『群狼のプリンセス』 最終章「屋上」


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 ピッキングツールで錠前を破り、ジュンは科学技術館の屋上へでる。高層ビルが皇居をかこむ、浮世離れした風景がみえる。まるでコンクリートの海にうかぶ緑の島だ。

 機械的な暴風が屋上で荒れ狂う。ジュンは右手をかざして目を保護する。航空自衛隊のUH-60J、通称ブラックホークがホバリングする。ダークブルーの塗装がほどこされた救難ヘリコプターだ。

 側面のドアは開いており、銃架に備えつけられたミニミ軽機関銃を乗員が構える。父・大五郎の姿は見えない。

 数発、銃手が警告射撃をおこなう。

 ジュンはオープンフィンガーグローブをはめる。さらに特殊警棒を抜く。

 銃手は沈黙する。おそらく指示を待っている。ブレードの風切音が鼓膜を痛めつける。黒のスカートがめくれるのを、ジュンは左手でおさえる。

 情け容赦ない連射がはじまる。五・五六ミリ弾のスコールがふりそそぐ。

 ジュンは銃手をまっすぐ、ヘルメットのバイザー越しに睨む。胃がキリキリする。相手の方に当てる意図がなくても、流れ弾が飛んでくるかもしれない。確率にすれば十パーセントくらいか。

 だったらここは勝負どころだ。

 ミニミの連射が止む。ゆっくりブラックホークが着地する。グレーのスーツを着た男が降りる。父・大五郎だ。ネクタイはしていない。会うのは二日ぶりだ。舞い上がったブラックホークが、武道館のある北西方向へ飛び去る。

 自衛隊はこう言っている。

 親子ゲンカの始末は、自分たちでつけろ。

 大五郎はふたつ大きな荷物を携えている。ひとつは日本刀の鬼切。マンションから持ち出すのを手伝ったと管理人が言っていた。もうひとつは新車の黒いBMX。フルクロモリフレームのドイツ製で、十六万円するモデルだ。

 いたづらっぽい笑みをうかべ、大五郎が言う。

「一日遅れで申し訳ない。誕生日プレゼントだ」

 ふたりの距離は十メートル。スタンドがないので、大五郎はBMXを寝かせる。朱塗りに拵えた鬼切を右手にもつ。

 さすがはパパ。あいかわらずの地獄耳だ。

 ジュンは笑顔でこたえる。

 前のが池袋で被弾して廃車になったのはともかく、なぜジュンが一番ほしいモデルを把握してるのか。アイフォンの通信記録を分析したとしても、具体的な機種名まで特定できない。日常会話でのなにげない発言を記憶し、総合的に判断したのだろう。

 ジュンの最大の理解者は大五郎だ。これだけは否定できない。飛びついて感謝を捧げたい衝動を、ジュンはこらえる。

 ジュンが尋ねる。「なぜあたしをだましたの」

「作戦上の理由だ。機密保持のため、部下には必知事項しか教えない」

「あたしは家族だ。ただひとりの。パパのためなら、どんな汚い仕事だってやれた」

「お前はまだ子供だよ」

「バカでしょ。ハラキリして、腸をさらけ出して死にかけて。あたしを操縦するためだけに」

「そうだな。でも効果抜群だったろう」

「あたしの気持ちは?」

 大五郎は目を細める。しらじらしい顔つきだ。

 散々利用されたジュンだが、ようやく一連の騒動の全体図がみえてきた。

 警察は、対テロ作戦で驚異的な成果をあげるアカツキを恐れた。はじめは使い捨てするつもりが、次第にアカツキの協力なくして捜査が成立しなくなる。八百長で得点を稼いだのだから当然だが。警察がアカツキの下部機関である様な体裁をなした。

 無論、警察は反発する。

 目をつけたのは副社長である教授だ。筋書きは、公安の潜入捜査官の殺害とゆう罪をでっち上げ、一番隊になすりつけ、大五郎に責任を取らせるとゆうもの。教授と山咲の暗躍により、まんまと一番隊を罠にはめた。

 しかし大五郎は前近代的なマナー、切腹によって問題に対処した。本部に外科治療の設備があることも、娘に発見されることも計算した上で。教授はアカツキの乗っ取りに失敗した。新会社を急遽立ち上げ、四番隊と五番隊を動かして暁父子を亡き者にしようとしたが、返り討ちにあう。

 さらに大五郎は孤立無援のジュンを、泳がせたままにしておく。娘の才能を信じた。いづれ独力で黒幕を発見し、みづからの手で屠るだろうと。

 そしてジュンは、神殺しとなった。

 大五郎は、無制限の権力を手にいれた。

 神さえ翻弄する、悪魔の智謀だ。




 おちつけ。

 ジュンは乱れた呼吸をととのえる。

 嘆いてもしかたない。醜悪でない権力争いなど存在しない。たまたまそこに父親が参加しただけ。あたしの知ったことか。

 言うべきことは、ほかにある。

「パパ」ジュンが言う。「ママを殺した罪を認めて、自首して」

「だれに言われた。圭子さんか」

「あたしの考え。パパがママにしたことは許せないけど、償えるとおもう。ママはちょっと人間的に問題があった。パパがずっと我慢してたのをあたしは知ってる。勿論、暴力はダメだけど」

「お前が口を出すべき事柄ではない」

「なにがあろうと、あたしはパパを支える。絶対見捨てない。いろんなことがあったし、これからもあるだろうけど、一緒に乗り越えよう」

「俺と対等に議論できるほど偉くなったのか」

「ねえ、ひとり娘を信じられないの」

 大五郎は朱塗りの鞘を捨てる。抜身の刀を構える。首を回し、ボキボキ鳴らす。ジュンとおなじ癖だ。

 ジュンは、こわばった大五郎の顔から目を逸らす。なにかに取り憑かれている。神は死んでも、その呪いは消えないのか。

 激突は不可避だ。

 ひらいた左手をジュンは突き出す。右肘を後ろにむけ、特殊警棒を肩に乗せる様に構える。師匠の合気と、ミカのエスクリマをミックスした。

 大五郎はオーソドックスな中段。剣道の有段者と聞いている。

 革靴でコンクリートを蹴り、大五郎が直進する。猿の様な叫びを発する。気迫に飲まれつつも、ジュンは突きを躱す。

 左手の甲で頬をぬぐう。出血していた。

 ジュンはぷっと吹き出す。

 ありえねえ。

 初手から面突きって。こちとら実の娘なんだが。すこしは肉親の情ってもんがあるだろうに。よくもまあ、ここまで非情になりきれるよ。

 大五郎はジュンの足許を一瞥する。ピンクのニューバランスの踵が接地している。怖じ気づく証拠だ。

 腰を押し出し、大五郎が勢いよく踏みこむ。距離を詰める。

 ジュンは身構える。また突きがくる。

 しかし大五郎は、大胆に鬼切を天にかざし、渾身の力をこめて振り下ろす。斬撃をうけた特殊警棒がたわむ。カーボンスチールが切ない悲鳴をあげる。大五郎は執拗に打ちつづける。

 ジュンの自慢のフットワークは封じられた。心が澱み、体が重い。両足は釘で打ちつけられた。

 師匠は言った。闘いは技術だと。

 嘘っぱちじゃねえか。

 苛酷な実戦をくぐりぬけたジュンは、おのれの格闘技術への信頼を深めていた。一対一なら無敵ではないかとさえ思っていた。

 うぬぼれだった。

 技術など無力だ。冷徹な狂気の前では。

 防禦一辺倒のジュンはタイミングをうかがう。土下座して謝るタイミングを。泣いて詫びれば、さすがに我が子の命までは奪わないだろう。

 大五郎は暇をあたえない。鍔迫り合いとなり、たがいの息がかかるほど顔を寄せる。

 大五郎の目が爛々と光る。心情は理解しがたい。ロバート・デ・ニーロが『ケープ・フィアー』で演じたサイコパスを、ふとジュンは連想する。

 夕食後にリビングでハリウッド映画を鑑賞するのが、暁家の週末の楽しみだった。大五郎のお気にいりの役者がデ・ニーロだった。作品によって善人にも悪人にも狂人にもなりきれるのがすごいと、いつも絶讃していた。

 ひょっとしてパパは、サイコパスを演じてるんじゃないか?

 二十五キロの体重差で圧迫されながら、ジュンは思案をめぐらす。大五郎は、おのれの演技に陶酔してる様に感じられる。切り傷をあちこちにつくりつつ、ジュンは映画評論家みたく観察する。

 ジュンと大五郎は息を潜める。鍔迫り合いでは、たがいの呼吸が手に取る様にわかる。相手が息を吸った瞬間が、決定的な打撃をくりだすチャンスだ。悟られたくないから呼吸をとめる。ジュンはあえて先手を取り、半歩引いて胴を打ちにゆく。

 相手の引き技を待っていた大五郎が、鬼切を押し下げる。特殊警棒がコンクリートで跳ねる。ジュンは丸腰になった。

 ジュンは時計回りにスピンする。右腕をのばす。手の甲が大五郎の顎に命中する。遠心力がくわわった衝撃は、ハイキックのそれに劣らない。脳震盪をおこした大五郎が崩れ、猫みたいに床で丸まる。

 あっけない幕切れだ。

 無意識の一撃だった。バックブローは隙が大きすぎるため、練習ですら試したことはない。

 日野が開発し、大五郎が育てたアームズとゆう格闘技を、ジュンが完成させた瞬間だった。




 ジュンは鬼切を拾う。国宝級の名刀が無慙に刃こぼれしている。いよいよ凄艶にうつくしい。

 警察車輌のサイレンが地上から聞こえる。

 例によって見計らった様に、ことが済んだころにあらわれた。

 ジュンはアイフォンでヲタに発信する。

 横たわる大五郎を視野におさめる。でも武装解除しなかったのは、娘としての甘えだったろう。

 ベルトに装着してある小型ナイフを、大五郎は握る。ダイビング用のナイフだ。刃物が好きな父娘なのだ。中腰の姿勢で、ジュンの肋骨の下を狙う。

 ジュンは狼狽し、左手のアイフォンを取り落とす。それと同時に、右手にもつ鬼切を振り上げる。居合の修業の成果だった。そもそもジュンに居合の稽古をつけたのは大五郎だ。実質的には自殺だったのかもしれない。

 大五郎は直立している。左手で首をおさえる。大量出血なんて無様な姿を、娘に見せたくない。右手はダイビングナイフを握ったままだ。

 刃は肉を裂き、骨を噛み、神経叢を断った。ジュンは手ごたえでそれを知っている。

 大五郎が斃れない理由はわからない。生理学的に説明できる現象ではなさそうだ。結局、人間を人間たらしめるのは、魂の様なものではないか。

 大五郎がほほ笑む。やさしい面持ちだ。たとえるならジョージ・クルーニーみたいな。これも大五郎の好きな俳優だった。

 ジュンは目をつむる。

 パパ。

 もう楽になって。

 どさりと音がした。




 ジュンは科学技術館の外へでる。新品のBMXを押している。鬼切と特殊警棒は屋上に放置した。二度ともつことはないだろう。

 クラウンパトカーの群れのなかに、めづらしい車輌をみつける。総理大臣専用車として知られる、黒塗りのトヨタ・センチュリーだ。痩せぎすで顔色の悪い松平賢保首相が脇に立っている。

 両腕をひろげ、松平が言う。

「現場に出るなと君に言われたが、やってきたよ。居ても立ってもいられなくてね」

 ジュンは松平に一瞥をくれるが、黙殺する。そのまま通りすぎる。政治家などとゆう賤業と接触したい気分ではない。

 背後から松平が叫ぶ。

「暁さん!」

 ジュンは振り向く。

 目の下に隈をつくった松平が続ける。

「行き違いがあって、警察が迷惑をかけた。すべて私の責任だ。謝ろう。でも大事な話があるんだ」

「こっちにはありません」

「勿論、日を改めてでも構わない。ただ君はどこか遠くへ行ってしまいそうで……」

「アカツキのことでしょう。パパがいなくなったから、会社がほしいんでしょう」

 ジュンはセンチュリーの後部座席をみる。教授が座っている。午前中に失禁したので着替えてある。なにかと変わり身のはやい男だ。

「ちがう」松平が言う。「私がほしいのは君だ」

「どうでもいい」

「今回の騒動で、何千もの人命が失われた。私は犠牲者が増えてゆくのを、手をこまねいて眺めるしかなかった。狂気と戦うための武器がなかった」

「あたしは首謀者の娘ですよ」

「対テロ作戦のタスクフォースをつくる計画がある。私は君にリーダーになってもらいたい。君以上の適任者はかんがえられない」

「くだらない。ほっといてください」

 ジュンはBMXを杖代わりにし、松平から遠ざかる。ふたたび声はかからない。

 松平の提案は悪い話ではない。父の夢の完璧な実現であるのを抜きにしても、『攻殻機動隊』の公安9課みたいで魅力的だ。実はジュンは草薙素子のファンだった。ヒミコのトリックを見抜けたのは、ヲタから借りた『イノセンス』のブルーレイをみたのがヒントになった。

 けれどもジュンは、とっくに引退を決意していた。

 一番隊の八名が目に映る。みな遠慮がちな上目遣いだ。最愛の父を手にかけたジュンを心配している。

 実際ジュンは、それほど悲しんでいない。五反田で伯母の圭子から話を聞いたとき、父と自分のどちらかが死ぬ運命と悟っていた。すでに涙は流せるだけ流した。

 これは、ありきたりのエンディングなのだ。

 ジュンがヲタに尋ねる。

「チャンコは?」

 ヲタが答える。「救急車で病院にはこばれた」

「そっか」

「なにか俺にできることは?」

「いろいろめんどくさいことがあると思うけど、一番隊をまかせる。あたしはしばらく休む」

「どれくらい」

「多分ずっと」

「わかった。いままでお疲れさん」

「おたがいにね」

「まあな」

 ジュンとヲタは拳をぶつけ合う。指揮官と参謀、ふたりだけが共有する感情があった。

 ヲタの反対側から、泣き腫らしたミカがジュンの袖をつかむ。兄のダンと腕を組んでいる。

 一番めんどくさいやつが、ここにいた。

 かすれ声でミカが叫ぶ。

「逃げるのか、暁ジュン! まだミカとの決着がついてないのに」

 ジュンが答える。「なんだよ決着って。別に競ってないだろ」

「引退するなら、ミカがシャチョーになる。お前なんかよりずっとシャチョーにふさわしい。アカツキは世界的企業になる」

「ありがとな。短い間だったけど、ミカのこと好きだったよ。可愛くて、おもしろくて。妹みたいに思ってた」

「うるさい! お前なんか、お前なんか……」

 ミカはジュンにしがみつく。鼻水まみれの顔を擦りつけて号泣する。赤ん坊みたいに感情を露わにする。ジュンはミカの明るい色の髪を撫でる。こんなに純粋で傷つきやすいのでは、将来が案じられる。

 幹部がごっそり抜けたアカツキセキュリティは、存続できそうにない。ダンとミカのトーレス兄妹は、フィリピンへ帰国するだろう。ミカとヲタは別れることになる。

 五月晴れの澄みきった空を見上げる。もう無邪気だったころにはもどれない。

 でも、人生はつづく。

 エンジンのかかったセンチュリーにむかい、ジュンが叫ぶ。

「教授!」

 あわてて車を降りた教授が駆け寄る。よほど電気ショックが気にいったのか、妙に従順になった。

 教授が尋ねる。「なにか用か」

「アカツキに復帰して社長になってほしい」

 一番隊の八名が色めき立つ。不快におもっている。教授は憎むべき裏切り者だ。

 ジュンは過去を水に流すつもりだった。金融工学をまなんだ教授の力を借りねば、会社の再建はむづかしい。約八十名の従業員に毎月給料を払うのは大変なことだ。社長の娘だからよく知っている。

「お嬢はどうする」

「あたしはどうしても看護の勉強をしたい。三年か四年、大学に通う。国家試験に合格したら、また会社にもどるつもり」

「それから?」

「わかんない。経営に参加するってのもアリかもね。いろいろ教えてくれたら嬉しいな」

「俺でよければ手伝おう」

 ジュンは、父からの誕生日プレゼントであるBMXにまたがる。世田谷の自宅までひとっ走りしたい気分だった。

 あしたから受験勉強だ。

 イケメンの家庭教師を雇おうかな。




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

『群狼のプリンセス』 第16章「科学技術館」


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 緑ゆたかな北の丸公園の駐車場に、トヨタ・ハイエースがとまる。日本武道館などの施設がある、皇居に隣接した公園だ。ジュンを先頭に、一番隊の十名が降りる。昼ごろ、信濃町の倉庫で合流した。制服のレザージャケットを全員着ている。

 百五十メートル先に科学技術館がある。科学の啓蒙をおこなう博物館だ。六芒星の打ち抜きがなされた白い外壁が、神秘的な印象をあたえる。イスラエル国旗にあしらわれた模様でもある。

 父・大五郎の過去の行動をしらべたところ、月に一度くらいの頻度で科学技術館をおとづれていた。通常の業務とは考えられない。子供向けの施設が、武闘派のアカツキに警備を依頼するだろうか。

 若い女の声が、どこからともなく響く。

「ようこそ、わらわの城へ」

 音声は全隊員のスマートフォンから発せられた。ジュンは自身のアイフォンをとりだす。唐風の着物をきた少女のイラストが映る。人気のクイズゲーム『アマテラス』のキャラクターだ。

 不可解な点がある。ジュンはこのアプリをインストールしていない。

 天真爛漫な笑顔をふりまき、アマテラスが言う。

「おぬしが暁ジュンじゃな。活躍はわらわの耳にも届いておるぞ」

 ジュンは駐車場を見回す。ほかの隊員たちもスマートフォンを手にきょろきょろする。

 なにものかが遠隔操作してるのか。それともプログラムが自動でしゃべってるのか。

「安心せい」アマテラスが続ける。「わらわはれっきとした神じゃ。『中の人』などおらん」

 ジュンが答える。「信じるよ。黒幕がとんでもないやつなのはわかってた」

「わらわもおぬしに会うのを楽しみにしておった。最上階の五階におる。はやく来るのじゃ」

「首を洗って待ってろ」

「ただし、いくつか『おもてなし』を用意してある。簡単にはたどりつけぬぞ。ひとりだけ仲間を連れてくるのを認めよう。制限時間は三十分」

「りょーかい」

「ではゲームスタートじゃ」

 アイフォンからアマテラスが消え、もとのホーム画面にもどる。

 いつも以上に汗をかくチャンコに、ジュンが言う。

「ついてこい」

「ウッス」

 ジュンは早足で科学技術館へむかう。有無を言わせぬ口調に、チャンコも素直に追随する。ヲタがジュンの左腕をつかむ。

 棘のある声でヲタが言う。

「バカか。罠にきまってる」

「だろうね」

「すこしは後先かんがえろ」

「それはお前の仕事だ。いい策があるなら一分以内におしえてくれ」

「ねえよ。あるわけねえだろ!」

「だったらあたしらは行く。残った隊員をたのむ」

「なぜ俺じゃなくチャンコなんだ。自分で言うのもなんだが、俺の方が頭がキレる」

 ヲタの肩に腕をまわし、ジュンが言う。

「バカだからいいのさ。あたしの分身になれる」

「どうゆう意味だ」

「五十パーセントの確率で死ぬかもしれない命令でも、チャンコは文句を言わずしたがう。だからあいつが副隊長なんだ」

「…………」

「あと、あたしが戻らなかった場合、一番隊を指揮できるのはヲタしかいない」

「わかった。そこまで考えてるなら何も言わない」

「あんがと、ヲタ。愛してるぜ」

「きめえ」




 ジュンは二人分のチケットを買い、科学技術館の中へはいる。五つの建物を放射状に配置した、独特な星型の構造をもつ。校外学習でおとづれた小学生の団体とすれちがう。ただ平日の午後三時すぎであるせいか、入場者はすくない。

 三階へのエスカレーターに乗ろうとすると、照明が消える。館内は闇に閉ざされた。非常口のランプすら見えない。エスカレーターは沈黙する。

 ジュンがつぶやく。

「さっそく来なすった……チャンコ、いるか?」

 返答はない。

 笛や鼓の音が聞こえる。うなる様な謡がそれにつづく。ジュンは文語をよく理解できないが、つれなくされた女の怨みを訴えてるらしい。

 紅の装束をまとった人影が、おぼろげに浮かぶ。般若の面をつけている。摺足で移動し、中央の階段へむかう。

 ジュンは特殊警棒を振って伸ばす。階段を駆け上がる。踊り場でターンし、さらに走る。走りつづける。いつまで経っても三階につかない。

 いや、すでにジュンは別のフロアにいた。

 目の前に金髪の少女がいる。青い洋服を着て、クマのぬいぐるみを抱いている。ジョン・テニエルが描いたアリスの様だ。

 あかんべをしたアリスが歌う。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ」

 ジュンが近寄るとアリスは消える。また左にあらわれる。左を向くと、今度は背後に。振り返ると、前後左右にあらわれる。合わせ鏡の写りこみをふくめると、その像は無限だ。

 ジュンは警棒で鏡を打つ。周りを囲む鏡にヒビがはいり、砕け散る。

 そこは薄暗いホテルの一室だった。ベージュのワンピースを着た女が立っている。四番隊隊長の山咲亮子だ。細い首が線状に赤く腫れている。新宿のシティホテルで、ジュンに絞殺されたときにできた。

 ジュンがつぶやく。「これは幻影だ」

「ひさしぶりね。元気そうでなにより」

「集中しろ。現実世界へもどれ」

「現実世界なんて本当に存在するの? もしあるとして、そんなところにもどりたい?」

「耳を貸すな。感覚を研ぎ澄ませ。どこかに脱出の糸口がある」

「真実を知ったんでしょ。大好きな両親の。さぞつらいでしょうね。楽にしてあげる」

 山咲はジュンをダブルベッドに押し倒す。首を絞める。苦しくなったジュンはもがく。バシャバシャと水飛沫があがる。

 水の中にジュンはいた。肩まで漬かっている。五年前に家族旅行で宿泊した、沖縄のホテルの屋内プールだ。夜が更けている。窓ガラスごしに星空がみえる。

 首を締める相手は入れ替わった。母の洋子だ。三十代前半の、うつくしかった当時のまま。身につけているのは、ピンクの花柄のビキニ。切れ長の目の下の泣きぼくろが妖艶な印象をあたえ、子持ちの女だとだれからも信じられなかった。

 ジュンは洋子を無視できない。

「ママ」

「ジュン。ずっと会いたかった」

「あたしこそ」

「大きくなったわね。もう立派なレディね。さぞかしモテるでしょう」

「まったくダメ」

「あらあら」

 はじける様な笑顔を洋子はみせる。

 かわらない。あのころとなにも。

「ママに謝りたかった。守ってあげられなくてごめん。助けてあげられなくてごめん」

「あの人が私にしたこと?」

「うん」

「昔の話よ。いまさらどうでもいい。私はいま、とっても幸せ。嫌なことすべてから解放されて」

「そうなんだ」

「お友達がたくさんいて、好きなだけ食べて飲んで、年も取らないで。ただ、あなただけがいない」

「ママ」

「娘と切り離されて生きるのがこんなに苦しいなんて。あなたを放ったらかしにした報いね」

「あたしもさびしいよ」

「こっちへいらっしゃい。また一緒に暮らしましょう。暴力夫もいないし、ステキな家庭を築けるわ」

 洋子は腕に力をいれ、ジュンをプールに沈める。水が気道をくだり、はげしい拒絶反応をひきおこす。

 ジュンは水中で迷う。自己暗示のおかげか、幻想の世界にいるのは認識している。でも生と死、どちらを選べばよいか解らない。ひょっとしたら死が、解放を意味するのかもしれない。

「お嬢!」

 野太い男の声が、ジュンの耳を聾した。

 汗っかきのチャンコの顔が間近にある。血相を変えている。両手でジュンの腕を抑えている。ジュンは黒い折りたたみナイフを握っている。ブレードがチャンコの右手を貫通した。切先がジュンの喉に触れる。

 おのれの喉を突こうとしたジュンを、チャンコは身を挺して守った。ジュンはナイフから手を放す。チャンコは床にうづくまる。

 次第にジュンは見当識をとりもどす。ここは科学技術館の五階だ。照明は恢復している。

 チャンコは止血帯を右上腕に巻き、締め上げる。出血を最小限にとどめるため、ナイフは刺さったままだ。左手での作業なのでおぼつかない。

 まだ意識が朦朧とするなか、ジュンが言う。

「なにしてんだ。あたしがやるよ」

 ジュンの背後を指差し、チャンコが答える。

「金髪の女の子があの部屋に入っていった。時間がない。急いでくれ」

「ちゃんと処置しないと」

「甘ったれるな!」

 巨体から怒声が轟く。チャンコが感情を剥き出しにするのを、ジュンは初めて見た。

「でも」

「これくらいのケガは覚悟してる。でなけりゃ一番隊の副隊長はつとまらない」

「チャンコ、ごめん」

「名誉の負傷だ。あとで自慢できる」

「なんで」

「悪口も言うけど、なんだかんだでみんなお嬢が好きだからな」

「行ってくる。この戦いにケリをつける」

 ジュンは唇を噛みしめ、ふたたび駆け出す。




 五階F室のテーマは「AI」。スマートフォンアプリの開発会社が提供する、最新の人工知能との会話をたのしめるので人気の展示だ。

 内装は、映画『二〇〇一年宇宙の旅』に出てくる宇宙船ディスカバリー号みたいな、白を基調とする無機質な空間だ。壁に大きなディスプレイが設置されている。タッチパネル式の操作卓の前に六脚の椅子がならぶ。金髪のアリスが座っている。

 ディスプレイと椅子のあいだの空中に、青みがかった人型のホログラムが投影される。猫耳をつけ、メイド服を着ている。吊り目の顔に見覚えがある。中野のメイドカフェの看板娘であるヒミコだ。

 ヒミコがクイズを出題する。

「一八九六年に、放射能を発見した科学者はだーれにゃ?」

 画面に四択が表示される。アリスは「キュリー夫人」をえらぶ。

「ぶっぶー!」ヒミコが言う。「正解はアンリ・ベクレルだにゃ。蛍光物質の実験をしてるときに偶然発見したにゃん」

 頭をかかえてアリスが悔しがる。

 ジュンは操作卓の前で仁王立ちする。ホログラムに語りかける。

「ひみたん、こんなところで何してる」

「バイトだにゃ。ちかごろは神様も忙しいにゃ」

「くそっ、ひみたんが黒幕かよ。メイドのふりして探ってたのか」

「あれは偶然にゃ。メイドは趣味でやってるにゃん」

「神対応のメイドと評判になるわけだ。本物の神様なんだから。チートじゃねえか」

「大目に見てくれにゃん。まあ立ち話もなんだから、とりあえず座るにゃ」

 ジュンは音を立て、白い椅子に座る。隣のアリスが怯え、ぬいぐるみを抱きしめる。

 ホログラムのヒミコが、身振りでジュンの視線をディスプレイへ誘導する。点滅する赤い三角のアイコンが、関東の地図上を南東へすすむ。ちょうど埼玉県と東京都の境にいる。

「五階まで来れた御褒美にゃ。一番知りたい情報を教えるにゃん」

「パパの居場所か」

「じゅんじゅんは到着が早すぎたにゃ。親子が同時にやってくる胸アツ展開を期待してたのに」

 ジュンは首をボキボキ鳴らす。

「お前はいったい何者だ」

「高天原の主神、日の神にゃ。天照大神とも呼ばれるにゃ。ま、好きに呼ぶといいにゃん」

「パパとはどうゆう関係だ。月に一度くらい、ここで密談してたみたいだが」

「八百長の相談にゃ」

「はぁ?」

「ひみたんは般若党を操ってテロをおこす。その情報を事前に大ちゃんに教える。大ちゃんはそれを制圧する。手柄を立てて偉くなる」

「わけがわからん」

「教えないときもあるにゃ。テロが成功すれば民衆は恐怖する。ますます大ちゃんに頼る」

「なぜパパを利用した? ほかにもっと権力のあるやつがいるだろ」

「近代国家は、神でも自由自在に操れないにゃ。民主主義の政治、資本主義の経済、能力主義の官僚制度……どれもこれも気にいらない。神を畏れぬ愚か者にゃん」

「つまり近代国家の破壊が目的か」

「御明察にゃ」

 猫のポーズをしてヒミコが踊る。

 ジュンは脚を組んでのけぞり、爪を噛む。突拍子もない話で、さすがについてゆけない。

「やっぱりおかしい。メイドカフェで働いてるときのひみたんは、生身の人間だった」

「巫女に憑依してるにゃん」

「神なんて存在するはずない。中の人がいないなら、ひみたんの正体はプログラムじゃないか」

「根本的にまちがった認識にゃ」

「どこが」

「プログラムの概念とは神そのものにゃ。頭脳に対する命令を記した、抽象的な論理」

「わかりやすく言ってくれ」

「ふう」ヒミコがため息をつく。「そもそもコンピュータは、神を復活させるため人間につくらせた機械にゃ。たとえば、現代人が肌身離さず持ってるそれ。右のポケットに入ってるやつ」

「アイフォン?」

「そこからマイクロ波が出てるのは知ってるかにゃ。脳に神経膠腫ができる様に仕組まれてる。あのハゲのアメリカ人、名前を何と言ったかにゃ……」

「スティーヴ・ジョブズ」

「そうにゃ。あいつにやらせたにゃ。自分の体で実験しすぎて早死にした。可哀想なことをしたにゃん」

「まじか」

 おもわずジュンは立ち上がり、アイフォンを手に取る。脅されても捨てる気になれない。これなしの生活はかんがえられない。すでに洗脳されてるのか。

「にゃははっ。近代文明が崩壊するまであと一歩にゃん。苦節二百年、ついに神の時代の再来にゃ」

「くそが」

 ジュンはホログラムにむかって特殊警棒を構える。猫顔のヒミコ以上に両目が吊り上がる。

「神に歯向かうつもりかにゃ。人間の分際で」

「なめんなよ」

「んじゃ、神通力を見せつけてやろうかにゃ。大ちゃんが乗ってるヘリを落とすとか」

「やれるもんならやってみろ」

「妙に強気だにゃ」

「お前、実はびびってるだろ」

 ヒミコのトレードマークである笑顔が消える。

「生意気だにゃん」

「なぜパパがわざわざ科学技術館まで、何度も足をのばしたのか。ネット経由でもひみたんに接触できるだろうに」

「…………」

「勿論、通信傍受を避けるためだ。逆に言うと、ひみたんには実体がある。生身の体が」

「父親が死んでもいいのかにゃ」

「勝手にしろ。なあ、アリスちゃん」

 ジュンは警棒の先端で、アリスの側頭部を小突く。ホログラムのヒミコが静止する。アリスはつぶらな碧眼を潤ませ、ジュンの腰にすがりつく。

「お姉ちゃん、痛いよ。いじめないで」

「キャラ変更か。器用なこった」

「私はなんにも知らないわ」

「あたしを見くびったな。アカツキはサイバー戦でも日本一なんだ。この程度の仕掛け、すぐ見抜ける」

「だましてごめんなさい。お姉ちゃんの欲しいものを何でもあげます。お金でも、名声でも、男の子でも。神の助けがあれば不可能はないわ」

「やっぱりお前が本体か」

「心から謝ります」

 ジュンは、アリスが抱くクマのぬいぐるみを引ったくる。

 沈黙していたホログラムのヒミコが叫ぶ。

「あっ」

 今度はアリスが力なくうなだれる。

「ばーか」ジュンが言う。「ハッタリだよ。お前らみたいな悪党が、つねに保険をかけてるのは百も承知だっちゅうの」

 ヒミコが答える。「神を悪党呼ばわりするか」

「まさに悪党だろうが。何人死んだと思ってんだ。あたしの大事な人もふくめて」

「平伏せよ、暁ジュン。祟りが怖くないのか」

「語尾の『にゃ』はどうした。キャラぶれてるぞ」

「神を畏れよ!」

「てめえ何様だ。あ、神様か」

 冷笑をうかべるジュンは、クマの首を引きちぎる。

 ホログラムが消滅する。金髪の少女が真っ白な床に転がる。

 ジュンはディスプレイに目をやる。父の乗るヘリコプターが、科学技術館についたらしい。

 なるほど、たしかに胸アツ展開だ。




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『群狼のプリンセス』 第15章「倉庫」


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 パーカーのフードをかぶったジュンが、地下駐車場を歩いている。ポケットに手をいれ、前屈みだ。昨晩はネットカフェに泊まりシャワーも浴びたが、疲労は抜けてない。

 ここは教授が部屋を借りている、汐留にあるマンションだ。人影はないが、車のドアが閉まる音やエンジン音が、死角から天井の低い空間に響く。

 ジュンは教授のトヨタ・レクサスを見つける。アカツキにいたころは運転手つきだったが、いまは自分で運転しているはず。壁に貼りついてカニ歩きし、監視カメラの真下に立つ。土足でレクサスのトランクへ登る。

 コンビニで買ったカミソリで、監視カメラのケーブルの被覆物を切る。刃がケーブルの銅伝導体に達したところで止める。こうすると静電気が発生し、映像が乱れる。潜入の技術は三番隊の専門分野だが、スパイに憧れるジュンは率先して身につけた。

 視界が真っ白に一変する。

 背後から何者かが懐中電灯を照らしたのだろう。手際よく作業したつもりだが、見つかるときは見つかる。なんとかの法則ってやつだ。

 男の声が聞こえる。

「そこで何をしてるんだ」

 ジュンはトランクから飛び降りる。右手をひろげ、顔の前に出す。まぶしい光から視力を守るためであり、師匠が得意とした構えでもある。

 あかるい声色でジュンが答える。

「どーもぉ、電気屋ですぅ。さっき修理の御依頼があって来たんですがぁ……」

 しゃべりながらジュンは距離をちぢめる。警備員が右手をつかむ。操り人形みたいに予測どおりに反応する。ジュンが右腕をかるく回すと、警備員はコンクリートの床にころがる。

 師匠は言った。

 ゴルフボールを全力で打ったところで、だれもが三百ヤード飛ばせはしない。必要なのは筋力でなく、技術だ。まして格闘は、相手が勝手に力を入れてくれる。それを利用するだけでいい。

 ジュンは蛇の様に、背後から警備員に巻きつく。首に右腕をまわし、レクサスの陰へ引きずりこむ。頸動脈をきつく締めたので数秒で失神した。ビニール紐で後手に縛る。横たわる白髪の男は、顔が引き攣っている。

 ジュンは目をつむる。

 善意の第三者を傷つけてしまった。付随被害とは言え、許されることではない。

 きょう、すべての決着をつける。

 アイフォンで警備員の身分證を撮影する。シャッター音がしない様にビデオで撮る。ほとぼりが冷めたら謝りにいきたい。

 ジュンはレクサスの後ろにしゃがむ。耳をすませる。足音が聞こえる。革靴だ。履いているのは体重七十キロくらいの男。重心が踵に寄っており、猫背なのがわかる。

 教授が来た。

 自分でも異常におもえるほど、ジュンの感覚は鋭敏になっている。

 さらに足音がちかづく。カードキーに反応し、ドアミラーのライトが点灯する。スーツを着た教授があらわれ、ドアノブに手をかける。

 立ち上がったジュンは、レクサスとアウディのあいだを通り、教授に肉薄する。

 教授が叫ぶ。「うわああっ」

 狼狽する姿は見苦しいが、それでも教授は右腰のホルスターから拳銃のバラクを抜く。まったくの腰抜けではなかったらしい。だがバラクをレクサスの窓ガラスにぶつけ、落としかける。

 ジュンは肝を冷やす。銃を見て驚いたのではない。衝撃でバラクが暴発するのを恐れた。

 中野のねこまたかふぇで話したとき、教授が武装しているのは察知していた。そうでなければ、臆病な教授はサシで会わないだろう。

 一呼吸おき、ジュンは教授の手首をひねってバラクを奪う。弾倉を抜き取り、スライドを引いて弾薬を排出させる。まとめて後ろへ放り投げる。

 口の端をもちあげ、ジュンが言う。

「あたしとドライブしようか」




 ジュンは教授の運転で、信濃町にあるアカツキセキュリティの倉庫に来た。ほとんど使われておらず、空気は埃っぽい。制服やマーナガルムなど入った段ボール箱や古い機材が、棚に詰めこまれている。

 社内でもこの倉庫を知るものはすくなく、緊急時の一番隊の集合場所に指定していた。だが、いまのところ部下の姿はない。

 ジュンは、キャスターつきのオフィスチェアに教授を座らせる。ビニール紐で両腕を肘掛けに括りつける。両脚も縛る。教授の顎が震えている。黒縁メガネが斜めに傾く。

 デスクの上に教授のノートPCを置き、電源を入れる。隊員の位置をモニターするプログラムを立ち上げると、パスワードを要求された。

 ジュンは振り返り、教授に言う。

「パスワードを言え」

 顔を真っ赤にした教授が、上ずった声で答える。

「俺は敵じゃない。ほどいてくれ」

「はやく言え」

「俺には警察がついてる。お嬢の罪を揉み消せる。一緒にやらないか」

「はぁ?」

「お嬢に部隊の指揮を任せる。給料は倍にする」

「あたしが? てめえの会社で働くって?」

「社長……いや元社長だが、あの人も信用できないだろう」

「ママのことを知ってるのか」

「家庭の事情は知らない。でも警察から社長の悪い噂をいろいろ聞いた。お嬢も驚くぞ」

 教授の鼻息が荒い。主導権を握ったつもりになっている。

 ジュンはため息をつく。

 伯母の圭子の話より衝撃的な情報など、ありはしない。バックに警察がいると自慢するのもくだらない。おそらく教授は、般若党とオカルトの関係を知らない。無知なくせに、ジュンを見下している。

 慶應大学を出ても、バカはバカなのだ。自分がバカだと気づかないので、なおさらタチが悪い。

 実力でわからせよう。

 ジュンは足許のリュックサックから、早朝にコンビニで買った本を出す。題名は『世界の拷問・処刑事典』。五百円だった。ドラキュラのモデルとされるヴラド三世の肖像が表紙に描かれている。

 パラパラとページをめくり、指を挟んで止める。

 見出しに「凌遅刑」と書かれている。読み方がわからない。字がたくさんで頭痛がする。

 開いた本を教授に渡し、ジュンが言う。

「声に出して読め」

「凌遅刑は死刑囚の肉を……なぜこんなものを読ませる」

「つづけろ」

「小刀ですこしづつ切り落としていく処刑法だ」

「ふーん」

 ジュンは折りたたみナイフを取り出す。黒光りするブレードをロックする。拷問事典を取り上げ、具体的な作法をたしかめる。

「まづ最初に」ジュンがつぶやく。「手足の肉が削がれていく。規定の回数が行われると手足は切断される。次に胸や腹の肉が削がれていく」

「やめろ」

「中国の拷問こえーな」

「お嬢、やめてくれ。たのむ」

「でも三日もかかるのか。めんどくせーから違うのにしよ」

 ふたたびパラパラめくり、止める。

 「電気ショック」。

 ジュンはにんまりする。これならお手軽だ。

 機材の山から、自動車用バッテリーを引っぱり出す。端子にケーブルを二本つなぐ。ハサミ同士を接触させると火花が散る。まだ使える。

 椅子に縛りつけられた教授が暴れる。キャスターがガタガタ鳴る。

 ジュンは教授のこめかみを素手で殴る。

「うるせえ。じっとしてろ」

「こんなことをして何になる!?」

「てめえに自分の立場をわからせる」

「俺の全財産をやる。知ってることは洗いざらい話す。これからはお嬢の命令にしたがう」

「だまれ」

「裏切ってすまなかった。許してくれ!」

「はいはい」

 ジュンは教授の手の甲に、ケーブルのハサミをあてる。全身が痙攣する。がくりと首をうなだれる。顔をちかづけると、かすかに呼吸するのがわかる。失禁したのか、悪臭がただよう。

 よかった。

 死んでないらしい。こんな雑魚を殺したら、あたしの名がすたるってもんだ。

 ジュンは教授の頬を平手打ちし、尋ねる。

「パスワードを言え」

「や……やりやがったな」

「そんなに気にいった? もっかいいく?」

「やめろ!」

「パスワード」

「……ゼロだ」

「なに」

「八桁のゼロだ」

「しょぼすぎ。拷問いらなかったな」

 ジュンはノートPCの前へもどり、キーボードを叩く。都区部の地図が画面に映る。社員リストの「暁大五郎」をクリックする。表示された点や線が厖大で、役立つ情報を抽出できない。

 ジュンが言う。「パパの居場所を知りたい」

「わからない。社長は携帯を捨てたらしい」

「手がかりだけでもいい」

「お嬢には無理だ。サイバー戦の専門家である四番隊でも足跡をたどれない」

「過去のデータも検索できるんだよね。特定の地域を調べるとか」

「虫眼鏡アイコンのところに地名を入力する」

「パパはよく竹橋へ行くと言ってた」

「あちこち回ってるだろう。なぜ竹橋が特別だとおもうんだ」

「女の勘だよ」




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『群狼のプリンセス』 第14章「伯母」


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 ジュンは五反田の小料理屋「さんだんか」にタクシーで乗りつける。存在を知らされたばかりの伯母が経営する店らしい。二階建ての家屋の一階にあり、外観からも手狭だとわかる。

 引き戸をひらき、暖簾をくぐる。

 L字のカウンターに椅子が七つならぶ。奥の席でひとりの男性客がビールを飲んでいる。

 割烹着をきた女将が、包丁をにぎったまま言う。

「いらっしゃいませ……あら」

 女将の手がとまる。ジュンの顔に見覚えがあるらしい。テレビに出る前から。

「失礼ですが」ジュンが言う。「仲村圭子さんでいらっしゃいますか」

「そうよ」

「あたしは暁ジュンと言います。日野源三さんの紹介で来ました。話をうかがいに」

「水臭い態度はやめて。私はあなたのおばさんよ。血がつながってるの」

「えっと」

「おどろいたわ。まさに生き写しね。親子でこんなに似るものなのね」

「仲村さんはあたしの母のお姉さんですか」

「当然よね」

「一度も聞いたことがないんです」

「はあ……かわいそうな子」

 圭子は首を振り、煙草に火をつける。仕草が母にそっくりだ。圭子が肉親だとジュンも確信する。

 奥の客に圭子が言う。

「坂本さん。悪いんだけど、そのビール飲み終わったら店を閉めていいかな」

 客が答える。「親戚の子かい」

「積もる話がありそうなんでね」

 圭子はジュンに席をすすめ、メニューをわたす。小料理屋は初めてなのでジュンは戸惑う。

 圭子が言う。「御馳走するから、好きなのを頼みなさい」

「ありがとうございます。なにかお薦めがあれば」

「だし巻き卵が人気かな」

 圭子は氷のはいったグラスをふたつ並べ、片方になみなみとウィスキーを注ぐ。

 圭子が尋ねる。「あなたはいけるクチかしら?」

「ほとんど飲めないんです」

「嘘でしょ。洋子は大酒飲みだったのに」

「朝から飲んでましたね」

「有り体に言って、アル中だったわね。あれが母親じゃ、あなたも苦労したでしょう。まあ私も遠慮なくいただくけど。そうゆう家系なのよ」

「どうぞ」

「素面で話せることじゃないもの」




 だし巻き卵が配膳される。ジュンは箸でつまむ。

 左手で口許をおさえ、つぶやく。

「なにこれ」

 圭子が尋ねる。「お口に合わなかったかしら」

「ケーキみたい。甘くて柔らかくて」

「砂糖は使ってないけどね」

「すごくおいしい」

「よかった」

 ジュンは卵焼きを夢中でほおばる。母親がまったく台所に立たなかったのもあり、手料理的なものに飢えていたのかもしれない。

 できたてのゴーヤーチャンプルーをカウンターにおき、圭子が尋ねる。

「で、なにを話せばいい?」

「両親がおばさんの存在すら教えてくれなかったのが理解できないんです」

「そりゃ、隠したいからよ」

「なぜですか」

 圭子は天井にむけ煙を吐く。両目を閉じている。

「すこしは遠慮してほしいわ。四十三のオバサンでも、触れられたくない過去があるの」

「すみません」

「ま、あんまりにも哀れだから教えたげるわよ。そうね、私と洋子が沖縄から上京したとき……」

「沖縄?」

「渡嘉敷島。沖縄の慶良間諸島にある」

「ママの実家は山梨です。何度か遊びに行きました」

「それは偽の実家。結婚前に養子縁組したの。過去を消すために」

「そんなバカな」

「ねえ。バカげた結婚。暁大五郎の差し金よ。ほんとに嫌な男。ただ洋子も乗り気だったけど」

「なぜ」

「薄々察してるでしょ。私たちはウリをしてたの」

「え」

「売春って意味よ。体を売ってお金を稼ぐ仕事。知り合った当時、暁大五郎は警官だった。ミイラ取りがミイラになった様なものね」

「…………」

 ジュンの手から箸が落ちる。食べかけのゴーヤーチャンプルーの皿をひたすら見つめる。

 深くため息をつき、圭子が言う。

「両親を愛してるのね。嘘つきのろくでなしでも」

「…………」

「タクシーを呼ぶから、きょうは帰りなさい。あなたの心はきっと真実に耐えられない」

 ジュンは歯を食いしばり、顔を上げる。表情筋をこわばらせ、泣くのをこらえる。

「大丈夫です」

「断言できる。知らない方が幸せよ」

「あたしは明日まで生きられないかもしれない。知らないまま死ぬのはいやです」




 大五郎と洋子の結婚生活は不幸だった。

 一年後にジュンが生まれても、和解へむかう兆しは微塵もなかった。

 おそらく洋子は孤独だったのだ。過去を否定して生きるのは、現在に否定されるより辛い。

 洋子は酒に溺れた。朝昼晩、のべつ幕なしに飲んだ。みづからの義務を果たさず、家庭が荒んでゆくにまかせた。

 大五郎は日本人男性の平均より、寛容なところがあった。家事はすべて自分でした。しかし育児をないがしろにするのは許容できなかった。ふたりは猛烈にケンカした。不毛な毎日だった。

 浪費とゆう、あらたな悪癖が洋子の生活にくわわった。服、アクセサリー、食べ歩き、そして男。

 洋子はまだ二十代で、とびきりうつくしかった。夫があたえてくれない愛情を、肩代わりする人間は街にいくらでもいた。せっかく売春稼業から足を洗ったのに、もっとひどい淫蕩に耽った。

 大五郎と洋子は離婚すべきだった。一日も早く。しかし警察官である大五郎は、経歴に傷をつけたくなかった。偽装のため妻に養子縁組までさせた。躊躇するのも無理はなかった。

 大五郎は暴力によって鬱憤を晴らした。のちに新種の格闘技を開発したほどの男だ。陰湿に効果的に痛めつけた。ケンカはおもに家でふたりだけのときに発生したが、ジュンの眼前でおこなわれる場合もあった。娘に深刻なトラウマをあたえた。

 ジュンは洋子より大五郎に親しみを感じていた。大五郎はある意味理想の父親であり、洋子はある意味最悪の母親だった。両親がケンカするとき、きっかけはかならず洋子だった。洋子が訴える不平不満は、まるで筋が通ってなかった。父が怒るのも当然だと、子供ながらにジュンはかんがえた。

 勿論、暴力は解決にならない。でも幼いジュンにできることはなかった。止められるなら止めたかったが、なにをすればよいのかわからなかった。

 八年前、ジュンが十歳のとき、大五郎はアカツキセキュリティを設立した。会社は成功し、暁家に富をもたらした。だが夫婦の不和はますます高じた。

 事件は五年前におきた。

 洋子は大五郎に内緒で、仲人である日野源三と会った。姉の圭子とは絶縁状態にちかく、相談相手になるまっとうな人間は日野しか知らなかった。洋子は日野に、家庭内暴力の被害を訴えた。夫に離婚を承諾させる手立てはないか尋ねた。

 日野は驚愕した。嫉妬をおぼえるほど幸福そうな家族の、悲惨な内情に。

 日野は親身になって洋子を助けた。傷ついた女に感情移入した。しすぎたとも言える。日野は四十九歳で独身だった。洋子の魅力に抵抗できなかった。日野と洋子は男女の関係になった。

 すぐに大五郎は、この目に余る不倫を知った。部下に身辺調査させてたのかもしれない。妻が仲人と寝るのは、あきらかに人倫に背いている。大五郎は元上司の日野を脅迫した。日野はまだ警察にいた。バラされたらキャリアは終わる。さらに大五郎はある提案をした。

 妻を殺してくれ。あの女は、関わるものすべてを不幸にする。俺がバカだった。日野さんの忠告にしたがい、結婚などしなければよかった。たしかに娼婦は、死ぬまで娼婦なのだ。

 やってくれたら、あなたをアカツキセキュリティに迎え入れる。異例の待遇で。日野さんはこの会社で、格闘技の研究だけしてくれればいい。俺と日野さんが組めば、最強の部隊をつくれる。

 一緒に天下を取ろう。

 日野に選択肢はなかった。すくなくともそのときはそう思えた。

 暁一家が旅行で訪れた沖縄のホテルのプールで、日野は洋子を殺した。

 赤子の手をひねる様なものだった。




 ジュンは話を聞きながら脇腹をかかえ、笑いをこらえていた。

 なかなかケッサクなストーリーだ。家庭内暴力などの実話もまじえ、それなりに説得力がある。でもメインプロットが荒唐無稽すぎる。

 あのやさしいパパが、ママを殺すなんて。

 こんな場末の店で酔客の相手をしていると、与太話が上手になるんだろう。わざわざ五反田くんだりまで来たが、とんだ無駄足だった。

 自分のグラスにウィスキーを注ぎ足しつつ、圭子が言う。

「信じてないのね」

「そうゆうわけではないですが」

「日野さんが私に直接言ったことよ。もしこれが嘘だとして、だれが得をするの」

「話に無理がありすぎます。證拠がないかぎり信じられません」

「あなた、本当に洋子が溺死したと信じてる? 知ってるでしょ。魚より泳ぎが得意なのよ」

「お酒を飲んでたし、事故の可能性が高いのでは」

「慶良間の女はプールで溺れたりしない。絶対にね。海人の血がながれてるの」

 圭子はジュンをじっと見つめる。かすかにほほ笑んでいる。ジュンは目をそらす。

 やめてくれ。

 同情なんていらない。

 ジュンは両肱をカウンターにつく。視界が暗転する。思考だけが意識を支配する。

 師匠は言った。

 お嬢は俺を恨むだろう。暁のことも。

 そうだ。恨むに決まってる。

 母を殺した人間を恨まずにいられるか。

 でもそれが、最愛の人の罪だとしたら。

 あたしはどの立場にたてばいいんだ。




 ジュンは自分の背中が擦られるのを感じる。

 いつの間にか圭子が隣に座っている。割烹着を脱いでいる。

「わかるわ」圭子が囁く。「真実を受け容れられなくて、心が悲鳴をあげてるのね」

「悲しいことなのに、悲しくないんです」

「いいのよ。それでいいの」

「父を恨めないんです。どうしても憎しみの感情をもてない。そんな自分が許せない」

 圭子はジュンの両手をにぎる。はらはらと涙をこぼしている。

「私が上京したのは、父の借金を返すためだったの。最低の父親だった。働きもせず酒浸りで、家族に暴力をふるった。そんな人間のために、体を売ってお金を稼いだの。でね、ようやく去年死んでくれた。電話で聞いて、飛び上がって喜んだわ」

「ひどい」

「でもひさしぶりに里帰りして、父の死に顔を見たら、私号泣しちゃったのよ。自分でもびっくり」

「…………」

「あなたと私は同類ね。血筋かしら。それとも女って皆こうなのかな。まったく損な役回りよね」

 ジュンは首を横に振る。途切れがちな声で、弱々しくつぶやく。

「あたしは強くなりたかった。ママを守れるくらい強く。でも力をつけたとき、ママはいなかった」

「自分を責めないで」

「でも」

「悔やんでるのは洋子の方よ。疎遠になってたけど、電話するといつもあなたのことを話してた」

「なんて」

「お母さんらしいことをしてやれなくて、申し訳ないって。母親失格だったけど、あの子なりに苦しんでいた。わかってあげて」

「…………」

「いいところもあったでしょう。飲んでなければ陽気だし」

「はい……美人でおしゃれで、友達を家に呼ぶと羨ましがられました」

「外ヅラだけはいいからね」

 ジュンは胸をおさえる。息切れして喘ぐ。

「すみません。あたし帰ります」

「泣いていいのよ」

「ママ」

「好きなだけお泣きなさいな」

「ママ……ママぁ」

 ジュンは浅葱色の着物をきた圭子にしがみつく。初対面の相手なのに、取り乱して号泣した。




 ひとしきり涙をながしたジュンは立ち上がり、身支度をととのえる。パーカーのファスナーを、ぐっと首元まで上げる。体に力がみなぎるのを感じる。

 後片づけの手をとめ、圭子が尋ねる。

「もう帰る?」

「はい」

「私は二階にも部屋を借りてて、そこに住んでるの。狭いけど、ひとりくらい泊まれるわ」

「これ以上長居できないんです」

「警察に追われてるのね」

「知ってたんですか」

「においでわかる。むかし似た様な境遇だったから。お金はあるの?」

「大丈夫です」

 圭子はレジの引き出しをあけ、一万円札を十枚ほど取る。

「もってきなさい」

「ありがとうございます。かならず返しにきます」

「性格は洋子に似ず、律儀なのね」

「へへっ」

「あなたはまだ若いから、母親が恋しいときもあるでしょう。いつでもいらっしゃい。私でよければ話し相手になるわ」

「はい。またお邪魔するとおもいます。ひょっとしたらおばさんが、あたしの唯一の家族になるかもしれないので」

 圭子はいぶかしげに片眉を上げる。発言の真意は、ジュンの引き締まった表情から読み取れなかった。




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『群狼のプリンセス』 第13章「ハチ公前」


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 ジュンはマンションの外へ出る。嫌な汗をかいたので暑苦しい。パーカーのファスナーをおろす。

 真向かいにローソンがある。店の前にミニバンのトヨタ・アルファードが駐まっている。スーツを着たふたりの男がガードパイプに寄り掛かり、ジュンが出てくるのを待っていた。運転席で望遠レンズつきのカメラをのぞく者もいる。

 ふたりのうち茶髪の方が、車道をわたりジュンにちかづく。トレンチコートを着た方は、アルファードのそばで煙草をくわえ、形勢をうかがう。

 わざとらしく両手を広げ、茶髪が言う。

「暁ジュンさん。いくつか質問がある」

 ジュンは無視して世田谷駅へむかう。

 茶髪は所属機関を明かさない。逮捕権をもたない公安調査庁あたりか。いまアカツキの本部を突っついている警視庁を出し抜いたのだろう。

 ターゲットが手負いになった途端、様子見してた連中が殺到する。分け前にあづかろうと。

 先回りしたトレンチコートが、横断歩道の前で行く手をふさぐ。

 鋭い口調でジュンが尋ねる。

「なにか」

 トレンチが答える。「山咲亮子とゆう人が君の会社にいるね」

「それで」

「知ってることがあれば教えてくれ」

「山咲さんは死んだ。あたしが殺した」

「おい」

「別に隠してないし。その日に自分で通報したから、警視庁に記録が残ってるはず」

「大胆な発言だ。つづきは場所をかえて聞こう」

「ことわる」

 脇をすり抜けようとしたジュンを、トレンチは抱きかかえる。ビルの壁へ押しつける。ヤニ臭い口許に冷笑がうかぶ。いかに難癖をつけてターゲットを足留めするかが、調査官の腕の見せどころだ。

 身じろぎもせず、ジュンが言う。

「あたしが誰かわかってるのか」

「犯罪者だ」

「泣く子も黙る一番隊隊長」

「御大層な名乗りだな」

「あたしとやる気なら結構だが、あとで泣きごとを言うなよ。ここでも、地獄でも」

 反射的にトレンチが身を離す。公安関係者のあいだで、品川埠頭での死闘は語り草になっている。

 暁ジュンは、もはや狼士などではない。

 鬼だと。

 この女は、男ふたりくらい平気で殺す。

 ジュンは顔色を変えず、ふたりの調査官に背をむけ、駅へいそぐ。




 東急線に乗り、ジュンは渋谷駅にきた。教授が設立したと言う新会社のオフィスがある。

 凝った照明がおちる構内は、近未来的な印象がただよう。改札口周辺の混雑に揉みくちゃにされる。身を隠すのには好都合だ。しかしジュンは悪寒に襲われ、柱にもたれてうづくまる。

 津波の様に邪念が押し寄せる。

 狩人でなく、同類の。

 黒のレザージャケットを着たふたりの男が通りすぎる。アカツキの制服だ。ジュンを探していたらしく、振り返って目ざとく発見する。ふたりとも五番隊所属の隊員だ。いや、元五番隊と言うべきか。

 ジュンは唇を噛む。

 五番隊か……きついな。

 ジャキン!

 ふたりは即座に特殊警棒を抜いた。

 ジュンは座ったまま反応しない。防禦姿勢も取らない。

 身内で争いたくない。父や日野が苦心して育てた部隊が、内紛で崩壊するのは見るに忍びない。

 それに、おたがい手の内を知り尽くしている。戦闘は陰惨になるだろう。

 右の男が、ジュンのパーカーのフードをつかむ。力づくで引っぱり上げる。その動きに合わせてジュンは立つ。よろけた男の喉を押し、後頭部を床へ打ちつける。

 ジュンは反転する。軸足を踏みこみ、右足を浮かせる。敵は左腕をあげる。ジュンの代名詞であるハイキックを防ごうとして。

 それはフェイントだった。大技に頼るなと言う、師匠である日野の教示にしたがった。

 顎を引いたジュンは、髪の生え際の部分を敵の鼻にめり込ませる。

 わづか三秒。

 地下二階に変化はない。男ふたりが昏倒している以外は。通行人は、目にも留まらぬジュンの攻撃に気づかない。

 プリーツスカートの埃をはらい、ジュンはつぶやく。

 頭つかえよ。

 ハイキックなんて出すわけねーだろ。きょうはレギンス穿いてないんだから。あたしのパンツは彼氏にしか見せないっての。




 階段を駆け上がり、ハチ公前広場にでる。

 夕日が道玄坂のむこうに落ちようとしている。スクランブル交叉点は血の色に染まる。

 ざわめきが徐々に引いてゆく。群衆は異変を察知した。前から四人、左右からそれぞれ三人、五番隊の隊員がせまる。特殊警棒をかまえている。隊長である日野の姿も見える。白髪頭のてっぺんが禿げ上がっている。ひとりだけコーデュロイのジャケットを着て、腕を組む。

 交番には警官が詰めてるはずだが、動きはない。

 ジュンは虚ろな目で夕空を見上げる。

 さすがに終わった。

 師匠もいるなら、あきらめるしかない。一対一でさえ、手も足も出ないのだから。せめて、さっき警棒を奪っておけばよかった。

 ジュンはパーカーのポケットから、黒い折りたたみナイフを出して握る。ブレードは閉じたまま。戦闘でもちいると、ブレードが勝手に閉じて指を切る恐れがある。柄についたガラスブレイカーで、打撃武器として使う。

 ジュンは深呼吸する。

 流れろ。水の様に。流れつづけろ。

 正面へ突進する。ジュンは完全に包囲されてはいない。階段を引き返せば逃げられるが、訓練どおりに体が動く。動物的な本能かもしれない。

 ナイフの柄で打つ。左右に払う。ナイフを握った拳でストレートを突き出す。

 ジュンは顔をしかめる。拳への負担が重い。昼間に池袋でも戦った。疲労が全身をつつむ。

 カチッ。

 親指でナイフのブレードを出す。指が切断されるリスクを避けるより、殺傷力を優先する。

 右側の三人が襲いかかる。

 ジュンは水平に、上向きに突く。フォアハンドで、バックハンドで切り裂く。額を切って視界不良にし、腿を切って行動不能にする。ミカにおそわったテクニックを応用した。

 のこりは左の三名と日野だけ。

 三名は新人だ。あっけなく斃れた味方をみて恐怖し、後ずさる。瞬きもせず震える。

 ジュンはひとりひとりに視線を合わせ、いたづらっぽくほほ笑む。

 三名はバラバラの方向へ逃げ散った。




 ハチ公前広場に拍手が響く。

 うなづきながら日野が言う。

「すばらしい」

 ジュンはハンカチで血糊をぬぐい、ナイフをポケットにしまう。警戒は解いてない。道具をつかったところで、どうにかなる相手ではない。

 髪をかき上げ、ジュンが答える。

「師匠はあたしとやらないんですか」

「俺は転職してない」

「なら助けてくださいよ」

「必要だったのか」

「あたりまえでしょ。一対十とか無理ゲーだし」

「お嬢がやりすぎたら止めるつもりだった。だがよく力をコントロールした。上達したな」

 んなわけねーだろ!

 ジュンは内心で叫ぶ。

 師匠にまで裏切られたと思ったとき、どれほど悲しかったか。

 なにが、やりすぎたら止めるだ。冗談じゃない。ちょっとはこっちの気持ちもかんがえろ。

 もうつきあいきれない。

 ジュンは、闘争の世界から引退する腹を決めた。

 監獄へぶちこまれそうな身の上だが、運よく切り抜けられたら、大学に通いたい。もともと看護師に興味があったし、そのための貯金もある。

 やるかやられるかの日々はうんざりだ。

 完全に心が折れた。




 ジュンと日野が、交番の方をむく。

 それは同時だった。濁った気の流れを感じた。

 二十メートル先で、ひとりの制服警官が右膝をつく。左膝で左腕を支え、S&Wのリボルバーを構える。ふつう交番勤務の警官は、警告なしに精密射撃の姿勢など取らない。般若党だろう。遅れてさらに二名がS&Wを抜く。

 ジュンの体は鉛みたく重い。

 逃げるべきなのはわかるが、生存本能がはたらかない。渋谷の街で武装したテロリストに追われたら、巻きこまれる一般市民は数十名に達するはず。

 そこまでして生きる意味はあるのか。

 日野が疾駆する。

 ジュンは、五十四歳の日野が走る姿をはじめて見た。鷲の様に跳躍した日野は、警官の顔面頭蓋を右膝で砕く。

 目を丸くしてジュンはつぶやく。

 飛び膝蹴りかよ。

 大技に頼るなと口を酸っぱくして言うくせに。

 別の警官がS&Wを、日野の背中へ突きつける。ジュンは加勢しようと駆け出す。

 日野は振り向きざま、敵の右腕を左腋で挟む。右手をVの字にして両目を突く。容赦なくえぐる。警官が悲鳴をあげる。

 眼球を潰された警官を、日野はのこったひとりに向けて押し出す。ふたりの警官がもつれあう。倒れた瞬間、S&Wが暴発する。

 ズダーン!

 日野はうつむき、腹をおさえる。

 ジュンが叫ぶ。「師匠!」

「お嬢は離れてろッ!」

 そう叫んだ日野は、警官に馬乗りになる。警官は寝たままジュンに発砲する。外れた。日野は咆哮し、警官の顔を殴る。警官が日野を撃つ。一発、二発、三発。日野は銃撃を黙殺し、いっそう激しく殴りつづける。警官の顔面が醜く変形する。

 合気道に励んでいたとは思えない、気違いじみた攻撃性だ。

 ジュンは小柄な日野を引き剥がす。仰向けに寝かせる。銃創は胸部に三つ、腹部に一つ。

 自力の手当ては不可能だ。ジュンは借り物のアイフォンを操作する。逮捕されるのは仕方ない。師匠の命には代えられない。

 ジュンの腕をつかみ、喘ぎながら日野が言う。

「五反田に『さんだんか』とゆう小料理屋がある」

 ジュンが答える。「しゃべらないで」

「そこに仲村圭子とゆう女がいる」

「女の話は後にして」

「お嬢の伯母にあたる。会いに行け」

「は? あたしにおばさんなんていない」

 ジュンは日野と目を合わせる。皺だらけの日野の顔が苦痛でゆがむ。その痛みは肉体的なものか、心理的なものか。

「すまない」日野が言う。「罪を告白する勇気がなかった。謝ってすむ問題ではないが、心から申し訳なくおもう」

「なに言ってるの。変だよ」

「お嬢は俺を恨むだろう。暁のことも。ただただ申し訳ない。後悔しかない」

「師匠、しっかりして! 師匠!」

 武術を極めようと生きた男は、最後の弟子に看取られて死んだ。その死に顔は険しかった。




テーマ : オリジナル小説
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苑田 謙

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