

「インシャラー」

 ティナはアイフォンを操作した。すぐにヒカルとソラのアイフォンに通知があった。カラオケ店でティナに勧められてインストールした、見たことのないアプリだ。「入金がありました」と表示されていた。

「入金?」ヒカルが言った。「ティナさんが送ったんですか」

「ちょっとした感謝の気持ちだ。快く受け取ってくれ」

「でも一億円って書いてありますよ」

「正確には仮想通貨だ。試験的に運用されてるアプリだが、日本でも使える。税金もかからない。安心するといい」

「うそ」

 ヒカルとソラは顔を見合わせた。喜びを隠せなかった。実感の湧かない法外な金額にでなく、トライハートの資金源を突き止められそうな手掛かりに。




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『スクールガール・タクティクス』 第6章「指揮官」


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 銃撃戦を生き延びたヒカルとソラは、軍用ヘリのブラックホークで奥多摩の上空を飛んでいた。眼下には山林が広がり、建造物は見えない。地勢は起伏が激しく、トライハートや警察などの追跡があるかは判断しがたい。

 ヘリには他に十名が乗っていた。ほぼ全員が迷彩戦闘服を着た男だ。イケメンに分類できる者はいない。それもそのはずで、彼らはみな虐殺から逃れたブサメンだった。「トータル・ミリタリー・エージェンシー」という組織を立ち上げ、密かに抵抗運動を展開している。略称はTMAだ。

 真向かいに島袋ヒロシが座っていた。小河内ダムのヘリポートでヒカルとソラを拾った。ヒカルが独走したせいで計画の大幅な修正を強いられ、苦虫を噛み潰していた。

 ヘッドセットを通じ、島袋は言った。

「最近の保育園は射撃訓練もするのか」

「さあ」ヒカルは言った。「どうでしょう」

「MP7は使いやすい銃じゃない。なぜ撃てた」

「弟が乗り移って、助けてくれたんだと思います。弟はミリタリーに詳しかったので」

「ふん。ミリオタの知識が通用するほど甘くねえよ」

 いっそう島袋は顔をしかめた。ブサメン組織を率いる資格は十分の容貌だ。

 搭乗者の中に例外的な人物がいた。背格好からすると十二、三歳くらいだが、髪を美しい銀色に染めており、年齢も性別も不詳だった。服は黒づくめで、ショートパンツを穿いていた。ニンテンドースイッチで黙々とゲームをしていた。

 右隣のソラが昂奮ぎみに、ヒカルに言った。

「あたし、あの人を知ってるッス。プロゲーマーの神月ヤヤさんッス。たしか中学三年生」

「有名なんだ」

「年に何億も稼いでる超天才ッスよ」

「男の子? 女の子?」

「女子ッスよ。いや、正確に言うとボクっ娘ッス」

「なにそれ」

「ヒカルさんはもっと若者文化を勉強すべきッスね」

 興味を抱いたヒカルは、天才中学生にじっと視線を送った。ゲームに没頭するヤヤは無反応だ。子供の相手が得意なヒカルが思うに、こちらの視線には気づいてる風だった。

 ヒカルは鼻を膨らませ、島袋に言った。

「なんで中学生を連れてきたんですか。危ないでしょう」

「ヤヤのことか? あいつはTMAの戦術顧問だ」

「まさかあの子に戦わせるんですか」

「言いたいことは解る。でもヤヤの戦術能力はダントツなんだ。あいつ抜きではトライハートに太刀打ちできない」

「冗談はやめてください」

 ヒカルは、初対面のヤヤのために本気で怒っていた。保育士と自衛官で倫理観に隔たりがあるのは知ってるが、到底許せることではない。

 警告音がコックピットから鳴り響いた。ヘリは地対空ミサイルに捕捉された。

 追尾してくるミサイルに対し、ブラックホークは強力な熱源となるフレアを放出した。赤外線センサーを欺瞞できるが、あくまで効果は限定的だ。

 ヤヤはニンテンドースイッチをしまい、立ち上がった。コックピットに顔を出し、山並みを観察した。

 右側の絶壁を指差し、ヤヤが言った。

「あの山の後ろに隠れて」

「無茶を言うな」パイロットが言った。「墜落する」

「ミサイル食らうよりマシでしょ!」

 ヘリは右へ急旋回した。絶壁に遮られ、携帯式対空ミサイルのスティンガーが爆発した。ヘリはミサイルの衝撃波と、旋回による揚力低下と、斜面に沿った下降気流に見舞われた。陸上自衛隊のパイロットですら機体を制御できない。

 大きく円を描きながら、ブラックホークは谷底へ落ちていった。隣で悲鳴を上げるソラに、ヒカルは覆いかぶさった。TMAのブサメンたちも機内で喚いていた。

 ヘリは不時着した。機体の底で台地を削り、ブレードで木々を薙ぎ倒したあと、静止した。

 谷間に反響する騒音は、しばらく止まなかった。




 グレーの制服を着たヒカルはシートベルトを外し、ソラの手を引いてブラックホークから這い出た。平衡感覚が狂ってたので、膝をついて進んだ。

 谷底にハードランディングしたヘリは、外見は特に異常なかった。すぐにでも離陸できそうだった。パイロットのふたりが点検を始めた。スティンガーを撃ったのがトライハートなら、とどめを刺しに来るだろう。

 銀髪のヤヤが、草地に横たわっていた。シートベルトをしてなかったため、機内で頭部を打ち裂傷を負っていた。血まみれだった。

 ヒカルはヤヤを仰向けにし、ほかに負傷部位がないか確かめた。意識はあり、呼吸や心拍も正常だった。ソラが救急箱を見つけて持ってきた。保育園で応急処置を学んだヒカルは、裂傷にガーゼを当てて包帯を二回巻いた。

 手当てを受けるヤヤは、ヒカルの腿に頭を乗せたまま、アイパッドを操作した。周辺の地形を調べていた。せわしなくスワイプ、ピンチイン、ピンチアウトしながら、ブツブツつぶやいた。脳を損傷したのではないかと、ヒカルは心配した。

 ヤヤをいじらしく思ったヒカルは、その乱れた銀髪を手で梳いた。不思議な少女だった。黒のスカジャンとショートパンツ。腰にはなぜか日本刀を佩いていた。整った顔立ちだが、可憐な美少女というより、凛々しい少年剣士の趣きだった。

 ヤヤが勢いよく起き上がり、ヘリに駆け寄った。屋根に登って修理するパイロットを見上げて言った。

「どう、直りそう?」

 パイロットが言った。「エンジン起動装置をやられたが、電気的な故障だ。どうにかなる」

「何分で修理できる?」

「わからん」

「大体でいいから時間を教えて」

「しつこいぞ。作業の邪魔だ」

 装甲がへこみそうなほど強烈に、ヤヤはブラックホークの機体を蹴った。

「何分かかるか聞いてんの! 答えろ!」

「十五分だ、畜生!」

 幹部自衛官であるパイロットは、中学生の女から頭ごなしに命令され、さすがに気分を害した。

 ヤヤは早足で、迷彩戦闘服を着たブサメンの集団に近づいた。総員七名。不時着による心身の打撃のせいで、ほとんどの者はヤヤとのアイコンタクトを避けた。

 リーダー格である島袋に、ヤヤが言った。

「五分後に追手が到着する。あの尾根を越えてくる可能性が高い。あそこに防衛線を築いて時間を稼ごう」

「今の状況で交戦するつもりか? 自殺行為だ。こいつらは実戦経験がまったくないんだぞ」

「ボクだってないよ。みんな仲良くロストバージンだね」

「ヘリを捨てて逃げた方がいい」

「敵は地上から攻撃してきた。ヘリはボクらの強みだ。捨てるなんてバカげてる。道のない山奥を歩くのも危険だ。敵がいなくたって遭難する」

「認められない。いくらお前の意見でも」

 黒漆が塗られた鮫鞘から、ヤヤは刀を抜いた。下段に構えて言った。

「ボクは戦闘における指揮権を与えられた。これ以上抗命するなら、ぶーちゃんを斬る」

 ぶーちゃんとヤヤに呼ばれている島袋は押し黙った。デブだからぶーちゃんという雑なネーミングだった。身長差は約三十センチだが、肩を落とした島袋の方が小さく見えた。

 緊迫したやりとりを眺めていたヒカルは、肩に提げているMP7を手に取った。ダムでした様に装填をおこなった。

 ヒカルが言った。「足手まといかもしれませんが、私も戦闘に参加します」

 ヒカルの人生は暴力と無縁だった。他人に暴力を振るった経験はないし、振るいたいと思ったこともない。ホラー映画を見たら、その夜は眠れないほどの怖がりだった。

 しかしヒカルは人一倍、庇護欲が強かった。年下の人間が危険に晒されると、居ても立っても居られなくなり、恐怖が吹き飛んでしまう。

 ヤヤは納刀し、MP7を持つヒカルの腕を撫でた。

「ありがとう」ヤヤが言った。「でも星野さんはヘリの側にいてほしいな」

「私は実戦経験者ですが、お役に立てませんか」

「そうじゃないよ。敵が迂回してくる可能性があるんだ。パイロットやヘリを守るために、星野さんはここで警戒して」

「なるほど」

 ヒカルは深く頷いた。実際は足手まといに思われたのかもしれないが、合理的な説明だった。この混乱した事態の中で、戦闘の全体像を俯瞰するヤヤの頭脳に感心した。




 ブサメンの八名は、クヌギやコナラの生える尾根の上に横並びに陣取った。ススキなどの草本で覆われた丘陵は、屈むだけで身を隠せた。

 ブサメンたちが支給された武器は、ヒカルと同じサブマシンガンのMP7だ。アサルトライフルに比べると、火力や命中精度は物足りない。ただ秘密作戦に従事する都合上、隠して持ち運べるサイズが求められた。現役自衛官の島袋だけは、オートマチックの狙撃銃であるSR25を構えていた。

 プロゲーマー兼中学生のヤヤが携えるのは、日本刀だけだ。毎日ゲームで何千発と撃ちまくってるから、実銃なんて見たくも触りたくもないと、うそぶいていた。

 オープントップの二台のハンヴィーが、草地を駆け抜けてきた。荷台に立つ二名と、ミニミ軽機関銃の銃手を合わせ、乗員はそれぞれ七名。みな学校制服を着ている。芳友舎以外の制服もある。斜面の前でハンヴィーは停止した。自動車が登るには厳しい角度だ。待ち伏せを用心してるのかもしれない。

 島袋は隣にしゃがむヤヤを見た。ヤヤは頷き、発砲を許可した。

 島袋はSR25のスコープで、銃手の頭部に照準を定めた。爽やかなポニーテール姿が魅力的だった。サプレッサーで減音されたSRが、七・六二ミリ弾を吐き出した。JFKみたく脳漿を荷台へ撒き散らし、ポニーテールのJKは即死した。諜報の専門家である島袋は優れたスナイパーではないが、二百メートルなら楽勝だった。

 これで八対十三。

 一斉にJKたちがハンヴィーから飛び降りた。木立の背後からアサルトライフルのFNSCARを発砲した。しかし太陽を背負ったブサメンたちを狙うのはまぶしかった。シューティンググラスを持っているJKは装着した。

 もう一台のハンヴィーで、ミニミ軽機関銃の連射が始まった。銃手は森下クルミだった。狂おしいクルミの絶叫が、銃声の合間に渓谷に響き渡った。

 フルオート射撃で弾幕を張るのが、クルミのお家芸だ。ライフル弾が関東ローム層の斜面を抉り、ススキの葉を散らし、クヌギの幹を砕いた。ブサメンたちは震え、縮こまった。泣いて母親を呼ぶ者もいた。クルミの凶暴性にふたたび直面するのは、虐殺の生存者にとっては酷な要求だった。

 ヤヤはカシオの腕時計を見た。あれから十分経過した。

「そろそろだ」

 ドーンッ!

 二百メートル下の草地で、迫撃砲の榴弾が炸裂した。さらに数秒おきに着弾し、JKたちの四肢を散乱させた。稜線を越えて撃つよう、ヤヤは事前にヘリのパイロットに指示した。

 ヤヤは立ち上がり、抜刀した。切先を斜面の下へ向けた。

「いくぞ!」ヤヤが叫んだ。「ビッチどもをぶち殺せ!」

 ブサメンたちの士気は点火された。さっきまで身をすくめて泣き喚いていた弱虫が、等間隔を保ちながら悠然と並進し、MP7を発砲した。

 作戦目標はヘリでの脱出であり、敵の殲滅ではない。しかし無事に逃げ延びるためには、ひとりでも多く「ビッチ」を斃しておきたい。




 胴体に衝撃を受け、銀髪のヤヤは斜面に転がった。

 被弾した。

 血相を変えた島袋が、ヤヤをクヌギの根本に引き摺った。防弾ベストを剥がして確かめると、ライフル弾は抗弾プレートを貫通していなかった。ただし肋骨や内臓へのダメージはあるだろう。

「バレバレだったかな」ヤヤがつぶやいた。「でもボクが指揮官だと一発で見抜くなんてさすがだ」

 島袋が言った。「何を言っている」

「銃声は多分AKだった。セミオートで正確に狙い撃たれた。右手の岩場にまだいると思う」

「あいつか。ティナか」

「間違いないね」

 痩せっぽちのブサメンが、前頭骨を吹き飛ばされた。

 急峻な岩場で、制服をまとった浅黒い肌の少女が、神出鬼没の機動を見せていた。精密にAK47を操作し、一人また一人と死傷者を増やしていった。

 ティナはシリア出身の高校一年生。イスラム国のテロリストとして主にヨーロッパで活動し、国際逮捕手配されていた。なぜか芳友舎高校へ入学、そこでエリコやクルミと意気投合し、三人でトライハートを結成した。この組織の最大の謎のひとつが、シリアの名家に生まれたというティナの存在だ。

 ティナの役割は、作戦立案と兵站と指揮だ。おそらく世界で最も軍事経験が豊富な少女だった。対空ミサイルのスティンガーを撃ったのもティナだ。

 パリやロンドンやブリュッセルなどで爆破テロを起こした凶悪犯が、日本で花のJK生活を満喫しているという情報を、島袋はコネを通じて各国へ流し、協力を求めた。しかし疑り深い各国の諜報機関は、鼻で笑うだけだった。

 ヤヤは跳ね起き、戦闘可能なブサメン五名に言った。

「ありったけの弾を、あの岩の周辺にばら撒いて。ギザギザのノコギリみたいな岩に。全弾撃ち尽くすつもりで」

 島袋が言った。「制圧射撃か」

「うん。撃ち終わったらスタコラ逃げよう」

 ヤヤは自分の平坦な胸を擦った。アドレナリンが分泌されてるせいか痛みはない。むしろゾクゾクと快感を覚えていた。

 ヤヤはつぶやいた。

 楽しい。やっぱ戦争は最高の娯楽だ。FPSの百万倍面白い。世界は広くて、すごい敵がいる。だからこそ楽しい。

 この神ゲーをとことん味わい尽くしてやるんだ。




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

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苑田 謙

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