キヨスクで林檎は買えるのか ― 西岡研介『マングローブ』

マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実
著者:西岡研介
(2007年/講談社)
スイカやエキナカで業績好調のJR東日本の内情を告発する。
JR東労組には過激派の革マル派がマングローブの根のように浸透し、
同社の経営の中枢を左右するまで成長してしまった、と。
いうまでもなく鉄道会社は、
わたしたちの日常生活の安全に直接かかわる公共性の高い企業であり、
この暴露本の内容は心胆をさむからしめるに十分だ。
東労組組合員のイジメは相当にあくどい。
対立する組合の運転手をいびるため運転席のうしろの窓にはりつき、
乗客の目のまえで「ヘタクソ」と怒鳴りあげる。
挙句のはてには、対向電車からのパッシング攻撃や信号隠しまで。
こんなのに巻きこまれて事故にあうのはまっぴらご免だ。
だがしかし、末端の連中の騒ぎなどささやかなもの。
どうやらJR東日本は根元から腐っている。
この問題には、中曽根内閣時代の政治状況がかかわっている。
中曽根は「国鉄分割民営化」を改革目標のひとつとしてかかげたが、
それは国鉄の巨額債務を解消すること以上に、
日本最大の労組である国鉄労働組合(国労)をつぶすことに目的があった。
要するに、旧社会党の支持基盤の総評を解体したかったのだ。
そして敵の敵は味方というわけで、国労の力をそぐために、
革マル派の幹部とみなされていた松崎明と手をむすぶ。
以前は国鉄当局とはげしく対立していた松崎だが、
組織温存のため方針を急転換し、分割民営化路線に追従。
政府・与党と松崎は手と手をたずさえ、
「目的のためには手段をえらばず」という禁断の果実を口にする。
当然、「転向者」となった松崎の組織は対立セクトの中核派から攻撃され、
七人が死亡、女をふくむ七人が重傷。
(略)それだけに松下氏[引用者注:松崎の懐刀]を失ったときの
松崎の悲しみは大きく、訃報を聞いて松下氏の自宅に駆けつけた松崎は、
人目も憚らず、それこそ獣のように、慟哭していました。
あんな彼の姿を見たのは後にも先にもあのときだけでした」
(JR東日本高崎支社関係者)
しかし愛弟子の葬儀で松崎は奇妙な弔辞をよむ。
すでに犯行声明をだしている中核派について言及することなく、
影の権力を呪うあやしげな陰謀論をとなえたという。
そこで中核派の名をだせば、
自分たちがいまだに革マル派であると認めることになる。
だから口をつぐむ。
仲間が殺されたときでさえ。
そうやって権力という麻薬は人の精神をむしばんでゆく。
松崎は自分の息子に「さつき企画」という会社をまかせ、
組合員四万九千人相手の「商売」で私腹をこやした。
その金でハワイや沖縄などに何軒も別荘をたて、
「元革命家」とはおもえない富豪のような生活をしているらしい。
もはや民間企業となったJRなのだから、
組合の問題は自力で解決しなければならない。
しかし、革マル派を利用してまでJR発足後の「労使協調」をすすめた、
松田昌士などの経営者はテロリストの跳梁をはばめなかった。
なにせ相手は反政府活動に従事する過激派だ。
鉄道屋をゆするなど、赤子の手をひねるのと同じかもしれない。
盗聴が得意な革マル派だから、金や女の醜聞でおどしたりもしただろう。
1994年に『週刊文春』が「JR革マル派問題」をとりあげたとき、JR東日本は、
子会社のキヨスクでの販売を拒否するという行動にでる。
同誌のキヨスクでのあつかいは約十一万部におよび、
文藝春秋は強硬手段に音をあげて「お詫び」記事を掲載する。
鉄道会社を「民営化」したら「極左暴力集団」に屈従したという皮肉に、
地獄のカール・マルクスも苦笑いをうかべていることだろう。
みなさんも金と女にはくれぐれも注意しましょう。
JR東日本初代監査役の柴田義憲は、警察庁警備局長をつとめ、
「公安捜査の神様」とまでいわれた人物。
労組から過激派を排除することを期待されてJR東日本に就職したはずが、
著者によるとミイラとりがミイラになってしまったらしい。
革マル派の盗聴による不都合な会話の録音があったといわれ、
それが原因なのか、柴田は不自然なまでに革マル派をかばうようになる。
警察首脳部に対し「松崎の転向は本物だ」、
「JR東日本に治安上の懸念はない」と繰りかえし発言し、
公安捜査の混乱をまねいた。
そして部下を次々にひきつれて、JR東日本は警察OBの格好の天下り先となる。
さすがにこれはヒドすぎる。
保守政治も共産主義革命も公安警察も、その理念は経年劣化し、
個人の欲望と組織防衛だけがうごめくカルト集団と化す。
あまりにも醜悪で非現実的ですらある告発だが、
JR東日本からの有効な反論がないかぎり、
本書に書かれている大部分は事実だとみとめざるをえない。
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やさしいモンスター ― ミクルスウェイト&ウールドリッジ『株式会社』

株式会社
The Company: A Short History Of A Revolutionary Idea
ジョン・ミクルスウェイト エイドリアン・ウールドリッジ 著
鈴木泰雄 訳
日置弘一郎 高尾義明 監訳
(二〇〇六年/ランダムハウス講談社・クロノス選書)
ヘーゲルは現代社会の基本単位が国だと予言し、
マルクスは共同体、レーニンとヒトラーは政党だと予言した。
右も左も、偉大な思想家たちはみなまちがっていた。
当世のひとびとは、「会社」にもっともおおくの時間と労力をついやしている。
予想がはずれたのも無理はない。
この資本主義の怪物がゆりかごにおさまっていたヴィクトリア女王時代、
会社は自由主義経済学者からさえ批判されていた。
あやうい有限責任は時代おくれで非効率的だし、
そもそも専門経営者は株主の利益のために行動するだろうか?
会社は、その根底から資本主義的でないとおもわれていたのだ。
いまでは冗談にしかきこえないけれど。
しかし、バラック・オバマの知恵袋といわれるロバート・ライシュなどは、
「会社」の歴史を無視した乱暴な経済思想を実践にうつそうとたくらむ。
実に危険だ。
この鬼子がもつ二面性がまだよく理解されていないということだろう。
会社とは、市場原理にのっとって作動する集金機械でありつつ、
善人らしいさわやかな顔でふるまう政治的存在でもある。
これが会社の二面性だ。
たとえば東インド会社はインドを統治し、徴税までおこなっていた。
軍隊を保有してはなばなしい戦果をあげたりもした。
しかし会社が世界を制する前夜でも、このたぐいまれな組織は
一七九〇年代に奴隷制度をめぐる議論にまきこまれ、
イギリス国内での消費者不買運動の対象となった。
市場の「みえざる手」よりも、経営者の「みえる手」を世界は歓迎する。
そして、経営者というあたらしい種族がひきいる組織をそだてたのは、
十九世紀のアメリカだ。
鉄道会社はイギリスを中心に巨額の資金をあつめ、
列車の運行を円滑にすすめるために何百人もの常勤の経営管理者をやとった。
かれらは精緻な階層制度をもつ経営手法や、会計や情報のシステムを開発し、
近代的な営利企業のかたちをつくりあげた。
鉄道株ブームをうけてニューヨーク証券取引所が成長し、
鉄道、電線、郵便制度をしくことでインフラストラクチャーが整備されて、
広大な国がひとつにまとめあげられた。
それは会社による革命だ。
会社、そして経営者という部族はさらに発展する。
一九二〇年代に苦境におちいっていたゼネラルモーターズは、
アルフレッド・スローンによって他社に先がけて事業部制を導入した。
ひとりの経営者が会社の活動のすべてをとりしきるのではなく、
自立的な各部門が、細分化した市場のニーズにあわせた
商品をおくりだす。
本部に数字につよい社員をあつめてつよい権限をあたえ、
複雑な組織を監督させた。
事業部制により、組織を拡張することも容易になった。
会社のすがたは、より官庁や軍隊のそれにちかづいた。
国防長官に就任したボブ・マクナマラのように、
実業家が政府に採用されるようにもなる。
会社は国家などという古ぼけた枠をやすやすとこえる。
国内産業を育成するためにひき上げられた関税に対応するため、
輸出にたよれなくなった会社は多国籍化した。
十九世紀の多国籍企業は帝国主義とむすびつけて
批判されることがおおいが、実際のところアフリカでくりひろげられた
土地収奪競争は商業上の利益をほとんどもたらしていない。
そもそもこの時期の海外直接投資の大半は、
植民地ではなく先進諸国を対象としている。
会社がほしいのは利益であって、植民地ではない。
二十一世紀においてもマクドナルドやナイキの「帝国主義」が告発されるが、
多国籍企業は現地平均よりたかい賃金や労働基準をまもっているし、
かれらにより世界中に学校や病院が建設されているのも事実だ。
会社は善人の仮面を必要とする。
信用がなければ顧客や労働者や監督機関との交渉が不利になる。
優秀な人材をあつめることもできない。
企業は利益を追求するために存在するのだから、社会的責任などない、
とかなんとか、オバマ周辺の過激派の思想がいかにトンチンカンかよくわかる。
利益追求のためのメカニズムと、社会にむけた顔をきりはなすことはできない。
やさしいモンスターの偽善者じみた仮面はときに鼻もちならないが、
それを力づくでひきはがそうとする人間は
レーニンやヒトラーとおなじ失敗をおかすことになるだろう。
関連項目:オバマ小学校の課題図書 ― ライシュ『暴走する資本主義』
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オバマ小学校の課題図書 ― ライシュ『暴走する資本主義』

暴走する資本主義
Supercapitalism: The Transformation of Business, Democracy, and Everyday Life
ロバート・B・ライシュ
(雨宮寛 今井章子 訳/2008年/東洋経済新報社)
「最も衝撃的で、最も心震わせた本」
「一人でも多くの日本人に読んでもらいたい」
と、巻末に勝間和代という人が推薦文をよせている。
最近本屋でよく写真がかざられているオバサンだね。
『預金残高が百倍になる方法』とか『IQが千倍になる秘密』とか、
その手の本を書いて人気があるらしい。
それはともかく、コイツとギョロ目の佐藤優の顔をみると
購買意欲がなくなってしまうのはオレだけだろうか。
その「推薦文」とやらも無内容なものだったよ。
日本人が家で料理をしなくなったのは問題だ、とかなんとか。
でもこの本が「衝撃的」で「心震わせる」という評価には同意。
逆の意味で、だけどね。
著者のライシュはアメリカの経済学者で、
クリントン政権において労働長官をつとめた。
現在はバラック・オバマの政策顧問だとかで、
その著書は「民主党政権のアメリカを予測する上では必読書だ」そうです。
本当にこういう政策が実現されるとすれば、
オバマはアメリカに本物の変化をもたらすことができよう。
『池田信夫 blog』
「本当」「本物」なんて似た言葉が連続してアホみたいな文ですね。
こんな悪文のドクショカンソーブンが上位なんだから、
グーグルとかいう検索エンジンはガラクタだとしかいいようがない。
本書は夏休みのオバマ小学校の課題図書ってところかな?
とりあえず眉をつばでぬらしながらよんでみた。
ライシュは最近はやりのCSR(企業の社会的責任)の害悪を説く。
たとえば2005年にヤフーは中華人民共和国政府の圧力に屈して、
自社のメールをつかった反体制派の名前を提出したことで責められた。
グーグルも「人権」「民主主義」などの言葉を削除した検索エンジンをつくり、
道徳的な問題がある領域に足をふみいれた。
著者はこれらの企業の行動について、
それが「利益のため」であるがゆえに肯定する。
企業は利益を追求するために存在するのだから、その判断はただしい。
もし米国政府が支那の人権問題を優先的にとりくみたいのならば、
米国企業の活動に足かせをはめる法律を通過させることができる。
ビジネスはビジネスマンに、政治は政治家にまかせろということか。
聖書のことばでいいかえるならば、
「カエサルのものはカエサルに、神のものは神におさめよ」だね。
民主主義国家なのだから、政治的な問題は民主主義の手続きを通じて
解決すべきというかんがえかたは理解できる。
今日の世界においては、政府や議会がうごくのを悠長にまっている
時間はあるのだろうかという疑問ものこるけれど。
ライシュは1970年代以降の経済体制を「超資本主義」と名づける。
資本主義が暴走するなかで消費者と投資家の力がつよまり、
労働組合や監督官庁の影響力が日に日にうすれてゆく。
肥大した企業の献金によって政治は混乱し、
民主主義の水準もはなはだしく低下した。
おいおい、CSRの弊害をかたってる場合じゃないじゃん。
これじゃすくいがないでしょ。
そして著者が書く処方箋は、
・政治資金を規制する
・法人税の廃止
・企業犯罪をみとめない
というもの。
企業は「人」ではないのだから、政治に関与する資格はないし、
納税の義務もなく、罪をとうこともできない。
ちょっとまってくれよライシュさん、「法人」は「人」でしょう。
オランダ東インド会社をモデルとしてかんがえられた
有限責任をみとめる1856年の株式会社法がきっかけとなり、
法律上の権利能力をあたえたれた「人」が経済の基本単位となった。
しかし、「人」として利益をあげて国家をしのぐほどの権力を獲得した「法人」が、
いまでは「人」としての義務を免除しろ、と生物学上の「ヒト」を恫喝する。
著者の意見はわからなくもない。
企業はいまや巨大な怪物と化した。
弱体化した政治体制ではそれをおさえることはできない。
だから、怪物は怪物同士で共食いをさせて生命力をよわめれば、
民主主義も健全な機能をとりもどすことができるのでは?
そううまくいくかよキチガイ学者!
怪物が肥えふとるのをだまってながめていれば、
二十一世紀のイギリス東インド会社がうまれるだけだ。
徴税権をはじめとするインドの統治権を手にいれ、
海軍兵力まで保有していたおそるべき「株式会社」。
なに?
いまは植民地時代じゃないから大丈夫?
なぜあなたがたはそんなに楽天的なのですか?
なんにせよバラック・オバマの背後にはこういう過激派がかくれており、
キチガイじみた政策を実現しようとねらっていることは理解できました。
こんなドクショカンソーブンを書いたらオバマ先生におこられるかな?
まあ、書きなおすのも面倒なので投稿しておきます。
オバマ先生自身はひょっとしたらいい人なのかもしれませんが、
そのトリマキがどれだけトチ狂っているのかについては
以下の記事も参照してくださいませ。
関連項目:ニホンザルを差別するオバマボーイズ
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同級生対決! 中村とうよう vs 石原慎太郎

ミュージックマガジン八月号をよんでいたら、音楽評論家・中村とうようのコラム「とうようズ・トーク」の火をふくようなはげしさにびっくりした
このじいさんが数か月ごとに感情を激発させることはしっていたが
東京都知事をつとめる石原慎太郎の六月六日の会見での発言にかみついている
イシ腹死ンダローなる男のデタラメ、イイカゲンぶりムキ出しの言葉に今さらながらアキレ果て、胸がムカムカしてならなかった。
オリンピック候補地の第一次選考を通過した四都市のうち、市民からの支持率は東京が59%で最低だったことについて石原は、
東京の人のメンタリティーというのは、非常にぜいたくになっているからね。みんな他人事と思って、肩越しにしらっと眺めている。オリンピックをやるなら勝手にやれ、ってものじゃないと思うんだな。これから機運が高まって、必ず東京の人も日本中もみんなでやろうってことになる。僕はそういう意味で、日本人を信じている。メディアはあまり信じていないけど。
と、かたっている
たしかに傲慢な口ぶりだ
オリンピック招致などというイシ腹が「勝手に」やっていることを、冷ややかにうけとめている都民を「ぜいたく」と形容するトンチンカンさを批判することにはおおいに同意する
都民から見はなされてもなお「これから機運が高まる」と強弁する知事の姿勢には、独裁者の危険な悪臭がただよっているのも事実だ
しかしとうようはコブシをまだおろさない
イシ腹を当然のようにファシストよばわりしながら、
イシ腹はぼくと同じ歳だと思うが、あの戦争の時代に受けた教育を憎悪するぼくとは正反対のファシスト、しかも幼時に受けた教育が拭い切れずにいる時代遅れの老人というよりも、アベ晋三と同じように骨の髄からの「君が代」・靖国主義者たることを戦略的に選択した悪辣な犯罪人という正体を、今さらながら見せつけた。
と非難する
インターネット上ではもっとひどい罵詈雑言が飛び交っているわけだが、やはり紙の上でみると破壊力があるものですねえ
中村とうよう(本名・中村東洋)は1932年7月17日の京都にうまれた
石原慎太郎と同年ということになる
京都大学を卒業したあと銀行勤務などをへて、ボブ・ディランやビートルズのような新世代の音楽に関する情報の需要にこたえるため、1969年に「ニューミュージックマガジン」を創刊
日本の風土とは縁もゆかりもない「ロック」という音楽が受けいれられるようになったのは、中村とうようの功績がおおきいと言われている
ロックミュージシャンが商業的に成功し、ロックが「普通の音楽」として消費されるようになるなかで、とうようはさらに世界各地の音楽に触手をのばし、「ワールドミュージック」の紹介者として活動する
まあとにかく外国の音楽の研究と紹介に明け暮れた人生だ
わが国の音楽ファンで、とうようの音楽に対する造詣の深さ、視野の広さをしらない人はいないし、よくもわるくも影響力はおおきい
たしか独身のはずで、世人なら家族のためについやす時間と資金をすべて音楽にそそぎこむことで、膨大な音源と知識をたくわえたのだ
その遺産を引きつぐ人間はいないけれども
そういう人生はむなしいといっているわけではないですよ
本人だっておのれの成しとげた仕事に誇りをもっているだろう
おれだって人づきあいより自分の関心をふかめることを優先するところがあり、要するにオタクなわけだが、すきでやっているのだから他人にどうこういわれたくはない
「世界にはまだ自分がきいたことのない音楽がある」とかんがえただけでいても立ってもいられなくなり、収蔵品が日に日に膨張して住居を占拠する
自分より音楽にくわしい人間がいれば嫉妬に身が焦がれそうになり、その知識の一片でもぬすみとろうとあがく
そしていつか音楽の世界を征服し、その道の権威とみなされたいという欲望
家族や知人からはまず理解されることはなく、ときに狂人あつかいされたりもするが、そういう種類の男が一定数存在しているのも事実だ
孤独といえば孤独だが、地平線をめざして駆けぬけてゆく一頭の馬をとめられるものはいない
しかし東京都知事は老評論家の悪罵など気にもとめないだろう
そもそもとうようの声が耳にとどくこともあるまい
三度目の任期をつとめる首都の長のまわりには、猫なで声で自分をほめそやす人間しかおいていないはずだ
都庁に出勤することも週に二三日程度で、午後の数時間しかはたらかないことも多いらしい
もと右翼活動家で、かつて石原の秘書をつとめていた副知事・浜渦武生が実際の政務をとりしきり、都庁は宦官に牛耳られた宮廷のようになっているようだ
(浜渦は予算委員会での偽証の罪をとわれていったん辞職したが、のちに参与として都政に復帰)
しかし石原は「つよいリーダーシップをもつ政治家」という印象づくりになぜか成功している
弟は大根役者だったくせにね
七十五歳の老人になにが期待されているのかはわからないけれど
この歳なら職場にでるのだって億劫だし、書類など読むふりだってしたくないだろう
たぶん都民もそういう事情をわかったうえで、この言語能力のあやしい死にぞこないを放し飼いにしているのではないだろうか
七十の老人なら、わが町を崩壊させるようなバカはやらないはずと
実際に1975年に美濃部亮吉に挑戦して都知事選に立候補したときは見事にやぶれている
ところで石原がテレビにうつるといつも目をパチパチさせて気もち悪いが、あれはチック症の症状なのだろうか
かれは人種、性別、職業、障害者などに関して侮辱的発言をすることで有名だが、自分が精神もしくは脳の障害をかかえていることに起因する卑屈なコンプレックスにちがいない
「差別発言」をするなって?
町の行政責任者が精神や脳の病気をわずらっているとしたら、それは全住民の生活にかかわる重大な問題だ
公人の精神や身体の健康については一般のプライバシーの原則はあてはまらない
あえて皮肉な見方をするならば、石原のそういう柔弱さが有権者の共感をよんでいるともかんがえられる
東京は弱者の王によっておさめられているのだ
中村とうようは五月号のコラムでも石原を批判している
2005年に開業した新銀行東京(またの名を石原銀行)の累積赤字が三月までに1016億円に達し、東京都による400億円の追加出資がきまったことだ
話によると400億ぽっちで経営が再建できるわけがなく、国際決済銀行による自己資本比率の基準を維持するための捨て金だそうだ
現知事の任期がおわるまで潰すわけにはいかないということか
これだけでもゆるしがたいが、「つよいリーダーシップをもつ政治家」の石原慎太郎はいまだに目をパチクリさせながら自分の責任を否定しつづけている
弱者の王がオリンピック招致に躍起になるのはよくわかる
いまのままでは史上最悪の東京都知事として記憶されるわけで、職務経歴書の最後に「オリンピック招致」と書きこめば「終わりよければすべてよし」で一発逆転!
人生の最晩年をささげた十二年間の激務の日々(週二三日だが)もむくわれるというものだ
そう都合よく物事ははこびませんけどね、石原さん
われわれ都民はあなたの名誉欲を嗅ぎとっているから、駅にポスターが何枚貼られていようと招致運動を応援しないのですよ
べつにスポーツがきらいだからではありません
石原慎太郎が人生ののこり時間をついやすべきなのは、時代おくれのお祭りさわぎではなく、私財のすべてを投じたうえで「石原銀行」の後始末をつけることだ
歴史の女神に断罪されるまえに
弱者があつまれば都知事になることくらいはできるが、草原をかける悍馬、断崖でほえる狼の声を掻き消すことはできない
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サル山から遠くはなれて ― ジェラルド・カーティス「政治と秋刀魚」

政治と秋刀魚 日本と暮らして四五年
(ジェラルド・カーティス 著/2008年/日経BP社)
アメリカの政治学者で、日米の政治交流にもおおきな役割をはたした人物による自伝的書物
日本語で書いたらしい
学者ではあるが書斎にこもるのはすきではないそうで、わが国の政治家の逸話もたくさんあっておもしろくよめた
著者がはじめて日本の土をふんだのは、東京オリンピックがひらかれた昭和三十九年
中曽根康弘としりあい、かれの紹介で大分の自民党候補である佐藤文生の選挙運動につきそい、その研究結果を「代議士の誕生」という論文にまとめる
この本が評判になって、その後の自民党の有力者たちと親交をむすぶことになる
あったことがない総理大臣はあの宇野宗佑だけだとか
竹下登からは政治資金の配りかたの極意をおそわる
陣笠代議士が金丸信(床下に金塊をためこんでいた)のところに金をもらいにゆくと、金丸はぽんと三百万円のはいった封筒をわたすだけ
しかし田中角栄の場合、封筒をわたしてもその場ではあけさせない
「よしゃ、よしゃ、あけなくていい。これを使ってがんばってくれ」
代議士が事務所にもどって封筒をのぞくとあらびっくり、中には四百万円の札束が!
こうやって手下の心をつかむわけです
非常に勉強になります
著者は大分での選挙運動では日本政治独特の「お流れ」の洗礼をうけることになる
地元の支持者たちからむりやり酒をのまされるつらい役目だ
よっぱらって目をまわした「ヘンなガイジン」をみて世話人たちはおおよろこび
政治家は酒をのむふりだけをして、盃をあらう器のなかに中身をすてる作法を身につけているのをしらなかったのだ
こうやってどぶ板をふみしめながら地盤をかため、党内では金のやりとりで権力闘争をくりひろげながら、戦後の政治はつくられてきた
著者はそんな「どぶ板選挙」をけっして非難はしていない
そもそもどんな国でも政治なんてかっこいいものではないのだ
カーティスは1969年、日米の政治研究者が会談する「下田会議」にくわわる
いまではかんがえられないが、「革命」がそれなりに本気でかたられていたこの時代では、ちょっとした民間人どうしの会合も政治思想上の反発をまねいたらしい
まずは愛国党総裁・赤尾敏が会場である下田東急ホテルに突撃する
「共産主義とたたかえ」とかなんとかさけぶ赤尾を、あわててかけつけた警察が連行してゆく
お次は労働組合連合会の総評の代表団がやってきて、「アメリカ帝国主義反対!」
右に左にといそがしいことだ
そんな混乱のなか、著者は過激派の演説にまるで熱がこもっていないことに気づく
義務感で共産主義や帝国主義を批判しているだけで、かれらは日本の過去を象徴しているにすぎないと見ぬいたらしい
熱狂の高度経済成長時代をへて、日本の政治も安定期へとむかってゆくのだった
官僚の優秀さに対する信仰はおとろえたとはいえ、すくなくとも日本の経済成長や政治的安定は政治家ではなく、官僚のおかげだったと信じているひとはいまだにすくなくない
しかし重要な外交問題や、官庁間の合意がない国内政策については、政治指導者による決定がおこなわれてきた
そもそもわが国は、国民あたりの国家公務員の数が他国とくらべてすくないとか
そして自民党という政党は、選挙民のニーズに敏感な「党人派政治家」と、政策に通じた「官僚出身者」の二人三脚で政権をにないつづけた
党人派は官尊民卑の態度がぬけない元官僚に我慢がならなかったし、役人あがりの政治家は「どぶ板」政治家に政策はまかせられないとかんじていた
しかしつめたい印象の官僚出身者ばかりでは国民に愛想をつかされる
一方で当時の役人あがりの政治家は事務次官や局長の経験者がおおく、現役の官僚も元上司の声を無視できなかった
自民党というサル山でははげしいボスあらそいがくりひろげられていたが、その一方でことなる経歴をもつものどうしが手をくんでまとまり、政権の独占状態を維持してきたのだ
しかしいまの自民党では地方政界からのしあがる議員は激減し、いわゆる「二世議員」にとってかわられた
かれらはどぶ板選挙や派閥の権力闘争をバカにしているわけだが、ぶっ倒れるまで「お流れ」で苦労した父親のおかげで自分が現在の地位にあることを理解できないのだからわらってしまう
「官僚→政治家」というコースもいまでは様変わりしてきている
六回当選しないと大臣になれない自民党の組織構造では、五十歳をすぎて政界にうってでてたところで大臣になるころには引退の時期をむかえることになる
したがってわかくして政治家に転身する官僚がふえたが、ペーペーではコネも経験もとぼしくて役にたたない
自民党の非公式の調整メカニズムは機能しなくなり、民主党の躍進におびやかされることに
しかし「単一民族」である日本社会における小選挙区制においては、候補者が51%の票をとろうと運動をおこなうため、各党の政策は似たり寄ったりになってしまった
アメリカ流の小選挙区を導入すれば「政策中心」の選挙になるとさんざんいわれていたのにね
結果としていまの政治では党のリーダーに過剰にスポットライトがあたり、選挙は党首の人気投票に堕してしまった
活発だったサル山はいつの間にかさびれ、退屈なサル回しの芸がはじまった
われわれはいつまであくびをかみ殺しながらおつきあいしなくてはならないのだろうか
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