尾崎かおり『金のひつじ』完結
金のひつじ
作者:尾崎かおり
掲載誌:『月刊アフタヌーン』(講談社)2017年-
単行本:アフタヌーンKC
「いじめ→駆け落ち同然の家出→帰還」という形で、物語は締め括られる。
しかし作者は、読者からの反応に不満の様だ。
間違ったことをした人をみんなで叩くという、ここ数年のSNSの風潮がありますが、
そのままの勢いが、マンガの登場人物にまで及んで来ているのでしょうか…。
作者ブログから
本作は、いじめる側にも理解を示す描写があるため、
勧善懲悪的ストーリーをもとめる幼稚な読者から不評を買った様だ。
羊の公園での和解のあと、継は自宅へもどる。
家族は大騒ぎするが、継だけはあっけらかんとしている。
おおらかで、包容力のある主人公だ。
帰宅する前の、離婚後は別居している父親との会話。
継はそれとなく復縁の可能性をさぐるが、きっぱり否定される。
子供の目からはわからないだろうが、自分たちはもう完全に他人なのだと。
この絶望感があるから、あっさりした再会シーンに深みが生まれる。
家族や友人はすばらしい。
ほかの何ものにも代えがたい。
でも、それがとても儚いということも知っておくべきだ。
三井倉継は、すべてを肯定する主人公だ。
思春期の少女らしく傷つくときもあるが、ほとんど表に出さない。
また、他者に悪感情をいだく描写は作中にないはずだ。
非常に魅力的なキャラクターだが、登場時からすでに十分強いので、
全3巻のなかで精神的な成長が感じられないきらいがある。
継と同世代の読者に、とっつきづらい物語という印象をあたえたかもしれない。
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尾崎かおり『金のひつじ』2巻
金のひつじ
作者:尾崎かおり
掲載誌:『月刊アフタヌーン』(講談社)2017年-
単行本:アフタヌーンKC
駆け落ち同然に、継は東京へやってきた。
祖父が経営するコロッケ屋ではたらきはじめる。
ブログなどでの作者の発言にふれない訳にゆかない。
どうやら1巻の売上が芳しくなく、本巻の初版部数が相当しぼられたらしい。
講談社編集部とケンカしたのを匂わせてもいる。
いじめというテーマが暗すぎたと作者は分析する様だ。
作風の刷新をはかっているのだろう。
『神様がうそをつく。』や『人魚王子』は、思春期女子の視点からえがかれる、
みづみづしくも切迫した世界観が異彩を放っていた。
本作ではより視野をひろげ、群像劇に接近している。
主人公の継もふわっとした印象で、近作みたくピリピリしてない。
アーティスト魂が、過去作品のコピペを拒絶するわけだ。
それでも、継が夜に観覧車に乗るところはすばらしい。
僕は観覧車のシーンをいろいろ見てきたが、この浮遊感はあざやかとおもう。
つまり、過渡期の作品なのだ。
ボクシングのプロテストで失敗した優心が、シャワー室で無力感に崩れる。
たしかにここには、未知の風景がある。
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尾崎かおり『金のひつじ』1巻
金のひつじ
作者:尾崎かおり
掲載誌:『月刊アフタヌーン』(講談社)2017年-
単行本:アフタヌーンKC
寡作で知られる尾崎かおりの新作は、青春もの。
6年ぶりに再会した幼なじみ4人の、すれちがいがテーマだ。
テイストは、かなり苦い。
優しいまま、純粋なままであり続けるのを許さない世界に対し、
主人公は不器用なやりかたで抵抗をみせる。
絵柄はときに愛らしく、ときに繊細で、ときに大胆で、
それに瑞々しくかつ老練、まあ達者な画力と言うほかない。
舞台は山麓の田舎町。
地元民は方言をつかわない。
制服のない高校が多いと聞く長野県かとおもったが、
上京するのに飛行機に乗ってたので違うかな。
意図して読者の地理的追求をはぐらかす描写もある。
本作はいじめのシーンがくりかえし描かれる。
作者の表現力が卓抜すぎ、読んでいて息がつまる。
いじめる側にも共感できるので、やるせないのだ。
だから主人公の母親のかわいらしさにホッとする。
酔っぱらって帰宅した母が、たいして現実味のない再婚話を口にする。
転校先で問題をかかえる主人公は、つれない態度をとる。
呆けた感じの横顔、冷蔵庫の閉まる音……空気感が圧倒的。
家出してやってきた渋谷で、別居中の父と会う。
作者は情報を出し渋りつつ、それでも個性をきわだたせる。
1巻時点では、「ギター」とゆうギミックを十分いかせてない印象。
別にバットや竹刀やバイオリンでもいい気がする。
ゆえにもうひとつのギミック、つまり「いじめ」が目立ちすぎ、読後感が重い。
尾崎かおりに代わる作家などいないので、
これはこれとして受けとめるしかないけれど。
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尾崎かおり『金のひつじ』
金のひつじ
作者:尾崎かおり
掲載誌:『月刊アフタヌーン』(講談社)2017年-
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河川敷に捨てられた車のなかで練炭自殺しようとした少年を、
ボンネットに乗った明るい髪の少女が、ギターでフロントガラスを割って助ける。
少女は涙ぐんでおり、はげしく複雑な感情が内面で渦巻いてるのが解る。
寡作で知られる尾崎かおりの新連載が、『アフタヌーン』11月号からはじまった。
繊細かつ洗練された、あいかわらず魅力的な絵だ。
自殺未遂とゆう、のっぴきならない状況を説明したあとで、
すこし時間を遡ったところから物語がはじまる。
高校生の「三井倉継(みいくら つぐ)」は、小学校まで住んでいた街へもどってきた。
家族は母と姉に、妹がふたり。
父の死が、引っ越しのきっかけらしい。
本作は、男ふたり女ふたりの幼なじみの関係を中心にえがく青春もの。
仲良しだった4人は、多感な時期である6年間を経て変わってしまった。
キリキリと胸を締めつける、センシティヴな作風は尾崎かおりならでは。
第1話の38ページに、練りこんで磨きあげた物語の実質がつまっている。
上から目線で恐縮だが、本作を読まずに漫画は語れないとさえ言いたい。
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尾崎かおり『人魚王子』
人魚王子
作者:尾崎かおり
発行:新書館 2015年
レーベル:ウィングス・コミックス
[ためし読み/『神様がうそをつく。』の記事]
10月にも書いたが、「痴漢」は恰好のインサイティング・インシデントだ。
『氷の微笑』でアイスピックを振るうシャロン・ストーンほど異常じゃないにせよ、
思春期の娘が巻きこまれる事件として最悪なもののひとつで、読者を刺激する。
本短篇集の「アメツキガハラ」では、尻を触られた「海野あかり」と、
彼氏ができたばかりの親友との対位法が、功を奏している。
72ページの短篇がうごきだす。
親友に八つ当たりしたあと、今度はトイレで自分のパンツに敵意をむける。
高らかな笑い声をあげ、多摩川ぞいの町を疾走。
ノーパンの天使は22ページで最高速に達し、
散文的な現実から韻文的なファンタジーへ飛翔した。
後篇。
処女喪失のあとの入水。
海とゆう大きなものが、破瓜の痛みを通じて、
自分のカラダとゆう小さなもののカタチを明確化する。
「人魚王子」の舞台は沖縄。
たかみち『りとうのうみ』に続けて読んでも違和感ないだろう。
アラフォーで「中二病な自分をも抱擁出来る」ようになった作者が、
その内向性を保持しつつ、開放的な風や光を物語へよびこんだ。
沖縄の海に、死のイメージをかさねて表現する手法は、
北野武の映画でも顕著だが、尾崎かおりの解釈は独特で深遠だ。
限りなく青にちかいモノクローム。
キタノブルーやたかみちブルーに匹敵するうつくしさを湛えつつ、
そっけなく共感を拒絶したり、気まぐれに愛を謳い上げる世界観。
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