柳沼行『群緑の時雨』

 

群緑の時雨

 

作者:柳沼行

掲載誌:『コミックフラッパー』(メディアファクトリー)2010年10月号~

[単行本は「MFコミックス」として、第二巻まで刊行]

 

 

 

剣術修業にはげむ、伊都と霖太郎。

ときは江戸初期、ところは士々国。

 

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居合にも通じるお伊都さま。

家老の娘だが、お転婆ぶりで城下にきこゆ。

 

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泰平の世に、下級武士が立身する手だてはすくない。

それでも少年は汗水たらす。

ひたむきな日常が、丁寧にえがかれる。

 

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文武両道とはゆかぬ、お姫さま。

髪どめの紐は、試合に勝つた證。

 

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武藝試合への出場を殿さまに直訴せんと、竹竿たわませ、お城に侵入。

退屈な暮しは我慢できない!

「ツンデレの元祖は、司馬遼太郎『竜馬がゆく』の千葉さな子」がボクの持論だが、

剣術少女・伊都の造形は、格好の證明となつた。

 

 

 

 

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霖太郎と病弱な母の挿話は泣かせる。

古風な柳沼行の描きぶりは、江戸時代にそぐわしい。

 

まあ内容は史実に則って描いているわけではないので、

特にこだわらずにやってるんですが、

雰囲気だけは壊さないように気をつけてますね。

頭の中でお話を考えているときは、

当然キャラクターは現代語で話してるんですけど、

それを昔の言葉に変換するのは少し大変です。

例えば「自由に」って言わせたいことがあったんですが、

それって明治くらいにできた言葉なんですよね。

 

「コミックナタリー」のインタヴュー記事

取材・文:坂本恵

 

くらべたら悪いが、オノ・ナツメの『さらい屋五葉』をよんだとき、

主人公がやたら「ござる」を連発するので、

「オマエは忍者ハットリくんか」とページをめくるたび失笑し、

無智におどろきあきれ、作者への関心までうしなつた。

 

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とはいえ『群緑の時雨』の江戸は、江戸でない。

小規模ながら、国同士の戦争がつづく。

史実では絶対ありえない。

関ヶ原以降、大阪の陣を例外とし、幕末まで一揆以外の紛争はない。

皆無だ。

改変の背景に、江戸時代の絶望的なつまらなさがある。

平和すぎるのもかんがえもの。

 

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敵の式桜城。

湖にたたずむ謎の要塞。

陸との交通を完全に断ちながら、五年も立て籠る。

『ふたつのスピカ』の作者ならではの、SF的舞台設定。

現実世界の尊重と、物語としての色気を、両立するのはむつかしい。

本作が成功したか判断するには、まだはやい。

 

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江戸に出ていた伊都と、五年ぶりの再会。

艶姿に息をのむ。

萌えに関して、この歴史漫画はすでに手柄をあげた。

「萌え」とはなにか。

春の兆しのさわやかさと、炎のごとくゆらめく感情の両立。

まさに本作のことではないか?





群緑の時雨 ? (MFコミックス フラッパーシリーズ)群緑の時雨 ? (MFコミックス フラッパーシリーズ)
(2011/03/24)
柳沼 行

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硬質で流麗な ―― 田中芳樹『銀河英雄伝説』

 

アニメの特典ポスター

 

銀河英雄伝説

 

著者:田中芳樹

発行:東京創元社 平成十九~二十一年 (創元SF文庫)

初版発行:徳間書店 昭和五十七~平成元年 (徳間ノベルズ)

 

 

 

『銀河英雄伝説』の第一巻「黎明篇」が世にでたのは昭和五十七年、

田中芳樹は三十歳になつたばかり。

驚嘆すべきは、二十代にしてこの壮大なオペラに着手したこと!

銀英伝は、とにかく文章がよい。

英雄たちの想念が銀河系ではげしく交錯する様を、

鏡のごとく映しだす、硬質かつ流麗な文体。

格調たかいセリフまわし。

そこはかとなく漂う諧謔の風味。

著者は学習院大学で国文学を専攻し、博士課程を修了しているが、

それ以上に、幼少のみぎりからの膨大な読書体験が、

長篇をうめる活字の隙間からにじみ、あじわいぶかい。

例をあげよう。

 

アムリッツァで大捷をえて帰還したラインハルトを迎えたものは、

帝国首都オーディンの地表を埋めつくすかに見える弔旗の群であった。

 

皇帝崩御!

 

死因は急性の心臓疾患とされた。

遊蕩と不摂生によって皇帝個人の肉体が衰弱していただけでなく、

ゴールデンバウム皇家の血統じたいが濁りはて、

生命体として劣弱なものになっていることをしめすかのような、突然すぎる死であった。

 

第一巻「黎明篇」

 

皇帝に美貌の姉をうばわれたことが、ラインハルト・フォン・ミューゼルの野心の原点だが、

仇敵はあつけなく没し、にごり腐臭をはなつ汚水の印象だけをのこす。

これと対をなす記述が、外伝「黄金の翼」にある。

わづかな支度金にかえて娘を売つた父を、ラインハルトがなじる。

しかし、売られる身のアンネローゼになだめられては、

宇宙一誇りたかい少年も、ただ泣きしづむほかなかつた。

 

だが、それにしても、誰も知らなかったであろう。

少年の涙は、彼の決意と誓約が液体化してほとばしったものであることを。

それが、銀河帝国全土を激流となってつらぬき、

歴史それじたいを貫流するにいたる大河の、最初の一滴であったことを。

そのときラインハルトは、皇帝と王朝への復讐を誓約したのである。

 

外伝「黄金の翼」

 

よどんだ血と、ほとばしる涙の、けざやかなる二副対。

 

 

 

最近はじめて外伝をよんだが、いくつかはよく書けていて、

おもわぬ角度から、本篇に光をあててくれる。

同盟軍中佐だつたワルター・フォン・シェーンコップが、

上官である「薔薇の騎士(ローゼンリッター)」連隊長ヴァーンシャッフェ大佐に対し、

内心で冷評をくだすところを、外伝「千億の星、千億の光」にみよう。

 

地位の向上と権限の拡大とに耐えるだけの、精神的な骨格をもちあわせていなかったのだ。

そうシェーンコップは判断している。

大隊長以下の地位であれば、器に応じた有能さと人望とを維持しえたであろう。

栄達も、富も、人間をかならず幸福にする架空の方程式の解答ではないようであった。

 

外伝「千億の星、千億の光」

 

「精神的な骨格」。

天駆ける英雄と、英雄になれなかつたものと、英雄を支えるもの。

それぞれの思念が、銀河の歴史という巨川の水面を織りなし、

複雑に乱反射しながら、ぬたうつ怒涛となる。

それが『銀河英雄伝説』だ。

たとえばラインハルトは絶世の美男子だが、自己愛の傾向はない。

白皙の容貌は、おのが手で勝ちとつたものでなく、誇るにたりないから。

そして、旗艦ブリュンヒルトの主砲よりも直線的な情炎が、

モンゴルの騎馬戦術の様に、宇宙空間を蹂躙する。

満天の星ほども人物が出入りする群像劇を完結させたとき、

小説家は気力をつかいはたし、しばらく立つこともできなかつたとか。

 

 

 

 

『ROMAN ALBUM 銀河英雄伝説 COMPLETE GUIDE』(徳間書店)

 

八巻「乱離篇」でえがかれる、「廻廊の戦い」。

結果として、ヤン・ウェンリーが参加した最後の戦役となる。

それにしても、この一か月におけるヤン元帥の智略は鬼気せまる。

雲霞のごとき帝国軍を廻廊内にひきずりこみ、行動の自由をうばい、

みづからは変幻自在に艦隊をあやつり、ファーレンハイトとシュタインメッツ、

ふたりの帝国軍上級大将の生命の炎をふきけした。

だが、その神がかりの奮闘ぶりに、白鳥の歌めいた凶兆がうかぶ。

かたや皇帝ラインハルトは重度の発熱にたおれ、彼の性格にしては意外にも和を申しでた。

宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥が、戦陣にて主君の「精神の骨格」を忖度する。

 

だが、当のミッターマイヤーには、部下の不満以上に深刻な危機感があった。

明敏な彼は、皇帝の人格に、ダイヤモンドの糸にも似た亀裂を見ていた。

戦略家としての理性と、戦術家としての感性の乖離である。

いままでその両者は強靭な精神的統一のもとにあったのに、

それが結合力を弱めつつあるように思えるのだった。

 

第八巻「乱離篇」

 

これは、田中芳樹の内面の模写でもある。

引き裂かれそうな、藝術家としての情熱と、職業作家としての打算を、

ダイヤモンドより硬質な糸で縫いあわせつつ、

全十篇の物語を、豪奢な晴れ着に仕立てるという苦役。

銀英伝の読者の多くは、作者とヤン・ウェンリーを同一視する悪癖をもつが、

それは小説の読みかたを知らないからで、

実はラインハルトこそ、若き藝術家の肖像によりちかい。

 

 

 

銀英伝の白眉は、九巻「回天篇」だ。

ヤンの死後に、この未来の歴史小説が佳境にはいるという一点によつて、

「魔術師ヤン」は当て馬にすぎないことを證明できるだろう。

つきつけられた「ヴェスターラント虐殺」の忌まわしい記憶。

悩乱する二十四歳の皇帝。

乳児の様にたよりなく、ヒルデガルドに慰めをもとめる。

うつくしき大本営幕僚総監の、まさかの懐妊。

軍務省庁舎の裏手の階段で、対峙するミッターマイヤーとラング。

もつとも高潔な戦士と、もつとも悪辣な陰謀家による、みぐるしい私闘。

そして、「第二次ランテマリオ会戦」。

あいうつ帝国の双璧。

ながれる水のごとく、緊迫した場面がつらなる。

これぞスペースオペラ!

 

 

新領土(ノイエ・ラント)総督オスカー・フォン・ロイエンタール元帥は、

治世の能臣、乱世の奸雄とでも称すべき人物だが、

乱れた銀河が治まりかけたそのとき、ひめた野望を剥き出しにした。

だがその雄図は、グリパルツァーとクナップシュタインの背信により、

皮肉な形でむなしくついえる。

 

つぎの瞬間、火柱が旗艦を引き裂き、クナップシュタインの肉体と精神は、

旗艦もろとも、球形の巨大な白熱光のなかで四散し、原子に還元した。

無限ともいえる極小の時間を構成する粒子は、

死にゆく者の抗議を暗黒の奥深くへ吸いこんでいった。

 

第九巻「回天篇」

 

裏切りの意図を曝すことさえできず、原子に還元したクナップシュタイン大将。

ぶあつい装甲をとかす白熱が、氷のごとき文体でしるされる。

読むものはただ、慄然とするのみ。

戦場に正義などないが、されども裏切り者の居場所は存在せず、

その陰影が、英雄たちの輪郭を鮮明な浮き彫りにする。

「回天篇」は、司馬遼太郎の『関ヶ原』に比すべき巻であり、

銀英伝を戦後日本文学の最高傑作のひとつに格上げした。






銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)銀河英雄伝説 1 黎明編 (創元SF文庫)
(2007/02/21)
田中 芳樹

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サムライとは ―― 『半次郎』

 

半次郎

 

出演:榎木孝明 AKIRA 白石美帆 津田寛治

監督:五十嵐匠

制作:日本 平成二十二年

[シネマート六本木で鑑賞]

 

 

 

ブログで映画のレビューを書くとき、予告篇を貼りつける風習があるが、

いままで真似しようとおもわなかつた。

動画をみる方がはやいなら、文章を書く意義はない。

なにかを書くことは、一対一のたたかいだ。

題材が名作であればあるほど、書き手の力量がためされ、

それを上回る文章をかく義務が生じる。

できないなら、沈黙した方がよい。

しかし本作『半次郎』には、どうしても言語化しえない部分があつた。

 

 

中村半次郎、のちの陸軍少将・桐野利秋が、示現流の演武をする。

柞の木刀をつきあげ、脳天からでた様な声で大喊。

あえてカタカナでしるすなら、「ケーッ」か。

たしか司馬遼太郎がそう書いていた。

掛け声としては「エイ」だが、はげしすぎて言葉をなさない。

いささか滑稽ではある。

だがそれが一撃必殺の剣法の型としれば、笑いもひきつる。

切先が天をむくのは、斬撃の威力を最大にたかめるため。

防御は一切しない。

雲耀のごとく先手をうばい、受太刀もろとも切り捨てる。

薩摩にうまれ、古武術をおさめたという榎木孝明のほかに、

だれがこの役を演じきれたろうか。

 

 

 

 

 

血をまぜた泥流が西海道の山肌をあらう。

その損耗のすさまじさにおいて、西南戦争はきわだつている。

おもだつた薩軍幹部はみな、戦死または自刃して果てた。

 

 

左の赤い髪が、広島光が演ずる辺見十郎太だが、

作中での活躍は期待したほどではない。

辺見は薬丸自顕流にまなんだ、身の丈六尺の偉丈夫で、

四尺あまりの野太刀をふるい、昼夜問わず八面六臂の奮闘をみせたのに。

戦争映画ではなく、伝記映画なのか。

 

 

白石美帆は京の町娘に扮し、半次郎と懇ろになる。

極貧にたえた実方の「イモ侍」の時代から、風雲急をつげる京の日々をすぎ、

功なり少将閣下とよばれる栄達にいたる生涯を、女の目から一本の糸につむぐ。

だけど、京言葉がどうもねえ。

常州うまれの白石に、みやびな抑揚をならう時間は足りなかつた。

田畑智子にやらせたらと思うと、ひたすら惜しい。

企画者である榎木孝明の、サムライの魂を蘇らせんとする情熱は買うが、

結局「歴史もの」は、歴史オタクに重箱の隅をつつかれて終りがちで、

本作もその弊をまぬがれてはいない。

 

 

 

 

桐野は負けると知りつつ、大義のために挙兵した。

そう言いたげな映画だが、三島由紀夫の崇拝者の様に弁解がましい。

連中は頭が悪いから、負けただけだ。

熊本城には少数の抑えをおき、小倉を一挙に落せばよかつた。

しかし、チンダイ兵など鎧袖一触して蹴散らせるという驕りが、

稚拙な戦略をえらばせ、全軍を惨敗にみちびいた。

小倉を攻めれば勝てたわけでもないが、戦域はグンとひろがり、

さしづめ南北戦争ならぬ東西戦争とでも呼称されたはず。

 

 

総司令官をつとめ言動は不如意となり、どこか精彩を欠く桐野にかわり、

従弟の別府晋介が、薩摩のボッケモンらしさを体現する。

演じるのは津田寛治。

 

 

官軍に包囲された城山で、晋どんは西郷隆盛の介錯をした。

神のごとく崇める巨人を、おのが手であやめるという絶望感。

天をあおぎ、桜島をゆるがすほど激しく咆哮する。

だがそれは、名誉ある務めでもある。

西南の役なかりせば、別府景長晋介など、歴史に名を残さなかつたろう。

その魂が平成の役者の体をかりて、あらあらしく吼える。

やはりサムライとは偉いもの、と慨嘆せざるをえない。


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アーネスト・サトウ『一外交官の見た明治維新』

『santoro's blog』

 

一外交官の見た明治維新

A Diplomat in Japan

 

著者:アーネスト・サトウ (Sir Ernest Satow)

訳者:坂田精一

発行:岩波書店 一九六〇年

原書発行:イギリス 一九二一年

[岩波文庫]

 

 

 

十九歳のとき、イギリスの外交官として幕末の日本をおとづれ、

乱高下するこの国の政治を、客観的にみまもつた人物の回顧録。

偶然にもその名が日本風であるサトウは、

司馬遼太郎の幕末物によく顔をだすので馴染みがあるが、

彼は自分の書きたいように書く作家だし、

実際に書物を手にとつてはじめて見える風景があつた。

 

 

 

『安宅』や『勧進帳』といつた演目では、

山伏に身をやつした源義経一行が、奥州への道をいそぐ。

関守の富樫は、手配写真もないのに変装をみやぶり、

「いかに、それなる強力」と義経を誰何する。

咄嗟に金剛杖で主を打ちすえ、疑いをはらす武蔵坊弁慶。

観客は、そのゆるぎない忠義に胸をあつくする。

でも思うのだけど、冷戦期の西ベルリンではあるまいし、

歩行者を対象とする国境封鎖なんて不可能だ。

弁慶もそんなにボスが大事なら、なぜ脇道をえらばなかつたのか?

さて七月のある日、八王子の西にある高尾山にでかけたサトウらは、

足のつよい馬にまたがり頂上にのぼり、風光と弁当をたのしんだ。

事件は帰り道でおきた。

まちがえて関所の裏側の街道にでたイギリス人に対し、

番人はかたく門をとざして通過をこばむ。

もと来たところに戻るだけなのに、とりつく島もない。

役人の頑迷さは、古今東西普遍の真理だから。

医師のウィリアム・ウィリスが、馬の足で蹴やぶる素振りをみせると、

その剣幕におどろいた番人は、ようやく門をひらいた。

「関所」なるものは、その地理的物理的な効果よりも、

民衆への支配力をみせつける儀礼として存在したのだろう。

 

 

 

いうまでもなく、当時の駐日外交官はみな命がけだ。

神国日本をけがす毛唐を斬りすてんと狙う、攘夷の志士から自衛するため、

文官も例外なく、コルト社などの拳銃をたづさえていた。

反撃に成功した者はいなかつたが。

外交官の最大の武器は、言語だ。

在留の数年ですつかり日本語が流暢になつたサトウは、

ありとあらゆる場で交渉をこなすことができた。

芝居小屋でつねに「つんぼ桟敷」におしこめられるのが不服で、

あるとき意を決し、靴をぬいで土間の升席に陣取つた。

困惑した興行者は、そこから出なければ幕をあげないと言いはる。

勝手にしたらよかろう、と居座るサトウ。

イギリス人が日本語で議論に勝つ様子をみて、

まわりの観客もこの前座に満足した。

概して一般の庶民は、わけへだてせず外国人に親切にふるまうのに、

「クロウト」の人間ほど拒否反応をしめしがち。

幕府の監視をのがれて、大坂(オーザカ)の街にくりだしたときは、

店にあらわれたイギリス人をみて、藝妓たちはキャアとさけんで逃げた。

そもそも「尊王攘夷」という題目は、貿易の利益と海外の情報を独占する、

幕府の足をすくうための方便にすぎない。

生麦事件、薩英戦争、下関砲撃事件といつた血生ぐさい抗争のあと、

薩摩藩や長州藩は、豹変して蛮族にすりよつた。

明治維新とは、一種のツンデレなのだ。

 

 

 

外交官として優秀であるほど、おちいりやすい罠がある。

現地の精神に同化しすぎること。

銃撃戦となつた神戸事件で、責任をかぶつた滝善三郎の切腹に、

イギリス人であるサトウやミットフォードがたちあつたのは、

キリスト教徒として許されざる野蛮な行為だ、との新聞報道がなされた。

サトウは本書で堂々と反論している。

武士にとつてハラキリとは、名誉となる厳粛な儀式であり、

それに列席することはなんら恥ではない!

まつたく正しい意見なのだが、でもボクが当時の英国人なら、

同胞があまりに異文化に染まつているのに不安になるかもしれない。

この本は、夷狄が刀でおわれる前半の方がおもしろく、

時がめぐり、革命の立役者がサトウと親交をむすぼうと列をなすに至り、

読んでいてすこし鼻白んでくる。

ヨーロッパ人の目に悪趣味にうつる洋館が建つのは歯がゆいし、

黒人の奴隷がみたいなどとワガママをいう、

薩長がかついだ貴族たちのバカさ加減にはあきれる。

江戸は「東京」と改称されたが、「イギリス人は革新をこのまない」ので、

外交官は維新後もしばらく、あたらしい帝都を「エド」と呼びつづけた。

あまりに無軌道で空疎な、政治というゲームに翻弄される男たちは、

なんだか滑稽だが、だからこそ学べることもある。





一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)一外交官の見た明治維新〈上〉 (岩波文庫)
(1960/01)
アーネスト サトウ

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松山城から ― 司馬遼太郎『坂の上の雲』

 

坂の上の雲

 

著者:司馬遼太郎

初版発行:文藝春秋 昭和四十四~四十七年

[文庫版で読了]

 

 

 

陸海軍の将校として日露戦争を闘いぬいた、

好古と真之の秋山兄弟を主役とする、言わずと知れた作家の代表作。

ただ今回読みかえすまで、そこに俳人・正岡子規が、

なぜ副主人公格で物語に加わるのか、よく分からないでいた。

同郷者だから?

無論、それだけが理由のはずもなく、

三十四歳で死んだ詩人兼批評家の思想が、小説の脊柱をなす。

作中、子規が内藤鳴雪と議論をかわす。

蕪村の傑作はなにか。

鳴雪があげたのは、「春の水山なき國を流れけり」。

異をとなえる子規のことばは、傾聴する価値がある。

 

山なき国とはなにか。

たとえば関東の武蔵野あたりかもしれないが、

そういう地図的な観念にたよっている。

鑑賞する者はあたまに地図でもえがかねばならず、

えがいたところでそれはあたまで操作されたものであり、

絵画的ではない。

俳句は詠みあげられたときに決定的に情景が出て来ねばならず、

つまり絵画的でなければならず、

さらにいうならば「写生」でなければならない、と子規はいう。

 

個人的に「写生」は、司馬遼太郎を読みとく鍵だとおもう。

また、真之が病床の友をたづねる場面。

子規がものした評論をよみ、その革新精神のすさまじさ、

たけだけしい戦闘精神に酔つたごとくになる。

彼の戦いの主題と論理の明晰さは、

そのあたりの軍人など、足もとにも寄りつけないと。

 

 

 

文庫の末尾の第八巻。

聯合艦隊が本土の大本営に電報をうつ。

司馬にしてはめづらしく、文面を分析するのに紙幅をついやす。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ、聯合艦隊ハ直ニ出動、之ヲ撃滅セントス」。

なんだかドギツイ「撃滅」という言いまわしには、

法理的ですらある背景と、戦略的妥当性と、十分な現実認識がある。

本来だれよりも慎重な司令長官・東郷平八郎が、

明治帝のまえでボソボソ言上した文句をふまえているから。

真之が書きくわえた、「天気晴朗ナレドモ波高シ」。

「天気晴朗」には、肝心なときに濃霧になやまされた、

上村艦隊の轍をふまないという意味があり、

「波高シ」は、ロシア軍艦にとつての悪条件をのべる。

これが「写生」の精神だ。

さらに、子規がもつ「胆力」に匹敵するものを、

軍から代表させるなら、東郷提督にしくはないだろう。

黄海海戦。

旗艦「三笠」は、日本海海戦以上の被害をうけた。

 

発射音と、敵弾の炸裂音が間断なく艦をおおい、

空気がひきちぎれ、爆風が兵員をさらい、

破片がいたるとことに突きささった。

交戦一時間後の六時三十分ごろ、

艦橋あたりに敵弾が命中したときなど、

地獄というようななまやさしいものではなかった。

大火柱が立ったかとおもうと、そのあたりに肉片が飛び、

臓腑が流れ、血が一面を赤く染めた。

このとき、東郷も島村も真之も艦橋にいた。

東郷にとなりに立っていた艦長の伊地知が負傷し、

真之のそばにいた参謀殖田謙吉ら士官五人、

下士官兵十人が負傷した。

 

島村速雄参謀長は、幾度も司令塔にはいるよう進言する。

「司令塔は外面(そと)が見にくうてなぁ」と言つたきり、

小柄な薩摩人の司令長官はとりあわない。

 

 

 

小説の劈頭にもどろう。

伊予松山の藩庁をえがく。

たおやかで、凛として。

戦後これ以上の、散文による美がほかにあるだろうか。

 

城は、松山城という。

城下の人口は士族をふくめて三万。

その市街の中央に釜を伏せたような丘があり、丘は赤松でおおわれ、

その赤松の樹間がくれに高さ十丈の石垣が天にのび、

さらに瀬戸内の天を背景に、三層の天守閣がすわっている。

古来、この城は四国最大の城とされたが、

あたりの風景が優美なために、石垣も櫓も、そのように厳くはみえない。

 

東郷平八郎がたづさえた、軍刀拵えの一文字吉房のように、

日本の近代の本身には、武士の精神が息づく。

そこに題材をえた小説家は、子規の革新思想をうけつぎ、

さらに鍛錬をほどこして、大長編に仕立てた。

嘆息をもらさずに、読むことなどできない。





坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)
(1999/01)
司馬 遼太郎

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