ニホンザルを差別するオバマボーイズ

バラック・オバマがアメリカ次期大統領就任を確実視されるなか、傲慢な「オバマボーイズ」がさらに図にのりだして目ざわりきわまりない
個人崇拝はいつでもはた迷惑なものだが、こいつらはじぶんたちが頭がよいとおもいこむ傾向があり、なかでも非常にたちがわるい
現職のジョージ・W・ブッシュはそうとうなワルだったけれども、看板をとりかえたところでアメリカ商店の品ぞろえが急にかわるわけもなく、これからも世界に迷惑をかけつづけるだろう
まあせいぜい戦争がちょっとだけへるくらいだろうか
そのかわり連中はつい最近までいきおいがあったネオコン以上におごりたかぶっており、教祖オバマさまを侮辱する(と解釈できる)ものすべてを高圧的に攻撃する
それがまったく悪意のないものであってもだ
これならまだキリスト教原理主義者のほうがましだ
イエス・キリストがえらいということなら、外国の事情に無知なわれわれ日本人でもしってますからね
猿がふんする大統領候補が「チェンジ」と聴衆に呼びかけるCMを制作した日本の携帯電話会社イー・モバイルに対して、CMの「猿」は米国初の黒人大統領を目指す民主党のオバマ上院議員を連想させるパロディーで、「人種差別に当たる」という批判がブログを通じて相次ぎ、同社がCM放送を取りやめたことが分かった。
[ITmedia]
さっそくきましたね!
「CHANGE」という宣伝工作はたしかにオバマ氏にそっくりで、その支持者たちが揶揄されたとかんじるのは理解できます
むしろもっとおちょっくてやるべきです
それなら「パクるのはやめてよ」くらいにとどめておけばよいものを、かれらオバマボーイズは人種差別を逆手にとって飢えた狼のようにかみついてきます
ユーモアがつうじないひとびとなのです
でも、おさるさんが黒人差別を意味するなんて日本人はしらないよ
百万歩ゆずってそれが「国際的な常識」だったとしても、だからどうだというのですか?
国内でながす日本人むけのCMでしょう?
在日米国人に配慮しろ?
おまえらいったい何様のつもりなんだ
CNNは「猿は歴史的に黒人を非人間と描くために使われてきたことを、国際的な人々は知るべきだ」と語るアフリカ系米国人のコメントを紹介。
これはあくまで一部のひとの意見ですよね?
まさかCNNの見解じゃないですよね?
それともアメリカの広告屋は、全世界の被差別人種がなににたとえられているのかしらべてからCMをつくっているんですか?
アメリカは特別?オバマさまは特別?
わかりました、みとめてあげましょう
あなたがたは
でもそのかわり、ニホンザルが特別な存在であることもみとめてくださいね
みなさんは猿におくわしいようですからわたしなどがいうまでもありませんが、ニホンザルは日本列島の固有種です
わが国で「猿」といえばこの種をさします
猿まわしや温泉の猿など、ひろく国民にしたしまれあいされています
「見ざる、聞かざる、言わざる」の三猿からわかるように、知恵をもった神聖な存在でもあります
だからそのへんのモンキーといっしょにしないでもらいたいのです
われわれ日本人はアメリカの黒人の歴史、そして現在の境遇にはふかく共感しています
でもそれとニホンザルはなんの関係もありません
オバマボーイズは頭のよわいひとがおおいので、さらに念をおしておきます
黒人にたいする差別はアメリカ国内の問題であり、日本の社会、政治、歴史、文化、ましてやニホンザルとはなんの関連性もない
そして自国の人種差別を完全に克服してはじめて、よその国のCMに文句をいう権利がうまれる
ひとことでいうなら、「おとといきやがれ」
これで一件落着ですね
このCMが動画サイトのユーチューブを通じて流れ、ブログで日本在住外国人から批判が続出。日本のオバマ氏の応援サイトも「アメリカの政治情勢のもと人種差別とみなされる」と抗議した。
これだよ…オバマボーイズ日本支部のバカどもが…(^ω^#)ビキビキ
火に油をそそいでどうする
あなたがたはリベラルをきどってたんじゃありませんか?
表現の自由、そしてわが国固有の文化をまもるためにどうしてアメリカ人に反論しないのか?
それどころかかれらは日本人の「後進性」をたたけるからおおよろこび!
なんとかなしい植民地根性
イーモバイルの経営陣も正々堂々とたたかうべきだった
CMの放送を中止してしまえば、じぶんたちの動機が不純なものであったとみとめるようなものだし、わるい印象だけがのこる
まあ、電話屋にりっぱな意図なんてあるわけないですけどね
オバマさまの人気にあやかろうとした下心を、ハゲタカどもにみすかされたってわけだ
それでも逆差別は卑怯だ
「オバマさまは黒人だから」をいいわけにして、どんなわがままでも正義になってしまう
教祖さまは人種問題を強調しない戦略をとっているが、その手下が逆差別を利用してやりたい放題であることはみてみぬふりをする
オバマさまが当選するまえでもこのありさまだから、来年からどうなるかとかんがえるだけでもぞっとするよ
さっき「アメリカの戦争がちょっとだけへるかも」と書いたけど、こんどはかれらは「人種差別とたたかう戦争」でもはじめるかもしれないね
逆差別十字軍を動物園の檻にとじこめておくよい方法はないものだろうか?
ジューイッシュ・グラフィティ ― 「インディ・ジョーンズ4」をみて

インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国
Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull
出演:ハリソン・フォード カレン・アレン シャイア・ラブーフ
監督:スティーヴン・スピルバーグ
(2008年/アメリカ/123分)
[新宿プラザ劇場で鑑賞]
パラマウントのロゴをネタにした冒頭のギャグをみて、わるい予感が脳裏をよぎる
ありきたりだし、なにも「インディ・ジョーンズ」でやることじゃない
そしてプレスリーのロックンロールがながれるなか、アメリカ陸軍のトラックと二組のカップルがのったオープンカーが競争をはじめる
お、「激突」じゃん
スピルバーグ先生、じぶんの過去の作品をパロディにするつもりかな?
「アメリカン・グラフィティ」っぽくもあるね
が、軍用車両だけ右折して施設のなかにはいってしまう
じらすのはそこそこに、さっそくハリソン・フォードが登場
さすがにうごきはもっさりしているけど、口もとをゆがめる不敵なわらい方はあいかわらずすてき
最初から敵にかこまれて大ピンチです
銃をつきつけられて宝ものさがしに協力させられる
敵の銃弾からぬいてもらった火薬をばらまき、磁力で粉がひきよせられたところにブツを発見
さすが!知恵がはたらくね!
相手の弾薬をへらすのが本当の目的でしょ?反撃開始ってわけね?
倉庫のなかでのアクションシーンがスタート
われらがインディは普通に銃弾がとびかうなか敵地をぬけだし、そこでなぜか原子爆弾がドカン!
そりゃないよスピルバーグさん
被爆国の観客への配慮はなしですか
ていうかさっきの伏線は…?
いったいどうなってるんだ、このガタガタの展開は
「さいきんのスピルバーグはおとろえた。つまらない」
なんて批判されがちだが、そもそも
「スピルバーグの映画ってそんなにおもしろかったか?」
とききかえしたいところだ
スピルバーグはそのすさまじい早撮りでしられている
リハーサルをほとんどおこなわず演技には即座にOKをだし、「プライベート・ライアン」ですら三か月でとりおわったとか
そして撮影機材に精通しているため、コンピュータをもちいた映像処理の革新にもいちはやく適応し、はでなカットをつるべうちにするスタイルを確立する
しかけたっぷりの映像にハラハラドキドキさせられるけれど、よくみれば役者の顔には危機感がうかんでおらず全体としてうすっぺらい
とはいえ予算どおりスケジュールどおりとってくれるのでスタジオにとってこれほどありがたい監督はいないし、ポップコーン片手の観客たちにもあいされた
いっぽうで映画ファンは役者の演技をじっくりあじわって元をとろうとするので、1カット50テイク(笑)のような撮影進行があたりまえのスタンリー・キューブリックみたいな作家を支持したがるのです
昨今はCG技術がさらに進化し、だれでも「スピルバーグみたいな映画」がつくれるようになったわけで、本家の存在意義がとわれているといえるでしょう
しかしみながうらやむ富と名声をえたスピルバーグですが、それでもかれはゲージュツカぶって役者をいじめたりはしません
たぶんまじめでいいひとなんでしょう、あいかわらずてきぱきとしごとをしているようです
トム・クルーズは「アイズ・ワイド・シャット」の現場でキューブリックにしいたげられて、発狂しそうになったといってたなあ
ゲージュツカはとうとい存在ですが、まわりの人間にとっては迷惑きわまりないのです
本作はジョージ・ルーカスらの初稿を脚本化するのに難航し、M・ナイト・シャマラン、トム・ストッパード、フランク・ダラボンら大物の手をわたりながら何度も書きなおされることに
最終的には売れっ子脚本家のデヴィッド・コープ(「ミッション:インポッシブル」「スパイダーマン」など)の名義がクレジットされている
ハリウッドではよくあることだが、どこからどこまでがコープのうけもちなのかは判然としない
ダラボンにいたっては「むだな一年だった。もうルーカスとは二度としごとをしたくない」とまで悪口をいっている
だれがわるいのかわかってきましたね
ソ連軍の大佐にふんしたケイト・ブランシェットのとんでもない髪型も、ルーカス氏がじぶんの趣味をおしつけたらしい
まったく50年代風にもソビエト風にもみえませんが…
もちろんかの女も抵抗したそうだが、けっきょくこれです
そもそもジョージ・ルーカスさんってなにものなんですか?
なんでこんなに有名なんですか?
監督作品はたったの六本
そのうちの66%が例のスターウォーズです
のこりの二本はふるい低予算映画
プロデューサーとしても「ハワード・ザ・ダック」などいくつかの作品をてがけてはいますが、観客動員も評価もはかばかしくなく、むしろ「インディ・ジョーンズ」が例外なのだといえます
インディアナ・ジョーンズのおもての顔は考古学者の教授ですが、FBIから共産主義者であるといううたがいをかけられてその職をおわれることに
1950年代のマッカーシズムの風潮を批判的に作品にとりこもうとしたようですが、このテーマもどこかにまぎれてきえてしまいます
そもそもソ連軍の部隊とたたかう物語で、赤狩りもへったくれもないですよね
「レイダース」にでていたカレン・アレンを復活させて過去作のファンに目くばりをしていますが、場内は「このおばさんだれ?」みたいな空気でした
お約束のヘビぎらいのネタでさえ、わらいがおきていなかったのが意外です
さきほど「激突」の自己パロディにみえるシーンのはなしをしましたが、ラストはパロディどころか「E.T.」と「未知との遭遇」の陳腐な焼きなおしで、あれはわらうところなのか感動するところなのか…
脚本をいじりすぎたせいか一貫性はまるでありません
これなら「ハムナプトラ」のほうがましなのでは?という疑問がむくむくとうかびあがってきます
もっともいかせていないのは「父と息子」の主題
シャイア・ラブーフがリーゼントのバイク青年の役をえんじます
ひまさえあれば髪をいじりナイフをもてあそぶわけですが、柔和な顔だちのシャイアは不良にはみえませんね
物語では恋人もあてがってもらえず、アクションではハリソンにおくれをとり、お母さんのカレン・アレンにあまえるくらいが関の山
スピルバーグ先生のお気にいりの役者らしいけれど、まだまだ修行不足だなあ
わかい人材が抜擢されたとき、かれがユダヤ人かホモでないかしらべてみるとよい
あんのじょうシャイアの母親はユダヤ系
ちなみにハリソン・フォードもにたような生いたちです
もちろんドリームワークス作品にたてつづけに主演するという幸運をかちとったのはシャイアくんの実力にちがいありませんが、それでもお母さんに最大の感謝をささげるべきですね
この会社の設立者はジェフリー・カッツェンバーグ(ユダヤ人)、スティーヴン・スピルバーグ(ユダヤ人)、デヴィッド・ゲフィン(ユダヤ人でホモ)の三人
べつにユダヤ人にもホモにも偏見はありませんが、この業界におおすぎるという気はします
死せる長沼健、生ける松井大輔をはしらす

サッカーについていろいろなひとがいろいろなことをいっているが、いちばんだいじなことはだれも口にしようとしない
それは、サッカーの勝ち負けは偶然によってきまるということ
こんなことをいったらバカにおもわれるからかな?
しかしけっきょくのところわれわれは、より幸運なチームを「強豪」とよび、よりつきにめぐまれた選手の「才能」をほめそやしているだけ
勝ち馬にのるってやつです
数年まえ、幸運児ロナウジーニョの「才能」をだれもが絶賛していたものだが、いまではかれは嘲笑のまとになっている
いわく、夜あそびばかりしてるからおちぶれたとかなんとか
有名になるまえからディスコがだいすきな出っ歯のブラジル人にとっては腑におちないことだろう
まあ、まわりの評価というものはえてして客観的ではないものだ
われらが電通代表が三次予選を突破した原因は、まず第一に実力
バーレーン、オマーン、タイを相手に三位以下の成績はあってはならないことだ
とはいえ3月26日は岡田武史のあきらかな戦術ミスでバーレーンに敗北し、電通代表はちょっとした危機にあった
いまからふりかえってみても、予選敗退のリスクはある程度たかまっていたとおもう
では六月の四連戦において、サッカーの女神がなぜかれらにほほえんだのかさぐってみよう
サッカーマガジン7月15日号はインタビュー記事がおおくてよみごたえがあった
はじめは六月の最初の三試合に先発出場し、1アシストをのこした松井大輔
全体的に優等生ぶった内容でつまらないが、ひとつ見のがせない発言が
(インタビュアー)―6月2日のオマーン戦は緊張感につつまれた試合でした
(松井)ぼく自身はほとんど緊張しませんでした
あの日、長沼さんが亡くなられて岡田監督も気合がはいっていたし、試合まえにいいことをいって雰囲気をもりあげてくれました
チームって、監督のひとことでかなりかわるものだとおもいます
かつての代表選手にして、代表監督やサッカー協会会長などの要職を歴任した人物が、代表チームがおいつめられていたまさにその日に没したのだった
なんという偶然!
…長沼?十年まえに会長をやめたやつだろ?
いまの選手たちにとっては無関係じゃん
もしあなたがそうおもっているとしたら、サッカー史についての無知が原因にちがいない
すこしでもこのスポーツに関心があるのなら、長沼が現在の日本のサッカーのありようにどれだけふかく関与していたのかしっておくべきだ
まあおれもWikipediaのうけうりなんですけどね
長沼健は1930年の広島にうまれた
被爆者であり、亡くなるまで白血球過多にくるしんでいたらしい
森孝慈、金田喜稔、木村和司、石崎信弘など、広島出身の関係者はおおい
長沼は焼け野原でサッカーにうちこんで頭角をあらわしてゆき、関西学院大学に入学して関西学生リーグで三連覇を達成するなどの活躍をみせる
関学卒業後も大学でサッカーをつづけるために中央大学の三年に編入(牧歌的な時代だ)、そこでも主将としてチームをまとめ、大学サッカー選手権大会二年連続準優勝などの成績をのこす
そして実家の電気工事業でつきあいがあった古河電工に入社、親分肌で組織力のある長沼はチームの強化を一任されることになる
かれのまわりには自然とひとがあつまるそうで、長沼が所属をかえるごとに日本サッカー界の勢力地図はぬりかえられ、あたらしいチームは強豪になってゆく
古河には平木隆三、八重樫茂生、宮本征勝、川淵三郎、木之本興三、清雲栄純、岡田武史らが集結し、かれらは「長沼一家」とよばれた
とはいえ入社当時は社会人スポーツは認知されておらず、古河はアイスホッケーの選手もまざったしろうとチームだったそうだ
アイスホッケー経験者で、高校からサッカーをはじめた巻誠一郎が後身のジェフ千葉にいるのもふしぎな縁におもえる
いまでもたいしてかわっていないが、日本人にとって「スポーツ」とは教育プログラムの一環だった
あとは相撲のようなおまつりがあるのみで、そのあいだがない
プロどうしの真剣勝負をみてたのしむというかんがえかたが理解されず、むしろそういう西洋的なスポーツ観はいやしいものとみなされていた
たしかに野球は成功したが、そのほかのスポーツは恩恵にあずかることができず、無にひとしい状況だったといえるだろう
わが国でサッカーが野球と対抗できるほどの「スポーツ」として市民権をえたのは奇跡なのだ
長沼は無報酬の日本代表監督としてメキシコオリンピックで銅メダルを獲得、そののちはサッカー協会専務理事に就任して組織の近代化に着手する
このころ古河の経理部にいた小倉純二を、サッカー経験がないにもかかわらず抜擢して財務にあたらせた
ちなみに小倉は現在の協会副会長で、次期会長の最有力ともうわさされている
まさに「フルカワはいってる」状態のおそるべき偏向人事
キリンビールなどのスポンサーを獲得し、電通がもちこんだペレの引退試合を開催するなどして、逼迫していた財政状況は急激に好転する
イングランドのまねをして皇室とのむすびつきをつよめてサッカーの社会的地位をたかめ、プロ化とワールドカップ招致というおおきな目標の準備をととのえてゆく
古河時代の子分である川淵や木之本がJリーグ創設にかかわり、ワールドカップをひらけるだけの実力を証明するため、日本代表のコーチに清雲や岡田をおくりこんだ
長沼は近代スポーツをねづかせるためのあらゆる努力をおしまず、そしてみごとに目標を達成した
すばらしい人生だったといえる
長沼の親分人生の最大の危機は1996年の代表監督問題だろう
体育会系の常識をこえたインテリである強化委員長の加藤久は、空気をよまずにアジアカップの結果をうけて加茂周監督を更迭、後任としてネルシーニョをえらぶことをきめた
ところが外国からかえってきた長沼は独断でその決定をくつがえし、加茂の続投を発表
「加茂でフランスに行けなかったら辞任する」とまで大見得をきって…
将来の日本サッカー界の重鎮と目されていた加藤久だが、その後は協会の要職からはなれている
かれはフルカワではないですからね
いちどへたをうったらさよならです
しかし結果として、加藤の判断がただしかったことが証明されてしまう
最終予選のまっただなかのカザフスタンで、加茂はけっきょく監督の座をおわれることに
この時点ですでに赤っ恥なのだが、眼鏡の子分が長沼を最悪の事態からすくったのは不幸中のさいわいといえるだろうか
大学時代は同好会にいた岡田武史を、サッカー部にいれさせた恩がむくいられたというわけだ
ここまでよんでもらえれば、なぜ岡田が6月2日のロッカールームでほえたのか理解できるとおもう
長沼健があっての岡田武史であり、日本代表であり、日本サッカーなのだ
「健さん」は、その死をもって弟子たちを窮地からすくった
代表チームはここ十数年で最悪のゲームといえる3月26日のバーレーン戦の悪夢をふりきり、3勝1引きわけでなんとか四連戦をきりぬけた
まあようするにサッカーは運なのだ
もちろん良好な人間関係はセーフティネットとしてはたらくが、いつどうやってスイッチがはいるのかはだれにもわからない
優等生がおおすぎる ― リー・スモーリン「迷走する物理学」

迷走する物理学
The Trouble With Physics: The Rise of String Theory, the Fall of a Science, And What Comes Next
(リー・スモーリン 著/松浦俊輔 訳/2007年/ランダムハウス講談社)
著者のリー・スモーリンは1955年、ニューヨークうまれの理論物理学者
博士号をとったあとの1979年に、はじめての職場としてプリンストン高等研究所をえらぶ
24年前になくなったアインシュタインに面識のある人物に接触したいという期待があったのだ
学者の世界はいれかわりがはげしく、そのころには弟子や後継者はおろか、知りあいすらほとんど研究所にはのこっていなかった
かずすくないアインシュタインの知りあいのひとりであるフリーマン・ダイソンが著者を昼食にさそう
「プリンストンの居ごこちがよくなるように、わたしにできることはありますか?」
「…アインシュタインが実際にどんなひとだったのかしりたいのです」
「あいにくですが、それはお手つだいできない方のはなしですね」
「でも先生は1947年にこちらにいらっしゃって、アインシュタインがなくなる1955年までごいっしょだったではありませんか」
じつはダイソンもアインシュタインと親交をむすぶという希望をもってこの研究所にやってきた
面会の約束をしたあと、最近のこの大家の研究をしるために論文のうつしをもらう
統一理論をきずこうと努力するその学術論文をよんで、ダイソンはそれがまったくみこみのない紙くずであると判断した
まさかアインシュタインに面とむかって「先生の研究はどうにもなりません」というわけにもいかないので、翌朝に面会の予定をとりさげる
それからは科学の象徴が死ぬまでの8年間、顔をあわせることがないようさけながらすごしたという
1940年代にはアインシュタインはすでに過去のひととなり、同業者からまともにとりあわれなくなっていた
その栄光の反面なのか、物理学の女神はつねに残酷だ
マッハは原子をうけいれられず、マクスウェルはエーテルをしんじ、アインシュタインは統一場の理論をもとめ、失望をかかえたまま科学にささげられた人生をおえた
1970年代以降、すなわち著者が研究生活をはじめたころから、物理学はその基礎においておおきな進歩をみせていない
すくなくとも18世紀末からこちら、中心的な問題において四半世紀ごとに革命的な発展があったというのに
本書は30年間の物理学の歴史をまとめ、なぜあらたな革命がおきかったのかを考察し、現在の物理学者たちの「社会学」を批判的に論じて、停滞した現状をうちやぶるための糸口をさぐる
専門的な内容がかなりおおく、時空のとらえかたをわかりやすくまとめた前作の「量子宇宙への3つの道」のほうが格段によみやすい
ただ有能な物理学者が、みずからの人生と職業共同体にたいして落とし前をつけてやろうというすごみがあって、よみごたえは抜群だ
おれは自然科学にうといが科学関係の本はすきで、グリーン、サスキンド、カク、ランドールなどが書いたストリング理論がらみの著作もけっこうよんできた(もしくはよみとばした)
どれもつまらなかったが
読後感がわるく、これらの本の著者はうそをついているという印象がある
しかしさいきん日本でも、「ストリング理論は科学か」「超ひも理論を疑う」などのストリング理論を批判する書物がではじめて、ひも万歳路線は通用しなくなってきたようだ
そのなかで本書が貴重なのは、著者が一線級の理論物理学者であり、専門は量子重力理論であるとはいえストリング理論関係の研究もおおいことだ
これはストリング理論、そして物理学全体にたいする内部告発の書でもある
ストリング理論家の悪癖は、やたらと「うつくしい」とか「エレガント」とか陳腐な形容詞をつかいたがることだ
まあたいていの自然科学系の聖職者たちが本を書くと、微分積分すらできない無知蒙昧な民にたいして数式の「うつくしさ」を布教せずにはいられないものだけど
それは美意識による判断であり、理論の成果を客観的に評価する基準にはならない
ストリング理論は35年以上にわたって開発されてきているが、現段階で実行できる観測や実験によって、理論からみちびかれる予測をテストできる可能性はいまだにない
実験による検証がない理論でも、めだった問題にたいして説得力あるこたえをもたらすことができるなら支持すべきだとかれらはいう
ただしスモーリンによれば、そののぞみはうすいようだ
リチャード・ファインマンは「ストリング革命」からは距離をおいた物理学者だった
連中がなにも計算していないことが気にいりません
そのかんがえ方を抑制しないことも気にいりません
実験と一致しないなにについてでも、説明をこしらえるところも気にいりません
「やっぱりただしいかもしれない」というための作為です
ファインマン先生もそうとうひどいことをいっているが、わかい研究者たちの耳にとどきはしないだろう
そもそもストリング理論をえらばなければ大学で職をえることができないのだ
そしてストリングとかMとかいう「仮説」が不当にも理論物理学の資源を独占し、結果としてこの分野からあたらしいアインシュタインやボーアが登場することをさまたげている
1940年代から70年代にかけて大学は指数関数的にふえ、わかい科学者は卒業すればたいした就職活動をしなくても教授職を手にいれることができた
しかしそれ以降大学の数はふえず、やとわれ教授は職にとどまっているので、博士号取得者がおおきく過剰になっている
採用基準も、補助金獲得実績や論文が引用された回数などの統計的な尺度をもちいるように
現代にわかきアインシュタインがいたら大学に就職できるだろうか?というきまり文句がある
もちろんできるわけがない
当時ですら大学にうけいれられず、スイスの特許庁につとめながら特殊相対性理論の論文を書きあげたのだから
そんな稼業であるから、ストリング理論家たちの共同体が閉鎖的になってゆくのも無理はないのかもしれない
著者がストリング理論の学会にでたとき、「こんなところでなにをなさってるんですか?」とたずねられたことがあるらしい
「わたしもストリング理論を研究していて、ほかのひとがなにをしているかしりたいんです」
「でも先生はループ重力のひとじゃないんですか?」
部外者たちいり禁止の学会というのもめずらしい
学会での講演のあとの討議のなかで議論がわかれそうになると、きまってだれかが「ウィッテンならどうかんがえるだろう」といいだすとか
ちなみにエドワード・ウィッテンはストリング/M理論の教祖さまです
科学者にたいして宗教的な比喩をもちいることは最大の侮辱であり、あまりよい趣味とはいえないが、なぜかひものひとたちはその栄誉にあずかることがおおい
著者は科学者の共同体を宗教と区別するために、「想像力共同体」と定義する
ときにふるい知識をすて、あたらしい真実をえらび、正統派、流行、年齢、地位の支配をはねのけて、未来にひらかれた想像力を共有するというまとまりだ
脳の処理能力はけっこうおそまつで論証はおそく乱雑であり、科学者にふさわしい職につけなかったアインシュタインや、研究ノートにはひとつも計算があらわれず、ことばと図だけで論証していたボーアのような変人を支援できるしくみでなくてはならないのだ
熟練の職人だけでは科学は進歩しない
現代でもそういった予見者たちはひっそりと活動し、やっかいな基礎的問題にうちこんでいる
翻訳のしごとをしながら研究をつづけたジュリアン・バーバーや、ローマで家庭教師などをしながら成果を本に書いたりしたアントニー・ヴァレンティーニなどのはなしはおもしろい
奇人変人の最たるものは数学者のアレクサンドル・グロタンディークで、パリの数学界に忽然とあらわれて目ざましいしごとをしたあとパリをさり、いまもピレネー山脈で隠遁生活をしているとか
理由は研究所に軍部が金をだすことに反対したとかなんとか
第一次世界大戦のあと師匠の世代の科学者が死んでしまい、じいさんでも理解できるよう手かげんをしないで自由に研究ができたヨーロッパで、量子力学の革命がおこったことも示唆的ではある
とはいえ物理学のために世界戦争をおこすわけにもいかないよね
しかしこのリー・スモーリンというひとは、せちがらい学者渡世がながいくせにふしぎとバランス感覚がすぐれている
大学院時代にポール・ファイヤーアーベントの過激な科学哲学に衝撃をうけて、ふらふらとバークレーまで本人をおとずれるあたりがおかしい
ファイヤーアーベントは科学がよってたつと主張する「理性」をうちくだき、科学なんてものはいきあたりばったりのでたらめだとうそぶいた男
そんな科学の敵が、じっさいにあってみるとそうとうな物理学ファンであることがわかり、スモーリンは学問の道を邁進するようはげまされる
光速変動理論のジョアオ・マゲイジョとも共同研究をおこなっており、本書にもマゲイジョが登場する
ポルトガルの変人であるマゲイジョの「光速より速い光」もすばらしい本なんだよなあ
いつかかたってみたい
科学だけでなく、本だってはみだしものが書いたほうが絶対におもしろいのです
![]() | 迷走する物理学 (2007/12/13) リー スモーリン 商品詳細を見る |
おやすみキム・ゴードン ― Melody Gardot "Worrisome Heart"

Melody Gardot
Worrisome Heart
(2008年/アメリカ/33分12秒)
上の画像の左がソニックユースのキム・ゴードン
右が夫でバンドの中心人物のサーストン・ムーア(身長2メートル)
本エントリのメロディ・ガルドー嬢と関係はまったくありません
この"Worrisome Heart"というアルバムをきいていたら、キムが雑誌のインタビューでかたっていたことをおもいだした
女性のシンガーソングライターを揶揄する内容だったと記憶している
なんで女のひとってシンガーソングライターになりたがるのかなあ?
ギターやピアノのひきがたりは音楽として保守的すぎるし、せいぜい歌詞で自己表現するだけでつまらないとおもうわ
女性アーティストももっと大胆な表現に挑戦するべきよ
うろおぼえだがこんなかんじ
キムはおれのあこがれの女性でもあるので、これをよんだときは得心したのだが、でもおもうのだ
だれもがキム・ゴードンになれるわけじゃない
ニューヨークを拠点に実験的な音楽をうみだし、世界中に地下のネットワークをひろげて、ステージで耳ざわりなノイズをまきちらす
ロックのあたらしい潮流をつくりだし、オルタナティブな音楽のゴッドマザーとして崇拝される
あなたが特別すぎるんです
夜ふけには女性の歌声がききたくなる
べつにおれがさびしいひとりぐらしだからってだけではないとおもう
寝床にはいって本でもよみながら、スピーカーにつないだiPodにある曲をシャッフルで再生するのだが、そのプレイリストに女性のシンガーソングライターがけっこうはいっている
ファイストとかキャットパワーとかシゼル・アンドレセンなんかがおきにいりだ
騒音だらけの昼間にきくとさっぱりだけど、草木もねむる時刻になると本来のひびきをとりもどす音楽がある
ミズ・ゴードンみたいに、男たちにまじって白日夢のノイズにたちむかえる女性は例外なのだ
そして90分や120分のスリープを設定して、しばらくしてからねむりにつく
なんというか、人間のこころのどこかに子もり歌をもとめる願望があるのかもしれない
もちろん深夜にソニックユースをきくのもたのしいんですけどね
余談がながくなったが、メロディ・ガルドーはフィラデルフィア出身で1985年うまれのシンガーソングライター
"Gardot"は英語よみなら「ガードット」だとおもうが、インタビュー映像で本人が「ガルドー」といっていたのでそれにあわせることにする
なんだかミステリアスな名前だ
19歳のときに交通事故にあい、記憶障害と、光と音にたいしての過敏症をわずらった
いつもサングラスをかけているのはそのためらしい
「事故にあったときの痛みは、10段階でいうなら40くらい」というほどの災難だったようだ
後遺症にくるしむメロディにたいし、医師はきずついた脳の神経回路をいやすために音楽をはじめることをすすめる
だからかの女にとって音楽活動とはリハビリの一環なのだ
その歌声には「人気ものになりたい」「ひとを感動させたい」といった欲があまりかんじられず、自分と外の世界のあいだの溝を音楽をつうじて手さぐりするような感触がある
レビューとしては、音そのものに関係ない部分にこだわりすぎているかもしれない
レコード会社は商品に神秘的な装飾をほどこして宣伝するものだし、はなし半分というつもりできかなければならない
でも、そういういかがわしさもふくめてポップミュージックの魅力だとおもっていたりもする
全9曲(10曲目はみじかいアウトロ)は、3曲ごとに雰囲気がことなっている
最初の3曲はジャズ的なムードが支配している
トランペットにみちびかれて歌がはじまる表題曲は、やはりよい曲だ
円熟のジャズシンガーをきどってはおらず素朴なうたいぶりで、"All That I Need Is Love"のスキャットでは「のっぺらぼ〜」と空耳がきこえる
中盤はカントリー/フォークのようなシンプルな曲調
ちょっと器用なアメリカ娘なら鼻歌でつくれそうなメロディだ
でも個人的には"Sweet Memory""Quiet Fire"あたりが、アルバムのなかでもいちばんすきかもしれない
シンプルにはちがいないのだが、意外と曲ごとの目鼻がたっている
音楽としての目あたらしさはまったくないけれど
7曲目の"One Day"からは夜のしじまにしずみこんでゆく
つぎの"Love Me Like A River Does"では、
Love me like a river does
Endlessly
Love me like a river does
Baby don't rush you're no waterfall
と、川のようにやさしく安定した愛情をもとめていて、ちょっとせつない
美空ひばりの「川の流れのように」(秋元康作詞)はじぶんの人生をやたらとおおげさにふりかえる曲だったが、お国によって川の歌もずいぶんかわるものだ
最後の"Goodnite"も軽快なリズムをもつ佳曲だとおもう
わかいミュージシャンなのでこれからどんなキャリアをかさねるのかさっぱりわからないが、サングラスごしの色あせた風景をひかえめにゆびでなぞるような音楽をつくりつづけるのだろう
そんな歌声が海をこえてひとのこころをいやせるのだから、音楽ってのはふしぎだ
キム・ゴードンになれなくたって、夜になればそこにはしずかな歌声のための空間がある
![]() | Worrisome Heart (2008/02/26) Melody Gardot 商品詳細を見る |





