『ナデシコ女学院諜報部!』 第4章「セレブリテ学園」


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 練習試合の翌日。

 部室棟三階のサルーンで、諜報部の四人が沈鬱な表情で話し合っている。正しくは、ミキはまだ仮入部扱いではあるが。

 国宝である七星剣が強盗団に奪われたニュースは、日本全国を揺るがせた。もちろん報道でミキをふくむ女学生たちは、不運な被害者として名を伏せられていた。糾弾されてるのは犯行を防げなかった警備員と、監督官庁である文部科学省だ。

 しかし泣き寝入りするつもりのないミキは、テーブルを叩いて叫ぶ。

「あれが偶然とかありえない! ジェーン・カラミティが仕組んだに決まってる!」

「落ち着いて考えて」きららが答える。「なんでハリウッドスターがわざわざ日本の国宝を盗むの」

「さあ。刀剣マニアか何かじゃないですか。もしくは審神者かも」

「サニワ?」

「刀剣乱舞ってゲームのプレイヤーのこと」

「……それはともかく、私たちがプロフェッショナルな組織犯罪に対応するなんて無理。巻き込まれたのは気の毒だけど、はやく忘れるべきよ」

 顎に手をあてて考えこんでいた千鳥が、ぼそっとつぶやく。

「あたしは平手さんに賛成」

「千鳥ちゃん」きららが言う。「先輩のあなたが冷静にならないと」

「レンジローバーの運転席に、アルテミシアってコがいるのを見たんだよ。マスクしてたけど」

「私もそばにいた。判別できる距離じゃなかった」

「あたしは自分の直感を信じる。セレブリテ学園はなにか企んでるから、潜入して調べよう。あたしと平手さんの二人だけでもいい」

 きららが椅子を蹴って立ち上がる。スマートグラスが傾いている。唾を飛ばしながら叫ぶ。

「いい加減にして!」

「なにをそんなに怒ってるのさ」

「部長として、危険な行動は認めない」

「ルールに則ってやるから」

「そもそも平手さんは正式な部員じゃない。勝手な真似をしたら、千鳥ちゃん、あなたも強制退部よ」

 普段は温和なきららの気迫に飲まれ、千鳥は肩をすくめて沈黙する。

 すすり泣きの声がサルーンに響く。

 パーカーのフードを目深にかぶった氷雨が、嗚咽をもらしている。きららは何事かささやきながら、右手を氷雨の手に重ね、左手で肩を抱き寄せる。

「きょうはこれで解散」きららが言う。「くれぐれも言っておくけど、暴走は許さないわ」




 ミキはツインテールをいじりつつ、肩を落として靖国通りをすすむ。

 諜報部への入部は許可されなさそうだ。したがって退学も避けられない。今週はいろいろありすぎて、どうすればいいものやら。

 氷雨はなぜ泣き出したのだろう。部員同士のいさかいを見て悲しくなったのか。それともミキを諜報部に誘ったら事件に巻き込んでしまい、責任を感じたのか。氷雨がやさしくて繊細なのは知ってるが、やや過剰反応におもえる。

 モヤモヤする。

 こうゆうときはゲーセンに行って、音ゲーでフィーバーするにかぎる。

 うしろから肩を叩かれた。

 振り返ると千鳥が、黒のレザージャケットのポケットに両手を突っこんで立っている。

「悪かったね」千鳥が言う。「きららを説得できなくてさ。あの人が怒るのをはじめて見た」

「千歳川先輩が擁護してくれて嬉しかったです。嫌われてると思ってたから」

「まさか。平手さんはオシャレでお人形さんみたいだから、相性悪そうな気はしたけど」

「そうですか? ボクは先輩の服好きですよ。その革ジャンかわいい」

 鼻をこすりつつ千鳥が言う。

「これは双子の弟にもらった。千歳川万太って知らない? 十六歳でFC東京の正ゴールキーパーだから、結構有名なんだ」

「サッカーには疎くて」

「逆にあたしはちっちゃい頃からサッカー漬けで、ひどいファッション音痴になった」

「はぁ。なら今からルミネでも行きます?」

「え、お金ない」

「試着だけでも楽しいですよ」

「マジで! つきあってくれんの!?」

 千鳥は小躍りする。無邪気に喜ぶ先輩をみて、ミキはくすりと笑い声をもらす。

「情けないけど」千鳥が続ける。「あたし自分で服を選べなくてさ。でも周りにファッションに詳しいコあんまいないし」

「そんなに喜んでもらえるとは」

「いやいや、ありがたい。なぁ、平手さんのこと下の名前で呼んでいい?」

「ええ。ボクは千鳥先輩って呼んでいいですか?」

「おっけー!」

 千鳥はミキを抱きしめる。まるでミキがサッカーの試合でゴールを決めたみたいに。

 気づくのが遅かったかもしれないけど、友達をつくるのは案外簡単なのだとミキは思った。

 ふたりは歌舞伎町一番街の手前の横断歩道をわたる。ユニカビジョンに公開中の戦争映画『アメリカン・サバイバー』のCMが流れる。

 イラク戦争で、アメリカ空軍の女性パイロットが乗機を撃墜されて捕虜となるが、収容所から自力で脱出するとゆう、実話にもとづいた映画だ。主演はジェーン・カラミティ。物語の終盤だろうか、重傷を負った主人公が味方部隊に合流する場面が映る。男性兵士の手首に髑髏のタトゥーがある。髑髏は王冠をかぶり、額には十字架があしらわれている。

 ミキは横断歩道の途中で立ち尽くす。

 千鳥が尋ねる。「どうした?」

「おなじタトゥーです。目出し帽の男と」

「へ?」

「ボクを押し倒した強盗犯が、ジェーンの主演映画に出てたんです。絶対つながりがある」

「タトゥーが似てるだけじゃ」

「昨日の今日で、見間違えるわけない。ボクはそこまでバカじゃない!」

「と、とりあえず横断歩道わたろうぜ」

 靖国通りの南側の歩道にわたったミキは、ブツブツつぶやきながら吉野家の前をうろつく。右の瞳が復讐心で燃え上がってるのは、カラーコンタクトのせいだけではない。

 千鳥は、ジャケットからエクスペリアを取り出して言う。

「きららに電話するよ。タトゥーのことを話せば、気が変わるかもしれない」

 エクスペリアを操作する千鳥の手を押さえ、ミキが言う。

「いいです。わからない人は何を言ってもわからない。ボクひとりでセレブリテに忍びこみます」

「さすがに単独行は危険すぎる」

「千鳥先輩を巻き込みたくない。やられっぱなしじゃ気がすまない、ボク個人の問題です」

 ミキは厚底のブーツを鳴らして早足に立ち去る。自宅にもどり潜入の準備をするつもりだ。

 千鳥はミキの手首をつかみ、力強く引き寄せて言う。

「勝手に帰るなよ」

「だから」

「巻き込みたくないとか、冗談じゃない。あたしは仲間を見捨てない。なにがあっても」

「先輩」

「ミキはあたしの友達だ。だから信じる。部室から装備をもってくるから、三十分後にここで会おう」




 ふたりは東京駅で京葉線に乗り換え、新宿駅から五十分ほどで新浦安駅に到着した。ミキは制服のスカートを紫のミニに、千鳥は七分丈のデニムに着替えている。高層マンション群を通り抜け、徒歩でセレブリテ学園へむかう。

 ミキが着ているタータンチェックのジャケットをまじまじとながめ、千鳥が言う。

「なんかミキって、いつもちがう服着てるよな。何着もってんの」

「さぁ。多すぎだと親によく怒られます」

「お金は? バイト?」

「バイトはしたことないです。お小遣いは月三千円。服とゲーム代に消えます」

「三千円じゃそんなに洋服買えないでしょ」

「メルカリで売ったり買ったりしてるうちに、どんどん増えてくんですよ」

「いまどきの若いコはすごいなあ」

 千鳥はマンションの敷地内にあるベンチに腰をおろし、さりげなく単眼鏡を覗く。境川の向こう岸に、セレブリテ学園の石造りの巨大な校門が見える。

 鉄製の二枚の扉はかたく閉じられ、手足のない寸胴の警備ロボットが複数台、周囲を巡回している。上空をドローンが飛んでいる。

「あちゃあ」千鳥がつぶやく。「水も漏らさぬ警戒ぶりだ。氷雨がいればハッキングできたかもしれないけど……」

 隣に座るミキが単眼鏡を借りる。

 鉄扉がゆっくり内側に開くのが目に映る。すべての警備ロボットが停止する。ドローンが飛び去る。

 誘っている。

 ジェーンがボクを。

 ベンチから立ち上がったミキは、単眼鏡を千鳥に返して言う。

「校門が開きました。行きましょう」

「おいおい、正面突破かよ。罠だろ。アウェーでは慎重に戦うもんだ」

「敵の策は読めてます。怪我するのが怖いなら東京に帰っていいですよ」

「言ってくれるじゃんか」




 ミキと千鳥は、高さ十メートルの石造りの門を通過する。静寂が校内を支配している。平日の五時なのに生徒はどこへ消えたのか。

 ミキは背中のメッセンジャーバッグを正面にまわし、サブマシンガンのMP7をとりだす。千鳥は愛用するハンドガンのグロック19を抜く。

 木立にはさまれた小道は、無数の石柱がならぶ広間に通じている。古代オリエントの宮殿を模した「百柱殿」だ。

 銃を構えたミキと千鳥が広間に入ると、鼻にかかった甲高い声が柱のあいだで反響する。

「ふふ……いまだ懲りずにパールハーバー。日本人は奇襲しか能がない」

 ミキが答える。「真珠湾攻撃は、空母を逃したのが失敗だった。今回は再起不能になるまで叩く」

 奥の柱の陰からジェーンがあらわれる。アサルトライフルのF2000を両手でもつ。おかっぱ頭のアルテミシアが影のごとく付き従う。

 MP7を腰だめに構え、ミキが言う。

「七星剣を返せ。お前が盗んだのはわかっている」

 ジェーンが答える。「そう主張する根拠は?」

「強盗団はお前の仲間だ。映画で共演してる」

「意外だわ。猿に知性があるなんて」

 ジェーンのF2000が火を吹く。ペイント弾とは桁外れの、鼓膜を圧迫する銃声が響きわたる。石柱が粉微塵に砕け、床に散らばる。

 ミキと千鳥は柱に隠れる。千鳥は口をぽかんとして放心状態だが、ミキはだまってMP7の弾倉を交換し、ハンドルをひいて給弾する。

 千鳥にむけてグロック用の弾倉を床にすべらせ、ミキが叫ぶ。

「そのマガジンは実弾です! すみません、内緒で自宅に持って帰ってました!」

「お前なに言ってんの!?」

「火力で負けたら二人とも殺られます。ひとっ走りするんで掩護してください。いきますよ!」

「ちょ……」




 二分後。

 黒のセーラー服を着たジェーンとアルテミシアが膝をつき、両手をあげている。足許にF2000が二挺ころがる。

 ミキが背後からふたりにMP7を突きつけている。千鳥に支援されながら迂回し、敵の背面にまわって降伏を勧告した。

 ジェーンは金髪を掻きむしり、背後のミキにむかって言う。

「平手ミキ、お前はどこの組織に属してる」

「組織?」

「正規の訓練をうけたエージェントだろう」

「ボクが属すのは神だけだ。死の天使として、お前たちに裁きをくだす」

 ミキの斜め後方に立つ千鳥が、不審そうに眉をひそめる。ただのサッカー少女である千鳥にとり、ペイント弾でなく実弾を撃ち合うなど、悪夢以外の何物でもない。しかしミキを置いて逃げるわけにもゆかず、ここまで引きずられてきた。

 千鳥が観察するところ、ミキはトランス状態にある。自己陶酔だ。ゲーム実況で「死の天使」とゆうキャラを演じるときと同じ。

「ふざけるな」ジェーンが言う。「自分のおこないを認識しているのか。私たちはかならず報復する。お前と、この国の全員を血祭りにする」

 ミキは御影石の床にむけ、四・六ミリ弾をセミオートで五発撃ちこむ。

 ジェーンは短い悲鳴をあげ、頭をかかえる。アルテミシアは涙を流し、ジェーンにしがみつく。彼女たちも実弾による銃撃戦は初めての経験だ。

 バキバキバキッ!

 ツゲの植え込みを踏み散らし、レンジローバーが急接近する。ナデシコ女学院で強盗をはたらくとき用いられた、フロント部分がへこんでいる車輌だ。百柱殿のそばで停まり、武装した四人の男が車を降りる。きのうと同様にFN・SCARを装備するが、目出し帽はかぶってない。

 ミキと千鳥はアイコンタクトをとる。

 そろそろ潮時だ。




 タクティカルサングラスをつけた男が、うずくまるジェーンに手を差しのべる。手首に髑髏のタトゥーが彫ってある。アメリカ陸軍のアレックス・ハミルトン准尉だ。ジェーンはその手を払いのけて立ち上がる。セーラー服のスカートの汚れをはたく。

 日本刀用のキャリングバッグを背負ったハミルトンが、ジェーンに言う。

「救出が遅れて申しわけない」

「ふん」ジェーンが笑う。「あなたに助けを求めた覚えはないわ」

「と言うと?」

「私は命令しただけ。遂行できないあなたが無能」

「……あまり調子にのるなよ。俺たちは好きでベビーシッターを務めてるわけじゃない」

「あらそう」

 ジェーンは、ハンドガンのファイブセブンの照準をハミルトンの眉間にあわせ、発砲する。

 アルテミシアが叫ぶ。「ジェーン!」

 セーラー服の二人と、屈強な男三人が銃口を向け合う。男たちの方がより狼狽している。みな口々に四文字単語をわめく。ジェーンとアルテミシアは、無言で同胞を射殺した。

 おかっぱ頭のアルテミシアはへたりこみ、めそめそ泣きはじめる。消え入りそうな声でつぶやく。

「なんてことを……」

 ジェーンはファイブセブンをもったまま腕組みし、アルテミシアに言う。

「アル、あなたが見たのはどっち」

「いったい何を言ってるの」

「眼帯をつけた猿が、私のキャリアに汚点をのこしたところ? それともあの女が、我が軍の最精鋭を殺したところ?」




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『ナデシコ女学院諜報部!』 第3章「練習試合」


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 学院の部室棟のそれぞれのフロアには、階段に隣接してサルーンがある。最上階の三階は、長机のまわりに椅子が十脚ならぶ。部室は飲食禁止だが、サルーンはドリンクサーバーが設置され、部の垣根をこえて交流できる。アイパッドを繋いだディスプレイに、コスメを紹介するユーチューバーの動画が流れている。

 ボマージャケットを着た千鳥が、背もたれに寄りかかってコーヒーを飲む。向かい側にミキと氷雨が座る。ふたりは千鳥より一年後輩だ。

「入部には反対」千鳥が言う。「氷雨の友達だから悪く言いたくないけど、きのうエージェントに逃げられたのは、このコのせいだしね」

 責任を負わされたミキは、無言でアイスティーをストローで吸う。自分を辯護するのは苦手だ。

 水色のパーカーを着た氷雨がマックブックをひらき、徹夜で編集したミキのプロモーションビデオをみせる。ミキの父親の趣味がサバゲで一緒に遊んでいたことや、オンラインゲームが得意なことなどを謳い上げるが、退学寸前なことなど芳しくない事情は隠してある。

「やさしいな」千鳥が続ける。「わざわざ動画をつくるなんて。でも平手さん本人の意欲を聞きたい」

 ミキのエメラルド色の右目が、探りを入れる。くぐもった声でつぶやく。

「役に立てると思います。スパイ甲子園で優勝するのが目標ですよね」

「調べたよ。特待生の資格がほしいんだろ」

「…………」

「それはいいさ。重要なのは信頼関係を築けるかどうか。ヘタしたら大怪我すんだから」

「怪我なんて怖くないです」

「あたしは怖いよ。部長が来たら多数決をとろう……ほら噂をすれば」

 明るい色の長髪の女が、階段を上ってあらわれた。髪を真ん中で分けており、広い額が知的な印象をあたえる。縁なし眼鏡の弦に、透明な小型のパネルとカメラが装着されている。スマートグラスだろうか。

 氷雨がミキに、仲間を紹介する。

「こちらが部長の諸星きらら先輩」

「はじめまして、諸星です」きららが言う。「下の名前は忘れて」

 嗜虐心を刺激されたミキが、目を細めてからかう。

「ステキな名前ですね」

「いいから忘れて」

 きららは口を尖らせる。ミッキーとミニーがあしらわれたカップにホットコーヒーを注ぎ、副部長である千鳥の隣に座る。一座を見回しながら尋ねる。

「で、面接はどんな感じ?」

「いつもの様に」千鳥が答える。「多数決で決めよう。あたしは反対。このコには背中を預けられない」

 テーブルに身を乗り出し、氷雨が反論する。

「平手さんは服装など個性的ですが、頭の回転が速くて諜報部向きの人材です。だいたい、土曜のセレブリテとの練習試合はどうするんですか。一人足りませんよ」

「そうね」きららが言う。「練習試合はともかく、月末の公式戦までには欠員補充したいわ」

「だったら」

「氷雨ちゃんのお友達なら信用できるけど、大事なことだから即断は避けましょ。ほかに候補もいるし。だから今日のところは、ね」

 きららがウィンクする。部員同士の軋轢が生じない、日和見的な結論がくだされた。氷雨はパーカーのフードをかぶり、きまり悪げにミキを見上げる。

 ミキは窓の外をながめる。

 いつもボクは女子の派閥に入れてもらえない。休み時間のたびに連れ立ってトイレへ行ったりする、例のアレに。昔からそう。いったいボクには何が欠けてるんだろう。

 三階の窓から、橋のかかった池の向こうに校門が見える。人だかりができている。リムジンから黒のセーラー服を着た女が降りると、出迎えに来た学院の生徒が絶叫する。

「あれって」ミキがつぶやく。「セレブリテの制服じゃないですか」

 アイフォンでメールを確認したきららが、ほかの部員に言う。

「困ったわ。セレブリテ学園が今日練習試合したいって。いきなり」

 千鳥が尋ねる。「連絡ミス?」

「そんなはずないけど、門前払いもできない。どうしよう……ねえ、平手さん。ひょっとしたらお手伝いしてもらうかもしれない」

 氷雨が小躍りし、千鳥が顔をしかめる。ふたりは試合の準備のため部室へ入った。

 部長のきららが、セレブリテ学園の部長に電話する。行き違いがあったらしく、きょう対戦したいと求められ、しぶしぶ承諾する。通話を切り、ため息をつく。

「あのう」ミキが尋ねる。「眼鏡についてるのグーグルグラスですよね」

「いわゆるスマートグラスね。グーグル社が開発したものではないの。つかってみる?」

「いえ、特に興味は。メールチェックや通話はスマホじゃなく、それで出来るんじゃないですか」

「氷雨ちゃんにもらったんだけど、いまだに使い方を覚えられなくて」

「ならなんでつけてるんですか」

「だってオシャレじゃない」

「はぁ」

 やっぱり変な部活だと、ミキは思った。




 クライスラーのリムジンのドアが跳ね上がり、ヒョウ柄のストッキングを履いた脚があらわれる。人間のものと思えぬほど長い。

 黒のセーラー服を着たその少女は、身長が百七十センチをこえる。幅広の名古屋襟が高級感をかもしだす。髪はブロンドで、アーモンド型の瞳が生き生きと輝く。顎がややしゃくれており、自信家の印象をあたえる。

 校門に殺到したナデシコ女学院の生徒が、耳をつんざく歓声で金髪の少女を迎える。彼女の名はジェーン・カラミティ。史上最年少の十七歳でアカデミー主演女優賞を獲得した俳優だが、いまは千葉県浦安市にあるセレブリテ学園に短期留学中だ。

 腕組みしながらジェーンがつぶやく。

「スカートを穿いた猿ども」

 おかっぱ頭のアジア系の女が、クライスラーから続いて降りる。きのう学院に侵入したチャオ・アルテミシアだ。きょうは変装せず、自校のセーラー服を着ている。

 アルテミシアが背後からジェーンにささやく。

「口を慎んで。不用意な発言はSNSであっと言う間に拡散される」

「不用意?」

「人種差別と受け取られかねない」

「偏見じゃなくて事実よ。日本に来て五日経つけど、まともな知性をもつ人間がどこにもいない」

 あっけらかんとした口調でジェーンは答えた。発言に悪意はない様だ。

 アルテミシアは鼻を鳴らす。中国系アメリカ人である彼女は日本人に同胞意識をもたないが、愉快な話題ではない。ただ、ジェーンの強烈な自尊心がうらやましくもある。

 ジェーンはヒップホルスターから拳銃のファイブセブンを抜き、ポリマー製のスライドを引いて薬室が装填されてるのを確かめる。

「ところで」ジェーンが尋ねる。「JSOCとの連携は問題ない?」

「さっきまでハミルトン准尉以下四名にブリーフィングをおこなったわ」

「何事もはじめが肝心。私は初主演映画でオスカーを獲った。この作戦も最初で決める」

「あなたの計画は完璧よ」

「油断しないで。私は完璧なキャリアをさらに完璧なものにする。誰にも邪魔させない」

 ジェーンは池の向こう側にある木造の部室棟を、ターコイズブルーの瞳で見据える。




 ミキが池のほとりに立っている。鞘に入った直刀を杖がわりにする。池には三つの中島があり、六つの反り橋が掛かる。学院にロクな思い出はないが、この庭園だけは好きだ。

 手にする刀は、四天王寺所蔵の七星剣。聖徳太子の佩刀とされる国宝だ。学院の行事のため今週金曜日まで貸し出されている。無論、女子高生が気軽にさわれる代物ではないが、セレブリテ学園側が練習試合の「フラッグ」に指定してきたので、ミキがひとりで守っている。文部科学省が派遣した二十名の警備員が遠巻きに監視しており、特に危険はない。

 試合の参加人数は四対四。攻撃側と守備側に分かれる。二十分以内に二つのフラッグのどちらかを裏門まで運べば、攻撃側の勝利。それを阻止すれば守備側の勝利。戦闘でどちらかのチームが全滅したら試合終了。ルールは単純だ。

 試合開始時はきららとミキのふたりで七星剣を守っていたが、もう片方のフラッグが敵四名に襲われたとの連絡が入り、きららが救援にむかった。

 あいつらアホだなと、ミキは思う。

 古今東西のゲームに精通するミキは、ルールを聞いただけで本質をつかんだ。守備側が圧倒的に有利なシステムだ。フラッグをもって二十分逃げ回るだけで勝ちになる。だから攻撃側は片方のフラッグに集中し数的優位をつくろうとするが、それで精々互角になる程度。現在リーグ首位のセレブリテが、そんなつまらない戦術を採るはずない。

 キャプテンのきららを誘い出したのは陽動で、仮入部の部員ひとりのこちらが主目標だ。まちがいない。おそらく敵はふたりで来る。きららに部室棟から絶対出るなと命じられたが、見晴らしのよい庭園をミキは迎撃地点にえらんだ。

 カーキ色のGショックをみる。ちょうど半分の十分経過。そろそろだろう。七星剣をベルトの背中側に差す。サブマシンガンのMP7のストックをのばして肩にあてる。H&Kの実銃にさわれるとは、なんとゆう神部活なのか。

 ザバッ!

 水飛沫の音が耳に入った。

 ミキは混乱する。水。なんの音だ。

 奇襲。そう、奇襲だ。敵は池を潜ってきたのだ。

 無我夢中でミキは木製のベンチに身を隠す。背もたれが耳許で鳴り響く。ペイント弾が裏側に当たったのだろう。どこから撃たれたのかもわからない。

 動け。とにかく動け。

 運動不足のミキは脚をもつらせながら、中等部の教室棟をめざしてジグザグに駆ける。




 ミキは懸命に呼吸をととのえる。部屋を見回すとガスコンロやステンレスの流し台がある。自分は調理室にいるらしい。

 ふたたびGショックをみる。まだ七分もある。

 無理ゲーだ。体力がもたない。

 部屋の外からアメリカ訛りの日本語が聞こえる。

「ヘイ、眼帯ガール」

 ミキが答える。「なんだよ」

「一対一で勝負しよう。銃を構えずに中に入るから、とりあえず撃たないでほしい」

「好きにすれば」

 テレビでおなじみの長身の美女が、開けっぱなしの引き戸のところに現れる。ジェーン・カラミティだ。金髪をタオルで拭いている。黒のセーラー服は乾いてるが、スカートの下のレギンスが濡れている。わざわざ着替えたらしい。アサルトライフルのF2000をスリングで吊るしている。

 有名人のオーラに気圧されたミキが口走る。

「ナ、ナイストゥーミーチュー」

「日本語でいいわよ。時間がないからさっさと始めましょ」

「オーケー」

 ミキが言い終わらないうちに、ジェーンはなめらかにスリングをすべらせ、射撃姿勢に入る。雨あられとペイント弾をばら撒き、調理室を前衛絵画のキャンバスに変える。ミキも散発的に応射するが、弾倉にある四十発をすぐ撃ち尽くす。予備の弾薬はあたえられてない。

 ジェーンの一方的な攻撃は、数分で止んだ。

 弾切れのF2000をファイブセブンに持ち替え、ジェーンは調理台の陰から長身を晒す。青い瞳がきらめき、鼻腔がふくらむ。

 このハリウッドスターは偏愛しているのだ。成功とゆう美酒の味を。

 尻餅をついて息を切らすミキに銃口を向け、ジェーンが言う。

「フラッグをこっちへ投げろ」

 しかしミキには武器がひとつ残っていた。全世界のネット対戦でつねに有効な武器が。

 それはすなわち、煽りだ。

 左の中指を突き立て、ミキが叫ぶ。

「ファッキュー、ビッチ!」

 血相を変えたジェーンが発砲する。ミキは顔の前にフライパンをかざして防ぐ。お返しに、虹色に塗られたフライパンを投げつけると、相手の頭部に命中した。

 額に裂傷が走り、血がどっと溢れる。ジェーンは青褪める。来月からイギリスで文藝作品の撮影がはじまるのに。

 ジェーンが叫ぶ。「ファッキンジャップ!」

 引き出しを開けて包丁をつかみ、ミキの喉に突き刺そうと走り寄る。




 ミキは七星剣を背中に差したまま、壮絶な死闘がくりひろげられた調理室を飛び出す。高圧電流のフェンスがある裏門周辺は、見物人と警備員が数十名いるだけ。敵味方ふくめプレイヤーはいない。

 Gショックのタイマーはのこり二十秒。ミキは勝利を確信する。

 ドガーン!

 背後で騒音が轟いた。

 ふりかえったミキの数メートル先に、ひしゃげた鉄製の門がころがっている。滑車でうごかすタイプだ。もともと門があったところに、フロント部分が壊れた濃紺のレンジローバーが停まっている。

 目出し帽をかぶった大柄な男が四名、つぎつぎと車から降りる。みなアサルトライフルのFN・SCARを構えている。呆然とするミキにひとりが近づく。ほかの三人は各方向へ銃をむけ、ぬかりなく周囲を射界におさめる。

 目出し帽がミキを小突き、アメリカ訛りで怒鳴る。

「カタナをよこせ!」

 ミキのツインテールが虚しく揺れる。なにが起きてるのか把握できない。

 目出し帽はミキの足を払い、うつ伏せにする。すさまじい勢いでコンクリートの地面に押しつけられたミキは、なす術なく国宝を奪われる。男の手首に髑髏のタトゥーがあるのが目に入る。

 目出し帽の四人はレンジローバーに乗り込み、風の様に去っていった。

 騒ぎを聞いて駆けつけた千鳥が、ミキを抱き起こす。フリルつきの黒のブラウスを着たミキの体はこわばり、はげしく震えていた。




テーマ : オリジナル小説
ジャンル : 小説・文学

『ナデシコ女学院諜報部!』 第2章「家庭訪問」


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 「そば処 ひらて」は、新宿区富久町にある創業三十年の蕎麦屋だ。ナデシコ女学院から歩いて一分の距離にある。特に地元で愛される老舗などではなく、閑古鳥が鳴いている。

 二階は居住空間となっており、平手ミキが母とふたりで暮らす。六年前まで岩手県大船渡市に住んでいたが、震災を機に母は実家にもどり家業を継いだ。創業者である祖父が昨年亡くなってからは、ますます流行らなくなっている。

 無断で早退したミキは黒のジャージに着替え、ゲームのコントローラをにぎる。アクションゲームの『フリーダム・シスター』で、八対八のオンライン対戦に没頭している。日本刀を背負うセーラー服の少女が、雪の降る街で銃を乱射する。ミキがお気にいりの武器はH&K社のMP7。アサルトライフルとくらべるとパワー不足だが、神出鬼没の機動でキル数を稼ぐ。「死の天使」とゆうアカウントは、ゲーマーのあいだで知られた顔だ。

 エリア中央の倉庫の屋上にいるスナイパーが、味方をつぎつぎとヘッドショットで斃している。

 ヘッドホンから味方の声が届く。

「天使ちゃん、屋上のアイツどうにかして」

 ミキが答える。「おっけー」

 ミキがあやつるキャラクターは敵陣へ突入し、グレネードを投げてからビルへ踏みこむ。屋上まで階段を駆け上り、さらに隣のビルの屋上へ飛び移る。電線を伝ってスナイパーの背後に回り、刀を一閃して屠る。

「よし」ミキがつぶやく。「スナイパー殺った」

 七名が歓声で答える。「うおーっ!」

 ミキの副腎がアドレナリンを分泌する。充足感に満たされる。ここには自分を必要とする人々がいる。ゲームに感情移入していれば嫌なことを忘れられる。人生になにも不満はない。

 ヘッドホンが剥ぎ取られた。

 紺の作務衣を着た母が、眼尻を上げて仁王立ちしている。

 母が言う。「さっきから呼んでるでしょ!」

「聞こえなかった」

「並木先生がいらしてるから、早く来なさい」

「ボクが話すことはないよ」

「いい加減にしな!」

 母はミキの耳をつかむ。壁だけでなく天井までアニメやゲームのポスターが貼られた部屋から、力づくでミキを廊下へ引っぱり出す。




 手狭なミキの家に応接間はなく、担任の並木はリビングルームの食卓へ通された。並木はスカート丈の長いグレーのスーツを着て、髪型はアシンメトリーのボブ。生徒からあまり親しまれない教師で、家庭訪問でも愛想笑いひとつ浮かべない。

 母が山菜そばの丼を置いて言う。

「店のもので申しわけないですけど」

「どうかお構いなく」並木が答える。「お忙しいところお邪魔してすみません」

「ちょうど仕込みの時間ですから」

「いえいえ」

 そっけない口調で並木は受け答えする。ミキが無断早退したせいで外回りを強いられ、不機嫌なのだろう。

 並木は合皮のバッグから成績表をとりだす。向かい側にならぶ母娘の前に広げて言う。

「期末テストの結果です。成績は五百点中三十七点。全科目赤点です。数学にいたってはテストを受けてすらいません」

 ミキにも言い分はある。彼女は数学の記号に対するアレルギー体質をもつらしく、fやΣを見つめてるだけで試験中に意識を失ったくらいだ。でもそれを申告せずに逃げたのだから問題だ。

「単刀直入に申し上げます」並木が続ける。「平手さんは三学期の成績がどれだけよくても、進級できる見込みはありません」

 母がつぶやく。「そんな」

「手紙などで何度もお知らせしましたが」

「すみません……店が忙しくて」

「留年とゆう選択肢もあります。でも学院としては、よりふさわしい環境に移って、充実した高校生活を送られるのをお勧めします」

「転校しろってことですか」

「そう受け取っていただいて構いません」

「困ります。特待生でタダだから高校へ通わせられるのに。言いたかないけどウチは貧乏なんです」

「お母様。残念ですが生徒さんが留年した場合、特待生制度は適用されなくなります」

 勉強ぎらいのミキが特待生試験に合格したのは、彼女が「神のサイコロ」と呼ぶ鉛筆の出目が、高確率で的中したおかげ。小論文や面接で演じた優等生キャラも評価されただろう。入学後すぐにメッキが剥がれたが。

 母が早口でまくし立てる。

「先生、この子の兄は勉強ができたんです。震災で亡くなってしまったけど。この子もやればきっとできます。もうしばらく見てやってくれませんか」

「教育者としては非常に心苦しいですが……」

「でしょう。テストの点数が悪いから追い出すなんておかしいもの」

 並木は母の意見を考慮する素振りすら見せず、単調な声で言う。

「われわれが心配するのは学業成績ではありません」

「はあ」

「平手さんは他の生徒とのコミュニケーションがうまくいってない様です。職員の一致した見解です」

「それは……」

「思春期の子供にとって友人関係は重要です。学習環境を変えるのがベストだと、われわれは判断しました。平手さんのためを思っての提案です」

 並木は、黒のジャージを着たミキを見遣る。着替える暇がなかったので眼帯だけつけている。母と担任教師の真剣な会話のあいだ、ずっとアイフォンでツイッターをやっていた。コミュニケーション不全のうごかぬ證拠だ。

「ミキ!」母が叫ぶ。「いつまで携帯いじってるの。先生に謝って、勉強がんばりますと言いな!」

 ミキは画面から目を離さない。激昂した母がミキのおさげ髪を引っぱる。ミキはその手を振り払う。母は爪を立てて娘の後頭部をつかみ、食卓へ押しつける。箸をつけてない山菜そばの汁がこぼれる。

 並木は席を立ち、醜悪な母娘ゲンカの仲裁に入った。




 並木が学校へ戻ったあと、ミキは自室でゲームを再開する。おもわぬ邪魔がはいってランクが下がったし、クランの仲間に迷惑をかけた。がんばらないといけない。

 母がドアを開け、鼻息荒く言う。

「あんた明日から学校行くのやめな」

「別にいいけど」

「転校もしないでいい。これからは店を手伝いな」

「やだよ」

「借金あるのに学費なんて払えない。転校しても、どうせあんたは勉強しないし」

「ウチで働くのはやだ。コンビニかどこかでバイトする」

「嫌なら家を出てけ」

 ミキは母と視線をあわせる。ヒステリックな母だが、脅しで言ってる様子ではない。すこし卑屈な態度をとる必要がある。

「ごめんなさい」ミキが言う。「学校でうまくいってないのを相談すべきだった」

「あんたは大人しいくせに意外と口が達者だから、お母ちゃんは騙されてきた。やるやると言って何もしたことがないじゃないか」

「でも高校は卒業しときたいよ」

「どうせゲームして、変な服買って、そればっかりだろ。すこしは苦労しな」

 風向きが悪い。嘘泣きでなく、不安でミキの目に涙がにじむ。

「お母ちゃん、お願い。お金はかならず返すから」

「返せるもんか。お金を稼ぐのがどれほど大変か。大体あんたは将来何になりたいんだい」

 ミキがなりたい職業はプロゲーマー。それが無理ならユーチューバー。でも本心を言い出せる雰囲気ではない。

 しどろもどろにミキが言う。

「学校の先生とか」

「あっはっは、バカじゃないの! それはお兄ちゃんの夢だろ。なんにも考えてないんだね。本当にあのとき……」

 本当にあのとき、津波にさらわれたのがお兄ちゃんでなく、あんただったら。

 母は口をつぐむ。親として言ってはならないことを口走りかけた。

 ミキは母を部屋から押し出して、ドアに鍵をかける。ジャージを脱ぎ、震える手でブラウスのボタンをとめる。精一杯おしゃれして、街を練り歩きたい。トレーから真紅のカラーコンタクトをえらぶ。

 怒りの炎で、世界を焼け野原にしてやるんだ。




 学校ではさすがに遠慮しているミニハットや、スパンコールがきらめくスカートを身につけ、ミキは夕刻の靖国通りを闊歩する。数年前まで新宿はロリータファッションの聖地だったが、いまでもすれ違う人々は物珍しそうな一瞥をくれる。外国人観光客などは遠慮なくカメラのシャッターを切る。

 きっといま、ボクはかわいい。

 言語化せずとも、肯定的評価がつたわる。ツイッターでいいねボタンを押してもらうより嬉しい。

 カラオケパセラから、一年ゆり組のクラスメート五名が眼前にあらわれた。歯を見せて笑い声を立てていたが、ミキに気づいて一瞬硬直する。ミキが実質的に退学になったのを知ってるのだろう。女子校ではオンラインとオフラインの両面で、光より速く噂が伝播する。

 ミキはナイフで抉られる様な胸の痛みをこらえ、視線をそらせたクラスメートに微笑をうかべて会釈する。歩道を大股で前進し、ドン・キホーテの前の信号で立ち止まる。タイトーステーションで音ゲーを遊ぶのが日課だ。

 ヤマダ電機の外壁にあるユニカビジョンで、ハリウッドの戦争映画の予告篇がながれている。主演のジェーン・カラミティが、史上最年少の十八歳でオスカーを獲得した作品だ。いま彼女は日本の高校に短期留学してるので、世間が騒いでいる。

 横断歩道の中ほどで、ミキは背後から手首をつかまれる。クラスメートの寒椿氷雨が追ってきたと、振り向いてわかった。小柄で、水色のパーカーのフードをかぶっている。未完成のルービックキューブを左手にもつ。

「平手さん」氷雨が言う。「転校するって本当?」

 ミキが答える。「まあね」

「よかったらちょっと話せないかな」

「うーん、ここだと危ないかも」

 ミキは周囲を見渡す。歩行者用信号が赤になり、ふたりは交叉点の中心に取り残されていた。




 ミキは中央分離帯のコンクリートに腰を下ろし、金網に背をもたせる。氷雨は安心できる居場所を見つけられずキョロキョロする。

「こっち来なよ」ミキが言う。「そんなとこに突っ立ってたら轢かれるよ」

「平手さんは自由な人だね」

「べつに」

 ミキのすぐ隣に座り、氷雨が言う。

「残念。転校しちゃうなんて。平手さんとアニメの話とかするの楽しかった」

「そうだね。ありがとう」

「どこの高校へ行くの?」

「わかんない」

「えっ」

「ボクは成績が悪すぎて退学なんだ」

 氷雨の細い眉が寄り、動揺と憐憫で表情が曇る。パーカーのフードをおろし、頭を振る。学年トップの氷雨には理解できない悩みだろう。なにせ数学オリンピックに出場し、日本を初優勝にみちびいた頭脳の持ち主だ。

 ミキは黒いバッグからアイフォンをとりだす。メルカリの通知が届いていた。狙っていた木底の靴を落札できたとわかり、ニンマリする。

 氷雨が別れを惜しんでくれたのは感謝している。やさしい性格の彼女は、風変わりなミキに話しかける唯一のクラスメートだった。でももう、ちがう世界の住人だ。

 氷雨が、ミキの顎に食らいつく様に顔をちかづけ、じっと目を見つめながら言う。

「ねえ、平手さん」

「顔ちかいな」

「諜報部に入らない?」

「ぷっ」ミキが吹き出す。「なに言ってんの」

「諜報部員は特待生扱いになるから、進級は問題なくなる。しかもスパイ甲子園で優勝したら、どこでも好きな大学へ進学できるんだよ」

「スパイ甲子園って、すごいネーミング」

「正式名称じゃないけどね。興味ないかな」

「好きな大学って、たとえば東大でも?」

「もちろん。学院はいま二位」

 ずっと真顔の氷雨は、ふざけてる様に見えない。

「マジで。ボクみたいなバカが東大に行けるの」

「マジだよ。文部科学省のお墨つきだから。入部には部員と顧問の同意が必要だけど」

「じゃあダメじゃん」

「ダメじゃない。私が推薦する」

 なめらかな頬を紅潮させ、氷雨がほほえむ。

 言わんとすることを察し、ミキが言う。

「寒椿さんも諜報部員なんだ。意外」

「私は機械が好きだから、そっちで貢献してる。家が剣道の道場で、運動も苦手じゃないし」

 氷雨の手許に目をやると、会話しながらいじっていたルービックキューブが六面とも完成している。すべてのキューブの位置を記憶し、ほぼ無意識で解いたらしい。

 都道4号線の七車線を、自動車がはげしく往来する。大型トラックが通るたび、ミキのおさげ髪が煽られて揺れる。

 ミキの鼓動が高鳴る。

 FPSでたとえるなら、味方が航空支援を要請した様なもの。このチャンスを逃しちゃいけない。




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『ナデシコ女学院諜報部!』 第1章「侵入者」


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 ナデシコ女学院に不審人物が侵入するのはめづらしくない。世間に変質者は掃いて捨てるほどおり、なかでも名門女子校は彼らを強烈に惹きつける。ただ今回のケースが特殊なのは、防犯カメラの顔認證システムが感知したのが成人男性でなく、十代の少女である点。おそらく他校の生徒が、学院の制服で変装している。

 高等部二年の千歳川千鳥は、教室棟と職員棟をむすぶ渡り廊下をいそぐ。黒髪のショートカットで、百七十センチちかい長身だ。サッカー部所属なので日焼けしている。制服のブレザーでなく、黒のレザージャケットを羽織る。服装に関する校則は学院にない。

 ガラス張りの自動ドアにたどり着いた千鳥は、四桁の数字をテンキーパッドに打ちこむ。数名の生徒しか教えられてない番号だ。木造の校舎だが機械的なセキュリティをそなえている。

 4649。

 ドアがひらいた。誰が設定したか知らないが、もうすこしヒネれよと千鳥は内心で毒づく。

 用務員室のドア越しに断続的な物音が聞こえる。引っ越しでもするかの様な。千鳥は覗き窓から中をうかがう。ピンクベージュのブレザーを着たおかっぱ頭の少女が、派手に室内を荒らしている。すべての引き出しが開けられ、椅子や仮眠用のベッドがひっくり返されている。千鳥はアイフォンのスリープを解除し、監視カメラが五分前にとらえた画像と照らし合わせる。画像は不鮮明だが同一人物だろう。

 千鳥は耳掛け式のヘッドセットで通話する。

「きらら先輩」

「名前で呼ばないで。部長と呼んで」

「きらら部長」

「……なによ」

「ターゲットを視認。行動から判断するに、敵対勢力の様です。どうしますか」

「難しいわね。正体がまるでわからない」

「敵のスパイだとあたしは確信してます。いま踏みこめば余裕で殺れます」

「あなたを信じるわ」

 千鳥はレザージャケットの下のホルスターからグロック19を抜く。左手でドアノブをまわし、ブーツの音を立てて勢いよく入室する。

「うごくな!」千鳥が叫ぶ。「ナデシコ女学院諜報部だ!」

 敵が不穏な反応をしたら発砲できるよう、背中に照準をあわせる。だが第二歩を踏み出したとき、足許にピンと張られた掃除機の電源コードに引っかかり転倒した。グロックが床で跳ねる。

 おかっぱ頭は持っていた引き出しを落とす。中の書類が部屋中に散らばる。罠にかかった千鳥に目もくれず、窓枠に手をかけて屋外へ飛び出した。

 はげしく顔を打った千鳥は膝立ちになり、手の甲で顔をぬぐう。赤く濡れている。

「チクショウ」

「どうしたの」きららが尋ねる。「大丈夫? ケガはない?」

「鼻血出てる。めっちゃ痛い」

「ターゲットは? 現状を報告して」

「窓から逃げられた。でも絶対つかまえる」

 千鳥はグロックを拾い、サッカーで鍛えた脚力で軽々と窓枠を飛び越した。




 そんなバカな。あたしは「韋駄天チドリ」だぞ。

 全速力で走っても、おかっぱ頭との距離がちぢまらない。年代別の代表チームにえらばれた経験もあるサッカー選手なのに。

 あいつは一体何者だ。

 おかっぱ頭は濃紺のスカートをひるがえして教室棟の角を曲がり、校舎裏へ姿を消す。出血で鼻が詰まり息を切らせた千鳥は、速度をゆるめる。待ち伏せを警戒し、ふたたびグロックを構えた。

 スピーカーから校内放送が流れる。

「一年ゆり組の平手ミキさん。職員棟二階の進路指導室まで来てください」

 のんきな教員たちは通常営業のまま。侵入者への対処は、諜報部所属の学生にまかせている。

 四階建ての教室棟の二階の窓から身を乗り出し、女生徒数名が手を振って声援をおくる。

「千鳥センパイ、がんばれぇ!」

 凛々しい顔立ちでスラリとした体躯の千鳥は、学院で断トツの人気がある。同性からアイドル視されるのを本人が喜んでるかはともかく。

 千鳥は木の壁に身を寄せ、顔とグロックの銃口だけ出して校舎裏を覗く。ダサいエンブレムがついた制服の警備員と、おかっぱ頭が口論している。警備員は侵入があったのを知らされてないが、ドタバタ走り回る生徒を怪しんで誰何したのだろう。明日から国宝が学院に寄託される予定で、もとより厳重な警備がさらに増員されている。

 警備員がおかっぱ頭の肩をつかむ。おかっぱ頭はその手を引き剥がし、手首を極め、肥満体を投げ飛ばす。仰向けになった警備員に馬乗りになり、体重を乗せて肘を顎に叩きこむ。警備員は声もなく気絶した。おかっぱ頭は立ち上がり、また駆け出す。

 やりすぎだ。諜報部の活動の範疇を超えている。

「いい加減にしろ!」千鳥は叫ぶ。「両手を上げてそこに膝をつけ!」

 振り返らず、おかっぱ頭は金網のフェンスへ殺到する。右手をかけた瞬間、アッと悲鳴を漏らして草叢に崩れ落ちた。ナデシコ女学院のフェンスには百万ボルトの高圧電流が流れている。

「調べが足りないな」千鳥が続ける。「勝負ありだ。ギブアップしろ」

 おかっぱ頭は痙攣しながら、かろうじて動かせる左手をブレザーの懐に差しこむ。銃での反撃が予想される。千鳥は覚悟を決め、グロックを二発連射した。おかっぱ頭のブラウスが赤く染まる。

 ただし外傷はない。発射したのはペイント弾だ。

 千鳥がいま参加している「スパイゲーム」は、文部科学省が普及につとめる新種のスポーツ。頭脳明晰で勇敢な、幅広い分野で役立つ人材を育てるのが表向きの狙いだが、特に優秀な者はスパイとして正式採用されるとゆう噂がある。職業の特性上、噂の真偽を確かめようがないけれど。

 千鳥はおかっぱ頭のブレザーをたくし上げ、FNファイブセブンを奪う。五・七ミリの新型弾薬をもちいる高価な銃だ。さらに左の袖をめくり、手首に描かれたQRコードを露出させる。レーザーでプリントされたもので、スパイゲーム参加者の義務のひとつだ。おかっぱ頭は下着をつけておらず、第二ボタンまで開けたブラウスから胸の谷間が見え、濃厚な香水の匂いがたちのぼる。

 千鳥はアイフォンにインストールしてある専用アプリで、手首のQRコードを読み取る。画面に表示された名前は「チャオ・アルテミシア」。通学先はセレブリテ学園で、学年は千鳥とおなじ二年。登録された顔写真とも一致する。事務局のデータベースへのハッキングなどで、偽の経歴を仕込むのも不可能と言い切れないが、銃の選択が成金学校らしいし、千鳥は事実だと直感した。

 千鳥が尋ねる。「ひょっとして中国人?」

「アメリカ人だ」アルテミシアが答える。「サンフランシスコの高校から留学している」

「そう言えば、有名なハリウッド女優も来てるんだってね。ミーハーな子たちが噂してる」

「いづれ彼女と今日のお礼をさせてもらう」

「サインをもらおうかな。迎え撃ったあとで」

 アルテミシアは皮肉を黙殺し、目尻の吊り上がった目で千鳥の背後を凝視している。足音を聞き取った千鳥は、背面攻撃をうけたと思い戦慄した。




 振り向くと同時に、千鳥は足音の主に対しグロックを構える。闖入者はいきなり銃口を向けられ、あくびをしたまま硬直する。

 異様な風体だ。

 髪をツインテールにむすび、ごてごてとフリルがついた黒のブラウスを着ている。スカートは指定のものだが、パニエでふくらませてある。いわゆるゴシックロリータのスタイル。青白い顔の左目を眼帯で隠している。右目には紫のカラーコンタクト。自由な校風とは言え、あまりに突飛なファッションだ。

 彼女は高等部一年の平手ミキ。「中二病のコ」と陰で呼ばれる、千鳥とちがい悪い意味での有名人だ。校内放送で呼び出されたのに、まだ校舎裏をうろついてるあたり、問題児の評判を裏切らない。

「君は一年の平手さんだね」千鳥が言う。「こんなところで何してる」

「ははっ」ミキが笑う。「不審者はどっちですか。警備員のおじさんが倒れてるし、そこの人は血まみれだし、先輩なんてグロック持って鼻血出してるし」

「これは部活動だ」

「ああ、あれね。学校公認のサバゲ」

「スパイゲームはサバゲじゃない」

 生意気な口調にいらついた千鳥はトゲのある声で言い返すが、ミキはすでに会話に関心を失ったらしく、通りすぎてフェンスへちかづく。

「おい」千鳥が叫ぶ。「知らないのか。フェンスには高圧電流がながれてる」

「毎日の通学路ですけど。ボクんちは裏の蕎麦屋なんで」

 ミキが地面の敷物を引くと、フェンスの下に約一メートルの深さの穴があらわれる。草をくくりつけたカモフラージュネットで隠されていた。

 やりとりを見守っていたアルテミシアがよろけながら立ち上がる。潜ろうとするミキに体当たりし、自分が先に小さな穴を掻いくぐった。

 ミキは、走り去るアルテミシアに「ふざけんな死ね」と呪詛を投げつけたあと、四つん這いで穴を通り抜ける。慎重に、かつ手際よくネットを元にもどす。ゴスロリ服についた土埃を払う。

 千鳥はわざとらしく両手を上げて首を振り、金網ごしにミキへ言う。

「さっき校内放送で呼ばれてたぞ。進路指導室に来いって」

「どうでもいいです。いまさらボクに関係ない」

 ミキは鼻で笑うが、眼帯に覆われてない紫の瞳が虚ろになったのを、千鳥は見逃さなかった。




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『アイドル戦争』 第2章「声優ユニットと会談」


登場人物・あらすじ(準備中)


全篇を縦書きで読む(準備中)







 ソファに横たわるコテツは、断続的な物音に目を覚ます。父と妹が住む中野ブロードウェイ十階の2LDKのマンションに、昨晩は泊まった。日帰りで山梨へ帰る予定だったため、予備の布団がない。遅くまでアズサと話しこんで寝不足の目に、朝の太陽がまぶしい。

 ケモノの臭いがリビングに充満する。キッチンへ行くと、アズサが寸胴鍋をかき混ぜている。

 アズサが言う。「あ、おはよう」

「おはよう。なにつくってるんだ」

「お兄ちゃんの大好物のとんこつラーメンだよ。本当はきのう食べさせたかったけど」

「朝からラーメン……」

「この匂いで食欲湧いてきたでしょ」

「ひょっとしてお前、寝てないんじゃないか」

「好きな人のためなら、アズはいくらでも頑張れるの」

 十分ほどして、湯気の立つ丼がふたつ食卓にならぶ。ネギとチャーシューとメンマがトッピングされ、辛子高菜の小皿が添えられる。本格的だ。

 箸とレンゲを手にとり、コテツが言う。

「お前、料理なんて出来たっけ」

「独学。お母さんはあまり料理してなかったし。細麺はすぐ伸びちゃうから、めしあがれ」

「いただきます……うわ、なんだこれ」

「口に合わない?」

「うまくてビックリした。マジでお前が作ったのか」

「よかったあ。替玉がほしかったら言ってね」

 薄味のスープは早朝でも胃もたれせず、コテツは夢中になって替玉を三つおかわりする。

「小さいときからお前は器用だよな」

「愛だよ、愛。歌とダンスも、見てる人に愛をつたえるために頑張るの」

「学校の成績は?」

「それは内緒」

 コテツとアズサは笑い合う。両親の離婚で離れ離れになったが、兄妹仲は揺るがない。

「きのうの夜の約束を覚えてるか」

「うん。もう危ないことはしない。雷帝さんをやっつけたから大丈夫って、お父さんも言ってた」

「俺からも釘を刺しておく。娘を銃で戦わせるなんて冗談じゃねえよ」

「あまりお父さんを悪く言わないでね」

「わかってる。ケンカをしないのが俺の約束だ」

「離婚は悲しいことだけど、私たちが家族である事実は変わらない。それより大切なものなんて、この世に存在しないの」

 アズサが十一歳のとき両親は離婚した。無邪気な笑顔の陰に、トラウマが隠れてるのだろう。父との軋轢を妹に見せるのは、傷口をえぐるにひとしい。

「オーディションはどうなった」

「再来週の日曜に延期」

「俺は行けないけど、がんばれよ。東京予選は突破できそうか?」

「楽勝。ほら、断トツでアズが可愛いでしょ」

 アズサはアイフォンで、オーディション東京予選のエントリーリストを見せる。応募資格は十三歳から二十歳までの未婚女性で、プロ・アマ問わない。予備審査でえらばれた十人のうち七人が、すでにプロとして活躍している。みな名の知れたアイドルや女優やモデルたちだ。贔屓目に見ても、アズサがほかの九人にぬきんでてるとは思えない。

「お前のポジティブさはすごいよ」

「ありがと」

「別に褒めてねえよ」

「アズの人生はイージーモードだから。願ったことはすべて予定通りにかなってきたし」

「まあな。いまのところは」

「これからもそう。十四歳でジ・アイドルに選ばれて、十五歳で紅白に出る。ミリオンヒットを飛ばしまくって、二十歳からは女優活動にも力をいれる。人気が落ち着いた二十五歳ごろにお兄ちゃんと結婚。三十歳になったらちょっとエッチな映画に出て、それがブームになって人気が復活するの」

「さらっと変なこと言わなかったか」

「アズは最近おっぱいが大きくなったの。お兄ちゃんにはまだ見せてないけど。絶対需要あるよ」

「いや、そっちじゃなく」

「どっち?」

 アズサは首をかしげ、コテツをじっと見つめる。触れない方がいい話題の様だ。

「俺は今日こっちでの用事をすませて、明日帰る。もう一泊させてくれ」

「いいけど、用事ってなに」

「作詞関係で人に会うんだ」

「プリンスレコードさんに行くんでしょ」

 コテツの表情がこわばる。

「知ってたのか」

「アズも一応ギョーカイ人だからね。噂は聞いたよ。メダイヨンさんのシングル曲のコンペ通ったって」

 コテツは昨年から作家事務所に登録し、細々と作詞家として活動している。「メダイヨン」は女性声優ふたりのユニットで、その新曲の歌詞にコテツの作品がつかわれると内定した。コテツにとって初めての大きな仕事だ。

「お前には関係ない」

「なにその言い方」

「オーディションに集中しろ」

「関係あるに決まってんでしょ。よりによってライバルのレコード会社からリリースするとか、お父さんへの裏切りじゃない」

「俺は俺だ。親には頼らない」

「お兄ちゃんは逃げてるだけだよ。日本一の作詞家であるお父さんから」

 アズサは額に飾られたサイン入りのポスターを指差す。国民的演歌歌手だった美好スバルの『月の光のように』は、父ヨシトミの作詞家としての代表作として広く愛されている。

「あれが日本一の作詞家とか、笑わせるな。俗っぽい、ウケ狙いの詞ばかりだ。ただの商売人だ」

「歌詞をお父さんに見てもらいなよ」

「何度も見せてる。粗探ししてボロクソに言われるだけで、まったく無意味だ」

「プロの貴重なアドバイスじゃん」

「文字数を合わせろとか、情報量を増やせとか、くだらない指摘しかされない。俺はもっと本質的なものを表現して、人を感動させたい」

「アズはお父さんの歌詞好きだよ。歌ってて楽しい。お兄ちゃんのは硬い言葉が多くて歌いづらいよね」

「お前みたいなバカになにがわかる!」

 プライドを逆撫でされてコテツは激昂するが、アズサはやさしい微笑を絶やさない。

「そうだよ、アズはバカだよ。でも歌って、アズみたいな普通の子に届けるものでしょ。国語の先生に向けて歌ってもしょうがないじゃない」

 コテツは不覚にも涙ぐむ。アズサの意見はただしい。それなのに感情的になって暴言を吐いた自分が情けない。ちっぽけすぎる。

 アズサは席をうつってコテツに寄り添い、背中をさすりながら言う。

「アズはお兄ちゃんの曲を歌うCDを、ウチの会社から出すのが夢なの。協力してくれるよね」

「俺だって、いつかお前に歌ってほしい」

「なら今日の面会はキャンセルだね。いますぐ電話して」

「それは……」

「キャンセルしないなら絶縁する。家族を大切にしないお兄ちゃんなんて、お兄ちゃんじゃない」

 またアズサの瞳孔が黒々とひらいている。こうなると梃子でも動かない。

 コテツは空の丼に視線を落とす。

 人気声優ユニットのシングル曲のコンペに通ったのは、思いがけない幸運だった。もし二度めがあるとしても、何年後になることやら。

「アズ、わかってくれ。これはチャンスなんだ」

「ふーん、あっそ」

 アズサは椅子を弾き飛ばして立ち上がり、コテツを見下ろす。自称超絶美少女は、悪鬼の形相を呈している。アイフォンと財布だけもって玄関へ向かい、振り返ってつづけて言う。

「アズはしばらく帰らないから、戸締まりとかちゃんとしといてね」

「たのむ、話を聞いてくれ」

「お兄ちゃんが考えを改めるまで、一切口きかない。電話にも出ない。さよなら」

 扉が大音響を轟かせる。

 コテツは頭を抱え、木張りの床にへたりこんだ。




 五秒ごとに嘆息しながら、コテツは中野通りをあるく。総動員された建設業者が、龍鬼や重火器による破壊の痕跡を修復している。コンクリートの壁に覆われた、幸運にも無傷だった十二階建てのビルが目にはいる。業界第二位の大手レコード会社である、プリンスレコードの本社ビルだ。

 紺の制服の腹が突き出た中年の警官が歩道で、自転車のそばに立つ長髪の女を叱責している。違法駐輪を咎めてるらしい。女は平謝りしながら財布をとりだす。相場は一万円。コテツは脇を素通りする。めづらしい光景ではない。アイドル戦争勃発後、公務員の横暴はつよまるばかりだ。

 自動ドアを抜けたコテツを、紫のスカーフを首に巻いた受付嬢が笑顔で迎える。

 コテツが言う。「作詞家の尼子コテツです。制作部の榊原さんと、一時から打ち合わせの約束をしてるんですが」

「はい、お待ちしておりました。ただいま榊原をお呼びいたしますね」

 十六歳の自分が作詞家と堂々名乗ったことが、めったに目にしないほどの美人に自然に受け止められ、虚栄心がくすぐられる。

 コテツは両手で頬をたたく。

 気合を入れろ。別に妹が人生のすべてじゃない。仕事を手にいれなければ、なにもはじまらない。実績をのこせば、さまざまな可能性がひろがる。この世は競争だ。競争を勝ち抜いて、時代を変えるんだ。

 俺ならできる。

 受付嬢がソファへ手を差し伸ばして言う。

「よろしければ、あちらへお掛けになってお待ちください」

「大丈夫です」

「失礼ですが、尼子さんはおいくつですか?」

「十六です。高二の」

「高校生なんですか! 落ち着いて見えるから、てっきり二十歳くらいかと」

「はあ」

「いろんなお客様がお見えになるけど、高校生の作家さんは初めてです。私、尊敬します」

「いえ、ド新人なんで。ところで来るの遅いですね」

「申し訳ございません。もう一度呼んでみます」

 内線通話する受付嬢の表情が曇る。警戒する様にコテツをながめ、手で口許を隠して小声で会話する。

 受話器を置いて、受付嬢が言う。

「大変申し訳ございません! 榊原は急用で外出しておりまして、打ち合わせを後日に延期させてもらえないかと言うことなんですが」

「困ります。山梨からそう何度も来れません」

「くわしくはこちらから御連絡いたしますので、今日のところは……」

「簡単な打ち合わせって聞いてるし、部署のほかの方でもいいですよ」

「あいにく手の空いてる者がおりませんので……」

「平日の昼間に? それはおかしいでしょ」

 受付嬢が眉をひそめる。「空気を読め、このガキ」と顔に書いてある。

 コテツは事情を悟る。

 圧力をかけやがった。あのクソ親父が。

 歌詞を見せたら全否定して突っ返すくせに、よそで仕事しようとすると政治力を駆使して妨碍。支配欲の塊みたいな男だ。

 コテツは握り拳を固める。受付嬢に罪はないが、怒りがおさまらない。

 背後から右肩をつかまれる。振り返ると、太鼓腹の警官が冷笑をうかべている。呼ばれてもないのに、一般企業のエントランスに入りこんだ理由はわからない。

 警官はカウンターに近寄り、受付嬢にたずねる。

「なにかトラブルですか」

「いえ」受付嬢が答える。「こちらのお客様がちょっと……」

「キミ、お姉さんが困ってるじゃないか。用がないなら家に帰りなさい」

 コテツがつぶやく。「ほっとけ」

「警官にその様な口をきくものではない」

「ほっとけつってんだよ。クソッタレが」

「見ためはおとなしそうだが、とんだ不良少年だ。なにか要望があるなら言いなさい」

「俺は門前払いに抗議してるだけだ」

「大人には大人の事情がある。キミみたいな子供が騒いでたら仕事の邪魔だ」

「ポリの出る幕じゃない。うせろ」

 警官はコテツに一歩詰め寄る。手が届くか届かないかの距離だ。

「その言葉遣い、いい加減にするんだ」

「なんの法律にもとづいてお前は口を出してる?」

「警察には街の秩序を守る義務が……」

「法律名を言え」

「あ、あきらかな侮辱罪だ!」

「寝言ぬかしてんじゃねえよ、汚職警官が」

 腰のホルスターから、警官がラバーグリップのM37を抜く。手の甲一面に毛が生えている。受付嬢がキャッと短く叫ぶ。警官は後ずさりながら、照準をコテツの胸に合わせる。

 警官が射撃姿勢をとるとコテツは予想しなかった。いちいち挑発にキレてたら、この稼業はつとまらない。おそらく太鼓腹の警官はイレギュラーな状況にある。昔飼っていた犬をよその家へ連れてったら、妙に昂奮して部屋で小便したのを思い出す。

 つまり、こいつはクソ親父に買収されてる。

 コテツがどの会社から作品をリリースしようが、するまいが、父の仕事への影響などない。息子に対し行使可能な権力を、意味もなく弄んでるだけだ。警官のむくんだ顔に、サングラスをかけたヨシトミの陰険な表情がダブって見える。

 手ぶらで山梨には帰れない。でも無力な自分にはなにもできない。

 ただナメられっぱなしは、我慢できない。

 唾を飛ばしながらコテツは叫ぶ。

「撃てよ!」

「そこへ這いつくばれ!」

「どうしたポリ公、そいつはオモチャか!?」

 警官はM37を黒塗りの天井へむけ、トリガーをひく。

 バーン!

 コテツの背後からガタンと物音が響く。受付嬢が気絶したのだろう。撃った警官が一番動揺し、膝を震わせてよろめく。コテツは発砲されたことより、トリガーに指をかけっぱなしの銃が暴発しないかが気になる。

 自分でも不思議なほどコテツは冷めている。物静かで温厚な性格で、殴り合いのケンカなど一度も経験ないが、昨日の雷帝との戦いといい今日といい、実力行使の場面で慌てないタチらしい。

 自動ドアが開いた。

 黒のレザージャケットに両手を突っこんだ痩身の女が、ビルの中へ入ってくる。ヒールの高いブーツを履いており、百七十四センチのコテツと背丈がかわらない。髪は金色のショートカット。

 女が言う。「盛大なパーティだね」

 初対面だが、コテツは女の顔を知っていた。声優の里見マヤだ。年齢はたしか十七歳。コテツが歌詞を提供する予定だったユニット「メダイヨン」の一員でもある。

 マヤの後ろから怯えた様子で、外で違法駐輪を咎められていた長髪の女がつきしたがう。二人組が並んだおかげでコテツは思い出す。長髪の女はユニットの片割れである島フブキだ。

 火薬臭が鼻をつくエントランスを見回したあと、マヤが言う。

「あたしらも一緒に遊びたいけど、アポがあんのよ。そこ、どいてくれる?」

「ちょうどよかった」コテツが答える。「そのアポの相手が俺ですよ」




 メダイヨンのふたりとコテツは、駅前へむかって中野通りを歩く。マヤは滑空する様な早足で、男のコテツでさえついてくのに苦労する。

 マヤの後ろから、コテツが声をかける。

「ふたりが理解のある人でよかった」

「フブキが話を聞いてやれって言うから」

「たとえ五分だけでも嬉しいですよ」

「変な期待はやめて。あんたの味方はしない。九鬼さんみたいな大物に睨まれたくないし」

 三人は弾痕が生々しい高架下を抜け、南口のビルの二階にあるガストへ入る。マヤは店員の案内を待たずに奥のテーブルをえらび、壁を背にして座る。客の数人がマヤに注目する。まだ新人声優で一般的な知名度はひくいが、金髪や服装が目立つのだろう。

 コテツが言う。「マヤさんはせっかちですね」

「別に。サウッサイは物騒だから、用心できる席にしてるだけ」

「サウッサイ?」

「南側って意味」

「じゃあ南側って言えばいいじゃないですか」

「うっさいなあ。あと勝手に下の名前で呼ばないで」

「マズかったですか」

「別にいいけど、断るべきでしょ」

「すみません」

「飲み物とってくる。コーヒーでいい?」

「はい」

 テーブルにのこされたコテツとフブキが向かいあう。二十歳のフブキは色白で目が大きく、端正な顔立ち。白のブラウスに、銀のネックレスをかけている。ぱっと見は地味だが、間近でながめるとマヤ以上の美形だ。

「ごめんなさい」フブキが言う。「マヤちゃんはちょっと個性的なの。でもとっても良い子よ」

「なんとなくわかります」

「会話にしょっちゅう横文字が出るけど、からかわないであげてね。すぐ怒るから」

「了解です」

 コテツとフブキが笑うところに、トレーにマグカップを三つ乗せたマヤが戻って言う。

「あたしをディスってたんだろ」

 コテツが答える。「フブキさんが褒めてましたよ。良い子だって」

「どうでもいい。で、話ってなに」

「さっき言ったとおりです。おふたりのシングル曲に歌詞を提供したいんです。てゆうか、提供するはずだった」

 コテツはクリアファイルに入れていた紙をふたりに見せる。

 興味なさげに目をとおしてマヤが言う。

「仮歌は聞いてるし、いい歌詞だとおもう。でもこの詞じゃなきゃダメってほどじゃない」

「僕にとってはチャンスなんです」

「そりゃそうでしょ。ところであんた、ウチらの曲知ってんの?」

「知ってますよ。『タイニー・パピー・タイニー』って曲がありますよね」

「えーと」

「キャラソンCDに入ってるやつ」

「ははっ、覚えてるわけない。ほんの片手間にやった、くっだらない仕事」

「あれ僕が詞を書いたんですけど」

「えっ」

 マヤは赤面し、ふてくされてそっぽを向く。

 フブキがコテツの方に身を乗り出し、手入れのゆきとどいた手をコテツの手に重ねて言う。

「本当にごめんなさいね。マヤちゃんに悪気は全然ないの」

「わかってますよ」

「良い子なのに、口が悪いから誤解されるのよねえ」

「わがままな妹がいるから慣れてます」

「九鬼アズサちゃん。とっても可愛い子」

「御存じでしたか」

「知り合いとゆうか、ライバルね。オーディションの。私は予備審査で落ちちゃったけど」

 攻撃材料をみつけ、息を吹き返したマヤが向き直って言う。

「九鬼アズサは親の七光りだろ」

「もう、マヤちゃん! コテツくんは実のお兄ちゃんなんだよ!」

「八百長だってみんな言ってるよ。オーディションの主催者の娘が勝つに決まってんじゃん」

「アズサちゃんはすごいって、こないだ言ってたくせに」

「まあね。よくレッスンが一緒になるからね。たしかにあれはジーニアスだわ。七光りだけど」

 マヤは音楽ユニットの一員としてプリンスレコードと契約しているが、クキ・エンターテインメント所属の声優でもある。アズサと接する機会は多い。

「しょせん」マヤが続ける。「出来レースなんだから、さっさと負けてよかったよ」

「でも東京予選の十人には残りたかったな」

「なんでアイドルなんかになりたいかねえ。声優の方がクールじゃん。いまんとこキャリアも順調だし」

「順調じゃないよ。来年は消えてるかも」

「オーバーだな」

「マヤちゃんはまだ若いから」

「三つしか違わないだろ!」

「二十歳になればわかるよ。若くて可愛くて、お芝居も歌も上手な子が、下からどんどん出てくるの。あっと言う間に追い越されるの」

「そんなもんかね。まあいいや。昼間っからこんなとこで人生語るのもあれだし」

 仕事の話に夢中になっていた若手声優ふたりは、影の薄い同席者の存在を思い出す。

 居住まいを正してフブキが言う。

「コテツくん。東京予選の出場者枠に空きが一つできたの知ってる?」

「いえ」

「きのうの事件のせいで棄権したんだと思う。笑っちゃうけど、巨大生物が出たってネットで噂だよね」

「そうですね」

「あのね、交換条件じゃないけど、お父さんに聞いてもらえないかな。私がエントリーできないか」

「僕は父とは……」

「なんでもしてあげる。新曲のコンペもそうだし、私にできることはなんでも。なんでも言って」

 フブキはコテツと粘っこく視線をからめる。声が上擦り、唇は濡れている。左手を半袖のブラウスの胸のふくらみにあてる。コテツは唾液を飲みこむ。権限をもつ者の家族とゆうだけで、目の覚める様な美女がこれほど媚態をしめすとは。

 冴えない男子高校生への、思わせぶりな相棒の態度にいらだち、マヤが急に立ち上がって言う。

「フブキ、打ち合わせの時間」

「マヤちゃん」

「いいから支度して」

 コテツは鼻を鳴らす。コンペに通らなかったのは残念だが、アーティスト本人に直訴するなど、やれるだけのことはやった。今回はあきらめよう。書類をはさんだクリアファイルを、モスグリーン色のコールマンのリュックサックへいれる。

 グレーのカラーコンタクトをつけた目で、マヤがリュックの中身を抜け目なく観察して言う。

「ちょっと待って」

「え?」

「それ出して見せて。その黒い機械」

 ベクターガンに搭載する液晶ディスプレイつきのコンピュータが、リュックサックに入っている。ベクターガンをつねに持ち歩くようアズサに言われたが、さすがにアサルトライフルは穏やかでないので、コテツは上部のコンピュータだけ分解した。

 腕組みしたマヤがせっつく。

「はやく出して」

「悪いけど見せられない」

「ベクターガンのシーケンサーでしょ」

「なぜ知ってる」

「聞きたいのはこっち……まさか、あんたが龍鬼を?」

 コテツは肯定も否定もしない。

 マヤは立ったままボールペンでLINEのIDをナプキンに走り書きし、コテツに手渡す。いつも無表情なコテツが目を細める。里見マヤから連絡先を教わったと山梨の同級生に言っても、信じてもらえないだろう。今期だけで主演三本の人気声優なのだ。

「ねえ」マヤが言う。「キモいんだけど。なにニヤニヤしてんのよ。そんなに嬉しかった?」

「フブキさんの方がよかったな。清楚な美人だし」

「おい、その紙返せ!」




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